@@@ザ・モップスPART3@@@©2ch.net
星勝が出ても大概の人にとっては「何?このオッサン」てな認知度だからしゃーない 中日ファンのヒロミツさん、高木守道さんがそっちへ逝きます… BSフジの脳ベルSHOW、一昨年は「たどりついたらいつも雨ふり」の
空欄に当てはまる歌詞は何?という問題で取り上げられて
(Q.ああこの○○○○はなんだ→A.ああこのけだるさはなんだ)
昨年は、「サイケを売りにデビューしたこのバンドの名前は何?」
という問題で取り上げられた
今年も問題として取り上げられるか?それとも三幸太朗が解答者として出演するか?
いずれかに期待したい! >>285
>それとも三幸太朗が解答者として出演するか?
ありえない 可能性0% >>286
東京MXの番組でたまたま街頭インタビューに答えてたので
もしかしたらそのうち…って思ったもんでw
https://www.youtube.com/watch?v=NLE4jYCiCEs ついさっきBS12のカセットテープミュージックで星勝に触れてた http://tanuki.5ch.net/test/read.cgi/livebs2/1581077322/921
921名無しさん@お腹いっぱい。2020/02/09(日) 21:06:58.91ID:jjG0C1xb
ほしかつ
http://tanuki.5ch.net/test/read.cgi/livebs2/1581077322/929
929名無しさん@お腹いっぱい。2020/02/09(日) 21:07:31.34ID:jjG0C1xb
星勝は安全地帯もやってる
http://tanuki.5ch.net/test/read.cgi/livebs2/1581077322/938
938名無しさん@お腹いっぱい。2020/02/09(日) 21:08:03.36ID:f/IDCs4V
>>929
陽水さんとか小椋佳さんもだなw
http://tanuki.5ch.net/test/read.cgi/livebs2/1581077322/962
962名無しさん@お腹いっぱい。2020/02/09(日) 21:10:31.21ID:f/IDCs4V
今日知ったぜよ<「悲しい色やね」の編曲が星勝
http://tanuki.5ch.net/test/read.cgi/livebs2/1581077322/965
965名無しさん@お腹いっぱい。2020/02/09(日) 21:10:38.85ID:jjG0C1xb
星勝はうる星ビューティフルドリーマーの劇伴も名作 星勝がソロで売れてたらモップスの評価も変わってたと思うが
反面、松山千春のように頭皮のことでイジられてたかもしれん…w モップス解散後の星勝作曲・アレンジのコンピレーションとか出ないかな 大澤誉志幸が明かす、あの名曲の数奇な運命
https://tokyo.whatsin.jp/72459
この曲は、最初は鈴木ヒロミツさん(注:伝説のグループサウンズ
“ザ・モップス”のボーカリスト。故人)に提供して、録音しなかったから戻ってきた。
そのあと山下久美子さんのところに預けたんだけど、そこでも録音してくれなかった(苦笑)。
「おや?」と思ってたら、俺の元に戻ってきたのね。 星勝も、松本隆と筒美京平のように「石橋貴明のたいむとんねる」で取り上げてほしい
と思ってたら来月で終了するって(苦笑) 70年12月、ジョンメイオールのオープニングアクトin日劇
71年4月、フリーのオープニングアクトin神田共立講堂
同年7月、GFR(グランドファンクレイルロード)のオープニングアクトin後楽園球場
同年8月、ピンクフロイドのオープニングアクトin箱根アフロディーテ
の音源・映像を発掘してほしい! 早13年、20世紀に比べて21世紀は時の流れが“速”く感じる… って言うか年寄りになった証拠よ
13年前だったら90年代とかつい最近だと思ってたクチでしょ?
80年代辺りまで遡ってやっと懐かしいって感覚になるみたいな >>299
>90年代とかつい最近だと思ってたクチでしょ?
テレビ探偵団とかの回顧番組で60年代・70年代・80年代の特撮、
アニメ、ドラマ、CM、歌番組の名場面・珍場面を観て育った
クチなんで90年代はそこまで懐かしいって感じがしない
けど、ダウンタウンのガキの使い(89年10月〜現在も放送中)の90年代序盤とか
クレヨンしんちゃん(92年4月〜現在も放送中)の初期の頃のやつをYouTubeや
CSの無料デーで観たときは懐かしく感じる
ちなみにヒロミツを初めて観たのは、モービル石油の車を押すCMだった
20世紀はサイクルが速かったのに対し、21世紀は時の流れが速い割には
20世紀に比べるとサイクルが遅く感じる
>>300
阿久悠の特番で「朝まで待てない」がジャケットを映しつつ流れるように
なっただけでも再発前に比べて評価は上がったと思う
これで拓郎の特番で「たどりついたらいつも雨ふり」がジャケットを映しつつ
流れるようになったら尚良いんだけどね 拓郎の「たどり着いたらいつも雨降り」の誕生秘話面白いな
https://youtu.be/QuS8_UY51nQ >>300
ヒロミツが「そして僕は途方に暮れる」を歌ってヒットさせてたら
モップスの評価も変わってたかもしれませんね(>>293参照) 昔、渋谷陽一がラジオで鈴木ヒロミツを「日本ロック史上最強のボーカリスト」って言ってたな 雷舞の「年老いた娼婦の唄う詩」を聴いて、ミキハルは
日本ロック史上最強のドラマーだと確信した pen井上陽水が聴きたくて。
名盤・名曲の誕生を、陰で支えた男たちがいた。
川瀬泰雄 音楽プロデューサー
星勝 アレンジャー
https://www.pen-online.jp/magazine/pen/495-yosuiinoue
星勝インタビューは80〜81ページに掲載 全タイトル再発から早6年、4年後の解散50周年に再々発するんなら
ボートラは以下の通りに収録し直してほしい(サイケデリックとロックンロールはそのままで)
↓
御意見無用+3(アジャ・森の石松・まるで女のように)
雷舞+5(SOSコンサートの御意見無用を省いて)
雨・モップス'72+2(フーズ・フーイン・マイライフタイム〜人生の香り日本語版と英語版)
モップスと16人の仲間+2(御用牙・御用牙〜牙のテーマ)
1969〜1973+4(前回未収録のオー・ダーリン込みで)
EXIT+3(SOSコンサートのタウン・ザット・アイウォズ・ボーン、御意見無用、ヤマハ非売品LPの「何処へ」) 「トゥッティ・フルッティ」「ロング・トール・サリー」「グッド・ゴリー・ミス・モリー」などの
ヒット曲で知られるロックンロールの創始者の一人、リトル・リチャードが87歳で亡くなった。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200509-00033825-rolling-musi
モップスもロックンロール70’の2曲目でカバーしていた… 7thアルバム「1969〜1973」リリースから昨日で47年
タイトルがタイトルだけにベスト盤と勘違いされたまま
CD化されなかったが、全11曲のうち8曲は2001年にリリースされた
「2001ミレニアムベスト」で聴くことが出来た
そしてリリースから41年、バンド解散から40年が経過した
2014年にボートラ3曲をプラスした「1969〜1973+3」と題して
待望の初CD化が成された 【全スレ連絡 注意喚起 】 【拡.散.希.望 】 コピーリンク転載自由
◆ ◆ 東京の無名DJ ume-rock(ウメロック) は危険 ◆ ◆
練馬区、吉祥寺周辺をうろつくume-rock(ウメロック)は集団ストーカー 工作員
大量デマ中傷投稿でアーティスト、スタッフ、一般客を自殺に追い込むネット工作
次々に人を自殺泣き寝入りに追い込む殺人鬼
ゴミ漁りして個人情報収集やストーキングもやってる
女性に卑猥なスカトロ投稿嫌がらせをやる変質者
ご尊顔
https://m.imgur.com/a/zI7k2Vx https://imgur.com/a/F99kLvs
https://imgur.com/a/PqVobul https://imgur.com/a/VxbHog0
https://m.imgur.com/a/mtOdqaw https://m.imgur.com/a/0kcA5wo
https://m.imgur.com/a/svw522P
@ume_rock http://mobile.twitter.com/ume_rock
詳細は専用スレで↓ ウメロックの悪事を一挙大暴露!
http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/4649/1591070603/l50
「 ume-rock 集団ストーカー 」で検索
◆ ◆ 札幌のライブハウス Sound Lab mole は危険 ◆ ◆
店長 の大嶋(おおしま)は集団ストーカー ネット工作員
客叩き、アーティスト、バンド潰し、自殺に追い込むネット工作
次々に人を自殺に追い込む殺人鬼
店長 の大嶋 ( おおしま)は詐欺師
配信ライブで卑怯にお金を巻き上げる ※ソースあり
大嶋の顔→ https://m.imgur.com/a/CjiKmr2
@ohshima0040 http://mobile.twitter.com/ohshima0040
@soundlabmole http://mobile.twitter.com/soundlabmole
詳細は↓ 専用スレで 大嶋智洋の悪事を一挙大暴露!
http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/4649/1590645255/l50 godkd
「 Sound Lab mole 集団ストーカー 」で検索
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 月刊ヤングギター1972年10月号モップス特別インタビュー
モップス大いに語る:ふたたびエレキ全盛時代がくるだろうか?
鈴木ヒロミツ ロックはやっぱり淋しいですよね。みんなフォーク
ばっかりでしょう。コンサート行ってもエレキ・バンドないですもん。
だから、RCサクセションとか、泉谷しげるを誘ってね なんとか
エレキもたせようと思って。今度、泉谷とジョイントやって
あいつはノリがいいから、エレキをもたせようと思って
勧めてんですけどね。一時はRCももつなんて話があったけど
やめちゃった。RCなんて早くからエレキもってたら、下手すると
世界のT・Rexになってましたよ。エレキをもつべきですね やっぱり
はなばなしくなりますもん。 >>316のつづき
加藤和彦だって、プラスチック・オノ・バンド
みたいなことやってるし………、いまの日本の
状態を考えると、とくにフォークなんかでは客が
集っちゃうけど、ロックの場合というのはアーティストや
ミュージシャンは、やりたくてしょうがないんだけれど
客が集ってこないという、いちばん最悪というか
いちばん悲劇的な状態におち入ってますよね。
あんまり目立たないからないような気がするけど
発表したいというグループはたくさんあるしね。 >>317のつづき
まだまだあるんですよ。ただ、それが活躍したり演奏したりする
場所がなかったり 又、演奏する場所があっても たまたま
客が来てみたいな。やりたいんだけど、見てくれないみたいな。
ひじょうに悲劇的な雰囲気ってありますねまあ、ぼくたちが
もっとがんばりぬいて、もう一辺そういう時代が来ないとますます
フォークがロック的になる傾向はあるけれど、やっぱり本来の日本の
ロックグループの演奏のレベルなんて凄いですからね。外国にも負けない
グループもあるしね。ただ、フォークというのは詩的なよさってありますよね。
だから、それらをミックスすると必ずいいもんが出来るって気がするんですけどね。 >>318のつづき
日本のロック・グループのどこに問題があるか
ーいまだったらフォークの連中がアコースティックからエレキに
かわるんじゃなくて、アコースティックがそのまま歌謡曲になっちゃう
ところがあるし……、
鈴木ヒロミツ そういうところがありますよね。小室君なんか
森進一の曲つくり出してんですよ。でも、グループ・サウンズの頃の
あれだけアンプがあったのに、どこに行ったんだろうね。エレキとかね。
最近あんまり見ねえもんな。
ーしかし、サウンド的にはどうなの?
鈴木ヒロミツ 結局つまんないでしょう。外国のグループだったら
音がチャンとしているから楽しめるんですよ。日本で日比谷なんかで
やったりしても声がきこえなかったり、ギターばっかり大きかったりとかね。
チグハグなんだね。だから、そういう状態じゃおもしろくないし まあ、
日本のロック・グループの悪さってのはね、ショウ・マン・シップに
欠けるんですよね。 >>319のつづき
要するに、つまんねえこと云うと おれはもっとかっこいいことをしてえとか
わりに てめえら、きくならきけっていう姿勢でしょう。なんかそういう
姿勢が多すぎちゃった。それをみんなが真似してね なんかみんな
これもんでむっつりという意味が出てくるでしょう。だから客は
のったときは一時ひじょうに楽しめるけれど やっぱり、あきるもんなんだよね。
いまフォークがうけてんだって 生ギターだけなら、もう二年もすればあきますよ
でも、やっぱりあれだけ異常にうけてるっていうのは、フォーク集会なんか行って
見てると、やっぱりひとつの若者の寄席ってかんじがするのね。 >>320のつづき
ほんと、みんな寄席にきてんだよ それにみんな、はなしがうまいんだよ
泉谷にしてもなんにしても。ほんとに寄席と音楽が両方楽しめるという
雰囲気だからね。フォークのほうは、みんなが集ってくるんだよ。やっぱり
ロック集会なんかに来ても、完全に音楽が好きで 只それしか楽しみがないでしょう。
やっぱりロック人口が少ないですね 日本は。みんな長髪で、、そういうのは
増えてるけど、あんまりロック人口って増えないね。 >>321のつづき
日本のロックバンドは最悪の状態ですな
ーしかしレコード(洋盤)のほうは、うれているのだろうけれど
鈴木ヒロミツ 結局ね。日本のグループが出てこないという状態はね。
やっぱりレコードを買わないんですよ。ロックファンが。
洋盤を買っちゃうんですよ。どうせ買うなら、おれむこうのやつ買ったほうが
いいってんでね。だから日本のロックバンドはレコード出しても売れないしね。
段々段々やけになってきちゃうんですよ。ほんとにロックやって行くんだったら
趣味とか道楽でしか出来ないでしょう。 >>322のつづき
ーお金?
鈴木ヒロミツ ええ。お金がかかっちゃって。だって
ロック集会なんて百円、二百円でしょう。五百円になると高くて
行けねえなんてブーブー云ってきますもんね。客の姿勢が悪いんですよ。
それにロックミュージシャンだって 日本はもう最悪の状態ですな。ほんとに。
日本人の客も悪いし、もう音楽を育てるとかしないしマスコミもね 最初は
グループ・サウンズからロックロックなんて調子がよかったけども、早いもんだよね。
日本のロックブームってのは、あれは半年か おい(鈴木ミキハル)一年ぐらいか、あれは。
こんどはフォーク・フォークですごいじゃないどこ見ても。「少年マガジン」見てても
よしだたくろう、泉谷しげるでしょう。ロックバンドはもう最悪だよね。 >>323のつづき
ー星さんなんかどう?その辺で。
星勝 そうですね。いまフォークがありますけどね。その、だんだん
日本でもフォークもロックも一緒になってきて 今でもそうなって
きてるでしょう。ただ、そのロックのほうの「はっぴいえんど」とか、
自分達のうたいたいことをうたえるようになってきて、「はっぴいえんど」も
最初はバックでしたね。なんか、ボブ・ディランのバックの「バンド」みたいな
あんなかんじだったでしょう。そういうバンドがどんどん出て来てね。ロックでも
自分の云いたいことを云うっていうか、そういううたをうたうバンドがどんどん
増えてくると思うしね 又、フォークのほうでもサウンド的にもいろんな楽器を
使ってみたりしないと いろんな表現が少なくなってきてつまんなくなって
くるわけだから。だんだんサウンド的にもおもしろくなってくるし、それにつれて
うたの内容も良くなってくるし 分野とかそういうものはなくなって来て、いっしょに
おもしろい、もっと楽しいものが出きてくるんじゃないかと思うんですけどもね。 >>324のつづき
鈴木ヒロミツ でも、いまのままじゃ日本のロックは絶対ダメ。
いまの星の意見だったらフォークのやつがロックに転向するしかないもの。
転向してきてロックやるってことだもの。だからおれは、いっしょにならないと思うよ。
まだおれたち「モップス」の場足は あい入れようとか、やろうという気持ちはあるけど
やっぱり、あい入れないところはあるもんね。なんていうんだろう。日本のロック
アーティスト自体が完全に煮つまってきちゃってるというか、うまく表現できないんだけど。 >>325のつづき
鈴木ミキハル だから、煮つまっているから結局アングラ意識
というのが強くなって、それしか自分のもつものがなくなっちゃう
でしょう。それしか自分を守る方法がないから、ステージ見てても
いつもステージのこっち側にくるものがなくて、いつもステージの奥で
やってるかんじがあって、そういう意識がどこのバンドにも強くあって
それしかにげる方法がないから だから結局、英語とか日本語でやったり
別にグループ・サウンズじゃないからって きらったりなんかして、結局
英語でやったって意味が全然わかんないでしょう。だから、むこうのコピーで
なるべく日本の中でのいちばんのオリジナルっていう名目でもって演奏ばかり
するでしょう。だから、みんな同じになっちゃうわけですよ。
鈴木ヒロミツ でも英語でもいいんだよ。英語でもサウンド的にも
いいものがたくさんあるわけだから それをわかるやつがいないというのが
いちばん最悪なんだから。おれはそれでいいと思うんだ。何も全部日本語で
やる必要もないと思うしさ。 >>326のつづき
すぐれたプロモーターやプロデューサーがいなかった
鈴木ヒロミツ おれはいまのロックバンドってのは、ほんとにかわいそう
だと思うね。あまりにも見ててかわいそうすぎるよ。この間もね
名古屋でカルメン・マキとオズ、それから陳シンキ・グループなんか来てたけど
こんな状態だと、ほんとかわいそうだと思ったもん。おれらなんかはっきり云って
まだ救われるところがあるけど あまりにも日本のロックバンドはめぐまれなさ
すぎるよ。だってガタガタバスで楽器はこんでね。名古屋まで来たんだもんね。
それでその日帰ってくるわけでしょう。そうしてまで発表したいという熱意がある
にもかかわらずさ。見てるほうはもうマンネリ化しちゃって なんか反応が
非常に少ないんだよ。アーティストもそれに気ずいてなんとかやんなくちゃいけない
けども、いまの状態じゃだめみたいね。ほんとにかわいそうよ。 >>327のつづき
もちろん、日本のアーティストにも責任はあるけど
いちばんの問題はね、ブッキングする奴がその興業者っての
いいプロモーターがひとりもいなかったことが最悪の事態を招いた
と思うね。はっきり云って。いままで、ぼくら何回もロック集会に出たけど
まともなロック集会って一回もないでしょう。はっきり云って。全部ルーズな
それこそ……又、ロックをやるプロモーターとかプロデューサーという人が結局
いなさすぎたんですよね。おれは、そこにいちばん問題があると思うな。 >>328のつづき
もっと楽しい集会にいくらでも出来るんだからね。それをもっとアピールする
機会をたくさんもたなきゃぁだめみたいね。又、二年や三年待ったってくるか
どうかわかんないしね。日本のロック自体なんていうのかな、体質にあわねえのかな。
鈴木ミキハル そんなことはないよ。
三幸太郎 むこうから外タレくると満員になっちゃうからね。
三千円の金はらってみんな見に来るよ。
鈴木ヒロミツ おかしいなあ……
(1972.8.11 文責 編集部) >>323脱字訂正
おい(鈴木ミキハル)一年ぐらいか、あれは。→おい(鈴木ミキハルに)一年ぐらいか、あれは。
>>325誤字訂正
「モップス」の場足は→「モップス」の場合は 代行業者の方に依頼して「気楽に行こう」のEP盤と
ヤマハ世界歌謡祭のLP盤をネットで購入してもらって
尚且つ、ダビングサービス店に送って「オー・ダーリン」
と「何処へ」をCD化してもらった
ユニバーサルめ、手間とらせやがって…
(2007年にリリースされたSOSコンサートの紙ジャケは既に購入済み)
でもまあ、何はともあれファン歴15年にして
ようやくモップスをコンプリートすることが出来て良かった! 解散前のラストアルバムのタイトルは
「モップス1969〜1973」よりも、「何処へ/モップス’73」の方が
良かったのでは?と思った
「雨/モップス’72」のように、世界歌謡祭入賞曲のタイトル・バンド名・年代で
そうすればベスト盤と勘違いされずに、92年に雨と16人の仲間と一緒に初CD化
もしくは94年にロックンロール’70、御意見無用、雷舞、EXITと一緒に初CD化
されてただろうに コミュニティFMのKOCOラジオのGSのお時間です
という番組でモップスのライブが2週にわたって放送されてて
初めて聞いたけど
カッコいい部分とよくわからない部分とだな レココレ6月号1971年の音楽地図
104ページでモップスについて少し触れてた
106ページでは、筆者が選ぶ1971年の16枚として
御意見無用が選出されていた 映画「ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR」に「なむまいだあ──河内音頭より」が使われてる。 16人の仲間の12曲目の「輪廻」を初めて聴いた時は
いきなり、“エブリデイ〜♪”って英語が出てくるのに驚いた 12thシングル「たどりついたらいつも雨ふり」
6thアルバム「モップスと16人の仲間」発売から今日で49年 中日ファンのヒロミツさん、大島康徳さんがそっちへ逝きます 後楽園球場でグランドファンクレイルロードの
オープニングアクトを務めて今日で50年 東映特撮YouTubeのビーロボカブタック
4話にヒロミツ さっき、BSプレミアム「NHK特集・小椋佳の世界」の終盤で
コンサートのリハーサル時のシーンに数秒だけ星勝が映った! 東映特撮YouTubeのビーロボカブタック6話
せっかくの親父バンド回なのに小金井太郎役の
ヒロミツ休み… 東映特撮YouTubeのビーロボカブタック14話
スターピースの付いた如雨露(じょうろ)に
水を掛けられた小金井太郎(ヒロミツ)が
「あぁ〜!ここもやっぱり、どしゃぶりさぁ〜!」
って言ってたw BSテレ東「武田鉄矢の昭和は輝いていた」の、心に残る雨の歌特集
「たどりついたらいつも雨ふり」が紹介されるかもと思って観ていたが
無かった…orz 「たどりついたらいつも雨ふり」2:26〜3:37
昭和48年7位(最高26位じゃなかったっけ?)
https://m.youtube.com/watch?v=9Yn0LtjYb2s 東映特撮YouTubeのビーロボカブタック36話
せっかくの歌合戦回なのに小金井太郎役の
ヒロミツ休み… 日比谷野音 //日本ロック・フェスティバル//
http://rock70s.music.coocan.jp/kosenjyo/hibiya03.html
5月 5日 (東京サンケイホール) : モンタレー・ポップ・フェスティバル(映画)/
ハプニングス・フォー/フラワー・トラベリン・バンド/モップス/ゴールデン・カップス
5月 6日 (横浜公園野外音楽堂) : ブラインドバード/エモーション/ハプニングス・フォー/
モップス/ルイズルイス加部グループ/フラワー・トラベリン・バンド/ゴールデン・カップス
5月 8日 (大阪厚生年金ホール) : ニュー・クリエーション/ヘルプフル・ソウル/モップス/
フラワー・トラベリン・バンド/ゴールデン・カップス/モンタレー・ポップ・フェスティバル(映画)
5月 9日 (日比谷野外音楽堂) : ソウルフル・ブラッズ/ブラインドバード/エモーション/
ヘルプフル・ソウル/ハプニングス・フォー/ザ・エム/フラワー・トラベリン・バンド/
増尾好秋グループ/モップス
5月10日 (日比谷野外音楽堂) : フード・ブレイン/山口富士夫グループ(with成毛滋)/
稲垣次郎&ソウル・メディア/フラワー・トラベリン・バンド/猪俣猛&サウンド・リミテッド
モップス/ロカビリー・リバイバル・サーカス/ズーニーブー/ゴールデン・カップス https://www.preceden.com/timelines/44733-1971
第2回日本語のろっくとふぉ―く 6/1971 日比谷野外音楽堂
モップス/はっぴいえんど/遠藤賢司/頭脳警察/DEW/町田義人/吉田拓郎
日比谷ロック・フェスティヴァル 7/3/1971 - 7/4/1971 日比谷野音
サムラ イ /モッ プス /PYG /ゴールデン・ カッ プス /ハ プニングス4+1 /
プラインド ・ パー ド /ザ ・ エ ム /ブル ース・ クリエ イション /成田 賢/
はっ びい えんど /ガロ / 陳信輝 / 1815R&Rバン ド
箱根アフロディーテ 8/6/1971 - 8/7/1971 芦ノ湖畔
ピンク・ フロイド/1910フルーツガム・ カン パニー/パフィー・ セン トメリー/
成毛滋/モップス /渡辺貞夫/山下洋輔トリオ 他
精進湖ロックーン 8/8/1971 - 8/9/1971 山梨県・精進湖畔
麻生レミ /モッ プス/1815ロッ クン・ ロール・ バンド( 内田裕也・ 竹田和夫他) /
スピー ド・ グルー&シン キ/頭脳警察/ブルース・ クリエ イション /村八分 /
エム /ハプニングス・フォー+2 ( チト河内 ・ クニ河内 ・ トメ 北川 ・ 篠原信彦 他 https://www.preceden.com/timelines/44573-70-s-vibration
第2回10円コンサート10/30/1969 日比谷公会堂
フラワーズ/モップス/ハプニングス・フォー/パワー・ハウス/エム/柳田ヒロ/
アイ高野/岸部おさみ/森本太郎
「第2回日本ロック・フェスティバル」1/6/1970 - 1/7/1970 東京厚生年金会館
パワーハウス/エモーション/エム/ハプニンプス・フォー/岸部“おさみグループ/
内田裕也とフラワーズ/成毛滋/モップス/ゴールデン・カップス/麻生レミ・オール・スターズ他
第1回ヘツド・ロツク・コンサート 4/1/1970 神田共立講堂
頭脳警察/フラワー・トラヴェリン・バンド(フラワーズから改称)、
モップス 頭脳警察が第1回ヘツド・ロツク・コンサート(神田共立講堂)で正式デビュー。 https://www.preceden.com/timelines/44573-70-s-vibration
第3回日本ロック・フェスティバル 5/5/1970 - 5/10/1970 東京の他、横浜・大阪でも開催
フラワー・トラヴェリン・バンド/ハプニングス・フォー/モップス/ゴールデン・カップス/
ザ・エム/ヘルプフル・ソウル/フード・プレイン(陳信輝ヽ柳田ヒロ、加部正義、つのだひろ)/
成毛滋/山口富士夫他
ロック・イン・ハイランド 7/26/1970 富士急ハイランド
フラワー・トラヴェリン・バンド/村八分/遠藤賢司/モップス/ロスト・アラーフ
灰野敬二がこの日ライヴ・デビュー(ロスト・アラーフの解散は74年)
ロック・カーニバル#1 12/16/1970 - 12/25/1970 京都、大阪、東京
ジョン・メイオール・トリオ/岡林信康&はっぴいえんど/ミッキー・カーチス&サムライ/
カルメン・マキ/ゴールデン・カップス/モップス/成毛滋他¨ 大物来日アーティストと
日本のロッカーたちの初の本格的共演。以後、海外アーティストの来日公演の際には
日本のアーティストが前座を務めるスタイルが定着。 http://www.studio-g3.com/godiego/01-history/0133-chronicle-71.htm
1972/1/9 エム及び井上尭之グループ(原田裕臣在籍)、
京都府立体育館での「オールジャパン・ロック・フェス」 に出演
(共演:頭脳警察、モップス、ブルース・クリエイション 他)。
1972/1/10 エム及び井上尭之グループ(原田裕臣在籍)、
東京都立体育館での「オールジャパン・ロック・フェス」 に出演
(共演:頭脳警察、モップス、ブルース・クリエイション 他)。
1972/5/14 ザ・エム、日比谷の「第4回日本のふぉーくとろっくのコンサート」2日目に出演
(共演:ガロ、はっぴいえんど、モップス、かまやつひろし、南高節とかぐや姫 他)。 渋谷公会堂
1970/12/24に行われたSOSコンサート・ロックとフォークの大合同演奏会
後楽園球場
1971/7/17に後楽園球場で行われたグランドファンクレイルロード
来日コンサートのオープニングアクト
日本武道館
1972年、ヤマハ主催第3回世界歌謡祭の予選1日目(11/17)と本選(11/19) 三幸太朗の訃報、新聞にも載らなかったし
Yahoo!ニュースでも取り上げられなかったけど
本人の意向だろうか……? シングル、たどりついたらいつも雨ふり
アルバム、モップスと16人の仲間
リリースから今日で50年 「たどりついたらいつも雨ふり」を提供してくれた
吉田拓郎(76歳)が年内で引退 BSプレミアムの浜田省吾ライブのスタッフロールに
サウンドプロデュース・アレンジで星勝の名が! レココレ10月号1972年の音楽地図の113ページで
モップスと16人の仲間が紹介されている 白木みのるが2年前に亡くなっていた事が
先週公表されたけど、三幸太朗が亡くなった事も
来年公表されるんだろうか…? ドラゴンズファンのヒロミツさん、燃えよドラゴンズを歌っていた
アニキこと水木一郎さんがそっちに逝きました… デビュー55周年にあたる2022年が
間もなく暮れようとしている… フォーク&ポップスVOL10(昭和49年6月15日発行)より
さようなら、栄光のモップス
時は、やっぱり、とめどなく、流れていくもので、
止めることは出来ません。人も、次第にトシをとって、
その生活も、思想も、生き方も、夢も、次第に変化していきます。
いいことのようにみえても、なんて、はかない現象でしょうか?
時が止まって、トシもとらなければ、ほんとうにいいのにと
思うことがしばしば、私にはあります。自分が、充実した中にあるとき、
その充実からのがれることが、非常につらくなるからです
でも、こんなたわごとを言っても仕方のないことなのですから。
さて、あの有名な、モップスが、4月23日の中野サンプラザ・ホールでの
さよならコンサートを最後に解散しました。 >>381の続き
あんなにがんばり続けてきたのに、とても残念でなりません。
モップスの残したものは、なんだったのか、考えてみるに、ただ、
単なる、G・Sの残がいと、片づけてしまうのには、余りに実力が
ありすぎます。モップスは、誰がみても、きっとわかるように、
日本のポップ界の進展に、大いに影響を及ぼしたのです。
それは、ちょっとの説明では語りきれませんが、おもいだしてみても、
あの昭和42年11月5日、G・Sの世界に、サイケデリック・サウンズと、
マスコミに語られた造語のにない手として華々しく登場したのでした。
歌謡曲の亜流のような存在で、日本を吹きあれていた、スターのいる、
グループ・サウンズ全盛時代にです。
なんとぶきみな、なんとひどいルックスのグループなんだろう、
などと言われながらも、その頃でも、一部からは深い理解を示され、
かつ、その実力の一端を感じとってくれた、力強いファンによって、
じみながらも、一応のポジションをつくりあげていたものなのです。 >>382の続き
まるで乱立していたG・S全盛期、だせばレコードはなん十万枚も
売れる時代でした。歌もひどく、演奏もひどく、それでもキャーキャーと
さわがれるグループのレコードは常に好セールスを記録していたのです。
モップスの存在は、そうした、スター・グループの一群からは一歩しりぞいた
ところに存在し、ひそかに一線の人気を持つべく待期していました。
とうとうそうした意味での成功はかないませんでしたが、それだけに、
このグループの解散はおしまれてなりません。モップスの出現は、日本に、
おける、ロック・ミュージックの向上、そして、ロック・ミュージシャンの
芸能界における社会的地位の向上に寄与したグループとして、高く評価
されています。
アンダーグラウンドでしか、認められなかった、ロックをオーバー・グラウンド
へともっていった、意義は大きく、その恩けいは、今のミュージシャンが大いに
感謝している筈なのです。モップスのシングル盤のヒット曲の中には、ずい分と、
ユニークなものがあります。 >>383の続き
そのいずれもが、当時のレコード界に新鮮な印象を浴びせたのは当然で、更には、
新しい音楽の分野を確立し、音楽層を広げてくれたことは、まぎれもない事実です。
「月光仮面」のあの痛烈な、ユーモアとロックとの融合、そして「たどりついたら、いつも
雨降り」の楽しいロックン・ロール、「朝まで待てない」の気持のいいロック風・流行歌、
「森の石松」のあのさえわたった、センスのよさ、など、数えたらキリがありません。
アルバムでも種々の挑戦をやってのけました。特に印象に残るのは、「モップスと十六人の
仲間」というアルバムです。吉田拓郎の曲、井上陽水の曲、かまやつひろしの曲、などと、
友人たちのつくった曲をモップス流に料理してヒットさせました。こうしたアイデアも、
長いロック生活の中でつちかわれてきた、交友の巾広さと、信頼があればこそのことです。
あたたかい、スタッフと、あたたかいファンとにかこまれて、モップスはこの7年間、
自由に、のびのびとロック活動をしてきたのです。いろいろなこともあったのですが、
強い団結力と、トータルなロック思想が上手く重なりあって、解散しても、そのかがやきは
なくなることなく、ファンの胸にやきつづけることでしょう。 >>384の続き
星勝は、作編曲を中心として、巾広い音楽活動をしていくようですし、
鈴木ヒロミツは、役者稼業を中心にやっていくようですし、三幸太郎と
鈴木ミキハルは、又、あたらしい、バンドを結成して活やくするということです。
あのモップスの味わい深いロックは、きっと後進のグループに、ロックの心を教えた
筈ですし、その意味では健在ながらの解散も、カッコよくスマートで、よかったのかも
しれません。
それぞれのメンバーが、それぞれの道で活やくする姿をみていくわけですが、彼らの
前途に拍手をおくりたいのと同時に、今後の日本のロック・ミュージックの前途に、
大いなるものが、生きつづけていくことを祈ってやまないのです。
元気でがんばって下さいね。元気でがんばって下さいね。さよならモップス、さようなら。
すずきまさかつ モップス7年間の軌跡(>>381-385の続き)
グループ・サウンズ―日本の音楽界でこれほど大規模で熱狂的なブームが
あっただろうか。昭和42年、そのグループ・サウンズの全盛期にあたる。ブルーコメッツ、
スパイダースに続けと各レコード会社は、その大半がグループ・サウンズ中心の方向へと走った。
このブームは、音楽界のみならず、社会的にもいろいろな影響を与え、逆にいろいろな批判あびた。
その全盛期、42年11月5日、モップスという、1グループがデビューした。「朝まで待てない」
(阿久悠作詞、村井邦彦作曲)数限りないグループの中でこのデビュー当時から、何か他の連中と
異質なものを感じさせたモップス。それまでのグループに見られたスター的存在になる
メンバーもいず、ましてやルックスのよさもない。名前もモップス―。
しかし、音楽面に関しては、いち早く、サイケデリック調と呼ばれ、一部に高い評価をえた。 >>386の続き
「サイケデリック・サウンドはサン・フランシスコ産の前衛ロック。幻覚的な音が
妙味となっているが、モップスのデビュー曲、「朝まで待てない」」にも一応それらしき
ふん囲気はでている。それにしても、変わっているのは彼らの服装、メキシカン・ルックに
インディアンスタイル。まったく国籍不明でそんなところになにか“植民地日本”といわれる
要素が感じられる。」(スポーツ・ニッポン、42.11.5)
「それぞれ、個性的なスタイルだがその内容も個性的だろうか」(報知新聞、42.10:23)
「常に意外性を打ち出しながらやっていこうとする一派のグループであることは確かな
ようだ。しかしこういったサウンドが日本の社会機構の中でどう生きながらえてゆくか
疑問は濃い」(B音楽業界紙42.11.1)
「このメンバーは絶対ユニフォームを着用しない。無個性に統一されることを極度にきらう
からだ。5人はモップスというわくのなかでそれぞれ自由に思索し行動している。これが、
いままでのグループの観念とはまったく違うところだ」(ヤングミュージック、43.3) >>387の続き
といったように、あらゆる意味でそれまでのグループにない要素をもっていると
評価されていた。苦しかったジャズ喫茶時代を乗りこえ、今ここに、モップスが
デビューしたのである。<この時一体誰が、今日のモップスを予期できただろうが。
やがて無数にあった、グループ・サウンズも、2、3年のわずかな間に、次々と、解散して
行った中で、7年間という年月をえて、最後のG・Sと惜しまれることを―>
やがて、スパイダース、ブルーコメッツのグループ・サウンズ時代は、タイガース、
テンプターズといった若いG・Sに変わり、第二期のグループ・サウンズ時代へと
入っていった。そんな時代にも、常にそして着実に伸びていったモップス。43年、
3月「ベラよ急げ」、8月「お前の全てを」、デビュー盤ほどの売り上げはなかったにして
ブームの下火とうらはらにファンをふやしていったモップスであった。
43年6月 世界的なコンサートマスターである小澤征爾指揮により日本フィルハーモニー・
オーケストラと合同演奏会、また文豪、三島由紀夫の原作による「憂国」の舞台においては
その音楽担当と、一種独特の歩みを続けていた。 >>388の続き
<そのころ、(43年、春)岡林、高石友也をはじめとする、フォーク・ブームがまきおこった>
やがて、かつて、G・Sブームの時のように、フォーク、フォークと若者たちの音楽は変わっていった。
そして、46年、夏、吉田拓郎が現れ、ますます、、フォーク一色となっていったのである。
「生き残ってしまったモップス、一体あなた達は誰に向って何を歌うのでしょう」
(スポーツ・ニッポン4、23)
ジャズ喫茶はコンパに変わりあのはなやかなG・S時代は完全に消えてしまった。
しかし彼らは、彼らなりに何にまどわされることなく、音楽を追求していった。
ブームは去っても彼らに終わりはなかった。あの、後楽園球場での“グランド・ファンク・
レイルロード”の前座として堂々と、「御意見無用」をうたった時も、三越の屋上ステージで
7時間あまりの長時間プレイの時も、彼らの気持ちはデビュー当時と何ら変わりはなかった。
めまぐるしく流動するポピュラー界において常に自己のペースを維持することはむずかしい。
けれどモップスはやりとげた。そして、拓郎作曲の「たどりついたらいつも雨ふり」(47.7)
「モップスと16人の仲間」(同)等、彼らはフォーク界にも進出、いや、彼らの音楽にはそうした、
ジャンルをこえた何かがあった。ついで、同年、11月の第3回、世界歌謡祭で「何処へ」(小谷夏・詩、
星勝・曲)が入賞。 >>389の続き
一方リーダーのヒロミツは、TVドラマ、CMと、幅広く活動。けれど収入はほとんどが
グループの音楽の研究費にしたとか。星勝もアレンジを手がけるなど、地道ながらも
常に前進していった。デビュー当時のあの異様な星勝のヒゲもメガネも、今は珍しくは
ない時代になった。アマチュア時代を入れると8年 今、モップスは完全燃焼した。
リーダーのヒロミツが言う。「ギターの星勝、ドラムスのスズキミキハル、ベースの三幸太郎、
ひとりひとりが全員の目標だった世界に通用するアーティストになったんです。リード・
ヴォーカルの僕だけが世界に通用するまでいたらなかったんです。彼らの出発はこれからだ。
オールラウンドな役者になるというヒロミツ、すでに作曲、アレンヂで高い評価をえている星勝、
日本のアーティストはいつか世界に出るその時は俺が一番ノリと意気込むベースの太郎、
生きている間は、音楽からはぜったい離れない、プロデュースも、とはりきるドラムのミキハル。
彼らのモップスとしての旅は今ここに終わった。最後のGS、モップスはここに終わった。
けれど、一人、一人の旅はこれからなのだ。デビュー当時よりメンバー全員が10キロ近くも
体重がふえたという。ハード・スケジュールにもビクともしない体力があったからこその
モップス7年間の軌跡―。 モップスサヨナラ・コンサートより(>>386-390の続き)
最後のG.S.モップス。去る4月23日のサヨナラ・コンサートを文字通り最後に解散した。
昭和42年、あのG.S.全盛期に“朝まで待てない”でデビュー以来実に7年間、彼らは常に
とどまることなく、自己のペースで、それでいて、日本ロック界のリーダー格の道を
歩いてきた。よくある、サヨナラ、コンサートの一種独特の湿っぽさはまるでなく、むしろ
これからの彼らメンバーの4人の旅立ちを、ゲキレイするかの様な、そんな熱気に包まれた、
コンサートであった。
この日、会場の中野サンプラザ・ホールは超満員。そして普通のコンサートよりは幾分、
20才すぎのファンの多かった様である。これも、一つのモップスの歴史の長さを物語って
いるに他ならない。モップスは消えた―けれど、彼らの残した軌跡はこの日本ロック界、
いや、ポピュラー界から消えることはないであろう。そして、それよりも、すでに、作曲、
アレンジャーとして活動を始めている、星勝をはじめ、むしろこれからの4人の方向が
楽しみな、そんな意味深な解散であった。サヨナラ、モップス!
数えきれぬほどあった、あのG.S.がわずか、2年ほどの間で次々と消えて行ったなかで、
シツコク生きのこったグループ。サヨナラ、モップス。以下は、4月23日、サヨナラ・・
コンサートの誌上再現である。 >>391の続き
第T部
およそ、30分遅れて、7時過ぎの開演、「これで本日のコンサートは終了しました」という
アナウンサーのモップスにふさわしいあいさつでいよいよ幕開け。いきなり会場
われんばかりのモップス・サウンドがひびく、“スペル・オン・ユー”等、彼らがまだ
デビュー前に唄っていた、ロックナンバーが続く。曲の間、ヒロミツの巧妙な話が
ファンをわかせる。“ラブ・サンバディ”を最後にゲストの陽水にタッチ。
第U部
まだ、お互いプロになれなかった頃から、つきあいの深い井上陽水。モップス、最後の
シングル盤となる“あかずの踏み切り”も彼の作品。この日は、モップス解散の為、本当に
メズらしく礼装でステージに登場。ジャズ喫茶で出演していたころの思い出話などを
タンタンとしゃべってくれた。「彼らを普通、一般の定規では測れない、何か宇宙の定規で
なければ測れないと思いました」陽水のことばである。「この曲でモップスとお別れします」
“人生が二度あれば”を唄って第二部を終る。 >>392の続き
第V部
メンバー、衣を変えて、再び登場。陽水もまた現れ、モップスプラス陽水のジャズ喫茶
以来の夢の共演。まずはビートルズの“I saw her atanding there”続いて陽水の傘がない
星勝のギター・ワークが、ここでもさえている。2番目の詩をヒロミツがタッチ。モップス
サウンドと陽水の曲とが見事にとけあってのりにのった曲の一つだった。このあと
she loves' you.
そして、陽水が去り、モップス・ヒストリー・メドレーと題して、この7年間の歩みを
休みなしでメドレー。ヒロミツのナレーションの間もバックは流れる様なサウンド。
こんなにもグーなバンドかと今さらの様に知らされる。“ウォーク・ドント・ラン”を頭に、
モップス結成当時の話をはさみ、“朝日のあたる家”“好きさ・好きさ”そしてデビュー曲である
“朝まで待てない”今はなき、ジミー・ヘンの“紫の煙”。最年少のベースのタローが実に16才の
頃の曲である。
そしてあの46年夏、後楽園球場で行われた、G.F.Rの前座で唄った、“御意見無用”
「いいじゃないか、イイジャナイカ」会場はステージと客席一体になって、手拍子で大合唱。
星勝のあのちょっと鼻にかかったそれでいてすき透った声が最高にさえている。続けざまに
“たどりついたらいつも雨ふり”アレンジも新たな感じでガンガンせまってくる。 >>393の続き
ここで、メンバー紹介。初めて、各メンバーがヒロミツの後に自らあいさつ。
中でも星勝の角栄バリのまるで政見放送の様なアイサツは、客席を笑いの渦とした。
このあと、深町純を加えて、新曲、“わらのことば”を発表。メロトロン、ピアノを使って、
モップス・サウンドのいよいよ頂点といった感じ。流れる様な、バックのメロディに
タローのベース・ワーク、ミキハルのドラミングがさえる。これからのロック界を
暗示するかの様なすばらしい曲だ。
続いて、“月光仮面”“ふるえてうらむように”“Nobody care”。拍手の中、
ステージを降りるモップス。アンコールの手拍子の中、正装した、メンバーが現われ、
あのデビュー曲、“朝まで待てない”を最後に消えていった、モップス。
最初に書いた様に、サヨナラ・コンサートではなく、これから彼ら一人一人の
旅立ちを祝う様なそんな明るいふんいきの3時間であった。 >>394の続き
モップス、メンバー紹介
鈴木ヒロミツ=リーダー、ヴォーカル。1947年6月21日生まれ、27歳。
エリック・バードンの叫びに感動してヴォーカルを志した。
デビュー当時から、独特の歌い方で高い評価をえている。
最近では、テレビ・ドラマ、CM、司会、と幅広く活動している。
7年間のモップスも、きっとこのヒロミツがいたからの要素が大きい。
解散後は、オール・ラウンドな役者になるという。
星勝=ギター、ヴォーカル、1948年8月19日生まれ、26歳
17歳の頃から、ギターをはじめ放浪生活を楽しむ。
茶の湯が好きという最も日本的な男。
最近は井上陽水、小椋佳らのアレンジを手がけ、その新しい感覚が、受けている。
これからも、作曲、アレンジにみがきをかけ、音楽を追求していくという。 >>395の続き
三幸太郎=ベース。1950年3月13日生まれ、24歳。
グループの中では最も整った、ルックスの持ち主。
デビュー当時サイド・ギターを担当していたが後、ベースに変わる。
デパートの特売場めぐりが趣味という変わり者。
解散後は、新しいグループを結成、あくまでも、ロックをやっていきたいという。
スズキ・ミキハル=ドラム。1949年3月26日生まれ、25歳。
切れる様なシャープなドラミングをする。
自分自身が、最も好きであるのと同時に最も嫌いだという哲学青年。
生きている間は、音楽からは離れられないとみえて、作曲、作詩、末は
プロデュースもやりたいと意気さかん。 NHKのアナザーストーリーズYMOで数秒ほど
モップスらしきバンドが!(たぶんモップス) アナザーストーリーズ YMO 時代を超えた革命児たち
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/livenhk/1689332511/201
201公共放送名無しさん2023/07/14(金) 22:08:13.25ID:/uD1n6Aj
今のモップス? >>404
ありがとうございます。
星さんにしてはピッチが良くないなと感じたもので。
「二色の独楽」に結実するのですね。 BSよしもとの「時をかけるアメマ!寛平さんぽ」で
たどりついたらいつも雨ふりが流れる時がある 【モップスとユニコーンの共通点】
01.シリアスとコミカルの両面を持ち合わせている
02.ボーカル以外のメンバーもボーカルを務める場合がある
03.脱退者がいる(ベースの村上薫/キーボードの向井美音里)
04.アニバーサリーが重なる(1966年結成、1967年デビュー/1986年結成、1987年デビュー)
05.メインボーカルがジョンレノンのファン
06.メインボーカルがセ・リーグのチームのファン(ヒロミツは中日ファン/民生は広島ファン)
07.井上陽水と仲がいい(ユニコーンは民生のみ) 今月17日には全14曲のベスト盤がリリースされる!
https://store.universal-music.co.jp/artist/the-mops/
01.眠り給えイエス
02.ジェニ・ジェニ’70
03.朝日のあたる家
04.御意見無用(いいじゃないか)
05.月光仮面
06.森の石松
07.なむまいだあ(河内音頭)
08.雨
09.たどりついたらいつも雨ふり
10.フーズ・フー・イン・マイ・ライフタイム〜人生の香り
11.御用牙
12.すずきひろみつの気楽に行こう
13.晴れ時々にわか雨
14.あかずの踏切り
更に6月26日には御意見無用と雷舞のアナログ盤もリリースされる! 今回も「オーダーリン!」の収録はなしか....いつになったらCD化なることやら。 BOXセット出ないかねえ
未発表音源とか入ってるやつ