庚申信仰の初出史料が神亀元年十一月庚申の宴?さすがに冗談だよね?
君が言うのは「十一月庚申。召諸司長官并秀才及勤公人等。賜宴於中宮。賜糸各十絇。」だろうけど、これは偶然に宴の日が庚申の日だっただけ。
この十一月に(事情がある場合は前倒しで)宮中で宴を催してその際に官人に糸や綿、布などの禄を下賜するのはこの時代の通例で毎年の話。
神亀二年には十一月己丑に「即引文武百寮五位已上及諸司長官大学博士等。宴飲終日。極楽乃罷。賜禄各有差。」とある。
神亀三年には九月壬寅に「文人一百十二人上玉棗詩賦。随其等第。賜禄有差。」とあり前倒しで詩歌の会を催してから十月から行幸に出てる。
神亀四年十一月己亥は「是日賜宴文武百寮已下至使部於朝堂。五位已上賜綿有差。累世之家嫡子、身帯五位已上者。別加絁十疋。」
きりがないからこれくらいでやめておくけど、神亀元年十一月庚申の条を庚申信仰の初出とする根拠はない。
庚申の宴だと言うなら次の庚申の日に当たる閏正月にも同様の宴の記録があるはずだけどそんな記述ないよね?

青面金剛に関しては鎌倉・南北朝時代時代の渓嵐拾葉集が出展。
室町期以降に書かれる庚申縁起にもしばしば同様の内容が出てくるので庚申塔の出現する中世期には受け入れられてたと見ていいと思う。

やっぱり出てきたかという感じの茅ヶ崎の三猿塔だけど、応永年間に上杉憲実が出した、懐島氏に比叡山領の横領をやめるようにいう書状があったりする。
少なくとも茅ヶ崎周辺に関しては天台寺院の存在は強く否定出来ないと思うよ。
それに山王社があるのに天台寺院がない集落があるなんて言われてもそうですかとしか言いようがない。
そんな印象論による誘導されてもねえ。

ただ中世の庚申塔だと青面金剛も猿も阿弥陀や地蔵などと比べて優勢ってわけでもないのでちゃんと論をまとめられると面白いと思うよ。