天皇系譜上の初代、神武天皇は、
海(天)村雲命。

徐福と出雲王国の第8代オオナモチ、八千戈さまの妹君、高光媛(天道媛)との御子、五十猛。長じて、海(天)カゴヤマと、

徐福は二度目の渡来で吉野ヶ里を本拠地とし、

宗像王家(出雲王国の分家)の末娘、市杵島媛と政略結婚して生まれた第二子のホヤ媛(第一子はホホデミ)の
異母兄妹が結婚して生まれたのが、

海(天)村雲。


出雲王国の乗っ取りを企てて出雲王国の(第8代の)主、副二人の王を殺害するテロ事件を起こした徐福ら渡来人(実効主犯はホヒとヒナドリ)らですが、侮っていた出雲王国は意外にも強固で反撃にでた事で
徐福は引率してきた二千人の海童(秦国人)と妻子を置き去りにして秦国に逃げ帰った。

取り残され、散りじりになっていた海童(秦国人)たちを五十猛/カゴヤマが呼び集めて丹波国に移住して国を建てました。

先の出雲王国の大逆テロ事件の影響で
葛城に大量移住していた出雲族(摂津三島の人々も加わる)らが大和に出雲第二王国の建設を夢見て開発に勤しんでいたところに

北の丹波国の海村雲が丹波人(元々は秦国人や子孫たち)を武装させて大量に大和に侵入してきて威勢をはって、
先住の出雲族らを凌駕した事から
海村雲を大王に推戴。出雲神族(=王族)の媛踏五十鈴日女命(三輪山の初代祭主に就任済)を大王后とする等して
丹波葛城(大和)連合王国の大倭国が成立。

海王朝、海部王朝、大王宮が葛城の笛吹(高尾張)に在った事から高尾張王朝などと呼ばれる

海村雲から11代約300年の命脈を保ちました(ホホデミの子孫(親戚)の大和侵攻(所謂、神武東征)により滅亡)。