ゲロボールペン
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フリクションよりもニューハードの方が堅くて癖があるから練習にはちょうどよいな 書道を適当にしかやったことないから
毛筆の使い方がよく分かってないが 生老病死、愛別離苦
長く生きようとしていると必ず発生するな
老いと死だけはどうあっても逃れることができん 2chで死にたい死にたいばかり言ってる人をよく見かけるな
俺はあまり死にたくないから気持ちが分かることがない 死にたいというのも自発性の要ることであまり否定はできんが 生きたいというのも死にたいというのも或る程度の自発性が要る
欲望以外の何かからきているのだからな 何か?
自分が求めているのとは別のものだな
何かから来ていることは確かなのに
それを確かめる手段が中々ないという 包丁は人を刺し殺すための道具ではないというのは
寿司職人が教えてくれるのか? 俺が知っている寿司職人は食材ばかり裁いているからな
技を磨いている人間に対して殺人がどうのこうの
聞くほうがおかしいのかもしれん 納得のいかないことが増えてくると職人の「ワザマエ」に感動したりもするがな 実際は生の結果が死ではないんだな
自分の生に対して納得いきたいという人間は非常に多いが 死がどこかで切断されてしまっているように思える
刀で人を斬りまくって己の死に対して納得できた武士はいるのだろうか 武士の文化はあまり知らない
新渡戸稲造の武士道を読んでもなんか違和感がある 封建秩序を保つために無礼な人間を切り殺しても許されるという法があったな 礼に始まり礼に終わることを旨として生きていれば
無礼な態度しか取らない人間は斬り殺したくなるだろうな 非礼を相手に詫びることで和解に持ち込むという習慣がある 悪いことしたらごめんなさいしないといけないよね、というのもそれにあたるな
自分が悪いことをした気もないのに謝れるか、ということも多いが
それは「意地が強い」といわれる 礼を知らず意地が強い人間は非礼を詫びるのとは別の方法で
相手を認めさせなければならない ノウハウ本を見ていると何をやるにせよ方法論がたくさんあってうんざりだ 礼は一般的には他者と折り合いがうまくゆくための行動様式のことだが
礼が一般化されたのは日本では割と最近のことなのかもな 義務教育では礼は簡略化されてただの様式になっている , -───--、
/ ( ゚д゚ ) / >>1乙zz...
r-<,ぅ⌒cソ、. /
ノ '、 , 、 _, ' //
(_,. //
(.,_ `'ー-、_,,..ノ/
~`''ー---‐' >>35
薔薇の香水でもつけているのだろ
>>36
arigatougozaimasu. 返す能力がないのに借金癖が治らんのを何とかしてほしい 兄には一度殴られて母親からはよく死ねといわれてるからな
ここで俺が怒ってもどうしようもない 怒らないのを美徳にするのは難しいな
最近はもう苦しくて激怒もできんが 俺の親父も基本的に文明社会を受け付けない人間なのだろうな
行動原理からしてそうだ
内心資本主義を憎んでいるくせにギャンブルと金のことばっか 言葉や感情と行動とかまるで伴っていない
悪意なく平気で人を傷つける嘘をつくからな
だからかもしれん俺が言語と行動の不一致を過剰に嫌うのも 今訴えられているのに自分から刑務所入りたいとか言い出して
また返す当てのない金借りやがって 俺もネットで多少は金稼げるけどまともに働いてない人間だからな
必要経費以外は親父のために全部金使ってるが 大正時代には志賀直哉を最高権威として繰り返し読む文学青年が多かったそうだな
今ならなんとなくその気持ちが分かる 身内のことでずっと精神的葛藤しているんだね
パっと見は、割とありふれた「面倒臭い男」のベタな葛藤劇なんだが
これが志賀の文章のリズムに乗っかると痛切に感じられてくる
人の家庭の事情によって謙作に感情移入が微塵もできんのだろうがね 他人の家庭の事情には容易に足を踏み入れることはできない
これは日本じゃ通説だろうと思う
キリスト教徒がいう隣人愛なんてないじゃないか、と 私は私のかつての愛読書であった小説『虚無への供物』の中に出てくる
青い・・・・なんだっけ
それはともかく青い薔薇だったはずだ
青い薔薇は確か、遺伝子組み換え技術が無くても存在できたはずだ
それは確かはニや豊かだか梶井のレモンだか
そういった文字列が表現してたはずですよ
一度でいいから、ぜひ!
読み返してみてくださいませ はニや豊か → 埴谷雄高
埴谷雄高は俺としては読めなかった
あまりに難しいからな
なんか、小説ではなく哲学書を読んでいるような気持ちになる 日本男児はいつも自分に箔をつけようとする
何に頼ってからそれは簡単なことで
己を脅かす何者かに頼って、だ 芥川晩年の一番きつい作品である「玄鶴山房」を今読んでいるのだが
理解ができるようでなんかできない
解説ももちろんたくさん読んだが
何も分からないままだな
結核って今で言うエイズみたいなものなのか?? お鈴は安物の指輪に所帯じみた寂しさを感じたそうだが
指輪の魅力を俺はまったくというほど知らんからな
海外の意味不明小説である「指輪物語」見ていると余計だが
なんせただの一つの指輪にまつわる物語が
国家間の闘争がどうたらいうやがるのだから
納得したくなくなるのだ お岩さんがお皿割ってしまい残りのお皿を一生懸命数えている傍で
指輪が世界の存亡をかけるなどという
下らないこといいやがって
芥川だったらお岩さんの割った皿が指輪と同じ価値にでもなれば
「不幸にも幸福になってしまいました」というオチをつけるはずだな
ハニヤだったらしかし三時半でございます・・・お嬢様!馬車がといいながら
死者の霊魂と向き合うのだろうな馬車が一台とまっていた・・・ええよ
ゲロが YOSHIKIで思い出したが
ダリアという曲を初めて聴いたときにえらく感動したな
青い夜というライブでダリアのプロトタイプ(初期型)が演奏されたらしいが今聴いている
https://www.youtube.com/watch?v=peBh0kQ_Q5M
しかしダリアはレコーディングにかなり苦心したらしく
演奏しているときはYOSHIKIはゲロ吐くくらい嫌だったらしいな 曲ごとのBPMを把握して保つために
自分の生理的リズムもコントロールしなければならないらしいからな
俺はドラム叩いた経験無いからよくわからんが
そのときの生理的リズムを演奏するたびに再現せにゃならんので
身体には相当な負荷がかかるはずである
俺はそれをイメージだけで補っている キングクリムゾンなど聴いていると
誰が誰のリズムに合わせているのかわからなくなる
あれがインプロの魔術ってやつかもな あまりに気持ち悪くてもう何も考えられないのだが
下らないイメージが次々と沸いてくる 精神的に不安定すぎるな
死ぬだの死ねだの殺すだのもう嫌なんだ
何かに縋りつきたくなるのだが今の俺には
晩年の芥川と志賀直哉の小説以外にはない
文学はよく人の命を奪ったり救ったりしてきた
文学に頼るのはさすがにベタだなと思いつつ 何を書いているのかさっぱりわからんな
ともかくあれだ
クラバック、弾け!とはとてもいえない状況だ 白樺は潔さのメタファーなのか
それとも剥がれやすさ、燃えやすさのメタファーなのかどっちなんだ
潔ければそう簡単には剥がれねえだろが
白樺は樹皮が勝手に剥がれるらしいが
脱皮して新しい白樺が勝手に出てくるのかいな 向けても向けても白い!
白樺!なるほど「暗黒面」を持たないということか 植物にも明るい場所を好んで群生するやつもいれば
できるだけ暗い場所を好むやつもいる
植物だからといってみな似たような光を好んでいるわけではない
周囲との関係性で或る程度バランスは決まっている 物理フォーマットを十回かけてもsdカードがいうことを聞かないな
俺は必死で命令しているのに相手がいうこと聞いてくれない
命令している以上は命令している側に責任がアルノダガ 自分が命令している以上は自分に責任がかかってくる
なんとか責任を分担する方法はないだろうか?
それでリスクヘッジだのいうわけだ
簡単な話が最近分からない
可なりイライラする お前は何がやりたいのだ?
俺は面倒くさいことをやりたくない 性欲、食欲、睡眠欲など暮らしについて付随してくる概念に
俺は苦しんでいる
「長年苦しんでいる」といいたいところだが
俺はまだ40年も生きていないわけだ
結局長生きしたいのだろうな
早く死んだ人間のいうことを中々納得して聞けないのだ 早く死んだ人間のいうことを聞くには
老人の戯言を受け入れなければならんのかもな
それで俺は今は赤ちゃんでも老人でもないわけだが 意識が混乱していて何も手につかない
2chに書き込んで志賀直哉と芥川の作品(晩年に限る)をよく読んでいるのだが
何が書いているのか意味がわからんのだ
とにかく読んでいるのだが 親父を何度も何度も刺し殺す夢を見てきて
実際に二度刺し殺そうとしたのだができなかった
昨日も親父を刺し殺す夢を見た 子供は元気が一番!か
それはそうだろうな
別に子供に限らず人は元気が一番なわけだが 元気だの病気だの知ったことではない
死にそうになれば人は足掻く
動物はもっと足掻いてるが
なんせ動物は諦念を知らない
志賀直哉がそのことをしつこく描いている >>79
無理してないからこうなっている
無理したら人殺しまくるからな 無理しすぎて人を殺しまくった人間が多いんだよな歴史見ていると
んで俺と比べてみると大差がないと思えてくる
だから俺は無理しないことにしたわけだ 無理しないとゲロを何度も吐いてしまうわけだが
それも仕方ないのかもな 2chに書き込めるのは無理していないからだな
2chに書き込めるうちは俺は平和的なものだよ 死ぬほど辛いときもあるが俺は気分屋ですぐに立ち直ってしまえる
何度も何度もそういうことあるがすぐに立ち直ってしまう
人が生きるためには同じことを何度も何度も繰り返す必要があるわけだ 無理をかさねて本当に死にそうになると2chなんてやる頭もなくなるだろ
死ぬ間際まで2chに書き込み続ける阿呆もいるだろうが 酒を飲んで気持ち悪くなってゲロを全部吐き出すと落ち着くだろ
それと同じ現象だ sdカードが壊れてるな
物理フォーマットもきかない
新しいの買ってくるか 他人が期待していることと自分がやりたいことが一致するというのは
あまり無い 他人の期待に応えるために誠心誠意頑張れることはすばらしいのだが
それが出来るのはほんの一時に限られているように思える 「人生一度きりだから、自分の好きなようにしろ」といわれても
分からないんだな
そういう人が大半だろうなと思う 一度きりの経験は幼い頃によく体験しとったが
齢を食うとDejavuってやつによく襲われる
「前にどこかで見たことあるな」と考えてしまうわけだ どこかで見たことのある光景と今の俺の感性との接点がどこにあるのか
ということをよく考えていた
この状態のときに西洋哲学の入り込む隙が発生する 何を考えるにせよ「接点」が必要だ
さもなければ自分と相手との接し方が分からんからだ ヘーゲルの本を読んでいたが相変わらず意味不明だった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています