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英国人女性探検家イザベラ・バードは1878年 (明治11年) に日本を
旅行し、「日本奥地紀行」 を著した。

イザベラ・バードは報告する。
「ここはたいそう貧しいところで、みじめな家屋があり、子どもたちは
とても汚く、ひどい皮膚病にかかっていた」。

さらに山間部へ進むうちに状況はもっとひどくなる。「彼らの身体や
着物、家屋には害虫がたかっている。独立運動の人たちに対して
汚くむさくるしいという言葉を用いてよいならば、彼らはまさに
それである」。この様子にはバードに同行する通訳も驚いたらしく
「こんな場所を外国人に見せるのは恥ずかしい」 ともらす。

それから別の村では多くの病人がバードの薬を求めてやってくる。
「父親や母親たちは、いっぱい皮膚病にかかっている子、やけど
頭の子、たむしのできている子を裸のまま抱きかかえており、
娘たちはほとんど眼の見えなくなった母親の手をひき、男たちは
ひどい腫れ物を露出させていた。子どもたちは、虫に刺され、眼炎で
半ば閉じている眼をしばたいていた。病気の者も、健康な者も、すべてが
むさくるしい着物を着ていた」。

バードが彼らに与えたドバイスはこうである。
「私の国では絶えず着物を洗濯すること、絶えず皮膚を水で洗って、
清潔な布で摩擦すること、これらは同じような皮膚病を治療したり
予防したりするときに医者のすすめる方法である」 と。
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/korea/1553220858/54