「まるで高速電車のようにあたしたちは擦れ違う」

人は生活の中で、日々たくさんの感情を経験しながら生きている。
朝起きてから夜寝るまでの間に、誰かと話し、仕事をこなし、好きな人と会い、
趣味や娯楽に打ち込む。その一瞬一瞬の瞬間に、私たちは私たちが
感じる感情を感じている。

感情を一切感じずに生きる人間はいない。
笑うことも、泣くことも、その場限りのあたしたちだけど、
思うことも、喋ることも、その場限りのあたしたちだけど、
怒る事も、歌うことも 大嫌いも 大好きも


私たちは一日の中で、とても多くの出来事を通して、
数えきれないほどの感情を感じている。その一つ一つの感情に
いちいち反応していたら精神的に疲れ果ててしまうだろう。

人は身体を動かし、停まったり 寒暖の差を感じ、
季節に合ったものを身に着けたり、脱いだり、
何かに憧れたり、何かに共感したりしながら
日々生きている。

例えば、体を動かす、停まるなどの動作、停止の瞬間の動きでも個人差は生まれる。
その個人差がスポーツでは身体能力差になり、一瞬の動作の正確さが勝敗を分ける。

野球やサッカーなどの球技では、ボールを当てる。キャッチする。ボールを蹴る。
枠内にシュートを決めるなどに必要な能力が空間認識能力。これも個人差がある。
一瞬の動きの中での空間認識能力の高さが要求されるのだ。そんな一瞬の動作、
感覚の中で何かを嗅ぎ取っている。

そういう個人能力の高い人でなくても、
我々は日々の生活の中で、一瞬一瞬に何かを感じ、嗅ぎ取って生きている。