【尚武の】武士道&神風特攻隊【文化】
剣を失へば詩は詩ではなくなり、詩を失へば剣は剣でなくなる……こんな簡単なことに、明治以降の日本人は、
その文明開化病のおかげで、久しく気づかなかつた。大正以降の西欧的教養主義がこの病気に拍車をかけ、さらに
戦後の偽善的な平和主義は、文化のもつとも本質的なものを暗示するこの考へ方を、異端の思想として抹殺するに
いたつたのである。(中略)
以前から、終戦時における大東塾の集団自決が、一体何を意味するかといふことは、私の念頭を離れなかつた。
神風連は攻撃であり、大東塾は身をつつしんだ自決である。しかしこの二つの事件の背景の相違を考へると、
いづれも同じ重さを持ち、同じ思想の根から生れ、日本人の心性にもつとも深く根ざし、同じ文化の本質的な問題に
触れた行動であることが理解されたのであつた。
影山氏の「日本民族派の運動」を読む人は、かういふ氏の思想の根を知ることによつて、さらに興趣を増すことと
思はれる。
三島由紀夫「一貫不惑」より 氏はおそろしいほど実証的であり、歴史を正す一念において、博引旁証、及ばざるところがない。忘れつぽい
日本人から見ると、その点、却つて日本人離れがしてゐる。実に皮肉なことだが、神風連の事件そのものが、
純潔に自分の思想を守つて抵抗するといふ徹底性の点で、却つて西欧人に理解されやすい要素を含んでゐると
思はれるのと、このことは照応してゐる。西欧化した日本人が、西欧から学ばなかつた唯一のものこそ、
思想に対するこのやうな西欧人の態度なのである。(中略)
又、思想的立場を異にする花田清輝氏などに対しても、本書は公正な態度で、さはやかな記述をしてをり、その点、
思想上の敵に対して卑劣な悪罵の限りをつくす一部の左翼人の著書とは対蹠的である。(中略)
昭和の文学史は、あまりに多くのイデオロギッシュな歪曲や、眼界のせまい文壇人の文壇意識などによつて
毒されてきた。今後昭和の戦前戦中の文学について語る者は、必ず本書に目をとほすことなしには、公正な目を
養ふことができないであらう、と私は信ずる。
三島由紀夫「一貫不惑」より 申し訳ないけど大和特攻は犬死
せめて本土艦砲射撃に来る連合国艦隊に突っ込むべきだった アメリカ国籍の日本人も第二次世界大戦では、特攻した!
■442連隊とは、アメリカ最強の部隊
日系人442連隊があげた戦果が凄まじいものであると分かると、状況は一変した。
「個人勲章獲得総数18000個・全米軍部隊中 1位」
「累積死傷率320%・全米軍部隊中 1位」
「名誉負傷勲章獲得者6700名・全米軍部隊中(一人あたり平均2個) 1位」
という前代未聞の大記録であった。
この記録は大々的に公表され、アメリカ全土で広く報じられた。
同時に日系人が置かれた状況も広く報道され人々はアメリカの暗部を知る事となったのだ。
終戦後の混乱が一段落すると、時の大統領トルーマンは国民に向けてある演説を行った。
その内容は
「戦中、我々は日系人に対して不当な差別を与えてしまった。
これはアメリカ史における最大の汚点であり反省しなければならない過去だ。
それに気付かせてくれたのは442連隊の勇敢な日系兵士達であり、
彼等には特別の感謝の気持ちを伝えたいと思う」
といったものだった。
そして現在、
442連隊の戦史を学ぶ事は米国陸軍の必修課程となり、
多くの軍人が彼等の活躍を知る事になったのである。 ikipedia より抜粋
大西 瀧治郎(おおにし たきじろう、1891年6月2日 - 1945年8月16日)は旧日本海軍の軍人。
最終階級は海軍中将。兵庫県氷上郡芦田村(青垣町を経て現在は丹波市)出身。
海軍兵学校第40期生。「特攻生みの親」として有名ではあるが、
これが事実であるかは議論の余地がある(後述)。
日本の敗戦を見とどけると、8月16日、「特攻隊の英霊に曰す」で始まる遺書を遺して
割腹自決。遺書には特攻で散華した兵士達への謝罪と共に、
生き残った若者に対して軽挙妄動を慎み日本の復興、発展に尽くすよう諭している。
自決に際しては敢えて介錯を付けず、また「生き残るようにしてくれるな」と
医者の手当てを受ける事すら拒み、特攻隊員に詫びるために
夜半から未明にかけて半日以上苦しんで死んだという。享年54歳。
ある特攻隊員の談話としてこんな話を
何処かで読んだ。
特攻隊員(甲)おいこの特攻で勝てると思うか?
特攻隊員(乙)いいや、勝つ事は出来ないだろう。
特攻隊員(乙)そう言うお前はどうなんだ?
特攻隊員(甲)勝てるとは思わん。ただ、、、
特攻隊員(乙)「ただ」なんだ?
特攻隊員(甲)勝てなくとも、
「向う百年、どの国も日本に手出しできない」
と思わす事は出来る。
特攻隊員(乙)おう、そうだな。それだけでも意味があるな。 真珠湾攻撃に参加した飯田大尉は、
「もし不測の事態で帰還不能となったら、米軍施設に突っ込む」
と公言していた。
不幸にもそれが事実となり、彼の機は燃料が漏れを起こした。
飯田大尉は躊躇することなく、米軍の格納庫に突っ込んだ。
米軍は後に、「敵ながら天晴れ」と感銘しハワイの格納庫後に飯田大尉の記念碑を建てた。
特攻隊が設立される前から、
日本人は死ぬ時(人生)を見つけたのであった。 世界中の人々が
時として神風という
軍神になる日本人を恐れている
YOUTUBE“KAMIKAZE” の検索結果 約 5,310
http://www.youtube.com/results?search_query=KAMIKAZE&suggested_categories=10%2C27%2C1%2C22%2C25&page=1
Google KAMIKAZE の検索結果 約 9,830,000
http://www.google.co.jp/search?q=KAMIKAZE&rlz=1I7DAJP_ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&sourceid=ie7&redir_esc=&ei=jNbFS_6kFtCGkAWLxNWPDg
神風をいくら貶めようとも
世界中で神風と書いた鉢巻きや
音楽のジャケットに描かれたり
一部の卑怯な自爆テロを神風に例えたり
世界各地にその記念碑があったり
映画で日本人の死を持って高潔さを保つことの例えとされたり
畏怖畏敬され、驚きや驚異として
語り継がれているのは
それだけ、特別なことだったんだろう
良くも悪くも
世界から日本人の資質として認識され
称賛と賛辞として
世界から「神風」は語られる。 ラフカディオ・ハーンは言っていた
日本は死の国であると
日本人は簡単に死という言葉を使う
死んでもやる
必死になる
死ぬ気でやる
決死の覚悟
死して名を建てる
桜は刹那の命を比喩している
ぱっと咲いて、数日で一斉に、はらはらと散っていく
そこに日本人は「もののあはれ」と「潔さ高潔さ」を見出した
屈するより、死して抗うこと
せめて一矢報いることを
良しとしたのである。 昭和二十年八月一五日正午、その日は天文台によると三十三度で特に暑かった。
突然「第二種軍装(夏用麻製仕立)ノ正装ニテ至急整列スベシ」との館内モールス信号で校庭に集合し直立不動で
汗を流しながら待つ我々帝国海軍機関学校最後の海機五十八期生(昭和二十年に海軍兵学校と合併)は、最後の
帝国海軍将校生徒として整列しラジオから流れる玉音放送を聞いた。
海軍機関学校の入学試験の体格検査で七十五センチだった胸囲が入校後の猛訓練と猛鍛錬で僅か三ケ月で
百四センチになった巨大な胸が歴史上初めての玉音放送に大きく高鳴った。
しかしラジオの雑音が多く、よく聞き取れない。
「本土決戦が近いので頑張るようにとの天皇陛下御自らの激励のお言葉」と全員が受け取った。当時の日本人は
全国民が「歴史上敗れたことがない神国日本は最後には必ず勝つ」と信じており、全国民誰一人として日本が
負けるなどと考える者はいなかった。特に軍は全軍士気旺盛だった。
〜続く〜 現に私のいた舞鶴軍港は二十四時間軍艦を造るリベット音が絶えず、食糧、武器、弾薬が豊富で、いつでも敵を
迎え撃つ準備が連日連夜進められていた。
会原爆研究については陸軍が東京帝大の仁科博士と理研に開発を依頼した「二号研究」 (海軍は京都帝大と
「F研究」)として行い濃縮ウランは海軍が潜水艦でドイツから運ぶ手配がされ、出来た原爆の第一弾を
ハワイに落とす作戦を杉山参謀総長は陛下に上奏したが、陛下は「原爆という非道なものは使うべきでない。
特にハワイには日本人が多いので却下する。」となり杉山参謀総長は解任され、東條首相が参謀総長を
兼務することになった経過がある。
この様に非人道的爆弾と陛下が認識されていたものを日本に落とされたのだから陛下の衝撃は大きく終戦する一つの
きっかけになったと思われる。
〜続く〜 しかし杉山参謀総長は、原爆開発を継続したのだ。軍人は戦争に勝つために打てる手を全て打とうとする。
しかしそれは陛下の御意向に反しているので原爆を造って勝っても、原爆を造らずに敵に原爆を使われて負けても、
いずれの場合にも杉山参謀総長の責任なので切腹すると誓い終戦直後に切腹した。元来日本は武士道を基に
戦争を行ってきたのである。
陛下は米の原爆に対し非道だと禁じた原爆で応じたのなら「人類の文明が滅亡する」と終戦を御聖断された。
米が原爆を落とせば日本もこれに応じて米に原爆を落とす。このことによって日米の多数の人が死に、この原爆戦争が
世界に及び世界中の人が死ぬ。これを防ぐために米が日本に原爆を落とした時点で終戦にされたのであって、
日本が原爆を落とされたから、または負けたので終戦にしたのではない。日本は負けていないのに終戦したのである。
中松義郎博士 特攻機というのは途中で艦載機に発見されたら空中戦をせずに
やられっぱなしですか? 戦後、文化の問題の偏頗な扱ひは、久しく私の疑惑を培つて来た。戦争について書かれた作品で、文学作品として
後世に伝へられる資格を得たものは、悉く文学者の作品である。餅は餅屋であるから、もちろん文章は巧い。
文学的な深みもあり、普遍的な説得力もある。しかし、いかんせん、その個人的な戦争体験は限られてをり、
戦闘に参加する前から文筆の人であつた者の目に映じた戦争は、どんなに公平を期しても、そこに自ら視点の
限定がある。いかなる大戦争といへども、個々人にとつては個人的体験であることは当然だが、同時に、そこには、
純戦闘員による戦争の真髄が逸せられてゐたことは否めない。
誤解のないやうに願ひたいが、私は、文学者の書いた戦記が、体験のひろがりと切実さを欠いてゐる、と非難して
ゐるのではない。ただ、あの戦争に関する記録乃至創作を、純文学的評価だけで品隲することは、実は、もつと
大きな見地からは、非文学的、ひいては非文化的行為ではないか、といふ疑問を呈したのである。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より その好例がこの「戦塵録」である。これがいはゆる文学作品を狙つた記録でもなければ、文学的素養ゆたかな人の
作物でもないことは、一読すでに明らかである。しかしここに描かれてゐるのは、大きな一つの文化及び文化様式の
終末の悲劇なのである。
わけても貴重なのは、筆者が戦闘機乗りとしての純戦闘員であり、戦争の最先端の感情と行為を体験し、又、
一人の若者であつて、純情な恋愛とその愛別離苦を身にしみて味はひ、且つ、戦争の終末とその終末に殉じた人たちの
最期に立会つたといふことである。行為者にして記録者であること、青春の人にして終末の立会人であつたこと、
……このやうな相矛盾する使命をこの人に課したのは、おそらく歴史のもつとも生粋のものを後世に伝へようと
はかられた神意であるにちがひない。
今にして思へば、私は、戦後文化の復興者であらうと自負した人たちの近くにゐすぎた。そこにゐたのは、必ずしも
私の責任ではないが、そこにゐて感じた反撥の数々は、却つて私をして文化と歴史の本質について目をひらかせて
くれたとも考へられる。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より すなはち、昭和二十年八月、身を以て、日本文化の伝統的様式を発揚し、日本の純にして純なる文化の終末を体現し、
そこに後世に伝へるべき真の創造を行つたのは、いはゆる文化人ではなくて、「戦塵録」に登場する、若い
戦士だつたのであり、自刃して行つた矜り高い武人たちだつたのである。戦後の文化人は、そこにもつとも重要な
文化の問題がひそむことを理解せずに、浅墓な新生へ向つて雀躍したのである。残念ながら、私もその一人で
あつたと云はねばならない。「戦塵録」の著者ならびにその戦友たちは、若き日を、戦ひ、死に直面し、
絶対的なものについて思惟し、しかも活々と談笑し、冗談を飛ばし、喧嘩をし、異国の美女に心を惹かれ、
明日をも知れぬ恋を体験し、……そのやうに十分に生きた上で、ひとりひとり、いさぎよく散つてゆく。冒頭の
人名の上に引かれた赤線は、かれらの名を抹消するのではなく、かれらの名を不朽のものにするのである。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より そして、選局逼迫の只中にも句会を催ほし、死に臨んでは辞世を作る。日々日本刀の手入は怠りなく、そこには、
日本人に対する日本文化の「型」が与へた最後の完璧な強制とその達成があつた。もちろんかれらは、強制されて
句を作り辞世を詠んだわけではない。しかし文化の本質とは、その文化内の成員に対して、水や空気のやうに、
生存の必須の条件として作用して、それが絶たれたときは死ぬときであるから、無意識のうちに、不断に強制力を
及ぼす処のものである。それこそは文化であり、このやうな文化を理解しなくなつたところに、戦後の似而非文化は
出発したのである。戦士たちの死の作法そのものが文化であるやうな文化の、最高度の発揚とその終末を、
「戦塵録」ほど、みごとに活々と語つてゐる本はなく、その点でいはゆる文学作品をはるかに凌駕してゐる。
では果して、日本文化は滅びたのか? 私は、ここには、反時代的なその「型」の復活の衝撃によつてのみ、
蘇生の可能性をのこしてゐる、とだけ言つて置かう。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より 「戦塵録」は、もとより意図して、文化の発揚と終末を語つたものではない。それは伝来の規律正しい簡潔な
「軍隊の文体」で語られた記録であり、すべてが「型」の文体であるから、そこには人間心理の発見などといふ
ものではない。戦闘状況は巨細に述べられるが、強ひて迫力を加へようとした抒述はない。(中略)
平凡な抒述であるだけに却つて深い真実に迫つてゐる。戦闘の場面と、これら恋愛の場面と、最後の自決の場面が、
「戦塵録」の三つのクライマックスであることは明らかである。
私はその上に、ただ一行、いつまでも心に残る個所をあげておきたい。それは私がそのやうな青空を同じ時期に
日本でも見てゐるからであり、又、今を去る数年前、同じ青空を、現地カンボジアで見てゐるからでもある。
昭和二十年六月二十五日、死を決した著者は、スコールのあくる日の大空、「手を伸せば指の先が藍色に染って
しまひそうな」ほど鮮やかに澄んだ熱帯の空を眺めて、次のやうな一行の感想を心に抱くのである。
「此の大空、果てしない碧空にこそ凡ての真理を包蔵して居るのではなからうか」
三島由紀夫「『戦塵録』について」より 自主独立の問題一つとつても、戦前の「自主独立」の日本が、軍縮会議以来、いや三国干渉以来、絶えず列強の
干渉によつて軍縮に対するチェックを受け、それによつて国内世論が、沸騰してきたことを考へると、日本のやうな
地理的要衡の、一定の経済力と一定の軍事力しか持ちえない小国が、条約下にあらうがあるまいが、国際同盟の
参加国であらうがあるまいが、外力の影響によつて左右されるのは宿命的だと思はなければならない。
(中略)
抵抗とは遊戯ではない。完全無防備の抵抗といふものがもしありうるならば、その最有力な例をとり上げて
指摘するならともかく、それが成功するかしないかの時点で、それを無防備的抵抗の良きお手本とすることは、
それ自体が国家を否定し、民族の自立を否定する思想であると言はなければならない。
三島由紀夫「自由と権力の状況」より (中略)
無益な武力的抵抗によつて、国家主権を奪はれるくらゐなら、流血の惨を避け、秩序を保つて表面的に妥協を
受け入れ、国家の存立をはかつたはうがよい、といふならば、非武装抵抗の利点は、一つは血を流さないですんだ、
といふことと、一つは国家の主権が曲りなりにも保たれたといふことでなければならない。
しかし、それはあくまで「非武装抵抗」の利点であつて、「非武装」の利点ではない。非武装(チェコは事実上
非武装国家ではなかつたが)それ自体は、強大な武力に対して何らの利点を持ちえないことは明らかである。
武力抵抗の反対概念は、非武装そのものではなく、非武装抵抗といふことであらう。
三島由紀夫「自由と権力の状況」より そして非武装抵抗の存立条件は、国民の結集した否(ノン)にしかなく、又、陰に陽にサボタージュその他で
抵抗する他はないが、次に来る段階は、非武装抵抗ですら血を流さずには有効性は発揮しえぬ、といふ段階であり、
又、国家の主権が曲りなりにも保たれても、その国家権力の実質的な主導権を奪はれるといふ状況をすでに
容認するならば、そのあとで、実質的な主導権を奪ひ返さうといふ抵抗は、抵抗の最初の論理的根拠を欠くことになる。
なぜなら、われわれが抵抗の手段の選択を迫られたとき、その一方(すなわち非武装)によつて、論理的に
一貫するならば、敵をすでに受け入れた己れの状況に対する抵抗とは、われわれ自身に対する抵抗に他ならなく
なつてしまひ、抵抗の論理は自らの身を喰ふものになるからであり、つひには抵抗それ自体が成立たなくなる
からである。そのとき、われわれは、非武装抵抗の利点が一つもない地点に立つてをり、「非武装抵抗」と
「非武装」とは同義語になり、つひには敗北主義の同義語になるのである。
三島由紀夫「自由と権力の状況」より 私は、ごく簡単に言つて、青年に求められるものは「高い道義性」の一語に尽きると思ふ。さう言ふと、バカに
古めかしいやうだが、道義といふのは、青年の愚直な盲目的な純粋性なしにば、この世に姿を現はすことはないのである。
老人の道義性などといふのは大抵真っ赤なニセモノである。
私がいつも思ひ出すのは、二・二六事件で処刑された青年将校の一人、栗原中尉のことである。(中略)
中尉の部下だつた人から直接きいた話であるが、あるとき演習があつて、小休止の際、中尉の部下の一上等兵が、
一種のアルコール中毒で、耐へられずに酒屋へとび込んでコップ酒をあふつてゐた。そこへ通りかかつた大隊長に
詰問され、所属と姓名を名乗らされたが、その晩帰営すると、大隊長は一言も講評を言はず、全員の前で、
その兵の名をあげて、いきなり重営倉三日を宣告した。
中尉は部下に、その兵の演習の汗に濡れたシャツを取り換へさせるやう、営倉は寒いから暖かい衣類を持つて
行かせるやうに命じた。それからなほ三日つづいた演習のあひだ、部下たちは中尉の顔色の悪いのを気づかつた。
存分の働きはしてゐたが、いかにも顔色がすぐれなかつた。
三島由紀夫「現代青年論」より あとで従兵の口から真相がわかつたが、上等兵の重営倉の三晩のあひだ、中尉は一睡もせず、軍服のまま、
香を焚いて、板の間に端座して、夜を徹してゐたのださうである。
釈放後この話をきいた兵は、涙を流して、栗原中尉のためなら命をささげようと誓ひ、事実、この兵は二・二六事件に
欣然と参加したさうだ。
青年のみが実現できる高い道義性とは、かういふことを言ふのである。第一、老人では、いくらその気があつても、
三日も完全徹夜をした上で走り回つてゐたら、引つくりかへつてしまふであらう。
二・二六事件が右寄りの話で面白くないといふのなら、左翼の革命運動も、青年がこれに携はる以上、高い道義性の
実現なしには、本当に人心を把握できないと私は信ずる。チェ・ゲバラは革命家の禁欲主義を唱へ、強姦の罪を
犯した愛する部下を涙をのんで射殺したが、これはゲバラが革命の道義性をいかに重んじたかの証左であつて、
毛沢東の「軍事六篇」もこの点をやかましく言つてゐる。
三島由紀夫「現代青年論」より …一学生の万引き事件、日大紛争における暴力団はだしの残虐なリンチ事件、……これらは学生による政治活動から、
道義性が崩壊してゆくいちじるしい事例である。あとには目的のためには手段をえらばない革命戦術が残つてゐる
だけである。一見、平和戦術をとつてゐる一派も、それ自体が戦術であることが見えすいてゐて、何ら高い道義性を
感じさせることはない。
ここまで青年を荒廃させたのは、大人の罪、大人の責任だ、といふのが、今通りのいい議論だが、私はさう考へない。
青年の荒廃は青年自身の責任であつて、それを自らの責任として引き受ける青年の態度だけが、道義性の源泉に
なるのである。
私の知つてゐる青年たちの中には、たしかに立派な青年もゐる。信ずるに足る青年もゐる。私の知つてゐる
非青年五十人と、青年五十人と公平に比べると、大した差はみとめられない。日本人が全部堕落してゆくとは
とても信じられない。しかし、私は、青年をおだて上げておいて、自分は左ウチハで暮さうといふ気はみぢんも
ないから、無理を承知で自分も青年と一緒にかけまはつてゐるのである。
三島由紀夫「現代青年論」より >>223
爆弾積んでるから夢中な旋回はできない。
簡単に表現すれば
木で作った構造体の下に鉄アレイをぶら下げた場合と
S45Cで作った構造体の下に鉄アレイをぶら下げた場合
大きく振り回せばどっちが壊れるかは想像し易い。 講談も時代劇も衰退しきった上に改悪されまくってかろうじて生き残ってて
それさえ見ないのが若い世代で普通になってる、そんな環境で
武士や武士道を語るのは果てしなくめんどくせえw 渡邉恒雄 そして、それよりも何よりも、特攻攻撃がどんどん始まるわけです。
特攻に行くのは、最初は長男は許された。長男はいい、次男はいけ、
というわけだ。それがそのうちに長男も次男もなくて、志願するも
のは一歩前へ出ろ。一歩前へ出ると、それはもう明日には死ぬわけ
だ。出ないやつは助かるが、あとでボコボコにやられるわけです。
それで、そんなにやられるならおれも一歩前だ、と出る。当時ニ
ュース映画で特攻隊出撃の場面を見た。勇んで行くどころか、皆
首を垂れ、うなだれたような悲哀を感じさせる姿としか思えなかった。
田原 そういうことですか。
渡邉 だから、強制ですよ。暴力による強制。
田原 お国のためとか、天皇のために、特攻に出たんじゃない。
渡邉 とんでもない。ほとんど暴力による強制です。この間、僕は政治家た
ちに話したけど、NHKラジオで特攻隊の番組をやった。これがよく
やったと思う番組でね。兵士は明日、行くぞと。その前の晩に録音し
たもので、みんな号泣ですよ。うわーっと泣いて。死にたくないって。
戦時中、よくこんな録音を放送できたと思う。
田原 あ、そんな録音がとってあった。
渡邉 特攻隊の死ぬ前の晩の声。勇んでいって、靖国で会いましょうなんか信
じられているけど、ほとんどウソです。
田原総一朗責任編集『オフレコ!』(アスコム)2005年 Vol.1 リアル武士道「煩悩シュレッダー(Shredder House)」Suicide control program (後半グロ注意)
http://www.youtube.com/watch?v=fUWWvuynfYI
そもそも武士の家系じゃない奴が武士道とかちゃんちゃらおかしい。 ★アンドレ・マルロー(フランス 元文化相)
「日本は太平洋戦争に敗れはしたが、そのかわりに何ものにも替え難いものを得た。
それは、世界のどんな国も真似のできない特別攻撃隊である。スターリン主義者たちにせよ、
ナチ党員にせよ、結局は権力を手に入れるための行動だった。
日本の特別攻撃隊たちは、ファナチックだっただろうか。断じて違う。彼らには、
権勢欲とか名誉欲など、かけらもなかった。祖国を憂える尊い情熱があるだけだった。
代償を求めない純粋な行為、そこには真の偉大さがあり、逆上と紙一重のファナチズムとは
根本的に異質である。人間は、いつでも、偉大さへの志向を失ってはならないのだ」
★アーノルド・J・トインビー(イギリス 歴史学者)
「第2次大戦において日本人は日本の為というよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々の為に
偉大なる歴史を残したといわねばならない。その国々とは日本の掲げた短命な理想であった
大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
日本人が歴史上に残した業績の意義は西洋人以外の人類の面前においてアジアとアフリカを
支配してきた西洋人が過去200年の間に考えられていたような不敗の半神でないことを
明らかに示した点にある」
(1956年10月28日/英紙「オブザーバー」)
日本とは何か、といふ最終的な答へは、左右の疑似ナショナリズムが完全に剥離したあとでなければ出ないだらう。
安保賛成も反共も、それ自体では、日本精神と何のかかはりもないことは、沖縄即時奪還も米軍基地反対も、
それ自体では、日本精神とかかはりのない点で同じである。そしてまたそのすべてが、どこかで日本的心情と馴れ合ひ、
ナショナリズムを錦の御旗にしてゐる点でも同格である。「反共」の一語をとつても、私はニューヨークで、
トロツキスト転向者の、祖国喪失者の反共屋をたくさん見たのである。私は自民党の生きる道は、真の
リベラリズムと国際連合中心の国際協調主義への復帰であり、先進工業国における共産党の生きる道は、
すつきりしたインターナショナリズムへの復帰しかないと考へる。真にナショナルなものは、そのいづれにも
本質的に欠けてゐるのである。
真にナショナルなものとは何か。それは現状維持の秩序派にも、現状破壊の変革派にも、どちらにも与(くみ)しない
ものだと思はれる。
三島由紀夫「『国を守る』とは何か」より 現状維持といふのは、つねに醜悪な思想であり、また、現状破壊といふのは、つねに飢ゑ渇いた貧しい思想である。
自己の権力ないし体制を維持しようとするのも、破壊してこれに取つて代らうとするのも、同じ権力意志の
ちがつたあらはれにすぎぬ。権力意志を止揚した地点で、秩序と変革の双方にかかはり、文化にとつてもつとも
大切な秩序と、政治にとつてもつとも緊要な変革とを、つねに内包し保証したナショナルな歴史的表象として、
われわれは「天皇」を持つてゐる。実は「天皇」しか持つてゐないのである。中共の「文化」大革命に決定的に
欠けてゐる要因はこれであり、かれらは高度な文化の母胎として必要な秩序を、強引な権力主義的な政治的秩序で
代行するといふ、方法上の誤りを犯した。文化に積極的にかかはらうとしない自由主義諸国は、この誤りを
犯す心配はない代りに、文化の衰弱と死に直面し、共産主義諸国は、正に文化と政治を接着し、文化に積極的に
かかはらうとする姿勢において、すでに文化を殺してゐる。
三島由紀夫「『国を守る』とは何か」より (中略)
最近私は一人の学生にこんな質問をした。
「君がもし、米軍基地闘争で日本人学生が米兵に殺される現場に居合はせたらどうするか?」
青年はしばらく考へたのち答へたが、それは透徹した答へであつた。
「ただちに米兵を殺し、自分はその場で自決します」
これはきはめて比喩的な問答であるから、そのつもりできいてもらひたい。
この簡潔な答へは、複雑な論理の組合せから成立つてゐる。すなはち、第一に、彼が米兵を殺すのは、日本人としての
ナショナルな衝動からである。第二に、しかし、彼は、いかにナショナルな衝動による殺人といへども、殺人の責任は
直ちに自ら引受けて、自刃すべきだ、と考へる。これは法と秩序を重んずる人間的倫理による決断である。
第三に、この自刃は、拒否による自己証明の意味を持つてゐる。
三島由紀夫「『国を守る』とは何か」より なぜなら、基地反対闘争に参加してゐる群衆は、まづ彼の殺人に喝采し、かれらのイデオロギーの勝利を叫び、
彼の殺人行為をかれらのイデオロギーに包みこまうとするであらう。しかし彼はただちに自刃することによつて、
自分は全学連学生の思想に共鳴して米兵を殺したのではなく、日本人としてさうしたのだ、といふことを、
かれら群衆の保護を拒否しつつ、自己証明するのである。第四に、この自刃は、包括的な命名判断
(ベネンヌンクスウルタイル)を成立させる。すなはちその場のデモの群衆すべてを、ただの日本人として包括し、
かれらを日本人と名付ける他はないものへと転換させるであらうからである。
いかに比喩とはいひながら、私は過激な比喩を使ひすぎたであらうか。しかし私が、精神の戦ひにのみ剣を使ふとは
さういふ意味である。
三島由紀夫「『国を守る』とは何か」より いま蘇る特攻の精神
このままでは日本は亡国の道を歩むしか手段はない
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大野俊康『特攻魂のままに』(展転社)
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著者の大野氏は元靖国神社宮司。学徒出陣し特攻で多くの戦友を失った。祖国の再建のためには英霊を顕彰し、その志を継いで靖国のこころを回復させ、
本物の日本人にわれわれは回帰する必要がある。そうしなければ祖国は再建できないという信念で全国を講演して歩いた。
『靖国之宮』という歌がある。
正気凜たり靖国の宮
祠前に拝跪して思い窮りなし
偉勲千載何ぞ鎖滅せん
新日本は生きる偉烈の中
現在日本は凜としなくなって外国からさげずまれ、若者に怯懦がはびこり、国体は顧みられず、政治は腐敗して「政権ごっこ」の子供らと宇宙人と
「小さな小さなファシスト」に壟断された。正気が失せた。
大野宮司は三島由紀夫の『行動学入門』のなかに次の記述を見つけ出した。
「オーストラリアで特殊潜水艇が敵艦に衝突寸前に浮上し、敵の一斉射撃を浴びようとしたときに、月の明るい夜のことであったが、
ハッチの扉をあけて日本刀を持った将校がそこから現れ、日本刀を振りかざしたまま身に数弾をあびて戦死したという話が語り伝えられているが、
このような場合にその行動の形の美しさ、月の光、ロマンティックな情景、悲壮感、それと行動様式自体の内面的な美しさとが完全に一致する。
しかしこのような一致した美は人の一生に一度であることはおろか、歴史の上にもそう何度となくあらわれるものではない」(『行動学入門』)
この文章を前提に大野宮司は論を進めた。
「この海軍将校こそ殉忠・菊地一族の流れをくむ熊本県山鹿市出身の軍神・松尾敬宇中佐」であることを確かめた氏は、その後の逸話を披露する。
豪海軍は、この大胆不敵なる日本軍人に「深く感銘し」、沈んだ潜水艇を引き上げた豪州海軍は「廷内から収用した四勇士を海軍葬の礼をもって弔った」
敵の軍人を葬る必要なしという豪世論を前に、往時の豪海軍シドニー港司令官グールドは、かく反論したという。
「勇気は一特定国民の所有物でも伝統でもない。これら海軍軍人によって示された勇気は、誰によっても認められ、かつ一様に推奨せらるべきものである。
これら鉄の棺桶に入って死地に赴くことは、最高度の勇気がいる。これらの勇士が行った犠牲の千分の一の犠牲を捧ぐる準備のある豪州人が幾人いるのであろうか」。
そして戦死から二十六年を閲し、豪海軍は勇士をたたえる記念碑を建立した。松尾の母は八十三歳の老婆となっていたが、けなげにも
慰霊をかねて豪を訪問した。そこで豪の新聞は書いたのだ。
「勇士の母、きたる」
「勇士の母は詩人」
豪は十日間の老婆の訪問を歓迎した。
最初から最後まで涙なくしては読み通せない。
必ず死ぬ作戦立て過ぎな参謀共を擁護する奴の多いこと多いこと
だったらお前が行け!芙蓉部隊美濃部少佐 珍風特攻隊をマンセーする低学歴底辺wwwwwwwwwwwwwwwww 武士道なんて存在しなかったのになw
あんなパクリを日本の文化なんて恥もいいとこ >>3
>神風特攻隊のメンバーは、ほとんど例外なくその先祖が武士だったのだよ。
つまり、大東亜戦争敗戦によって日本人は遺伝子改造を受けた。
現代人と敗戦前の日本人は異なった遺伝子プールを持つ。
すなわち、武士・侍は大東亜戦争で滅びた。 >>4
フランス、ドイツ、イタリア、日本は手を結べる。
>>10
藤岡弘を笑い飛ばせるのは本物の古流武術家だけですよ?
全国に百人もいないでしょう。 山本五十六は言ってるじゃないですか、一年ぐらいはもつって。
勝った勝ったでいくだろうと、だけど後はもう知らんて。
そしたら天皇はそれでもいいからやれちゅーわけですよ、やらないと自分の身が危ないと。
スキャンダルをみなばらされて全部失うと、スイスに貯めた金も失うと。
なぜ石油があったか考えてみたことありますか。
これはですね戦争のときに、アメリカは日本には石油を売らないと。
ところがパナマ国籍の船ならば、石油を積んでいって日本に売っても自分達は攻撃できない。
というような理屈で日本に石油を間接的に売るわけです、本当の話です。
でこれに三菱が作った昭和通商という会社がそれを引き受けるわけです。
で昭和通商と三菱は同じですけど、そこでまずいので日本水産という会社が代行するわけです。
魚を運ぶということではなくて、魚の代わりに石油をパナマ国籍からもらって持って帰るので、
戦争は長引くわけです、太平洋でいっぱい戦争しました。
あれはアメリカの石油をもらって、
アメリカの石油を使った軍隊と戦争ゴッコをやったっちゅーことですよ。
そしてある時になってもう石油をやらないという時に、天皇は気がつく。
ああ遂に終わりがきたかと、これが真相なんですよ。
http://www.youtube.com/watch?v=eugXzHoKnes
中曽根が自分の『天地有情』の中にも『回顧録』の中にも書いてます。
俺はCIAのテストを受けた、英語もあった、論文も書いた、パスした。
自分から進んでCIAのテストを受けたちゅーことですね。
それで彼はアメリカに派遣されます、で中曽根は自分で自慢げに書いてますけど、
色んな原子力発電所の法律は俺がみんな作ったってね、野党改進党です。
自民党、自由党時代で、その野党の若造が作れるはずがない。
そこの背後にCIAがみんな絡んでます。http://www.youtube.com/watch?v=TuVjmXdufS4
日本の電気料金は世界の電気料金の三倍なんです、三倍ですよ、でまだこれから上がります。
彼らはみんな太ったわけです、だから自民党の政治家も民主党の政治家も、
ほとんど反対しないじゃないですか、今でさえ反対の声上げないじゃないですか。
ここまで福島の人が苦しんでいるのに何をやってるんだと。
http://www.youtube.com/watch?v=3glGABd52fk 安楽死党
生きるも死ぬも自分で決める
日本でも安楽死制度の創設により将来の不安を軽減する
安楽死って言う制度はどんな保険よりも安心感が持てると思いませんか?
http://www.youtube.com/watch?v=8nU2UaSlGx0 >大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな
>島本町って町は、暴力といじめの町なんだな
子供の時に受けた酷いイジメの体験は、一生癒えない後遺症になるなあ 取材に応じた元特攻隊員は11人。
重爆撃機や戦闘機のほか、潜水服を着ての「人間機雷」まで、
担当した兵器は様々だが、いずれも目標に達する前に撃ち落とされたり、不時着したり、
搭乗するはずの航空機がなくなったりと、偶然の積み重ねで生き延びた人達の真実の証言集。
http://www.yomiuri.co.jp/otona/news/20140122-OYT8T00325.htm
「せっかく生まれたからには、明るく楽しく、
他人の命も自分の命も同じように大切に生きる、
それが一番幸せなことだと思います。
人間独りじゃ生きられない、
周囲の大勢の人のお陰で楽しく生かされて生きているんです。
それを忘れてはなりません。
お互いに助け合って生きていることを、
今の人たちは理解していないのではないでしょうか。
自分の命を本当に生かしたいのなら、
他人の命を生かす努力をすることです。
自分を支える周囲の人々への感謝の気持を、
どうか忘れないでいて欲しいですね」
…………前村 弘[陸軍第三〇戦闘飛行集団・飛行第六二戦隊・陸軍特幹1期候補生] 気風は良くなるが打者出身の監督はなかなか大成しない 朝日住宅は日曜日以外毎日8時から18時過ぎまで長期間に渡って周囲に騒音をまき散らさないように
配慮して工事する金儲けより公共の利益を重視するすばらしい会社です 祖父は特攻隊の生還者なのですが、高齢で92になります。体も頭も健康なのですが何時他界してもおかしくありません。質疑応答で戦争時の記録を何とか残したいと思ってるのですが、どんな質問を投げかければいいでしょうか
よろしくお願いします >>271
●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 821
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1405868551/
このスレは人が少ないから、上のスレですることをお勧めするよ。 ほとんど、若者にだけやらせたね
高官は命令だけしてヌクヌク高みの見物
これが日本の武士道w 【社会】神風特攻隊から70年 元婚約者(95)「あの人たちは何のために死んだのかしら。今の日本を見ると、かわいそうで仕方がない」
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1414248276/ >>275
●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 826 [転載禁止]©2ch.net
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1414842597/
スレが移行したよ。
>>277
【社会】神風特攻隊から70年 元婚約者(95)「あの人たちは何のために死んだのかしら。今の日本を見ると、かわいそうで仕方がない」
スレが落ちたよ。 >>278
●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 827 [転載禁止]©2ch.net
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1416045834/
スレが移行したよ。 >>165-177,180-182,184-195,198-203
本来の古流剣術の竹刀稽古では掛け声は出しません。
シャウト効果よりデメリットのほうが大きかったからです。 わかる気がする
柔術でも稽古の際は奇声を発したりしない >>279
●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 829 [転載禁止]©2ch.net
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1418882231/
スレが移行したよ。 >>284
●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 830 [転載禁止]©2ch.net
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1420267550/
スレが移行したよ。 >>285
●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 831 [転載禁止]©2ch.net
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1421982600/
スレが移行したよ。 >>286
●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 832 [転載禁止]©2ch.net
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1423293969/
スレが移行したよ。 >>287
●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 833 [転載禁止]©2ch.net
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1424442943/
スレが移行したよ。 これまでの意見をまとめると
これが正論
特攻攻撃はサイパン失陥後戦争指導部で体系的実施を本格的に計画されたが
特攻攻撃が通常攻撃の数倍の効果を持つことは戦略爆撃団調査報告からも明白
要するに通常攻撃は機材・要員訓練・編成いずれも資源と時間のムダである
であれば日本の戦争指導部はもっと早くから
すくなくともサイパン防衛戦の時期までに大規模な特攻攻撃部隊を準備すべきであった
マリアナ邀撃戦でまだ初期構築段階の米機動部隊の邀撃能力を飽和させるのである
これにより生産・訓練・編成も特攻攻撃に最適化できる
日本軍の伝統はこのような計画を即座に実行し熱意をもって遂行するであろう 米海軍機動部隊の邀撃能力は史実のマリアナ沖海戦時ではぎりぎりの状況
もう一押しすればよかった
米海軍が特攻機に手を焼いたのはCAPとピケットラインを突破してから
高速で突入してくる事
これはニミッツの戦記にも明言されている
通常攻撃の場合は投弾コースを妨害すれば良いが特攻攻撃は撃墜するまで安心できない
より遠くでより確実に仕留めなくてはならない
ボフォース40mmの間合いで漸く撃墜できたケースは無視できない
このためカミカゼ対策として初期上昇力の良いF2Gの開発やリーチの長い3インチ両用砲への移行を強いる
沖縄戦までに特攻戦術は編成、接敵、突入方法、いずれも洗練されている
優良機に搭乗した熟練搭乗員が制空部隊となり訓練時間の短い特攻要員が突入を図る
練習機特攻は単に訓練時間30時間の練習機過程を卒業した搭乗員が操縦できるのが
練習機であるという合理的な理由による
もちろん対機動部隊攻撃に高速機が必要なら例えば四式戦などを積極的に用いている
さて源田實はサイパン失陥後
編成中の陸軍四式戦部隊を空母に乗せることも含め日本陸海軍の航空打撃力を総動員して
奪回作戦を実施せよと言った
どのみち絶対国防圏を突破されれば時間の問題なのである
これを特攻戦力を用いてマリアナ海戦時に実施すべき
戦後のソ連海軍が案出した長射程高速対艦ミサイル群による米機動部隊に対する飽和攻撃
その先駆をマリアナ沖で目の当たりにすることができたであろう http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/touch/20070907/1189162993
私はあるとき上司であった源田大佐についての「ご意見」を伺ったのだが、志賀少佐も他人の評価は慎重になさる方で決して誹謗することはなかった。
御子息の志賀元次氏が文春に次のように書いておられる。
「私が一番驚いたのは、松山第343空の飛行長として、「紫電改」に乗って本土防衛戦を展開していたときのエピソードです。
部下の零戦隊から特攻隊志願者を差し出すように、高級幕僚から命令されたのですが、断ったのです。
さらに「どうしてもというなら自分が行くから上官たちもみんな後に続いて特攻してくれ」と言い放った。
それは上司だった源田実さんなども含めてのことでしょう」
この一説を読んで、私はその時のエピソードを思い出した。
私が直接伺った話とは若干ニュアンスが異なっているが、私は「源田大佐とはどんな上官でしたか?」と伺ったのである。
ちょっと考えた志賀少佐は
「終戦も近づいたある日、源田司令から呼び出され『大本営からこんな指導が来ているがどう思うか』と聞かれました。
それは松山空も特攻作戦に参加すべし、という内容だったのです。
そこで私は『喜んで行きましょう。ただし条件があります。
帝国海軍の伝統は指揮官先頭です。私は勿論行きますが、先頭には是非司令が立っていただきたい』と言ったのです。
司令は黙っておられましたが、その後松山空には特攻作戦参加命令は来ませんでした。これでお分かりでしょう?」 >>291
【佐藤守が自演してまで源田実の虚偽の中傷を流している理由】
志賀淑雄少佐の証言 (NHK-TV「NHK特集 紫電改 最後の戦闘機」)
上層部から343空に特攻を出すように命令がきた際、
志賀が「私が先頭で行きます。兵学校出は全て出しましょう。予備士官は出してはいけません。源田司令は最後に行ってください。
ただし条件として、命令してきた(軍令部の)参謀が最初に私と来るというなら343空はやりましょう」と進言すると、
源田実司令も「全くだ」と賛同した。それ以降、上層部から特攻の話は来なくなった。
この時、特攻を命令した軍令部作戦課航空参謀が寺井義守中佐であり、この娘婿が佐藤守である。
その佐藤守は、志賀少佐の死後に参謀の部分を源田司令に改ざんして拡散しているが、志賀少佐が残した生前の証言とは大きく食い違う。
佐藤守が志賀少佐の死を幸いと死人に口無しを利用したことは言うまでもない。
志賀少佐は生前、源田実大佐を以下のように評価している。
「実に立派な戦闘機乗りの先輩でした。彼ほど飛行機を愛し、また戦闘機を自らも操縦して、あれだけの見事な戦略、戦術を考案された方は外にはいないと思っております」
寺井義守中佐は、軍令部参謀の前は人事局航空参謀であり、大田正一少尉を第一〇八一海軍航空隊に転勤させるなど
特攻兵器「桜花」の後ろ盾をした人物でもあり、軍令部で作戦の全てを特攻に切り替えるように主張していた議事録も残っている。
寺井中佐は、開戦時に宣戦布告文書を届けなかった駐米武官で、帰国後は終戦まで中央勤務で前線に出ることはなかった。 /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
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https://www.youtube.com/watch?v=dFj6B-dIKY8 プレミア見れない
ブンデス見れない
CLEL見れない
音楽聞けねえちきしょう
テレビ見れねえちきしょう
同和のクズ共死ねクソ共がざまあみろ気違い共
ほれ気違い共もっともっとドア閉めろ通れ
それしか能のない能無し共がざまあみろ地獄に落ちろ
悔しいか、ざまあみろくたばれクソ同和
お前らの恐ろしさをもっと見せてみろ。そんなんじゃなんともねえぞ
袋とじ見たぞ
悔しいか、ざまあみろくたばれクソ同和
嫌がらせがエスカレートするのが楽しみでしょうがない
今それだけが楽しみだ
俺の生き甲斐藁
それだけ怒ってるってことだもんな藁 長渕剛「今の日本はアメリカかぶれが酷くてやたら横文字を使ったりする。
英霊が護った美しき国土と文化を破壊する行為。
60年前の戦いに殉じた日本の男たちに対する鎮魂歌
『クローズ・ユア・アイズ』
聴いてくれ ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ 神話のようにネットで金が入ってくるらしい方法
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
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