天台系がない村にも山王社が多いという事自体を否定するつもりはないが、それだけでは説得力が弱い。
庚申信仰と山王信仰の関係を否定的にせよ論じるならちゃんと個別の事例を検討しないとならないし
それをしないなら印象論以上にはならないよ。
たぶん大庭御厨の印象が強すぎるせいだろうけど、茅ヶ崎の話でも14世紀半ば以降の急速に荘園の解体が進み15世紀になると神宮の支配の実態が無くなるあたりの細々した話を見落としてる人は多いし。

あと法華曼荼羅なんかが典型的だけど、日蓮宗も種字は使う。
ただ実相寺の所属する中山門跡は南北朝以降に門流離脱したり天台や真言律とつるんだり門跡復帰したりしてるんで
確実に日蓮宗のものかと言われると断言はしにくい。
同時期に旧入間川流域から緑泥片岩いわゆる秩父石の板碑が大量に出てきてるんで
そっちと合わせてみたほうがいいんだろうけど、
足立の文明十五年癸卯十月十五日銘庚申待供養板碑なんかは寺に安置されてたわけでもないし来歴不明すぎるし
現時点では室町時代の話はちょっと難しい気がする。