仁和地震の時に崩れた山の土砂で川が堰き止められてできた相木湖と、もう一つの湖が小海地方に残る地名の由来と言われている
海ノ口から海尻間にできた湖は約100年後の決壊により消失したと言われているが、相木湖は鎌倉中期までは存在していたとみられている
安曇野・松本平も山間の扇状地
水が流れ出る場所は限られているから過去に同様の現象があったのかも知れないが、海人族である安曇族の流入が大きく影響していると考えた方が納得できる