日本海を渡って列島の日本海側に至り、そこから南進した人たちだから父祖が信仰した海の神を祭るのは当然だと思う。
そして諏訪の人たちの一部はさらに南進して、大和朝廷に隷属するまでに太平洋にも到達している。
(その経路が現在のR153)
最終的には衣に至ったが、壬申乱後、持統天皇の時代に大和朝廷に滅ぼされた。
なお、衣の海=衣浦の地名が残っている。
碧海(あおみ)と呼ばれていたのは、そう青くもない海だが緑色の強い日本海とは違う青みの強い海だからそう名づけたのだろう。

もちろん歴史からも彼ら太平洋に至った王権の存在は抹消されている。
大和朝廷が崇める最高神が彼らの神と習合しており、不都合だったこともある。