西遊記の三蔵の従者は三人いるけど、これはシェイクスピアの道化が
スライフール、ビターフール、ドライフールの三様に分けられると
いう中橋一夫の説に対応しているのではないか?
シェイクスピアほど鮮明に描き分けてはいないものの、道中記におい
ての三種の道化の存在は西遊記の成立した時期からして、かなりの
独創ではないかな?
もっとも、俺は少年少女向けの『西遊記』しか読んでないんだがw

『浮き世床』では道化は三者以上、登場するが道中物では東海道中
膝栗毛での弥次喜多の2者以外、俺は知らないんだが。
道化と道中は道ということで共通しているが、ユーモアと移動、
あるいは不動は民俗学的、あるいは神話学的にはかなり興味深い問題
なのではないか?
道祖神が最も原初的なユーモアを代表してるのは無論だけど、
どうも日本のユーモアの道化には文字通り、「道」がついていて、
「彷徨う」が失われてる一方で、西洋や中近東のユーモアには
「彷徨う」が付いてる気がするんだな。それがドライフール
なのかも知れないが。