>>388の続き

<そのころ、(43年、春)岡林、高石友也をはじめとする、フォーク・ブームがまきおこった>
やがて、かつて、G・Sブームの時のように、フォーク、フォークと若者たちの音楽は変わっていった。
そして、46年、夏、吉田拓郎が現れ、ますます、、フォーク一色となっていったのである。
「生き残ってしまったモップス、一体あなた達は誰に向って何を歌うのでしょう」
(スポーツ・ニッポン4、23)

ジャズ喫茶はコンパに変わりあのはなやかなG・S時代は完全に消えてしまった。
しかし彼らは、彼らなりに何にまどわされることなく、音楽を追求していった。
ブームは去っても彼らに終わりはなかった。あの、後楽園球場での“グランド・ファンク・
レイルロード”の前座として堂々と、「御意見無用」をうたった時も、三越の屋上ステージで
7時間あまりの長時間プレイの時も、彼らの気持ちはデビュー当時と何ら変わりはなかった。

めまぐるしく流動するポピュラー界において常に自己のペースを維持することはむずかしい。
けれどモップスはやりとげた。そして、拓郎作曲の「たどりついたらいつも雨ふり」(47.7)
「モップスと16人の仲間」(同)等、彼らはフォーク界にも進出、いや、彼らの音楽にはそうした、
ジャンルをこえた何かがあった。ついで、同年、11月の第3回、世界歌謡祭で「何処へ」(小谷夏・詩、
星勝・曲)が入賞。