●●● 柳田国男総合スレッド
日本の民俗学のパイオニア
柳田国男に関する総合スレッドです。 >>51
柳田カッパが、生地兵庫県に出現?
【兵庫】柳田カッパ「ガジロウ」、怪走 民俗学の父生地、福崎町公認 絵本は即完売、TV出演も[10/08]©2ch.net
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/femnewsplus/1475936878/ 人の行動の変化の裏にはいつも憑依的なものはあるんだけどね。
2000年以降は、地縛霊が人に話しかける事が許可されるようになったから、
人の話し声など聴こえる人は多いかもね。
霊は自分の脳に憑依してくるから、言語の違いや地方の訛りまでも
反映させることは可能らしい。 診察 カウンセリング そういったモノも必要な人かと 『アナキスト民俗学 尊皇の官僚・柳田国男』はどうですか? 柳田が先祖信仰にこだわった背景には、平田派神官となった父親の存在の影響が大きい ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ >>113
同意。そういうものの必要な人が周囲に意外と多数いらっしゃる。 私が友人の家でお茶をご馳走になったときのこと
その家の42歳の息子がむずかりだした。
母親がその子を椅子の上に立たせてパンツを降ろし
牛乳の空きパックを男性器にあてがうと小便をした。
しかも、あろうことか空きパックに入ったものを
キッチンの流しに捨てたのです。
その慣れた様子からも日常的にしているのでしょう。 熊楠は今になってみると単なるシステム論でつまんないな
確かにあの時代で先を行ってたのは凄いが時代が追い付いたらどうというこたあない
折口は凡庸な貴種流離中心周縁論しかない中味のないゴミだし
熊楠にはミームがあるが折口は単なる物語でしかない
柳田は妖怪談義とかで入ってその周辺で喜んで皆終わってるんだろうが
真にやばいのは地名の話とか木綿以前のこととか本人も終着点見えないで
事実の底の論理を掘り下げているところ
そっから河童駒引や山人海上の道の意味も新たな光があてられる 柳田はフーコーを先取りしている
エリアスより凄い、子供は作られたものだと気づいていた
恋愛技術の消長や婚姻の話で江戸や中世の民衆の豊かな性に先鞭つけたのは柳田だ
山人で日本の外部に触れた
恐怖から共同幻想が析出されるメカニズムを明らかにした
南島論で北方からの歴史に対抗する裏の日本を問題にした
遥かなる広い太平洋と連帯した
そういった部分は実はどうでもいいんだな
みんなしょうもない論文書いているけど
そういう言語化できない部分こそが凄まじい 婚姻の話や明治大正世相篇で恋愛技術の消長を語って抑圧的な近代に対して同性愛にも差別のない自由な夜這いのある性の謳歌された前近代を語りだした源流に位置するのが柳田
でもちょっと考えればわかるが殿様が小姓に手をかける
夜這いをするって単純にパワハラ、セクハラ
権力や力の優先する物が下の物を好きに取り扱って罰せられない身分社会だというだけ
夜這いに拒否権があるにしても自分から積極的に好きな相手を選べるわけでもなく
確かに同性愛にキリスト教的な偏見はなくがんじがらめの家の都合で結婚強いられるのはそれはそれで不幸だがだからと言って前近代の愛情のあり方が肯定されるわけもなく
人間のやること古代も中世も近代もそんなにかわりなくしんどさはいつの時代も逃れられない
柳田が賞揚したものとかその手のうさんくさい出鱈目が多すぎる
文化左翼がそれに乗って権力批判するが害毒のが明らかに多い
柳田はそういう装置としてはっきりゴミ
山人や海上の道についても左翼的な文脈で日本の体制を批判するものとして解読されてきたが農政や貴族院とか支配者の側の人間の柳田は
アイヌや台湾南洋の支配の正当化するために日本を脅かすあるいは取り込むべく研究したのが山人や南島論
中農を育成しようとしていた官僚であり朝鮮併合の法制に関与した法務官僚で即位の礼とかに関与した体制派の思想家なのはあえて皆が触れない公然とした事実
柳田の最初期の論文は産業としての農業論
組合を作ってもっと大規模に経営すべき
アメリカのような大規模農場でも日本の小作人たちの小規模経営でもない農業改良論が柳田の出発点 遠野物語は外国に当てた友人に参考にしろという序文があるが
日本の外人たる山人へのエールだとか日本民俗学の独立宣言だとか解釈されているが
台湾はじめ日本の植民地の官僚たちに山人の論理を理解してうまく支配しろの統治論が正解 遠野物語の時点で日本に民俗学はないしないものの代表になりようはないし代表とかの意識はないし
柳田は支配者側の官僚で山人に蜂起を訴えているような奴なら幸徳秋水の仲間になってた ホテルヘルス&デリバリーヘルスとして大阪の日本橋に降臨!!!
完全無修正の激かわ美女在籍
神戸・福原 和歌山エリアトップクラスの人気を誇る
興味のある方は、「日本橋ビギナーズ」で検索♪ 何故、河童は馬を引っ張るのか
柳田国男の河童駒引、石田英一郎の河童駒引考
河童は神である、馬は神である、猿も神である
それはわかるが神になる前そもそもそれは何か
かつて馬は竜だった
北方の民族が馬を家畜化しそれを軍事化しコントロールできる者は覇権を握った
馬は竜だった
竜は馬だった
神=竜が水辺にいて(水棲の鰐や蛇からの連想=聖書のリヴァイアサン)それが馬と交わり龍馬=天馬が生まれる
北方の乾燥地帯の馬は南方では川に捧げられる
神を供犠するから神事となるが
河童の名前の一つが猿猴
要するに猿だ
河童も酒のコマーシャルに出てくるようになる前は多様な姿でありああいうイメージになったのは近代どころか現代
緑色を取り除けば単なる猿だ
猿は見ざる言わざる聞かざるで東照宮に祀られるハヌマンや孫悟空の信仰から来ている
龍としての神を捧げる零落した猿神としての河童から神を救う猿神
神話論理とはかくもややこしい
でも柳田はそこに日本の固有信仰を見ているが日本の固有信仰とはそもそも何か
桃太郎の誕生
日本の固有信仰としての小さき神を復元する
柳田は全部それだが復元するものとはそもそも何か 地名を語る方言を語る名字を語る柳田
アイヌによる地名の研究書を参考にして日本の地名を研究し語る柳田
アイヌは単語を繰り返し長くなる、またアイヌは地名の基本パターンが少ないで済む
日本は為政者により統治の便として音節が限られ結果同じになることで区別がつかなくなることを防ぐために膨大になった
それでもこの地形ならこの地名がつけられる
ドブは元々水捌けの悪い湿地だったのが転用されてドブになった
軽井沢はじめ日本の地名のパターンを執拗に後付ける
遠野物語の遠野はアイヌ語の湖のトーノから来ているしアイヌからの借用もたくさんあるが日本の地名の法則を確立してやろう
しかし、そもそも日本とは何か
沖縄と北海道はそれぞれ明治になって清とあるいはロシアと国境確定したものだ
薩摩が琉球を侵略して以降も清との貿易密貿易の為に二重支配を薩摩がしていたわけで日本の支配を拒絶していたし台湾含めて日清戦争で確定した土地
北海道は明治通じて日本人が入植する植民地だった
そもそも江戸、大坂、薩摩、長州、欧州
今言う意味の日本ではなく日本は分権でバラバラで存在していなかった
日清日露の戦勝によって作られた想像の共同体に過ぎず日本という地域名は過去から使われていたにせよ明治以降の国民国家とは違う
実は日本という想像の共同体は柳田国男の人生に沿って作られたものに過ぎないし沖縄や北海道は明治時点で明白に植民地だし逆に言えば朝鮮も台湾もミクロネシアも日本だった 熊楠は現代の研究家がそのまま過去に行っただけ
わかりすぎるくらいわかるが反対に何も得ることはない
折口はマレビト異人貴種流離
共同体を補完するナルシスティックな外部に偽装された内部を描く小説家以上でも以下でもない
単なる文学者
石田英一郎は民俗学を柳田を人類学と接続しただけどうということはない
柳田には還元できない問いがあり良くも悪くもそれが柳田の凄さ不気味さわけのわからなさ
柳田は河童に水の神を見るとき桃太郎に小さき神を見るとき方言を地名を木綿以前を探るとき必ずある問いがついて回る
日本とは何か
そんな問いは熊楠にも折口にも宮本常一にも他のどの民俗学者にもそんなものはない
柳田国男の民俗学とは明治大正時代に形成された国民国家としての日本を過去に見いだす倒錯でありこれから未来にはあるにしても過去にはあるわけのないもので
江戸の中世のあるいは弥生の縄文のそれは近代的な国家としての日本でも何でもないし
過去探れば探るほど地域としては日本であっても日本ではないまだ過程の物がそこにあるだけ
柳田は帝国主義者だがその中では慣習を維持し優しく文化を保存し取り扱え
一貫してそういう支配者の論理の学者
一方柳田は昭和十年の遠野物語の再版以降例えば小林秀雄なんかが自然主義のロマンチックな自然じゃない切って血の出る物語に届いているからと畏敬された
男が山で悲鳴を聞いた
同じ時に男の姉は嫁を苛めたことに腹を立てた息子に殺されていた
しかし母親は息子に罪はないと息子を庇いながら死んでいた
予告された殺人の記録
田山花袋や島崎藤村みたいな偽の自然主義じゃないと
かつて柳田は花袋や藤村の親友でそこから別れたのに 柳田は本人の意図に反して左翼から神格化される
最初は文学者に昭和十年頃に評価される
それ以前は誰も知らない所でやっている単なる好事家でしかなかった民俗学者達は
神格化が始まるのは戦後左翼によって
左翼がやろうと思ってやれない民衆に即した研究をやりながら
山人だ南島論だ、共同体の外部を描いたと
柳田の人生に即して見れば朝鮮や台湾の支配や南洋の植民地化を円滑に進めるための学問なのは明らかなのに
彼は農水省の役人で宮内省や貴族院や国連にいた体制派の官僚であり南島論は台湾や南洋も日本とはルーツが同じと拡大するため
山人論は北海道植民を正当化するものなのは単なる客観的事実
文化左翼が前提としている国家批判なる物が結局は国民国家日本の単一性と過去に渡る同質性を前提として
それを批判することで自明しし確定することに貢献するそういう体制を補完するお遊戯でしかないことがそこで証明される
前近代における性の賞揚とか反体制に見せて体制でしかなく
ちょっと考えればわかるが現代で性で抑圧されるような奴は過去に行っても基本同じようなもの
そんなことは胸に手をあてて考えればわかることで
柳田に関する神話はその手のうさんくささがつきまとう 構造と力、逃走論、浅田彰に始まる現代思想ブームは吉本隆明ブームでもあり異人論ブームでもあった
栗本慎一郎は共同幻想論と遠野物語を共同体の恐怖が析出されて共同体が形成される過程として絶賛し経済人類学の基礎文献とした
何を探求していても柳田には次の問いがつきまとう、日本とは何か日本の祖型とは何か日本に固有な物は何か再び日本とは何か
しかし、それは論理的にありえなく明治大正に形成された物を過去に投影する妄想であり
方言周圈論に満足していなかったのは有名だがそれは実証的に正しいと証明された理論の一つであり
問題なのは方言を説明するただ一つの理論とするからおかしなことになるのであり
柳田には日本の言語の全て日本の原型を全て解き明かしたい掴みたいという理屈以前の衝動がありそれで膨大なデータに向かって行って間違いも多いが誰にもできなかった事を解き明かす
単なる科学者の熊楠にはそれはできない
単に事実を収集し分類し関連付けこれは世界のこれと繋がっているあれと繋がっているで博覧強記をデモンストレーションして終わっていて病人の妄執はない
折口は科学者でさえない
柳田は科学者なのに科学では説明できない領域に飛び込んでいる 叙情詩人から出発した柳田は遠野物語の冒頭で「はるかなる岩の上に美しき女一人ありて長き黒髪を梳りていたり」
男は女を撃ち髪を切るが帰路に眠くなり山男に髪を取り返される
座敷わらしを語りながら共同体の内部と外部のメカニズムに収まらない恐怖と排除に収まらない他の誰が記録してもそれはできない柳田だけのあこがれを美しさを描く
だから遠野物語は残っているしこれからも残る
座敷わらし自体は京極夏彦の言うように共同体の排除の村八分ややっかみ蔑みの記録に過ぎないんだろうが
それに収まらない過剰な物を身にまとう
共同体の外を排除するのではなくそこには同じくらい必要にされ守らねばならないことが柳田の文章にはあり現代思想には還元されない
そこに柳田の秘密も自然主義や叙情詩人として出発した出生もあるのだろう
姉が息子に殺されたのを予知した男の話も単なる三面記事の事実ではなくはりつめた状況の中では予感し予見することもありうるし
それは本当に男が言ったのか後から話を聞いた人間が盛ったんじゃないかとかでもそれも含めて人間の真実だと人は知るから今日なお魅了する
方言周圈論、地名論、柳田は完結しない
それは日本の原型なんかどこにもないから
あるのはバラバラで出鱈目な人間の真実があるだけだから
帝国主義者植民地主義者イデオロギストとしての柳田の意図を柳田自身が常に食い破る
でもないものを追求しながら必ずそういう真実には行き着く
柳田で完結した議論は一つもないがそれこそが柳田の真骨頂
真にやばい恐るべき柳田の真実 南方熊楠は今になって見れば
単なるレヴィ=ストロースの神話論理なんだよな
50年早かったのは凄いがそれだけ
何も得ることはない
柳田国男は民俗学会を組織し膨大な資料を集めさせて
それを独占し改変しながら民俗学を捏造したが今日意味があるのは
柳田による捏造部分だと言う逆説
遠野物語にしても語り手の佐々木喜善が自分で書いたものや
聞き書きを忠実にしたものは箸にも棒にもかからない
柳田による文学的創作部分こそが民俗学の輝きを本質を支えている
聞き手がどううけとるか怪談としてどんな効果があるか
それを意識し細かく味付けし文学にしている
民俗学自体が語り手が面白おかしく誇張しホラを吹いて民衆の心に残った嘘だから
柳田国男が資料を勝手に改変し編集しなかった物は無いが
それこそが民俗学の精神を支えたもので 南方熊楠や中沢新一は柳田のそういう態度を科学じゃないと批判するが
物がわかってないのはどっちだか
残るものは何かをわかっていない馬鹿の戯れ言
南方や中沢は残らないが柳田は残る 柳田国男の文章には揺らぎがある
遠野物語の姉を殺された男の話も男が予感したのか
聴衆が勝手に男の予感を捏造したのか常に曖昧な語りの余地を残す
柳田の民俗学は常にこういう恣意的な改変があるが
それこそが民俗学の核心
事実や忠実な資料など笑って捨てる厚顔さが民俗学の宝 南方熊楠は燕や鷲についての論考があって燕は梅雨に地面近くの虫を食べ子供を甲斐甲斐しく世話する燕が水の属性と女性性に
高い所から一目散に獲物を捉える鷲を火の属性と男性性に
フレイザーがたくさんの民俗資料集めてエキゾチックに面白おかしく人類学やってた時代にアナロジカルに世界の全てを把握する
レヴィ=ストロースの野生の思考や神話論理を完全に理解し展開していた
でもそれを語る文章自体は普通の散文単なる科学的文体にすぎない
飛躍が多くとも完全に論理的に把握できる
謎はない
おかしな人に見えてまともなごく普通の小市民にすぎない南方熊楠の限界
人格低劣、権力欲の固まりだが語り手、登場人物、読み手のあわいをとらえて届く物を作れる
日本の原初信仰というあるはずのない妄想の中にその限界を際立たせる
そんな奇跡を起こし真にやばいのは柳田国男の方であって
真に過激なのは柳田国男 折口信夫は彼の理解する王朝文学を元にして民俗学を創作しただけ
ただ彼の理解が浅いから独りよがりのつまらない王朝文学の出来損ない
非常民で創作する宮本
夜這いで創作する赤松
妖怪で創作する小松
でもこれらは詰まらない
柳田のように民衆の求める語りと聞き手が交感するその場への深い理解がないと 柳田国男の山島民譚集では河童は馬を捕まえようとして尻尾を掴んだところ馬の持ち主に手を伐られる
その手を返して貰おうと日参し手の代わりに薬の作り方を教える、河童に返すと薬をつけると河童の手が元通りに繋がる
万能の創薬はこうして伝わったという口上の元に河童駒引が語られる
馬は龍、河童から馬を守る猿はハヌマン以来の猿信仰はわかる
では河童は猿でもあるがそれだけでは説明つかない馬は元々北方の乾燥地帯の遊牧民族の物で南方の湿潤な地域の神に捧げられる
それはユーラシアの東西、クレタ島から日本の河童駒引まで共通だ、河童じゃなく猿が駒引する話も柳田は記録していて河童=猿神信仰もある
遠野物語の河童は実は緑色じゃなく赤いし頭の皿もない、河童は猿猴とも芝天狗とも言われて天狗とかと区別されていない
河童のイメージ緑色で皿がありは漫画家の清水こんや小島功の作ったイメージ
しかし、その最大公約数の河童の緑色や川辺の水属性は何なのか、天狗や猿猴は直接は水属性はない
お隣の中国では水虎がいてそれが子供のように小さく遊ぶ
日本の河童に近いが日本に水虎が輸入されると河童より怖い大人で人を殺すものになる
神と相撲すること、人間と闘う妖怪のイメージは聖書のヤコブや河童の相撲でユーラシアに広がる神話イメージ
で竜宮小僧という河童そのものの話もある
まあ、これで大体手がかりは出揃ったわけで
桃太郎、一寸法師、柳田の言う桃太郎の誕生で語った小さき神は要するに子供だ子供
子供を授かりたい守りたい大切にしたい
竜宮は子宮でもあり羊水でもあり人間が生まれてくる子宮回帰の話だし
海洋民族や湿潤な土地の神でもある、原始信仰でもある
海幸彦山幸彦カインとアベル、融和と対立
また河童の緑は水死体だし水子だし赤鬼青鬼が死体現象なように生誕と対になる死の話で
河童の中には北方と南方の原初の神の融和と人間の生誕と死を共に重ねている
それ自体は聖書にヤコブの相撲やアダムとイブの楽園追放やら
カインとアベルみたいにありがちな神話で特別ではない
柳田の固有信仰みたいな妄想は的はずれ
でも河童の中にそれらの問題の結節点を見いだすのはさすが
北方と南方が混じり妥協した古代の記憶や生と死を共に一目で把握する野生の思考や神話論理
慧眼 柳田国男が全国区にしたのはザシキワラシだ
岩手を中心とした東北の妖怪を日本中に知らしめたのは遠野物語の冒頭に印象的に出したことによる
河童や一つ目小僧などは江戸時代からキャラクターかされていたが
ザシキワラシをここまで有名にしたのは柳田国男の影響による
ザシキワラシも小さな神、ぶっちゃけ子供だが何で子供なのか
妖怪談義の冒頭は夕方食事前に子供が帰らないでいると最後まで遊んでいる子供が拐われる
そういう子供を心配した親心から発する実際暗くなってから子供が神隠しに合わないような
生活上の必要から出た妖怪や昔話はやる
桃太郎や一寸法師のような子供の成長を望んだ童話もわかる
しかし、いれば家は隆盛し出ていくと廃れるそんなザシキワラシの意味は何なのか
遠野物語でザシキワラシはそれまで栄えていたが毒キノコを構わず鍋にして娘を残して全滅した一家の没落を説明するのに確かに使われている
その家がそんなことになったのは驕り周りを無視し人の言うことを聞かなかったからだ
同時にザシキワラシが事件前に家を出ていったからだ
うぶめの夏で京極夏彦はザシキワラシを共同体の和を乱す新興の成功者のやっかみを正当化し
没落した時の理由を与えるものとしてザシキワラシを位置づけた
共同体の敵意の形象化だと
栗本慎一郎は共同体の恐怖と排除のメカニズムとして遠野物語を読み込み経済人類学の古典に遠野物語を位置づけた
でもそういう禍々しい敵意ならば何故子供なのか
普通に禍々しい妖怪を出せばいい、何故可愛らしい子供なのか
ザシキワラシはいたずらしたりトリックスターの側面もある
では何でトリックスターはいなければならないか
河童はいたずらする、で悪さをして懲らしめられて反省する、子供のようだ
ヤコブは神と相撲を取り骨に変化が与えられる
徴、河童は尻子玉を抜く
有徴
一つ目小僧はじめ、神話妖怪童話には古今東西身体欠損者が満ちている、その欠損の徴は何を表すか
ザシキワラシを考えれば分かりやすい
何故子供なのか ザシキワラシとは何か
抗生物質も衛生状態も悪かった昔、子供をあるいは兄弟姉妹を死なせてしまったことはいくらでもあった
また、間引きもあった、一家を遡れば死なせてしまった子供は必ずいた
そういう子供への悔恨の念であり死なせてしまった子供を幸せにしたかった
そういう思いの形象化がザシキワラシだ
遠野物語には宴会の時、座頭を呼ぶ、そのための座頭部屋が長者の所にはある
座頭とは芝居のザガシラではなく座頭市なんかの盲人のこと、身体障害者
要するにこれらは児童福祉であり障害者福祉だ
、強いもの、大人で、健常者ではなく弱い物も社会保障しろ、そういう生活の知恵の集まりだ
弱い物は時に恐怖の対象となり暴力を振るう神や妖怪になるから大事にしろ、社会保障を忘れるな
トリックスターが身体欠損者だったり子供だったり時に健常者を脅かし恐怖に追い込むのも大人よ健常者よ秩序の中に守られて奢るものよいい気になるな
それがトリックスターの意味はでありそれを尊重し弱者に居場所与えるそういった知恵からくる
ザシキワラシはどこの親にも思い当たる子供へ何もしてやれなかった思いである
手の中で何もしてやれないで死んでいった子供への思いが詰まっている
だから人を納得させる
ああ、あの家はザシキワラシを追い出しただから没落した、説得力がある
だから心に残る
共同体のメカニズムには還元されない
確かにザシキワラシはやっかみだったり共同体の残酷な排除の記録だがそこに収まらない思いが含まれていて経済人類学その他には還元されない残余がある
子供のザシキワラシがいられないような調子に乗った家は自壊し没落は長い目で避けられない民衆の知恵
言語化できない暗黙知
遠野物語、妖怪談義、一つ目小僧その他、桃太郎の誕生
科学や理論に還元されない文学が知恵がそこにある
河童もザシキワラシも一つ目小僧も桃太郎もゆっくり考えればわかるようになっていて柳田国男は予見していた 山島民譚集の河童駒引の次は馬蹄石、で石とは何か
石神問答で塞の神を論じている、神樹篇もある、しめ縄をはって巨石が巨樹に神が宿る、でも何でそれに神が宿るのか
ダイダラボウシを山島民譚集の続きで論じて赤子の足跡も論じている
更に石の中から赤子の鳴き声が聞こえるという話を論じる、赤子の埋まっている石
水や海や竜宮からは胎内回帰のアナロジーだろうけど更に単純にこの場合の石は子供を埋めた暗喩だろう
強姦されたか親に反対されたかろくでもない男だったのか望まれない子供の話、続いて柳田は書く
鬼の子が自分を殺さないなら出てやるが殺すなら出てやらないと女の胎で言い出し親族会議する有り様を、望まれない妊娠の変わらない現実
馬蹄、足跡、地上に穿たれた足跡のように見えるもの
偶然もあろう、自然にたまたま足跡のように見える形に欠けただけ
仏教は実は偶像崇拝を嫌った宗教で仏像が量産されるようになる前はただ仏足石だけを残していた
そこに神意を見るのは人間自然普遍らしい
自然にその形になった何かを拝む、神が宿ると見るのは原初の抗いがたい信仰の形らしい
ダイダラボウシは足跡のように見える沼や湖を地上に跡付けた空想の産物、世界を分節化して意味付ける神話論理、野生の思考である
馬の蹄に見える石、馬の首に見える観音
塞の神
一目小僧が片眼なのはある程度まではザシキワラシと同じ論理で説明つく
しかし、ここまでの広範な伝播は何故なのか
古来の神は、神主は実際に片眼を失わされたのか、娘は水に沈められたのか
塞の神も一目小僧もある程度までは説明つく
全てを説明するには弱い
トーテムとタブーの起源とは何か 山島民譚集の四では山姥に柳田は山爺の配偶者、人里を離れて生きたはぐれものだけではなく
女性が焦点化されていることに着目しながら古代信仰、古代のシャーマン信仰の影を見ている
これはキリスト教の中に残った古代信仰、ベナンダンティを見たカルロス・ギンブスブルグと平行している
山島民譚集の五では榎の杖であり山姥の突いていた杖がある山の森の起源を説いている
コノハヤサクヤヒメが皇子を出産の時に竹の刀で臍の緒を切った故事があり神功皇后が応神天皇を産む時にとりすがった子安木や子安石の話に繋がる
山姥の住んだとされる岩穴があり、古墳時代から奈良時代にかけて各所に岩穴が掘られて墓穴となった百穴が各地にある
藤原秀衡が妻を連れて熊野に参詣した時に剣窟という所で男の子を産み子供を窟の中に棄てたがおいおい、
桜の枝を折って恙無く成長を祈って土に挿したら無事参詣の帰りに桜は根付き子供も狼に育てられ窟の中で丈夫に成長していた
和歌山に伝わる伝説で南方熊楠の報告による
ここまでくると岩の中に死体を棄てたところから人間が再生する、そういった石信仰、樹信仰があったこと、古墳時代からシャーマンは天皇制と平行し協力し利用されあるいは弾圧されながら原初の信仰として根づいていたことがわかる
八幡太郎義家が兵士に矢を投じさせて川の神を祭った、その矢が石となりそれが矢祭石となった
岩から樹木が生えてくる例をもって生命の神秘として見たのか
榎は境の木であり境に全国的に植えられた
板橋の縁切り榎は男女の境であり中仙道を東にきた皇女和宮一行はそこを迂回した
古代のシャーマンから神功皇后や八幡太郎から皇女和宮に至るまでの境の神をめぐる信仰がある
恐らくは石器時代にまで遡る信仰の歴史 インターネットは広大なのにこの長文マンの居場所はここだけなのだな。物悲しい。 ザシキワラシは育てられなかった子供への思いが結晶したものだ、それは未だに人の心を鷲掴みにする揺さぶるものがある
人間の原型があるから
11人いるのような、いたはずなのに誰だったかはわからない、あるいは何度数えても数が合わない人間の話
イマジナリーフレンド、かつていた友達の話
そういう人間の物語の原型がそこにある
柳田国男がいなければ、遠野でどんぴしゃにザシキワラシを堀あてていなければ民俗学や人類学は遅かれ早かれ輸入され作られていたにせよ今日のようなものには成らなかった
柳田国男という化け物がいなければ民俗学板などはなかった
ザシキワラシや座頭の話、民俗学に出てくる多くの奇形、妖怪、化け物は殆どは社会保障で説明つく
それは健常者から非常の物を特権視する、実際は差別を助長することの方が多いのかもしれないが少なくとも無視せず位置づけようという試みであることは確かだ
後はトリックスターや生殖信仰=子孫繁栄、河童や桃太郎なども柳田理論で理解可能だ
古くからの信仰やそれらの落ちぶれたもの
しかし、一目小僧を全部それで説明するのは無理がある
柳田はそこに供犠を見た
谷川健一は大陸からの製鉄技術を見た
明らかに間違いだ
片眼の巨人の話は世界に散らばりそれは石器時代に遡る、日本の固有信仰に止めることも金属使用時代以降に限定するのもどだい無理だ
柳田国男の最高傑作は何かと問われれば木綿以前の事や地名考に指を屈する
そこには真の意味の野生の思考がある
人間が世界を分節化し秩序化しながら歴史の中でその分節が壊れ構造が破壊されながらそれでも再創造する、そこには歴史がある レヴィ=ストロースの神話論理1生のものと火を通したものはポポロ族の鳥の巣あさりから始まる
森にペニスサックを作りに行く母親の後をつけて息子が犯す
怒った父親は息子に困難な鳥の巣あさりを教えてこのままじゃ死ぬと祖母に相談した息子は祖母の知恵で父を倒し
祖母だけを安全な所において父の妻たち母親も含めて皆殺しにしてめでたしめでたし
そっから南北アメリカの神話を全て繋いでいく
南方熊楠の燕石考はロングフェローの燕の巣あさりの詩の引用から始まる
巣あさりは子供が鳥の巣に突っ込み時に卵を潰す、それは要するに卵白=精子であり兄貴分たちはオナニーだかセックスのやり方だかわからないが通過儀礼として教えてやる
かぐや姫には燕の巣の中にある子安貝を探すことが求婚の試練で失敗する
海の中の子安貝が燕の巣にあるわけはないが子安貝とは要するに女性器にそっくりな貝だ
子安石、子安木、藤原秀衡、山姥の岩、女性器を象った物もあれば男性器を象った御神体もある、両者一対もある
秀衡の枝はそこから生命がわきだす
かぐや姫は月からきた罪人であり刑期を終えて月に帰る
鳥の巣の卵は太陽であり生殖だ
燕は梅雨に低い空を虫を追いかける水の属性でありかいがいしく雛の世話をする女性性だ
鷲は空高く太陽から地上に落ちてくる火であり男性性だ
女性だけでは子供は作れない出産には火で暖めてやり男が必要だ
八幡太郎が矢を突き立てたように男がいないと子はできない
男と女、鷲と燕、太陽と月、火と水、昼と夜
それらは要するに生のものと火を通したもの
人間が文化を得たのは二つの物が協力したから
その教育が神話論理、野生の思考
片眼の神や巨人には片腕の相方がつきまとう
オーディンにテュール
からかさ小僧は一目一本足
ここまでくれば一目小僧が何であるかもわかる
明と暗、太陽と月
片眼は太陽でありもう一つは相方として光を失う
それが神話論理 一目とは何であるか
生のものと火を通したもの
火と水や鷲と燕の対、二項対立を分厚い「神話論理」や「燕石考」「鷲石考」さんざん読まされれば自明
柳田国男や谷川健一は馬鹿である
今日、南方熊楠を読むとまんまレヴィ・ストロースで笑ってしまう
レヴィ・ストロースの良くできたパクリ以外の何物でもない、アンドレ・ヴェイユによる数学付録はないにせよ
燕石考はマックス・ミュラーの太陽神話学、要するに言葉と物のフーコー言うところの死にさらされた有限性の哲学
ポップやグリム兄弟のインドヨーロッパ語族やドイツ民俗学であり要するにロマン主義ナショナリズムとその反動の普遍主義のフレイザー批判だ
それは同時代のマリノフスキーの機能主義なんかを突き抜けて五十年代のレヴィ・ストロースに一気に行く
三、四十年早い
そしてそれは全く自慢にならない
人類学を三十年遅らしたストロースと同じなど恥ずべきこと
構造主義とは何か
マックス・ミュラーはロマン主義で西洋を押し付けていると馬鹿にされた
マリノフスキーらは結局西洋社会と同じ基準で西洋を押し付けていると批判された
レヴィ・ストロースはデリダやドゥルーズによって偽装された自民族中心主義と批判される
ドゥルーズ曰く最大の人類学者はモースではなく贈与の一撃を洞察したニーチェだ
グラマトロジーはルソー、レヴィ・ストロース批判
単純に女の交換で渡せば帰ってくるはない
フィクションだ
そこには闘争があるのに隠蔽する
構造主義は何故女の交換が成立するのかを説明できない
それはそのことは思考停止して所与として成立する
学者が資料を世界から集めて分析して安楽椅子探偵を気取るそういう最悪の反動がそこにある
コレージュ・フランスで全てを犠牲にして従えて成り立つ理論
構造主義には歴史がない
無菌空間の実験記録にすぎない 山姥を、石神問答を語るとき柳田は石器時代に遡る
日本が日本でなかったころに日本列島に人がいてもその喋る言葉は日本語ではないし
遺伝子さえもその後に絶滅されて殆どつながっていない断じて日本人ではないもののころから積み重ねてきた
縄文人より前から積み重ねられた
石や樹に関する権力闘争、世界把握、境界をめぐる争いからザシキワラシのような願い
そこから何十度何百度の上書きを語る
そこには歴史しかない
闘争しかない
古代信仰の生殖に関する野生の思考が残した道祖神などの塞の神は上書きされ引き継がれる
神功皇后や八幡太郎義家が、数百年後には我々が上書きしたものとして記憶される
藤原秀衡の桜の代わりに昭和天皇だ田中角栄の目白の鯉だ南方熊楠の粘菌だのフォークロアが残ることは確実なわけで
ストロースや南方熊楠はそこで終わって静止している、学問の方法論自体が終わっている
燕石考からはもう何も引き出せないがそれを照らし合わせて山島民譚集は無限の泉になる
地名考や明治大正史世相篇と河童や石神は繋がる
それを柳田は透視している
柳田のナショナリズム自体を軽く突き破りながら
生け贄はあったかもしれない、片眼を潰す事例もたまにはあったろう
しかしそれで一目に関する神話伝説を説明するのは軽く無理
一目生け贄説や日本の固有信仰みたいな妄想はどうでもいいのであり柳田の理論は軽く自分の理論を突き破る
柳田国男恐るべし レヴィ・ストロースや燕石考にはザシキワラシがいないわけで
近親相姦の禁止は自然と文化を同時に発生させるもんだ
そして交換は普遍的に成立するとか恐怖の上から目線、帝国主義なわけで
近親相姦の禁止には娘の不安や親の悲しみ、それでも家に留め置いて朽ち果てたり近親姦で閉じてしまう辛さを乗り越える決断
耐えざる緊張や不安があるわけで、ないと言ったらそれは嘘で
神話もまた、様々な制度の否定、理論づけ、実践による否定でできて変動し成長する熱いもので
全くレヴィ・ストロースの人類学は悪しき反動
熊楠もそれに吸いとられる小市民な思想なわけで
確かにロマン主義、進歩主義、機能主義よりはマシだったというだけで消えるべき思想 神話の中では糞と子供は共に出して取り外すものとして一緒らしい
女性にしてみれば妊娠出産とは長い長い便秘だから
片眼を取り外す一目はそれとも繋がっている レヴィ・ストロースや南方熊楠を読んだことがあれば片眼自体には意味がないことはわかる
必ず開いた眼に対する閉じた眼の対があい、それがあいともないあいながらはじめて意味がある
生と死、男と女、太陽と月、火と水、昼と夜、鷲と燕
それは生殖に繋がる、死と再生に繋がる
片眼に太陽や月のシンボライズがあり信仰があったから
谷川健一の言うようなそれが火と結び付き鍛冶屋の神になったり
柳田のように片眼を潰す供犠や信仰が発生したと考えるのが正しい
逆ではない
いずれにしても片眼にはもう片方の閉じた眼と合わせて二項対立の神話論理を司る伝説がありそれなしには意味はない
そういう伝統があってはじめてキュプクロスや片眼の神のオーディン、片腕の神のテュール
巨人ダイダラボウシに一目小僧にからかさ小僧に至るまでの片輪の神や妖怪の意味がわかる
彼らは男性女性原理などを司る片割れのピース
山人とは縄文人がくる前に住み着いていた言葉の通じない人種への跡からきた縄文人の記憶を 縄文人と混血し支配した弥生人が受け継いだもの
上書きしたもの
そら縄文人のもっていた旧日本語も通じないし
河童や馬蹄石は歴史時代になって朝鮮などから文化を導入し馬を輸入し人がやってきて百済が滅んで亡命してきた等の時に
大陸にあった北方民族と南方民族の融和の神話が日本に移入され日本流にアレンジしたもの
塞の神は縄文以前から何度も上書きされ受け継がれた男性器、女性器などの古代信仰の神話論理の残照
古代から続く権力闘争や神話の教育の名残で山姥は縄文以前か縄文時代のシャーマンの記憶が弥生や歴史時代以降に継承されたもの 何故神話はこんなにも豊富で様々な変換をするのか
それは帝国主義で差別主義者の人類学者に小遣い稼ぎさせるためではない
それは現実に必要だからだ
山姥達を追い払い自分達の境界を上書きしながら何故そうなったか
様々な制度や共同体のシステムを正当化し訓育し、また破れて上書きされたり妥協して従属したり新たな思想を作って
地塗られた権力闘争の歴史が埋まっている
様々な共同体の権力関係を教育を再生産を正当化し説明するため日々再生産される知が神話、昔話
女の平和な交換などなく一人一人様々な悔恨があり悦びがある
ザシキワラシの満たされない子供への思いがある
レヴィ・ストロースや南方熊楠にはわからない話だけど
柳田国男の民俗学には日本にまだ日本人がいなく別な人種がいたころから
日本が形成され更に日露戦争で国民国家が成立しまた平成以降に変わっていく歴史が詰まっている なるほど。マジ言わんとされている事は解る。
まためげずに機を見て大いに書きなはれ。 神話のようにネットで金が入ってくるらしい方法
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
B3A69 安倍が役人の進入式で農商務省時代の柳田国男を引いて話をしたそうな
どんとはれ 話としてまとめると、誰でも飲み込めそうな話なんだよね。
あの世で起きた神の相談。
エバは、イナンナだった女性でモーゼに旧約聖書の作者になってもらうことをお願いして
自分はイシュタルとして身を潜める。
イシュタルは、マリアとイエスが親子だという話を広める為に
イエスにメシアの役を務めるようお願いする。
イシュタルは、マリアや中国の妲己や天照大御神とグループを形成し、
お稲荷さんを始める。※お稲荷さんには重要な仕事があり、悟りを開く前の人間に対し、
誘惑を仕掛ける。また、人間の秘儀参入時の霊界の審査もお稲荷さん中心で開催される。
それが、稲穂を実らせる前の荷物という意味。
此処重要。重要なのに日本人は誰も字の意味を解いてない。
お稲荷さんとは悟りそうな人をそのまま進ませるかどうかを
判定してくれる存在。
現在の課題。
イエスが中心の世界だけれども、イエスはお稲荷さんに呼ばれてメシアになった人で
メシアはお稲荷さんが引き連れている地縛霊に憑依を依頼し、輪廻を終えるカルマが
無くならないように働きかけ、霊界からの支配が継続するように見張っている。← この点を言及してほしい。
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FN6 >>155
>山人とは縄文人がくる前に住み着いていた言葉の通じない人種への跡からきた縄文人の記憶を 縄文人と混血し支配した弥生人が受け継いだもの
>上書きしたもの
>そら縄文人のもっていた旧日本語も通じない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
山人とは弥生人が受け継いだもの??文意理解難なんだが。
縄文人到来時に日本列島にいた先住民というのは、何と呼ばれる○○人を
指しているのか?
言葉の通じないことに何度も言及されておるが、異人種集団の間で言語不通なのは、
当然では?在来縄文人と渡来弥生人間も言語不通だったろう。 >>164
樺太経由の山岳系縄文人を山人
朝鮮半島経由の海洋系縄文人を縄文人と呼んでいるのでしょう
弥生人は渡来する前から海洋系縄文人とは交易してますから言葉は通じたはずです 初心者です
柳田国男の家系は柳田自身を含めて
精神病の発症者が多い、みたいな話が
有名であったように記憶しているのですが
ググっても出てきません。
他の学者との混同ですか 南方熊楠の家系に関してもそんな事を聞いた気がするがあまり調べても出てこないから間違いか? >>13
全集13(先祖の話、日本の祭り、神道と民俗学)から入った
地方の神社の成り立ちや周辺地域の文化を調べるのが好きで 公務をすっぽかして民俗研究して怒った徳川さんと喧嘩した男ね。 山人なんてはなからいなかった事は柳田先生も認めてるんですよね 【超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪者の実名と住所を公開】
@高添・沼田(東京都葛飾区青と6−26−6)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
老義父は息子の嫁の痴態をオカズに自慰行為をし毎晩狂ったように射精をしている/息子の嫁をいつもいやらしい目で見ているエロ老義父なのであった
A井口・千明(東京都葛飾区青と6−23−16)
※犯罪首謀者高添・沼田の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
B宇野壽倫(東京都葛飾区青と6−23−21ハイツニュー青戸202)
※色黒で醜く太っている醜悪黒豚宇野壽倫/低学歴で人間性が醜いだけでなく今後の人生でもう二度と女とセックスをすることができないほど容姿が醜悪である
異臭を流し込んでくるなどの嫌がらせを何度も繰り返ししつこく行ってくる嫌がらせ犯罪者である
C色川高志(東京都葛飾区青と6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志はyoutubeの視聴回数を勝手に短時間に何百何千時には何万回と増やしたり高評価・低評価の数字を一人でいくつも増やしたり減らしたりなどの
youtubeの正常な運営を脅かし信頼性を損なわせるような犯罪的業務妨害行為を行っています
※色川高志は現在、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111
D清水(東京都葛飾区青と6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
E高橋(東京都葛飾区青と6−23−23)
※高橋母は夫婦の夜の営み亀甲縛り食い込み緊縛プレイの最中に高橋親父にどさくさに紛れて首を絞められて殺されそうになったことがある
F長木義明(東京都葛飾区青と6−23−20) 熊楠山人否定派、柳田肯定派だと単純に
思っていた。 先祖の話を読みたいけど、図書館から借りるか古本屋巡りしないと入手出来ないかな >>180
青空文庫かオープンシェルフに無かった?
著作権の切れた本でボランティアが打ち込み済みなら無料で読めるよ
たまにメルカリで柳田国男の文庫が出るけど、人気で即SOLDになる
状態が悪いことが多いのでカビくさかったり虫が挟まってたりした
先祖の話なら全集13巻目だね
私は古書街を回ったり通ったりして偶然ゲットできたよ >>168
何で読んだのか記憶してる?
ネットの個人ブログ?
新聞や雑誌の1コーナー?
もうスレ見てないかな 熊楠の長男のことか?>精神病
柳田がとか家系みんながとか盛りすぎじゃない? >>38
農耕民族の性格というよりも
祖先信仰やシャーマニズムの気質では?
神社におけるミコも
恐山におけるイタコも
ウチナーにおけるユタも
女の神秘性に頼った風習だよね >>38
ごめん続きあるのに送信しちゃった
今の日本のカワイイ文化っていうのは
現代日本男「俺が上に立ちたいからバカで見下せる女としか付き合いたくない結婚したくない」
現代日本女「男に可愛がられるためにはバカのフリしなければいけない→詳しい話でも知らないフリしてスゴーイとか言わなければならない→自分は高学歴も高収入も諦めなければいけない→見た目だけ可愛くして中身カラッポがベター」
闇の根元がここにある
海外のYouTubeで結構前から話題になっていて恥ずかしい >>185
3/8夜Eテレで柳田国男著作「先祖の話」を解説していた。
『100分de名著』 100分de災害を考える(2)「柳田国男“先祖の話”」
若松英輔東京工大リベラルアーツ教育研究院教授 【司会】伊集院光 / 安部みちこ
NHK-Eテレ 2021/03/08(月) 22:25 - 22:50 >>189
だから何だろう
うちに本あるから見てないんだけど
なんで185にレスしたの >>140
東北在住民俗研究家結城登美雄氏が東日本大震災後の三陸の漁港を訪れ
海人(漁民)たちを見つめた
NHK・ETV特集「揺れながら 迷いながら〜民俗研究家・結城登美雄が見た三陸〜」 2022/03/12(土)23:00~放送
ttps://note.com/torinoienohibi/n/n8e447d9f2a14 >>189
"明治維新後、近代化を急激に進める日本は、科学的合理主義を推進。迷信や妖怪を
否定するようになる。それに異を唱えたのが、後に「日本民俗学の父」と呼ばれる柳田国男。
農政官僚だった彼は、地方の民衆の生活史に目を向け、民間伝承や説話を収集、研究。
長い時間をかけて培ってきた「民衆の知恵」にこそ、経世済民のカギがあると考えた・・・・・"
『知恵泉』 「柳田国男と大正デモクラシー民衆の知恵こそ経世済民のカギ」
荒俣宏 / 阿佐ヶ谷姉妹 / 京大人文科学研究所助教…菊地暁 / 高井正智アナ
NHK-Eテレ 2022/09/13(火) 22:00 ~ 22:45 年中行事覚書ちらっと読んでから知恵泉みた
知るに値する人物と感じる >>189
稲作民が稲と椿の種子を携えて日本海を北上?
『NHK特集』「遠野物語をゆく〜柳田國男の風景〜第2部」 1977年【朗読】奈良岡朋子
NHK-Eテレ 2023/12/10(日) 24:45 - 25:35