諏訪周囲の信仰
小宮の御柱ももうだいたい終わったし
次の御柱までの間に、諏訪周囲の信仰について語らって
6年間を過ごしましょう。
こぉぉぉぉぉゥれぇはさんのぉぅぇぇぇぇえええええ!
ヨイサ!
ヨイサ!
ヨイサ!
※お諏訪様以外の話題でもいいです 夫婦地蔵ってあまりない気がするが双体道祖神と違うのか?
他の地域の事を知らないので小さい祠が多いのか分からないけど
自分の地区で見ると半径1km以内に20社はあると思う
山に隣接している地域は山の神も多くあるからね
同族で祀っている祝神(これも諏訪地域だけか?)の祠も多いかな
道路沿いにない場合はその地区の鎮守とかにまとめられていることが多いね
あと石棒はミシャグジ信仰とも関係が有ると言われているけど
縄文遺跡の宝庫なのが大きいと思う、発掘調査で出土すれば博物館行きだけど
田畑の耕作等で出てきた場合は神社、道祖神、小さい祠へ奉納とか
そのまま御神体としてお祀りされてるケースが多い >>10
そうそう、双体道祖神ね。
石棒は小さな祠に入れてあるのもあるけど
親戚の家では玄関に置いてあった。
まぁあんなもんいっぱいあるから
出たものは出たとこで保管すりゃいい
と言ってたけど、そんなモンなんだろうか。
うちの近所も半径1kmなら20くらいはありそうだなぁ。
古めの家ならどこも家に一個ある 諏訪と縁がないので初歩的な質問させてください。
石棒ってよく縄文時代の遺跡とかで出土するものと同じ形状ですか? 「カルラ舞う」っていう漫画でやってたな。
オミシャグチ、金屋古神、時渡り、あと死体を柱にくくりつけて
剣打つんだっけ?
ちょつと感動しちゃう漫画だったな。 >>12
こんなの
ttp://dl.dropbox.com/u/7883020/img001.jpg
ttp://dl.dropbox.com/u/7883020/img002.jpg
この祠は珍しくプチ御柱が立ってない。 >>12
石棒は金精信仰とかと違って縄文時代のものそのものがほとんどで
後年に作られて奉納されたものは少ないと思う
なのでどんなに古い年代に作られた祠や建物より一番古いものだったりする
御柱はなぜ6年(7年)に一度なのか
タケミナカタはなぜ、どこから諏訪にきたのか
なぜ守矢は諏訪なのか
おしえて まぁ6年と決まったのには何がしかの理由があるだろうけど
とりあえずあんな祭り、毎年やるわけには行かないのは間違いない。 〜諏訪豆知識〜
この辺りでは、神様なら稲荷だろうが佃煮だろうが
とりあえず四方に御柱を建てる習慣がある。
女神の場合は建てないという説もある。 伊勢でも柱を引っ張ってるようだけど、
やらないと諏訪の人達が暴れるからだ
と聞いたことがある。 高血圧で入院した知人の親御さんが「お陰で御柱祭を手伝わなくてすむから助かった」と喜んだとかw そんな事より>>1よ、ちょいと聞いてくれよ。スレに乗じて改変してみたけどさ。
こないだ、諏訪の御柱行ったんです。御柱。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで動けないんです。
で、よく見たらなんかボードにでかい数字を書いて、カウントダウンとかしてるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、カウントダウン如きで御柱を盛り上げようとかしてんじゃねーよ、ボケが。
掛け声の回数までなに指定させてんだよ、カウントダウンて。
なんか893屋さんとかもいるし。一家総出で御柱か。おめでてーな。
よーし今回も柱の先頭に乗っちゃうぞー、とかやってるの。もう見てらんない。
お前らな、記念撮影だけはしてやるからその場を空けろと。
御柱ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
前後の柱の曳行担当地区をからかっていつ喧嘩が始まってもおかしくない、
怒鳴るか怒鳴られるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。チンピラもどきは、すっこんでろ。
で、やっと動けたかと思ったら、春宮担当の奴が、これはサノエ〜、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、「サノエ」じゃなくて秋宮近辺を意味する「山王(山王台)へ」なんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、これはサノエ〜、だ。
お前はその柱も秋宮まで曳いてくつもりなのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、これはサノエ〜って言いたいだけちゃうんかと。
御柱通の俺から言わせてもらえば今、御柱通の間での最新流行はやっぱり、
七五三(〆)巻き、これだね。
建御柱は七五三巻き重機吊りで。これが通の楽しみ方。
七五三巻きってのは綱を下から外せる。わざわざ上で外すために人は乗らない。これ。
で、それに重機(クレーン)吊り。これ最強。
しかしこれをやると次から華乗りの意味すらなくなるという危険も伴う、諸刃の剣。
地元衆にはお薦め出来ない。
まあお前ら地元衆は、安全で楽しい観光行事でも眺めてなさいってこった。 地元の人で書き込みしたい人もいると思うが諏訪地域最大CATV回線使用者は巻き添えで全鯖規制中 >>25
まぁまったり待つべ。
どうしてもレスしたければレス代行とかある
■スレタイ検索:レス代行
http://www2.ttsearch.net/s.cgi?k=%83%8C%83X%91%E3%8Ds&o=r
そういえば「パワースポット」とやらが人気だけど
諏訪大社にもパワスポ効果で人がふえているようだねぇ。
アレも新しい信仰みたいなもんだろうか >>24 いや、諏訪に地底人でも住んでるのかと思って。
諏訪大社って諏訪湖の水辺にあると思ってたけど結構湖から離れてるんだね
それと御頭祭って神事凄い原始的な儀式だけどいつから続いてるんだろう 俺も興味はすごくあるんだけど、諏訪はおろか長野県すら足を踏み入れたことないんだよな 近年の諏訪の祭りは何でも御柱と混同してしまって下らんよ。
下社のお船祭りとか風情或る良い祭りだったが今では酷いもんだ。
そもそも諏訪弁が勇壮ではないからな。 あまり詳しくないのですが、質問です。
諏訪大社に祀られている建御名方神は「海の神」ですよね?
お船祭りなどもその名残だと思うのですが、長野には海がないのですよね。
諏訪湖を海としていたのでしょうか?
それとももともと海のあるところの神様で、
中つ国平定の際に建御雷神に追い立てられたからなのでしょうか?
あと、聞いた話だと、諏訪で鎌を軒先(?)に飾るという風習があると聞いたのですが、
これについて詳しく知っている方がいたらいろいろお話を聴きたいです。
どのようないわれがあるのでしょうか?
諏訪大社と関係はあるのでしょうか?
よろしくお願いします。 日本海を渡って列島の日本海側に至り、そこから南進した人たちだから父祖が信仰した海の神を祭るのは当然だと思う。
そして諏訪の人たちの一部はさらに南進して、大和朝廷に隷属するまでに太平洋にも到達している。
(その経路が現在のR153)
最終的には衣に至ったが、壬申乱後、持統天皇の時代に大和朝廷に滅ぼされた。
なお、衣の海=衣浦の地名が残っている。
碧海(あおみ)と呼ばれていたのは、そう青くもない海だが緑色の強い日本海とは違う青みの強い海だからそう名づけたのだろう。
もちろん歴史からも彼ら太平洋に至った王権の存在は抹消されている。
大和朝廷が崇める最高神が彼らの神と習合しており、不都合だったこともある。
出雲〜糸魚川〜安曇野〜諏訪が入路じゃないのか?
諏訪に限っては後々まで特別扱いされた地域。
タテミナカタノミコト=海の神と言う認識もない。
ナギ鎌の縁は知らない。諏訪大社に関連する事は確か。 >建御名方神は「海の神」ですよね?
それどこ情報〜それどこ情報よ〜 >>32
丁寧な回答ありがとうございます。とても興味深いおはなしです。
やっぱり諏訪には不思議がいっぱいですね!w
>>33
私もそう思っていましたが、>>32さんが仰っているのはそれを信仰する人たちの経路かなと。
そういえば、霧ヶ峰に「薙鎌神社」もありましたね。気になります〜。 意味は全く異なりますが言葉自体は残ってますね。
頭屋(とうや・当家)と呼ばれる祭祀の(準備も含めた)責任者ですが。 一年神主って意味は二つあって一つは>>40と同じそのまま一年交代の神主
>>39が言ってるのは一年で役目が終わって殺されちゃう人柱、生贄の方でいいかな?
まず俺の知識だと断っておくけど
これ諏訪信仰語りだと何か魅力的で結構流布してるけど
最近の地元研究者はあまり注目しない感じを受ける
大祝は違うから該当すると言えば風祝かな
十訓抄とかに出てくるけど鎌倉期の守矢文書や大明神画詞にも記載がないので
鎌倉期にはもうこの風習はとっくに廃絶されていたと言われている
あとは神使(おこう)様は御頭祭に生贄になった説もあるけどだいたい否定的
途中で生贄になったら一年間務めることができないしね
まあ、諏訪の信仰って謎が多くて分からないことだらけなので
十人十色かもしれないから一参考までに そういえば諏訪湖の事を「諏訪の海」って書いてるものが何かあった気がする。
和歌だったか。
まぁ単なる見立てかもしれない。
そもそも、海と湖って昔はどれくらい違うものとして認識されてたのかな。
淡水海水だし全然違うっちゃ違うけど。
薙鎌は神長官守矢史料館の柱にいっぱい刺さってたわぁ。
信濃は昔から水薦の多い場所という事だったらしいから
普通に藻刈鎌が必需品だったんじゃないかね。
確か、御柱に使う木を選定したときも、薙鎌を突き立てるだかなんだかするんじゃなかったっけ。 御柱祭とかだんじり祭りとかの死人の出る祭りですけど。
あれって合法的に生贄とるためにやってるんですよね? おみわたりって温暖化だけではなく、護岸をコンクリートで固めてから出来にくくなったんだってさ。 洋ゲの名作「オブリビオン(Oblivion)」中に、Akavir=The Land of Dragon という
国があり、その国軍の隊長の亡霊がMishaxiという名。
Akavir人は、人頭蛇身とか竜・蛇に関連した人種として説明されている。
それにしてもケト…じゃなくて西洋人がミシャグジってコアなモチーフ使うじゃん。
期待してた援軍が来なくて壮烈死しても、何年も亡霊として任地に留まっていた
義に厚い人物として描かれていて、ちょっと嬉しかったボクなのよ。 日本の聖地(神社)は独善的な一神教世界と違い、豊穣な多神教風土が残っているのは幸いだが、
実際そこに祭られてる信仰対象の歴史・正体が良く分からないケースが多すぎる
元々は土着のカミを祀る霊場に、官製神話(記紀)の祭神名を当てはめたり、
外来の様々な宗教・信仰がミックスされて分け分からない状態になったからだろ
苗字に「澤」の字があって、家紋が沢潟の家は諏訪氏と関係があるというのは本当? >50家紋も苗字も真に受けてはいけない。ほとんどは関係ない。
>>46
そうか? 当たり外れがあるのかな?
僕の時はめちゃめちゃ歓迎されたぞ?
意気投合して明け方まで飲んで、
「御柱のときは泊まりに来い」とまで言われてたぞ。
本当にとまりに行ったけれどw
単純に、君の性格じゃないのか? >>46
諏訪人に知人がいるが、確かにそういう印象がある。
>>46
諏訪というか長野県全般にその傾向があると感じる。
東北なんかも旅すると同様だから気象が厳しい寒冷地の特徴なのかも。
君こそ御柱前と言うグッドタイミングで運が良かったんだよ。
それにその性格は一般論であって、諏訪の人間全てが閉鎖的で冷たいわけではないからね、。
ちなみに見たのは上社or下社どっちの御柱?木落しは下社じゃないと駄目だよ。 >>18
そして守矢神社では御柱を建てない。
>>32-33
上社本宮、下社春宮、下社秋宮の元になった神社?が、別々の氏族だった可能性も高い。
上社前宮は明治時代に格上げされた、歴史も謂れもない神社だから割愛。 >>42
薙鎌は風除けらしい。
風を切るか鎌。
風神としての側面の象徴。
でも、薙鎌は農業にも使うのと、農耕神としても信仰されていたから、こっちの意味合いもあるかもね。
>>56
そうだよ。守屋山が御神体。 洩れやは縄文系で、タテミナカタは出雲=渡来系と言うことか。 こういう実生活で特しない金にもならない様な話題って面白いやな 神道って色々と曖昧でカオスで謎すぎる
それでも拝んじゃう不思議!
ところで春宮で御朱印お書きくださった若い神職のお方がめさめさ感じ悪かったです 現地の人に聞いたら上社の御神体は裏山に岩があってそれという話。 洩矢神と建御名方神の子供の系図がイマイチ理解できない。
あれはどういう事なんだろ 洩矢神 →千鹿頭神 →児玉彦命
建御名方神 →片倉辺命 →児玉彦命
↑ここ
片倉辺命─(実子)→児玉彦命
↓
千鹿頭神─(養子)→児玉彦命
こういうこと?? 兼任だな。どんな血統も古く遡ればいい加減で信用できない。 伝承されている血統を現実のものとして頭から鵜呑みに・・・? ROMってみたけど、ここってホントに血沸き肉踊りウキウキワクワクの楽しいスレだこと!うへぇ… >>75
事実かどうかを聞いてるんじゃないよ。
民俗学板なんだから、もう少しマシな頭を持って欲しい。
諏訪周囲の信仰で正史に近いであろうと思われるのは、建御名方神。
対する洩矢神、神長官守矢氏の系図は口伝による秘事だとして
少なくとも守矢氏は、正史と口伝に相違が有ることに気づくでしょ。
何しろ、長い家系図のどうでもいい途中が交雑するわけじゃなく
洩矢神から三親等というかなり直近で起こってる。
諏訪氏の方の系図を見ても、片倉辺命の跡を児玉彦命が継いでいるわけじゃない。
片倉辺命→児玉彦命 という流れを後代に残す意味があるとすれば
守矢氏の血統への介入・牽制かな と考えられなくもないが
肝心の守矢氏家系図は詳らかになっているわけではないし
やはり目的が今ひとつ不明。
「現実に起こったんじゃない?」は考えうる一つの筋道だし
「後代で何らかの利益の為に偽造されたのでは?」というのも発想の一つだ。 >>69
ムカツク態度とられたら文句言っていいんだろうか?
鳥居の中では気が引ける >>80
相手は鳥居の権威を背負っていても、人間同士。
人間として理不尽な事にはハッキリ抗議すべし。
南方熊楠も地元の神主の所に乗り込んだ。
私事ではありますが、私にもゴウツク僧侶に一喝し、やり合って追い返した経験あり。 >>78
>74の言う兼任よりもキツイ守矢家乗っ取りとしか読めない。 >>80
神主なんぞ微塵も偉いもんじゃないんだから何言ってもOKだよ。
でも、微塵も偉くない事を自覚してっから
殴り返されてもしらんで。 >>82
なるほど。
>大神之御言之随千鹿頭神之跡乎継弖
ソッコーで洩矢系列終了のお知らせじゃないか。
えげつない。実にえげつない。 サマーウォーズの75って御頭祭の75頭の鹿のことですか? >>28
>諏訪大社って諏訪湖の水辺にあると思ってたけど結構湖から離れてるんだね
いや、今の湖が小さくなったという事なのでは?
昔の諏訪湖はもっと大きかった。
(因みに、数十年前と比較しても、一部埋め立てられたりして年々小さくなってる。) 古代の諏訪研究を極めれば日本の秘密がかなり解けるらしいが、
それをやっちゃうと今の皇室の存在がやばくなるんで、封印されてると言うか自粛してるとか、
そんな風潮があるのかなと思う。 >>90
今更そんな事で皇室の存在がやばくなるわけがないだろう…
万世一系が真ん中でぶった切れてました とかいうと
それなりに問題になるだろうけど
神代の事なんて、今の皇室の存在と殆ど関係ない。
今でも神の子孫と思われてるわけないないしな。
逆に、どういう理屈で皇室の存在がやばくなるって思ってるのかを聞きたい 諏訪大社に行ったら
「タケミカヅチとタケミナカタがずっとLOVEでいられますように」
って絵馬に書きたい。 >>92
>逆に、どういう理屈で皇室の存在がやばくなるって思ってるのかを聞きたい
例えば、諏訪独立運動が起きるとかかな
縄文人の逆襲って奴 天皇陵の調査も許さない宮内庁だから、神代の事にも神経質だと思う。 >>99
その神話自体がウソ、ってことじゃないの、バレちゃまずいことって
北西岸は氷申さぬ異例にて御渡ござなく候
本年は「明けの海」でした
ぶっちゃけただの自然現象なんだが御神渡りが無いとなんだか残念な気分 堤防を築いて水質を悪化させた挙げ句に内側へ湖畔公園なんて
ものを整備して、ゆくゆくは人工の渚をさらに内側へ作っていこう
ってんだからいくら冷えたって…ねぇ。 ちなみに「当社神幸記」・「御渡帳」による約560年の記録で
今回を含めた明けの海だった回数
江戸時代(19)・明治(3)・大正(2)・昭和(15)・平成(17)
平成に入ってからは御神渡りが無いのが当たり前の状態・・・倦怠期ですかね >>102 水質は昭和の時代より改善しているでしょ。
湖周すべてをコンクリート壁で固めた事で氷が張っても岸にせり上がってしまう事。
&諏訪湖はそもそも浅い湖ですが、護岸工事の際に急深な岸にした事で凍結しにくなった事、が温暖化と合わせておみわたりの出来ない原因でしょう。
地元の方に聞くと工事以前は自然の渚が各所にあって、からす貝など沢山取れたそうですよ。