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追悼編

“Wシンタロウ”でのお立ち台が夢だった……元阪神・横田慎太郎が語る藤浪晋太郎の“凄み”

文春野球コラム ペナントレース2020

 横田 慎太郎

次元が違った“シンタロウさん”

 話は変わりますが、今回はここからが本題です。“シンタロウさん”の笑顔に胸が熱くなりました。鹿児島でテレビ中継は無かったのですが、ネット速報をずっとチェックして結果を気にしていました。その後、ニュースでも試合の映像を見ることができて、藤浪さんの明るい表情が印象的でした。僕は病気でしたけど、藤浪さんは野球のことでいろいろ苦しんで、野球以外のことでも、周りの人にいろいろ言われて辛い思いもしてきたと思います。

 藤浪さんは、1歳上の先輩なんですが、高校時代からスター選手で自分にとっては大げさではなく、雲の上の存在でした。1年後に僕がタイガースに入団したんですけど、最初は“あの藤浪さんがいる”となってほとんど喋ることはできなかったですね。当時は藤浪さんは1軍でバリバリ投げられていて、僕は2軍。1日のスケジュールも全然違うので、寮で会うこともほとんどなかったんです。会っても、めちゃくちゃ緊張してほとんど話せなかった。話せるようになったのは、僕が1軍にいった16年ぐらいからで、その後よく声をかけてもらいましたし、イジったりもされました。ただ、藤浪さんの名誉のために言うと、北條さんや中谷さんみたいな激しいイジりではないです。あの人たちとは質が違います。愛のあるというか、ソフトなイジりでしたね(笑)。

 17年に僕が沖縄のキャンプを病気で離脱する前、最後に出た試合だった紅白戦で藤浪さんと対戦しました。

あの時もえげつないボールを投げてました。マウンドとバッターボックスがこんなに近く感じたことは今までなかった。空振り三振だったんですけど、こういう投手が1軍で活躍するんだなと、打席で痛感した記憶がありますね。自分も体は小さくはないんですが、藤浪さんのデカさは次元が違うんですよね……。メッセンジャーも大きくて