孔子が人肉を食べていたって知っている?
孔子が人肉を食べていたって知っている?
弟子が人肉の塩漬け肉にされてから、ようやく人肉を食べるのをやめたんだって。
そういうやつの説く道徳というのがどういうものかは分かるよね。
古代中国でも人肉なんか食べないやつはいくらでもいた。
カニバリズムだよ。ガチで悪魔崇拝者の世界。
儒教道徳では
子供が自分の肉を親に食べさせるのが美談
自分の子供を売り飛ばし、豪華な自分の親の墓を立てるのが美談。 客のもてなしに妻を殺して肉を振る舞うのが良しとされていたからな >孔子が人肉を食べていたって知っている?
>弟子が人肉の塩漬け肉にされてから、ようやく人肉を食べるのをやめたんだって。
人肉と断言できる根拠があるならどうぞ書き込んでってよ
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『人肉カプセル』の意味(忌み)が分かる
弟子の子路が魯国の政変で殺され膾にされたのを孔子が聞いて
喪に服した記録はあるが
孔子が人肉を食らうた記述はあったっけ? 弟子が殺され、その死体まで塩漬けにされる刑罰を受けたので、家にあった塩漬け肉を捨てた文章はある。が家にあったその塩漬け肉が
人肉とは限らない。 「古代中国では人肉食は一般的ではなかった」と言いたいわけ?
「古代中国では人肉食は一般的だったが、偉大な孔子様wに限っては人肉食なんかしなかった」と言いたいわけ? 支那人は太古以来この方、延々と人肉を喰らって来やがったゼッ!!!
分かったナッ!!!!!!!
ていうか
そもそも魯迅先生が
中国の歴史は食人の歴史
ていってなかったっけ? >>11
その食人とはどういう意味か、おまえはわかってない。 その話をはじめて2chで読んだとき、「弟子が食肉にされたから
自分も喫人をやめたってわけか。なるごど!そういうことだったのか!」
と非常に納得した記憶がある。。 厩が火事になった時、まず人の安否のみを確認した孔子が食人するはずもなし 魯迅は「わが国の歴史は食人の歴史だ」と言った。早い話、孔子は毎日、人肉の塩辛を食した。
古来、シナには官僚と人民の二種類しかいない。人民は人間扱いされない。
煮て食おうが焼いて食おうが官僚の勝手だ。儒教は官僚のタテマエで、人民はその埒外(らちがい)にある。
三国志の劉備は、愛妻を殺してその肉を供して饗応(きょうおう)してくれた猟師に言った。
「感心なことじゃ。ワシが天下を取ったら訪ねて来い。取り立ててつかわす」
曹操は政争に敗れ、旧知の友人宅に匿(かくま)われる。3人の兄弟が饗応の相談をする。
さては自分を殺して料理する相談と思った曹操は、先手を取って3人を斬り殺す。縛られた豚を見て勘違いに気付く。
逃げ出すが、酒を買いに行った父親が戻ってくる。躊躇(ちゅうちょ)なくこの父親も斬り殺す。
「悪いことをするなら徹底的にやる、それが中国人の論理です」「日本人にはそれが出来ない」
「織田信長は中途半端。だから批判される。中国では悪いことを徹底的にやった者が偉い人になる」
日本人は儒教を「日本精神で改造して素晴らしいものにした」が、中国も「同じ儒教の国」と考えるのは誤解で、両者はまったく別物だ。 日本精神とやらで根拠のない妄言を垂れ流してんのか? http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1336654035/
中国で作られた「人肉カプセル」が韓国に密輸入されていると英日刊紙のデイリーメールが7日に報道した。
今も昔も変わらんね(´・ω・`) >>16
「悪いこと」とはズレるが
敵を殺すなら徹底的に皆殺しにしろ
生き残りがいると恨みから復讐してくるから、という徹底した考え方を聞くと
島国日本はのんきで幸せだったんだなと思うわ。
でも、戦争で勝っていくには、そういう考え方が必要だとは思うけどね。 まあ >>1 の説は簡単な文献比較でほぼ否定できる。
まず「孔子は塩漬け肉が大好き」という説明はどの文献にも無い。おそらくは
あちこちで語られてる孔子の細切り肉(膾)好きエピソードが混同されたもんだろう。
さらに、人肉食の話のソースは『礼記』『孔子家語』『東周列国志』『荘子』の4つに集約される。
このうち『孔子家語』は該当部分の記述が先行の『礼記』とほぼ同じなので除外できる。
そして『東周列国志』はぐっと下った清代の大衆小説だから全く話にならない。
したがって、検証すべきソースは『礼記』『荘子』の2つに絞られる。 つづき。
さて『礼記』の記述はシンプルで、「使者に『彼(子路)の死体を塩漬けの晒しものにした』と言われ
孔子は弟子に命じて塩漬け肉を棄てさせた」(使者曰:“醢之矣。”遂命覆醢)とあるだけ。
醢には『刑死体を晒しもの等の為に塩漬けにする』の他に『食用塩漬け肉』の意味もあるが、
少なくともこの記述だけでは塩漬け肉が人肉だと断定できる根拠は無い。
仮に「これは人肉であり、当時は人肉食が普通であったから特に書かれなかったのだ」という
言説があったとしても、断定できる他の文献等の傍証が一切無い以上、想像の域を出るものじゃない。
『荘子』は該当する記述のある「雑篇」自体が晋代までの偽作の疑いが強いものの、
全体に孔子への痛烈な批判の多い書物なので、孔子サイドの『礼記』と有る程度対照できる。 さいご。あ、晋代てのは東晋ね。
『荘子』雑篇・盗跖篇の主人公・盗跖は極悪人でありながらも深い教養と高いカリスマ性を持ち、
諌めるべく訪れた孔子をコテンパンに言い負かすのだが、彼の極悪人のサインとして
「人間の肝を膾斬りにして食べていた」(膾人肝而餔之)り、「とっとと帰らねえとお前(孔子)の
肝を昼餉のおかずにするぞ」と脅す(疾走歸! 不然,我將以子肝益晝餔之膳)描写がある。
これらの記述は人肉食が必ずしも中国で普遍的な文化でなかったことの証拠でもある。
でなくてはこれらの描写が全く意味をなさなくなるからね。
翻って盗跖が、子路が塩漬けにされた件に触れたときには「衛君を殺そうとして返り討ちに遭い、
死体を東門に晒される羽目になったのは、子路の乱暴狼藉を押し止めたはずのセンセイの教育が
結局は至らなかったせいだ」(子路欲殺衛君而事不成,身菹於衛東門之上,是子教之不至也)
と指摘するのみで、塩漬け肉については全くのスルー。
もしも孔子が塩漬け肉を好んでいたという言い伝えがあったのなら、その真偽は別にしても
盗跖、いやさ人肉食タブーの時代の『荘子』雑篇の作者たちが見逃すはずがない。
直接的に書く事はできなくても、『礼記』程度に触れることは可能だったはずだが、それすらも無い。
ならば「孔子の人肉食など疑いすら無かった」と考えるべきだろう。以上、長文失礼。