アイヌ文化詳しい人ちょっときてみな
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19世紀の100年に渡る人口調査(もちろん不正確なものであろうが)によれば、北海道のアイヌの人口は約(1)から2万である。 今の道民の数が500万以上だから、とても少ない数である。 北海道庁の大正7年の調査によればアイヌ語の(2)は約(3)ほどであるから、当時のアイヌ社会においては、まだアイヌ語が盛んに行われていたと言える。 狩猟、アイヌ語で(4)は(5)を人間の世界に迎えるという宗教的な意味を持つ。 真駒内というのはアイヌ語の地名であるが(6)にある川という意味であった。 この語の意味、すなわち(7)の(8)が日本語になかったため(9)と混同され「山奥にある川」などの意味だとされてきた。どちらにも、山があるからである。 真駒内は日本海沿岸地方と太平洋沿岸地方とを結ぶルートであった(10)の(11)にある川という意味であった。 オホーツクに近い町、遠軽の名はアイヌ語のinkarである。inkarはV1の「〜物見る」という意味である。だから、「物見山」と訳せよう。 名高い敢望岩の原名である。「遠軽」は(12)、「敢望岩」は(13)である。?inkarはまた札幌の(14)の名でもあった。 アイヌ語を知らない慌て者が誤って北隣の(15)の名であった(16)を(17)の名にしてしまった。 遠軽も敢望岩も札幌もインカルシペが本来の山名とされているが、これもまた誤りであろう。 このアイヌ語は「インカラにくっついてる川」と解されるから、山の名がインカラで、?inkar-us-peは?inkar-us-petであったかも知れないが、 いずれにせよ「インカラにくっついてる川」と解されるから、インカルシペはその傍らを流れる湧別川、(18)のことであったと考えられる。 上の2つの川の名にあらわれる?omaと?usは存在をあらわす(19)であって、存在する場所と(20)による。 ?eはV2で「〜が〜を食べる」、?ipeはV1で「〜もの食う」ないし「〜が食事をとる」という動詞である。 だから、「私は肉kamを食べる」は(21)となり「私は食事をとる」は(22)となる。 また、nukarはV2で「〜が〜を見る」、?inkarはV1は「〜がもの見る」ないし「〜が視覚を働かせる」という動詞である。 だから、(物語では)「私は山nupuriを見る」は(23)となり「私はもの見る」は(24)となる。 物語を語るのではなく、会話を行う時は、「私は山nupuriを見る」は(25)となり、「私はもの見る」は(26)となる。 この話は、十勝方面で語られているが、胆振方面でhekaci「子供」というのを十勝ではekaciと言う。アクセントのない音節の頭のhは十勝方言では になる。 したがって、「〜が走る」を意味するV1は胆振でhoyupu/hoyuppa(sg./pl)というところを、十勝では(27)/(28)(sg/pl.)という。 ところが、物語では胆振の「私は走る」がhoyuppa-?anに対して十勝では(29)となり、会話では胆振のku-hoyupuと同様(30)となる。 ku−は(31)を前に1つ移動させるからである。 この話を最初に語った人は熊獲りの名人である。 したがって、cawetok、teketok、remetokの3ての(32)を備えて神の(33)のある(34)である。そのような男性の妻は(35)とか?iresu sapoと呼ばれる。 この語り手はこの時、網袋の、アイヌ語で(36)と網袋を背負うための紐、アイヌ語で(37)を1つずつしか持っていなかった。 この紐で網袋を(38)と背中で支える。そこで、もう一匹の小熊を捕らえて(39)をおりるためにフンドシ、アイヌ語で(40)を解く必要があった。 こんな簡単なのやらせるの忍びないんだが、穴埋めしてみてくれ ◆ ウポポ = У(ウ) пoпo(ポポ) http://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/ainu-izika-garubohi/upopo.html アイヌ民族舞踊 ウポポ・マクンバ呪術の和人側資料 『重点ポイント』 h ttp://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/ainu-izika-garubohi/upopo.html#アイヌ語を、和人や外国人が理解するコツ h ttp://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/ainu-izika-garubohi/upopo.html#アフリカからロシア向けの中世の奴隷 h ttp://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/ainu-izika-garubohi/upopo.html#白丁奴隷(アイヌ同様に人喰い人種。両班の息子を食べる本能) ■ PigNoseLogy 『豚鼻学』 / 獣医学の人類応用編 http://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/01_pheromonelogy/PigNoseLogy/ButabanaGaku.html ◆ ゴリラ顔 VS ピリカ ↑ ↑ アイヌ顔 相生顔 h ttp://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/gorira_type-b/yah_kamui/Bonnta/goriragao_tokebi_pecchong.html#ゴリラ顔孫悟空VSピリカ http://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/gorira_type-b/SoutaiseiUari/soutaiteki_UTARI._index.html バイオ・ハザード 標識 h ttp://www.google.co.jp/search 検索・省略 ↓ ↓ ↓ 【繁殖学・遺伝学】 鎖国の弱い地方がアイヌ顔でパッパラパー http://www.geocities.jp/orionseijin_cacacakah/ainu_rosuke/munohge_B_guruppa_beet/papa/a_few-Possia.html @ パッパラパーは、鎖国の弱い地方のアイヌ顔と学力な、超強力な「優性遺伝DNA」です。 A パッパラパーが弱くなっていないで、鎖国の弱かった地方はゴリラ顔とB型血液型とパッパラパーが、優性遺伝で増え続けてきた証拠でもある。 B アイヌ人100%を意味するD2系遺伝子顔は、パッパラパー遺伝子マーカー顔である。 アイヌ人は元はD2ではなかった! アイヌ人の元来のY染色体ハプロタイプはおそらく北アジアに多いC3。アイヌ人の中にも13%存在する。 以下ソース 10 :名無しさん@12周年:2012/01/28(土) 16:42:47.09 ID:udmCTrHt0 644 :出土地不明:2011/09/19(月) 15:09:53.83 ID:q9o0HeeF >>640 アイヌなど本州からの病原菌の持ち込みで絶滅で2万人しかいない。 北海道の多数派である越後人や越中人と混血した者しか生き残っておらんだろう。 新潟県のD2とアイヌのD2は同じマーカーM55とP37.1陽性なのだよ。 アイヌの父系は、ほぼ越後人・越中人なのだ。 まぁ、 アイヌは アイヌ部族風習自体は確かに オホーツク〜東日本全般に確かにあったが、 今日でてくる。日本史の中にあるアイヌ風習と 原生アイヌって根本的にまったく違うんだよ。 そしてオホーツク東北の文化圏と今日のものは違うし、 そもそも現アイヌ文化は構成的に相当かわったもんで、原型ない。 さらに民族史学史観では 東日本、の大半は元アイヌになって、歴史人種系統はそうなるんだけど、 その状態で、あくまで 凡アイヌから生まれた、Bアイヌが別形態文化になった境。 Aアイヌがその私有を主張するのは変。 その理屈はBアイヌがアイヌ、オホーツクの主張と同じ。 担ってしまう。だから別。 まぁ確かに日本刀の前の刀は東北が作ったものだが、それを アイヌ全文化にするのは文化破壊と文化盗掘だろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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