【槿惠】李氏朝鮮VS琉球王国10【翁長】 [転載禁止]©2ch.net
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李氏朝鮮 1392年−1910年
琉球王国 1429年−1879年
李氏朝鮮と琉球王国、それぞれ、ほぼ同じ時代にあった国だが
どちらが、当時は先進的な国だったのだろうか?
まぁ、どっちも当時中国大陸にあった国の属国なのだけど
その中でも、よりどちらが、発展していたのだろうか?・・
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/korea/1411088210/ 大石敬介 カウパー 超上手い 遅漏 至宝 助平 我慢汁 AMライフ21 鋼兵 http://www.ogatastone.jp/ 徳之島で生産されたカムィヤキを喜界島の人が使ってたとすると、
間の奄美本島スルーしてこの2つの小さな島でやりとりしてたのは何故? 『日本紀略』の997-8年の記事には、奄美島人が九州で略奪を働いたので、太宰府が貴駕島に追討を命じたとある。
天野遠景の貴海島討伐(1187-8)の200年近く前だけど、少なくとも2つの勢力が奄美周辺にいた可能性がある。
外部から侵入するには山がちな大島よりも喜界島の方が簡単だったんじゃないか。
陶磁器を作るには土と木と陶工に食わせる食料が必要で、土のことはよくわからないが、喜界島では木がない。
徳之島なら木が豊富だし、山が海岸線にはりついている大島と違って平地もそこそこある。
大島はというと、瀬戸があるし、海賊業なら向いてそう。 平成29年度第1回考古学講座(平成29年5月14日)
“石のなべ”の謎―滑石製石鍋と中世の日本列島―
神奈川県教育委員会文化遺産課 久我谷渓太
http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/877136.pdf
滑石製石鍋についてとしては、ネットで見た分ではビジュアル含め今までで一番わかりやすかった。
城久遺跡群と絡めたグスク時代の論考もちょっとある。 かりゆしウェアが沖縄の民俗衣装みたいになってるの、何なんだろう? 日本からもたらされた唐辛子の歴史を知らずにキムチを国民食とホルホルしてる朝鮮と似たようなレベル 日本復帰あす45年 奄美出身、苦難の歴史 米統治下、「非琉球」で差別
2017年5月14日 11:19
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-495591.html
53年8月8日、訪日中だったダレス米国務長官の声明で奄美復帰は突然決まった。
奄美群島では喜びに沸いたが、在沖の奄美出身者は政治、行政、経済など各界の要職から追放された。
納税しても、投票権すら68年まで与えられず、沖縄住民と明確に差別され続けた。
現実が重くのしかかる中、重荷に拍車をかけたのは沖縄住民の視線だった。
「この際お気の毒ではあるが、沖縄自体の暮らし向きのために日本に引き取ってもらいたいという強硬論者がいる」(53年8月20日付、琉球新報)。
戦後8年間、「同胞」として復興に共に尽くした奄美の人々に対して損得勘定を隠さない、沖縄住民の冷たく、貧しい雰囲気も漂っていた。
53年12月1日、在沖奄美連合会(現・沖縄奄美連合会)が各地にあった地区奄美会を束ねる形で結成された。
連合会は親睦や融和が目的だが、復帰まで処遇改善の相談が絶えなかった。
沖縄奄美連合会の奥田末吉会長の家には59年に在沖奄美連合会が出した「奄美人名鑑」の複写が残されている。
作成経緯は不明だが、奥田さんは「みんな故郷に飢えていた。抱える問題を共有して助け合おうという気持ちがあったのだろう」と思いを巡らせる。
現在、奥田さん自身も奄美出身者の調査を続けている。奥田さんは「苦労をした人たちの思いを受け継ぎ、次代につなぐことが私の役目だ」と力を込める。
(池田哲平) 本土生まれ本土育ちだが、沖縄の血が1/4入ってる
朝鮮なんかと比較されたくない 戦前の1935(昭和10)年に、沖縄で大阪朝日新聞(当時)の記者が撮ったネガ277コマが見つかった。
市場や漁、農作業など、人々の暮らしぶりが写し取られている。
太平洋戦争末期の沖縄戦で、戦前の沖縄の写真の多くは焼失しており、専門家は「大変貴重な資料」と評価する。
朝日新聞大阪本社の倉庫内で眠っていたネガを、社員が偶然見つけた。
デジタル化し、傷やカビを修復。82年前の沖縄が鮮やかによみがえった。
撮影したのは大阪朝日新聞のカメラマン藤本護氏(46年、40歳で死去)。
社会部記者の守山義雄氏(64年、53歳で死去)とともに沖縄を訪れ、糸満や名護の漁業などを取材した。
大阪朝日新聞に、35年7月に連載「海洋ニッポン」が10回掲載されており、写真の一部も載っている。
見つかったネガには、漁業の様子だけでなく、
にぎわう那覇の市場や、古謝(こじゃ)(現・沖縄市)のサトウキビ作り、
軌道馬車や人力車などの移動手段を含む当時の生活の様子が記録されていた。
写真については、記事の相互提供や人材交流などをしている地元紙・沖縄タイムスとの共同企画とし、
朝日新聞から沖縄タイムスに写真を提供。
沖縄タイムスの取材により、多くの撮影場所が特定され、当時の様子が詳しくわかった。(吉田拓史)
http://news.livedoor.com/article/detail/13157783/
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20170603001831_comm.jpg
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20170601005649_comm.jpg
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20170531004144_comm.jpg
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20170530005105_comm.jpg >>603
毎度毎度新しい発見があるたびに、安倍政権と内地に対する憎悪を募らせないといけないんだから沖縄県民は大変だよね 【TV】沖縄の偉人・尚巴志を描く歴史ドラマがついに完成 2017年2月1日
http://www.shima-girl.com/girlentertainment/9849
http://www.shima-girl.com/newsite/wp-content/uploads/2017/01/1.jpg
http://www.shima-girl.com/newsite/wp-content/uploads/2017/01/8.jpg
http://www.shima-girl.com/newsite/wp-content/uploads/2017/01/10-1.jpg
http://www.shima-girl.com/newsite/wp-content/uploads/2017/02/11.jpg
>琉球放送は、3月15日(水)、北山、中山、南山の3つの勢力が争う三山時代の琉球を統一し、
>琉球王国を樹立した尚巴志をモデルにしたドラマ「琉球歴史ドラマ 尚巴志」を放送する。
>1月30日、同局にて、制作発表記者会見が行われた。.
>同作は、沖縄本島を三分割していた北山、中山、南山を統一し、琉球に初めて王朝を樹立した人物
>・尚巴志をモチーフにした歴史ドラマ。主人公の尚巴志は、沖縄・那覇市出身の金城大和が演じる。
>昨年11月、エキストラ80人近くが参加した大規模なロケを敢行するなど、撮影は沖縄県内各地で行われた。
そういや、このドラマはどんな出来だったんですかね?
ぱっと見でアクション含めて韓国時代劇みたいな感じだけど、刀持ってるのは大将だけで
雑兵は棒か竹槍ってとこはちゃんとしてるようだが。 >>605
考証担当の賀数仁然ってひとは上里先生のお仲間かね http://www.fec.okinawa/36.php
学歴は上里氏と似たようなもんかな?
いずれにしろ、学者、研究者ではないわけね。 ブログ主の批判する「腰当」の解釈は、高良が嫌う仲松弥秀の『神と村』(1990)で見たことがある。
誰が初出か知らないけど、少なくとも大先生がオリジナルじゃないのは確か。
18頁から引用。
腰上とは、幼児が親の膝に坐っている状態と同じく、村落民が祖霊神に抱かれ、
その膝に坐って腰を当て、何らの不安も感じずに安心しきってよりかかっている状態をさしている。 その腰当、こういうのもあった。
引用からすると1975年にはその解釈が出てるわけか。
近世琉球弧における島嶼型風水の展開─八重山諸島の村落風水を事例として─内原英聡(2013)
http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/7852/1/12_grad_70_uchihara.pdf
>クサティ(腰当)とは、「信頼し、寄り添い身をまかす」という意味の言葉である。村落形態の「理想」として
>この語句を捉えた場合、幼児が、親の膝に座っている状態が想起される(仲松1975)。
>仲松弥秀の解説によると、「家や村は寒い北風を防ぐ丘や山をクサティにして南面する立地が良いとされ、
>その丘や山を<クサティ森>と」称した。さらに神観念(または信仰)においても、祖霊神をクサティとする
>思想により、村落基盤の安定がはかられた(仲松「クサティ」『沖縄大百科事典』)。 ところでその著者の内原英聡をぐぐってみたら、石垣島出身の法政卒だけど、活動家見習いとして週刊金曜日に所属してんのね・・
色眼鏡はよろしくないが余計なことを知ってしまったw Googleアラートに名前登録して継続観察しとくわ 内原は法政総長の田中優子の愛弟子で有名な奴じゃん
田中は週金編集委員でもあるし もうすぐ慰霊の日、旧日本軍に虐殺された沖縄各地の多くの女子供達悔しかっただろう痛かった
だろう、八重山諸島に陸軍中野学校卒が嘘の米軍来襲を理由に島民を西表のマラリア被疫地に
無理やり強制疎開、マラリア怖いと嫌がる住民に銃剣で脅し家畜全て奪い日兵の食料に
日本兵の疎開と言う便利用語で多くの島民が犬死 464日本@名無史さん2016/09/16(金) 01:02:12.62
南琉球は本土縄文文化も後の弥生文化も伝わっておらず,
11・12 世紀まで本土と北琉球との間に交流がなく,狩猟採集を中心としたまったく異なる文化圏をなしていた*12。
したがって日琉系の言語が南琉球に入ったのはそれ以降であろうということは直ちに推測できる。
北琉球においても,日琉祖語を日本列島にもたらした弥生文化*13も後の古墳文化も見られないが,
本土の縄文時代と平行した貝塚時代(前6400 年〜紀元後11 世紀)には縄文文化に似た狩猟採集文化が存在していた(安里・土肥1999)。 465日本@名無史さん2016/09/16(金) 01:03:22.24
北琉球の貝塚文化が九州とネットワークを結んでおり,貝を陶器と交易していた(安里・土肥1999,安里他2004)。
しかし本土の弥生・古墳文化と接触していたにも関わらず,貝塚人が農耕を取り入れることがなかった。 466日本@名無史さん2016/09/16(金) 01:05:09.87
琉球列島で農耕が行なわれはじめたのは10・11 世紀ごろで(高宮2005),
稲を中心としながら麦と粟をも含めたという,当時の本土と似た農耕が始まった(木下2003)。
琉球列島における狩猟採集社会から農耕社会への移行が急で,人口も急激に増加した
狩猟採集の先住民が農耕を取り入れたと考えるだけでその急な変動が説明できず,
移民が行なわれたと考えざるを得ない(安里他2004, 高宮2005)。
10〜12 世紀のこの「原グスク時代」という短い期間において農業・冶金術・陶器・交易に基づいた階級社会が築かれ,
後に琉球王国へ発達していった。
その時期に本土との交易が拡大した他に,初めて南琉球が同じ文化圏に取り入れられるようになった。 467日本@名無史さん2016/09/16(金) 01:07:01.26
一般的に,本土(九州)からの移民がグスク文化成立の引き金となったと考えられている(安里・土肥1999, 木下2003, 安里他2004, 高宮2005)。
琉球祖語の語彙の中に耕作(稲・籾・麦・粟・黍・芋・畑・田)や家畜(牛・馬)関連の語彙が再建され(Pellard2014),
日本語とも規則的に対応することからグスク時代以降の借用ではないといえる。
琉球祖語の話し手が,貝塚人とは異なり,元から農業の技術を持っており,
グスク文化を琉球列島にもたらしてきた人々だったと見ることができる。 468日本@名無史さん2016/09/16(金) 01:08:55.05
人骨やDNA の研究成果によって現代琉球の住民が系統的にオーストロネシア人とは直接つながっておらず,
本土日本人に系統的にもっとも近く,縄文人とはより離れていることが分かっている
(安里・土肥1999, Tajima et al. 2004, Li et al. 2006,Shinoda & Doi 2008, Matsukusa et al. 2010)。
また,現代琉球列島の住民の直接の祖先が貝塚人ではなくグスク時代人であると考えられている。
先史時代において交流のない独自の文化圏をなし,
異なる民族が住んでいた南琉球と北琉球の現代住民が同じ系統グループに属していることは移民によって先住民が置き換えられたことを示唆する。
この移民によって琉球祖語も伝播したのであろう。 コピペ元はトマ・ペラール『日琉祖語の分岐年代』だよ。
考古学の安里、木下、高宮と形質人類学の土肥は現代の沖縄県の範囲しか調査しない困ったちゃんなんだが、
考古学で最近盛り上がっているのは、奄美こそがミッシングリンクじゃないかということ。
ペラール自身は言語学者で、奄美の言語データも調べている。
コピペの文章は、言語学と考古学と人類学の成果をまとめて「総合的なシナリオ」を考えようというコンテキストなんだけど、
そういう最近の考古学事情があまりわかってなさそうなのが残念。 ペラールの引いている文献は古すぎるんで、2012年の論文を見てみる。
https://www.nature.com/jhg/journal/v57/n12/fig_tab/jhg2012114f2.html
図2は、k個の祖先の集団を仮定したとき、個々人の遺伝子変異がどの集団に由来するかを推定している。
縦の棒が各個人で、色分けが集団の混合比を表している。
色分けを解釈するとこんな感じだろう。
・青: アイヌに代表される古い集団
・橙: 東アジアの新しい集団
・橙: 本土・沖縄のメイン
・赤: 北方中国人など
日本の遺伝学者は埴原和郎の二重構造仮説を後生大事にかかえていて、青の混合比が
アイヌ>>沖縄>本土
なのを強調して、かつて古い集団が日本全体に広がっていたが、新しい集団がやってきて中央部を占め、
南北の辺境に古い集団が比較的よく残ったと解釈する。
俺的には、それよりも、赤の混合比が沖縄では無視できるくらい小さいことの方が興味深い。
遺伝学者も流石に二重構造仮説に飽きてきたのか、最近は斎藤成也が三段階渡来モデルを提唱している。
大雑把に言えば、第一波が青、第二波が橙、第三波が赤の集団ということになる。
第三波の拡散は本土だけに留まっていて沖縄に及んでいない。 橙と緑の区分は、何を想定すればいいんだろうか?
あと、中国人の均質性は違和感がある。 日本人の形質が三階層ってことだと、9-10世紀以降に本土から沖縄に移住したって説はどうなんのかな
それ以前に移住したのか、本土といっても南九州あたりは三回目の血が入ってなかったのか どの集団をモデルに与えるかによって結果は変わる。
この場合はアイヌ、沖縄、北方漢人は少数で、本土のデータが大半を占めている状態で、
k個の仮想的な集団への分割を行ったから、北方漢人ではなく本土が細分化されている。
南方漢人やモンゴル人を加えれば別の結果が出ると思うよ。
それと、時間の前後を考えずに先祖集団を仮定しているモデルだから、いろいろ限界がある。
例えば、似た集団が複数回にわたって接触していたとしても、それを検出するのは難しい。
緑と橙の区分は、たぶん、橙集団の一部が南島に渡ったとき、
人口が小さい時期があって遺伝的多様性が失われたとか、そういう感じじゃないかな。 斎藤説については、岩波ジュニア新書の『日本列島人の歴史』(2015)を参照。
・第二段階は4000-3000年前で、当初は中央部(本土)の南(西)半分を占めるのみ
・第三段階前半で水田稲作が導入されると、第二波と第三波が中央部全体に広がる
・第三波の拡散は中央部の中央に多く、周辺では第二波のDNAが濃く残った
・第三段階後半、グスク時代の前後に、おもに九州から第二波を核とする集団が南下 『ハクソー・リッジ』ダチョウ倶楽部特訓トークイベント 過酷な訓練に挑み、映画をアピール
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170620-00010003-piaeigat-movi
沖縄戦が舞台の映画『ハクソー・リッジ』、配給宣伝で芸人とアイドルが米兵のコスプレやってるんで
あまりにも馬鹿すぎないかとツイッター界隈で批判されてるね。
ナチコスプレが問題化したくらいだから、左翼方面の連中がどうでるか楽しみだとか、沖縄2紙はどうなのかとか。
浦添市『ハクソー・リッジ』?作品の舞台をご案内します?
http://www.city.urasoe.lg.jp/docs/2017052900033/
映画自体は地元自治体がこんなページを。 「パールハーバー」のCM番宣みたいに
「感動しました!」
「泣いちゃった」
「せーの、パールハーバー!」
こんな感じでカップルが叫んでくれそうな >>613
http://researchmap.jp/yos_igarashi/
これを見た限りでは、五十嵐陽介氏が研究に没頭できるのは何年か先になりそうだなw 韓国で拘束された奥茂治氏は奄美人
奄美人は歴史的に琉球に捨て石にされ、薩摩の奴隷となり
沖縄本島で差別され続けた島人です
琉球の捨て石になった奄美人の歴史的記憶として安全保障にも積極的な発言をされており、
沖縄本島で暮らす中で受けた沖縄の離島差別体験をもとに、朝鮮や沖縄のエセ差別が許せず沖縄差別の捏造にも積極的な発言をしています
奄美人の奥茂治氏の奪還にご協力をお願いします >>593
>中継貿易でそんなに儲かったものであろうか?
今と昔で大きく事情が違うだろうけど、中継貿易で儲かってる例でシンガポールとか香港とかあるんじゃないか?・・・
タイは東南アジアでほぼ唯一ぐらい植民地になった歴史が無いんだけど、その説明で白人がタイを植民地にしようとしなかった理由として
中継貿易が盛んだったから植民地にしなかったという事も挙げられてたと思う。
朝鮮半島と話を絡めると、琉球経由で交易していた日本の一地域の薩摩藩の今で言う貿易額みたいなのが李氏朝鮮全部を上回る規模だったと思う。 薩摩藩が儲かってるのは薩摩藩の商品を
売ってるからなんだよ。これはマジで。
幕末のフランスとの武器購入話でも
琉球は貧しい国で産物が乏しいから
薩摩の産物で払います、という話しがなされている。
他人から買った商品を売って金になるの?
って話。
しかも実は中継貿易やってるとは
本人たちは一言も述べてないからね。
本人たちは朝貢品を買ってます、
と明言してる で、それは夏子陽が赤字だから
やめさせた方がいい、
自国の産物だけ納めさせた方が
こいつらのためだ、と言ってる。
逆に冊封使にくっついてくる
フトウ貨物の買取は
王府だけでは買取できないから
内地の商人に依存してる。
東南アジア交易にしても
王府は、この間は頭目連中が
いざこざ起こしてすいませんでした
みたいな書状を書いてる。
歴代宝案に収録されてる。
いわゆるゴーレスも内地人の特徴が
明らかに混在してる。
実際には東南アジア交易も
内地の商人の護衛や資金で
成立していた可能性がある。
フトウ貨物の買取がそうであったように。
とにかく、中継貿易やってたという根拠や
それで利益が出ていたという根拠は
あるのか?という話し。 マラッカには中国人がうじゃうじゃいるからね。
海禁とか事実上関係ない
琉球人がそいつらに対抗しようとした話しはない
本人たちは朝貢品を買いに来ましたとしか
言ってない。
日本人に売る物を買いに来たとは
一切言ってない。
それをはさておくとしても、実際、
琉球人ごときが中国人に対抗できるの?
って話。どうみても向こうの方がやり手でしょ。 実際の朝貢は、
経済的な意味では、
これまで学者どもが吹聴してきたほど
おいしいシステムではない。
夏子陽ははっきり、
王府は遠方から朝貢品を調達しているから赤字だ、
俺たちを慕ってくれる奴に
負担を強いるのは良くないんじゃないか、
朝貢回数を減らすべきだし
外国の産物を要求するべきでもない、と述べている。
夏子陽の説明には筋が通っている。
確かに、王府の商品は全て外国の産物だから
誰かに売るとしても大して儲からないはずだ。
それも、販路が琉球人しかなければ別だが
実際には東南アジアには中国人商人がウヨウヨいる。
ここで本人たちがどう言っているか、
確認してみると、実は、
中継貿易しているとは一言も言っていない。
東南アジア交易では、
朝貢品を買いに来ました、と
毎回はっきり目的を説明している。 そもそも朝貢は金が目的ではない。
神様を拝むとお賽銭をとられる。
儲かるどころか有り金が減るのが当然。
朝貢はお偉い中国様を拝むのが第一義。
当事者は全員そういってる。
儲けは誰も問題にしていない。
儲けが真の目的だ!とか言ってる奴は
深読みし過ぎて自分の妄想に囚われているだけ。
近代資本主義に毒された自分の観念を
中世人に押し付けているだけ。
まず、強大な権威の下に争いを収めないと
商売どころじゃない。
朝貢で解決しようとしている問題は
金よりも重要で基本的な問題。
要するに尚家単体では大した権威はない。
中国様の家来である尚家じゃないと誰も従わないし
まとまらない。 wikipediaの例の、早速ブログ主が自治厨に排除されてるじゃんw
というか沖縄関連は中国人らしきのが精力的にまとめてるから、日本語版以外の方が記事内容も豊富だよねえ
ハン板的なネタとしては、日本の自治厨が英語版にも目を通さないということは、韓国人のウリナラ起源説が
のさばってても日本人は全く対処してないってことかな? 日本人は英語を書けないどころか読めもしないからね。
英語版で朝鮮関係の記事はひどい有様なのはいうまでもないし、
琉球がらみのも、琉球は日本とは別だってことにして、
米軍の沖縄占領を正当化したいイカレタアメ公がのさばっていて無茶苦茶だよ。 喋れないけど英語圏の人間より読める連中は一杯いるぞ?
英国人でもちゃんと理解してない様な細かい文法ばっかり教える実用性無視の英語教育の結果だが 中世の日本で琉球がどう見られていたかは『漂到琉球国記』を見るとわかる。
人食い鬼の住処だよ。 なるほどぐぐったらこれはたしかに土人ですわw
でもまあ1243年てことは鎌倉初期でもそんなもんなのか 沖縄タイムス 平家の落人が沖縄に来ていた!? 宮古島に伝わる日本刀と謎の古文書2017年8月4日
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/123036
どっかで見たことある話と思ったら、例のブログ主が以前書いてたやつだな。 ブログ主が書いたから、琉球史家や沖縄タイムスも抹殺しようとしてた歴史を記事にせざるを得なかったんだろうな そりゃいくらなんでも買い被りすぎw
先行研究があっても事例を調べようともしないのは日本国内どこでも一緒で、別に沖縄メディアに限ったことじゃないし。 それほど沖縄紙は記事も内容も変更してるし
琉球史研究はレベルが低いってことか そりゃ沖縄2紙が頭おかしいのは明白だけど、他県紙だってコラムとか社説の論調見ると
共同通信そのままというか酷いもんだよ >>587
城久遺跡群はこの6月に「城久遺跡」の名称で国指定の史跡として正式に登録されたので
名前に「群」がつかなくなった模様 米国で行われてる南軍リー将軍銅像破壊にならって、琉球民族独立学会が西郷隆盛の銅像を破壊すれば、沖縄パヨクとしばき隊、安田浩一のような被差別売名人は大喜びで大絶賛だろうな 国宝納める博物館をデパート4階に作っちゃうような合理性溢れる沖縄県民ならきっと心配ないよ 東京大学大学院人文社会系 博士論文データベース
屋良健一郎「琉球・日本の外交と文化交流」
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2016/83.html
wikipediaうるまの島
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%82%8B%E3%81%BE%E3%81%AE%E5%B3%B6
たまたま屋良健一郎の博士論文要旨を見かけたんですが、ここの「うるま」の起源のところ、
紹巴の「下紐」の記述からうるまが琉球と呼ばれるようになったって話、うるまと琉球が
この時期に結びつけられた経緯の研究ってあるんでしょうか?
この件では池宮正治が「沖縄ことばの散歩道」で、うるまは沖縄方言とは考えられないと
はっきり書いてるけれど。 その博士論文のもとになったらしい論文は『中世政治社会論叢』(2013)に収録されているからそっちを見たら?
『藻塩草』(1513年頃)に「うるまの島/をきなふの事也/」とあるのが沖縄を指す最古の用例で、
琉球人が和歌を読んだという記録は『実隆日記』の1496年の記事が最初とのこと。 ありがとうございます。とりあえずネットで見れる部分のみ、藻塩草については検索したらすぐ見つかりました。
故事類苑(地部3巻1345頁) 藻塩草
>宇留間島〈非二日本一歟、一説をきなふを云と、おぼつかなうるまのしまの人なれや我ことの葉をしらずがほなる、〉
実隆公記は国会図書館のデジタルアーカイブで翻刻本が読めますが、明応5年は200ページ分もあるので
ちょっと探すの難しそうですね。 屋良と黒嶋で本出してたんだ
つか上里先生が
http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=100752
『琉球史料学の船出』黒嶋敏・屋良健一郎 編
第一部 古琉球の史料学
古琉球期の印章 上里隆史
かな碑文に古琉球を読む 村井章介
琉球辞令書の様式変化に関する考察 屋良健一郎
第二部 近世琉球の史料学
琉球国中山王の花押と近世琉球 山田浩世
近世琉球の国王起請文 麻生伸一
「言上写」再論―近世琉球における上申・下達文書の形式と機能― 豊見山和行
第三部 周辺からの逆照射
島津氏関係史料研究の課題―近世初期成立の覚書について― 畑山周平
原本調査から見る豊臣秀吉の冊封と陪臣への授職 須田牧子
"琉球渡海朱印状を読む―原本調査の所見から― 黒嶋敏 五十嵐陽介期待の新作。
琉球と九州全体が兄弟なのではなくて、琉球と南部九州が兄弟関係だという踏み込んだ説を提案している。
九州・琉球同源語調査票
http://researchmap.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=multidatabase_view_main_detail&content_id=20228&multidatabase_id=12544&block_id=1856949#_1856949 鳥類は恐竜の子孫だから、それなら爬虫類の下位のカテゴリーに入るので
別の分類に出来るのか
とかいうような自然科学ネタみたいな話だね 琉球王国といっても屁のようなとこじゃん
あっという間に降参 沖縄県民栄誉賞→安室奈美恵(沖縄を捨てて京都府民?)
沖縄県名誉県民→山中貞則(鹿児島県民) 小池はお前らを裏切ったぞ!
希望の党が6日に発表した衆院選の公約と政策集には「外国人の地方参政権付与に反対」が盛り込まれなかった。
小池百合子代表(東京都知事)の持論で、民進党からの移籍組が公認を得る際の条件にもなっていたのに、なぜ消えたのか。
■批判受けて? 疑問や抗議の声も、「これから進化するものが多々ある」。小池氏・・・
全文はソースで、10月7日 朝日
http://www.asahi.com/articles/DA3S13169737.html
他ソースも
・希望公約案「9条議論」 増税凍結、原発ゼロ (毎日新聞)
公認候補に提出させた「政策協定書」に含まれていた「外国人地方参政権付与への反対」は記述がない。
https://mainichi.jp/senkyo/articles/20171005/k00/00m/010/077000c 「外国人参政権特別区 東京」
ブサヨである教義をすててまで政党を解体してまでやろうとしていること。
もともと日本の野党なんて、リベラルというか特別アジアのシンパ政党でしかなかったわけだが。
小池を利用すれば、いっきに日本の首都東京を狙える。
都議会は都民ファーストという名の公明党議員でうめつくされている。
まさにトロイの木馬。正攻法では野党による政権奪取はもう不可能だが。
まず東京をつかって外国人参政権実現させれば、いずれ日本の地方でも
外国人政党が誕生するだろう。
数的には弱小政党でも外国からの支援をうければ影響力ははかりしれない。
今回の選挙は焦点は 9条と外国人参政権となる。 これはわろたw
https://mobile.twitter.com/Tanaka_Kei/status/921685381833039872
琉球朝日放送2017年8月30日
街中の電柱や壁に張られた違法な広告物を一斉に撤去する作業が那覇市で行われました。撤去作業は、電柱のチラシや立て看板など道路周辺の違法な広告物が市内の景観を損ねているとして、那覇市が実施しました。
出発式で城間幹子市長は「まだ市内には違法な広告物が多く、市民や観光客に快適な歩行空間を確保していただきたい」と参加者を激励しました。
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その結果
https://pbs.twimg.com/media/DMoQYnoV4AA3QPp?format=jpg 城間那覇市長と翁長雄志沖縄県知事が犯罪の共犯でもあるって言うことは、他にも色々と当てはまりそうで笑えるね カタルーニャが独立宣言をしたというのに、沖縄メディアの反応が薄いな カタルーニャは自分たちの税金を他所に持ってかれてた方だもんな
今回の件で経営に大ダメージと地元企業が逃げ出してるわけだし
そんな簡単には
韓国資本に占領されつつある対馬の例の方が近いんじゃない? 確かにカタルーニャは税金持って行かれる方で、補助金漬けの沖縄とは違う。
松島はなんかちょっかい出してるみたいだ。 与論島の天皇歓迎の姿勢は、沖縄のアレさからすると癒されるな 高橋孝代『境界性の人類学』によれば、奄美群島には意外と皇族が訪れている。
沖永良部島には常陸宮が学生時代と婚姻後の2回行啓、
今上は皇太子時代の1966年に奄美大島を訪問、即位後の2003年に復帰50周年記念で再度来島されたとのこと。 米軍占領期の奄美とか沖縄のことを書いた本はよく見るけど、宮古の話は全然聞かない。
最近出た『みやこの歴史』(宮古島史第一巻)を見たら、
宮古の資料は『平良市史』くらいで、残りはほとんど沖縄の資料を引き写してた。
どうなってんの? 自衛隊のレーダー基地があるとこに駐屯してたんだけど
ほとんど接触無かったって聞いたな。
地元民は外人怖いし
向こうも遊ぶとこ無いから降りてこないし。
大野山林でたまに狩りしてたらしいよ
愛人になる人もいることはいたらしい。 https://twitter.com/C343_45/status/933339329090371586
>北の北海道新聞なんて沖縄二紙をK点越えしてますよ
>最近は「アイヌ民族の権利回復」を利用した独立世論工作を連日展開しています。
>沖縄と比べて目立たないですがメディア・与党自民の在り方、いずれも沖縄より酷いですね
北と南の最強コラボとかw
松嶋は最近、京大保管の人骨標本に対して、アイヌ利権活動家と一緒にアイヌ琉球人骨返還運動とかやってんのね 沖縄のニュース減ったね
ヅラ知事が過去の人みたいに思えて来た こんなんがあったんで一応
著者は京大で琉球史を専攻してて、現在は大坂歴史博物館の学芸員か
法政大学学術機関リポジトリ
木土博成『後水尾上皇・明正天皇の前で奏楽した琉球人』
http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/13146/1/oki_44_kido.pdf 米軍ヘリからの落下物が自作自演らしいっての、当事者の牧師が北朝鮮シンパなのはもうテンプレすぎるな 今度こそ小学校に落下したらしいからNHKも大喜びじゃないか
さっさと普天間移転しないとなw この事故のために普天間基地に反対しながら小学校の移転だけは断固阻止してたんだからな
米軍基地反対派は小学生が亡くなってくれれば自分たちの運動が正しいことを証明できたのにって地団駄踏んで悔しがってるよ https://aichiu.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=8710&item_no=1&page_id=13&block_id=17
沖縄の戦前史と明治憲法 小林 武 15年戦争って書いてるだけでもなんか胡散臭いような 千代金丸複製品は、全て本土の業者に復元委託してたようだが、県内での技術発信なんてどの程度やれるもんかね
琉球王国文化遺産集積・再興事業
http://www.pref.okinawa.jp/site/bunka-sports/bunka/kikaku/documents/22.pdf
戦後70年余を経て、戦災により失われた相伝の8分野のティーワジャ(手わざ)など王国時代の精緻で
至高の技の世界を現代に蘇らせ、世界に誇る沖縄の手わざの力をモノを通して国内外へ発信し、琉球
王国文化をブランドとした文化観光拠点として沖縄をアピールする。 五十嵐陽介の続報。琉球を含む南日本語派の部分は前と同じ。
今度は拡大東日本語派、中核東日本語を提案している。
共通の改新に基づく分岐学的手法を用いた日本語諸方言の系統分類:
南日本語派(琉球を含む)と東日本語派(八丈を含む)の提唱
https://researchmap.jp/mul0qbdhx-1856949/#_1856949 幼稚園や学校とかを余所に移転すれば済む問題じゃ無いの?移したら三代に渡り皆殺し。
とかじゃ無いでしょ。もの凄い反対って言うけれどさ、動画で録画して置くだけの知恵も
無いわけ?皆で見て対策立てれば良いのに。もうネットで拡散できる時代なのに。
顔写されたら、もう終わりなんだが。どこから録画しているか、教える必要なぞ無いし。
関係者以外が入り込もうとしたら、スピーカーで何百デシベルで警告できるし。破壊した
ら、その瞬間に器物破損の現行犯だが?誰か詳しい方おいでで無いか。
どうも、よく理解できないな。 http://www.museums.pref.okinawa.jp/museum/topics/detail.jsp?id=1890
沖縄県立博物館
博物館学芸員講座「倭寇対策の城―約500年前に湊や村を倭寇からどのように守っていたのか―」【1月13日(土)開催】
倭寇は14世紀から16世紀にかけて中国や朝鮮半島、琉球などの諸地域を荒らしまわった海賊としてのイメージが定着しています。
しかし、その実態は交易活動に従事する国籍不明の集団で、商取引の際にトラブルが起きると略奪行為に及ぶといったことが
あったようで、常に村々を荒らしまわっていたわけではありません。その倭寇は時に大規模な集団を形成し、湊や村を襲うことがあり、
中国の明朝は14世紀に海禁政策の中で沿岸部において衛所と呼ばれる施設を設置しました。そして、琉球王国においても倭寇対策の
ために那覇湊に入る口に砲台場を16世紀に設置しました。
今回の講座では現在は失われてしまった16世紀の那覇湊口を分析し、その鉄壁の守りを解説いたします。また、福建省において
倭寇対策のために築かれた城についても紹介していきます。 博物館文化講座「科学分析から見えてくる琉球の美術工芸」【2月17日(土)開催】
琉球王国は日本・中国・朝鮮・東南アジアなどと交易を行う中で、その地域的特徴を生かして独自の文化を形成し、数多くの
美術工芸品を製作していました。それらの多くは沖縄戦で失われてしまいましたが、戦争をくぐり抜け、現在まで継承されてきた
美術工芸品のいくつかは、近年国宝や重要文化財に指定されました。
東京文化財研究所ではこれまで20年近くにわたって、琉球王国時代に製作された絵画、金工品、漆器、ガラス、陶磁器など数多くの
美術工芸品の科学調査を実施してきました。科学調査とは、X線や赤外線・紫外線など各種の分析機器を用いて文化財を調査
することで、肉眼ではわからない材料や構造に関する様々な情報を得ることができます。
本講座では、最新の科学調査によって明らかになった琉球の美術工芸品が有する特徴について紹介します。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています