徳川慶喜は利発で家康公の再来とまで言われていた
周りの期待は大きく
13代家定が亡くなった後は慶喜を推す声も大きかったが家茂になる
15代で将軍職がまわってきた時は既に幕府を終わらせるのが慶喜の仕事として決まってた説もある
徳川家の地位をある程度守りながら(天皇の後見もしくは大臣職クラス)政権を天皇に返還するつもりだった
しかし薩長はあくまでも倒幕、打倒徳川にこだわった為戦争になった