白川静vs藤堂明保vs加藤常賢 Part2
決着をつけるときが来た。
参考:
白川静『漢字の世界』1・2
ttp://ime.nu/www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0987.html
白川静は「と」だと思う
ttp://ime.nu/finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/02/post_23.html
前スレ
ttp://logsoku.com/thread/academy3.2ch.net/kobun/1098353963/ 日常言語をあらわしたわけではない甲骨文字の体系化に
音韻の共通性を第一に考えるのは無理があると思う
>>2
是非たのむよ 米の日本軍慰安婦の碑撤去の署名【期日6/9】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/ms/1338202472/352
署名お願いします。このままだと
「日本人が韓国人を拉致して性奴隷にしていた」=真実になってしまいます。
必要なのはメールアドレスと名前だけで、
表示されるのはイニシャル名のみAkira.Sとかです。
白川さんは憶測と感情でものを言い過ぎ。
手続きが科学的じゃないよ。
話題が非日常だからって、言語構造まで文法を逸脱してると決め付けるのはいかがなものか。
それは文学者のロマンチシズム、タコツボ的地域研究者の地域特殊化として
よくあるものの見方だけれど、コーランもお筆先もそれらの生れた言語の文法を
きっちり守っているよ。 白川さんの「サイ」字説に関しても、
「サイ」は、単に概念を表しているだけでなく、「器物」だとしている。
しかし、「サイ」の現物が一切出土していない現状では、支持は得られなくて
当然ではないかと。
仮に「サイ」が器物だったとして、現在まで残らないような材質のもので
作られていたとかいうのなら、出土していなくても仕方ないが、
それならそれで「サイ」という器物の存在の確認のしようがないので、
やっぱり「サイ」字説が正しいかどうか判断できないわけで。