16世紀に倭寇に苦しんでいた明朝中国は1556年に民間人の鄭舜功を使者として
日本に派遣し、日本に関する知識を集めさせた。
その成果が、 鄭舜功著『日本一鑑』にまとめられており、その『日本一鑑』の
「萬里長歌」中の「或自梅花東山麓鶏籠上開釣魚目」の段落で鄭舜功は釣魚嶼
(魚釣島) に関する記述もしている。その部分では多数のサメの種類が記されている。
そこで、私が「略」という字に「めぐる」・「巡行する」・「巡視する」という意味
がある事に着目して釣魚嶼に関する部分の解読と分析を試みたところ、16世紀半ばに、
明朝中国は釣魚嶼に漁業巡視をし、釣魚嶼に漢人と考えられる人が住んでいた事が判明した。

詳細は私のホームページとブログ記事参照。
尚、ホームページのurlは書き込み不能なので検索して欲しい。

[ 鄭舜功著『日本一鑑』は釣魚嶼に中国人居住し官憲の巡視があった事を示す]

ブログ記事url:
http://blog.livedoor.jp/masanori_asami-board/archives/11480189.html