レスロゲ屈退
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
魔法だの魔術だのが漫画やアニメ、ゲームに良く出てくるが
本場のは狂気の世界だな 1日12時間の祈祷を二週間ぶっ通しでやるくらいの覚悟がいる 生という狂気と苦痛を乗り切るための試練なんだろうね お袋さんが焼きそばを作り過ぎたようで生野菜と一緒に食べています >>14
以下、インターネットの語源由来辞典より抜粋
>室町時代から見られる語で、語源は以下のとおり諸説あるが未詳。
「お」は接頭語で、母親は金銭や貴重品を袋に入れ
全ての管理をしていたことから、「ふくろ(おふくろ)」と
呼ぶようになったとする説。
胎盤や卵膜などの胞衣(えな)や子宮を「ふくろ」と呼んでいたことから、
母親そのものも言うようになったとする説 アブラハムっているだろ
あれが苦労して学んだ術のことだよ
これはユダヤ教、キリスト教、イスラム教とは別の次元で作動しているな ちょっと待てよ?
聖書に出てくるアブラハムと魔術師のアブラハムは別人物かもな 西洋の歴史がまったくもって解せん
カバラというのは宇宙創生のプロセスを表現しているらしいが
人間に理解できないものをなぜ人間が伝えているのか、という
数秘だの占星術だのの歴史は今でも生きているからな 新約聖書を読むとアブラハムの名前が真っ先に出てくる
これで俺は洗脳されていたな 1338年から1573年まで、200年以上続いたな、室町は この間に年号が24回変わってるが
年号としては未だに昭和が一番長い
次が明治でその次が応永か
応永は室町時代だな
ということは他が異様に短いってことかな 何かを引き寄せるために厳しい自己鍛錬をしている人がいるな
何かとは何か
おそらく「口寄せ」に通じる何かだろうなと思う 宗教の教義か何かで禁欲を当たり前としている人だったら
秘密さえつかめば実際に引き寄せは出来たのだろう
彫刻家にロダンってのがいたが、あれも似たようなことを言っていた
秘密さえ掴めば休むことなく仕事に従事することができる 本を読むのはただの空虚な作業で、後には何も残らない 生産性のあることを探しているが
ごく限られた領域にしかそれは見つからん 叶うかどうかも分からない夢や願望に振り回されることにそれほど生産性が無い
夢や願望を諦めるのが正しいわけじゃないけど アブラメリンに手を出すには発狂死する覚悟がいるな
やめとこう 俺は影響を受けやすいからな
軽い気持ちでヘブライ語は習得できん エロに没頭していると確実に生命エネルギーを削るからな 性欲をやたらともてあましている人はそうでもないだろうけど 俺は個人の自由を最優先にする派だから
死刑なんか反対なんだが
感情的にはよく「こいつ死刑にしろ」とか思っているのだから
矛盾しているな 個人が自由になるには法や秩序に頼らないだけの自我の強さがいる 犯罪者を憎むという精神はどうなんだろ
犯罪者だから憎む?
なぜ憎むのか理解に苦しむ 俺自身が犯罪に巻き込まれるとたぶん相手を憎むと思う 犯罪はどのようにして怒るのか、研究が進んだな
日本では未成熟だが 個人の自由って、すごく難しい問題だ
俺に個人はあるのか
俺以外の人間には個人はあるだろうな、と思う
俺以外にも個人があるのだから
俺個人の自由と、俺以外の個人の自由とは相容れない 自由主義というのは政治権力からの自由と
経済競争の自由を建前としている思想だ
自由主義は便利な道具で
人を簡単に騙せる 詐欺師、嘘つきは多いよな
内心と行動があからさまにずれている 詐欺師、嘘つきを無くすには
人間を絶滅させるしかない 字の形がなかなか綺麗にならん
字の汚いやつは人格も穢れている 別に読み書きができなくても平和に過せるならそれでいいが
字が汚い・・・幼稚だ・・ 綺麗な字というのは一目で分かるが
なぜか自分のものにはできない 科挙の答案
これでも字と字の間のバランスが微妙に悪いのだが
このレベルで初めて綺麗な字だといえる 一目で分かるのになぜ自分のものにはできない?
この葛藤をダヴィンチがしていたな 現実に対して人は無力すぎる
見たものとその中身とが一致しない
自然を美しいと思っても、自分は自然ではない
自分の中に自然を美しく感じる感性が残っていることを
誇りに思うのが精一杯だ 誇りというのは寂しいな
持つのもそれだけ難しい
自分のことを寂しく思うだけでもエネルギーが要る 侘び寂びを身に付けると誇りが持てるのかもしれん
わびしい、さびしい
島崎藤村が身に付けようとしていたような気がする 空気の読めない人間を「寒い」といってコバカにする文化があるが
寒さに耐えるとさびしさを身に付けられるのかもしれん
寒いギャグを連呼する人よくいるよな
俺とか オヤジギャグって連呼していると寒いが
たまに出てくるとさびしくなる
なぜか笑えない 年配の政治家には
骨董品集めが趣味の人が多いという
中でも、青磁(せいじ)の茶碗が大人気だ
それはなぜでしょうか?
こたえは・・・
「せいじ」だからです!
ドッ (爆笑) 現代小説はいまひとつ面白くないな
古語辞典と論語を読むか 古語の世界は俺にとって新しい価値観の宝庫だからな
今まで古典なんも知らなかったから 森博嗣の小説を読んでいたが退屈すぎてとてもじゃないが読み通せそうになかった 森博嗣の描く天才像がまずクソすぎる
オタク受けのいいありがちな天才像だな 「天理に通じている」という意味で皮肉ってあえて描いているような気もする
森博嗣は理系の人だからな
工学だか建築学だかだっけか 天の道理に通じるために死ぬ覚悟をした人間が多かったのだろうな
それは俗には「天才」とは認められなかった 西洋の偉人を模倣しても「天才」は生れないのだよ
なぜ分からないのだか 古語でよく「けり」が使われる
これは、自分が経験していないが自分が見聞きした程度の話しを語るときに
よく用いられる 何かを語るときに人は
自分以外の「当事者」には絶対になり得ないからな 「当事者」の話は参考にはなるが
自分のものにはできない 術がないというと「すべがない(方法がない)」と解釈するのが普通だが
一般的に方法がないと思われてることでも
方法を編み出す者がいた
それは「すべ」ではなく「じゅつ」という ニンジャ(俺の中のイメージ)の使う「術」は面白いが
あまり現実的ではないな、と思うことが多かったな
おそらく術を使う以前に猛烈なトレーニングを積んでいたのだろうが
神通力に達することのできたニンジャはいるのだろうか 2chには日本人論でヒートアップしているやつ多いな 犬だか狼だか分からんキャラ(コヨーテらしいが)が世界の観測を言い渡されて
何人かと会話してちょっとした選択肢のあるだけのゲームだ
夢の中にいるようだな、と思っていたら作者自身の夢を参考にして作ったものらしい
なんか色々と抽象化された世界観 ウディタの電波ゲーはかなりたくさんプレイしたな
もう数え切れない ゲームもう飽きたがたまにフリーゲームを試してしまう お袋さんが認知症にならないか心配です
できる限りのサポートはしていくつもりです https://www.freem.ne.jp/win/game/16340
火から逃げるだけのゲームをプレイしていた
エンドレスモードで12000点くらいまでやって飽きた
途中で曲が変わるだけかもな , -───--、
/ ( ゚д゚ ) / >>1乙zz...
r-<,ぅ⌒cソ、. /
ノ '、 , 、 _, ' //
(_,. //
(.,_ `'ー-、_,,..ノ/
~`''ー---‐' >>93
一度も見た記憶がないな
>>94
arigatou gozaimasu. とんねるずの番組に料理で嫌いなものを当てるコーナーがあったな
あれのことかもしれん テレビもラジオもないのがアナログ
家電製品といえば冷蔵庫と固定お電話だけ 俺の母親は古いアイパッドでLINEやってるがな
俺が固定電話から無理矢理ID登録した 俺はスマホ何台もぶっ壊してる
あんなクソ機械についていく必要ない 中華製のタブレットは8台くらい試したな
パソコンも今まで凝ってきてよく自作していたが
ネットブックとか出てくる頃には飽きてやめた スマホも一時期凝っていて
アプリを大量にダウンロードしとったな
あれは何も楽しくなかった アンドロイドは審査が甘いからな
中華製アプリでウイルス付きのがたまにあって対処に振り回された ブームなんて終わればただのカスだからな
カスしか残らないと分かっているものに誰が興味向けるかよ 古語辞典の付録に内裏が火事によって消失した際の記録が載っている
平均して5〜8年に一度くらいのペースで焼け落ちているな
考えられる要因は、火の不始末と政局にまつわる争いでの放火
もしくは市民?による放火
とにかく燃えやすかったのだろうね建物自体が 当時は市民という概念ないだろうけど
今の俺には市民という概念でしか捉えることができん 市民という概念は非常に鬱陶しい
西洋からきた新しい価値観だ
これに今でも適応できずにいる 俺は時代遅れの人間でブームについていこうと必死になって食い下がったが
できなかった 最初の挫折はまず自動車かな
自動車はとにかく気持ち悪くて
乗ると必ずゲロを吐いていた
自動車の恐怖心を克服できていない
電車もだめで、そのために修学旅行などはいっていない 俺がまともに乗れるのは自転車だけだ
免許も取ったことあるけどね
すぐに廃棄した 自分について考えていると、とてもじゃないが文化にはほど遠い生活をしてきた
文化に触れていなかったからだな
文明社会の吐き出すゴミから宝物を探そうと躍起になっていただけだった
オタクの大半がそれにあたる 俺は俺個人の自由を阻害するやつは許さんが
それ以外のことには寛容なんだな
それが中々分かってもらえない
文明社会ではただのわがまま、自己愛で済まされるのだが 甘え、自己愛、それで他人を否定したつもりかよ
甘えと自己愛を許さない人間がどれだけの努力を積み重ねてきたのか
俺は知らんから、平然とこんなこと言えるのだが 中居はおそらくスマップの中で一番普通、中庸のキャラだろうね
孔子もそういうだろう 香取には感情的な危うさがあるように思える
「中」というのは感情が沸き起こる以前の状態を指す 世にも奇妙な物語で「水を預かる」という話があった
これの主人公が香取だったな
香取の役は、売れない劇作家だった・・・ 劇の脚本を書くためにバイトをやめて家賃を滞納し
電気をとめられて締め切りにも三日遅れている、という悲惨な状況から
物語は始まる 砂漠のイメージ、都会人の乾いた感情のイメージを
大袈裟に表現しようとして、それは既に使い古しの手法であり
何も面白くないことに気付く
そこへ、アパートの隣の部屋の女が「水を預かってほしい」といって
くるわけである ロマンス好きの人だったら、ここから恋愛関係が生まれることを想像するのだろうが
世にも奇妙な物語にはそういったプロットは通用しない 手を伸ばしてすぐに読める本をよく読むので
手元には本来あまり読みたくない本を積んでおくか 筒井康隆の短編なんか読みたくねえな
あれは一時期この世の真理であるかのように没頭して後から間違いに気付き貶したくなる 下劣で野蛮な内容だが
どことなく冷静に割り切って描いているから
ぎりぎりエンタメとして成り立つだけだ 理解というのは一時的な現象にすぎない
そのとき分かっていても後から考えると解せないことなどいくらでもある われ、意識混沌にたゆたひて
青へどをつきたり
いとあはれなり 心臓が弱ってるからな
激しい運動もできない体になってしもた 昔から存在不安というか
自分の存在そのものに対する強烈な不安を抱えていた 安部公房の『壁』なんか怖くて中々読めなかったな
あれは一流の恐怖小説のようにも受け取れる
自分を証明するものが何もないまま狂った世界をさまよう話だから 自我に自信のある人だったらユーモラスにも見えるのだと思う
俺にはそう受け取れなかった 子供のころだけは怖いもの何もなかったが
思春期からだろうか
不安定になっていったのは 時期によって俺って性格がバラバラなんだな
一貫性がない 反動で異様に攻撃的になって殺人のことばかり考えているころもあった 極端なんだろうね
これを短い期間に繰り返すのが躁うつ病というらしいが
俺の場合はバラバラ 気分屋で極端なんだな
これは嫌われやすい性格の典型だなと思う
思うけど自分の意思ではやめることができない 破壊的な性格と創造的な性格とはよくセットになっているといわれる
破壊神がいれば創造神がいる、というふうに 進歩やら進化やらを目指していると古いものは廃れていくが
古いものは勝手に壊れて費えるわけではない
常に今ある自分を保っていようとする強い意志が古い価値観を壊していく
それができない人はただついていくか、その場に留まるかしかできない 日進月歩という言葉があるな
これはどうなんだろ
進歩的なんだろうか 月を見ていると時間が止まる
歩いていこうという気にはならない アポロは本当に月へ行ったのか!?
というような陰謀論の記事を昔読んでいたな
今でも俺は行ってないと思っている 実際に月に行ったという証拠なら無数にあるが(図書館で調べた) 論より証拠とはよくいうが
俺は証拠をつきつけられても
自分の自由とは無縁のことを信じる気がない 物事の因果関係や事実関係を集めたくなるのは
「嘘吐き」を消し去るためだろうな 「嘘吐き」は後を絶たない
なんせこれは人間の脳みそ自体が嘘を吐き続けるからである
だからアメリカではプラグマティズムによる「実践主義」が幅をきかせた
アメリカは真理を生み出すために躍起だからな ぶっちゃけ、天動説と地動説でいえば
俺は天動説を支持する 自分が「地球に生きている」という実感もほとんどないのに
なぜ「地球が太陽の周りを動いている」ことを知る必要があるのか
考えればおかしな話だ
日本の古典で「地球」という言葉を見たことがない 狭い島国の住人である俺が地球について考えてもたかが知れている 人の想像力は無限ではない
想像がよく働いているときにはどこまでも果てが無いように思えるが
それ以上無理だ、という場所に必ず突き当たる 突き当たれば事実関係を参照して新しい想像に酔いしれる 胃が悪いと唾液がすごい量沸いてくる
ゲロを吐いたあとはそうでもないが 唾液を吐くための洗面器をいつも横においている
ゲロを吐くためのバケツも隣にずっと置いてある 胃液も水で薄めると匂いがなくなる
若干生臭いが
ゲロを吐いたあと掃除せずに醗酵するまで放置しておくと
夏場かなり臭いがな
昔よくやっていた ウジが沸いても放置していたことがあったな
さすがにハエが出てくると鬱陶しいので掃除したが
ゴキブリもよく俺のゲロを食いにきていた
俺のゲロを食うゴキブリは殺さなかった
友達みたいな感覚だ
俺のゲロに混じっているニンジンがごちそうだったらしいな ゲロでも食べたものの固形物が残っているのと胃液だけのがあって
胃液だけのはさすがにゴキブリも寄ってこない
やはり固形物にしか興味ないらしいな
コバエはよく胃液に来ていたが
コバエって汚泥に卵を産みつけるからな
ドロっとして臭いものにノスタルジーでも持ってんのかね ゲロと古典について考えていると心が落ち着くな
松本清張はすでに飽き気味だ
俺は飽きるのが早い 胃が悪いと粘膜を守るために唾液がでるのかもね
なんか異様に出てくる
飲み込んでいるときりがない このたぐいの違和感に毎日襲われている
時代に即していないものが何故あるんだ?という違和感
しかし時代という感覚は人によってまちまちだからな オレもゲロが止まらない時期あったな
道端に何度もゲロしまくった
飲み物そんな飲んでないのに
どっから水分が湧き出てくるか疑問だったな
胃カメラやったが原因不明で薬も効かなかったが自然に治ったよ >>172
胃液って結構たくさん出てくるのですよ
ゲロ仲間(笑) 胃液も大腸に流れていってほとんど吸収されてしまうがな
胃腸の調子を崩すと吸収のメカニズムも狂うのかもな ウェルテルは日記形式で書かれているから
筋書きが分かっていれば日ごとの文章を読み返すだけで元気がもらえる 消費文明のリズムに乗っているような作品はすぐに内容忘れる 時間の問題に何かを還元するときには
同時性ってのがあるからな
この同時性というのはやたらと難解で
誰にも解き明かすことはできない
俺はこれが気になってシンクロニシティの本をよく読んでいた シンクロニシティは「共時性」だが
歴史について考えているとなぜか「同時性」になる
これは、同時代性、というのとは少し違う 異物など体の中にあふれておるわ
免疫機能は俺の意識とは無関係に働いているような気がする ウェルテルの8月22日の日記を読んでいた
これが今の俺と若干似ている 他人を羨むと自然に対して不感覚となり、本を見ただけで吐き気を催す
そもそも変化を渇望することが、不快な焦燥感に繋がるのではないか?
というようなことが書いてある 自分が自分であることも分からないのに、何を根拠に変化すればいいのか、という 恋愛感情における焦燥感っちゅうのは心地いい反面人を簡単に狂わせる ゲーテは20代中盤でこれを書いたんだな
相当な手腕だ 恋愛論なんか本屋にいけばたくさんあるからな
今の時代でウェルテルってのはただの古典だけども 薔薇物語も少女革命ウテナもエヴァンゲリオンも恋愛論だなと思う 庵野は大袈裟だから世界の存亡をかけたエキセントリックな家族ドラマみたいな形式にしているが ウェルテルみたいな性格じゃないがな俺は
公私の違いについてあまり真剣に考えないし しかしウェルテルの振る舞いや考え方からは元気をもらえる 5月30日のウェルテルの日記にも良いことが書いてある 絵画や文学では表現することのできない自分の内にある情熱について語っている しかしこれは非常に危険な情熱である
一歩間違えば身を滅ぼす 他人の日記を盗み読みしているようなちょっとした背徳感もある
ローラ・パーマーの日記のような生なましさではないけど /\,..<:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
/: : :/:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ででん でんででん ででん でんででん
_, /: : :/::::::::::::::::::/:::::::::::|::::::::::::|::::::::::::::::|:|:::::::: たららー たーたーたー
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| どようびのはじまり :::::::::::::::::::/~''ヽ
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ヾニー-、 ,__,,.-'ニニ二二ツ....ノ :::::l 1::: :ノノ /: : :/::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ででん でんででん
〉ヒェ^ lヒ`ー''~ィ ニ`三ソ::: . ::::.l r-''ノ _, /: : :/:::::::::/::::::|:::::::|:::::::::::|:|::
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悲報でも何でもない
>>206
名前は覚えていた
合掌
>>207
a エロはもうパターン出尽くしているから
退廃期に入る前に控えたほうがいい ゲーテは気分が乗っているときに読まないと効力を発揮しないな 新渡戸稲造の本に「ジャップ」の表記が出てきているな
江戸時代には既にジャパニーズの略語として使われていたそうな
スラングとして広まったのは戦後からか
最近は小学生でもネットでジャップ、ジャップいってるし メモの取り方の動画を見ていた
メモの取り方の動画を見ながらメモの練習 そうだ、ロシアがいい
ロシアに行けばいい
あそこは広いからな 文明社会はもうだめなんだよ
あと数十年〜200年くらいの間に滅び去る >>223
兵士の顔色が悪いですね
境界例の一種だろうか 金曜日の夜 土曜日の昼 土曜日の夜 日曜日の昼 日曜日の夕 日曜日の夜 月曜の朝
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
┃:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ∧||∧
∧ ∧ ∧∧ ∧ ∧ ┃:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ( / ⌒ヽ
(・∀・) ∩∀・) (・∀・)∩ ┃:::∧∧:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: | | |
/ ⊃⊃ ヽ ⊃ノ /⊃ / ....┃:::('д` )::::::::::::::∧∧::::::::::::::::::::::::::::::::::: ∪ / ノ
〜( ( ヽ )つ 〜( ヽノ ......┃:::と ヽ::::::::: ('д` ):::::::( )⌒ヽ;:::::::::: | ||
(/(/' (/ し^ J ......┃:::⊂,,_UO〜:::(∩∩ ):::::|/.|/uと )〜::::: ∪∪ 俺てっきり、人間の眼が螺旋や渦巻きの形状を認識するのも
惑星運動のダイレクトな影響によるものだと考えていた 上下動に加えて地軸が傾いたまま自転しつつ公転しているのだから
その運動の縮小版として眼球にバイアスがかかっても仕方はないと思えるが
半分はオカルト 太陽系そのものが銀河系の中心を波打ちながら大きく回っていて
銀河系もまたどこぞの星団の中を動いているからな 「木枯し紋次郎」って見たことないんだが
ニコニコ動画で食事シーンの動画を眺めていたら
やたらとリアリティがあった
茶色いまずそうなごはんは雑穀で作ったおかゆらしいな
あとはトロロとメザシ、たくあんか お米がロクに無いときは雑穀や麦を薄くのばしたおかゆが主食になっていたらしい
それほど美味くないものだから一気にかきこんでいた
あれが日本の伝統ってやつか 天保の大飢饉のあった時代が題材になっている風来ものドラマの代名詞らしいが
時代劇なんぞに興味を持っていなかった ドラゴンボールの食事シーンに比べると大したことないが 大槻ケンヂの動画を見ていた
この人はパンクロッカーなイメージで売っていたが
中身は大人しいサブカルマニアだな おだてられやすいタイプで明るくしてるが
中身は割と地味 内容に若干偏執的な描写もあるが
そんなのは気にならん 志賀直哉は技巧だの美しさだのに拘らず
純粋な自分を前に出した押しの強い文章 芥川も志賀直哉の純粋オーラに驚いていた
芥川は不純な逆説の積み重ねで技巧的に表現するタイプだからな 芥川のほうが繊細で純粋な側面を持っていたのだろうけど
表現としてはそうなっていた 森鴎外訳の『ファウスト』を読んでいたが文体の堅さに疲れて
200ページくらいでギブアップした 手塚治虫の「ネオ・ファウスト」もよく読んでるが
未完で最後のほうラフのまま掲載されていて
何が書いてあるのかわからねえな 亡くなる直前まで描いていた作品だ
完成させたかったのだろうな 漫画はもう一切追っていない
唯一追っていたハンター×ハンターも休載中だし 間違った丁寧語
・お前様ごうざいでございます、お去れでございます
・ごうるせーおばかでございます
・おくそったれでございます 本日もご機嫌うるわしゅう、お2ちゃんねるに
お書き込みさせていただくでございます
こちら、ご退屈なおスレでございます ご案内させていただきますのは、おわたくしでございます
なにぶん皆さまへのご配慮がお不十分であったりいたしますと
ご辛辣なご意見も出てくると存じますがなにとぞお手柔らかに
お願いいたしますでございます やはり難しい漢字の羅列は辛いな
眼がショボショボしてくる >>266
ラーメンで早死にするというデータなどどこにも無いぜよ チキンラーメンの開発者の人がたしか
50年近く1日も欠かすことなく毎日チキンラーメンを食べ続けていたらしいな
それで96歳まで健康を保っていた 問題はラーメンかどうかではなく一人身であることからくるストレスについてなんだろう シェークスピアが退屈で読めなくなっている
昔は苦労して読んでいたんだがな 和歌を原文で読んでいると脳みそに来るな
古典オーラが あの人・・・・
土佐日記っていう古典にこってんだトサ 古典は原文で読んで意味がわからなくとも
リズム感覚はなんとかつかめる 単行本で本読むときはいつもカバーを外しているんだが
光文社のが他のよりも手がすべっていまひとつだな
岩波、新潮、文春、角川に比べると手がすべりやすい紙を使っている .
/ / ∩ //
/ / ∩ 〜'::""::''ヽ、 / /
// /r‐、 ___ \ / / うわぁぁあああぁあぁぁぁ
// / ノ●_)(_●つ ヽ、.. l l
/ / (__ ノ´ } .| | ダメだぁぁああぁ もうダメだぁぁぁ・・
/ ( _●_) 彡-、 ノ | |
{ -_二 -‐'' ̄ ) ミ ノ ノ
ヽ ( ,r'' " ''‐-‐′ノl//
彡 `― ''′ ノ//
// さっき少しだけ寝ていた
昔に見たアメリカホラー映画に影響を受けたサイテーの夢を見た >>288
誰やこれ
アドレスの文字列で判断すると塾のティーチャーっぽいが 別の中学のヤンキーが2人いて鬱陶しかったのを覚えてる なぜかヤンキーと釣りにいくことになって
池に突き落とされそうになったことがある ヤンキーは似たようなノリを求めてくるからな
真面目ぶっているとすぐにからんでくる 関西のがらの悪いヤンキーはほんま性質が悪い
いつもバタフライナイフ持ち歩いておるし >>296
たぶんそれ50年くらい前から言われている お米が体に悪い説、牛乳が悪い説も大分前からあった気がする
50年前の医学常識の本に書いてあったな つまるところ欧米文明との兼ね合いから推し量っていっているだけで
大した根拠に基いていない 性欲が無くなり体力の落ちている人間が、好きでもない相手とセックスして
体に良いと考えるほうが不自然だ >>305
ニューハーフものか
一時期興味あってよく見ていたな ボッティチェリwwwwwwwwwwww
勃起wwwwwwwwwwwwwwwww >>307
ボッティチェリの絵好き
昔美大にいって研究しようと思っていた
美大受験落ちたけど レセップスwwwwwwwwwwwwwww
セックスwwwwwwwwwwwwwwww 情弱っていう言葉よくみるけど反対の情強はあまり見ない
情報なんていうのは例えるならば水面に浮いているうわずみの
ほんの少しすくい取れる程度だしな 情報の制御の仕方が上手い人を情強と呼ぶのかもな
泥水ばかり掬い取ってしまうのが情弱 古いものは勝手に壊れていくのではなくて
新しいものを生み出せる人の様をみて
古いものの因縁に囚われている人間が猿真似して忘却してゆく
新旧をセットとして考えると大体こんな感じになっている 新生・・・つまり産みの苦しみというのはおそらく
旧との因縁を費えさせるための苦しみなんだろうな
大抵の人は新旧の間で葛藤して振り回されるだけだから
俺なんか新しいものに振り回されることに嫌気が差し
頭ラリって古典に戻ってるし だから、本当の意味で新しいものというのは少数者の生み出したものだけ
ただ日本人はアレンジで巧妙に接合するからな
猿真似だかオリジナルだか分からんように巧妙に誤魔化すのが上手い 感覚だけで適当に組み合わせてそれらしいものを仕上げる人が多い 感覚と形式で即座にやってのけて、そこから情念を詰め込んで
自分のものにしていくというやりかた
別に悪いとは思わんけど
元々何であったのかを分かっていないと模倣の過程でキメラ化してゆく
ツギハギの異形になっていく
オタク創作の絵柄ではこれが起こり易かったな
異形化を避けるためにハンコ絵になる、という現象もよくある 昨日、無名草子の文章を原文で読んでいた
無名草子というのは古典の評論集みたいなものだ
しかしこれが書かれたのが鎌倉時代のことで
俺にとってみればこの文体もまた古典的で難しい 漢字なんか最初は天や神の世界と繋がるために用いられた
象形文字だったんだろ 俺は新しいもの何も生み出せないからな
原始時代に帰ったほうがええのかもしれん 「経歴」の語源って道元の思想なのかな
ネットで調べても載ってない 道元は幼い頃に両親を亡くし、政治の世界を捨てて14歳で出家した人だ
それで日本の仏教の教えに疑問を抱いて中国にわたり独自の悟りを開いた
思想は難解だがこれもまたインドの仏教観とはかけ離れている いわゆる、座禅修行によって自我への拘りを捨て去るような方法をとっている
禅といえばまず道元、というイメージが定着しているな、俺の中では 空(くう)の世界とは未だ生成されていない世界のことで
生成されていないのだから消滅することもない
人間の生死というのは空におけるわずかな顕現にすぎない、という考え方(適当) 日本仏教は無我を理想としている節があるな
これはインド仏教の霊性を主体とした輪廻観とは相反している
調和を得ることができない 空というのは善悪観念からも浮いているのかもしれん
最初から善悪を為す輪廻の世界を超えた場所に空を置いているとそうなる 俺は仏教のこと何も知らんが最初から無我無欲の境地を目指すのは無謀だと思える 源氏物語以前の女流日記文学の原点を読みたくなったでな
藤原道綱母の本を買ってきた 主に夫への愚痴や不満で構成されているため
あまり名作!という声はあがらないのかもしれないけど
源氏物語への影響が大きいらしいからな 北杜夫のファンタジーは子供でも大人でも楽しめる非常にやさしい作りだな クプクプを読んでいる
クプクプの本の中にクプクプの本が出てきて
作者が物語の中を逃げ回るという変な話だ ユーモラスでちょっとした警句も入っており文体も易しい
でも幼稚な感じはしない 乙一の本を買ってみたがあまり面白くはない
文章は洗練されていて読みやすいが内容がどうもな あからさまに狙っているな、というのが透けて見えるので途中で興ざめしてくる 内容えげつないのにあまり嫌な印象が残らないよう
物寂しい印象が残るように演出している もののあはれの精神とアメリカンホラーの融合を狙ったのかもな(適当) 元ラノベ作家だけあって洗練の仕方がコンパクトというか
色んなものが抜け落ちている感じもある ん?
クプクプ中々の名作だぞ
簡素な作りながら奥が深い
「ひょっこりひょうたん島」に影響を与えただけのことはあるな 読む人が読めば文明批判哲学とも受け取れるようにしっかり描いている ペーソス、アイロニーを感じさせずにあくまでも楽しげに描ききってしまうところが良いな しかし原稿が書けなかったからといって
ほとんど白紙のまま本を出版するのがすごいな 太宰の人間失格を読んでいる
気分によってはえらく面白く感じる 双子座特有の俯瞰的でライトな論理が高速回転している 室内に座っている人物の絵ばかりだが
色の寒暖の調和がとれていて見ていると落ち着く 老荘思想っていうの?
中国の伝統としてあるやつ
空(くう)のことを老荘思想の「無」にあてはめたのが
日本にも輸入されてきたということかな 修行の前の認識として身につける知識はあるが
仏教は基本的に哲学思想ではないから
さっぱりわからんという 中国仏教もインドの厳しい戒律が削除されているな
坊さんでも腹が減ると普に食って疲れたら寝る 開放感が半端ない
クプクプが船で海に出ると、煩雑な文明社会のイメージが消え去る 北杜夫って船の上で活動していた時期があるのだろうな 乙一の文章はほんとうにすっきりと洗練されとるな
よくラノベ文章力ランキング(2ch)見ていたら常に上位に入っているから
どんなものかと気になっていたのだ
イリヤの人も上位に入ってるけど、あの人が上手いのは知っていた あほくせー、と思いながらも俺はよくああいった偏った主観まみれの
俗物ランキングを眺めている 簡素で必要なことしか書いていないのにさりげなくさびしげな叙情味が漂う、という文体 文体というよりもさびしげな叙情味はキャラのやりとりから滲み出させている
文体の意味を俺は分かっていないからな
そういうテクニックを身につけているんだろう 大仏様が出してくるお題をつかって松本人志が
一人ボケを繰り出し続けるという形式のお笑い番組だった
ぶっちゃけ、何が面白いのか分からないボケがよくあって
松本人志だけが一人で笑うこともあった 松本人志が何を葛藤しているのかを類推する楽しみがあった
単純なお笑いではない ノリだけで笑いを生み出せる人もいるがな
ああいうのは周囲の意識とセットになっとるから 拈華微笑(ねんげみしょう)wikiから抜粋
>インドの霊鷲山(グリドラクータ)上で釈尊が
黙って華を拈(ひね)ったところ、会座の衆はその意味を
理解することができなかったが、迦葉尊者だけが
その意味を理解して微笑した。
悟りは文字理論によって伝わるものではないという
不立文字の意味を示しものであり、釈尊が迦葉尊者にのみ
正法を授けたという伝灯の起源となった。
この寓話の根拠は、偽経である大梵天王問仏決疑経であるという この拈華微笑が中国の無門関という人に伝わったのだそうな 主観と客観の葛藤をかき消して主体を空の方へ持っていくのが目的なのか 古典と現代小説を交互に読んでいると間がすっぽりと抜け落ちているような感覚に陥るな 最近たまにネット動画を見るだけで映像媒体にろくに触れてないな 現代人は無駄情報を拡大再生産しすぎたのだ、
という書き込みもまた無駄情報の拡大再生産にすぎず
私はただ「拡大再生産」といいたいだけであることに気付いた 差別相と平等相は同時現成しているので
欲望のレベルでも差別願望と平等意識はセットなのである もしも無人島に持っていくならこの一冊、みたいなのあるが
普通に考えるとサバイバル系のガイドブックだよな サバイバルの必要のない安全に暮らせる島だとしたらたぶん広辞苑を持っていく
一通り網羅されてないと不安になるからな たぶん無人島で暮らしていると文字なんかほとんど読まないだろうがな >自己啓発本は同じことの繰り返し
という批判をみかけた
ん?
それでいいのでは? 同じような習慣を繰り返すことで少しずつ自分を改めようとしているんだろうからな
一気に自分を変えたい人が啓発本に頼る意味などない 『嫌われる勇気』系の本一冊で自分が変わったという人もいるんだろうけど 成功者がライフスタイルの指針を提供する系は自己啓発とは違うのかもな
『7つの習慣』は微妙である
今でも大人気らしいが 自己啓発本を読み続ける、というライフスタイルが好きなマニアがいるからな ライフスタイルなんかその気さえあればすぐに変えられる アメリカのやり方を猿真似しただけのビジネス系自己啓発本は読まない
精神論系のは好き どこかで見たようなことが羅列してあると乾いた笑いが沸いてくる
あれが楽しい 自己啓発は考え方が形骸化してからが勝負だ
形だけが残り廃墟と化した世界に自己の精神を詰め込む スピリチュアルからのアプローチ
心理面からのアプローチ
データや論理面からのアプローチ
私はこれで成功した!(体験談系)
ひたすら他の思想や格言紹介系
道徳からの現実的アプローチ 俗物的な感覚から高次元の精神まで自分の中で再現できればいいのに
できないな 乙一の小説の内容をdisったが文章の洗練の仕方が良いので
気になって読み返してしまう
内容的には思春期の人がターゲットだよな 無駄の無さでは一線級だなと思う
川端康成のように美を抽出するような苦闘の跡は無いけど
綺麗に整理された文章で読んでいて落ち着く 俺のごとき人間は本を開いたときに乱雑な文字列が目に入っただけで
ウゲエ!ってなるからな
開いた瞬間に二ページ分の文字列がすべて目に入ってくるわけだから
ウゲエ!ってなる 速読のトレーニングをやっていたときに
「見開きの文字全体を風景のようにして見るべし」ってのがあり
それを繰り返しやっていた影響か順序を無視してしまえば
すべての文字列がいっぺんに入ってくるものだから
綺麗に整頓されたものでないとウゲエ!ってなる ウゲエとは「ウワア、ゲロが出る、エ・・・エマージェンシー(emergency)」の略 盛者必衰! 盛者必衰!
さあ成功者よはやく衰えろ
我らには自己啓発本がついているゾ
弱さに負け続けてきただめな自分を克服して成功者になるのだッ
アアアア もしも私が成功者になったあかつきには
次世代の自己啓発ランナーのため
すぐに衰えたいと思います!
この世はすべからく盛者必衰であるべし! これもひとえに
諸行無常なる
とこしえよりつたえられり
ことはりのおぼしめすままのこと・・・
いろはにほへとちりぬるを
わかよたれそつねならむ
アアアア
盛者必衰!
ドッ (一同爆笑) 訂正
つたえられり → つたえられし
ドッ (一同爆笑)
アアアア
助けてモルダー捜査官ッッッ
ドッ (一同爆笑) 私から無駄をそぎ落とすと仏になります
89 名無しさん@恐縮です[] 2017/12/12(火) 03:57:44.53 ID:b9yVHvO60
https://i.imgur.com/3dJZ1a0.jpg
昔からたまにスマスマとか特番とか見てると
キムタクが機嫌良い時はグループに一体感あって見てて楽しいしキムタクもカッコよく見えたけど
機嫌悪い時は仏頂面で終始不貞腐れてたり草gに強い口調で怒鳴ったり嫌味言ってヒャハヒャハ笑ってたから元々あまり好感度なかった
そして公開処刑で更に好感度下がって
更に最近とんでもなく人相悪くなってるのを見て擁護する気も起きなくなったし顔のかっこよさも無くなった >>434
キムタクは蠍座じゃなかったっけ
蠍座ってそういう性格なんだよ 今まで見てきた蠍座ほとんどみんなそうだった
例外もたまにいたかもしれん 「感情」以上の何か変なものを感じさせるから
機嫌が悪いだけで目立ってしまってだめなんだろうね ずっとハードカバーの古本で探していたブツをようやく見つけたので買った
角川のホラー大賞受賞作で、ホラーというよりもノスタルジック幻想小説 以前に半分くらい立ち読みして気になっていたのだ
内容としてはそれほどディープでもないけど
雰囲気が良かったからな 夜市というのは闇市と少しだけ似ているが
どちらかというと「沈黙交易」に近い形態のもの
外部とのコミュニケーションを極力避けるようにして行われる品物交換 この人は川端康成が好きらしいが
影響が露骨に文体に現れている ドロ臭くなりがちなリアルな内容でも意識は美の抽出に向いているから
表現として汚い印象が残らない 芥川賞受賞作の「共喰い」もそうだな
セックス、暴力、ヘドロ、田舎臭さの含まれる内容なのに
どことなく清々しく美しい風景に感じられる 純文学は基本的に美意識の完成を目指して書くものだからな
汚ならしいイメージとも対峙する必要があるんだろ 洗練されきっていない向こう見ずな川端康成、というイメージの作家だ 夜市を二回読み終えた
後半の展開が意外だ
文体は少しぶっきらぼうで無駄をそぎ落としたシナリオを
読んでいるような感じだ 80p弱の短い小説で難解さが皆無だから10分もかからず読める
あとで同時収録の「風の古道」も読むぞ 荒俣ひろしが文句無しの傑作として大賞に推しているな 林真理子も高橋克彦も絶賛しているな
どうなってんだこの選評会は ぶっきらぼうでシナリオのような文体が逆にいい味を出してるってのはある
内容的にセンチメンタリズムに陥りやすい要素が多いからか
あとは後半からの幻想→現実への帰還プロセスやビジュアル喚起力など
良いところが多い
ただ登場人物の掘下げはさっぱりなのである ぶっきらぼうというのは不器用ではなく、単に愛想が無いというニュアンスだ
あとに余韻を残さないようなぶっきらぼうな文体で
余韻が強く残るような出来事を見事な構成で描いている よく考えたらなぜハードカバーで欲しいと思ったのか分からんな
ハードカバーってかさばるからあまり買わないんだけど 単純に、重々しい気分で幻想の世界に浸りたかったのかもな ボルヘスのような、無限を想起するような茫洋とした幻想ではなくて
いかにも和的な暗闇につつまれたさびしげな幻想なんだな 以前ボルヘスばかり読んでいたな
でも想像力が追いつかず意識がボーっとしてくるのでやめた 歳くうと感性も想像力も狭い範囲に限定されてくる
以前は無限によく憧れていた 30代でこんなことをいってるのだからもっと歳くうと悲惨かもな
お茶碗のこと以外何も考えられなくなったりするのかもしれん
自分の意識について考えるのが辛いだけだと思えてくる 想像力が追いつかず意識がボーっとしてくるのでやめたのだ 一度夜市で「取引」してしまうと学校蝙蝠にかぎらず
いろんなものが夜市の開催を知らせてくるようになる
あちらの世界と通じてしまうわけだ >>467
合法だったら一度くらいやってもいいかな 合法で300円くらいで買えるならやってもいい
非合法の少量で何万円もするブツをやろうという気にはならん >>471
それをネタに自伝でも出版したら400万返せるんじゃないの(酷) 「風の古道」を読んだ
これもなかなかだな
ふとしたきっかけでお化けの通り道に迷い込んでしまった話 よくあるオカルトものやジュブナイルとは違っていて
この作家固有の奇妙な世界観が味わえる 「夜市」や「古道」という概念がひとつの有機的体系のような存在として描かれている
漠然と「所有者」が居ない不安定な感覚というか
これがいかにも和的なものを想起させる 異世界と現代社会とは境界で遮断されてるのだが
ふとしたきっかけで迷い込んでしまった人物を媒介として
両者が入り混じり合う、というイメージを構築している 「取り残された閉塞感」と「自由に行き来できる開放感」を使い分けて
うまくイメージを構築している 水木しげるのような「渾然一体」の感は無い
もっとシンプルな感覚だな >>478
_,,..i'"':,
|\`、: i'、
.\\`_',..-i
.\|_,..-┘ 作品の中で「これはジュブナイルではない」と明言しているようなものだな
「風の古道」の締めくくり方
皆どちら側にも立てないまま迷路をさまよっているだけだ、と そこで終わってしまうと人は「市(いち)」や「道」の所有物と化してしまう
なんともやるせない感覚が残る
終わってしまった人を蘇らせるための代償は簡単には支払われず
いつかそこへ戻ってくるまで繰り返される
人の歴史も大体似たことの繰り返しだ 二作とも煮詰めれば比類なき名作に仕上がっていたな
今までに体験したことのないこの人独自の世界観がある
惜しむらくは文章が頻繁に省略した説明口調になっているところ 夜市読んで荒俣は泣いたらしい
ん?
確かにラストは悲しいかな 夢や願望のはかなさ、失ったものの代償の重さ
そういったテーマが根底にあるからか 読後感が妙に重々しい
死でさえも贖えない何かを感じる
日本の内奥にある呪力のような何か
ノスタルジーで幻想的には違いないが >>484
|┃ ●
|┃⌒ヽ ●●
|┃ ) ●●● ./⌒ヽ
.______|⊂ \ スポポポポポーン ●●●● (^ω^;)
|┃_)_) ミ●ミ●ミ● ●●●●● と と) ●
______.|┃J J ミ●ミ●ミ● ●●●●●● O−J この恒川という作者は子供のころから指輪物語やル=グウィンを読んでいて
いつか壮大なファンタジーを書きたいと思っていたらしいが 夜市以降の作品でその片鱗が垣間見れるらしい
見かけたら読んでみるか
夜市も幻想的ではあるがそこまでのスケールを感じなかった
後半の展開は凄いがな 円谷が映画化を発表しているのに実現できていないらしいな
映像化かなり難しいだろこれ おっぺけぺーwwwwwwwwwwwwwww
おっぱいwwwwwwwwwwwwwwwww 夜市を書いたときに作者は沖縄に住んでいて
他にも沖縄の伝承を元にした怪談風の短編集も出しているな
ここには転生を続けながら島の行く末を見守り続けるキャラが出てくるらしいが・・・
そうか、沖縄だ!
俺が感じた奇妙さというのは沖縄の空気感から来たものだ
仏教観の輪廻転生とは何か違っていたんだよな 和風の物寂しさに紛れて南国の神話に出てくるような混沌とした妖怪の描写もあったし 意外と夏祭りの縁日のルーツにも関わってくるのかもしれん 夏祭りって古来から先祖や神への感謝、
もしくは疫病、悪霊退散の意味合いがあるんでしょ
夏は食べ物が腐りやすいことから食中毒で苦しむ人も多かったという 沖縄は熱帯の影響か農耕文化の成立が本州よりも大分遅いな そもそも明治時代に入るまで朝廷が統治下に置くことをせず
年貢も必要なかった
主食も米ではなくイモだし
文化的に異なっていて当然だ 夜市というと中国のイメージあったが
この小説に漂う奇妙な熱気は沖縄風味ってことだな 日本の夏祭りというと定型の判で押したようなイメージあるが
夜市というのはもう少し混沌としたイメージだ
作者は戦後日本の闇市のことも少しは意識したのかもしれん
ヤクザっぽいキャラがエクスカリバーじみた剣など売っているからな 「夜市」という概念自体が一つの理を司っており
この中ではいかなるヤクザものでも詐称は許されない
それで、人攫いが嘘をついてエクスカリバーで斬り殺される 要は、純粋な「取引」の世界で
成立さえしてしまえばそれでいいという
経済社会になるとこれが些細なことで揉め事が頻発する
「理」が働かないからだ 混沌に対する憧れは無秩序への志向性ではなく
未だ見ぬ「理」への憧れに通じているということ 理の無い無秩序の対に秩序がある
対の関係性だから秩序は常に無秩序のイメージに苛まれる ハードカバー版の夜市はカバーのデザインが綺麗で
朱色を基調にして日本の風流を思わせる金魚が描かれているのだが
カバーを外すと欝蒼とした森林のデザインが現れる
このあたりも恐らく狙ってやったものだろうな 風流人にとって風流は心地いいのだろうが
風流人には風流人特有の苦労があるらしい
俺にはそれがよくわからない かつて激しい権力闘争に挫折してきた貴族たちの意識が紛れ込んでいるからかな
風流であることを持続しつづけるというのはそれだけで大変っぽい 「和風」というのは和の精神を中心に据えた雑種文化のことで
いろんなものが混在しており
何がどこ起源かというのを調べるのはすごく骨が折れる >「和」はそれ自体文化的概念となっている日本語である。
「和」は、中国から伝わったとき、もともと
「調和」、「平和」、「均衡」を意味していた。
日本の哲学・文化においてはいくつもの微妙に異なる
意味を持つ指導的概念であった。現在でも、日本的価値として
もっとも重要だと考えられている。
「和」は同時に日本そのものや日本的なるもの
(例えば日本式食事を意味する「和食」など)をもあらわす。
この意味で、20世紀の歴史を通して「和」は高度に感情的
および/あるいは政治的概念であり続けている ラーメンやカレーライスは一般的には和食ではないが
どことなく俺の中で和風のテイストを持つものとして好んでいる
レトロモダンなんてものは大抵和の精神が介在している ハイカラ(high collar)が風流人だとは限らないが
そういったものはかつてハイカラが好んで紹介してきたものだったり
ハイカラというと西洋風の恰好をした風流人のイメージがある
セットで蛮カラってのもいたな 絶望先生のアニメを以前見ていたが
あれは蛮カラの派閥だな
通俗的ハイカラのイメージあるが
明治以降の教養主義に対するアンチテーゼとして絶望先生が
変なスタンスに立たされている構図 村上龍の「限りなく透明に近いブルー」も沖縄だったっけか
あれも読み返さないとな
セックスだのドラッグだので頭痛くなってまだまともに読み通していない おっさん趣味丸出しの「ストレンジ・デイズ」や
異常性欲小説「イビサ」などは読んでるけど
あれもある種頭痛くなるような文章だ
「イビサ」は頭のネジ外れて狂いすぎていて逆に落ち着くがな 最後はなんか手足を切断された主人公が置物になるんだっけか
とにかくアクセル全開の下品な小説なのである ヒステリックにアクセル全開、というのが村上龍の持ち味なのだろうな
これが落ち着いて政治だの経済だのについて語りだすと退屈なのだ 下品でヒステリックな描写が高密度で埋め尽くされている文章が読みたい人ならば
「イビサ」は貴重な小説だろうな
品性とか教養とか細かいこと気にしている人には向かない 脳みそのブレーキを取り外さないとあれだけの分量は書けない 和の良さを知るには海外にいったほうがいいという人がよくいるな GLAYの歌が好きでよく歌っていた
彼女のモダンが好きだった なんだかんだで一番多く開いた本といえば星新一の本なんだな ダニノフン ナド ガ ハウスダスト ノ ナカニ フクマレテイテ
キモチガワルイ カラ ナ 黒岩重吾のwikiに、腐った肉を食べて小児麻痺になったことがあると書いてあるが
腐った肉のせいでそうなったのかどうか怪しいな
ソースを探すか・・・ ハードカバーでは『私はフーイー』というタイトルだが
改題された単行本版を買った 夜市と違ってオーソドックスな物語スタイルになっているな
これはこれで読みやすい さりげなく展開が一気に飛ぶところは相変わらずだ
これは癖なんだろうか ジンコーク飲んでいます
今夜は濃いめで1:1で作りました 銀河鉄道の夜でも読むか
以前に青空文庫で何度か読んだが文庫本で買ったからな 宮沢賢治は芥川龍之介とほぼ同じ時代に生きた作家なんだが
作品にスポットが当てられたのは死後しばらく経ってからのことで
芥川はおそらく宮沢賢治の作品に触れたことがない 1924年に『春と修羅』を自費出版で1000部出しているから
目に触れたことがあるのかもしれん
どうなんだろ 中原中也が夜店の古本で買い集めて知り合いに配っているくらいだからな 宮沢賢治の世界観はちょっと難しい
仏教と老荘思想と西洋のおとぎ話が混ざり合ったような複雑な様相を呈している 生命同士の相関が生み出す永遠性のようなものに憧れていたらしいが 沖縄異界の話は面白かったが夜市のような熱気や重々しい幻想性は無かったな
水木しげるの世界観よりも境界の線引きが明確で少し物寂しげ、という感じだ 死や時間の超越性がさりげなく描かれてそれがさびしげな余韻に繋がる 仏教の世界観からかけ離れているせいか、ある種輪廻の感覚はあるのだが
それがどこに由来しているのか分からない不気味さがある
精霊だか神さまだか生物だか妖怪だか自然現象だかさっぱりわからない 人間の論理というのは自己証明のためのものであって
自己を失ってしまうような異界ではなんら意味をなさない 個人主義だったら自己証明のための論理を身につけていたほうがいいんだがな 自然に「理」があるのかどうか人間には把握できんからな
恒川ワールドには異界に「理」がある 自然が美しいわけじゃないんだな
自然の外的な部分として美を抽出したのは人間なんだから
醜に目を向け始めるとキリがない 自然を美しいものとして見ることができるようになっただけである
場合によっては自然は狂気に映る 日本の美も観念的抽出技法としての側面がある
川端康成は文学の世界でそれをやってのけた
お手本によくあるような美しさとは一味違う もののあはれの精神と分析的技巧精神のギリギリの切磋琢磨がある >>570
キャプツバなつかしいな
もりさきをかいこするネタが好きだった 円城塔の小説を再読してからおかしくなったな
それで志賀直哉に挑みさらに捻じ曲がった 本屋にいくと陳腐なタイトルの自己啓発本をかならず立ち読みする 日本人って何なんだ?とふと疑問に感じると
遠藤周作のコーナーに行って数冊立ち読みする
これで心が落ち着く >>578
___
/∴☆<フ
/∴∵ (゚Д゚)
|∴∵(ノ∴∵L)
ヘ∴∵∴∵∴/
\∴∵∴/
∪ ̄∪ >>581
『海と毒薬』の人体実験のときに
「なんで断らへんねん」っていつも心の中で突っ込んでる 遠藤周作の描く人物が理想と現実の狭間で葛藤しているところに
心の中でえらそうに突っ込んで落ち着くわけである そのあと志賀直哉の短編「城の崎にて」を読んで
ナルホドこれが日本人のエゴか、と納得するわけである
余裕があれば太宰の人間失格も読む あとモスバーガーはどうですか?僕は週一で行ってますが >>586
10年以上いってない
嫌いではない
>>587
ファーストフードの店には入らない ファーストフード自体は嫌いではないな
店の雰囲気は嫌いだけど >>590
トリフィド時代を知っているから流星など怖くて見れない 文学エゴイストの志賀直哉に挑んでいる
これに肉薄できる作家なんて日本にいないだろうな 心境小説の神である
自分の純粋にワガママな気分だけを抽出して書いている 気まぐれに書くのと気分だけで書くのは違う
気まぐれだと余計な思考や雑念が入るからな 見栄えよくしようと考えて書くと不自然に理路整然としてくるし
気まぐれで書くと脈絡のない雑然とした要素が出てくる
志賀直哉の文章はそういった通常の感覚とは異なる場所から立ち現れてくる
自分の気分が達した境地だけを書いているのだ なぜ志賀直哉を障壁に感じるのかというと
俺が気分屋の性格だからだ
自分の気分に振り回される 言いたいことだのテーマだのを決めてかからないと
とてもじゃないが何もいえない 雪国はほんまに、文字で読んだら如実に美しさが分かる 発表当時は「こんな文章見たこと無い」という感じで
斬新の極致だったらしいが
要は日本古来の精神を(当時の)最新技術で蘇らせることに成功したということ ジョイスもおそらく日本に最初に紹介されたときに
意味不明の極致だったろうな 日本人の「内面」を作ったのは近代文学だからな
人の「内面」なんていう概念昔はなかったろ 内に秘めたる情念、みたいなものはあったのだろうけど
外面、内面というおかしな対立構図はなかったはず 内面と向き合うことができるので文学は自己確立の手段として
次第に認められていった 人の自己認識に錯覚を起こさせるだけの力を持っているからだ 文字文化が広がりすぎたな
どこ見ても文字、文字、文字 時間的密度が詰まった小説を読みたいときは
筒井の『虚人たち』がいい 原稿用紙一枚を一分間の出来事に設定して
その時間の流れに沿って延々と出来事や人物の意識を
書き連ねていくという手法をとっている >>614
嵌るとどんどんすごいものを求めるからね いつも立ち読みばかりで申し訳ないから
遠藤周作を一冊買ってきた 酔っ払いに絡まれた
禿カツラじじい死ね!!うるせーんだよ!!! この『留学』という話、作り話なんだが
半分くらい遠藤本人の実体験が入っているような気がする
何か切実さが篭っている 留学先のキリスト教家庭の善意を素直な善意として受け取ることのできない
自分の卑屈さに嫌気が差している、という 日本で流通している義理やタテマエだけでは通用しない本場キリスト教の世界観
それで例の如く葛藤する 大学生で拙いフランス語しかしゃべれず
障子(しょうじ)について説明するのにも相手に誤ったイメージばかり与えて
ストレスが溜まるという
まあ、窓が紙でできているの!?とかいうからな 部屋と部屋を仕切るカーテンの代わりのようなもの、と説明すればいいのに
障子は窓じゃねえ! 芥川のキリシタンものと似たような感覚で読めるが
書いてあることは違うな 適度に歯ごたえがあって、しかし分かり難さはほとんどない
いかにも読書しているな、という気分になれる サド伝を書いたのは遠藤で、この劇中のルビイというおっさんは
架空のものか 3話目はかつてサドの研究をしていた当時の自身を大分重ね合わせているな イライラして今すげぇ奇声あげたい
睡眠薬飲んで今日は強制終了するかな
せめて夢の中で暴れたいわ 昔の庶民ってこの寒さどうやって凌いでたんだよ!江戸時代とか平安時代とか安土桃山時代とか。貴族はどうでもいい
http://leia.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1513263602/ ハア、ようやく読み終えた
文字が小さく詰まっているから時間がかかった 3話目はほぼ遠藤周作自身の体験を下敷きにした外国文学者の葛藤記録だな 西洋文明など日本人には到底受け入れられるものではなかった 暗い小説というよりも儚い浪漫を抱く男の哀れさを感じる小説 「田中ノート」がいかにもありがちな論文調で笑いを禁じえない 田中という外国文学者がフランスに渡り、マルキド・サドについて勉強するという話 貴族でありながら保身を考えず背徳的な性の自由を実践したサド
サドは深い女性憎悪を持っていたという
一方の田中は保身的で女性に声をかけることもできない
卑屈な感情を抱えた小市民の知識人
自分がサドに惹かれた理由もはっきりせぬまま
単身渡ったフランスで悶々とし続けるのであった 背徳的な本を書いてそれがナポレオンの目に触れて
精神異常者として問答無用で牢獄に放り込まれたんだな ナポレオンはゲーテの恋愛小説を愛読していたくらいだから
道徳的な人間原理を主体にしたものしか認めなかったのだろうと思う
本人は割と無茶やってるが ソドミー法(性にまつわる法律)で死刑になった人はたくさんいる 田中のメガネがずれ落ちそうになるのを指で押し上げる描写が
何度も出てくる
このあたり、ユーモアの効果を狙っているようにも思える 知識人であるというポーズを常にとっていなければ
弱さがすぐに出てしまうからな
メガネの位置を元に戻すという表現はよくあるが 西村京太郎のトラベルミステリーたくさんあるな
特急と急行のネタばかりでよく持つものだ 『探偵ガリレオ』は印象として少し子供だましじみているのだが
よく考えてみると探偵モノの名を借りた科学小説だなと思う 速いテンポて読者を泣かせる科学探偵小説
これが大衆文学だ!(酷) 事実らしさと開拓精神を前提にした、泣けて面白いのが大衆文学 ラノベは妄想の世界を開拓しているが事実らしさが薄いので大衆文学ではない 西尾維新はかなり微妙な立場だな
広義ではライトノベル、といってるが ボーイ・ミーツ・ガールで自意識過剰で屁理屈、戯言が乱れ飛ぶ
俺は自意識にまつわる悪あがきユーモア小説と受け取っている
伝奇、怪奇、ファンタジー、SFも含まれているけど 空想科学が空想ではなくなってきたんだな
アメリカの開発した原爆にせよ、もともとはSF小説の空想の産物だった SFじみた兵器を二発も落とされているからな、日本は
現実感覚失って当たり前だ 科学技術を狡猾に用いた犯罪が増えたからな
警察のほうも科学捜査取り入れるし 『探偵ガリレオ』はあまり細密な描写をしておらず
ざっくりとした展開でトリックを科学的に暴くのだが
どれもこれも陳腐な印象を残す
そんなんでいいのか!と突っ込みいれたくなる
しかしこれが肝なのかもしれん 第三章「壊死る」の締め方とか、すげえ
ベタすぎて変な笑いがでる 合理精神を貫くにはかっこよさなど不要なんだな
アメリカの科学捜査モノは逆に、スタイリッシュすぎてださく感じる Xファイルなどは科学とオカルトの混交スタイルで
出てきたときは新しいなと思った 俺はもともと不合理の極めつけで、オカルト陰謀論者だったからな
合理精神をかっこいいとは思えない 人間の論理が「バグ」にしか感じられなかった
そういう状態だったから、オカルト陰謀論ばかり漁っていた なぜバグが世界に流通しているのか
歴史の背後に何がしかの隠された謎があるに違いない、と
しかしそういった俺の感覚もまたバグなのであった
世界がバグっていたのだ 「私がオバさんになっても」を歌っていた人か
思い出したぞ >>684
無駄無駄無駄ァァァ〜!!!
>>685
aaaaaaaaa >>688
dakkooooooooooooo!!!!!!! 「こうや」かと思ったら「あれの」と読むらしい
女流作家だ この作家は漢字だらけの文面にならないように
意識的にひらがなを増やして配分を配慮しているな 佐伯一麦という作家の本を読んでいる
リアルな文章だなと思ったら自分を題材にした私小説らしいな 遠藤周作がいうには、比喩の練習をしたら文章が上達するんだと
比喩の練習をやるか 私は本屋に行くとひょうたんのように並んでいる
ヒキガエルのような本をウェットティッシュのように濡れた表情で眺めていた
まるでヨードチンキを一気飲みしてゲロを吐いている九官鳥のように
ひょうたんのようなヒキガエルのような本を眺めていたが
電子レンジで加熱した小豆のようにおもしろい本が見つからなかった
それで私はバケツの水に沸いたボウフラをドブ川へいっきに
流して捨てるようにしてひょうたんのようなヒキガエルに別れをつげた
店の外に出ると泥パックを全身にしたインド人のような風がふいていた 比喩とかいわれても何も浮かばんな
想像力が欠如している 梶井基次郎を読んでいる
埴谷雄高が思想的に影響を受けた作家 梶井が抱えていた「得たいのしれない不安」というのが肝なんだろうな
これは単に死への不安のことではない 普通に考えると人間の宿命は死で
己の死を受け入れるプロセスが現実 埴谷雄高が目指していたのは人間原理を遥かこえた場所にある宇宙論だったらしいがな 科学者の提唱している宇宙論という意味ではなく
人間存在を超えようという試み
ある種、不可能への挑戦といえる 死には生にとって強烈な否定的イメージがつきまとうがゆえ
人は生を反省するのに死のイメージを頻繁に用いてきた 生が絶望と重なり合っているのは間違いない
ただ絶望は見ないようにしているだけ
希望のビジョンで相殺しているともいえる 川端康成の『雪国』では美を抽出できるギリギリの地点で踏みとどまっていただけで
これ以上暗くなれば美を見ることができない、という場所でばっさりと
物語が終わっている 死死累々の歴史も美の中に織り込んでゆく西洋にくらべると
儚げで脆い感じがある ____
|←土曜| ハ_ハ ハ_ハ
 ̄ | | ̄ ┗( ゚∀゚)┳('A`)┳(゚∀゚ )┓三
| | ┏┗ ┗┗ ┏┗ 三
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ハ_ハ ハ_ハ ハ_ハ
三┏( ゚∀゚)┛┏( ゚∀゚)┛┏( ゚∀゚)┛
三 ┛┓ ┛┓ ┛┓
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
____
|←土曜| ハ_ハ ハ_ハ ハ_ハ
 ̄ | | ̄ ┗( ゚∀゚)┳('A`)┳(゚∀゚ )┓┗(゚∀゚ )┓三
| | ┏┗ ┗┗ ┏┗ ┏┗ 三
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ハ_ハ ハ_ハ ハ_ハ ハ_ハ
三┏( ゚∀゚)┛┏( ゚∀゚)┛┏( ゚∀゚)┛┏( ゚∀゚)┛
三 ┛┓ ┛┓ ┛┓ ┛┓
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ('A`)を土曜に連れて行くとリフレッシュして( ゚∀゚)に変わるだけか ____
|←月曜| ハ_ハ ハ_ハ ハ_ハ
 ̄ | | ̄ ┗( ゚∀゚)┳('A`)┳(゚∀゚ )┓┗(゚∀゚ )┓三
| | ┏┗ ┗┗ ┏┗ ┏┗ 三
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
┏( 'A`)┛┏( 'A`)┛┏( 'A`)┛┏( 'A`)┛
┗┗ ┗┗ ┗┗ ┗┗
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ >>733
あ、そうそうこれこれ
濡れタオルをまぶたに乗せて上から
TENGAでマッサージすると気持ちいいのよ〜・・・って
なんでやねん 学問やるとかいってたのに
気がつくと小説、文学ばかりだ 長年やっていたことでもやめれば速攻で忘れるからな俺は 泳ぎ方や自転車の乗り方のような
一度身につければ忘れないようなこと以外は大抵忘れる 奥さんのボロ布wwwwwwwwwwwww
おまんこwwwwwwwwwwwwwwww ボロ雑巾とかボロ布とかボロ儲けとか
つまりボロという言葉の響きが好きなだけ セックス雑巾とかセックス布とかセックス儲けとか
つまりセックスという言葉の響きが好きなだけ 暗夜行路を買ったのだがまだ怖くて読んでいない
心境小説の神が苦心して書き上げた私小説の聖典だからな 人によって評価にものすごいばらつきのある作品だ
作品としての統一性のなさがよく指摘されている 心境だけで書くものだから長編としての構成など考えないのだろうな 海へ潜るのをダイビングという
洞窟へ潜るのをケイビングという
海底洞窟の場合はどうなるんだろ 蝙蝠のいる洞窟は虫の巣窟だからな
あまり行きたいとは思わない 飯島愛は知っているな
今でもなぜ死んだのか分からないが・・・ >>756へのレス↑
死因が肺炎って書いてあるな
病死だったのか 当時いろいろな陰謀説があったからな
どれが本当の死因なのか知らなかった 暗夜行路に挑むために精神を集中しよう
生半可な気持ちでかかるといけないや あまり愛に恵まれなかった葛藤の多い男の気持ちの変化を描いた
半生記のような作品だからな
いわゆる面白いエンタメ小説ではない とりあえず序章含めて30ページほど読んでみた
これならいけそうだな 性欲をもてあましている若いときでも1日10回も射精できないだろうな 他人から影響を受けて自分を変えようとするのはおろかなのだろか 乱歩賞の受賞作を読んでいる
ミステリーではないなこれは
ミステリーとして読むとナンジャコリャ、となる 志賀直哉は社会になんら関心を持ってない人だったのだな
歴史にも社会問題にも興味なく
小説を書くときに下調べもほとんどしなかったんだそうな
つまり自分の書ける範囲のものを自分の中から掘り起こすようにして
書いていた 語弊があるけど、スティーヴン・キングのような方式か 資料なくとも辞書だけあれば普通に考えれば小説書けるよな 志賀直哉は一文一文が重たくのしかかってくるようで
一気に通しては読めない なんとか100ページ読んだ
非常に骨のある文章だ
一字一句逃さずに推敲を重ねたらしいからな 600ページ近くあるから一週間以上かけてじっくり読むか 暗夜行路は謙作の日記のシーンまで読んだ
それまでの人間関係にまつわる描写とはうってかわって
地球のコンディションや人類の進化、滅亡などについて
思いをめぐらせている
謙作はただの鬱屈とした人間ではなく未来視をしているキャラだな 吉原の女中がどうだの、愛子との破局だの
ぶっちゃけ流れとしては三文小説みたいなんだが
文章にやたらとフックがあって読み辛い 大きな流れとして追っていると不自然に感じる展開が多い
一文一文の積み重ねとして見なければならないらしい フレーズだけ拾い読みしたときには感じなかったが
続けて読むとどえらい骨ばった文章だな
表現の流麗さとは無縁で、骨ばった文のリズムのみで
読ませている感じに思える 一文たりとも適当に流して読んではいけない
そういうオーラが出ている 『マークスの山』とか、割とものものしい文が並んでいるが
志賀直哉を読んだあとだとなめらかに見える 流麗に見せるための工夫や技巧、無駄をそぎ落として
骨格だけで構成したような文章だ 主人公の謙作が嫌っている阪口という男が
謙作の夢の中で「播磨」をやって死んだ、という話が出てくる
この播磨というのはどうやらセックスの体位のことらしいが
ググっても出てこなかった
恐らく志賀直哉の空想の産物なのだろう・・・ ついに播磨に手を出しやがった・・・!みたいに書いてあるのだが
播磨がどんなものかよくわからねえ よく考えたら俺もあったわな
言葉だけが大袈裟に夢に出てきて「ああ、アレか!」みたいになるのだが
概念としては把握していないという 気がついたら150ページまできていた
今日はここまでにしておいてやりますか
やりますでございますか 150ページも読んでしまったのであった
あったのであった 洞窟探検と志賀直哉を交互にやってドーパミンが出ているな 志賀直哉の短編はよく読んでいるが
長編になると何かが違うのだ
短編では構成が練ってあるからかな 短編だと起承転結で、この辺で誰に何をいわせて
どこでオチつけるのか、ってのが計算できるからな >>797
∧,,∧
,,,. (・ω・; )
,;'"'゙';,/ と )
.  ̄ヽ、 ノ ̄ ̄ ̄ ̄
┴
∧,,∧
,,,. (-ω-*)) シャリ シャリ
,;'"'゙';, ヽと )
.  ̄ヽ、 ノ ̄ ̄ ̄ ̄
┴
∧,,∧
キ━━━(.゚ω゚.`;)━━━ン
,;'"'゙';, ヽと )∬
.  ̄ヽ、 ノ ̄ ̄ ̄ ̄
┴ 洞窟探検のときに使うライトについて調べていた
最近はスーパーLEDというとてつもなく明るいライトがあるんだな 明るさ50倍とかなんだがその代わりフルパワーだと連続点灯時間が短くなる 炭鉱労働ではデービー灯ってのがあったな
植物油を使ったランタンで酸素濃度が下がると火が消えて
危険信号代わりにもなるというシロモノ 炭鉱でガスが噴出したときに
ランタンの火の粉から引火して爆発、みたいなことがよくあったらしいが
デービー灯では火の粉が散らないような工夫もしてあり重宝したらしい 志賀直哉の骨のような文章を読んでドーパミンが出たな 俺はぶっちゃけシモネタ好きじゃないんだけど
インターネットだったらいいかなあ、くらいの気持ち 関西の深夜ラジオなど聴いているとシモネタばかりだったな たまに出てくると緊張が緩和されて空気なごむが
シモネタばかりだとさすがに嫌になる 文字ばかり読んで精神が参っている
三日で10冊読んだな しょーもない自己啓発本コーナーにあったのとか
適当に読み飛ばす 志賀直哉を神だとありがたがって読んでいるのが何か虚しいが
気にせず続けよう ゆっくり読まないと、適当に流して筋だけ追うと
乱雑な文章にも思えてくるが 純粋な気分を抽出した骨っぽい文がリズムよく積み重ねられていく
確かにこれは近代散文私小説の元型なんだろう 谷崎潤一郎の文章は重厚なものものしさがあるが
骨っぽさからくる圧力はあまり感じない 谷崎のは構成に圧倒させられる
威圧感はある
獅子座特有の 明治〜大正に活躍した著名な文人の文章は一通り読んだな 内容を吟味する前に文体や言葉使いから入るからな俺は 何冊読んだか忘れたな
80冊くらい積み上げてあって
三分の二くらい読んだな 志賀直哉に挑んでいると生きている充実感がわいてくる 芥川も好きだけど芥川を読んでいると辛くて泣きそうになる 面白いけどあまり感動しないのは太宰の『人間失格』
双子座の大変さが分かるが 谷崎は題材が変態で好きではない
文章がすごいだけ
芥川がバカにしているのもなんとなく分かる 志賀直哉は未来視が出来るし情と理が同じ場所にあり
得たいのしれない原理で作動している
蠍座の不合理ではなくきっちりとした理を持っている
しかし夏目漱石のような倫理ではないんだな 夏目漱石はまっとうな人間倫理で動いていた
しかし真面目くさいという 志賀直哉は水瓶座だったな
たまに常識外れたおかしなことを真顔でいうんだな
フランス語を日本の公用語にしてみれば?だの 魚座というと情と理が背反しあっているものだがな
志賀直哉はまだ情と理とが分裂していない
文学だけがそれをつなぎとめる手段だったのかもしれん 蠍座は情と理が頻繁に逆になる
ともかく理屈が通じない
おもいきり不合理 星座で人の個性などわからんが
俺は大雑把な性格だからな
人間なんていつまでも惑星の運動に振り回されているだけのちっぽけな生物だし
惑星の運動から抜け出すための方法をよく探していたものだ 死は実際には存在しないと思っている
しかし死という概念について考えると恐ろしい
今生きているものよりも膨大な積み重ねがあるからな
死の累積の上にしか生が成り立たないというのがまず恐ろしい 暗夜行路の主人公、謙作は
人類は地球の運命にそむいている、というようなことを
日記に書いていた 洞窟の生態系について考えると恐ろしい
蝙蝠がいる洞窟では蝙蝠のフンが堆積し
そこへ虫が群がる
フンに群がった虫を食うために集る虫もたくさんいる
醗酵したフンで温度、湿度があがり細菌のたぐいも異様に沸く
蝙蝠の死骸を食うゴミムシも集る 人間の考える「死」をものともしない世界が自然には多くある
これはなぜなのか 人間の感じ取っている「理」というのはおそらく
自然から抽出したごく一部の外的な側面に過ぎないのだと思う 人間は「自然選択」からかけ離れた存在だとダーウィンがいっている
自然選択というのは「自然の方が生命の方向性を選び出す」という意味である
人間はどちらかというと自然の暴虐性を恐れて逃げていったグループで
「選ばされている」といったほうがいいのかもしれない 体毛とか近代的な生活では不要だから
退行してゆくだろ
髪の毛は自己のアイデンティティの確認や情念の志向性を表現するのに用いているが
頭部を守るための役割は既に終えている 謙作は少し毛深い体質で
自分の手がごつごつしていて毛深いことを
吉原の女中の前で阪口に笑われて腹を立てていた 自分の中に昔気質の情念がくすぶっていることを
恥ずかしく思っている人物だ
表向きは大正時代の(文明開化した)空気にあわせようと努力しているのだが
何か違和感を抱えている 健全であろうとしていることに反して封建的な時代の情動が自分の中に息づいていて
それを中々認めることができない謙作 暗夜行路の最初のころの題は「時任謙作」だったらしい
主人公の名前そのまんまである
謙作の、謙作による、謙作のための物語なのだ 最近読んだ本の中で、ストーリーで感動したのは「夜市」だけだな
あとはクソだったり程ほどだったり 感情移入して泣いた、というわけではないけど
展開に驚いてラストも良かった 昔、夏祭りの縁日から「夜市」に迷い込んでしまった兄弟がいた
夜市では現実には手に入らない様々なものが取引されている 夜市はこの世のものではなく(異界で)そこから出るには
何某かの取引をしなくてはならない
それで、お金をもっていない兄は「野球の才能」と引き換えに
自分の弟を人攫いに渡してしまう
兄はこれが悪夢だと思いたくて、さっさと抜け出してしまいたい衝動にかられたのだ あとで警察を読んで弟を救いにいこうとした兄だったが
現実に戻ってみると、自分以外の者の記憶から弟の存在が抹消されていた
いない者のことをいうと頭がおかしいと思われてしまうので
次第に兄も弟の存在を忘れようと努力していく それで、大学生まで成長した兄が再び夜市の開催を知って
弟を取り戻すために再び挑んでゆく・・・という物語 人攫いに引き取られた弟は恐ろしくなり
逃げ出そうとする
そして、とある店に逃げ込む
そこで弟もまたある取引をしてしまうわけだ
弟が望んだのはもちろん「自由」だった
しかしその代償とは もう書いてしまうか
そう、弟が支払った代償とは「時間」だったのだ
それで夜市を抜け出せたのだが、そこは弟の知っている現実世界ではなかった
齢をとり、別の世界で生きていた弟は兄への断ち切れぬ想いと
人攫いへの怨みを抱えたまま夜市の開催を待ちわびていた・・・ そうする他仕方なかったとはいえ
内心自分を売り飛ばした兄を憎んでいたが
まだ助けに来てくれるかもしれないという淡い期待をもっていた 兄は弟がまだ幼い姿のまままだ夜市に取り残されているかもしれない
という未練から来るイメージを抱いていたのだが
実際の弟は兄よりも齢をとって、別の世界で
復讐の機会を伺いながら狡猾に生きてきたのである
このギャップが物語の肝になっている
弟は兄が思っているよりもたくましかったのだ 売り飛ばしたくせに感動の再開を分かち合えるとでも思ったか?バカめ
とでもいわんばかりの展開である
しかしラストは本当に切ない 兄は野球が確かに上手くなったが
兄は野球が上手くなりたかったわけではなく
単純にいえば、好きな女の子に自分を見て欲しかっただけなのだ
野球が上手くなっても野球で活躍できるだけで
好きな女の子には振り向いてもらえなかった
それで、段々と虚しくなっていくわけだ
弟と引き換えにして手に入れた才能がこんなに虚しいものだったとは、と
だんだんと兄は死にたい気持ちになっていく あらすじだけを抜き出すと、ある種ご都合主義の物語にも見えてくるな
現代に蘇った幻想的な奇譚、というビジュアルイメージがあって
それがうまく作用しているからそうとは感じなかったが 志賀直哉の文章は「そのまんま」であり、骨ばっていてリズムが独特で
とにかく押しが強い
スムーズに読み進めるのが難しい
哲学書のような難解さは微塵もない そのまんまで普通なんだが、どこかシュールに感じたりする
このシュールさというのは現代小説を普通のものとして享受してきたことの
裏返しかもしれん
むしろ志賀直哉のほうが普通なのではないのか 自分の慣れ親しんだものしか「普通」ではないからな
「普遍」はあまり意識しない
それで、今は頑張って志賀直哉に慣れ親しもうとしている・・・
西洋文明の影響か、普遍的なものに対するあこがれも持っている 自分の慣れ親しんだものは普通だがそれは普遍とは関係ないな、と思える
世間に向かって一般化されたものに対して「普通だな」とよく思う
一般化への意識は普遍に繋がっているのだろか
日本人にとっての普通って、よく海外から変だ、っていわれてきたよな 2chではジャップを連呼していう人がいるのが普通だな、と思える
世間に向けて「日本人はおかしい」ということを一般化したいのだろ ストレンジではなくディファレンス
俺はお前らジャップとは違って物事の差が分かる!ということか
アメリカからの影響だしかし
これぞ連続性の哲学 ドライソーセージとチョコレートはカロリー補給の定番だな キットカットとスニッカーズがよく頭の中で一緒になる
CMのフレーズに例えると、ガスター10がレーサー100になってしまうようなもの お菓子もぜんぜん食わないから商品名と中身が一致しない 【放送】NHK集金人を撮影、もしくは会話録音を投稿すれば30万円もらえるコンテスト開始/NHKから国民を守る党の立花孝志議員が企画
http://hayabusa9.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1513480609/ >>886
コカインの真似して
鼻でコーヒーの粉を吸ったことがある
思い切りせきこんだ 志賀直哉が権威扱いされていたのは仕方がない
あれより上の存在がおらんのだから 太宰治の志賀や文壇に対する批判はどことなく共感できる
ヤク中で半分自暴自棄状態だったし 志賀直哉の「気分」はいわゆる自分自身のエゴを冷静に見つめる目線からきている 太宰の批判文は少し情緒不安定で
たまにユーモアに徹したりたまに暴言を吐き散らしたり
2chによくいる「荒し」っぽい雰囲気が出ている
計算してあれを書いているのだとしたらすごいな 2chだったらいくら情緒不安定に暴言を吐き散らしても大した問題にならないが
自分の文学作品としてそれをやってのけるのだからな 夏目漱石の文章は端正だがなぜか目がすべって丁寧に読めない
なんだろうなこれは 人間素直が一番だなと思う
でも素直といってもその場その場の感情を表に出していると無茶苦茶になる なんだこれ
時間差なしで二重投稿されたぞ
バグったか あれ?
消えた
さっき確かに二重投稿されていたのにな・・・
つまりブラウザのほうのバグか 志賀直哉は自分のエゴを冷静に見つめて、既存の権威には従わなかったんだよ
そのスタイルが支持されて権威になっていった 人間以前にただの志賀直哉
志賀直哉としての自我に無理のない表現しか扱わない ときどき川端の美しさを超えたような
神掛かった自然描写が出てくる
どこから沸いてくるんだろこういうの ユーモアだがぼけてるのか分からないような
無意味だと思える描写もたまにでてくる 志賀のエゴを通して謙作に気分を乗り移らせているんだろこれ
自我の観念を通り越した場所に気分がある 船員にレコードを薦められるシーンで義太夫が出てくるが
志賀は実際に義太夫が好きらしい 竹本義太夫を開祖とする浄瑠璃の一種で
三味線の演奏にあわせて太夫という語り手が物語を読む、という形式の芸術だ
太夫の中には女性もいる 志賀が学生時代に豊竹昇之助という女義太夫のファンになり
よく寄席に通ったらしい
今でいうアイドルのおっかけみたいな感覚だったのかもな 聴いてみたが、大仰な語りと歌謡っぽい歌を織り交ぜた情念主体のスタイルだな 大正時代の通俗的な事柄は注釈にたくさん書いてあるから便利だ
いちいち調べながら読んでいる 謙作の日記のくだりってもしかして白樺派開祖へのオマージュかな?
ただの未来視ではなくキリスト教観から導き出したのかもしれない しかし謙作のしている妄想というのは少なからず未来視が入っている 謙作が船の上で、船から見える山をゾウの頭に見立てて
自分がゾウの怪物になって人類を相手に戦う、という妄想をしている
インドの宗教ではそれを神だというのだが(ガネーシャのようなものか)
人類はゾウを殺すために躍起になる 謙作がふらふらと立ち寄った旅館の門のところに
酒を飲みすぎておしっこ漏らしたまま寝ているホームレスがいて
謙作が自分もホームレスみたいなものか、と思いながら
家のことを考えているシーンが妙にリアルだ 実家ではないのだがそこにいるお栄という女性にささやかな愛情をもっている
しかしお栄は自分のじいちゃんの妾(めかけ)なのだ 自分の祖父や周囲の人間のことを「下品だ」と思いながらも
自分にもそういった血が流れていることに対して鬱屈としている 妾(めかけ)というのは昔では文化として普通にあったらしいな
いわゆる不倫とは少し違った形式の二股状態のことだ 甲斐性のある男だったら
妾の一人でも作れ、というような理屈が通用していたらしい 一人放浪の旅がさびしくなったから
お栄と結婚しよう、などと謙作は考えるわけである
謙作はともかく愛情に飢えているのだが素直にそのことを表に出せずにいた 構成や内容から来る重厚さではなく
一文一文がやたらと存在感あって時間がかかる 「でべらないと焼きやんしょうかの?」の意味がわからなかったので調べた
でべらというのはがんぞうびらめという魚の幼魚を干したものらしい
カレイの干物でも焼きましょうかね?といっている なんだか謙作が「あはれ」に思えてきた
同情の念を禁じえない 自分の愛情の根拠は死んだ母親の思い出だけで
実際はそれも愛されていたかどうか分からない
それで、宇宙に思いをめぐらせて、自分を原子一粒にも満たない存在にたとえる、
という妄想をして慰める
そうやって虚しい自分を消し去るような妄想を続けている 不道徳から生まれて不道徳を下品だと憎む謙作が、
自分の祖父の元愛人と結婚しようとしている・・・ それに対して父親は不道徳だと怒るのだが
謙作はその父親の怒りに対して怒るのであった
自分でもこの怒りがただしいとは思わないのだけど
腹が立つのであった
そのあと、謙作は中耳炎にかかるのであった リアルでシュールな展開だな
シリアスなようでいてドラマがなく、どこか気が抜ける 夢の中で「播磨」をやって死んだ阪口は
他人をこばかにしたような不道徳で悪意のある小説を書いて
謙作が嫌っていた
阪口の楽しみは謙作のような自己矛盾をかかえた青年をこばかにすることかもな キリスト教圏の不道徳はまず神への冒涜だからな
善いことをやった女性が酷い目に遭う、という悪徳小説を
サドが書いていたな
日本ではどうなんだろ . _, ._
(゚д゚ )-、 ワカリマシタ ゲツヨウヲ >
,(mソ)ヽ i ドヨウビニシテ…>
/ / ヽ ヽ l
 ̄ ̄ ̄ (_,ノ ̄ ヽ、_ノ ̄ 月 「 OK、グーグル・・・」
. _, ._ ドry
(゚д゚ )-、 アッー!!アッー!! >
,(mソ)ヽ i siriー!!siriー!!
/ / ヽ ヽ l
 ̄ ̄ ̄ (_,ノ ̄ ヽ、_ノ ̄
. _, ._
( ゚д゚)-、 プログラムヲ シュウリョウシマシタ… >
,(mソ)ヽ i
/ / ヽ ヽ l
 ̄ ̄ ̄ (_,ノ ̄ ヽ、_ノ ̄ 今年はラヴェル没後80年
なんでも身長160だったことが彼のコンプレックスで
ツアーには何十着もの衣装を持ってったそうだ
お洒落することで身体コンプレックスを紛らわせてたらしい
オレが小学生の頃の夢はピアニストか画家だったなぁ・・・
今じゃ統合失調症患者でコンプレックスの塊かつキチガイ
今夜はラヴェル流したまま床に就くかな >>942
ラヴェルは知っている
ピアノ俺もやろうと思っていた
でもけっきょくエレクトーンをずっと習っていた・・・
画家もなろうと思った
美大も受けた
でもだめだった エレクトーンは教員免許取る手前までいったけど
やる気をなくした
絵もへたくそすぎて漫画をよく描いていた 芸術の才能ないな、と思う
芸術やるにはまず執念だからな
なにがしかの美を完成させなければ意味がない 才能がどうのこうのいっている段階で才能はない
執念もって粘り強く取り組み続けるのが正解 ライフワークに取り組もう、とかいっていたけど
やってないからな
やり続けなければならない
ロダンのいうように、何某かの「秘密」を見つけることができれば
人はずっとその仕事に従事できるらしいが コツだの成功の秘訣だの、そういうのではなく
感応のレベルで通じる何かだ グルジェフという超人がかつていたが
この人は何某かの秘密を見つけたらしく
傍目にはきつい仕事を何時間続けても疲れることがなかったという
グルジェフのいう「大蓄積器」が何を意味しているのか
今でもまったく理解できない 人間の作動原理というか
何をエネルギーとして動いているのかということを
突き止めたらしいな
かつてグルジェフの本を読んでいたが、意味がわからなかった 水素がどうだの、循環小数の法則がどうだの
惑星がどうだの、そういうことをいっているのだが
俺には理解できんかった 今は志賀直哉で頭いっぱいだし
グルジェフって何?っていう
一昨日読んだ本も覚えていない
とにかく興味をなくせばすぐに忘れる 以前アニメをたくさん見たりゲームをたくさんプレイしとったが
何も思い出せない
ただのカッスカスの空虚な記憶となっている 要は俺は文明社会に振り回されているだけの奴隷だから
ジャイナ教とかに惹かれたりする
消費文明に頼りっきりで何も産みだしてはいない 今の俺にとって志賀直哉が至高の芸術なのだ
これもしばらくするとどうでもよくなるかもしれない 金銭や欲望、願望とは無縁のところで
何かを生み出さなければ創造とはいえない
魂や生命を削ってそれを行えるかどうか、というのが大事
芸術をやるにはまず魂だ 魂が穢れているからな俺
創造者に値しないのだと思う 心の傷を癒したいと思ったり魂を浄化したいと思って
感動できるものを探そうと躍起になって
いろんなものを消費したりするのだが
それを繰り返しているといつまでも魂が穢れたままになる
文明がそういう仕組みを生み出してしまったのだ
消費者は何ひとつえらくないわけだが
生産者と消費者の兼ね合いで経済のバランスとったり
あほなことしているからな 魔法少女まどか☆マギカってあったな
あれを思い出した
今考えると非常にあほくさい話だ
ソウルジェムの設定はほとんどブラックユーモアなんだろう
ソウルジェムという宝石が自分の存在の核のようなもので
それが穢れてしまうと魔女(倒すべき敵)に変わってしまうという ケガレを浄化しなければ、という強迫観念があるよな
潔癖症の人ならわかるだろうが ケガレは浄化できない
ケガレとは主に否定的イメージのことで、どちらかといえば呪いの方に近い
呪いは汚くないので浄化はできない
ふつう、呪いを解くのに必要な方法があるが
これは簡単には解けない 簡単に解けないものを無理して解こうとしているから
それが余計に強迫観念に繋がっている
それで足掻いて足掻いて、すぐに諦念にいってしまうのだ こびりついた否定的イメージは簡単にはぬぐえない
親和と否定の関係は恐ろしく複雑で
神経回路とか量子ポテンシャルのレベルから作動しているんだろうな よし、志賀直哉で神経回路を改造するぞ
これで呪いとはおさらばだ
なぜいままでこんな良い方法に気付かなかったんだろう!! このネタで自己啓発本を出してボロもうけだぜ
ギャハアアアア 芥川や太宰は頭が良すぎたのだな
様々なパターンの筋書きを完成まで頭の中で考えてしまえる 志賀直哉はそうではなく、完成形を思い描いたり計算することを放棄した 一文一文に今の自分を乗り移らせるようにして書いている
これが独特の迫力とシュールさを生み出している 晩年の芥川は計算することをどこか放棄していってる節があるがな タイトルの由来は知らないけど
暗夜行路というのは「暗中模索」に近い意味合いが込められているような気がする
自分が何を描こうとしているのか分からない不安との格闘 あまりにも不可解なので、論文を読み漁った
それで慣らしているうちに「これはもしかしてすごいのではないか」と思うようになった
人は不可解なものを目の前にしたときに反応に困って誇張評価するからな 読み進めることができないほど気持ち悪くなったのだが
決して文章が悪いわけじゃないんだな
ということは読む俺のほうに問題がある 俺はしつこい人間で過大評価モードに入ると飽きるまでやるからな 「〜〜た。」で終わる文が多いといえば石川達三もそうだった。
石川達三で大分慣らされた。その点は問題なかった。 『雪国』は島村という人物の視点で描かれているのだけど
たまに島村の知り得ないような描写が出てくる
これは禅の境地を表現しているのではないか、と
作者視点は極力感じさせない工夫がしてあるからな 志賀直哉はそうではなく、エゴを通して自然へ気分が融和していくような描写が見られる
禅とは違うのかもな >やっと彼の帰った後、僕はベッドの上に転がったまま、
「暗夜行路」を読みはじめた。
主人公の精神的闘争は一々僕には痛切だった。
僕はこの主人公に比べると、どのくらい
僕の阿呆(あほう)だったかを感じ、いつか涙を流していた。
同時に又涙は僕の気もちにいつか平和を与えていた。
が、それも長いことではなかった。
僕の右の目はもう一度半透明の歯車を感じ出した。
歯車はやはりまわりながら、次第に数を殖やして行った 芥川の見ていた歯車は「閃輝暗点」という説がある
片頭痛の際に前兆としてあらわれる視覚障害のことだ 今日は前編の終わりまでいけるかもな
新潮版では268pまでが前編だ
今230pまできている なぜ暗夜行路が長い間完結しなかったのかというと
志賀本人が謙作の気分になりきることができなくなっていったからだろうな
それで何度も頓挫しかけて、開始から20年以上経ってようやく完成にこぎつける 謙作の兄はわりと出来た人物だが放蕩癖があって
そんな自分に嫌気が差し、禅宗の寺で修行することに決めたのだ
しかしどうやらこの当時は禅がブームになっていたようだな 謙作の兄が碧巌録を覚えたな
正法眼蔵ではなかったか 人類を幸福へ導くのが本当の芸術だ、と謙作は考えているようだ かつてそれをこころざして無残に挫折していった人間がいかに多いことか
と思うと禅をやりたくなる
兄は謙作を禅に誘っていた このスレッドは1000を超えました。
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