森田童子について語りませんかpart10
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自伝的小説だからなぁ
私小説とは違うのかも知れないけど、なかにし自身が昭和という時代を感じて欲しいみたいな事言ってるからな
兄正一を中心にして、弟の目から見た昭和史を描いてる点は非常に面白いんだよな たとえば血の歌では中西康夫が森田童子は従兄弟だったと認めている
兄弟ではなかにし礼本人が事実をもとにしていると発言している
いまさらこんなことを話合いたくない
キチガイ爺さんは消えろ ここが盛り上がってるから、Amazonで中古本が2000円だぞ
メルカリやラクマには在庫ねーぞ
あっても高いよ >>848
頭悪う〜
慌ててウィキペディアで調べるとか高卒だろジジイ >>848
火花なんて漫才師志願の若者を主人公にしただけで全然私小説じゃねえよw >>848
じいさんさ〜大学生のレポートや論文の参考文献にWiki使用禁止って知ってる?
一般人の素人が作る百科事典ごっこだから地雷だらけなんだわw
まず又吉の「火花」は全然私小説ではない、実体験はモチーフにした程度の作品。
そこに出ている奴らも同様。
現代日本でバリバリの私小説作家は西村賢太じゃんw
これは自分の担当編集者まで作中に出てきて攻撃されてるから恐ろしいわ キチガイ爺さんは私小説を知らんのだな
小説嫌いでも高校の現代国語で習っただろ
中卒か? 俺の知り合いには檸檬を漢字でかけるパキスタン人がいた 中西兄弟は揃って立教大学出てるけど、なんでセントポールなのかな?
長女もセントポール臭いんだよな
長女の時は本当に学園紛争が長引いていて、大学授業やってなかったんだろうな
小説の中で、学費は禮三が払ってると書いてある >>851
自伝的小説とは
自伝的要素とフィクションの要素が混じり合っている小説の形態である。
文学的な技法は、フィクションであるということがお約束であるということで、
自伝や回顧録とは区別される。 自伝的小説は、部分的にフィクションであるため、
著者は読者がテキストに「自伝的な約束事」を満たすことを期待することを求めない[1]。 >>859
笑った
俺の友人の知り合いには薔薇を書けるインド人がいる >>860
自分が学費払っていると書く
こういう自慢話だけを書くとこが脚色なんだよ
そして それを無条件に信じるおバカ やっぱり森田さんについて語る本スレのここに来るのが一服の清涼剤になりますね
ホッとして癒やされます
偽のスレの方は 偏執ともいえる異常な妄想が渦巻いていて、読んでるとこちらまで
頭がおかしくなります
↑こう言う文章を脚色というんだよ、ジジイ 脚色を通り越して、嘘並べてるだけ
ある意味犯罪だから
ジジイの書き込みは なかにし礼の写真は若い頃からいっぱいある
となると、童子の写真もあるはずだから、今回の本の出版では出してくれる事だろう あの本は期待するな
そもそも出版できるかどうかわからん >>860
姉は5歳違いらしいから童子誕生52年説を取ると1947年生まれ
私大の多くが閉鎖されたのは1969年、日大なんかは1968年にはバリケード
20歳の時は1967年でだから1969年は4年生か
53年説を取っても3年生で二浪しても大学生やってる間の閉鎖だな >>791
初期はなかにし礼商会で一緒にやってて
風吹ジュンを預かって独立して亜土プロモーションなんじゃないかな
なかにし礼商会は初期は芸能事務所やってなくて
1971年デビューのアン・ルイスが一人目だから
風吹ジュンのスカウトとほぼ同時だよね
二人が同時に芸能事務所業も始めたんだろう 童子は前田亜土とは中野に居た時には出来ていたんじゃないかな? 石原慎太郎「弟」1999年
なかにし礼 「兄弟」2021年
パクったな 兄弟は1998年 石原がパクったんだね
ご冥福をお祈りします >>869
芸能界相愛図事件と兄の建設会社が潰れた後だな
芸能事務所始めたのは
金が必要だったんだろうな
ゴルフ場投資失敗はかなり後の話
その時は逆になかにし礼商会は畳んで作詞一本で返す方針に変えてる
アドプロは兄の借金でなかにし商会だけじゃなく
風吹ジュンまで共倒れしないための独立だったかもね 弟の文庫版の後書きはなかにし礼
わが人生に悔いなしを作詞した経緯を書いてる 石原慎太郎のニュース今知ったわ。
「ファンキージャンプ」とか面白かったな 石原慎太郎 吾が人生の時の時 1993年
なかにし礼 吾が人生に悔いは無し 2014年
パクったな パクるって安易に使われがちだよね
人間のオリジナリティっていうのはフィクションであり幻想なのにさ
それになかにし礼のそれは昔からあるフレーズだろう
石原裕次郎の歌にもあるし、ラオウも言っている
あ、シニアが集まるスレでラオウといっても分からないか 石原裕次郎生前最後のシングル曲でドラマ兄弟の主題歌が
なかにし礼作詞の「わが人生に悔いなし」 >>876
中野を追い出された時に兄家族は引っ越したり金がなかったり
それで美乃生は高校行かなくなったんだな
療養とかじゃないな
子供は青森の叔父の家に預けられたかもしれんけどね >>884
引越し先が逗子ならそれはない
大船今泉ならあり得る
どちらかが、読み解けないと分からない >>883
ドラマの選曲おかしくないか?
けどなかにし礼の作詞にハマるのはないな
森田童子はハマるのたくさんあるが関係がまだバレてないしな
なかにし礼の作詞は兄に対する恨みの話がないな
この辺が「兄弟」の直木賞の選評でも言われたところで
なかにし礼自身傍観者になってるんのかね
満州脱出体験のトラウマなのか完全に受け身だな
これは森田童子にも共通してる感じはあるな
常に敗退を受け入れ情緒に逃げてる感じが 前田美乃生はちゃんと高校を卒業してるよ
森田童子の当時の売出し文句に騙されちゃいけない そもそも高校中退とかの出所が分からないネタを書き込むな
兄弟揃って大学出てて、姉も大学行ってる家族が娘高校中退になんかにするかよ
なかにし礼自体3回立教大学入ったり中退したりしても、結局は卒業してるんだぞ
行間とか状況読めない奴はここに書くなよ >>887
中西美乃生だろ、高校時代に結婚してたのか?
奥様は16歳なのか? >>882
ラオウを知っているのは結構なシニアです(笑) >>888
> 出所が分からないネタを書き込むな
それに従うならむしろ中退しないで卒業したということの方がそれに該当するんじゃ?
中退したというのは少なくともメディアには載ったわけだし >>888
高校時代は中野時代に完全に収まりそうだしね
>>761によれば
血の歌にも中野の家を売り払った時に家を出て男と住み始めたと書いてある
ただ中野時代は1968年からじゃないのかな
家を建てたのと兄家族を呼んだのに時間差がなければ >>868
美乃生が1953年生まれは確定だよ
死亡した時にJASRACの会報に載った死亡推定日と年齢で
権利引き継ぎのために遺族や弁護士が
死亡の行政手続きをした後に通知したわけだから
年齢も間違わないだろう 高校卒業して家を出た、男と出て行った男の子って前田なのか?
だとしたら、中野弥生町の家に前田は出入りしてた事になるよな どこで知り合った男なのか?
中野弥生町の大邸宅に出入りしていた奴で確定だと思うが、他になんか可能性ある? 中西美乃生はなかにし礼と同じ家に暮らしいて前田正春と知り合った
肉体関係がいつからあったかわからんが、美乃生が高校卒業を機会に居を構え結婚した
1971年のことだな
趣味は歌を作ること
アマチュアとしてのんびりやっていたら夫の正春や叔父のなかにし礼の目に止まり、1975年に森田童子としてプロデビューした 18歳で結婚してたんだね
その時、どこ住んでたの?まあ、2人で住んでたらそれで良いんだけど 「翔べ!我が思いよ」なかにし礼商会を作ってその仲間に前田亜土が居たと普通に書かれてるわ >>896
しかしよくあんな父親の娘に手を出したな〜
デビューしてからも正一が娘の稼ぎ全く寄生しなかったとは考えられない、
でもその辺は礼が配慮して生前の著作物では一切記述してないんだよな、
松村慶子との約束でもあったし。 >>900
北青山にあるなかにし礼商会で一緒だったんだよな
1968年には商会は作られてる可能性が高い
物件買ったのがその年だから
もともとなかにし礼の知り合いじゃなくて
寺本幸司か松村慶子の知り合いだった可能性が高そう
当時前田亜土が所属していた劇団のテント興行絡みの可能性が高いので
風月堂の主とも呼ばれた人が主催してた劇団だった 中野江原町だっけか
そこに確実に前田亜土は出入りしてたよ
そうじゃなきゃ中西美乃生と知り会えてないから 妄想蛇男君 早朝04時から18時25分まで なに ひとりで うわごとめいた事を自問自答
しゃっべってるの?
認知の初期症状じゃね?? >>904
ここには複数の人が来てる
狂ってるのはお前だけ >>761
>昭和48年 逗子 20歳 1973年
この頃には結婚してたわけだよね
前田亜土はアドプロの仕事はマネージャー任せだったんだろうか
渋谷区桜丘に事務所はあったはずだが
>昭和49年暮 六本木 21歳 1974年
これは風吹ジュン誘拐事件直後か
そして父親にデビューの話が通ってる頃
>昭和50年 デビュー 22歳 1975年
10/21に1stリリース 19時から22時まで仮眠とって 今2時01分 また明日朝までひとりでなにやらつぶやく
妄想男 昼夜逆転生活w
認知の初期症状じゃね? ここは 本来の森田童子を愛するファンが実行支配しました
妄想蛇男は くだらん自称パート11に移動して もうここには来ないでください >>911
実効支配だろ
正当性は無いけど実質支配してるから正当性は有耶無耶になってるという意味の言葉だぞ 『ぼくが君の思い出になってあげよう』が凄く心にしみます。
彼女はきっと優しい人だったんだね。
彼女の優しい歌は、時々 私の心を淋しい気持ちにさせるけど、でもそれだけじゃないんだよなぁ。
森田童子さんが歌っている姿はもう観れないけど、一度観たかった。ホントに観たかったなぁ。 >>916>>915
お前なぁ 20時48分に自問して
20時56分に即自答かよw
少し間をおけよ 自問自答バレバレだよ(爆) >>916
血の海では
青森でS28/1/15生まれ
大井町で5歳
S43の4年後に家を出て男と同棲
S49秋の終わりにデビュー決定
しか書いてないな
兄弟の方かな
兄弟は絶版だな
ドラマもVHSしか出てない
なかにしが許可しなかった可能性があるな 血の海で一番重要なのはここだろうな
秘密というのは満洲への想い、敗戦で日本に捨てられた事だろうな
中野のはずれの家で、実納子はギターを覚え、ピアノもいつの間にか弾けるようになっていた。
礼三は、長女よりも美納子の方と波長が合うらしく、何かにつけて可愛がった。美納子に肩を揉まれながら、歌を書くとはどういうことか、自分なりの秘密を話して聞かせていた。 >>919
中西美乃生としても楽しい思い出だったろうに
何もこの頃の事を書き残してなかったんだろうかねえ
なかにし礼はこの小説で主人公の兄に
思えば、あの頃が、戦後で一番楽しかった。
と言わせてるな
これがこの小説だけ残してた一因かもしれない 兄弟はAmazonの中古本でも値上がりしてるな
森田童子を知る上で基本書だから今のうちに買っておいた方がいい 「兄弟」にはみのぶ以外にもさらっと書かれてるが、色々な情報が詰まってるので歴史を読み解くと言うことに関しては他にない本だよ 20年以上前に出版された本に全て書き残して、最後のパズルのピースを死後出版したなかにし礼の演出に驚くよ これぞプロの書き手だと心底思うね >>919
長女の方は大学行ったのかな?
もしそうなら学生運動の話は長女から聞いた体験談かも >>924
童子の学生運動のソースはほとんどこれだと思うよ
井の頭線沿線のアパートの二人住まいとその後の別れも
「わたしが高校生のころ、親しかった、教育大の松本さんという先輩がいました……学園闘争が激しくて中退してしまいました。しかしお父さんが教育者だったので郷里にも帰れず……久我山のアパートで、男のひとと一緒に生活を始めたわけです。そこへ遊びに行くと……男のひとは恥ずかしかったのか、泉谷しげるの《春夏秋冬》のレコードをかけるわけです。……1年前に国電の駅で松本さんに会ったことがあります。いまは図書館に勤めて、ひとりで生活しているそうです。松本さんを思い出すと、つい《春夏秋冬》を口ずさんでしまいます……つぎの歌は《君は変わっちゃったネ》です」
ファンなら誰でも知ってるMCなのに
童子の学生運動神話を信じたい奴が多すぎる
童子は学生運動なんか大して興味ない
モデルの二人の背景としてそのまま使ってるだけだ
話に具体性がなさすぎてコミットしていたとは到底思えない 童子の関心ごとはパパが借金増やさないかなと、お婆さんが元気で居てくれる事と旦那の仕事が上手く行ってるのか位だよ
歌を作るのが趣味ってだけだもん
政治的関心なんて全然ないよ >>918〜>>926
あんた ひとりでなにブツブツつぶやいてるの?
あんたの居場所はあんたの立てたpart11だろ
そこで終夜つぶやいときなはれ >>927
はぁ〜?
俺が書いたのは>>921だけ
よって少なくとも俺以外に複数の人がいる
狂ったこと書いてるのはお前だけだよ キチガイジジイが一匹住み着いてます
スルーでよろしくお願いします >>925
永井某とかいう学者もその辺は懐疑的だな。 >>930
彼はかなり懐疑的だよね
既製品なんて言葉を使ってるから
>>925だって作り話の可能性あるから事実だと断じるのも問題だけど
この話に沿って、
さよならぼくのともだち
赤いダウンパーカー、ぼくのともだち
君は変わっちゃったネ
が作られてるのは確かだね
ただ一年前というのは、さよならぼくのともだちのリリースより後だ
だから久しぶりの再会モチーフは国電での松本さんとの再会以前にあった
さてどこまでフィクションなのか 歌詞の意味が読み込めてないですね
困ったもんだ
森田自身が危険な歌詞だと言ってるのにね 前田美乃生さんくらいの年代だと、中学高校のクラスの何人かはマルクス主義や学生運動に興味を持ち傾斜していたはず
だから友達の友達レベルでなら歌や語りの元ネタになるようなことはけっこう実際にあったんじゃないか
このあたりはキチガイ爺さんが同世代だろうから聞いてみたい
どうだい? そうじゃのう 中学 高校あたりでは さすがにマルクスは難しいだろうな
やはり新垣道子(後の森田童子)は教育大のA君の影響を受けたんじゃろ >>938
連合赤軍のあさま山荘事件で最年少だった加藤倫教氏は1952年生まれ
美乃生さんと同学年だね
だから知り合いで様々な経験を持つ人がいてもおかしくない
ご本人は直接に関わっていなくても
ちなみに加藤倫教は名古屋の東海高校出身
先月の共通テスト東大刺傷事件の犯人の先輩にあたる >>940
要するに森田童子も加藤氏と行動を共にした同士だと言いたいのですね
森田も運動に参加した可能性も出てきた >>941
あれは愛知の人でその後は山岳ベースだよ
警察に追われながらの極秘行動で
東京の少女とマルクス主義を議論する暇なんかない
そもそも本人が自分は学生運動含め何もしない人だったと言ってる
その事を振り返ってみてと夢想を描いてると >>939
俺は高校の頃マルクスを読んだぞ。
共産党宣言とドイツ・イデオロギーだった。
森田童子より一回りちょっと年下だけど別にクラスでは普通のことだった。
もっと難しい哲学本を読んでるやつもいた。
お前は偏差値の低い高校に通ってたのか。 キチガイ爺さんこのとはどうでもいいけど、森田童子も思想哲学関係には影響されてないね。
典型的な文学少女だったんじゃないか。
太宰治をモチーフに歌をいくつか作っていることでもわかるだろ。
十代で前田亜土と同棲を始めるような早熟だったのもそういう感性の持ち主だからだろう。 亜土は教育大のA君が自死した後あたりから童子につきまとい始めたんだよ 石原慎太郎に続き西村賢太まで逝ってしまった
どうなってるんだ? 本にはサングラスをしてない写真、引退後の生活とかは載るの? あの「血の歌」の写真 よく見たら童子の顔じゃ無いよ レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。