返り点で漢文を読む不自然さ
「レ」だの「上」「下」だの補助記号をうって
あっちへ飛びこっちへ飛び
ある部分は翻訳して読み、
ある部分は中国語(の訛り)発音のまま読み
しかもその読み分けはまったく恣意的。
そうしてできる訓読文には、
原文のリズムも平仄も何もあったものではない。
かと言ってまともに翻訳しているわけでもない。
意味を把握するにはさらに現代語訳が必要。
したがって漢文の本には
1.原文
2.訓読文
3.現代語訳
の3つが必要になる。通常はこれに加えて語句の注釈もつく。
そこに簡潔を以って旨とする漢文の美点は見るかげもない。
孟子も司馬遷も白居易も、
まさかそんな風に読まれるなどとは予想もしなかっただろうな。
鎖国情況で、どうやって原文を読むんだ。
中国の北と南の訛りの違いも、半端じゃない。
呉音・漢音・唐音の問題もある。
中国人でさえ、まともに読めない古典を、
返り点で解決しとおした伝統は、守るべきだぜ。
韓国に見習って、漢字廃止にしたらどうなるか。
そこら辺も、考えようぜ。
漢字廃止と何の関係があるのか意味がよく分からんが
返り点をうつ漢文の読み方をこれ以上教育する必要はないだろう、
というのがここでの俺の主張。
白文を読む必要があるのなら「中国語」の古典として、
中国語の原音で読んだ方が良いし、
「日本語」の古典的文体の一つとして訓読文を教えるのなら、
最初から訓読文のテキストで学べば良い。