禅問答(公案)
平常是道
[漢文]
南泉因趙州問:「如何是道?」
泉云:「平常心是道。」
州云:「還可趣向否。」
泉云:「擬向即乖。」
州云:「不擬爭知是道。」
泉云:「道不屬知。不屬不知。知是妄覺。不知是無記。若真達不擬之道。猶如太虛廓然洞豁。豈可強是非也。」
州於言下頓悟。
[現代語訳]
ある時南泉和尚は、趙州から「どうやって道に適うですか?」と質問された。
南泉は云った、「平常心(びょうじょうしん)こそが道である」。
趙州は云った、「努力して道に達することができますか?」
南泉は云った、「道に達しろと思えばかえってそれに至ることができません。」
趙州は云った、「何もしないでいて、どうして自分は道に適っていると分かるのですか。」
南泉は云った、「道は知るとか、知らないとかいうものではない。
認知が儚い意識です。物知らずは道を分かつことができません。
若し本当に疑いもない道に達することができれば、
晴れた大空のように实在で透徹している、
どうしてあれこれ是非観念を強引に付け加えることがあろうか。」
趙州はこれを聞いた途端に悟った。 頌:
[漢文]
春有百花秋有月,夏有涼風冬有雪;
若無閑事挂心頭,便是人間好時節。
[現代語訳]
春に乱れ咲く百花、秋に月、夏に涼風、冬には雪がある。
もし、つまらぬことに心を煩わすことなく過せば、それは人間の良い季節である。 即心是仏
[漢文]
馬祖因大梅問:「如何是佛?」
祖云:「即心是佛。」
[現代語訳]
馬祖和尚はある時、大梅から「仏とはどういうものですか?」と質問された。
馬祖は、「目下の心が仏そのものだ」と答えた。 非心非仏
[漢文]
馬祖因僧問:「如何是佛?」
祖曰:「非心非佛。」
[現代語訳]
ある時、馬祖和尚に僧が聞いた、「仏とはどういうものですか?」。
馬祖は云った、「心でもない、仏でもない。」 智不是道
[漢文]
南泉云:「心不是佛,智不是道。」
[現代語訳]
南泉和尚は云った、「心は仏ではない、智識は道ではない。」 [漢文]
趙州因僧問:「某甲乍入叢林,乞師指示。」
州云:「吃粥了也未?」
僧云:「吃粥了也。」
州云:「洗缽盂去。」
其僧有省。
[現代語訳]
ある時、僧が趙州に尋ねた、「私はこの道場に入門たばかりだから、どうぞお教え下さい」
趙州は云った、「お粥は食いおったかい」
僧は云った、「はい、食べました」
趙州は云った、「鉢を洗ってこい」
その僧はいっぺんに悟った。 非風非幡
[漢文]
六祖因風颺剎幡。
有二僧對論。
一云幡動。
一云風動。
往復曾未契理。
祖云:「不是風動,不是幡動,仁者心動。」
二僧悚然。
[現代語訳]
ある時風になびく旗を見ながら、二人の僧が言い争っていた。
一人の僧は「これは旗が動いているのだ」
もう一人の僧は「いや違う。風が動いているのだ」
互いの議論と事実が相違していた。
それを聞いた六祖は
「旗が動くのでも、風が動くのでもない。あなたたちの心が動いているのだ」と云った。
これを聞いた二僧は驚かされた。 外道問仏
[漢文]
世尊因外道問:「不問有言,不問無言。」
世尊據座。
外道贊歎云:「世尊大慈大悲,開我迷雲,令我得入。」乃具禮而去。
阿難尋問佛:「外道有何所證贊歎而去?」
世尊云:「如世良馬見鞭影而行。」
[現代語訳]
ブッダにある外道が聞いた、
「私は言葉があるの答えを聞かない、言葉がないの答えを聞かない、仏法の究極は何ですか」
ブッダはしばらく黙って坐っていた。
それを見た外道は賛嘆して、
「世尊の大きな慈悲によって、私の迷いの雲が晴れ、悟らせて頂きました」
と礼をして去って行った。
すると阿難はブッダに聞いた、
「外道は一体何を悟った、あのように賛嘆して去って行ったのですか」
ブッダは云った、
「良馬が鞭の影を見た途端に走って行くようなものだよ」 [漢文]
世尊昔在靈山會上,拈花示眾,是時眾皆默然,惟迦葉尊者破顏微笑。
世尊云:「吾有正法眼藏,涅槃妙心,實相無相,微妙法門,不立文字,教外別傳。付囑摩訶迦葉。」
[現代語訳]
ブッダが、昔、霊鷲山で説法された時、一本の花を手に持って大衆に示した。
この時、大衆は皆な黙っているだけであった。
しかし、迦葉尊者一人だけが沈黙を破り笑った。
この時ブッダは云った、
「私には秘密で、正しい理法(正法眼蔵)、
涅槃の境地達だ妙な心(涅槃妙心)、
形がない真実の体相(実相無相)、
微妙な法門(微妙法門)がある。
それは文字に表わすこともできないし(不立文字)、
経典にも書かれていないものである(教外別伝)。
これを、摩訶迦葉にゆだねよう」