アイヌ文化詳しい人ちょっときてみな
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19世紀の100年に渡る人口調査(もちろん不正確なものであろうが)によれば、北海道のアイヌの人口は約(1)から2万である。
今の道民の数が500万以上だから、とても少ない数である。
北海道庁の大正7年の調査によればアイヌ語の(2)は約(3)ほどであるから、当時のアイヌ社会においては、まだアイヌ語が盛んに行われていたと言える。
狩猟、アイヌ語で(4)は(5)を人間の世界に迎えるという宗教的な意味を持つ。 真駒内というのはアイヌ語の地名であるが(6)にある川という意味であった。
この語の意味、すなわち(7)の(8)が日本語になかったため(9)と混同され「山奥にある川」などの意味だとされてきた。どちらにも、山があるからである。
真駒内は日本海沿岸地方と太平洋沿岸地方とを結ぶルートであった(10)の(11)にある川という意味であった。
オホーツクに近い町、遠軽の名はアイヌ語のinkarである。inkarはV1の「〜物見る」という意味である。だから、「物見山」と訳せよう。
名高い敢望岩の原名である。「遠軽」は(12)、「敢望岩」は(13)である。?inkarはまた札幌の(14)の名でもあった。
アイヌ語を知らない慌て者が誤って北隣の(15)の名であった(16)を(17)の名にしてしまった。
遠軽も敢望岩も札幌もインカルシペが本来の山名とされているが、これもまた誤りであろう。
このアイヌ語は「インカラにくっついてる川」と解されるから、山の名がインカラで、?inkar-us-peは?inkar-us-petであったかも知れないが、
いずれにせよ「インカラにくっついてる川」と解されるから、インカルシペはその傍らを流れる湧別川、(18)のことであったと考えられる。
上の2つの川の名にあらわれる?omaと?usは存在をあらわす(19)であって、存在する場所と(20)による。 和人がアイヌ模様をファッションにしたら怒られるべか?
絶対、イカすと思うんだが… >>69
かなりに了見ふかいですね。
ぜひ弁論ひろげてもらいたい。 冬は雪に閉ざされたような生活を強いられると思われるんだけど、
それで保存食として鮭なんかの恩恵を受けてたんでしょうけど、
内陸の部族の人は塩をどうやって調達してたんですかね? 4/2から東京 駒場の日本民藝館で特別展「アイヌ工芸-祈りの文様」開催 「シヤウレンテ」「ヲルハウシ」ってカッコイイ響きだけど
日本語でどう言う意味?
あとサムスピのナコルルって本当はナコェルエルって
発音するって本当? ざっと読んだ。
日本語・アイヌ語同系説が瞬殺されててワロタ。 じゃ、日本語と同系なのはやはり韓国語ということだな。
同系じゃないという人が強烈に反発していたが、google chrome の翻訳機能が充実してきたので、
各国の wikipediaを翻訳して読んでみると、韓国語の wikipediaは無茶苦茶素直に読めるぞw ここはアイヌスレだからな、
韓国語と日本語の関係性を論じたいなら他所でやってくれ >>70 近々、アイヌ文様が流行るような気がするけど、
スカートには抜群に良いだろし、シャツの柄でも良いし、柄を細かくしても良いね、
なんとなく大きな柄が流行そうな気がするし、
ボクサーのガウン トランクス 体操 サッカー 卓球 なんでも使えてインパクトを与えられるし、
アイヌ文様は原野に一生暮らす原住民とは思えない高度文明的な文様、
色彩的に自分は好みだし、
外国の人達にしてみれば日本 チョンマゲ、忍者、芸者、
アイヌ知らない人が多いと思う、
アニメも良いけど、服飾で日本古来の良いものをもっと海外に発信すればいい、
アイヌの写真を見れば威厳ある風貌、おおらかさが現れてるし、 >>79
それはそれで「アイヌ語の熊が日本語の熊の語源」とか言ってたバカの否定でもあるから
コトの発端になった「アイヌ語の熊が日本語の熊の語源」が否定されてるなら、「それ違う」言ってた方は、否定されても結果においては目的を果たしてるって時点で面白いわなw >>83
その論争の中で日本語アイヌ語同系論者が怪しげな語源論を展開した結果、
労せずに同系論を瞬殺できた日本語アイヌ語別系論者は笑いが止まらない訳だ。
別系論者にしてみれば、神の語源が熊であろうとカム+イのどちらであろうと
同系論という点では一つ穴の狢。
それが勝手に潰し合ってくれた挙句、
勝った方ですら日本語の音韻の変遷の知識を無視した、
こじつけ程度の主張しか出来ていないことを示せたわけで
完全に別系論者が漁夫の利を得て一人勝ち。
なるほど面白いわな。 最近の三、四十年限定でアイヌにもトーテムポールはあるよね。 エヴェンキの要素が強いのって、朝鮮人の血が濃い関西人の方なんじゃないの? 宗教から歴史、哲学、超常現象、政治経済まで
あらゆる情報の宝庫「中杉弘のブログ」です。
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/ あーあ、>>80が韓国起源論とか言うから・・・。
ほんとダメな子だ。 1000年前から京鎌倉江戸とみてきたはずなのに
武家政権やモンゴル帝国を見てきたはずなのに
それに模した世界観をしらないんだけど
一般人が知らないだけ
織豊時代や江戸期や明治期の高度成長をめのあたりにしたんじゃないのかな
たとえば北北海道や樺太や千島に5万都市つくってたら
松前が攻め込んだのかね
他者からみれば1000年和人との交易がベストで生きてきたようにしかみれないが
そんなに過酷なら北方に逃げだしたんじゃないの
元や明とむすびつくだろうし
本気の危機感が(和人のとってのアヘン戦争や黒船みたいな)感じない 北海道におけるアイヌ人みたいに、朝鮮半島の南側一帯の先住民である倭人から
土地を丸ごと奪って国を建国した韓国に抗議して、謝罪と賠償と国土の返還を請求しよう。 突然書き込んでスミマセン。
妖怪ってどう思います?(女の妖怪。例えば、お岩さんとか。) う〜みゅ
申という字が熊を示し得るか否かって観点だと在り得る事は在り得るんだよなw
アイヌ云々での考察が正しいかは兎も角としてw ■日本人(モンゴロイド)が差別される理由〜人種差別の本質は容姿差別〜
皆さんはダウン症をご存知でしょうか?染色体異常が原因と思われる病気で、身体、
知能の発達が著しく低くなります。この病気は世界中で見られるのですが、とても奇妙な、
そして興味深い特徴があるのです。それは、この病気を持って産まれた人はいかなる人種でも、
皆同じ顔をしていると言う事です。そして、その顔とはまさにモンゴロイドそのものなのです。
欧米でも中東でもアフリカでもモンゴロイドの顔をした人がしばしば産まれているのです。
そのため、外人はモンゴロイド顔にとても敏感なのです。
勿論、周りの人はそれが遺伝子に異常を持って産まれたであろう事を知っていますが…
これは同じモンゴロイド顔をした日本人同士が議論していても決して理解できる物ではありません。
■「ダウン症候群」=「Mongolism(蒙古人症)」または「mongolian idiocy(蒙古痴呆症)」
ダウン症は、1866年に英国の医師ジョン・ラングドン・ハイドン・ダウンが初めてその存在を発表しました。
ダウン医師は発達の遅れを持つ子供の中に両親は違っていても、兄弟のようによく似た子供達が
いることを発見しました。ダウン症の特徴は、モンゴリアン(蒙古人)の特徴とよく似ていることから、
ダウン医師はヨーロッパ人の中で能力の劣った蒙古系の人種が生まれてきたと考えました。
そしてモンゴリズム(蒙古症)という名を付けたのです。その後、1965年にWHOによって
ダウン医師の名前から「ダウン症候群」を正式な名称とすることが決定されました。
■ダウン症の特徴はモンゴロイドの特徴
ダウン症の容貌の特徴に短頭・首が太く短い・低身長・短い手足
凸凹してない平面顔・筋緊張低下・内眼角贅皮(蒙古ひだ)・厚いまぶた
平坦な鼻根・あごが未発達・エラなし・直毛…
全ての特徴が現れる訳ではありませんが、モンゴロイドはダウン症の特徴が多く集まっています。
コーカソイドでも、この病気を持って生まれてくるとモンゴロイドのような顔になります。 >>66みたいに自信満々に嘘書かれると信じる人も多そうだな
(幸運にも今回は>>67であっさり反論されて恥を晒してるけど)
一番の問題は同祖論の人が自己弁護のために
捏造した語源論や韓国起源論みたいな支離滅裂な書き込みしたことだが 上代特殊仮名遣いと言っても、転訛とかがあるから万能じゃないけどな アイヌ文化と言えば銀の雨降る降るとか
木彫りのクマとか木彫りアイヌ人形とか
最近のアイヌ少女の横顔木彫りは昔からあったのか?
コロポックルの神話とか
トンコリやらはテレビで見たが
アイヌがクマの保護を訴えないのはおかしい
クマとは仲良しのはずだ 木彫りの熊ってのは、徳川の殿様の子孫が、北海道の人の冬の副業に彫らせたのが始まりとか…。 >>113
そのわりには本州であまり見ないな
北海道の土産物屋にしかない そういやアイヌの博物資料でも楽器はあるけど模像は見ないし、像を作ってたという説も見たことがない
木彫り細工は比較的新しいんだろうね
つまりアイヌは偶像崇拝を一切排した純潔のラb……おっと、誰か来たようだ >>114
そのあたりのことは、木彫りのクマ発祥の地である八雲町の観光紹介で記述されてる
木彫熊北海道発祥記念碑
(ttp://www.town.yakumo.lg.jp/modules/tmap/index.php?lid=185&cid=26)
スイスを旅行で訪れた徳川義親侯は民芸品として販売していた木彫り熊を
八雲の農民の冬期間の副業に奨励しようと買い求め帰国しました。
これを見本に1924(大正13)年に八雲の農民が製作した木彫り熊が
北海道の木彫り熊の第1号となりました。
その後、木彫り熊は全道へひろがり北海道を代表する土産品のひとつとなりました。
スイスの民芸品を模倣したのだから本土で熊の木彫りがないのは当然。 スイスのまねっこだから
本土に置いてないと言うのは理屈になってない
土偶作れば売れそうなのに
土偶欲しい 土偶は一部を壊して埋めるのがデフォ。それで、縄文人は厄を祓ったのだろう。
一番有名な土偶である木造村の遮光器土偶(デニケンが宇宙人と名指ししたものw)が右足が無いからと、重文なのは解せない!!
ハート型土偶や合掌土偶は壊されていないから国宝なんだよなw
やっぱり、土偶と言ったら何と言っても遮光器土偶だべ。アイヌ文化の基底文化と繋がっている。 草生やして面白いこと言ってるつもりなんだけど
支離滅裂すぎて全く理解できない 中世にアイヌの人々が北海道に出現するまで、700年以上も北海道の主で先住民であり
当時の本州側の文化や生活様式との共通点も多々あった縄文系の擦文人の人々は
何でアイヌ人が現れたら突然、北海道から消えたんだ?
アイヌは縄文系だとの説をことあるごとに全否定し、アイヌは日本人とは完全に別の民族だとやたらに強調する人は、
そのあたりをどう説明出来るのだろう。アイヌが擦文人から北海道を奪い取ったとでも言うつもり?
アイヌは擦文ほか縄文系からの分派進行型だと思うのだが、そうじゃないならアイヌは擦文から北海道を奪った侵略者か?
中世に至る迄の長い間、アイヌの人々は一体どこで何をしていたのだろう。てのが余計に謎になるんだが… >>122
消えてなくて中世に世界的な寒冷化で北海道が狩猟生活のみになった時に
より北方の住民と文化融合が有ったと思われる
あと気になるのが義経の存在 アラスカでエスキモーとユダヤ人が混血しまくってたらしい
その辺が北海道の情勢に関連しているのでは >>122
現時点で発掘された史料上消えているのであってリンクは不明
俺の知る限りでは>>123の解釈が妥当だと思う
>>124
それ初耳、詳しく つまりアイヌは縄文系の一派であった擦文人とオホーツク文化人との融合型かいな?
なら納得。でもその場合、アイヌは縄文人とは関係ない。全く日本とは関わりのない別の人種民族だったんだ
って話は真っ赤な嘘なのか。反日プロパガンダ的なさ。 単に文化で区分しているだけ。人種で考えると、アイヌは縄文文化の後継者。
>>126は妄想。 >>126
あまりよく分からないものを取り入れない方が良いのではないかと
http://news.3yen.com/2006-10-06/the-japanese-girls-are-ugly-blog/
酷い言われよう
The ‘Japanese girls are ugly’ blog
「日本の女の子は外見も醜いが中身はもっと醜い。無礼だし。」
「日本の女は気持ち悪い。態度もなんとも最悪で酷い。こいつら宇宙人は
自分の事を何様だと思ってるんだ?ムカつく。そろそろまた爆弾落とした方が
いいんじゃないか? 」
「日本の女子はウンコ以下」
「顔も醜いが体も醜い。寸詰まりで足が短く蟹股で太くペチャバイで歯が汚く性格も悪い。」 >>122
>中世に至る迄の長い間、アイヌの人々は・・・・・・・・
東北・北陸地方各地に残るアイヌ語系地名からみて、本州にも
分布していたが、西方から東進してきた倭人集団に吸収されたのだろう。 >>69
>富士山アイヌ語起源説についても・・・・・・・・・・・・・・
泰斗金田一京助は、アイヌ語系地名を関東地方以西に広げるのには慎重だった。
碩学山田秀三は、どう言っておるのかな?
コタンメール 第68号 アイヌ民族博物館 2013/03/20
http://www.ainu-museum.or.jp/info/kotanmail/kotanmail_68.pdf アイヌ語地名説は慎重にあつかう必要があると思う。
盛岡の菅原進氏なんかアイヌ語地名で高い本を出しているようだけど…、彼の解釈をみると納得できるコトも多いんだけど
外しているなあと感じるトコは、まあ一部なのだろうが、彼の説が引用されるととっても「目出つ」んだよね。違和感持っちゃうよ。
労作な分だけもったいないなーと思う。 >>122
何をもって縄文系とあなたは呼んでいるの?
擦文人が縄文系であれば平安の関東人だって関西人だって縄文系だよ。
だいたいmtDNAからみると北海道縄文人は本州その他の縄文人と明らかな違いがる。
アイヌは10世紀前後に北海道道東道北でオホーツク人と混在していた部族が南下し、
全道に拡散したのがその起こりだよ。それを単純に縄文系とよぶのは間違い。
>>131
10世紀以降の道東のアイヌ系が「日の本」と呼ばれていたが彼らは東北と交易し、
諸点ももっていた。地名が残ってるのはそれが原因。だいたいアイヌ語と縄文語は別だよ チロンヌプカムイ
アイヌにおいてキタキツネを顕現体とするカムイ。
「チロンヌプ」とはアイヌ語で「キタキツネ」を意味すると同時に「われら(アイヌ人)がどっさり殺すもの」という意味もある。
つまり、数も多く捕獲することがあまり危険でないキタキツネは、アイヌ人に狩猟対象として身近な存在であった。
アイヌ人も世界の人と同じように、キツネという動物をずるがしこく、悪知恵を使って人を騙し、また少々間が抜けていて人に騙し返されるような生き物だと考えていた。
http://wwwc.pikara.ne.jp/worldsend/fantasia.html
したがってチロンヌプカムイは主人公として神謡に登場することもあった。黒ギツネのカムイは特にシトゥンペカムイと呼ばれる。 アイヌの子孫(数十代続く家系、父親が北海道)の男性と大学生の頃お付き合いしたことがある
結婚したらお墓だけは一緒に守ってほしいと言われた
寝る前に必ず自然と先祖への感謝を唱えていて質素な生活を好んでいた
これは子供のころからの習慣だと言っていた
身長183cm、スタイルよく肌はきめの細かい色白、顔は妻夫木さとしに似ている濃い目の顔
モテる、性格は温厚だけど高校生の時喧嘩で複雑骨折していたので気質的に弱いわけではない
むしろ男らしいが繊細さもあり
典型的な縄文顔 父親も俳優の様なイケメンだった ちなみにそのアイヌ系の男性の血液型はB型
縄文系がB型、渡来系がA型という情報を最近知った
経験的にそうかもしれないと個人的に思っている 紀元前から半島には倭人が居住していました。
その後560年頃まで任那や狗邪等の倭人国家が存在しています。
【実際は多民族な半島】
当時の多民族地域である半島
(当時の半島の人口は日本の数分の一で特に人口密度が低い地域。そこに中国系の棄民(渡来)20万や、倭人国家、現在の満州族に近い高句麗・百済人の渡来、更に北方系の少数民族、中国南方からの渡来と2桁以上の民族が渡来する完全な混血地域)
元々人口密度が低かった為、先住の倭人や北方系・中国系の少ない地域に各地からの難民等が流入・渡来しました。
【大規模な混血と他民族支配】
これらの民族に更に時代が下り、李氏朝鮮時代に女真族(モンゴル系)が支配するにいたり大規模な混血が発生します。
現在の朝鮮人の顔(未整形)がモンゴル人にそっくりなのはこの頃のハイブリッドが原因です。(その後、元にも支配されます)
2世紀遅れの純血思想・民族主義に酔っている朝鮮民族(韓国人)は
言わば正真正銘・混血民族でしかも近年においてモンゴル系による塗り替えを経験しています。
【古代に存在しない朝鮮人】
朝鮮民族の成立はおよそ1000年前と新しく、彼らが主張する古朝鮮民族というのは、
倭人・中国人・満州系・その他多民族を指す言葉です。古代に朝鮮民族が存在したのではなく、
現在も存在する他民族が半島にごった返していた状況に民族主義を無理やり当て嵌めたのが古朝鮮民族という捏造の人種です。
在日朝鮮民族が好む「古代半島の朝鮮系が・・・」と言うセリフは、過去に朝鮮民族が存在していないため〜系とぼかしを入れた表現です。
実際には朝鮮系すら存在せず、他民族がそれぞれの民族史を作り上げていただけです。
ちなみに、韓民族という人種は現在の韓国人とは全く別人種です。過去中国中部・北部や半島に存在しましたが、この民族を近年の朝鮮民族が偽称して盗用しているだけです。
ですので、本来の韓民族≠現在の韓国人、となります。 アイヌは黒狐をシトムベカムイと呼ぶらしいけど、
一応神扱いということ?
本州の化け狐の類とは違うの?
アイヌは本州と比べて、神や妖怪の区別がますます曖昧になっててややこしい 原始日本人であるアイヌが沖縄と北海道に集中しているのは間違いないと思う 沖縄にアイヌが集中しているとか頭おかしい
それに原始日本人も何もアイヌ民族の成立は鎌倉時代後期になってからだぞ (こういうのに触ってあげてもイマイチ延びないあたり過疎板を実感する そうやって、煽ってわざとスレを伸ばすって2chの典型的行為に、皆飽き飽きしているんじゃないの? 狩猟採集民ということで
アイヌ人に平和的なイメージ持ってる人多いけど全然そんなことないよな。
民話だと相当な比率で自分の部族滅ぼされた子供の復讐譚とかだし。 >>146
>狩猟採集民ということでアイヌ人に平和的なイメージ持ってる人多い
中国と接した狩猟採集民=女直
日本と接した狩猟採集民=アイヌ
商品植物を採集し、
商品動物を狩猟する、
商業民族だぞ >>154
ガガーリンは南方系なんだね
南方系って言い方アバウトだよな
ロシアより北は無いんだしバカっぽい 明治維新前後の写真のアイヌの人々見るとインド人ぽいというか、けっこう南方系をイメージする顔つき >>157
日本海側が沖縄やインドっぽいオホーツク側は白人ぽい
海流が影響してるのかサハリンから南下しやすい流れはオホーツク側なんだよね
陸路が無くなってからは船だからかな?と予想
ビックリするほどの美人は東だな アイヌ民族解放運動を担っているのは、北朝鮮シンパの自主の会(主体思想信奉者)メンバー アイヌの一系統サルンクルに就て
http://www.jstage.jst.go.jp/article/ase1911/47/4/47_4_137/_pdf
奥茶Aイヌとサルンクルとの關係
サルンクルには所々に祖先が本州の南部領から來たといふ傳説を傳へて居る。
私は勇拂郡累標のアイヌ部落を調査した時(1931年7月)同地のアイヌの古老から、先祖は南部から來たといふ傳説があるといふことを聞いた。
叉長年日高に居た太田岩太郎氏が拙宅を訪れられた時(1931年3月)昼(ハクチ)のアイヌには、
青森縣打越(ウテツ)から來たといふ傳説が殘つて居る旨御ヘ示を得た。
吉田巖氏が亡父河野常吉に宛てた手紙(大正7年)にも、幌去アイヌ「テマンナ」と云ふ者の祖先がシヤモ地から來たといふ言ひ傳へがある旨書いてある。
同様の記事は古文書にも散見する。例へば東蝦夷日誌第三篇七月三日の項に、
「ホロサルに宿、此村昔十勝より來りし者と津輕の宇鐡より來りし者の子孫なりと、今に乙名また外の家等にも持來りしと云ふ種々の寳物有と」
山崎某の東蝦夷地紀行(文化3年)には、「宇鐡の夷は此サルより來れりとなり、
夷人に之を尋ぬるに津輕の夷は元此サル川目の惣乙名なりしが、故有て爭論起り雌雄を爭ひしが、
终に軍に負けて一門徒類を引連てエソが嶋に住居叶はず遠々日本國津輕宇鐡と云處へ迯渡りたるよし老夷申傳へたりとなり、
共夷のウタレ(家來ないふ)の子孫今酋長となりて甚だ富貴に暮し居るといへり」とある等である。
後者は前者と反對に、宇鐡のアイヌがサルから渡つて行つた様に書いてあるが、南部アイヌと血族であるといふ點では變りない。
前出累標(ルペシベ)・幌去(ホロサル)・沙流・昼等は何れもサルンクルの分布區域であり、
この様な傳説はサルンクルのみに限られて傳つて居るのであつて、他のアイヌは全く知らない様である。
事實の有無は輕々しくは判斷出來ないが、少くとも昔時奥茶Aイヌとサルンクルの間に密接な關係があつたことは想像出來る。 サルンクルと他のアイヌとの鬪爭
サルンクルは古くから和人と親密であつて、周園のアイヌとは犬猿もたでならぬ仲であつた。そして周團の諸分派と常に爭を績けて居た。
著名な寛文の亂に於けるオニヒシー族はサルンクルの精英であり、
その敵方染退のカモクタィン、シヤクシヤインー族は釧路厚岸等に分布する海岸地方メナシクルと同一系統に屬する。
トカチアイヌとサルンクルが仲が悪いてとも有名で、これに關する多くの言ひ傅へがあり、
nR秘府にも明和7年(1770年)に十勝と沙流のアイヌの爭のことが書いてある。
シュムクルと著しい爭をしたことは知られて居ないが、文化年間にイシカリアイヌとイサリ、
ムイサク兩河の間のウラエ(地名)の領有に關する論爭があつたことは「蝦夷人ウラエー件」として知られて居る。
その他、バチェラー氏もアバシリ地方に行つた時、サルアイヌと間違へられてアバシリアイヌにはづかしめられたことがあるといふが、
現在でもメナシクル、ぺニウンクル、シュムクル等のコタンを訪れる時サルンクルに對する侮蔑の言葉を何處でも聞くことが出來る。
西エンヂウとは近接して居ない爲かあまり仲が悪いこともない様である。 其の他
前述の様にサルンクルは周園のアイヌの諸分派と著しく異なる多くの特長を有し、且他のアイヌから嫌はれて居たのであるが、
サルンクルの文化は、少くとも金屬期使用時代に入つてからは、他のアイヌのそれに比して著しく高かつたのである。
その分布區域が溫暖な氣候に恵まれ、従つて魚介が豊で、冬は鹿が群をなして集る等、天産物が豊富であつた爲に人口の稠密を導いたことも、
サルンクルの文化を高めた所由であらうが、彼等が早くから原始的農業を營んで居たことや、奥鋳n方との交渉も看過することの出來ない要因であらう。
北海道に於けるアイヌの農業は、古文書によれば、昔時はシュムクル及びサルンクルのみに知られて居り、メナシクルは全くこれを行つて居なかつた。
シュムクル及びサルンクルが原始的農業を營んで居たことは、その居住地域が内地に近かつたことより判斷すれば、
奥忠レ夷叉は和人から習得したとも考へられるが、他面、若しサルンクルが奥窒ゥら北海道に移住したアイヌであつて、
その移住前に既に奥窒ナ行つて居た農業を、移住と共に北海道に持ち來つたのであり、シュムクルは始め農業を知らなかつたが、
その分布區域の關係上、移住後のサルンクル叉は松前地方から農業を學んだのではあるまいかといふ疑念も生ずる。
現在に於ける北海道アイヌの人口の半ばを占めて居るのはサルンクルであるが、他のアイヌが急速に衰亡して行くのに反して、
分布區域も狭いサルンクルの燭り減少の度が著しく少ないのは、サルンクルが他のアイヌと體質が異る點にも起因するであらうが、
寧ろその最大の原因は、彼等が早くから原始的農業に慣れて居た爲ではあるまいか。
卽ち、農業と茶食に不慣れな他のアイヌは、食物の急變と生活状態の急激な變化に堪へられす、健康の度が急速に低下したが、
サルンクルは早くから原始的農業を營んで居た爲に、この點ではあまり大きな打撃を受けなかつた爲ではなからうか。
その他サルンクルは他のアイヌに比して毛が少なく、又細長い顔の型が多い等肉體的にも異なり、
又刺墨、文様その他の風俗習慣にも幾多の相違を見出し得るが、私の氣のついた大き特徴は大略を述べ得たから論及しない。 要するにサルンクルは北海道に於けるアイヌ中、特殊な一系統を形造つて居り、他の諸分派の中に楔狀に割り込んだ島の様なもので、
少なくともある時期の間他のアイヌ、シュムクル、メナシクル等とは交捗の少ない地域に隔離して居たらしいことゝ、
奥茶Aイヌと密接な關係を有するのではあるまいかといふ疑念を述べて、今後アイヌを研究せられる人々の御注意を乞ふ次第である。 アイヌの楽器、ムックリ(笑
アイヌとオキナワってのは眉毛が濃いって気がする。 アイヌ民族博物館 http://www.ainu-museum.or.jp/ のHPにアクセス
すると、アイヌ文化検索ができるようになったらしい。
【北海道】アイヌ文化、デジタル図鑑で検索…動植物973種をHP掲載、白老の民族博物館、「アイヌ文化に親しむきっかけになれば」 [転載禁止]©2ch.net
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1426338019/ >>167
古いアイヌの人も、沖縄の人も毛も顔も濃いよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています