古文漢文板の質問スレ4 [転載禁止]©2ch.net
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>品詞分解きついです、仮に助動詞を見つけられたとしても見分けられない
わかった。そこが問題点であり、突破口でもある。
まずすべきこと
・文節にわける(中学校で習ったけど覚えてるかな)
・自立語を調べる→体言には□・用言には〇その他は無印という具合に囲って視覚化するといい。
・自立語以外のものが付属語だから、活用表や助詞の表を見て確認する。助動詞だったら「○○の助動詞〜〜の△△形」ということを調べて、その横に書き加える。
>もうわからない単語を片っ端から調べて全訳ですか?
そうするのが上達のセオリーです。私の生徒はみんなそう指導されています。辞書はバンバン使おう。 自分で本文をノートに書き写すという指導はされていますか? >>311
いえ、予習のプリントが配られてるだけです なるほど。もし信用してもらえるなら以下の学習法を実践してほしい。
・本文をノートに書き写すこと
・ノートは見開きで縦書きで上下に使い、上に本文、下に現代語訳を書く
具体的には
@まずノートの右端は2行分空ける
Aそこから2行分つかって大きな字で本文を書く(なんで大きく書くかというとその横にたくさん書き込みをするから大きい方が場所を広くとれる)
B本文を品詞分解して点線で区切る>>310を参考にしてください。
Cはじめに開けた2行に単語の品詞・活用の種類・活用形などを書きしるす。
D文法的に重要な語は自分の好きな特別な色で逐一書き込む
今やっている内容からでもいいので、これをやってほしい。文章ではなかなか伝わりにくいけど、生徒にはこうして指導しています。 >>314
丁寧にありがとうございます、がんばります 今度はきちんと「古典」に関する質問が出来るように勉強してきます いくら調べても分からないので教えて頂けませんか。
漢文での所謂「品詞の活用」、例えば名詞をサ変動詞化して送り仮名に「ス」「トス」「ニス」を
付ける場合がありますよね。
あれの「トス」と「ニス」の使い分けはどのような基準に則っているのでしょうか。
例えば論語の「曲肱而枕之」肱を曲げて之を枕とす
これは「枕にす」ではいけないのでしょうか。 体言でも枕とか宝みたいな
独立性の高い「物」っぽいものは「とす」なきがする
それと王とか可とか日本語では動作と感じられないやつ
反対に「にす」はいかにも動作っぽいイメージ
まあきちっとした基準はないと思う 返信ありがとうございます。
私が実例を見てきた限りでは、「トス」は意動用法で用いられることが多いので【認識(〜と見なす)】、
あとは【任命】ですかね。「〇〇ヲ将トス」みたいな。
ただ、「トス」でも「ニス」でもいけそうな例として、先に挙げた
「曲肱而枕之」肱を曲げて之を枕とす
の他にも、
「斬竹而薪之」竹を斬りて之を薪にす
これなんかは「ニス」ですね。
明確な基準はないんですかね…。 「『トス』『ニス』使い分け」とかで検索しても、
「上手なトスの仕方」とか「ニスの塗り方」とかしか出て来ないんですよね。 答えになるかわかりませんが、日本古典文法の格助詞の問題ではないでしょうか。
おおざっぱには以下のようであると思います。
と(‐す)
変化の結果
に(‐す)
変化の結果
言い換え可能だと思います。よって明確な基準はないように思えます。
わたしなんかは「トス」で訓んで変じゃなければ「トス」にしています。 単に現代日本語の感覚では
変形度で使い分けるかな
薪は加工度が高いので
薪にする
肱(腕のこと)は曲げるだけだから
枕とする
が現代人のネイティヴ感覚かと
したがって材料集めて枕にするなら
その際は、にす、が合うかもしれない
それから
にす、は働きかけのプロセスに焦点があって
とす、は成果物そのものの提示
にも感じられる
まあコーパスで傾向分析したら論文になるかも 10年ほど前と思いますが、万葉から川柳まで解説している古文の本を手に入れました。
よく覚えているのが、額田王の紫野の歌や、衣通姫と軽皇子のことが最初の方に解説されていました。
現代語訳が巻末の取り外し出来る冊子にまとめられており、参照しやすくなっておりました。
3度の引っ越しで紛失し、本の名前も失念しており、自分では探すことができません。どなたか御存知ありませんか?
確か山野野衾さんかあやめさんが参考書のことであげられていたことがあると思います。漢文でも同じ出版社から同じスタイルのものがあると紹介もされていました。
数年前から時々思い出しては探しているんですが、自力では探せません。よろしくお願いします。 >>320
日本語の助詞「と」「に」の違いについては次のような指摘があります。
「と」=間接的・引用的
「に」=直接的・客観的
すでに江戸時代に指摘されています。(冨士谷成章『あゆひ抄』)
○今さらに雪降らめやもかぎろひの燃ゆる春べとなりにしものを 万葉集10・1835
引用歌の「春べと」は「春べに」でも通じますが、「春べと」だと
「かげろうの燃える春とイウフウニなる」という意味で、「と」に
よって分断される意が強くなります。このような用法から「と」は
単語だけでなく句をも引用して受けることができます。
「肱を曲げて之を枕とす」も、
(肱は枕ではないが)肱を曲げて「枕だ」とみなしてそうあつかう
と解釈できます。
「竹を斬りて之を薪にす」は、竹という材料をそのまま薪にするから主観的解釈が入らず客観的表現だと言えるでしょう。 また、
「会う」という動詞では
○友と会う / ○友に会う
というように「と」「に」ともに言えますが
「ケンカする」という動詞では
○友とケンカする / ×友にケンカする
というように、「に」では言えません。
これは、「に」が、動作の向けられる対象を表す用法を持つからです。
このことから考えると、「する」「なる」も、
○敵を味方とする / ○敵を味方にする
○彼は政治家となった / ○彼は政治家になった
のように、「と」「に」両方言えるようだが、「と」は、引用的用法で、
上接体言が「する」「なる」の内容を示し、それを変化の結果の相として
とらえているのに対して、「に」は、上接体言が動作の向けられる対象を
表し、「する」「なる」の動作の向けられる目標を変化の結果としてとら
えていると考えられます。
ちなみにこれらのことは日本文法大辞典に載っていることです。 324様、325様、327-8様、非常に分かりやすい説明をありがとうございました。
漢文を一人でシコシコ学習してると、どうしても解けない謎に出くわすんですよね…。
長年の疑問が氷塊しました。心より御礼申し上げます。 疑問が固まってchまずいですね。
やはりこの際は「氷解」しないと >>302
ありがとうございました。
性の今の実力では、『ハヤウマキタリテイワク』
『センテイニシタガイタテマツル』と読んでしまいます。
慣れれば読めるかも…。orz >>336
どっちも送り仮名が「自ラ」になるので(現代仮名遣いでは自ら・自ずからと書き分けるが)
区別のためにオ・ミを付してる。 >>337 ありがとうございます。
こういうのは古文(漢文?)用語で何か名前付いているんでしょうか? 質問です。
http://www.maroon.dti.ne.jp/ittia/HanFeizi/IntelligenceEasyProcessDifficult.html
この文なのですが、
武公は胡を攻めることを、この臣に隠していて
胡を騙すためにも武公は臣の殺した、と解釈して
いいのでしょうか。
そうでないと辻褄が合わない気がするのですが。 >>339
まぁ、その解釈で正しいのだが……
(胡征伐の真意については、この臣に隠していた、というよりは、
武公一人、もしくはごく一部の腹心だけが知る秘密だった,ということだろう)
書き込む前に、もう少し「てにをは」を推敲することをお勧めしたい。 >>340
ありがとうございます。気になっていたので安心しました。
質問です。
汝使吾君以馬故殺人、聞於四隣諸侯、(『説苑』正諫 )
「汝(なんじ)わが君をして馬を以ての故に人を殺し、四隣(しりん)の諸侯に聞えしむ、」
http://njet.oops.jp/wordpress/2008/10/19/晏子あんし君を諫む/
ですが、ここは「人を殺さしめ、」が適当と考えました。
いかがでしょうか。この訓読は岩波全書「漢文入門」と同じです。 >>341
「人を殺し、四隣(しりん)の諸侯に聞えしむ、」
の訓読で問題ない。
もともと日本語は、
このように並列的に句を並べるとき、最後の句に付いた助動詞が
そこまで全体を統括することがある。
その文だと、「しむ」の受ける範囲が
・人を殺し、「四隣の諸侯に聞え」しむ ではなく、
・「人を殺し、四隣の諸侯に聞え」しむ という構造になってるわけ。
まぁ最近は流行らない言い方なので、
「人を殺し」に「しむ」を付けた方がわかりやすいのは確かだが
ついていなくて、間違いというわけではない。 >>342
ご回答、基本的に良いと思いますが、
「『人を殺し』に『しむ』を付けた方がわかりやすいのは確かだが
というと、初学者どちらでもよいと誤解していまうおそれがあります。
「使」は使役の助辞で、再読文字と違い訓読のさい二度読むものでは
ありません。
やはり、漢文訓読のさいには、「人を殺し、四隣の諸侯に聞えしむ」
でなければなりません。
逆にお聞きしたいのは、>>341さまは、「人を殺さしめ」と読んだ場合、
「聞於四隣諸侯」はどう訓読するおつもりだったのでしょうか。 https://goo.gl/lnuJ9f
これ普通にショックだよね。。
本当じゃないよね? >>342>>343
ありがとうございます。
非常に勉強になりました。 .
.
東京都三鷹市 元ニコ生主の莉里子(男の娘)です (整形後) http://i.imgur.com/SLcz3dS.jpg (整形前) http://i.imgur.com/zPvxpx5.png
不倫・浮気・密会・不道徳な行為は著名な小説家でしている人がいるので真似しちゃう池沼です http://i.imgur.com/vZeIuO3.png
■2015年2月 釣りニコ生主コジコジと沖縄旅行でオフパコ
2015年2月2日-3日...沖縄旅行でセックス/やり捨てされ逆ギレ
2015年2月4日.........莉里子の父親から電話があって脅されたとコジコジに放送で暴露される
2015年2月6日.........リスカ画像UP
2015年2月9日.........ツイ全消し/コミュ爆破逃亡
http://imgur.com/a/58WQC
■2016年6月 バンドマン兼ニコ生ツイキャス配信者と密会 その3日後に穴るセックス〜継続中
http://imgur.com/a/Lx8o2
●早川莉里子●土井莉里子●土井寧々●土井剛●早川剛●星崎●りりこ●りりこし●にゃんぱす
●ね子●にゃこ●みんち●めう●ねね●猫又●剛
※名古屋ゲイ風俗ホストとも穴ルの関係※ 卑弥呼の呼び方で思うのですが、漢文にて「呼」は名詞ではなく
「呼ぶ」という動詞の意味として用いることが殆どと思いますが如何でしょうか。
その場合だと、卑弥呼という名前は本来は「ひみ」が訛った「ひめ」と
いう意味になるかと思いますが。
西暦400年頃の古墳時代の万葉カナ文字でも読み方はひらかな読みは変っていませんから、
"姫と呼ぶ人"と解釈するのか正しいのではないかと思うのですが。
ヒメクコもまた同様で、「ひめ(の)こ」と呼ぶ人、という意味になるかと思いますが
間違っていますでしょうか。 >>350
間違っています
語順が変です
それに「呼」という漢字にそういう意味がありません https://goo.gl/YdPog5
この記事本当なの?
普通にショックなんだけど。。 正宗白鳥がウェイリー訳の源氏物語を読んで原文より面白かったという逸話を
小林秀雄が話していて興味をもったのですが、最初に読むならサイデンステッカー訳
の方がよいとも聞きました。どちらがよいと思いますか? ウェイリーの英訳は、源氏物語の平安朝的風土をヨーロッパの宮廷に移しかえていたり、
省略が多かったり、逆に心理描写の説明の付加などがなされたりと、英語文化圏の人々が
理解しやすいようにかなり改変されています。
原文に忠実なのはサイデンステッカーのほうです。
どちらが良いかは、英訳を読む目的次第でしょう。 「ある男が流鏑馬を習おうと思い立ち、まず弓を習い始め、次に乗馬を習ううちに老人となり、流鏑馬を習うのに十分な時間も体力もなくなってしまった」
というような故事を子供のころに聞いた覚えがあるのですが、調べてみてもこの様な話が見つからず歯がゆい思いをしています
ご存知の方がいましたら詳細を教えてください >>358
徒然草188段に、同工異曲のエピソードがある。
ただしこちらは流鏑馬じゃなくて、法師だが。
(法師になるために、まず説教してまわる移動手段として馬を習うことから始め、
仏事の後の余興に必要だろうと謡曲を練習し、この二つにハマってるうちに年取って
肝心の経典の勉強をするひまなく終わった男の話)
思うに、この徒然草の一節を間違って教わったか、あるいは記憶違いして覚えているか、ではなかろうか。
というのは、あなたのおっしゃる内容だと、単なる
「どんくさい人が、習い事をして、結局ものにできなかった話」
でしかないわけで(弓も乗馬も、流鏑馬には直接必要ななスキルである)
格別な教訓も面白みもないように思われるから。わざわざ書き残すような話には思えないんだ。
とか言って、私などよりずっと学識ある人がさらりと出典を示してくれるかも知れず、
そのときは、間違い呼ばわりしたことを正直にお詫びする所存。 >>359
回答ありがとうございます。そのお話がまさに探していたものです。
ご指摘の通り、私の記憶違いでした。確かに>>358の筋書きでは教訓も面白味もないですね。
長年のモヤモヤが貴方のお陰ですっきりしました。本当にありがとうございます。 「他に比べて劣っている、欠陥している」という意味の古語をできるだけ多く教えてください
そういう意味を持つ漢字でもいいです >>361
おくる おろか くだる けおとる さがる たちおくる
たちくだる たぢろく つたなし はづ みぢかし ここにいる人は漢文を知っているようで知らないのだね。
卑弥呼の回答を読んでよくわかった。
聞くだけ無駄だった。 古文の形容詞で早いを意味する
「とし」
「はやし」
の意味の違いとか用法の違いとかニュアンスの違いとかを教えて下さい。 >>364
ほとんど同じように使われる気がするが、ニュアンスとしては
・「とし」の対義語…「にぶし」
・「はやし」の対義語…「おそし」
あと、「はやし」は「時間的に前の時点」を表すことができる。
現代語で言うなら「早く起きる」みたいな使い方。
例「朝がらす早くな鳴きそ(万葉集3095)」…朝がらすよ、こんな早い時間に鳴くな
一方「とし」は、こういう使い方はできないようだ。あくまでも動的。 >>363
というか2ちゃんで聞くなよ・・・
2ちゃんは頭動いてない人の為の
掲示板だから
w 質問です
豈非大愚乎。
みたいな文は
あらずや
あらざるや
で迷うんですけど何か基準ありますか
今の訓読の基準みたいな本が
あればいいのですがありますか? >>369
上の語が終止形の時は「や」、連体形の時は「か」と一般に言われています。
ただ、「豈〜乎」は「アニ〜ンヤ」と読むのが普通。
漢文の基本的な訓読法は国語便覧にも載っています。 すみません、論語のような漢文だったと記憶してるのですが、習いごとが上達する者としない者の違いとして、恥ずかしがらずに皆に言った方が良いというような趣旨の話の出典は何でしょうか?
探してもなかなか見つからず困っています。
よろしくお願いします! 軍師 「北朝鮮で戦争がおこった場合の対策を考える!」
◎「80パーセントの確率」で、「北朝鮮軍」は、
「地下にトンネル」を掘り、ソウルを襲撃すると予測しました!
「韓国軍」は、トンネルに「大量の水」を、流し込んで、
「北朝鮮軍兵士」を溺死(できし)させて下さい!(水ぜめの計)
〇都市部や村に、「防空壕(ぼうくうごう)」や「核シェルター」を
大急ぎでつくって下さい!(人海戦術作戦)
北朝鮮が、ミサイルを全部発射したら、「156万人の韓国市民」が
死亡すると、「軍事専門家たちが予測しています!
〇リュックに食料を「3日分」入れて、
備蓄(びちく)しておきましょう!
(カンヅメ・おやつ・カンパン・水・ビニール袋・タオル・軍手)
◎「日本の原子力発電所」に、ミサイルが飛んでくる確率が高いです!
2基の原発(センダイ・ゲンカイ原発)をはやく停止して下さい!
お願いします!!お願いします!お願いします!
〇「韓国軍」と「アメリカ軍」は、話し合いをして下さい!
「コンビネーション攻撃」のシュミレーションをして下さい!!
◎韓国と「日本」で食料が不足する恐れがあります!
(戦争は、「大量の食糧」を消費します!)
「ゴルフ場」や「空き地」や「公園」に「畑」をつくり
「ジャガイモ」を植えましょう!
軍師 質問があります
私は友人のいらぬ手出しで仕事を一つパーにされてしまったのですが
その責任を取らせようとすると
『成事は説かず、遂事は諌めず、既往は咎めず』と孔子の言葉を持ち出して
責任を取ろうとしません、挙句今回は残念だったが古の賢人に学ぶことはキミの今後にもプラスにもなるとまで言い出す始末
同じ論語で言い返してやりたいのですが、どんな言葉が妥当でしょう? 孔子は弟子は多かったが、結局世に用いられず、無職で生涯を終えた。 俺は教えを求めて漢文は読まない
何じゃその理屈とか唐突感を味わう。
孝婦が冤罪で死刑になったかと思ったら
力点はおまえんところの門のサイズかよ!とか 質問です。
大日本帝国憲法第三条は
天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
とあります。
これを平仮名で読みを書くと、
天皇は神聖にして侵すべからず
となります。
ヘ → べ
ス → ず
と読みますが、これらの規則性を勉強したいのですが、どこかに書いてありますか?
いままでは何となく読んでいました。 規則性も何も、濁点を記載する習慣がなかっただけ
法令に濁点が付されるようになったのは昭和2年
昭和20年の終戦の詔書にも濁点は書かれていなかった 地元の人の業績を調べているのですが、なにぶん漢文でさっぱり分かりません。
以下の文章はどのような意味なのでしょうか?
年十六初仕為大番遭於国家興学為国学諸生
ちなみに、下級武士として内政に活躍した人です。
予想では「十六歳にして初めて藩に仕えて、領地を警護の為に回った。また、多くの学生の為に国学を盛んにした」
という所でしょうか? 国家をめぐりて、国学諸生の為に学を興す
と読んだのかな?冒頭の16歳を考えると、いささか唐突ですね
後続の文章があるなら、
国家興学(の気運)に遭い、国学諸生(の一員)と為る
もありかも… >>380
なるほど…どうもその方が妥当な読み方ですね。
別の書籍を見つけて読んでみた所、「大番(士)」になり、与力の上の200石程度の官僚になっていたようです。 之に因って来る所の人って「所因之来之人」でいいのですか? 因之所来之人?
所来因之之人?
この2つは少し意味が違うよね? 行為の名詞化は、名詞化する動詞を所に直結させる例が多い
所因之来で、来る所、と読ませるのはイレギュラーだと思う
因之而所来之人がいいのでは?
>>384
所来因之は所由来之
同じく「之によって来る所」と読め、意味も違う >>338
送り仮名に対して「迎え仮名」と呼ばれています。 群の異体字が気持ち悪い
ヘンとツクリを上下に分ける書き方は、結構多いんじゃない? 「す・さす・しむ」の下に尊敬語がなければ絶対使役だと書いてある参考書がいくつかあるのですか、これは正しいですか?
手元の辞書には尊敬語と共に用いられることが多いとしか書いていなかったり、
「(帝が)ひそかに右方の歌を詠ぜしむ。」のしむを尊敬と解釈している本があります。 >>390
> 「す・さす・しむ」の下に尊敬語がなければ絶対使役だと書いてある参考書がいくつかあるのですか、これは正しいですか?
基本的に正しいと考えてください。単独の「す・さす・しむ」が出てきたら、迷わず使役と解釈し、進んでいきましよう。
> 手元の辞書には尊敬語と共に用いられることが多いとしか書いていなかったり、
ことばは生き物です。時代と使う人によって、その姿形を変えます。
いつの時代も「言葉の乱れ」はあるし、「破格の言い方がクセになってる人」も存在します。
生き物として揺れ動く「ことば」の法則たる文法に「100%」はあり得ないのです。
あり得ない以上、いささか腰の引けた書き方になるのも、やむをえないことでしょう。
ただ、100%はあり得ぬものの、「でも普通は、こうでしょ」という最大公約数的「正しさ」は存在します。
(それが存在しなかつたら、そもそも「ことば」が社会で通用しません)
「す・さす・しむ」は、単独なら使役……というのは、これらの助動詞がネイテイブで使用されていた時代の
最大公約数的(しかもかなり絶対の)「正しさ」です。ですから、それを信じればよいのです。例外に振り回されるのは時間と労力のムダ。
> 「(帝が)ひそかに右方の歌を詠ぜしむ。」のしむを尊敬と解釈している本があります。
出典のテキスト批判が今できないので、何とも言えませんが、
天徳歌合の評か何かですかね? >>391
詳しくありがとうございます。
最後のものは駿台文庫の古文読解教則本にのっていて、天徳内裏歌二十番とありました。 >>390
正確に言うと、正しくありません。
ただ、高校生の学習や大学受験レベルでは、そういう言い方も教育的配慮としてありだと思います。
そもそも、「す・さす・しむ」の原義は「使役」で、身分の高い人は何かをするとき、自分でしないで誰かにやらせることが多く、
それを言い表すのに「す・さす・しむ」(使役)を用いていたところ、次第に自分でする場合にでも「す・さす・しむ」を用いるようになり、その結果、「す・さす・しむ」に「尊敬」の意味が生じたなどと言われています。
だから、もと「使役+尊敬」(せたまふ・させたまふ・しめたまふ)という形の尊敬語が接続する用法が多いのです。
しかし、いっぽうで、ごく少数ながら「す・さす・しむ」が単独で尊敬の用法を示す例も見受けられます。以下に例を挙げます。 (つづき)
〇御門、おほきにおどろかせ給て、かんぜ【しめ】、きこしめすことかぎりなし。(『宇津保物語』俊蔭)
〇前の右馬頭参り給うて、「長き夜のつれづれをこそ思ひやり給ふれ」とて、何となき世の中の物語をせ【させ】けるに、(『松陰中納言物語』)
〇三朝浄土の大師等、哀愍摂受したまひて、真実信心勧め【しめ】、定聚の位に入れ【しめよ】。(親鸞、正像末和讃)
これらは、ごく少数で珍しいものです。ご提示の天徳歌合せの用例もその一つでしょう。
高校生の学習に頻出の平安和文などでは、「す・さす・しむ」が「尊敬」を表すのは、やはり尊敬語が接続する場合です。
大学受験の参考書は実用性を重んじるので、厳密な言い方をしていないのでしょう。
むしろ、お持ちの辞書の表現のほうが学問的には良心的といえるのではないでしょうか。 上代における「誰がどういう理由で裁かれ、判決はこうだった」ということが分かりやすくまとめられている参考文献等どなたかご存知無いでしょうか?
よろしくお願いいたしますm(__)m http://www.toshin.com/center/2013/kokugo_mondai_3.html
解答番号28の@です。
赤本の解答です。
@不適 「蓬」は比喩であって「自然の描写」ではない。また、本文は、すでに
二人が心を通わせた後の場面から始まっているので、「女君に心をひかれるいきさつ」
は明らかでない。
↑
いきさつなんて、本文に過去形で、筆者が書けば成り立つ話じゃないんですか?
逆に、
「本文は、すでに二人が心を通わせた後の場面から始まっているので」がなければ
納得なのですが。
これ1つに2時間40分かけました。教えていただけないでしょうか?お願いします。
これを知ることで他もわかるような気もしますので。
完全にミスでマルチポストですいません。 >>399
> いきさつなんて、本文に過去形で、筆者が書けば成り立つ話じゃないんですか?
で、この「本文」のどこに、心ひかれた「いきさつ」が「過去形」で書いてあるというのさ? >>400
この「本文」のどこにも、心ひかれた「いきさつ」が「過去形」で書いてあるわけではないので、
「女君に心をひかれるいきさつ」 は明らかでない。
と、赤本に説明してあればよろしかったのですけれど。 >>402
うーん、だから。
> この「本文」のどこにも、心ひかれた「いきさつ」が「過去形」で書いてあるわけではないので、
> 「女君に心をひかれるいきさつ」 は明らかでない。
と
>本文は、すでに二人が心を通わせた後の場面から始まっているので、
>「女君に心をひかれるいきさつ」は明らかでない。
って、言ってること、そうも違うか? >>403
ああ、何か、>>399の言いたいことが分かってきた気が。
赤本の解説
「また、本文は、すでに二人が心を通わせた後の場面から始まっているので、
「女君に心をひかれるいきさつ」は明らかでない。」
は、正しくは、こうあるべきだ、と言いたいんじゃないか。
「また、本文は、すでに二人が心を通わせた後の場面から始まっており、かつ、
それ以前の出来事についての回想描写も見当たらないので、「女君に心をひかれるいきさつ」は明らかでない。」
「心を通わせた後の場面から始まっている」≠「心を通わせたころの記述が存在しない」ってことか。 「男であれず、女になれない」という表現を目にしたのですが、
あれず、は一般的な言い回しですか?
ある、の可能動詞、あれるを想定していると思うのですが、個人的には違和感を覚えます
そもそも、ある・ありを助動詞れる・るで活用する例はありますか?
あられる、という尊敬表現も普通は、あらせられる、とすると思うのですが… >>405
あら・れる 【有られる】
( 連語 )
〔「れる」は尊敬の助動詞。「いらっしゃる」より少し改まった言い方〕
「ある」「いる」の尊敬語。 「お子さまが二人−・れる」 「生物学者で−・れる」
(三省堂『大辞林』) >>405
「男でありえず」は、あまり目にしないように思います。
同じ意味としては「男たりえず」のほうがよく見ます。 歴史的仮名遣いの読みの質問です。
「逢坂(あふさか)」は「オーサカ」と読むのに、
「葵(あふひ)」は なぜ「オーイ」と読まないんでしょうか。
よろしくお願いします。 あふぐ→あおぐ(仰ぐ・扇ぐ)
あふる→あおる(煽る)
あふ→あう(会う)
かふ→かう(買う)
‥とかあるからなぁ 昔の音韻なんてホントはわからん。
なにしろデータがないんだから。
それでも、なんとかして音韻に迫りたいやつらが研究はしている。
だが、いくらそれらしいことを主張しても、それは仮説でしかない。
ルールには例外がある。
例外の理由はわからないものがある。
そんな時には覚えておくしかない。
それだけのこと(プフ風 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています