日本書紀本文を書き綴った人は、(天つ神が自分より格下のイザナギ・イザナミに
葦原中国を治めるよう命令する時点で既に人間的なにおいがして純朴さがないが)
神が占いをすることに納得ができないので、自然発生したイザナギとイザナミが
天つ神の命令なしで自発的に天の浮橋に乗って矛で海をかき混ぜてオノコロジマを作り、
二人で勝手に国産み・神産みを進める神話を採用したのだろう。イザナミから声をかけた
時イザナギがそれを叱って改めさせるという物語にした。そして、苦しんで国産み・神産み
をし続けたイザナミが死んで黄泉の国の王者になりイザナギが独りで三貴神を産む話は理不尽だ
と思ったのか、イザナミを三貴神を産んだ母に位置づける神話を採用した。後から生まれた
天照大神が高天原の最高神というのも変だからか初めから高天原にいたタカミムスビを天孫ニニギ
の外戚でありながら皇祖に位置づけた。実際にはタカミムスビが神武天皇の男系先祖で、天照大神は
実は女系先祖なのかもしれない。神が死ぬ、神が神を殺すような神話も異伝のほうに避けられている
ようだ。日本書紀本文の神話は日本人的な神観に納得できない人向けに改作された物かな?編纂者に
渡来人が多かったみたいだし。古事記は日本書紀では異伝にされるものを多く採用しているという。
日本書紀より古事記の神話のほうが日本人の精神を正しく表現しているみたいに高く評価されるのは
そういう理由なのだろうか。勝手に思ったことを書いてみた。