韓国料理は日本料理の様に世界的人気になるか?142
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今や、アメリカでは中華をも上回る人気の日本料理。
世界各地に普及し親しまれています。
韓国でも日本発の、のり巻き、うどん、ラーメン、おでん、トンカツ、タイ焼き・・・
等々が国民食として親しまれています。
では、どうしたら、韓国料理も日本料理のような存在になれるのでしょうか ?
『ムリ!』、なんて言わないで、みんなでチョイと考えて見ませんか ?
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韓国料理は日本料理の様に世界的人気になるか?141
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/korea/1538519896/ ○ 江戸時代の飢饉
《元禄の飢饉》
《宝暦の飢饉》
《天明の飢饉》
《天保の飢饉》
○ 明治〜昭和の飢饉
旧藩時代から明治 〜 昭和の戦前まで、農村部では白米だけの食事は晴食(はれしょく)のときなどに限られ、
日常的には、量の不足を補うために米にムギ・大豆・根・海草などを混ぜて炊いた 「かて(糧)飯」 が主体でした。
大正7年に内務省が行った全国主食物調査では、岩手県の村落部では
「米・麦・粟(あわ)・稗(ひえ)ヲ主食トシ大根カテヲ四季用イル地方ト、特ニ冬季間麦ノ代用ニ用ウル所トアル。
米・栗・稗・麦ニ蕪(かぶ)・大角豆(ささげ)ヲ入レタ粥(がゆ)」 と記されています。
町の商家でも昭和期まででも麦かてが普通の食生活でした。
かてには麦、粟、稗などの穀物の他、大根や海草のめのこが用いられていました。
稗・粟は土質を選ばず、肥料も少なくて済み、冷害にも強く、また30〜40年は保存が可能と言われるなど多くの利点があり、米や麦がよく獲れない地帯では主要な作物として利用されていました。 凶作の年はどのような物を食べたのでしょうか。
作物の生育期間の低温や日照不足によって不作となる凶作年は、米だけが不作となるのではなく、麦や稗などの他の穀物も不作となることが多くありました。
こうした場合に備えて、家毎に蕎麦(そば)や稗、干し大根などを井楼(いろう)(大箱)や梁上(りょうじょう)(まげ、焚き火の上)に貯蔵し、凶作時の備えをしていました。
食料が不足した初期の段階では、まず備蓄を取り崩したり、増量(かて飯)による穀物の節約、家畜飼料の食用化、ダイコンなどの緊急増反などで、食い延ばしを図りました。
さらに食料が欠乏し、かて飯も食べられなくなる中期段階になると、ふすまやぬか、カボチャなどの葉、木の実や山菜などで飢えをしのぎました。
厳しい冬を何とか乗り越えても、次の年の蕎麦そばや大根などの作物が収穫できるまでの春先から夏にかけてが最もつらい期間となり、
山菜や野草のほか、末期段階では食べられるものは何でも採取し、松の皮やウルシの実までも食べて命をつなぎました。
http://www2.pref.iwate.jp/~hp2088/park/kikaku/49th_inochi_tabemono.html ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています