中国側の記録を参考にすると、天皇家より前に存在した日本の王は
後漢の光武帝から漢倭奴国王の金印を授かった人物、安帝に生口(奴隷)
を献上し謁見を求めた帥升、邪馬台国の女王卑弥呼と台与(神武・欠史
八代と同時期の女王?)などである。

日本書紀の記録では、大己貴命・事代主神のような出雲系の神々や
饒速日命が神武天皇より前の日本の王のようである。とにかく紀元
前210年代の徐福渡来から、後2世紀末頃の神武天皇の大和定住まで
400年ほどの開きがあり、その間複数の王権が日本に存在したのではな
いかと推測される。大和政権が日本の広域を支配し始めるのは4世紀に
入ってからで、天皇家第10代目崇神天皇が天皇家で初めて大多数の豪族
に王と認められた人物だと考えられる。源氏で譬えるなら、始祖の源経基
が神武、征夷大将軍の源頼朝が崇神のようなもので、欠史八代の王の記録は
一つの豪族が天下人にのし上がるには何世代もかかるということを意味して
いるのかもしれない。徐福王朝が大和政権にどのように繋がってくるのか
今後古代史研究が進むことで解明されることを期待する。