中東の都市は「コンスタンチノープルを尊敬する」ことからできている。
日本でも「身近な人が東大に受かったから、私も夢をかなえたい」といって芸能人になる
女の子がいるが、中東の都市(ダマスカスなど)もこのような、「アレキサンドリアに出た男」
が作っている。
そこで、三位一体でも当然「いじめはなんら生産的ではない」として「ただ生きているだけのいじめっ子」
は否定せざるを得ない。
東方教会が中東の都市づくりをしなければならなかったのだから当然だろう。
アレキサンドリアに出た男が、どのように「芸能界に貢献したか」をまとめきることが
都市づくりの基本であり、私もかつては東大文一に合格し、それに共鳴した女の子たちが
「乙女塾」というのを作っている。
この原理をアメリカで始めて総括したのがニクソンであり、大統領にまでなっている。
「私にも夢が見れる」
しかし、机に向かう男とテレビを見るだけの女ではやり方が異なった。
何らかの形で総括しなければ都市づくりにはつながらないし、彼女たちと話をすることが
信仰心につながることもない。
中東を理解するのならば、これがコンスタンチノープル起源説に立つのか、エジプト起源説
にたつのかの対立はあり、ISISなどは「エジプト起源説に立脚する暴力団」なのだ。
いずれにせよ、東方教会がいじめというものを「なんら生産的ではない」と考える理由はここにある。
東方教会が「殺戮の歴史」を持っているのだとすれば、私も「ただ生きているだけのいじめっ子」
は、中東の都市づくりにとって有害であるために、「ぶっ殺すしかねえな」と思うことがある。
これは、人間の生き方の問題にとどまらず、地政学や、国づくりと関わる問題なのだ。
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