>>62
>後漢の光武帝から漢倭奴国王の金印を授かった人物、安帝に生口(奴隷)
を献上し謁見を求めた帥升、

師升。
、、、このお方は、大和(奈良)の磯城王朝の王、国押人(オシヒト)、いわゆる孝元天皇だと伝承されています。
後漢帝国に自ら出向き大和(大倭。実質的には最大限で畿内政権。王家(大和の3割程度を支配するにとどまる。有力な豪族程度)、各豪族たちが入り乱れて権力闘争に明け暮れていた)の大王と認めて貰うため。
貢ぎモノがなかったのと、漢は奴隷(生口)を喜ぶ?ということで、
行き掛けに広島の生口島で大規模な奴隷狩りをやった(故に、生口島の名前になった)

謁見の際、「オシヒト」の耳に付いたアクセントの「シヒ」を「師飛」と中国人の記録官が草書で口頭速記したモノを正式な文章に書き写す際に
飛が升に誤記され、「師升」とされたらしい(この類いの誤記は良くあることらしい)

また、人名、地名等は省略して記述することや、
中華思想の下、周辺諸国の国名、事物や人名等には獣や魚等の文字等を使い卑字化されたようです


>邪馬台国の女王卑弥呼と台与(神武・欠史
八代と同時期の女王?)などである。

ヤマトの女王媛巫女(ヒメミコが中国人にはヒミコに聞こえたらしい)
邪馬台国の女王卑弥呼。これなどは卑字使用の典型的な例。