「お茶を飲んで酒席を眺めてたんだけど、シラフで観るその風景が新鮮なこと」
あーこれこれ、いっつもこれなんだよ。
よくいえば第三者的に俯瞰してるってことなんだけど、微妙に高みに立って他人を見下ろすっていう。
たとえば、
自分ちの屋上が特等席の花火大会をゾロゾロ見に行く一般人を眺めるとき。
石垣島のスピリチュアルな環境に身を浸してバビロンのような都会の喧騒を想うとき。
阿蘇の別荘地で地元に馴染まない、馴染もうとしない移住者のことを批判するとき。
全部視点が一緒。
自分もその各種状況において「にわか」「まれびと」なんだっていうことがすっぽり抜け落ちている。
せっかく曲が素晴らしくて唄やギターがカッコ良くても何だかそれで全部ツヤ消しになっちゃう。
「孤独な自分」VS「無知蒙昧な一般ピープル」ときどき「ちょーわかってる素晴らしすぎる仲間」
聖人君子じゃないんだから誰しもそういう気持ちになることがあるのは仕方がないんだが、
でもいつもこんなに生煮えのままの感情をタダで読めるブログで垂れ流さんでも…と思う。
残してきた名曲やこれから創ろうとしている音楽のためにも、
日常のよしなしごとを発信するのはTwitter程度にとどめることをお勧めする。