古事記、日本書紀について深く深く語るスレッド [無断転載禁止]©2ch.net
大和朝廷が善でこれに抗する勢力が悪というのは誤った考え方である。
権力は悪でありいずれも悪であることには変わりがない。
勝利した側が歴史を編纂(改竄)する際に、相手を悪者にしたり、あるいは歴史上から完全に消し去ったのだ。
古事記、日本書紀で描かれる対立はおそらく「出雲」「熊野」でのものだけではない。
8世紀に入ると同時に激しい東国侵攻が始まっておりこの神話が暗示するのは東三河(穂の国)への侵攻、撃滅であろう。
そこから諏訪に逃げていったのである。
そして本宮山が実は真の「出雲大社」なのである。
その事実は不都合な真実として抹消された。 >>170
出雲って山陰から若狭湾あたりまでだからね >>168
前の時代の有力王朝を引き継ぐのは、初期の中国でもあったらしいね。
「夏」とか。 >>165
古事記や日本書紀は編纂作業に入る前から歴史を正しく伝えない偽書となる事は決定的でした。
その一番の犯人?は普通は藤原不比等。と 言われていますが、
もっと罪深いのは?ササラ姫命/持統天皇の世間知らずなお姫様らしい一言(勅命)で偽書が決定的となりました。
「撰善言」
分かりやすく(翻訳)、、、
、、、権謀術数渦巻き身内同士での血ミドロの戦いや醜く酷い出来事を
爽やかな善い言葉を撰んで記述しなさい >>186
同祖の兄(五十猛/カゴヤマ/海部、尾張)の子孫が建てた大和の先行王朝を弟(ホホデミ/物部)の子孫らが攻め滅ぼし、取って変わった。
、、、海幸彦と山幸彦の話。
、、、ニギヤヒの大和降臨と神武東征。
↑の話と同時進行で九州勢の別動軍が出雲王国をフルボッコに攻め滅ぼして平定した。
、、、これが「撰善言」方式に従うと「出雲の国譲り」 日本神話を解読した結果
北海道=高天原
東北=黄泉国
関東=根国
沖縄=龍宮(海神の宮)
だと判明した
北海道から東北太平洋側を親潮に乗って南下し常陸に上陸
常陸を拠点にして関東を支配
関東から関西へ国譲りを迫った
太平洋側を進み、四国を経由して九州へ天孫降臨
山幸彦が沖縄へ
神武東征で日本建国
日本神話を解読したら天皇の先祖は北海道から南下してた >>19
そうだよ
最後まで出雲でいこうとしたのが今の島根県だったわけ >>86
『新撰姓氏録』に見えるように、稲飯命には新羅王の祖とする異伝がある。
これに関連する朝鮮側の記述として、12世紀の『三国史記』「新羅本紀」において、
脱解尼師今(第4代新羅王;昔氏王統の初代)の出自について倭国東北千里の「多婆那国」とする記事があり、
これを丹波国と関連づける説がある。 脱解尼師今(だっかい にしきん、タルヘ イサコミ)は、新羅の第4代の王(在位:57年 - 80年)で、姓は昔(ソク)、名は脱解(タルヘ)。吐解尼師今(とかい にしきん、?? ???、トヘ・イサコム)とも記される。
第2代の南解次次雄の娘の阿孝(アヒョ)夫人の婿。新羅の王族3姓(朴・昔・金)のうちの昔氏始祖。
南解次次雄=中筒男命
神武天皇の兄である稲飯命=脱解尼師今が紀元前19年〜80年の人だから
神武東征も紀元前19年〜80年頃でしょ 密陽朴氏
統一新羅末期の第54代王・景明王の長男・密城大君朴彦忱を始祖とする。朴彦忱は新羅初代王朴赫居世の30世孫とされており、朴赫居世を始祖とすることもある。
始祖の新羅の初代国王・赫居世が井戸から生まれたという伝説があるため、創氏改名の時に「新井」を名乗った人が多い 混沌の世界にアメノミナカヌシがあらわれ…て消えた
そしたら造化三神があらわれ…て消えた
↑
なんなんこいつら トヨウケを農耕神と言ってる人がいるけど
農耕ではなく豊作の神だと思うんだけど >>103
日本書紀は新羅を怨んで色々と伏せてることが多いから、補填できる古事記とセットじゃなきゃダメだと思うよ 部分的にギリシャ神話との類似性があるらしい
言語も違うのに、日本神話ってわりと世界標準なのか?!と
色々な国を経て伝承されて日本に辿り着いたという説もある
檀君神話とかとは、明らかに体系が違ってるんだね ギリシャ神話に限らず
すべての国神話に部分的な共通性はあります 古代人は争いや寒冷化や人口増加やらで世界中を移動したんだから伝わるの当たり前 天照を信仰してる奴は日本への侵略者ってわかってるのかな >>189
根の国は出雲でしかないと思うんだけど
どの部分で関東だと思ったのか引用して説明を
それ以外も全部おかしいけど… >>3
記紀か風土記か忘れたけど
出雲国内の神社とほぼ同数の記述が出てきたはず
出雲国内の神社それぞれから銅剣2本ずつ奉じたのだとしたら大量に出土された銅剣ともほぼ同数
銅国出雲は鉄国大和に国の権(剣)を譲ったんだろ >>201
なぜ
アマテラスは創作だろうけど
天照(アマテル)は男神で対馬だか壱岐だかにヒッソリ社かまえてるだけだろ >>149
朝貢国だったのは倭都国(壱岐を含む九州北部?)とナントカっていう島国(これが壱岐か?もしくは出雲の一部?)だけだよ
大和は朝貢していない
そもそも大和政権は古事記編纂あたりまで文字を使えなかったから朝貢なぞ出来なかったものと思われる
だから倭都国を引き入れたり出雲国を乗っ取ったりしたのでは 古代のことを語る時は
日本とか日本人という言い方は避けるべき >>206
出雲と九州北部からスズリが出土されてるからな
そこの住人は弥生時代には文字が書けた 古事記のアマテラスはホツマツタエでいうワカ姫のこと。だから女性になってるだけ。
天照は男性で神武以前の天皇にあたる実在した人物です、よろしく。 偽書とされるホツマツタエ出してくるのはスレチだねえ… 倭国大乱は記紀で言うとどの部分なのかってガイシュツ?
記紀はスサノオの乱行ってことにしたいのかなと感じるんだけど、実際はヒミコを王に立てて帥升と銅鐸文化を追い出した誰かによる騒動なのかなと >>201
>>210
偏ってんな
偽書ベースで書き込んでる? 帥升の死後に相続したい男どもが荒れまくったから卑弥呼を立てたのかもしれん 帥升がスサノウのモデルの1つで
卑弥呼がアマテラスのモデルの1つで
引き込もってた卑弥呼の世話役がツクヨミのモデルか? >>93-95
編纂時には海の底になってしまったが
元は陸地にあったという説が好き このスレ浦島太郎が沖縄に行った説が結構あるけど、根拠は何なんだろう?
浦島伝説は丹後風土記だけだよね徐福伝説っぽい感じの
記紀には無い話だし、強いて言えばサルタヒコっぽい感じ(こっちに戻ってくっからこーゆーことになるんだよwみたいな当て付けを感じる) スミノエ三神とサルタヒコとシオツチの関連性が気になる 底筒王・中筒王・上筒王だったっけ。
この神様はオリオン座の3つの星のことやな。 そうじゃなくて、モデルは1つだったんじゃないかっていう 弥生時代って、現在の説では紀元前10世紀頃まで遡ってたのか・・・? >>223
古代は異人種だらけだったので、
強いて言えば皆日本人だし皆日本人じゃないんだよ
早いか遅いかってだけで同時期かもしれんのよ
そこ理解しときな まったく読解力の問題ではない
あなたの理解力の問題 >>218
周の傘下だった姜呂尚(太公望)ともイメージかぶりまくり >>224
そうだよ
弥生時代の定義は水耕稲作だからね >>229
それは定義じゃなくて命名由来
そもそも弥生時代とは、弥生式土器が使われている時代という意味であった。
ところが、弥生式土器には米、あるいは水稲農耕技術体系が伴うことが徐々に明らかになってくると、
弥生時代とは、水稲農耕による食料生産に基礎を置く農耕社会であって、前段階である縄文時代(狩猟採集社会)とはこの点で区別されるべきだとする考え方が主流になっていった。 なるほど。でも、初めの頃はまだ狩猟採集が主体の地域もあったんじゃないかな。 社会の大きな流れの変化で観ていくと、そういう時代区分になるわけか。 >>230
定義が正しいとは限らないけどね。
あなたの主張は教科書の古い知識やな。
水稲が縄文と弥生の境なら菜畑遺跡が発見されてるのに矛盾した内容を教わってることになる。
菜畑遺跡では縄文時代の水田が確認されている。 縄文時代から弥生時代への過渡期はそんなもんじゃないの? 縄文人なめるなよ!水田は当たり前にやってて独自の文字もあったんだぞ!
弥生時代みたいにみだりに人殺ししたりしなかったんだぞ! それは分からないよ
食べ物が無いときには人を食したかもしれないし
食べ物も奪い合いで人が死んだかもしれない 稲作や他の農業が発達してきたら、それを拡張していく過程で、
近隣集落同士での肥沃な農地の争奪、水利権の争いも生じるだろうからな。
それと時期にもよるだろうけど、縄文人の日常は総じてかなり厳しいものだったのかな? >>239
奈良
葬式の時に故人の体の一部を食う習慣がありました。
以前、付き合いで葬式に行ったら食わされそうになりびっくりした 中国の戦乱期は勝った方が負けた方の目を引きちぎって生のまま食べていたよ。 刀伊の入寇で九州に喧嘩売ってきた朝鮮半島の民族は農作業で使ってた牛と馬を勝手にバラして食べていたが、人肉を船に吊るして干し肉にして食べたりもしていた。 中国や朝鮮人ってのは、タブーの存在しなかった民族なのか。 >>242
骨をかじるんじゃなく?
あんた何時代の生まれよ >>239
なんか安っぽい偏見しか持ち合わせてなくて
まったく歴史勉強してない人って感じ… 古事記や日本書紀って、魏志倭人伝との内容の整合性は、どの位あるのかな・・・・ 中国の史書との整合性はほとんど無いんじゃないか?
後世に辻褄合わせに四苦八苦してるようだし
倭の五王の比定など中学生の頃でさえこじつけが酷いと思ったもんだ
今の教科書はどうなってるんだろう 想像に想像を重ねたストーリー。もはや仮説ですらない・・・
あとは考古学的なアプローチを待つのみなのだろうか。 こうだ!こうに違いない!
という思い込みは強かったのかもね昔
伊達政宗がナントカ坊主の生まれ変わりと育てられたように 宗教を政治利用したんだから
古代〜中世の人の宗教心は強かったんだろ 記紀自体はただの書簡だが、
それらを如何に正しく解釈できるよう読み解いて考察するのが学問じゃね? 別に構わないけどね。本来ここって学問系の板なんだろ? >>256
時代による精神性の話をしてるんだから
そりゃ宗教の話だろう
そこに学問うんぬんて何なんだ?
昔の人に言ってるのか? >>262
会話になってないって言ってるのが理解できない? やはり、卑弥呼=天照大神っちゅうのは、今でも定番でよろしいんかぃ? 卑弥呼の後を継いだ台与とかいうのは、一体何者だったんだろうな。 アマテラスは男性神だが姉のワカ姫とすり替えられて女性神にされたらしいし、
卑弥呼は単に日の巫女だとも言われている。
孝霊天皇の時の倭迹迹日百襲媛。
神功皇后も謎が残っている。
よくわからなくなってしまいました。 日本書紀に書かれている大阪湾(当時汽水湖)の記述通りの地形があったのは、
地学・土木学の成果として、約2500年前であることが既に判明している。
このことから、記紀の伝承内容とその年代は整合性があることが分かる 海岸線が今とは全然違うのは忘れがちだが重要だからな 海岸線が現代よりも遠ざかってたという事は、当時は、かなり寒冷な気候だったのかな。