渡島半島沿海部に限って言えばアイヌは侵略者、破壊者でしかないんだよなあ
もともと渡島半島にはアイヌ文化なんぞが成立するはるか以前に擦文文化から分化した青苗文化を成立させた集団がいたし、こいつらは和人が進出するようになると和人の環濠集落内で雑居してたりする
で、この状況を崩壊させたのがコシャマイン
道南十二館のうち上ノ国花澤館と松前大館以外を攻め落とした結果、青苗文化集団の痕跡が激減、特に住居痕は消滅して土器などが細々と出てくるだけになる
なお、青苗文化集団は中世日本では渡党と呼称されていたという説があり、この場合しばしば和多利党の首領を自称した蠣崎氏(後の松前氏)は中世においてはアイヌの被害者の代表格ということになる