出雲王国(約四千年前にインドから渡来したドラビタ族がBC-660年頃に建てた我が国初の広域統一王国。17代/約700年弱の命運)の8代オオナモチ(主王)の御代に徐福が二千人もの少年少女ら配下を伴って渡来。

もとより、秦の始皇帝の不老長寿の仙薬探しは方便で自ら王となる野望を秘めての事。
ホアカリを自称した徐福は先ず、王家の内親王(王女)との婚姻を望み、許されて

高光媛命がホアカリ(徐福)に降嫁。
此によりホアカリ(徐福)は出雲の神族(王族)に易々と成り上がりました。
あとは、オボコの箱入り媛とせっせと子作りに励んだ甲斐があって早々に御子が生まれました。
ホアカリ(徐福)は御子に父親の徐猛(天押穂耳)の名を貰い「五十猛」と名付けました。
少年少女とはいえ二千人もの勢力を保有するホアカリ(徐福)らに警戒していた出雲王国が
親戚となり、御子の五十猛まで生まれた事にいよいよ警戒が弛緩します。
それを好機と予てより秘めていた野望を露にして