古事記、日本書紀について深く深く語るスレッド [無断転載禁止]©2ch.net
大和朝廷が善でこれに抗する勢力が悪というのは誤った考え方である。
権力は悪でありいずれも悪であることには変わりがない。
勝利した側が歴史を編纂(改竄)する際に、相手を悪者にしたり、あるいは歴史上から完全に消し去ったのだ。
古事記、日本書紀で描かれる対立はおそらく「出雲」「熊野」でのものだけではない。
8世紀に入ると同時に激しい東国侵攻が始まっておりこの神話が暗示するのは東三河(穂の国)への侵攻、撃滅であろう。
そこから諏訪に逃げていったのである。
そして本宮山が実は真の「出雲大社」なのである。
その事実は不都合な真実として抹消された。 タキリビメについて
天照大神と素戔嗚尊の誓約により誕生した「宗像三女神」の一柱で
『古事記』では多紀理毘売命、
『日本書紀』では田心姫(たごりひめ)・田霧姫と表記される。
別名奥津島比売命(おきつしまひめ)だが、
『日本書紀』第三の一書は市杵嶋姫(市寸島比売・いちきしまひめ)の別名としている。
神名の「タキリ」は海上の霧(きり)のこととも、
「滾(たぎ)り」(水が激しく流れる)の意で天の安河の早瀬のこととも解釈される。
日本書紀の「タゴリ」は「タギリ」が転じたものである。
◎ この女神を単独で祀る神社は少なく、宗像三女神の一柱として
各地の宗像神社・厳島神社などで、
また、天照大神(あまてらす)と素戔嗚尊(須佐之男命・すさのを)の誓約で生まれた
五男三女神とともに各地の八王子神社などで祀られている。
◎ 『古事記』の大国主命の系譜では、
大国主命との間に阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこね・味耜高彦根神)と
下照姫(したてるひめ)を生んだと記されている。
アマテラスとスサノオの誓約の段で、天照大御神が須佐之男命の持つ剣を譲り受けて
宗像三女神を生み、須佐之男命の物実から生まれたのでその子であると宣言された。
この三女神は宗像の民が信仰している神であると記されている。
化生した順番や、宗像大社の三宮のうち、どの宮に祀られるかは、『記紀』で異同がある。
◎ 「沖津宮」とする記述
『古事記』では、1番目に化生し、名は「多紀理毘売命」で、沖津宮に祀られる。
別名「奥津島比売命」
『日本書紀』本文では、1番目に化生し、名は「田心姫」で、沖津宮に祀られる。
(現在の宗像大社と同じ)
◎ 「異同」の記述
『日本書紀』第一の一書では、3番目に化生し、名は「田心姫」で、辺津宮に祀られる。
『日本書紀』第二の一書では、2番目に化生し、名は「田心姫」で、中津宮に祀られる。
『日本書紀』第三の一書では、3番目に化生し、名は「田霧姫」で、辺津宮に祀られる。 市寸島比売命(イチキシマヒメ)について
イチキシマヒメ(イツキシマヒメとも)は、日本神話に登場する宗像三女神の一柱。
水の神。
『古事記』では市寸島比売命、『日本書紀』では市杵嶋姫命と表記する。
別名、狭依毘売命(さよりひめのみこと)。
アマテラスとスサノオが、天眞名井で行った誓約
(アマテラスとスサノオの誓約)の際に、アマテラスがスサノオの剣を噛んで吹き
出した霧から生まれた三女神の三女。なお、この剣(十拳剣)からは五男三女神が
生まれており、うち、三女神を特に宗像三女神という。
『古事記』では2番目に生まれた神で、宗像大社では総社の(福岡県宗像市)の
辺津宮(へつみや)に祀られている。
『日本書紀』本文では3番目に、第二の一書では最初に生まれたとしており、
第三の一書では、最初に生まれた瀛津嶋姫(おきつしまびめ)の別名が
市杵嶋姫であるとしている。
イチキシマヒメを祭神として祀る市杵島神社では、「市杵島姫命は天照大神の子で、
皇孫邇邇芸命が降臨に際し、養育係として付き添い、邇邇芸命を立派に生育させた
ことから、子守の神さま、子供の守護神として、崇敬されている」という説明板が
ある。
後の時代の神仏習合においては本地垂迹では弁才天に比定され、同神とされた。
広島の厳島神社や神奈川県の江島神社、滋賀県の竹生島神社など。
大分県の宇佐神宮や京都府の石清水八幡宮では、
比売神として多岐津姫命(たぎつひめのみこと)・多紀理姫命(たぎりひめのみこと)
とともに二之御殿(3つ並んだ御殿の真ん中)で祀られている。
また、松尾大社では主祭神二柱の一柱として祀られている。
元伊勢として知られる籠神社では彦火明命と夫婦として絵馬になっている。
「イチキ(斎き)」は神霊を斎き祭るという意味があるという。 多岐都比売命
タギツヒメ(タキツヒメとも)は日本神話に登場する神で、宗像三女神の一柱である。
『古事記』では多岐都比売命、『日本書紀』では湍津姫と表記される。
アマテラスとスサノヲの誓約
古事記にあるアマテラスとスサノオの誓約の段で、
アマテラスがスサノオの持つ剣を譲り受けて宗像三女神を生み、
スサノオの物実から生まれたのでスサノオの子であると宣言された。
この三女神は宗像の民が信仰している神であると記されている。
化生した順番や、どの宮に祀られるかは、『記紀』で異同がある。
『古事記』・『日本書紀』第二の一書では、3番目に化生し、辺津宮に祀られる。
『日本書紀』本文・第一の一書・第三の一書では2番目に化生し、中津宮に祀られる。
宗像大社では、「湍津姫神」として大島の中津宮に祀られている。
『先代旧事本紀』には、後に大己貴神に嫁ぎ、八重事代主神と高照光姫命を生んだと
記されている。
神名の「タギツ」は「滾(たぎ)つ」(水が激しく流れる)の意で、
天の安河の早瀬のことと解釈される。
タギツヒメを単独で祀る神社は少なく、
宗像三女神の一柱として各地の宗像神社・厳島神社などで、
また、アマテラスとスサノオの誓約で生まれた五男三女神とともに
各地の八王子神社などで祀られている。