朝鮮の歴史を語るスレ
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>>222 ま、例外って奴だね 欧米の各植民地支配においても、出世したり金持ちになったりした現地人は当然いる >>225 ナオロジー下院議員のことですかね? ヒンズー教徒でもイスラム教徒でもない(ゾロアスター教?)少数民族だったという側面 分割統治の道具って側面があるってことだったと思いますが… >>227 そりゃー植民地の現地人議員なんて基本本国の都合のために生まれるものだよ それは日本もイギリスも同じ 人口比に見合った議席数を与えてたならともかくね >>219 100年くらい同じ国家でいれば朝鮮人や台湾人の首相も出たかもね でも当時は近代的な教育が不足し過ぎ 古代については人種民族不明 百済避難民については溶け込んじゃった 陶工は大事にされて陶工続けただろ 併合前後の道筋とその後の朝鮮の独立性については金玉均あたりの人が生きてたらかなり違ったかもとも思う >>229 結論はもう出てる 100年も同じ国家でいられないので無理さ 陸軍中将って洪思翊の事やろうけどあれは例外中の例外やぞ 併合以後の洪思翊以外の朝鮮人で将官になれたのは朝鮮王公族の李垠王だけやろ 王公族が準皇族の扱いだったことを考えると洪がどれだけ例外かわかる あとは併合の時に李秉武みたいな朝鮮軍人の将官たちが元の階級に準じて日本軍の将官になれただけやで 山本七平の『洪思翊中将の処刑』(1986)の影響かネトウヨはやたらと洪思翊を持ち上げるけど 日本軍将官としてフィリピンで刑死する最期は悲惨や >>106 >「日本の朝鮮統治」を検証する1910-1945 届いたので読み始めたが、著者アキタ氏はもともと朝鮮統治については、 日本でも主流だった朝鮮の民族主義史観寄りな考えだったが、 この本の共著者パーマー氏の朝鮮で行われた徴兵の受容についての論文を読み、 日本で徴兵制が行われた時の反動と比べた際、 朝鮮総督府の目的は日本の勝手だとしても、朝鮮人の協力を得るために最大限の努力をしていたと気づき、 朝鮮の民族主義史観の言う残虐とか蛮行という表現は違うのではと思うようになったとのこと >>225 あれ、イギリスの植民地ってインドだけでしたっけ? 他の国の植民地はどうだったの? インドはあれだけの人数とあれだけのマハラジャたちの富を持ってしても、 役立てられず独立を保てなかったんだなあと 日本も幕末にヨーロッパの国々が分割統治で入り込んでたらやばかったな >>233 あたしも貴方に尋ねたいんですがね? この国民投票ってなんですか?↓ 205 マンセー名無しさん[sage] 2018/05/21(月) 03:28:36.18 ID:V/FoAQIo >>203 自分たちで併合を望む国民投票をやったんだろ 伊藤博文は朝鮮人と関わると損をするって反対してたそうじゃん ニワカの自分ですらおかしいと気付くデマが 当然のように飛び交ってるのは嘆かわしい (´・ω・`) >>234 日本は台湾人の議員も居たようですよ イギリスの他の植民地や他国の植民地はどうだったのかな〜? 朝鮮・台湾勅選議員 階級は最高位のものを、官職名は代表的なものを掲載。 伊東致昊(朝鮮選出) 昭和20年4月ないし昭和21年7月 金田明(朝鮮選出) 昭和20年4月ないし昭和21年7月 韓相龍(朝鮮選出) 昭和20年4月ないし昭和21年7月 許丙(台湾総督府評議会員、台湾選出) 昭和20年4月ないし昭和21年7月 野田鐘憲(朝鮮貴族・伯爵、朝鮮選出) 昭和20年4月ないし昭和21年7月 朴沢相駿(朝鮮選出) 昭和20年4月ないし昭和20年9月 朴忠重陽(朝鮮選出) 昭和20年4月ないし昭和21年7月 緑野竹二郎(台湾総督府評議会員、台湾選出) 昭和20年4月ないし昭和21年7月 李埼鎔(朝鮮選出) 昭和20年4月ないし昭和21年7月 林献堂(台湾総督府評議会員、台湾選出) 昭和20年4月ないし昭和21年7月 >>236 日本に併合される前の朝鮮は識字率数%の貧乏土人国家だったから、国民投票は無理で 誤りというやつでしょうな 植民地経営のために現地人の高級官吏育てたり高等教育機関を整備するのは珍しくもなんともないで フランスだって仏印で学制整えてリセ作ってる >>238 みんな負け戦が込んできた時期の議員なんだよな もう負けるしか無い状態で、反乱されるのが怖くて、そのガス抜きのために 平時に議員にしてたならまだその理想を信じられもするけどね >>241 そんな話聞いてないんだが、 イギリスの他の植民地や他国の植民地の議員の話を聞かせてよ >>240 日本みたいに、祖国の文字の教科書とか作ってやったのカナー? >>239 じゃこれは史実と違うから誤りってことでいいですか? >>170 で指摘してありますけど。 それから識字率数パーセントってどこの統計ですか? 総督府の統計では文盲率は1930年の調査しかなく、 仮に併合時とすると >ちなみに1930年当時の60歳以上に限定しても「ハングルのみ識字」率は40%近くあります。 併合当時40歳の彼らが、1910年当時ハングルを解さなかったと解釈するのは無理があります。 普通に考えれば、1910年当時の男性のハングルのみ識字率は40%程度あったと考えるのが妥当でしょう。 女性を含めても20%程度だったと考えるのが妥当です。 それを踏まえると、1930年当時の識字率25%と言うのは日本統治が20年続いたにしてはお粗末な発展レベルと言えると思います。 その原因は、併合前からハングル識字率がそこそこ高かったにも関らず、併合後カナ教育を導入し言語的な混乱を招いたからではないかと思われます。 http://scopedog.hatenablog.com/entry/20121101/1351777387 となります。 205 マンセー名無しさん[sage] 2018/05/21(月) 03:28:36.18 ID:V/FoAQIo >>203 自分たちで併合を望む国民投票をやったんだろ 伊藤博文は朝鮮人と関わると損をするって反対してたそうじゃん 一進会の嘆願書のことですか? > 国民投票 負け戦が込んできた時期の議員ってのも「例外」ってヤツなんでしょうか? >>242 結論から言うと、いなかったんじゃ無いかな それを以って植民地じゃ無いとかイギリスの植民地とは違うというのは間違ってるけどね 斎藤実総督の文化統治時代に衆院議員の松山常次郎(1884-1961)とか中野正剛(1886-1943)や 朝鮮総督府内務局長大塚常三郎(1880-1926)たちによって参政権付与論争があったんやけど 当時の英仏植民地の事情が参照されていたんやで フランスは本国議会の30分の1が植民地選出議員で イギリスのインド立法評議会の過半数がインド人だったから 「参政権を付与すると日本もこのように議会を乗っ取られるのでは」って批判が多かった まあ参政権付与論争は宇垣一成が総督になると退潮してまうんやけど この辺は小熊英二『日本人の<境界>』(1998)の「第11章 統治改革の挫折」に詳しいで 「第14章 朝鮮生まれの日本人」には上に出てる朴春琴の例も詳しく紹介されてる 原住民は本読まなすぎや 今日び公共図書館行けば専門書だって無料で貸し出してるし Ciniiで無料公開されてる論文も多いやろ 出典不明のネット記事ばっかり読んでると頭悪くなるで 学校については、朝鮮併合時の朝鮮の子供は3分の1しか学校に行けなかったそうだが、 フランス統治下のカンボジアでは5分の1、ベトナムでは10分の1とのこと 関与を始めてからの年月を考えるとなかなかの教育普及スピードだと思うが >>243 フランスでは1789年から、植民地から本国の国民議会に議員を選出することが認められた。[7]。 フェリックス・エブエはフランス領ギアナで黒人奴隷の子として生まれたが、いくつかの植民地の長官を経て1941年にフランス領赤道アフリカの総督に任命された。 後にコートディヴォワールの初代大統領となるフェリックス・ウフェ=ボワニはドゴール政権下でフランス公共保健・人口相(厚相に相当)に任命された。 ダーダーバーイー・ナオロージーを始めとする数名のイギリス領インド出身者がイギリス下院議員に選出されている。 後に日本軍占領下で建国されたビルマ国の国家元首となるバー・モウは、1937年にイギリス領ビルマ植民地政府の初代首相に選出された。 イギリス領インド植民地政府の高級幹部職員であるインド高等文官(ICS)の採用試験は、19世紀後半にインド人にも開放された。結果、インド独立時にはインド人ICSが全体の過半を占めるにいたった。 ムハンマド・アクバル・ハーンはイギリス領南アジア出身のムスリムとして、はじめてイギリス領インド軍の将官に進級した。 アブドゥル・ラヒームは1908年にマドラス高等裁判所の裁判官に任命され後に同裁判所長官となった。 フィリピンは1937年にアメリカ合衆国に直接統治される植民地から、独立を視野に入れた自治植民地(コモンウェルス)に移行し、独立準備政府の初代大統領としてマニュエル・ケソンが国民投票によって選出された。 日本統治下の朝鮮における道知事の概ね半数程度は朝鮮人であった。 衆議院議員として朝鮮人の朴春琴が選出されたほか13名の植民地出身者が貴族院議員に任命された。 洪思翊をはじめとする朝鮮人の陸軍士官らが将官に進級した。 >>248 詳細はこちらに。 http://www.wayto1945.sak ura.ne.jp/KOR10-literacy.html >>243 古沢常雄「フランス領インドシナにおける教育法制」(2009) http://cdgakkai.ws.hosei.ac.jp/wp/wp-content/uploads/2016/11/gb200904.pdf フランスはクォックグーによる教科書を作って初等教育で使ったで 漢字に代わる簡便なクォックグーはインドシナ共産党の政治にも引き継がれたんや こんなもんネットでちょっと調べたらわかるやろ原ちゃん・・・ 『日本の朝鮮統治」を検証する1910-1945』の教育に関する結論は、 日本の教育は植民地のものとしては「普通」で「平均」だが、 李氏朝鮮が近代的教育は全く行っていなかったことは塩梅すべきということらしい そもそも、朝鮮の民族主義史観は「日本の残虐な統治による文化破壊と搾取」ってのが、 何を破壊して何を搾取したのかの検証が甘いんじゃないかと >>244 なんだ、日本が学校立てて教育制度を作って20年も教育してやって識字率25%程度なら、 貧国時代はホンの1〜2%くらいと見るのが妥当じゃん やっぱ併合前の国民投票はムリだな ソ連対日参戦〜朝鮮北半部占領で朝鮮は分断されたけど それぞれの国家が成立するまでの間、南北の往来は可能だったの? >>247 >>249 そんなにいたんか 知らなんだ >>252 それには同意します つうても、「文化もなかった土人である朝鮮半島を初めて近代化して文明を与えてあげた」のも間違いだと思いますけど。 どうにも極端ですね 実のところ、ネトウヨ的なコピペの成立過程は朝鮮側の言説による攻撃に対するカウンターとしてだったんで、 個別の数字で勝ち負け的な話になっちゃう それよりはどういう社会だったかとかどういう文化があってどう変化したのか的な、 民俗学的、社会学的な話の方が好きだなあ >>252 サマリーありがとうです。 >李氏朝鮮が近代的教育は全く行っていなかったこと 「教育」っていう単純なくくりで あった/なかったってやっていたのでは、 議論が交わるわけがないのです。 >>254 その時期なら無理でしょうね というのもGHQの統治下なんですが、支配地域が異なるのと、統治下で自由に行き来できたとは考えにくいためです > 1945年8月15日、玉音放送によって日本の降伏が朝鮮を含む日本全土に伝えられた。 これに先立ち、朝鮮総督府は政務総監の遠藤柳作が治安維持のために朝鮮人への行政権の委譲を決め、朝鮮独立運動家の呂運亨に接触を図っていた。 そのため、玉音放送を聞いた呂運亨はその日のうちに安在鴻らとともに朝鮮建国準備委員会(建準)を結成し、組織的な独立準備を進めた。 その後、9月2日に日本政府が降伏文書に調印(正式に日本が降伏)したのを受け、呂運亨は李承晩を大統領、自身を副大統領とする朝鮮人民共和国の建国を9月6日に宣言した。 だが、建準は独立の方針を巡って右派(民族主義者)と左派(共産主義者)が対立して混乱した上、当時中国で活動をしていた大韓民国臨時政府関係者も「朝鮮の正統な政府」としての自負から朝鮮人民共和国への協力を拒否した[4]。 結局、アメリカ及びソ連は朝鮮人が自主的に樹立した政府に対して一切の政府承認を行わず、9月7日には米軍司令部が朝鮮における軍政実施を宣言し、朝鮮の即時独立は明確に否認された。 9月9日の朝鮮総督府の降伏後、北朝鮮でソ連軍(赤軍)が、南朝鮮でアメリカ軍が軍政を開始し、共産主義体制、資本主義体制を各々の支配地域で確立していった。 ソ連支配地域に鉄道の保守のため残された日本人の体験記をネットのどこかで見た気がする '当初は38度線の間は問題なく往来可能であったが、冷戦下、南北ともそれぞれアメリカ、ソ連の強い影響下で新しい国作りが始まり、南北は歩み寄るどころか対立を深めていった。 そのような中、1946年5月23日、38度線を越えて朝鮮人が往来することが禁止された。これが離散家族問題の発端である。' とあるな >>253 もともとの識字率が数パーセントというのは史料が存在しませんし、 国民投票を識字率理由に実施しなかったというのも存在しません どこでそのような知識を得たのかに興味がありますが、 チャンネル桜とか好きですか? http://www.wayto1945.sak ura.ne.jp/KOR10-literacy.html @ 学校を潰して義務教育を施行せず、20年かけて就学率1割台、識字率は2割強。日本帝国は近代教育を妨げた可能性も A 併合前から書堂などの民間教育があり、併合後も朝鮮人自身による識字運動があった。朝鮮総督府の付加価値が見えない B 韓国の識字率が劇的に上がったのは独立回復の後。 C 医学校や専門学校は併合前の韓国が自前で作っていた。日本帝国の恩恵ではない >>251 インドの土着の言語じゃないじゃんww 日本みたいに、連中の言語をちゃんと定着してやろうというアイデンティティ−維持に貢献するような 慈悲深い教育では無かったということだな >>263 フランス領インドシナ(仏印)っては現在のベトナム・カンボジア・ラオスのことで クォックグーってのはベトナム語をアルファベットで表記するやり方や 土着の言葉やで 仏印知らないとか義務教育受けてたんですかね・・・ >>264 外人宣教師が作ったって言ってるから、土着の言語じゃあないな >>264 ベトナムはハングルみたいな独自の文字作ってなかったんじゃないの そしてアイデンティティの確立という面でいうなら、漢字の廃止は中国の強い影響下にあったベトナム人の意識を少なからず変えたんじゃないかな >>268 しかも二重エラー訂正でインドとフランスだとしたら宗主国関係で間違いに気づくと思うんだけど なんだか頭がクラクラしてきた >>266 ベトナムにはチュノムっていう独自の漢字があったことは有名やな ただそれは阮朝の士大夫層みたいな極一部の淫定理しか使えなかったやね 指摘の通り漢字の廃止は初等教育の充実だけじゃなくって民族意識の高揚に繋がったとは思うわ あと、言語と文字についてはわけて考えるのが普通なんだけど、 たまーに漢字使ってるから日本語は中華言語とかって人も嫌儲とかで見るしなぁ そういう人ってヨーロッパ言語圏がフェニキアに支配されてると思ってるのかなぁ >>263 【悲報】原住民、インドシナとインドを間違えていた >>254 学術書ではないが、白善Y将軍の著書「若き将軍の朝鮮戦争」では 1945年の12月27日に本人が平壌から南下して汽車でソウル入りしたとの記述がある。 同日よりソ連当局の締め付けが厳しくなったとの事。 またこれは個人的な推測で「戦争中も含めて自由を求めて越南した人々は数百万人に達するだろう」と述べている。 簡単ではなかったろうが南北の行き来はあったと思われる。 明治になってからの日本でも前島密の漢字廃止論とかローマ字運動とかカナモジカイとか廃止論の流れがあったし 漢字の難解さは初等教育上厄介な代物ってのは日本でもずっと思われてたんやね 上田万年や保科孝一みたいな戦前の国語学(博言学)者も初等教育や植民地統治のために国語改革を訴えてた 現代でも田中克彦みたいに漢字はリテラシーの差別に繋がるって廃止を主張する社会言語学者はいるやね >>277 そうそう まとめてインド諸国連邦でも作ればえぇがな >>276 どっちにしろバカやんけ その略しかたではインドと区別つかなくなるって思わなかったのなら >>281 両方に使える便利な言葉やん 後は、後ろで判断せえや 日本語は最後まで意味が確定せんことが多いのだから、 それも有りだわなw >>281 >>284 お前がガイジなのは勝手やけどガイジのお前基準に世の中を変えることはでけへんで >>276 インドとシナに挟まれてるからインドシナ 国立のことを国見と立川に挟まれてるから国立という なら、国立を国見と略したらそりゃ国見ですがな 日本統治以前に朝鮮に近代教育がほとんどなかったとする根拠は以下の本らしい マイケル.J.セス Michael J. Seth https://www.amazon.co.jp/Education-Fever-Society-Politics-Schooling/dp/0824825349/ 1904年当時、朝鮮全体で近代的な公立学校に通っている人数は500人程度だった。私立学校が数百あったが大半はミッションスクールだった。(引用『「日本の朝鮮統治」を検証する1910-1945』) むしろインドネシアがIndoという名称を使ってたはず インド産かと思って買ったインスタントコーヒーがインドネシア産だったw >>282 それはどうかな? >>287 それは『国』と略さないと、同一部分を囲ったこの場合と合致しないな ヘーゲルの歴史哲学の言う「東洋的専制」やマルクスの言う「アジア的生産様式」あたりの「アジア」は オリエントも含んだアジアやな サイードが「ただのヨーロッパ人の傲慢だろ」って怒ってたが >>289 「それはどうかな?」ってなんだす? > Asia: c.1300, from Latin Asia, from Greek Asia, speculated to be from Akkadian asu "to go out, to rise," in reference to the sun, thus "the land of the sunrise." 【出典: The Online Etymology Dictionary】 まあ、AFCアジアカップも地中海東岸からこっちみんなだし >>256 併合まで複雑な背景や併合後も武断政治から文治政治へのシフト、国内・世界情勢の変化などなど この辺のプロセスが簡略化されて東北より優先的に資本投下したし将官もいたいい統治だったという 『結果』だけが独り歩きしてるよなあ >>293 過程が完全に切り離されてますよねぇ 朝鮮が「植民地」であるかどうかについてもグチャグチャです 西洋史はパンキョーの講義しか受けたことがないから深入りはできんけど もともとアッシリア碑文で「アジア」って言葉が生まれてヘロドトスが今の「オリエント」みたいな使い方をし出したんやろ それなら>>282 と>>291 の「アジア」定義が原義と考えて適当やろ まあインドシナとインドを勘違いしちゃうようなアホには言うだけ無駄やろうけど 話を戻しますと、朝鮮が「植民地」であったかどうかについて、言葉の概念として 植民地=領土に対して一段劣る直轄地 という意思が込められていることを念頭に置かなきゃなりません 従って>>163-164 において、台湾を植民地というにあたり、大日本帝国議会が紛糾したわけです 日本としては「大日本帝国『領土』」なわけで。 実態としては学術上「植民地」というのが海外の例と比較しても通説でしょう ただ、行政上の「植民地」は>>164 のとおり「開拓地」と同じ使用されていたと言えます https://i.imgur.com/IAR1wcY.jpg https://i.imgur.com/JKBQj23.jpg https://i.imgur.com/JiykCuN.jpg https://i.imgur.com/X8tVG7o.jpg フランス領インドシナと英領インド帝国を勘違いする逸材はなっかなかいないと思うよ >>262 >@ 学校を潰して義務教育を施行せず、20年かけて 総督府の義務教育制度強化は1918年ですね。 いつの時点から「20年」かはわかりませんが 義務教育強化までは、日本の初等教育と並立していたのでは? >A 併合前から書堂などの民間教育があり、併合後も朝鮮人自身による ソダン(書堂)=貴族の書斎の意。 まぁ、寺子屋のようなモノだったそうですが 族子弟のためのところが多かったとか…で、素読とか朱子学を中心に教えていた模様。 (まぁ、識字に特化した寺子屋といえますが) >B (コメントできませんw) >C 医学校や専門学校は併合前の韓国が自前で作っていた。 医学に関しては「恵民署」とか「内医院」とかいう役所付きのお役人としての役目があった それが「学校」っていうくくりがどうかはちょっとモニョるところがありますね。 あと、「専門学校」っぽいのって…教坊? >>299 ログ読み返しても笑えると思うの(´・ω・`) >>297 韓流ブームスレでも真面目に的外れな独自論語ってたから天然モノやで レギュラー入りまったなしや >>300 まぁ、当人さんは これをきっかけに覚えたらよいと思いますよ。 (間違えて覚えていたとしたならば) で、蘭印の立場は? >>298 >総督府の義務教育制度強化は1918年ですね。 いつの時点から「20年」かはわかりませんが 1930年の識字率調査なので併合時1910年からの20年です >義務教育強化までは、日本の初等教育と並立していたのでは? 朝鮮半島では「義務教育」はありません 終ぞ、実施されませんでした > 話は併合前の1906年、日本帝国が韓国を保護国化した翌年までさかのぼります。 朝鮮総督府学務局が1921年に作った「朝鮮教育ノ沿革」はこう言います(P6-7)。 『先ず教育制度を整備せむことを期し、日本人参画の下に教育に関する諸法令 (普通学校令、高等学校令、師範学校令、外国語学校令等を制定し同年(引用者註:1906年)之を発布するに至れり』 『(1) 普通学校 従来の小学校を改めて普通学校と称し、尋常高等の区別を置かず成るべく朝鮮の事情に適応せしむが為 その組織を単一にし修業年限4年とし…旧小学校令に学齢を定むる等義務教育の精神を加味せし如きは全然之を廃せり』(下線は引用者) 下線の部分、韓国政府が小学校制度に織り込んでいた「義務教育の精神」を全く廃してしまったと自ら言っています。 これが義務教育サボタージュの起点です。 しかもこの時、5〜6年だった小学校の修業年限を4年に縮め、更に旧制高校など上級学校との学歴連絡も意図的に絶ち進学不能にしてしまっています。 この時の学制変更は、後に韓国で愚民化政策とすら評されています (長沢雅春『韓国学部の普通学校制度と「義務教育精神の廃止」について』参照)。 上級学校との連絡は1922年の第二次朝鮮教育令で復活しますが、義務教育放棄はその後も続き、 民族による学制区分をなくした1938年の第三次教育令施行にあたってもなお、 「小学校の設置、…授業料、…児童の就学に関しては小学校令を適用せず」(1938年3月小学校規程第5条)として、 「初等学校を義務教育となさざるが如きもまた従前と同様なりとす」(朝鮮総督府施政年報1937年版、P178)のまま終戦、解放を迎えることになります >>298 >>A 併合前から書堂などの民間教育があり、併合後も朝鮮人自身による >ソダン(書堂)=貴族の書斎の意。 まぁ、寺子屋のようなモノだったそうですが >族子弟のためのところが多かったとか…で、素読とか朱子学を中心に教えていた模様。 >(まぁ、識字に特化した寺子屋といえますが) 語学専門学校と言えばよいのかと。 慶應義塾、東京専門学校(後の早稲田)に繋がる、 適塾と似たようなものです ECCとかジオスでもいいけど。 >>298 >>C 医学校や専門学校は併合前の韓国が自前で作っていた。 >医学に関しては「恵民署」とか「内医院」とかいう役所付きのお役人としての役目があった >それが「学校」っていうくくりがどうかはちょっとモニョるところがありますね。 >あと、「専門学校」っぽいのって…教坊? いかによります 引用元はすべて http://www.wayto1945.sak ura.ne.jp/KOR10-literacy.html >まずは、朝鮮総督府施政年報1939年版から、官立専門学校紹介を見てみましょう。 京城法学専門学校 は初め旧韓国政府法部に属し、司法官養成の目的をもって設置したるを、後、学部所管の法学校に改め、併合後明治44年11月京城専修学校と改称し… 京城医学専門学校 はもと京城医学校と称し、旧韓国政府時代に創立せられしを、併合の後総督府の所管に属し… 京城高等工業学校 新令実施前においては京城工業専門学校と称し、明治39年、旧韓国政府の創設に係る工業伝習所の規模を拡張し… 水原高等農林学校 …本校の前身は勧業模範場付設農林学校にして明治39年9月授業を開始し、併合後は特に農林を主として… 京城高等商業学校 本校は明治40年10月、東洋協会専門学校京城分校の設置を創始とし、…東京本校より分離して… 京城鉱山専門学校 …昭和14年度において京城に鉱山専門学校を設置し… >>303 ありがとう。 さっと読みですが 参考資料 朝鮮教育の沿革 一冊 https://www.digital.archi ves.go.jp/das/image/M0000000000000799179 >「朝鮮教育ノ沿革」はこう言います(P6-7)。 >…旧小学校令に学齢を定むる等義務教育の精神を加味せし如きは全然之を廃せり (http://wayto1945.sak ura.ne.jp/KOR10-literacy.htmlによる、「下線部分」) って下りがP6〜9の「第3期 保護時代教育」にはみえないのです。 後段ないし朝鮮総督府施政年報にはかかれているのかな?と推測はできますが… >>304 ,305 わかった! 「併合前」という言葉を 生粋どのないし引用元さんは主に「大韓帝国時代」と アタシは「朝鮮王朝時代」ってとらえているから感覚の齟齬を感じているんだ。 義務教育については、アタシが もう少し読みこんでみないとダメみたいです。 >>306 該当ページのスクショ貼ってくれんか? スマホ古いせいかPDF見れない ああ自分も雑に混じってた でも、そうすると日本の影響でできた学校を、併合後に再編しただけじゃね? 京城医学専門学校だって併合前にはすでに日本の陸軍医が責任者になってるし、 東洋協会もそもそも日本人の団体だし あと、日本は教育を行き渡らせる方を優先したため、中学高校より小学校を増やすほうを優先したとのこと たしかこの過程で下層民に教育を受けさせたくない両班と対立した 植民地とは何かを巡る情報としては、これが面白かった 新渡戸稲造の朝鮮(韓国)観 http://hdl.handle.net/2115/6030 >>310 端的に言えば、「光武改革ってなんやねん」ということになります http://eigyou.korea-np.co.jp/j-2008/06/0806j0208-00002.htm > 1897年から1904年初めにかけて実施された韓国政府の諸政策には、1960年代 末以来、朝鮮半島の南の歴史学者により「光武改革」という名称が与えられている。 「光武改革」は皇帝権を強化して富国強兵を自主的に行おうとしたと評価されており、現在、学界からはこれといった異論がない。 北でも、最近、この時期の諸政策について、その自主的・近代的な側面を高く評価するようになった。 ただ立憲君主制をめざした甲午改革よりも王権が強化された点、 日本の帝国憲法にある三権分立や国民の権利規定が大韓国国制(1899年制定の憲法)にない点など、 王権の性格をめぐり立憲君主制構想であるのか専制君主制構想なのかをめぐっては、かなりの異論が残っている。 しかし、ここで考慮すべきは、朝鮮における近代国民国家形成過程に外勢が介入し、一部官僚と結託し王権に対する威嚇と制約を加えたために、 開化派官僚によって行われた立憲君主制国家をめざした甲申政変、甲午改革が広範な民衆の支持を得ることができなかったということである。 また、王権集中をめぐって政府内で衝突が繰り返され、国家機構が弱体化するなかで、高宗は李容翊を中心とする皇帝側近の勤皇勢力に依拠し宮内府が主導する改革を進めていったということである。 このような特殊な事情を考慮した場合、大韓帝国はその性格上、皇帝権を中心に近代国民国家を構想したという点で、専制君主制が近代的に変容した政権だったということができよう。 >>308 ありました。 ありがとう。 後に見返すための宜上 コテ出しますw >(1) 普通学校 従来の小学校を改めて普通学校と称し、尋常高等の区別を置かず成るべく朝鮮の事情に適応せしむが為 >その組織を単一にし修業年限4年とし 地方の状況に依り三年以内の補習科を置くことを得しむ。初年級に収容する児童の年齢は満八歳以上十二歳以下とし 当分のうち十四歳まで入学を許せしも >旧小学校令に学齢を定むる等義務教育の精神を加味せし如きは全然之を廃せり 又其の教科課程は大体内地における尋常小学校と高等小学校との中間とせり (>以下が引用部分、ナシが略されている部分) > 韓国政府が小学校制度に織り込んでいた「義務教育の精神」を全く廃してしまったと自ら言っています。 むしろ、保護時代(下関条約後、1897年から1910年の大韓帝国時代)に日本が日本式の教育法規を その法の持つ年齢に関する「精神」を廃棄し現地に合わせた運用をするって言っていませんか? > 「朝鮮教育ノ沿革」 >>309 ごめんなさい。 変に掘られちゃっていろいろやられちゃっているので勘弁してください。 PerfectViewer経由なら、別途プラグインが必要かと FileCommanderとかならそのままだった気がします。 >>312 >> 韓国政府が小学校制度に織り込んでいた「義務教育の精神」を全く廃してしまったと自ら言っています。 >むしろ、保護時代(下関条約後、1897年から1910年の大韓帝国時代)に日本が日本式の教育法規を >その法の持つ年齢に関する「精神」を廃棄し現地に合わせた運用をするって言っていませんか? > 「朝鮮教育ノ沿革」 それと「義務教育を大日本帝国政府が廃止した」との差異がわかりません 外側的な補足史料を提示します https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/29085/1/22_P19-92.pdf ここにも書かれているとおり、「書堂」への進学は減少すれども根強かったのでやはり義務教育はなかったものと言えると思います 同補足史料です http://web.flet.keio.ac.jp/ ~syosin/2008collabo.pdf >>314 >「義務教育を大日本帝国政府が廃止した」 そもそも論になっちゃいますが、王朝時代にないし大韓帝国時代に「義務教育制度」があったのか?という疑問。 なかったものは廃止できませんから… ソダン(読み書き朱子学の私塾)とか、私立学校はあったと思います。それが義務教育だったかは疑問です。 本土においても1921年の満州事変から1941年に国民学校令が発布とか 教育以上に大ごとが流れていった時代ですからねぇ… 義務教育はなかったというより、準備はしたけどやれなかったっていうほうが近いと考えます。 >>315 ありがとうです。 論文中(台湾の下りですが)P.6 >書房義塾での教育は、漢民 >族の精神を教化するものであったと言える。実際には、台湾人は台湾が日本の植民地にな >ったために、立身出世の夢もなくなったが、漢民族の血が流れているため、二千余年も続 >いてきた科挙への夢が四書五経の中国古典教養を身につける気持ちを強くさせたともとら >えられると鐘清漢(2)は述べている。それゆえに、後述する公学校が成立しても、台湾人 >の書房義塾への愛着心は揺らがず、公学校の入学率は低かったと考えられる。 っていう感覚がソダンにもあったのではないかなぁ…と夢想します。 >>297 あのクラスの間違いでも開き直れるのもすごい つか、大日本帝国の公文書に「台湾、朝鮮などの植民地」って表記は死ぬほどたくさんあるのになんで「朝鮮半島は植民地じゃない」説が今更生まれたのだろうか >>320 そこは>>166 ・行政内部文書における「植民地」使用をもって、大日本帝国政府が「朝鮮半島を植民地として認めていた」とするとちょっと異なる ・「併合」したのは植民地としてじゃないけど、実態は(学術的には)海外の植民地と同じ段階にあった が中立的な意見かと どこぞのまとめブログ等から入った層は「植民地ではなく併合」と唱えるけど何故そうなのかは説明できないと 科挙といえば、清朝末期をえがいた浅田次郎の『蒼穹の昴』で、 梁文秀が科挙に一位で合格した時に漢詩を吟じるのを許されるシーンが美しかったわ モデルの梁啓超はまさにここで扱ってる朝鮮の併合前夜の時期には亡命して横浜中華街にいたんだね そんなに搾取していない、かなり優先的に金をかけた、同じ国民として扱おうとした、という側面推しだと思う 「世界一残虐な植民地支配」という言葉に対するカウンター この言葉はベルギーにこそ貼り付けてやりたいが、あれは国王の私物だったし、 これまた普通の植民地政策とは違うと思う まあ、支配された方は自国の体験しか見聞きできずほかの植民地支配を受けた地域と 比べるのは困難だからそう言いたくなるのはわかる 一方で「大日本帝国は植民地のインフラ整備をした」 と胸を張って威張る連中も「宗主国ならどこでもしとることやんけ」と突っ込まざるを得ない まあ、イギリスのインドへの投資額と比べたら 日本は貧乏なのでいかにもショボい投資しかできなかったという面はあるけどさ >>320 >>296 のとおり、大日本帝国当時の「植民地ではない併合だ」という見解には以下の意味が含まれます ・日韓は対等合併であり、朝鮮半島は大日本帝国「本土」であった ・日本国朝鮮地域の住民は同じ大日本帝国臣民扱いを望んでいた という「内鮮一体」「対等合邦」という立場から出たもので、いわば「朝鮮人を平等に扱う」という五族協和の精神の顕れであったわけです そのことを生半可に歴史囓って「日本は植民地支配などしていない!」という文脈、 尚更、「朝鮮人(及び反日左翼)は歴史を知らない」という文脈で今を主張するアホがいるってことですかね このアホが戦前とか併合を「肯定」するならきちんとその精神も肯定しろよ、と。 ちなみに国会議員で「日本は朝鮮半島を植民地にしてない」と述べればかつてはクビが飛びました いま話題になってるのは、Twitterでこの辺をネトウヨ言論本とか、ネトウヨ史観をつまみ食いした単なるアホだと思ってます 朝鮮半島関係は「知られていない」ことから発生し、 「ちょっと知ったつもりのアホ」が啓蒙し、 「かなり知ることによって」解決します >>317 おおよそ肯定します 先のソース元も「義務教育を実施できず、実態として近代化してやったとは言えない」ことの主張ですし、 私は日本は近代化しようとしたことは否定できないと思ってます 単に「朝鮮にはハングルがなかったので日本が初めて文明を授けた」とするには義務教育の実態が浅いって話じゃないですか? コレマタこの発言への反論として「そもそも義務教育って概念自体なかったじゃねえか」って話になるとして、 日本が義務教育導入をできなかった事実は変わりません ソダンについてはそうでしょうね もともと朝鮮半島については言語教育熱心なんですよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる