●首都・漢城(現在の京城・ソウル)には道路すらろくになかった。というのも、漢城の土地は
すべて国有地であり、平民が許可を得て土地を借り、建物を建設するには長い年月を必要
とした。そのため、路上の不法占拠が当たり前となり、無許可の建物が林立して道幅はどん
どん狭くなったのだ。日本が近代国家に生まれ変わる以前の江戸と比較しても、いかに都市
計画が存在しなかったかがわかる。

●鼻が曲がりそうな糞尿の悪臭は、朝鮮半島諸都市の悪しき名物になっていた。家々から出た
汚物は路地の穴や溝に流れ込んだ。朝鮮版朝日新聞に「平壌の臭気一掃 いよいよ糞尿地下
タンク新設」の記事か掲載されたのは1938年12月11日だった。それ以前の様子をイザベラ
はこう記している。
〈城内ソウルを描写するのは勘弁していただきたいところである。
北京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、紹興へ行くまで
はソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどい臭いだと考えていたのであるから!〉