>>164
まとめとして、行政内部文書における「植民地」使用をもって、大日本帝国政府が「朝鮮半島を植民地として認めていた」とするとちょっと異なるかと思われます。

> (植民地の)文字の我国で用ゐられ初めたのは、極めて最近の事で、明治以前の空気に多く包まれた人の頭には、植民地という文字が、非常にハイカラな文字になつて響いて居る。
植民地がどうの、植民政策がどうの、拓殖局がどうのといつた所で、虻が鼻の頭を刺した程の感じもない。
新領土といふ文字にせよ、其れは二十七八年、三十七八年に於ける、二大戦役の賜物で、此戦役以前、新領土といふ文字は、あまり繰り返されて居ない。
何れにしても、植民地といふ文字は、現代人に未だ耳新しい文字である。
先ず植民的知識をいへば、其れは北海道開拓の其れであつたらう。
北海道開拓は、我日本国民に、植民の意味を、朧気ながらも、先づ放つた所の鐘の音であるのである」
(「日本植民地要覧」全国新聞東京聯合社編、1912年10月)。

と、あるとおり「植民地」というのは開拓地でもあって、北海道のことを指してもいたので。
それ故、大日本帝国にとっての朝鮮半島とは「新規領土」だったのでしょう。段階的ではあるけれど。
つうわけで、「併合」したのは植民地としてじゃないけど、実態は(学術的には)海外の植民地と同じ段階にあった、ということかと。