諏訪周囲の信仰
小宮の御柱ももうだいたい終わったし
次の御柱までの間に、諏訪周囲の信仰について語らって
6年間を過ごしましょう。
こぉぉぉぉぉゥれぇはさんのぉぅぇぇぇぇえええええ!
ヨイサ!
ヨイサ!
ヨイサ!
※お諏訪様以外の話題でもいいです >>234
地元の図書館か本屋だな。
それ用のコーナーあるし。 長野県には地名の由来がアイヌ語である場合が相当数ある。 >>234
遅レスですが
諏訪明神 カミ信仰の原像
寺田鎮子・鷲尾徹太著 岩田書院
自分の知りたいことのかなり核心に触れていて読んでいてわくわくした。 手塚治虫家系にも繋がっていて木曾義仲お供の美女武士の巴御前にも繋がる下諏訪の神主家系筋、断絶して残念だた。 今の守矢氏は78代目
79代目はあるのだろうか?それとも断絶してしまうのだろうか?実にもったいないことだな。 >>32
>最終的には衣に至ったが、壬申乱後、持統天皇の時代に大和朝廷に滅ぼされ・・・・・・
誰が滅ぼされた何という戦役のことなの?飯田街道(現在のR153)途中の
三河挙母町では、そんな伝承は聞かないんだが。 >>239
ハハハ 適当なこと言ってんじゃねぇよw(笑) >>247
そもそも飯田街道が全線整備されたのって織豊期から江戸時代にかけて。
それ以前は足助平谷間あたりはほぼ不通。
少なくとも古代から交通路として使われたという根拠はない。
柳田國男も『東国古道記』で津島信仰や伊勢信仰との関係に触れて
>かつて中部山岳地帯と海岸を結び付ける道は秋葉街道だけであったが、
やがて浪合を通り飯田・根羽に連なる三州街道(飯田街道)が開けてきて、
>その段階で津島神社の御師たちが入り込み、【中略】山間に広く分布していった。
また長野県下伊那郡天龍村坂部に伝わる『熊谷家伝記』第四巻でも
R153にある治部坂峠の名の由来を、天正三年にあるとしているので、
少なくともそれ以前は峠のすらない、人の行き交うことすらまれな道だったことを傍証しているといえる。
あと、天武持統時代の信濃は壬申の乱以前から大海人皇子の領地があった関係から相当に優遇されており、
信濃の諸豪族は攻め滅ぼされるどころか舎人に登用せれる者が続出してる。
さらにいうと、天武天皇は信濃に絶大な安心感を抱いていて副都を置こうとすらしている。
具体的には、『日本書紀』の巻第二十九、天武天皇十三年二月庚辰の条で
>庚辰。遣浄広肆広瀬王。小錦中大伴連安麻呂及判官。録事。陰陽師。工匠等於畿内。令視占応都之地。
>是日。遣三野王。小錦下悉女臣筑羅等於信濃、令看地形。将都是地歟。
と記されるように適地を選定しており、天武天皇十四年の条では実際に行宮を造営してる。
>壬午。遣軽部朝臣足瀬。高田首新家。荒田尾連麻呂於信濃、令造行宮。蓋擬幸束間温湯歟。
この方針は持統天皇にも継承されていて
東国諸豪に度々饗を賜ったり木曽路を開くなど盛んに活動している。
どう考えても信濃の勢力と衝突していたようには思えない。
飯田街道の歴史から見ても天武持統朝の政策から見ても>>32の書き込みは根拠なしとみなしていいと思う。 「伊那」の地名は、ホツマツタヱに書かれている。
すなわち、天八意ノ命(阿智彦)が身罷った去(辞)洞(いなほら=お隠れになった洞窟)の場所を
「イナ=伊那」と呼び、以来 阿智家の勢力範囲をイナ(伊那)と呼んだ。
当時の阿智家の勢力範囲について、大御食神社の「美しの杜社伝記」には、応神天皇(3世紀末)
から仁徳天皇(5世紀)に至るころの近郷〔伊那市西春近小出(小黒川南)〜中川村大草(小渋川北)
〜松川町上片桐(松川北)〕において、赤須彦が祭事を司っていたことがわかる。
天安2年(858)の記述からは、近郷〔伊那市西春近小出〜飯田市伊賀良〕には 三十二の里があり、
それぞれの里の規模についての記述がある。
このことから、少なくとも9世紀までの伊那郡と諏訪郡の境は 伊那市の「小黒川」であったことが推定される。
また、「伊那」の地名については、稲・井名・猪名部・建稲背命・アイヌの幣束「イナウ」などに因るとの
諸説があるが、倭名類聚鈔(10世紀)によれば 諸説が「伊那」の地名発祥の地とする現在の伊那部
などの地域は、当時 諏訪郡の範囲内であったと推定される。このことから諸説では「伊那」の地名由来
の説明に十分ではない。 現在では大御食神社の「美しの杜社伝記」は江戸時代に盛んに作られた偽社伝の一つとされている。
そもそも日本語音韻学の立場からすると使われている神代文字の音韻は、
せいぜい中世以降のものでありとてもではないが古代まで遡ることは出来ないもの。
とてもじゃないが古代史の資料にできるようなものではない。
文献学的には伊那の由来についての主張は否定せざるを得ない。
それに古代の伊那地方に阿智家などという怪しげな勢力の登場する余地はない。
伊那郡の郡司(大領)は科野国造氏、及びその末裔の金刺氏が世襲していたからね。
言うまでもなく金刺氏は諏訪下社大祝家の金刺氏の同族。
少なくとも上社のある下諏訪から伊那郡衙のある飯田辺りまでは金刺氏が抑えていたと考えられる。
このような状況下で郡名の由来になるほどの大勢力が上伊那に存在したとは考えにくい。
第一、郡の中心地におかれる郡衙が飯田市座光寺の恒川遺跡群で確定し、
これに比肩しうる遺跡群が存在していない以上、
考古学的にも阿智家の存在については否定的に見ざるをえない。 というかなんで諏訪はスバルの地のトルコなりだって何時まで経っても周知されないんだろうな〜
ミシャグジ様自体はイザナミ神でヒノカグツチ関連でイザナギが両断な流れー >>253の中では当たり前かもしれないけど初心者には何を言っているのかちんぷんかんぷんだよ 神無月はいつから?
諏訪の神様は、大きすぎて迷惑だから、来るなと言われてるそうだけど。 春宮〜秋宮〜前宮〜本宮と回ってきたよ。
本宮本殿屋根の葺き替え中でイマイチ
神長官守矢資料館良かった。
ミシャグジ総本宮も参拝
小さなお宮だけど鹿のツノ 栗 黒曜石が捧げてあった(笑) 車で行ったのね
電車徒歩では2日がかりだった
ついたちに行くと、毎月神事やってるらし 守矢資料館は入るとおじさんがすごい勢いで展示物の説明をしてくれるよね
うちは先祖の家が本宮の近くで五官の祝の一人と同じ苗字だったから
子孫認定されて更にいろいろ説明してもらった。ただの近所の同姓さんなのにw
ミシャグジ総本宮は行ったことないなあ。墓参りついでに行ってみようかな
>>257
調べたら11/3だった。諏訪明神はでっかい蛇で、出雲の神様会議所の周りを7巻きしても
尻尾はまだ諏訪の松の木にかかっているとかそんな話だっけ?
そういえば去年上田の酒造からもらったカレンダーが神在月表記だったよ そうそう、一生懸命説明していただいた。
郷土に誇りがあるんだね〜
とても楽しい諏訪めぐりでした >諏訪明神はでっかい蛇で・・・・・尻尾はまだ諏訪の松の木にかかっているとかそんな
そうそう、それそれ。
こういうのを読むと、建御名方神は建前なのかなあ。
wikiの諏訪神党に、自分の名字、発見! 諏訪、行ってきた。
大社4箇所まわったが、圧倒的におもしろかったのは
上社前宮。
でも地元の人こそが、「前宮なんか行っても何もないよ」とおしなべて言うんだよね。
その人が意識的に隠しているわけではない感じだったけど
もともと考えた賢者は、下社に観光客を集めさせて集金運営し
本当に聖なる場所は、あまり観光されないように秘して設計しているのではないかなと思った。
古代人の叡智を感じさせたな。 大祝の男系子孫の方っていらっしゃるのでしょうか
御本家は断絶してしまい残念なことですが、天皇家や
出雲国造と同じ万世一系の家系
比較的近年に分家した諏方家はどちらにいらっしゃるのでしょう >>263
自分も上社前宮が一番好きだわ、平日の朝方とかは人影もなくて気持ちいい 本宮にバイクを停めて前宮まで歩くのが好き。
途中で北斗神社の階段でガクブルしたり、
御頭御社宮司総社にも寄れる。
(神秘性という意味では個人的には前宮以上に何かを感じる。) 神奈川の真坂山ってとこに大蛇が住んでいて、日照りで池の水が少なくなると諏訪湖に飛んでいったらしい。 「諏訪大社 祭りと信仰」読みたくてずっと探してるけど、どこにもないわ 元諏訪って言われてる神社が徳島にあるね。
かなり古いらしい。ここから現在の位置に移ったんじゃないかとも言われている。 >>273
オカルトネタは一期一会だからな
ボケもユダヤ民族の歴史の一覧表とかエルメス神とか
新人類だか旧人類だかが男はマクロ、女はミクロに強いだか
トマトが悪魔の実と呼ばれていたとかもう一度見たいなと思ってても
見つからないもん 去年の新聞に次回の上社の御柱は辰野から調達って書いてあったけど、
地形的には宮処牧の山向こう…のような感じだからいいのかな?
いや、いまでも何らかの関わりがあるんだろうなと思った次第で。 >>273
タイトルが間違ってるからではない?
>>237には、<お諏訪さま 祭りと信仰>とあるが。 >>263
> でも地元の人こそが、「前宮なんか行っても何もないよ」とおしなべて言うんだよね。
> その人が意識的に隠しているわけではない感じだったけど
もともと、諏訪大社の一角ではないからね
明治の大編成で、地元民(前宮周辺)の強い要請で格上げされた >>281
それなら洩矢神社や守屋神社を大社に加えればいい話で
前宮は完全に地元のエゴだから、周りの住人の態度が>>263 >>268
苗字に諏訪さんはいらしゃるのですが、その方達はどうなんでしょう?
諏訪の引用がわからないので私も知りたいです。 >>278
先に客がいると無視される。その客が帰ると怒涛の説明ラッシュが始まる あれさ、「すみません少し自分で見たいんで」って言ったらさ、
15秒後くらいして再開してきて正直うざかったから「けっこううるさいかな」って言っちゃったよ。
こっちもそんなこと言いたくないんだから言わせないでほしい。 >>274
>元諏訪って言われてる神社・・・・・・・・・・・・・
社名は、何というのですか?鎮座地名も、やはりスワなのですか? >>223
ikuraサーバ落ち?なのか5/24から神社仏閣板のどのスレにもアクセス不能だ。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/
このHP記事の言う出雲系の諏訪信仰(田植え行事)・都都古和気信仰とは、
どういう信仰のことなのだろ?
郡山(安積)地方関連の古代歴史考察
http://www5.plala.or.jp/obara123/rekisi_10.htm#弥生時代 点で区切ってしまうから混乱するのであって
答えは書いてありますよ?
諏訪信仰にも都都古和気信仰にもお田植え
行事はかかっているのです。 今年の筒粥神事は、昨年同様3分5厘。
春から夏に注意。 真弓常忠氏著『古代の鉄と神々』に拠れば、諏訪大社は古代製鉄業に従事した
人々が建南方を祭神として祀った神社で、御柱は踏鞴炉の高殿の4本の押立て
柱が元だと。さらにその南柱を最も神聖視し、そこに金屋子神を祀ると。これ
より製鉄従事者の崇敬する神社は南宮なのだと。
『梁塵秘抄』にある「南宮の本山は、信濃国とぞ承る・・・美濃国には
中の宮、伊賀国には稚き児の宮・・・」の本山が、諏訪大社。 >>174
進軍ラッパは、流石にまずいと言う意見を全国各地では聞くよ。
地元じゃ問題にならないのかな?
いつの時代から進軍ラッパ吹く様になったのか気になるが、
昔の伝統に則って祭りをするなら、昔は無かったのだから、
進軍ラッパを無くしてもいいと思うが。 うわあ諏訪信仰とかキモオタのやることじゃん
自分のオナネタにするために神を信仰するんだろ? >>297
お前はそうしてるんだろうね でないとそんな発想は出てこない >>282
そんな神社まであるんだ。
深いな。諏訪は、 >>265
先祖が神話の時代の神の
直系一族って
そういないですからね。 何も知らずに諏訪に
行ったので守矢資料館を見逃してしまった・・ 来年はいよいよ御柱祭だね
今のうちに目を通しておくべき本とかある? >>305
信濃国二宮小野神社・矢彦神社にも、諏訪大社同様に御柱祭が
あるんだね。7年に1度、諏訪大社御柱祭の翌年に。
他にも催行する神社があるのかな?
ひょっとしたら諏訪大社よりも古い?小野神社・矢彦神社 2010/9/20
ttp://blogs.yahoo.co.jp/keinoheart/51044394.html >>251
「美しの杜」の名前の由来となってる熱田神宮創設者で有名な宮簀姫こと
厳色姫の「美しの杜」の社伝記に書かれている事も嘘ですか? ☆ 日本の核武装は早急に必須ですわ。☆
総務省の『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、日本人の悲願である
改憲の成就が決まります。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。お願い致します。 >>308
「美しの杜」は大御食神社にある「美女ヶ森」とも呼ばれる森林の事を指す
由来はヤマトタケルの最後の妻である尾張国造の娘である宮簀媛に因む
ヤマトタケルが大御食神社の場所に立ち寄ったとの事でそれの縁だろ
で宮簀媛が夫のヤマトタケルの遺品である三種の神器の草薙剣を祀るため
熱田神宮建てるが、大御食神社では熱田神宮から草薙剣の御霊代とともに
宮簀媛が迎えられたとのこと
諏訪近くの松本市に大宮熱田神社と伊那市に熱田神社があり、
そちらもヤマトタケルと熱田神宮との深い関係があるとの事で
なんか大御食神社との事と関係ありそう 今年の御柱祭で死者が出て、神社が訴えられてるね。
死ぬかもしれない緊迫感が祭りの高揚感を盛り上げるのに。
組み体操を止める運動会みないなものかw。 これまでの死者は結構な数になるのでは?
死ぬ者とその家族・関係者の身になってみろ
いずれこの祭も必ず形を変えることになるだろう あす2016年6月26日21時00分〜21時50分
NHKスペシャル 古代史ミステリー「“御柱”〜最後の“縄文王国”の謎〜」
というのがあるらしい ちょっと楽しみ >>314
何十年もの間、結構な数の死者を出しながらも、形を変えずにやってきた。
そのことの意味を考えるのが民俗学。 >>318
何十年? それっぽっちの歴史しかないのか >>320
昔は、生贄を柱にくくりつけて落としてたんだけど
それが禁止されたので、みんなで落ちれば誰かは死ぬだろうと今の形になった
いつから今の形になったのかははっきりしないが
そこまで古い話ではない >>317
御幣餅として名前出てた人が落ちてまさに死んだ本人なんだね。
どこかで見た名前だと思った。 >>322
バーカ。
御幣持ちと落ちたのは別人たわ。 昔に比べれば大分現代に譲歩しているとおもうけどな
ここの祭祀系統は
神=自然
自然は恵をもたらし、そして時に命をうばう
優しい神様だけじゃない
だから「畏れ」「敬う」 下諏訪の実行委が解散総会
「成功裏に終わった」
下諏訪町の御柱祭実行委員会は18日、今春の諏訪大社下社御柱祭を総括する解散総会を下諏訪商工会議所で開いた。
事務局は、山出し、里曳き合わせて約91万3千人が訪れた祭りを振り返り、
「諏訪地方観光連盟御柱祭観光情報センターと協力し、来訪者の情報不足をある程度解消できた」と報告。
全体的には成功裏に終わったと評価した。
約120人が出席。
3時間近く曳行時間が遅れた、との反省も出た。木落し坂では、危険を回避するため女性や子どもらに御柱から離れてもらうのに時間がかかったことから、
「一度綱を離れても、速やかに合流できる迂回路を設けるといった対策が必要」との指摘が出た。
自作の腕章で規制線内に入ろうとする人がいたことも話題になった。
人口減などで各世帯からの賛助金の総額や企業などから受けた特別賛助金の件数は減った。
「企業に対し広告効果が高く魅力的な特典を検討する必要がある」との意見も出た。
会計決算は、歳入歳出ともに1億4800万円余。
約500万円を、次回2022年御柱祭までの通年観光に活用する目的で下諏訪観光協会に交付することを確認した。
(2016年10月19日掲載) 私は元創価の会員でした。
すぐ隣に防衛省の背広組の官舎があるのですが、
自分の家の窓にUSB接続のwebカムを貼り付けて、そこの動画を撮影し続け、
学会本部へ送っていました。
別に大したものは写っていません。ゴミだしとか奥さんが子供を遊ばせている所とか。
官舎が老朽化して使われなくなってから、
今まで法人税(うちは自営業です)をほぼ払わなくても済んでいたのが、
もう守ってやれないのでこれからは満額申告するように言われました。
納得がいかないと言うと、君は自業自得で餓鬼地獄に落ちるので、
朝夕南無妙法蓮華経と三千回ずつ唱えて心をきれいにしなさいと言われ
馬鹿らしくなって脱会しました。
それ以来、どこへ行くにもぞろ目ナンバーの車につけまわされたり大変な日々です。
全部自分の出来心から起きた事で、どこに訴えるわけにもいかないのですが、
なんとかあの人達と縁を切って新しい始まりを迎える方法はないんだろうか。 タケミナカタの正体は、敗残した怨霊神(物部守屋大連)を、
「健き(雄々しき)御名のお方」(=モリヤ神)として、その末裔である神長官・守矢氏が祀ったもの
神体山・守屋山に依りまし、血の祭儀・御柱によって封じられている
諏訪大社創建はタケミナカタ敗死より遥か古いのは言うまでもないが、
それは古き神・ミシャグジであり、
新しき神・タケミナカタは諏訪信仰を一変させた
それを行ったのは、石上神宮系の物部一族とされる テディベアで小宮御柱祭を再現 白樺湖畔の美術館
茅野市と立科町境の白樺湖畔にある蓼科テディベア美術館は1日、
9月の池の平神社御柱祭で使われたメドデコや法被などの展示を始めた。
冬に訪れる観光客に小宮御柱祭について知ってもらおう、と初めて企画した。
実際に使われた法被をテディベアに着せ、メドデコに乗せて雰囲気を演出。
準備風景や、御柱1本をボートで引っ張って湖面を曳行する「お池渡し」などの写真約60枚も展示した。
美術館の担当者は「県外からの観光客に、諏訪地方の御柱祭に親しんでもらいたい」としている。
来年2月末まで。
県民や県内に通勤通学する人は入館料が半額で、高校生以上700円、小中学生400円、3歳以上小学生未満150円。
午前9時半〜午後5時。
火曜休みだが、20日、27日、1月3日は開館する。
問い合わせは蓼科テディベア美術館(電話0267・55・7755)へ。 ここがアマテラス皇族さえも敵わない、
わが国における、
真の王族のスレか・・・
>>332
物部はニギハヤヒ系列なのに
どうしていきなりオオクニヌシ系列に収斂されるんだ??
ソースが無いなら妄想レベル
下らない言葉遊び >>336
同盟では意味が無い
血縁レベルで証明しないと無意味