百人一首の中で花札みたいに役を作ったら [無断転載禁止]©2ch.net
おもしろいんじゃないかと、ふと思った
たとえば
「美男美女」(在原業平&小野小町)
「女流作家」(紫式部&清少納言)
「古今和歌集選者」(紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑)
「禁断の恋」(藤原定家&式子内親王)
「名前が生き物」(猿丸太夫&蟬丸)
きょうだいとか親子とか血縁関係でまとめるのもおもしろそう 【青戸6丁目住民一同の告発(住民代表・色川高志)】
秋葉原通り魔事件で逮捕された加藤智大氏は、明らかに冤罪
http://youtu.be/gj0X2qLNbUg ちゃんと調べれば
歌合わせで直接対決した組み合わせとかもあるな
血縁だと藤原氏がめっちゃ多くなりそう 最近知ったが、絵札の見た目で判別して遊ぶのは坊主めくり以外にもあるそうな
坊主以外の男だとかぶり物が3種類くらいに分かれているらしい
他にも剣などの持ち物で役を考えるのもいいかも
面白そうじゃん。花札の運ゲー要素も払拭できそう 坊主めくりが簡単なのは
100人全員の属性を覚えてなくても見た目(姫か坊主かその他か)が判別がつくから
でも絵札には名前が書いてあるので、その名前を見て判断すれば
どんな人なのか覚えてなくてももう少し細かく分けることができる
坊主13人 出家した法王(院)や太政大臣の入道などはここでは入れていない
├蝉丸(とりあえず蝉丸は坊主扱いとする)
├僧正(名前に「僧正」がついてるのは3人)
└法師(名前に「法師」がついてるのは9人)
皇族10人 臣籍降下した元皇族まで入れると分からないので、名前だけで判断
├天皇(名前に「天皇」がついてるのは3人、男2女1)
├院(名前に「院」がついてるのは5人)
├親王(名前に「親王」がついてるのは元良親王1人だけ)
└内親王(名前に「内親王」がついてるのは式子内親王1人だけ)
女性(皇族の方でカウントした持統天皇と式子内親王を除くと19人)
├母(↓他にも母親である女性はけっこういるはずだが、名前に「母」がついてるのは2人)
└他(17人) 皇族・坊主以外の男性58人 役職名がついていることが多いのでそれで分類
├公(「〇〇公」という名前は2人)
├太政大臣(名前に「太政大臣」がついてるのは3人)
├左大臣(名前に「左大臣」がついてるのは2人)
├右大臣(名前に「右大臣」がついてるのは2人)
├納言(名前に「大納言」「中納言」「権中納言」がついてるのは10人(順に2人、4人、4人))
├参議(名前に「参議」がついてるのは3名)
├その他役職(「左京大夫」2人、「皇太后宮大夫」1人 偶然どっちも大夫 なお猿丸大夫は別)
├朝臣(名前に「朝臣」がつくのは8人)
├名前だけ(23人、猿丸大夫はここに入れる)
├例外1・従二位家隆(官職などではなくなぜか位階だけ)
└例外2・菅家(役職などがついてない名だが、本当は右大臣までのぼってた) 男で序列をつけるなら
1 「公」「太政大臣」…太政大臣。その多くは摂関も
2 「左大臣」「右大臣」(細かく言えば「左大臣」>「右大臣」)+右大臣だった菅家(菅原道真)
3 「納言」(細かく言えば「大納言」>「中納言」「権中納言」)
4 「参議」
5 「その他役職名つき」
6 「朝臣」
7 なし
従二位家隆をどうするか
それぞれの人の位階を調べてみると
1 だいたい従一位〜正二位
2 だいたい従一位〜従二位
3 だいたい正二位〜従三位
4 だいたい従三位〜正四位下
5 だいたい正三位〜従三位
6 だいたい正四位下〜従四位下
7 だいたい正五位下〜なし
位階だけでいえば2と3の間くらい
でも納言・参議までの議政官は別格とすると4と5の間(5グループに含める?) >>1百人一首の構造?自体にこういう意識がある気がする>>24とかは特に なんかの漫画で
文室親子がともに風属性の歌なのをネタにしてたな
文室康秀「むべ山風を嵐といふらむ」
文室朝康「風の吹きしく秋の野は」
実はとしより親子も風属性の歌の親子だな
源経信「秋風ぞ吹く」
源俊頼「初瀬の山おろしよ」
定家はそういうことまで考えて歌を選んだのかな 平兼盛と壬生忠見の歌について言及がまだないやん。この二つは確実にセットやろ。
天徳四年内裏歌合での二人の逸話がすごい好きなんだよね。
以下引用
20.恋
左:壬生忠見
こひすてふわがなはまだきたちにけりひとしれずこそおもひそめしか
右:平兼盛(勝)
しのぶれどいろに出でにけりわがこひはものやおもふとひとのとふまで
二十番の勝負において判者の実頼は優劣を付けられず、持にしようとしたが、帝から勝敗を付けるようにとの仰せがあった。実頼は補佐の高明に決めてもらおうとしたが高明は平伏して何も言わない。実頼は窮したが、その時帝が「しのぶれど」と兼盛の歌を口ずさんでいるのを高明が聞きつけ、実頼に伝えた。それでようやく実頼も決心が付き、右方の勝ちと判定を下した。その間、左右の講師はずっと歌を読み上げ続けていた。
卑官だった壬生忠見は、出世を懸けて詠んだ歌が接戦の末に負けたことを悲観してその後食べ物を受け付けなくなり、そのまま死んだという逸話もあるが、その後の晩年の歌も残っている。
Wikipediaより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%BE%B3%E5%86%85%E8%A3%8F%E6%AD%8C%E5%90%88