2020年10月から2021年2月に渡って、朝鮮半島最大の前方後円墳が発掘調査されました。
しかし、その古墳はあっと言う間に土で再び埋め戻されてしまったのです。
いったい、何故?何があったのか?

長鼓峰古墳と呼ばれるその古墳は5〜6世紀の日本の前方後円墳にそっくりな構造の墓でした。
調査の結果、同年代の九州の石室墓特有の構造である事が明確となり、天井や壁面には日本の弥生時代以来の古墳の典型的な特徴である赤い朱漆が塗られた跡が残っていました。
それに加えて、墓の内部への入口にはふた付きの皿が10点ほど発見され、その中には魚の骨や肉類などの祭礼での食事と推定される有機物の塊も検出されたのです。
これについて、チョ・グヌ研究院長は「日本の古墳で確認された祭礼の遺物と類似の内容物と配置が注目される」と発言しています。
また、墓の内部を直接調べた慶北大学考古人類学科のパク・チョンス教授は「九州の倭人の墓に入った時と印象がまったく同じだった」と述べているのです。

朝鮮半島南部には14基の前方後円墳が存在しています。
1983年、韓国の朝鮮半島西南部の栄山江(ヨンサンガン)という川の流域で前方後円墳が発見され、それ以降も日本特有の前方後円形(かぎ穴形)の墳形を持つ古墳が確認されたのです。
当時、韓国の学者は、日本の学者と共同調査をし「前方後円墳は朝鮮半島から日本に伝来した」と主張をしました。
しかし、その主張はあっけなく覆される事となったのです。
なぜなら、日本の前方後円墳が3世紀から6世紀に造成されたものなのに対し、朝鮮半島にある前方後円墳は、どれも5世紀後半から6世紀中頃の時期に成立したものという事が判明したのです。

また、日本特有の古墳であると判明した根拠の一つに「ヒスイ」があります。
朝鮮半島の前方後円墳から、ヒスイでできた勾玉(まがたま)が出土したのです。
勾玉(まがたま)に使われたヒスイの産地は、アジアでは日本とミャンマーにほぼ限定されています。
朝鮮半島での出土例は、日本より時期的に古いものが見られない事に加えて、最新の化学検査により朝鮮半島出土の勾玉は新潟県糸魚川周辺遺跡のものと同じ化学成分である事が判明したのです。
つまり日本から朝鮮半島へ伝わった事が科学的に証明されたという事です。