諏訪周囲の信仰
小宮の御柱ももうだいたい終わったし
次の御柱までの間に、諏訪周囲の信仰について語らって
6年間を過ごしましょう。
こぉぉぉぉぉゥれぇはさんのぉぅぇぇぇぇえええええ!
ヨイサ!
ヨイサ!
ヨイサ!
※お諏訪様以外の話題でもいいです >>144
最低限の歴史を勉強してきてから、こういうとこで物言えよ >よりにもよって「日本第一の軍神」として堂々と崇拝されてきたのが謎過ぎ
縁起とかってあるでしょ?多くの神様はその縁起で一つの神様に繋がってるのは理解できるしょ?
日本一の軍神=これは神さまの級長(シナツ)ヒコ=風神でありシナノ(信州)を治める神
なんだけど後に縁起でタケミナカタとなり(連なり)文字どうり負けはしてもシナズ(死なず)
つーことで弱いとかじゃないんだよね。それも縁起だから雷は親父格にあたるんじゃね? もうちっと実利的な話なんだけどな
壬申の乱、田村麻呂、鎌倉幕府などが関係している
でも、いちおうカミカゼも関係している
平安時代の官牧の半数が信濃にあった意味を考えろといいたい >本居以前は「古事記」は「日本書紀」講書の際のサブテキスト扱いの立場で、もともと「紀」の方が重んじられてきた
本居は筋金入のバカ。
この国に深刻な差別問題をもたらし、70年前にこの国を負け戦に導いた元凶。
江戸時代の三重県に行き惨殺したい。 本居宣長に死を
というスレッドを立てようとしたら跳ね返された。どなたかお願いします。 時代背景を考えれば立派な人だけど、
彼以降の国学者もしくは右翼で、彼を信奉してるやつはたいてい馬鹿だね
ていうかもう死んでるから 信州人の血を引いてる自分には嬉しいスレだ。
しかしばあちゃんが諏訪出身だがあまりこのスレ向きの話は聞いたことないんだよな。
御神渡りが減ったのは工事のせいだったのね…。ばあちゃんが子供の頃はスケート出来るくらい厚い氷が張ったそうな。
このスレ見てたら諏訪大社行ってみたくなったよ。恥ずかしながら行ったことないw ばあちゃんの話で思い出したが、いぼ石とかはスレチなのかな?信仰とはちょっと違う気もするが…。 いわゆる「民間信仰」の範疇だね
だけど、いぼ石ってのは日本中どこにでもあるぞ
諏訪で比較的有名なのは児玉石神社かな >>156
無知なもんで全国にあるのは知らなかった。神社の名前は聞いてなかったが、場所的に児玉石で間違いないと思う。レス有難い!
まあ全国共通なんだろうが、その神社の水を付けるといぼが取れるっていう民間信仰ですよね。
流石にオカルト好きでもうさんくせー!って思ったんだが、叔母が本当にいぼ取れたらしい。
個人的には何かいぼに効く成分でも含まれてるんかなーなんて思ってる。あと叔母は思い込み激しいからプラシーボ効果もあるのかもww
俺も去年いぼ治療(マジで痛い!)してたからそんときはすぐ諏訪に行けない自分を呪ったw 参道の石畳とか境内の磐座とかにくぼみがあって、そこに水が溜まってる
で、その水は一年中枯れることがない・・・ってのがいぼ石信仰のパターン
児玉石のやつはかなり深いくぼみで、確かに枯れてるのは見たことないな
効くかどうかは責任持てないw 関係ないです
いやまあ100%ないとはいえないけど、もしあるとしたら
平安時代以前の歴史の闇の中の話で、たぶん誰も論証できません 秩父
→朱+失、父
→ノ+木+三+人
→三+人+ノ+木
→秦爻
ああー、そういう種類の電波を強烈にネット上で撒き散らしてる爺さんがいるね
基本的に電波ではあるけど博覧強記で大したもんなんだ
後継者がいなくて嘆いているようだから立候補したら?>>161 ちょっと奇妙な御柱の立て方をした神社を見かけたのでご意見お願いします。
一之柱は社に向かって右手前、二之柱は社の前の左脇、
三之柱は社の真後ろ(!)、四之柱は社の左後ろ奥の敷地の端辺り。
なお四之柱は木に囲まれていて一見みえませんでした。
通常御柱といえば社を四角く囲むものかと思っていましたが、
このような立て方をするというのは何か理由があるのでしょうか?
あるいは類例などがありましたらお聞かせ下さい。 文字だけだと把握しきれないが
その場所がどうしても御柱が建てれない立地条件とか
社殿が移築してたり本殿が別にあるとか
社殿と別に磐座みたいな物があるとかじゃないのかな?
諏訪地域外になると変則もありかもだが
まあ、そこの氏子衆に聞くのが手っ取り早いと思うけどね ご意見ありがとうございます。
そういえば社と四之柱の間に何かありました。
三之柱は真後ろでなくても建てられたような気がしますが、
また行く機会があれば見てみますね。 >>163
・実は社が移動した
・実はもう一つ社がある 諏訪大社上社の裏にある祠ってだれかしってるひといますか?
できればなんなのかも教えてください 上社のって前宮ではなく本宮でいいのかな?
裏方向が三と四の御柱が有る方向(神山)のことだったら
境内に隣接してると言えばこの祠か
諏訪信仰マニアの大半がみてると思われる某サイト参考
http://genjin.cool.ne.jp/mieru/taiko.htm
http://genjin.cool.ne.jp/zatugaku/kanaisya.htm
他にもあるかもなので違ったらごめんなさい ありがとうございます
自分の先祖と関係あるみたいなので
興味が沸きました
自分でも調べたんですけど
やっぱりそのサイトでした 伝承や、信仰はとことんあやふやなのに、あれ程激しい祭は存続している理由はなんなのか?
>>130の>(足長・手長とかは妖怪扱いになってるけど)
ってアシナヅチ・テナヅチのことですか?
だとしたら何故妖怪になったんですか?
どういうことなのか説明してください>< >>171
信仰ってのは理屈じゃないってことの証明なんだろう >>173
一般の市民や氏子にとっては様々な理屈じゃない「想い」を持ってると思うのですが。
統括している「真髄」みたいなものがなければ続かないと思うんです。
そこが一般の市民や端々の氏子には意図的に秘されていると思うのです。
表面的な伝統を守ることに腐心させられ、自分達が一体何を守っているのか、疑問に思わない訳がないです。
しかし、黒いものがあっても関係者は口をつぐまざるを得ない。そういう強固な縦社会が構築された世界です。
安易な考えかもしれないですが、相撲の世界や歌舞伎の世界と同じように
「人々の想いとの解離」が起きているのに、必死に取り繕ってるような状況に思うのです。
>>174
ええと、それは外から見た見解だよね?
諏訪の人は基本的にやりたくてアレやってるからね
古い伝統があるにもかかわらず、
「表面的な伝統を守ることに腐心させられ」ていないところが貴重なんだよ
進軍ラッパ吹いて伝統の祭もなにもあったもんじゃないだろ?w 進軍ラッパはもちろんのこと、お舟祭りに木遣りを鳴いてみたり
息杖を用いずに地べたへと長持を放り出してしまったりするのも
伝統になっているわけですよ…残念なことに。 近代以降の伝統を伝統として守る立場は、それはそれで貴重なんだよ。
なぜというに、現代の常識ではそういうものを伝統として扱わないからだ。
それをなぜ伝統として扱うかというと、自分らの爺さんが本気でやってた、
ということをリアルに知っているからだね。
本来は、その心持ちこそが伝統そのものなんだよ。
現代の文化的価値観、現代の常識とは違う、昔ながらの伝統の守り方なんだ。 >>148
現代は一括りにされているけれど、下社と上社は別物。
坂上田村麻呂の戦勝祈願(と諏訪の新兵の加勢)は、下社らしい。
夫婦神という扱いだけれど、上社は建御名方、下社は八阪刀売神の勢力圏。
つまり、本当の軍神は下社の八阪刀売神。 >>174
> 統括している「真髄」みたいなものがなければ続かないと思うんです。
> そこが一般の市民や端々の氏子には意図的に秘されていると思うのです。
個人的には、神様に生贄を差し出しているんだと思っている。
御柱祭のたびに人が亡くなっているからね。
木落としの当日ではなくても、数日後、病院などで。 諏訪と伊那は信濃の中でも独立王国みたいに思われてるらしいけど、
諏訪はわかるんですけど、伊那は何故そう言われるのですか?
>>178
奈良〜平安期、中央と諏訪の連絡を金刺が全面的に掌握していたのは確かだろうが、
千年の経緯と実情をすっ飛ばしてそういう言い方するのは乱暴。
>>180
伊那は中世まで諏訪の一部だったから・・・って話じゃないのかしら? このスレで良いのかわからないけど、祝神って諏訪独特のもの?氏神とは違うの? >>182
手塚治虫によれば祝殿(いわいでん)と言って
山梨と長野の一部で行われており「氏神様」を
文字通り解釈した神社とのこと。
祝神も先祖まつりも宅神祭の大規模なもの。
基本的に氏子全員の苗字が同一なので、直会
などの際には区別のため屋号が飛び交う。
…こんなところでしょうか。 >>181
> 千年の経緯と実情をすっ飛ばしてそういう言い方するのは乱暴。
これについては、それ以前レスも同じだよ。
軍神=建御名方で話を進めているのだから。 >>183
ありがとう。諏訪特有のものでもないのか
祖父母が諏訪出身で東京に移り住んだんだけど、うち含む非長野県民の同族一同が
建てた小さい社が諏訪にあって、調べてみたら祝神?らしいということで調べていたのです
ちなみに諏訪らしくミニ御柱が建っていたけど一本だけだったので最初、何この汚い杭?と思ったw >>184
「軍神=建御名方」というのが中世以降の「実情」だと言ってるんだよ。
その実情が千年来どう形成されたのかも検証せずに、
「それは真実と違う」と断言するのが乱暴でなくてなんなんだ?
田村麻呂の件等が(後の?)下社方の仕切りである可能性は確かに高いが、
「八坂刀売が軍神だ」といえる歴史上の根拠はどこ探したってねえよ。
たとえロジックだとしても、乱暴すぎてデタラメの域だ。 >>185
同じ氏族で氏神的なものを祀る形式は全国どこでも見られますが、
諏訪で面白いのは、そういう集団もしくは集住地域を
「まき」と呼ぶところです。
だから祝殿や産土神のことを「まき神」と呼ぶこともあります。 >>187
そうなのか。確かに巻って聞いたこと無い
自分、諏訪人じゃないし苗字+巻って書いてあったから最初「巻」って名前かと思ってたよ
うちの祝神の建立者も多分知らなかったと見えて微妙に使い方間違えてるしw
教えてくれてありがとう たぶん・・・だけど、「巻」じゃなくて「牧」が由来なんじゃないかと思うよ。 や、だから表記の問題じゃなくて由来の話。
あくまでも憶測だけど。
漢字表記なんて江戸時代まではいい加減なもんだったからね。 牧は古代からあるし、牧由来と考える方が憶測だと思うけど。
牧が由来だと昔から牧の字は放牧地って認識が有りそうだが
それだともっと広い範囲の字名とかにならないか?
字が牧→巻に変化している地域名とかならあるけどね
個人的には取り巻くとかの「巻」方がしっくりくるな
分からんので適当だけどw 少なくとも平安時代、信濃には官牧がたくさんあって、
諏訪にも三つ四つあったんだよね。全国で二十もない中で。
街道筋の宿場町になった時代でも、重要な馬宿であり続けたわけだし。
その管理集団がルーツなんじゃないかなあというホント憶測です。 いちおう。
牧の概念は古墳時代に海外から馬を導入してからつくられたもので、上代には遡れない。
「牧」を意味する「まき」は古語にはないわけで、仮に「牧」を由来とするなら建御名方命入訪以降の集団ということになる。 縄文時代は、諏訪湖や山の地形を利用して、鹿を囲い込んで狩りをしてた
「ま」は強調、「き」は境界、の意味で、狩りを中心とした共同体の単位だった
モレヤ神の仲間のチカト神は鹿を中心とした狩りの神
以上から、「まき」は意外と古くからあった概念で、官牧などの馬の牧はそれを上書きしたのかもしれないよ >>196
よくわかんね・・・
上代ってのは主に奈良時代だろ?
古墳時代につくられた概念が上代に遡れないってどういう意味?
それが建御名方だかどうだかわかんねえけど、
もちろん牧の概念は、ヤマト勢力が入って以降だよね。
つか、当然だけど馬が入ってからってことだ。
古墳を見る限りでは、諏訪においては6世紀末くらいだな。 >>197
そういう語源説はなんとでもいえるからねえ。
少なくとも諏訪で境界の意味といったら、「き」じゃなくて
柳田言うところの「sk」の言葉だろ。サカとかサクとかスクとか。
千鹿頭の話はなにが関係あるんだか、よくわかんねっす。
でも、ケモノを囲い込むことを「マキ」だっていう解釈なら面白い。
狩猟でも牧畜でも同じに「マキ」だという。それはあるかも。 >>199
狩りをするときに巻という。
巻狩りとか巻き上げとか。
巻は狩りをするコミュニティの単位でもある。 長野、山梨以外で「巻」または「牧」と呼ぶ地域はありますか? >>200
だからさ、個人的な思い込みだけ言うんじゃなくてさ、
なんかこう、参考になる材料を提示してくれよ 江戸時代までは、漢字をどう宛てるかなんて超いい加減だったからな
漢字に囚われるとなにも見えない
日本語は音なんだよ マキがどう言う組織か書いてあるのは見たことはあるが
語源に関して研究している文書ってないのか? だからね、語源説は学問になりにくいの。
結局、憶測以外なにも言えないから。 望月なんかの実態から考えると、馬の柵(まのき)じゃないのかと思うんだが 大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校で暴力やいじめを受け続けて、心も身体も
壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるかもしれ
へん。それで誰にも発見されへんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
>>211
古さと歴史の長さじゃね?
ずっと今までつながってる所が。 >>186
>>148は平安時代の話なのに、中世を持ちだしてどうするの。
>>213
超古代の神事が、ほんの数年前まで継承されていたのも魅力だね。 >>214
諏訪神社に関して信用のおける研究対象は中世以降。なぜなら文献があるから。
それ以前に関しての言説はおおむね妄想。
考古学の成果をきちんと踏まえているのなら妄想レベルからは脱するが。 上社と下社の仲が悪かったせいで下社系の文献が充実してないのは痛手だね
下社が負けてなかったら信仰形態は変わっていたのかねー
金刺家が滅んでいなければ総領家も変わっていたかも、などと妄想 >>216
>>148は諏訪限定、信仰限定の話ではなく、文献から見た日本全体の治世の話だろ。
もちろんそれでも憶測レベルだが、妄想とまでは言えない。
そういう古い文献には、残念なことに、上古以前の諏訪で誰がどんな祭りを
していたかという情報は、また聞きの噂程度が2、3件しか残ってないんだよ。
>>217
1行目、まったくです。しかしまあ、歴史は常に勝者のものですから。 長野県下伊那郡豊丘村神稲の「佐原」(読みはサハラ)という集落に佐原諏訪神社(御手形神社)があります
ここの御祭神は、建御名方神と武甕槌神だそうです
佐原というと千葉県の佐原を連想しますが、ウィキによれば千葉県の佐原という地名の由来は
「古代から香取神宮が鎮座し神官の祭典の時に使用する土器、「浅原(さわら)」を造って納めていたので「サワラ」という地名がついたともいわれている」
偶然の一致かもしれないが面白いと思いました >>128
どこかで見た名前―と思ってたら、4,5年前(だったかな)teacupの掲示板で
「フリーメーソンは信用出来る人たち」とか太鼓判捺してた作家の方ですね?
記憶が正しければ、そして、その手の話に介入する時に私が使いそうな手法的
に―(『300人委員会』〔ジョン・コールマン著〕の)「二十一カ条の最終目標」と、
フリーメイソン "ユダヤ人にとって、積極的に参加する動機が十分にあった"
等のグーグル複数語検索を根拠として(あとP2ロッジの事件やフリーメイソン
のロッジが米軍基地の近くにあることなんかも書いていたかも知れません)、
疑義を呈する書き込みをさせて戴いたと思うんですが―それを2度も問答無用で
削除されたばかりか、その後、その板には書き込めなくなっていたので掲示板
からリンクしてるHPの方を確認してみたらレムナント出版という一応はマスコミの
端くれじゃないですか、「(この人たちの出す本は怪しいな)」って本気で思ったの
を今でも覚えてますよ。【反証可能性】まで否定してしまうなんて―でしょ?(笑)
久保有政
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E4%BF%9D%E6%9C%89%E6%94%BF
ジョン・コールマン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3
もっと最近、別の人の疑問にはちゃんと答えてるみたいですね。
http://8928.teacup.com/yomimono/bbs/581
http://8928.teacup.com/yomimono/bbs/583 個人的に日ユ同祖論はこじつけっぽいというか胡散臭く感じるなぁ… そういえば大祝諏訪家出身の女の人がなんでも鑑定団に出てたな
諏訪家の名前を残そうと、息子に諏訪を名乗らせているらしい 大祝諏方家直系って平成に入って断絶したよね?娘さんがいて外に嫁いでたのか 明日諏訪行ってくるわ
諏訪大社4つと守矢資料館は
以前行ったことあるけど
ミシャグジ神、洩矢神関係で
見ておいたほうがいいスポット
ありますか? ↑書いたもんだけど、今日守矢資料館行ったら
たまたま当主の人がいて、横の家に上げてもらってお茶ご馳走になったわ。
当主のお姉さんにも会えた。
向こうはなんか教員の研修会みたいな感じの仕事中で、資料について
色々解説してるところを横で聞いてたら「何かの縁だから」って感じで
呼ばれただけなんだけど、さすが教職の人だけあって接しやすくて話し上手かった。
こっちは生きた伝説が目の前にいるってのでガチガチだったからキョドりまくってたけどな。
>>229
当主さんに普段は会うこと出来ないから良い出会いがあったねー
しかしこの過疎スレでは緊急のアドバイスを受けるのは厳しいぞw 南信濃村と上村は昔諏訪大社の社領だったみたいで、御頭祭につかう鹿を献上してたとか
その後天領となったみたいだけど
諏訪に限らず、善光寺の御開帳とか7年に一度の大祭って長野県は多いのかな 今の2ちゃんねるの管理人は右翼団体とアダルトサイト運営しているヤクザな訳だよ
他の運営もそいつに小遣い貰ってる舎弟
心理学を応用したネット掲示板に依存してる人間は薬漬けにされたジャンキーと
何ら変わらない
今はほぼ全て運営による捏造情報の書き込み
ヤクザに雇われた中国人でまともな人間は居ない
それに2ちゃんはリアルタイムに実名が判るシステムなってる
2ちゃんねるはそのアクセスログを右翼団体、企業やマスコミやライターたちに
販売しているからアクセスする時は気を付けないとな。
諏訪は養蚕の中心地だったから養蚕関係や猫神が多いんじゃね。 諏訪大社・御柱・建御名方命・洩矢神について調べています。
比較的手に入りやすい資料ってありますか? 今読んでる精霊の王(中沢新一)に主にミシャグジについてだけど諏訪周辺の信仰について書かれてて興味深い。
辰野の鎮大神社ってところにも行ってみたい。 >>234
〈お諏訪さま 祭りと信仰〉
諏訪大社 監修 鈴鹿千代乃.西沢形一編
勉誠出版を図書館で見つけ、読んでみたけどかなり面白かったよ。
諏訪大社は何度か行ってるけど、守矢資料館にも行きたくなった。
>>234
地元の図書館か本屋だな。
それ用のコーナーあるし。 長野県には地名の由来がアイヌ語である場合が相当数ある。 >>234
遅レスですが
諏訪明神 カミ信仰の原像
寺田鎮子・鷲尾徹太著 岩田書院
自分の知りたいことのかなり核心に触れていて読んでいてわくわくした。 手塚治虫家系にも繋がっていて木曾義仲お供の美女武士の巴御前にも繋がる下諏訪の神主家系筋、断絶して残念だた。