古文漢文板の質問スレ4 [転載禁止]©2ch.net
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まあそうだよなあ
現代日本語アクセントの権威が講演で
似たこと言ってた 川端康成の山の音に、
おずれ、と、をずれ、の発音の違いの話が出て来るけど、
いずれはこんなのも、おそらくわからなくなるわけだ。
タイムマシンが欲しいな(笑 >>410
元が「あふひ」、今は「あおい」とデータが揃っているのに、昔の音韻はわからんとは見当違いなレスだ >>414
そもそも、文字を今のように読んでいるかどうかはわからん、って話だよ。
言葉があった。
支那の漢字を借りて万葉仮名をつくった。
万葉仮名から、カタカナ、ひらがなをつくった。
…
と言う歴史を考えてみろ。
音韻と文字の齟齬は言語の永遠の課題と言ってもいいだろう。 平安かな文学華やかなりし頃は、発音をかなに写しただけだろ
あふひはafufiみたいな‥
齟齬はその後出てくんでやんしょ
ima waを、いま「は」と書く現代のように >>408
そもそも、奈良時代では、
「は・ひ・ふ・へ・ほ」は、「fa・fi・fu・fe・fo」でした。
ですから、「あふひ」は、そのころ、おそらく「afufi」と発音されていた。
ところが、平安時代になって、語頭以外のハ行音がワ行音に変わるという現象が起こります。
これをハ行転呼音といいます。
そこで、「あふひ」は「auwi」となったらしい。(平安時代のワ行音は「wa・wi・u・we・wo」でした。)
つぎに鎌倉時代ごろになるとワ行の「wi」とア行の「i」が混同統合されア行の「i」になります。(すでに奈良時代にヤ行のイはありませんでした。)
この地点で「あふひ」は「aui」と発音されていたはずです。 (つづき)
そうこうしているうちに、中世、室町時代になると日本語に長音が現れます。
平安時代に「au(アウ)」と発音されていたものが「ǒ(オー)」という長音に変化したのです。
これは、「 au → ao → ǒ 」と変化したと考えられています。「u」が「a」と「u」の中間の調音位置の「o」になり、その後「a」「o」が融合して、普通の「o」より口を大きめに開いて発音する「ǒ」になりました。
以上の変化を「逢坂」に当てはめると次のようになります。
「あふさか(逢坂)」:「afusaka」→「ausaka」→「aosaka」→「ǒsaka」
しかし、「葵」は、
「あふひ(葵)」:「afufi」→「auwi」→「aui」→「aoi」→ ×
と「aoi」で変化をやめてしまった。
つまり、葵は途中までで音韻変化をやめ、「ǒi」とならず、「aoi(アオイ)」で定着し現在に至ったというわけです。
それで、現代では「オーイ」と読まず「アオイ」と発音するのです。
さて、ではなぜ葵は音韻変化を途中でやめてしまったのでしょうか?
この続きは気が向いたら書きます。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000061/files/510_46839.html
古代国語の音韻に就いて
日本の場合、文字ができる以前から、言葉はあった、と推測できる。それを原始日本語と仮に呼ぼう。
次のステップとして、原始日本語が話されながら、支那語を読み書きする期間もあった、と推測できる。
次に、萬葉假名の発明。これは完全な表音文字とは考えられない。たとえば、
○ひんがしののにかぎろいのたつみえてかえりみすればつきかたぶきぬ、
と言う柿本人麻呂の和歌を、一例として、
△東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡
のように書き記す。
例えば、助詞「の」は文字づらとしては現れていないだろう。全くの漢文でもない。
そして我々に残されていたのは△である。△と、解析された時代にも残る和歌の特性を考慮して、○を構成したわけだ。
なぜ●つきかたぶきぬ、であって、▲つきにしわたる、ではないのか?
これは調べていないけれど、多くの人が●のほうがいいと思ったから、レベルの話ではないかと思う。
同じような表現を探して比較検討し、結論を出すこと、も無論あるだろう。
次に、カタカナとひらがなが発明される。これらは表音文字だから、このへんでやっと、音韻と文字を対応させられる
ようになったわけだ。
この時点から、原始日本語になんらかの影響が出て、原始日本語が変質する可能性もあるかも知れない。
ただし、現代では、ゐやゑの表音文字は使われなくなったことを考えると、はたして、すべての音を、カタカナとひらがなで
表記できるようになっていたか、は定かではないと思う。
例えば現在の日本語でも、鼻濁音を表現する表音文字は存在しない。
また、カ音を幾通りかの文字を使って書き分けているのだけれど、それらは本当にカ音なのか。
ゐやゑを考えると断定は迷う。
偶然に残っていた文献しか、てがかりがないのだから、データとしてはそれだけで推理し、仮説を立てるしかない。
あとは様々な知識を、推理の補強に使うくらいか。
以上、したがって、音韻に関して、真摯な態度でのぞむならば、断定は非常に困難であることがわかるだろう。
橋本さんは、かなり断定している。自説に自信を持っているからだと思うけれど、
それはあくまでも仮説であることを、我々は忘れてはならない。 日本語は比較言語学の手法の多くが
利用できないので苦しい
昔ほど一致していたっていう原理の根拠も薄弱 濁音符ないのに表音で書いていた
とかアホですかw
やってないやん 萬葉集と比較研究できる可能性があるのは、半島の郷歌なのだが、
萬葉集が4500首であるのに対し、郷歌は数十首しか発見されていないので比較検討は難しい。 >>408の「あふひ」の質問には平安期のかな書き時代から始めれば十分なのに、奈良とかのカナ以前を持ってきて蘊蓄を傾けようとするのは過剰反応だろ >>424
ご気分を害したのなら謝ります。
ただ、現代語のハ行は「ha・hi・fu・he・ho」であり、
平安時代にハ行点呼が起こったことを説明するために、
当時のハ行音が現代と違っているということを説明する
必要があると思い、当時のハ行は「 fa・fi・fu・fe・fo 」
であると考えられていることを述べました。
いきなり「fa・fi・fu・fe・fo」が「wa・wi・u・we・wo」
になったといっても、ハ行が「ファ・フィ・フ・フェ・フォ」
ということを知らないと分かりにくいと思いましたので。 それから、今考えてみますに、上のほうでデータがないとか、
ファンタジーだとか、日本語学の存在を不当に軽視する書き
込みが見受けられましたので、きちんとした学問的手続きを
経たうえで、各時代の音韻がどこまで分かっているのかを示
そうという気持ちがあったことは否定しません。
かつて、国語学を学んでいたこともあり、そう安易に音韻や
音価を推測しているわけではないということを言いたかった
のです。
ただ、そのためには、上に述べたことにいちいち出典や資料
の証拠を挙げねばならず、それこそ衒学的自己満足に陥る虞
があるので、それは控えたのですが、それがかえって知識の
ひけらかしや、決めつけのように取られてしまったようですね。
反省します。 >>426,427
418,419の書き込みはちゃんと質問に答えているんでいいのです
410や412,415なんかが、昔のことはわからんとだけ乱暴に言い捨てるのがよくないと思っただけです 誰も学問の成果を否定してなんていない。
まず日本語をよく読む事。
過去の音韻はデータがないからわからない。
これは単なる事実。
事実は事実として受け取らなければならない。
その上で過去の延長線上にある現代の音韻と、残された文献から、
過去の音韻に肉薄するしかない、
ってのも単なる事実。
学問以前にこれは常識の問題。
そして過去の音韻についての、すべての学説は、仮説だ。
仮説と言うことは、状況が変われば、つまり、新たな文献が発見されたりすれば。
その仮説は否定されることもありうる。
当たり前のことを言っているにすぎない。 出発点の質問は「あふひ」のその後の変化
その質問と関係ないことを嬉しそうに言っているだけじゃないか >>429
あなたのいうデータとはどういうものですか。
データ(date)
物事の推論の基礎となる事実。また、参考となる資料・情報。
「データを集める」「確実なデータ」
『デジタル大辞泉』
日本語史には、自国の言語を内省した悉曇学の資料や音韻を
アルファベットで記したキリシタン資料、さらに方言学から
実際の発音を推測する音韻データが得られます。
あてずっぽうで推測しているのではありません。
それから、科学が仮説とその検証によって発展するのは、
あなたのいうとおり当たり前のことです。
ですが、ここは質問スレッドです。
資料を分析し、仮説を重ね構築した理論で、現象を矛盾なく
説明しようとしているところへ、わざわざ「データがないか
らわからない」「すべて仮説にすぎない」書き込む意図はな
んなのですか?
「その答えには意味がない」といっていると解釈されても
おかしくはありませんか?
わたくしが上で「日本語学を不当に軽視する書き込みがみられる」
と書いたのはそのことです。 >>431
言われなきゃわからんのか?
音韻のデータとは、音韻そのものだよ。
だから、お前さんが説明?している内容も、仮説なだけ。
矛盾なく?
視野狭窄で自分のフィールドにだけしか興味を持たなければ、
無矛盾なんてことが言えないのは、ゲーデルを持ち出すまでもなく明白だろう。
まあ、自分が正しい、なんて広言するやつにロクなのがいないのはどの世界でも同じだ。 俺は日葡辞書以前は定説と呼べるような
ことは何も言えないと思うな〜
これすら標準かどうかわからんし
ポルトガル語側の資料でもあるから
理屈が循環するきらいがある >>432
人に日本語をよく読めとおっしゃるまえに、あなたこそ他人の書き込みを
よくお読みになったほうがよいですよ。
感情的にならず、建設的な議論をしましょう。
私の書き込みとあなたのおっしゃることは、食い違っていませんよ。
私の書き込みが仮説であるのは>>431で私も自身が認めているでしょう。
私は一度も自分の書き込みが事実であるなどとは申し上げておりません。
>>418-419 で述べたことが、決めつけのように受け取られたのなら申し訳
なかったと>>427で反省しています。
あなたが、仮説にこだわるのは、>>418-419で私が述べたことがあたかも
事実であるように書いているからでしょうか。
それならば、訂正します。現在の日本語史における音韻および音価の推定
は、文献資料から推定した仮説です。
ただ、>>431で書いた通り、仮説で現象をなるべく矛盾なく説明しようとする
のが学問の営みでしょう。
私はゲーデルとか難しいことはわかりませんが、常識的な範囲で判断している
だけです。 >>433
わたしもそう思います。
日葡辞書でさえ異説はありますから。
たとえば、キリシタン資料のオ段長音の音価はいまだに[ǒ]か
[oo]かで意見が分かれています。
ですから、音韻の推定はかなりできるのですが、音価の推定は
難しいですね。
平安時代のサ行子音も、[t∫] か[∫] かで説が分かれていますし。 「にほひ」の話をしているときに、[ǒ]や[oo]、[t∫] や[∫]の話を持ち出して、何もはっきりしたことはわからないんだから話をしてもムダと決めつけるのはどうかと思う 大学時代に確か中国古典(漢文)の授業で以下のような漢文があったような気がするのですが、どうにもそれが何であったか思い出せません。心当たりがあればご教示ください。
それ(よのなか)に三才あり、天文、地文、人文なり。天文は云々(以下それぞれの説明)・・・
ものすごくうろ覚えなので全然ちがったかもしれませんが、「三才」と「天文地文人文」が同時に出てきていたことが印象に残っています。 《孝經・三才》
子曰:「夫孝,天之經也,地之義也,民之行也。天地之經,而民是則之。則天之明,因地之利,以順天下。…… これからお話することは秘密ですので他人には言わないでください‥
おぉ、おぉ、クリックして1時間半みっちり聞いちゃったよ
これで金持ちの仲間入りだ、フフフ >>440,441
お礼遅くなりました、ありがとうございます。
ただ、どうもそれではないようで、「天文地文人文」というワードがあったように記憶しています。
学生時代のノートも処分してしまったし、手がかりが何もなくて途方にくれております。。。 西方有人焉不飲不食被髮東走已往復來其婦恒追掔錄之不肯聽止婦頭亦被髮名曰狂此人夫妻與天地俱生狂走東西以投晝夜
この文を訳したいのですが意味がちっとも解りません
何と書いているのでしょうか? 西方有人焉不飲不食被髮東走已往復來其婦恒追掔錄之不肯聽止婦頭亦被髮名曰狂此人夫妻與天地俱生狂走東西以投晝夜
句点もないから分かりにくいけど、だいたいこんな感じだと思う。
西の方に人が住んでい、その人が飲まず食わずで髪も振り乱して東に向かって走った。
で、とうとう行って戻ってきてその奥さんの恒さんが追求してこのことを記録し、
聞くだけでは終わらず、彼女もまた髪を振り乱した。
名前は狂というが、別名に顛、また別の名が覆。
この夫婦は世界(自然)とともに生きて、東へ西へと狂ったように走り回り、昼も夜もそれをつづけた。 >>447
どこでその文章をみつけてきたの?
句読点はついていなかったの?
どういう文脈のなかで出てきたの? >>449
ググったら普通に出てきた。「太平御覧」巻三七三に、「神異経」からの引用?として出てくる。
URL貼っておくので、漢籍に造詣の深い方、ヒマだったらよろしく。(ちなみに私は>>447ではない)
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E5%BE%A1%E8%A6%BD_(%E5%9B%9B%E5%BA%AB%E5%85%A8%E6%9B%B8%E6%9C%AC)/%E5%8D%B70373 >>450
それ、面白かった?
私はあまり読書家じゃないので、よっぽど面白いものじゃないと無理。
ちなみに私は国学や古代史・近代史が好きで、漢文では兵法家が好きです。 >>449
ネットで太平御覧を適当に見ていたらこの記述を見つけて、なんか面白そうなこと書いてるなと思って訳そうとしたけど断念してここで訊く事に
ネットだと句読点が付いてたけど本来の文にはないものなので、先入観なしで文の意味を考えたくて取り払いました >>452
この解釈は、あなたが読んでいた文章の文脈に合ってますか?それとも合わない?
「西の方に人が住んでいて、その人が飲まず食わずで髪も振り乱して東に向かって走った。
そして、とうとう(東へ)行って(西に)戻ってくると、
その奥さんの恒さんが(理由を)追求してこのことをまとめようとしたが、
ただ話を聞くにとどめられず、彼女もまた髪を振り乱した。
名前は「狂」というが、別名に「顛」、また別の名が「覆」。
この夫婦は世界(自然)とともに生きて、東へ西へと狂ったように走り回り、それに昼夜をささげた。 >>447の文は前後の文と関わりがなくこれだけで完結しているので、この文章の中でおかしな点がなければどんな訳だろうと合ってないとは言えないと思います。
質問
>このことをまとめようとしたが、
掔の字をどのように解釈したのでしょうか?
>東へ西へと狂ったように走り回り、
狂の字を走者の名前ではなく狂ったようにと訳した理由はなんでしょうか? >>454
>掔の字をどのように解釈したのでしょうか?
その文字は深く考えずに飛ばしました。文脈理解上あまり影響を与えなかったので。
>狂の字を走者の名前ではなく狂ったようにと訳した理由はなんでしょうか?
何の理由もありません。狂騒、狂信、狂乱、狂笑、のような感じで軽く受け止めました。
でも、言われてみれば、名前が「狂」だと書かれているから、この夫婦の名前かもしませんね。
それにしても、これだけで話が成り立ってるというのもびっくりですね。
何かの話の中で、引用されたり例に挙げられたもののように見えます。
それを書いた人は何が言いたくて書いた文章なのでしょう? そういう説明もないですか? >>455
ちなみに、自宅には漢和辞典がなくて、わからない漢字は調べようもなくて、「掔」を
飛ばしたのです。
>>447のご質問が
「この文を訳したいのですが意味がちっとも解りません 何と書いているのでしょうか?」
だったので、大まかな全体の解釈でいいのかと思いました。 >>454
もしもあなたがもっと丁寧な訳を必要としていて、
それでも漢字の意味とかを調べるすべがなかったら、
今日、職場で、漢和辞典(漢語辞典というものもあります)で調べてきてあげてもいいですけど。
それはすごく必要なものですか?
仕事から帰るのが23時頃になるので、それまで待てるのであれば、ですけど。 >>455
太平御覧はただの辞典で、この場合は「髪」について記述がある文章を手当たり次第引用している中でこの文章も引用されているだけで、引用に深い意味はないですね。
引用元の神異経は異国の地を紹介したガイドブックで、狂夫妻の話も西方にはそういうおかしな夫婦がいるという話があるのを紹介しているだけで、著者に何らかの主張があって書かれた話ではないです。
>>457
意味を知りたいのは単なる趣味ですが、私の趣味の為で良ければ調べていただけますか? >>458
急ぎではないのですね。
わかりました。調べてきます。
でも、よければ、もっといろんな質問をしてくださいね。
さっきの文を訳すのも結構楽しかったです。
英文和訳は子供の頃に結構やりましたが、
漢文は、頭の中で読み進めるだけで、和訳して文字にするなんてことはしたことがないので
とても新鮮でした。 不肯聴止
聞くだけにとどまらず?
制止を受け入れなかった、じゃない? 追?録之
これも記録ではなさそうですね
追いかけ捕まえ拘束した、というニュアンスかな…
被髪も婦人の場合は髪を振り乱したとうよりは、被髪左衽
つまりは蛮族の身形だったということじゃない? あ…
>>458
すっかり忘れてしまいました…
遅刻ギリギリで職場について、夜まで結構バタバタして、
ほんとにごめんなさい。
期待されてないことを祈るばかりです…
>>460
それはなんとも判別つきかねます。
ただ、それなら誰が制止を?
>>461
これもちょっと私にはなんとも断言できませんが、
拘束に関しては、続きに、この夫婦が天下と共に生き、東西走り回るのに昼夜を投じた、とあるのが気になります。
また録の後ろにある「之」は他動詞の目的語でしょうから、
受け身ではなく「之を録した(もしくはさせた)」
主語は奥さんですので、奥さんが旦那さんを拘束した(させた)というのは、後で走り回ることを思えば、ちょっとイメージできません。
ところで私は調べてこれなかったのですが、漢和辞典をお持ちの方がいたら、「掔」の字の意味を教えてください。 >>460
元の文章を今みてみましたが、「不肯聽止」は、
たしかに「あへて止むるをゆるさず(止むるをゆるすをがへんぜず)」
「やめることを受け入れることを受け入れず」
と読めますが、意味が繰り返されて不自然に感じます。
不自然とはいえありえなくはありません。 >>462
了解です 気長に待ってます
ちなみに、ここで訊く前に自分がぼんやりと考えていた訳は、
西方有人焉不飲不食被髮東走已往復來其婦恒追掔錄之不肯聽止婦頭亦被髮名曰狂此人夫妻與天地俱生狂走東西以投晝夜
「西方に人がいる。飲まず食わずで髪も振り乱して東に向かって走り、(東へ)走り終えると(西に)戻ってくる。
その奥さんは(走る旦那を)常に追いかけて『掔錄』←?
(走る旦那を奥さんが)止めても(旦那は)聞き入れず、奥さんもまた髪を振り乱した。名を「狂」という。
この夫妻と天地はともに生まれた。狂が東西を走ると『投晝夜』←?」
なのですが、その訳は不自然・有り得ないという部分はあるでしょうか? 『投晝夜』
『投』は他動詞なので、
昼夜(時間、日々)をその作業に費やすという意味でしょう。
『追掔錄之』
目的語の「之」は、先に述べたものを指します。ここでは「追」(した内容)もしくは「西方の人(つまり夫)」。
(代)名詞の前には他動詞や、返読文字(前置詞的なものや有無多寡)を置きますから、「之を掔錄して」となります。
そして主語をあえて提示した後で
・追掔錄之
・不肯聽止
と述語を並べて続けているので、この二つの主語は同一(其婦恒)となります。 手持ちの辞書で調べました(新選漢和辞典・小学館)
掔・ケン@かたいAひく、ひっぱる=牽
追掔錄之
Aの用法だと思います
録にもくくる(括る)という意味はあるようですが、狂人を縛り上げるほどの
強烈な使用法があるのか、と問われれば、かなり疑問が残ります。
が、追いかけて捕まえた、で大過はないような気がします。もちろん主語は其婦恒です 不肯聽止
主語を其婦恒とする意見とは対立します。
やはり、妻の制止、説得を夫は頑として聴きいれなかった、が穏当のような気がします
婦頭亦被髮
妻が突如としてトランス状態に入った訳ではないと思います。
婦の頭、また、被髪。婦人恒の形容描写でしょう。 名曰狂
名づけて狂という。名前が狂というわけではありません
主語は明示されていませんが、しいて言えば、ハタで見ている市井の人でしょうか
夫はガチの狂人で、飲まず食わずで走り回る。
妻は理性を保っているけれど、ボサボサ頭で夫を追い回している。
ハタで見ている人からすれば、同じことをしているわけですから、二人揃って立派な狂人です。 天地俱生
天地開闢の時代から生きているという意味ではないと思います。
人間的な生活を営まず、禽獣同然の暮らしをしている、という意味でしょう。
狂走東西以投晝夜
東西を狂走して、以って昼夜を投ず。
生活を顧みず、四六時中夫婦で追いかけっこをしているのですから、
なるほど、狂とあだ名されるのも当然ですね。 >>497
なるほど、句点の位置がちがうのですね。
「之を掔錄す。肯へて聽止ず婦が頭も亦被髮し」
ではなく、「之を掔錄するも肯へて聽止ず。婦が頭も亦被髪し」なのですね。 其婦恒
恒は婦の名前ではなく其婦恒追(その婦は恒に追っている)という意味では?
恒が婦の名前をわざわざ紹介したものなら婦頭の部分は恒頭と書くのでは? "追掔"をググったらたくさん出てきたよ。だいたいどれも時事追掔と書かれてる。中国人に訊けばわかる話かもね。
それにしても、質問するスレは、質問するのが目的で、だれも解答してあげないものなのか。 ああ、わかったかも
追牽で調べたら「牽手相随」と出てきた
つまり「其の婦は恒に(夫に)手を牽かれ付き従い之を錄する」
錄の意味はまだわからないけど、錄には写すという意味があるようなので、夫を写している(かのように息ぴったりで走っている)という意味かも
夫婦で手を繋いで仲良く走っているのだとしたら「不肯聽止」は誰が誰を止めようとしているのか、また謎が増えるけど 「止」は、相手の行動を制止するという意味はなくて、
(自分が自分の行動を)止める(手を止める)、止まる、終える、終わる、休む、という意味だから、
休む(終わる)のを聴(ゆる)さず、か、聴く(聞く)のみにとどまらず、だろうね。 https://ja.wiktionary.org/wiki/止
意義
2.とめる。とどめる。行こうとするのをおさえる。
禁止、制止
止には禁止制止の意味もあるようだから
走るのを止められても拒んだという意味にも解釈できるのでは 録には裁判などを審理するという意味もありますね
妻が「どうして、そんなことをするの?」と事情聴取したのかも知れません
調書を取れば、まさに「録」です >>475
聴くのみとどまらず、なら行動主体は妻を想定しているはずですから、
不肯ではなく不敢がセオリーではありませんか?
妻の要望「走るのを止めて」に対する応えだからこそ、
不肯、「俺は止めないぜ」となると思うのですが… http://www.zdic.net/z/1c/js/6B62.htm
● 止
2. 拦阻,使停住:〜痛。禁〜。
中国の漢字サイトでも止だけで阻むの意味があると解説してる >>480
禁が阻むの意味でしょ?
禁じて止めさせるのが禁止なのでは?
漢文では止で、「やめさせる」の意味は見たことがない。
止の意味は「已む」または「留む」なのでは?自分の行為をやめる、物事が終わる、と言う意味で。
私は漢文では「制」で相手がやろうとするのをやめさせる意味を表現してきたけど。
普通に相手に行為を思い止まらせる時に「止」って使っていいのかな。
もしそうなら私も遠慮なく使うことにするけど。 列子
河曲智叟、笑而止之曰、甚矣、汝之不惠。以殘年餘力、曾不能毀山之一毛。其如土石何。
黄河のほとりに住む利口な老人が、あざ笑ってこの作業をやめさせようとして言ったことには、
「ひどいことだよ、あなたの愚かさは。老い先短い力では、山の草一本だって取り除くことはできない。ましてや、あれらの土や石をどうしようというのか。(いや、どうにもできまい。)」と。
止を「やめさせる」の意味で使ってるね >>482
全然違うでしょ、「引き留めて」でしょ。止めさせてないし。之の意味は、「この人(少年)」と言う意味だよ。
さらにいうと、「其れ」は「ましてや」ではなく「そもそも」。
「老い先短い」とはどこにも書いていないし、この老人は利口な老人ではなく、
単に智叟と言う名前だっただけ。ま、近所では知恵者と思われていた老人、と言う意味。
老人が笑いながら引き止めた相手は、正義感に満ちた少年。少年に対して「君の残りの人生を全部かけても無理だよ」と笑いながら言ったんだよ。
そして、それを聞いた愚公が、「ヤレヤレ」と長い溜息をつきながら、この知ったかぶりの老人を言い負かして黙らせてしまう。
ググればすぐ出てくる。
出典:『列子』湯問
解釈:どんな困難なことでも努力し続ければ、必ず成功するというたとえ。愚公という老人が交通の便をよくするため、家の前にある山を崩しはじめた。これを見た人が笑うと、「子孫が次々と続けてやればいつかは成功する」と言ったという故事から。 中華サイトでも止は愚公を引き留めたのではなく愚公を阻止したと解説してる
http://www.gushiwen.org/GuShiWen_4706290ae0.aspx
河曲的智叟笑着阻止愚公说 >>484
なるほど納得
とはいえ「止愚公」とは違い、「不肯聴止」には「之」などの目的語がないため、そのように解するより、「立ち止まる」「手を止める」または「のみ」のどちらかと解釈するのが自然だろうね >>485では頑固なことを書きましたが、
実は、私の経験から、他動詞の後ろに目的語が欠けているとき、
英文和訳では「もの」または「人」を補うと自然になるように、
漢文和訳では「それ」「そのこと」「その人」などを補うと自然になることが多いと思います。
ということで、この箇所は。もはやちんぷんかんぷんです。 皆さん、有難うございます
色んな意見を聞くことが出来てとても有意義でした
特に掔錄と読むとばかり思っていた部分が正しくは追掔だと判明したのは大きな収穫でした
また手に負えない文を見つけたら質問させてくださいね 「かかる仰せごとにつけても、かきくらす乱り心地になむ」
[訳] このようなお言葉につけても、心が暗み取り乱した気持ちでございますよ。
この「心地に」のにの品詞がよくわからないです
心地 は名詞
意味は気分
に は格助詞
結果を表しているのでそのまま に と訳す
この場合下のなむは係助詞で、その下にあるはずの侍るが省略されている
こういう解釈でよろしいのでしょうか。 >>486
和文の文法を英文や漢文で理解しようとすることが頓珍漢というか…頭惡いね… >>489
下に存在を表す動詞が省略されて、「に」は断定の助動詞「なり」の連用形でしょうね。
みだり心地は辞書に名詞として紹介されてるので、その理解でいいでしょう。 ありがとうございました
古典の尊敬と謙譲について、動作の受け手に敬意、動作主に敬意を示す、どういうことか理解できません。また敬意の対象は『』なら話し書いている人が主語などと決まっているのですか?教えて下さい <その敬語がついている文節>の主語に対する敬意は尊敬語です。
<その敬語がついている文節>の目的語に対する敬意が謙譲語です。
例:姫、急ぎ殿に参り給ひて、
とあった場合、<参り給いて>が<敬語のついた文節>です。
<参り給ふ>の主語は姫。目的語は殿(または殿の主)。
姫への敬意を表しているのは尊敬語「給ふ」。
殿(の主)への敬意を表しているのは謙譲語「参る」。
手持ちの例文で、その文節の主語と目的語を考えてみてください。 丁寧語「侍り」「侍ふ」「候ふ」は、いつでも、その話(言葉)を聞いてる人、読んでる人が敬意の対象です。
『……』の中で「侍り」「侍ふ」「候ふ」が丁寧語として使われていたら、敬意の対象は聞いてる人、読んでる人です。
ただし、「侍り」「侍ふ」「候ふ」は、時々「おそばにおります(お控え申し上げる)/お仕えする」という意味の謙譲語になることがあります。この意味になっている時だけは謙譲語なので気を付けてください。
尊敬語と謙譲語はそういうことは全く関係ないので、主語なのか目的語なのかを見つけてください。 これを売りつけるためにそれ繰り返してるの?
214名無氏物語2016/10/22(土) 22:40:57.14ID:Ug9Ejxow
正字正假名變換ソフト
契冲、http://www5a.biglobe.ne.jp/~keichu/index.htm 「契冲」は平成五年五月に發賣を開始して、今年は二十五年目に當ります。この間の御愛用に心より御禮申上げます。
「契冲」の使用で「正字・正かなが止められなくなつた」との御感想を頂くのも有難く、
もしかして、販売目的ではなく、こっちの方かな→「契冲」の使用で「正字・正かなが止められなくなつた」 「さりともと頼めし甲斐も…」とあるのですが、「し」は過去の助動詞「き」の連体形だとしたらカ変・サ変動詞以外には連用形接続です。
ですから、その上の「頼め(訳が「期待した」となっていたのでマ行四段?)」は連用形の「頼み」になりますよね?
なぜ「頼め」なのでしょうか?? これは男性の和歌で、「さりともと頼めし甲斐もなきあとに世のつねならぬながめだにせよ」
(訳:そうは言っても(逢えるだろうと)期待した甲斐もなく(私が)死んだ後には、
せめて並一通りではないもの思いだけでもしてください)とあったので「期待させた」の意味の下二段「頼む」は変だなぁと思ってたのですが、
「そうは言っても(あなたを)(逢えるだろうと)期待させた(あてにさせた)…」を言い換えただけかもしれないですね 「頼む(下二段)」は受け身というイメージがあったのですが「約束する」という意味もあったのですね、メモっときますφ(.. ) たいてい、恋愛の話では、男性が主語の場合は下二段の「頼む」が多いように感じます。 ありがとうございました
筆者の主張が最も表されている一文を書きぬきなさい、という問題で
私は一番初めの、『大事を思ひ...』
だと思います。いい線いってますでしょうか?
http://i.imgur.com/hA6tnYM.jpg >>503
これはそのプリントをくれた先生に訊いたほうがいいですね。
こういう問題の解答のコツとかキモってやつがあるはずです。
国語の先生にきくのが一番です。 神令犬献上天令猫卭下地
皆さんならこれをどう訳しますか? >>507
前後関係がないとなんともね。
どっから持ってきたの?
神っていう語を単独で名詞扱いするのはあまり見かけないから神令犬が主語かもしれないし、
エロっていう漢字もあまり見かけないから、なにかの助字の古い形かもしれないし。
結果としては猫が地面に降り立ったのかな、とは思うけど、結局、前後関係がないと判別つけかねます。 神、犬、猫はそれぞれ単独の名詞です
前後の文は「Aさんは犬と猫を生んだ」「神令犬献上天令猫卭下地」「下地はBさんを生んだ」と言った内容でこの更に前後の文はこれとは全く関係ない内容です ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています