【供儀民俗学】六車由実2【介護民俗学】
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驚きの介護民俗学 [著]六車由実 [評者]鷲田清一 [掲載]2012年04月01日
書店で本を見つけ、「おお久しぶり」と声が出そうになった。
10年近く前、新進の民俗学者として大きな賞を受けたが、次作がとんと出なかった。
ある日大学教員をやめ、郷里で介護士として働いていたのだ。
理由はさだかでない。
>>11
ピュアな介護士という感じですよね。
ところで、先生はなぜ介護士になられたのでしょうか。
社会福祉士の実習もされたようですが、大変そうですよね。 『人肉カプセル』の製造、配付、混入犯
『妹喰』の先祖と意味(忌み)が判る。
フォーレ族の言葉で、震えや恐れを意味するクールーは、疾患名だけでなく、クールーを起こすと信じられている、ある種の邪術も意味する。
邪術を使ったものを見つけ出すために、予言の儀式が行われた。
近くの評判の悪い集落に住む嫉妬深い男が邪術師として疑われた。
女性が注意深く捨てたはずの古いスカート、髪の毛、食べ残し、糞便などを盗んだとして告発された・・・
犠牲者の親類の男性は、告発された邪術師を殺したが、皆がその罪を理解するように、死体に印をつけるのが習わしであった。
[マッケロイ&タウンゼント 1995: 49-50](魔法、魔術を邪術に言い換えた:奥野)
この人の新刊、絶讚の嵐じゃないか。
それなのにお前らときたら >>14
先生。
真面目に聞きたいんですけど、
朝鮮人はイヌを食いますが、
朝鮮は北方系のイヌトーテムが支配層であると考古学・言語的に解っていますよね?
現在の朝鮮人のイヌ鍋には供犠に対する敬意が微塵も感じられませんが先生はどうお考えですか?
老老介護ってのはなに、老人が老人を介護するって事?
登場人物は老人だけな訳だ。若い人は何やってんの。
この問題も根っこ辿れば結局おんなじでしょ。原因は。若者のわがまま。人と人との繋がりが希薄になった世の中で。
若者と言っても近頃は20代、30代に限らず40代でも若者だと僕は思ってますけども。
みんなそれなんですよ最近の社会問題ってのは。福祉じゃなく教育の問題でしょうこれは。 介護現場からしたら、かなり迷惑な本。
ただでさえ人手不足なんだから、手際よく、全体を把握して仕事しないと。
確かに六車先生が仰るように話の内容にまで耳を傾けるのは大切だけど、
そういう人が増えても仕事にならないから困る。
ボランティアならいいけれど、それで給与貰うなんて"先生"の傲慢。 いや、読んだよw
先生が介護現場の人に半ば怒られた話も、その上で高齢者のためにも介護民俗学が必要だと判断したのも、
忙しくなって聞き取りどころじゃないって話も読んだ。
ただ、人手不足なのに修士に介護民俗学を勧めるのは勘弁してほしいw
そんなのが介護現場に増えてほしくないわー 介護民俗学っていう、あたかも一つの学問分野のような名称はふさわしくないと思う
あくまで「聞き取り」の手段の開拓であって、概念が新たになったわけではないんだし・・・
介護ナントカ法 みたいな名称のほうがふさわしい 民俗学の聞き取りが、高齢者に若い頃の話をさせることによって、
結果的に脳を活性化させるのに役立つというのは、
学会では10年ぐらい前に話題になった。回想法とか言ったかな?
しかし、その後の発展が何もない。 一気に読んでしまった。
今後の活動次第では赤松啓介や宮本常一みたいになれるかも、いやなって欲しいな。 >ボランティアならいいけれど、それで給与貰うなんて"先生"の傲慢。
民俗屋は集落を回るんじゃなくて介護現場で聞き取りをすべきかもね。
俺は趣味で歴史関係の聞き取りをしているけど、江戸時代の話なんて戦前育ちでもないと
ろくに知らないのに、そういう人たちは老人ホームや病院に行っちゃってる。 レクリエーションとしての聞き取りの最中に介護の人たちはデスクワークをやるとか、
介護師のサポートとしてなら三方よしになるかも。ただ、聞き取り技術が下手だと
混乱を招くのかなあ。民俗屋さんが集落での聞き取りでトラブル起こしたりって話は
あまり聞かないから大丈夫か?
俺は技術が下手なのか、けっこう地雷を踏んだりしてるけど。つーか旅先で出会った
フィールドワーカーさんもその日地雷を踏んだらしい。 精神医学の現場でも、医療スタッフが取るスタンスによって治療の効果は格段に違う。
患者に本気で向き合うと物凄いエネルギーが必要な上に患者に振り回されることになるから、
スタッフはいかに患者に引きずり込まれずに信頼関係を築くかに知恵を絞ることになる。
しかし、全くの機械的作業でも仕事はこなせる。燃え尽きたスタッフはそうやって惰性で働く。
惰性であっても多忙は多忙だ。
介護現場を「痴呆症患者の治療現場」と見た場合には、高齢者の価値観を理解するための
民俗学の知識は大きな武器になることは間違いない。
統合失調症患者の妄想は第三者との認識共有が難しいが、今の人間の常識と戦前世代にとっての
常識とは極端にかけ離れて、知識さえあればなんでもないことなのに、それがないために
妄想扱いされることも多い。
戦前派がいなくなるのはそう遠くない将来の必然。聞き取って残すべき話は少なくないだろうにね。 朝日の夕刊に認知症の連載記事があり、取り上げられていたね。
でも、准教授7年やって、退職。
郷里に戻って介護士になるって、いったい赤坂憲雄と何があったのだろう。 あれだけ話題になったのに、民俗学内部からリアクションが聞こえてこないよね?
なんで?
絶賛してるのは、上野千鶴子とか鷲田清一とか永六輔とか他分野の大御所ばかり。
やっぱ嫉妬とかあるの?
業界から出てった癖に、とか。 過疎ってるね
先生、社会福祉士取れたんだね。良かったよかった。 お知らせ
市原警察署の生活安全課の帰化人創価警官の指導の元、
入学式から2週間ほど、在日の創価学会員を主体とした自称防犯パトロールが、
2週間ほど行われることになりました
生活安全課の指導であることと、パトロールであることは、
絶対に公言してはいけないとの指導も、帰化人創価警官より出ています
期間中は2人組の在日の創価学会員が、頻繁に創価批判者の自宅周辺を、
うろつき回ると思われます
日本人の方は、充分に注意してください >大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな
>島本町って町は、暴力といじめの町なんだな
子供の時に受けた酷いイジメの体験は、一生癒えない後遺症になるなあ 2014/7/24朝日新聞朝刊
(インタビュー)民俗学からみる介護
介護施設で「聞き書き」する職員・六車由実さん
気鋭の民俗学者が大学を辞め、介護職員として働き始めた。それから5年。いまは静岡県沼津市のデイサービスで働く六車由実さんは、お年寄りの言葉を丁寧に「聞き書き」する独特の介護を続けている。
多くの「忘れられた日本人」との出会いがあったという高齢者介護の世界。外から来た目に何が、どう映ったのか。 ――どうしてまた、大学教員のポストをなげうって介護の仕事を始められたのですか。
「よく聞かれるんです。こんな大変な世界によく来ましたねって。でも、その言葉には介護への偏見が混じっていませんか。
社会的な評価が低すぎると思います。私はここに来て初めて、ずっと感じていた生きにくさから解放されたんですよ」 「大学では雑務も多く、研究も学生との関係も思うようにいかなかった。若くて不器用だったのでしょう。行き詰まったんです。
体調を崩し、このままでは壊れる、いったん大学を離れようと決めました。実家に戻って3カ月後、失業保険の手続きでハローワークに行ったら、ヘルパーの講習会があるよと窓口で勧められた。
それがきっかけです。もう大学に戻る気はありません」
――なぜ聞き書きをやろうと? 「デイサービスには在宅で暮らすお年寄りが日帰りで通ってこられます。朝9時から夕方まで、体操、入浴、食事、娯楽と予定がびっしり。いくつもの仕事を覚え、人並みにこなすので精いっぱいでした」
「ある日、隣に座った大正生まれの女性が関東大震災のときに竹林に逃げた体験を語り始めたんです。すると向かいの人も『私も』と切り出した。びっくりしました。
民俗学の調査では出会えなかった大正一桁(ひとけた)、明治生まれの人から鮮明な体験談を聞けたわけですから。えっ、ここはどこなんだと。しかも民俗学と違って偶然の展開に任せるため、想像を超えたお話が聞けるのです」
――たとえば、どんな話ですか。 「無口で気むずかしい要介護度5の男性がいました。出身が宮崎県と知り、話の糸口にと思って、『私も宮崎の椎葉(しいば)村に行ったことがあるんですよ』と話しかけたんです。かつて柳田国男が訪れた、民俗学発祥の地ともいわれる山奥の村です。
そしたら『俺も行った』と話し始めた。電線を引くお仕事でした。高度経済成長期、電線の技術をもった人が集団で家族も連れて村々を渡り歩き、奥さんたちが炊事をして共同生活していたというんです。
現代にも漂泊の民がいたのかと驚きました。お話をまとめてご自宅のかたにも渡したら、こんな話ができるなんて、と喜んでくださった」
「蚕の『鑑別嬢』の話も初耳でした。雄と雌、日本種と中国種を分ける仕事で、かつて大勢の若い女性が地方に派遣されていたというんです。
列島をくまなく歩き、人々の暮らしを記録した宮本常一の言葉を借りれば、介護の現場はまさにこうした日本の近代化を舞台裏から支えてきた人々、『忘れられた日本人』に出会える場だ、民俗学にとって宝庫なんだと気付いたのです」
――でも、聞き書きは介護の役には立たないのではありませんか。 「前の施設で、同僚から『それは介護じゃない』と批判されました。
介護とは食事、排泄(はいせつ)、入浴の3大介護の技術を効率よく提供するサービスだ、という前提に立てばその通りでしょう。実際、多くの現場ではそう割り切っている。でないと効率が上がりませんから。
でも数をこなすだけの現場は、やがて疲弊します。夢を持って働き始めた人ほど幻滅して辞めていく」 「介護はケアをする側、される側という関係にあります。する側のほうが優位に立っている。ところが聞き書きを持ち込むと、聞く側、話す側という新しい関係が生まれます。関係は時に対等になり、逆転もする。
人と人との信頼関係が築かれていく実感があるのです。それが結果的にケアもよくしていく。そこに意味があると思っています」 ――認知症の場合も可能ですか。
「会話が成り立たないと思われがちですが、根気強く言葉をつないでいけば、その人なりの文脈が見えてきます。その土地の忘れられた歴史が浮かび上がり、不可解だった行動が理解できることもある。
たとえば女性が部屋の隅で立ったまま排尿するのは、かつては畑で女性も普通に立ちしょんをしていた、という過去の記憶からだとか」 ――人は老いると自分の人生について語りたくなるものでしょうか。
「体力や気力が衰えると社会や家族との関係も希薄になる。
『ひとの世話になるだけで生き地獄だ』と絶望の言葉を吐くかたもおられます。でも、聞き書きを始めると表情が生き生きしてくる。いまを生きるために心のよりどころにしておられるのは、自分が一番輝いていた時代の記憶なんです。
生きていたという実感のある時代に常に意識が戻っていく。そこを思い、語ることで何とか前を向いて生きていける」
「私が本当に面白がって、驚いて聞いているせいもあるはずです。じゃあ、もっと話そうかと思うのが人間でしょう。
聞き書きが面白いのは、そうやって相手の人生の深いところまで触れられることです。人生の厚みを知り、その人が立体的に見えてくることで、より敬意をもって関われるようになるのです」
――それには聞き書きの技が必要ですね。ないと難しいのでは。 「関心さえ持てば方法はいくらでもあります。ビデオ映像に残したり、話を録音したり、耳を傾けるだけでもいい。要は人として正面から向き合うということですから。それも介護の一つだと受け止める、施設のマネジメントが大事です」
「できれば記憶は何か形に残してほしい。私は伺ったお話を可能な限り『思い出の記』にまとめ、家族にも渡して読んでもらいます。雑誌に書くこともある。それは民俗学でいう記憶の継承とも重なります。
近代化が進み、地域で伝承されてきた文化が失われていく危機感から始まったのが民俗学でした。
どんな作物を、どう調理して食べてきたのか。人々の暮らしのすべてを記録し、文化の喪失を何とか食い止めて次の世代に引き継いできた。形にすれば、その人が生きた証しを家族や社会に残すことができます。私はこれを介護民俗学と名付けています」 ――外の世界から飛び込んで、介護の世界はどう見えましたか。
「ケアの現場では、相手の表情や態度、身ぶりから気持ちを察することが大事だとよく言われます。でも私は、相手の言葉そのものにもっと耳を傾け、理解するほうが大事だと思うんです。
コミュニケーションは本来そうであるはずなのに、ケアになった途端になぜか違ってしまう。言葉より気持ち、表情だと。それは結局、相手の力を軽視しているからではありませんか」
「介護の世界には、昔の話を聞くことで記憶を呼び起こしてもらう回想法という技法がありました。
でもテーマや話の進行があらかじめ決められ、聞き手が場を仕切る。自由に話してもらう私たちの聞き書きとは違います。そもそも私は効果を目的にして話を聞くことに違和感がある。私たちは相手を理解するために話を聞きたいのです」
「仲間の利用者が亡くなられても、あえて周りに伝えない対応にも疑問を感じました。『動揺させてしまう』というのが理由です。
でも皆さん、長い人生で数多くの別れを経験してこられたんですよ。死の受け止めは私たちより達者です。むしろ、その力を信じるべきです。
そう思って先日、初めて偲(しの)ぶ会を開きました。ビデオや写真を見ながら、亡くなられた仲間の思い出をみんなで語った。いい会になりました」 ――ただ現実には、介護職員の質の低さや営利優先の姿勢が問題になっている施設も多くあります。
「いま、小規模のデイや有料老人ホームはものすごい勢いで増えています。競争にさらされ、料金もどんどん安くなって、千円足らずで泊まりをするところまである。
安ければいいのか。人生の最後に、どんな介護を受けたいのか。利用者もご家族も考えるべき時期を迎えています。選択肢が生まれているわけですから。その結果、劣悪な事業所は淘汰(とうた)されていく。そういう競争こそ必要だと思います」
「介護の世界はすごく閉じられているようにも感じます。多くの目にさらされない世界では虐待も起こり得る。
外に開いていくこと、いろんな経験をへた人に関心をもって入って来てもらうことが大事です。民俗学を学ぶ後輩にも来てほしい。そうすれば介護の現場は、もっと豊かな世界になっていくはずです」 むぐるまゆみ 70年生まれ。東北芸術工科大学准教授をへて09年から介護職員。「すまいるほーむ」管理者。民俗学研究者。著書に「驚きの介護民俗学」。
■取材を終えて
六車さんが働く通所施設は泊まりはしていない。だが私が訪ねた日、要介護度5から要支援までの女性5人は話が盛り上がり、「今度みんなで泊まりをしたいね」とうなずきあっていた。
支え合いながら、残された日々を共に楽しく過ごしたい。そんな生活の場が、地域や家庭では失われた関係を回復する場にもなっているように思えた。
(萩一晶) 民俗学なんちゅうたいそうな言葉使わんでも昔は十人ー十二人の大家族なんて当たり前
ひいじっちゃんに面倒を見てもらえば
八十年前の話も聞ける
次はばーちゃん
親は稼ぎ頭だからなかなか会話の機会が無いのが普通。
歳をとってから孫と生活すれば150年の人の生き様を観察できる。
時代の断絶も
トイレの神様 可能性としてはケアの非対称性の改善になるかも。
お年寄りは一方的にケアされる対象となる。
それは一方的な贈与であるから、どうしても暴力になる。
三好春樹や芹沢俊介や上野千鶴子はそこらへんを了解しているから、一方的贈与
でならない関係を模索している。
こういう事例がある。まだ体は達者な認知症の女性で、昔は芸者をしていたそうだ。
ヘルパーが入るのだが、雑なヘルパーから丁寧な仕事をするヘルパーに変わったとき、
そのヘルパーを被害妄想で泥棒呼ばわりするようになったという。
一方的贈与にたいして防御規制から泥棒呼ばわりするようになったと三好はいうのだが、
ではどうしたら良いかというと、その元芸者の認知症のおばあさんから小唄を
習うようにしたそうだ。それで一発で被害妄想がなくなったということだ。
六車のやっていることは、要介護老人に先生になってもらうことだ。これでケアの
一方的贈与に対してのお返しとなる。 >>48
孫が戦前育ちの祖父母に「昔の話を聞かせて」と言ってきたとして、戦後世代の「孫の親、
祖父母の子供たち」が散々否定してきた「非文明的生活習慣」を易々と話すはずもない。
民俗学は、だからこそ学問として成り立っているわけだ。祖父母がいれば孫にも当たり前に
伝わるようなら、とっくに淘汰されているだろう。 就労移行支援事業所は、利用者1名×1日で行政から1万円前後の補助金が出てるんだよね。。 今の民俗学研究者は、対象への理解が浅すぎることによって存在する情報が
拾え切れてないんじゃないか。
例えば新規開拓されたこのフィールドで、文化人類学その他世界で活動する
フィールドワーカーにアドバイスをもらうことはできないか。
日本人だけで無理なら、その枠に縛られていても仕方がないよ?
目の前で人類の貴重な情報群が失われつつあるかもしれないよ? 神話のようにネットで金が入ってくるらしい方法
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