ゲロボールペン
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自分には無い道徳的葛藤を繰り返すことに苦痛を感じただけで
世界一恐ろしい本だと思ったわけではないだろう 生活力に対する動機がほしくてメリメの書簡集を読んでいたのだから 泉鏡花は枕もとに迫害してある
寝るときに読むにはちょうど良い幻想・怪奇な内容だ
文章表現は相当達者だが内容は割と俗っぽい 水木しげるが泉鏡花のファンだったらしく
泉鏡花伝の漫画を描いていたそうだが読んだ事ないな ∧∧ プシュッ
(,, ゚Д)o
( つ[]
〜(_つと)
[]c、 ゴキュッ
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∧∧ プハー
(,, ゚Д) =3 どようびどようび〜
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〜(_つと) なにがハワイだ!いい加減にしろよ!何様だ!そんな話聞きたなかったわ!うるせーんだよM字ハゲ!ふざけるなよ! >>377
日曜日ダゾ
>>378
naze
>>379
逆から読むとネタいじるあ! あるじはもう意識が耄碌して脱オタして
文学を読むだけのクソになり果てた 自然主義に興味を持ってからゾラの『居酒屋』を読んだが
描写力こそすごいものの何か冷徹に感じられて嫌になった
あれだけ分厚い本を書いているのに
ルーゴン=マッカール叢書という20巻に及ぶシリーズものの一つに過ぎないという
一体どのような情熱を燃やせばあれだけ冷徹な表現で大作を書き続けられるのだ 要は科学的な見地から医学を発展させていこうという主旨の論文があって
その手法をそのまま文学スタイルに応用したわけだ
風景描写にそれが徹底して表れている
実験小説といえばいいか 冷徹な科学的観察眼によってパリの日常生活における
ダークサイドを切り取っている
ハッピーな気持ちになることのない描写が続く 日本自然主義文学の大成者である徳田秋声の方法はそれほど冷徹ではない
もののあはれの精神や美意識がギリギリ感じ取ることのできる程度に
抑制して書かれている
これに川端が感銘を受けたというのも納得だ むしろ冷徹な目線を通じて美を抽出しようと考えていたのかもな 徳田の家系は伝統的な武家らしくてそういう意識を強く持っていたのかもしれん
文章からどことなく漂ってくる武家の品格臭(謎)がある
これは志賀直哉もそうだが
潔さというのかな 芥川の短編を貶しているときの徳田はあまり潔くないな、と感じたけど
実際の感想だったのかもしれんな 美意識や潔さはいまひとつだが人柄は良いのだろうなあと感じるのは菊池寛 なんだかんだで志賀直哉が良いな
この独特なオーラには圧倒される 隙はあるが無駄のない文章表現しか使わない
テクニックなど度外視で、無駄の無い文字とリズムだけで構成されたような
洗練度の高さがある 自分と対象との関係性を完全に見据えてから
無駄をそぎ落とすようにして書いている
すべての文章がそうなのだから圧倒される それで浮かび上がってくるのは志賀直哉の純粋な気分なのである
心境のことだ
自分の境地だけで書かれた小説 この手の心境小説は別に感情移入するまでもなく
書き手の気持ちはある程度伝わってくる 小説は別に作者の気分や気持ちを描くものでもないがな 小説と大説を分ける習慣が日本にはないが
「流水大説」では個人規模の話をすっ飛ばして
世界の無茶苦茶な展開を見せているものの
作者の気分はなんとなく見えてくる 流水は少し頭のネジが飛んでいる作家で
小説の数十倍の量だか、ビジネス書を読んでいたらしい
獅子座特有の荒唐無稽な我欲オーラが出ている
情緒もクソもねえ!と突っ込みを入れながらでなければ読めないシロモノだよ ビジネス書ってやつを俺は読んだことが一度もない
そもそもビジネス書が何なのかも知らない
興味を持ったことはあるな
でも読めなかった 自己啓発本はすごい数読んでいるはずだがな
あれもビジネス書なんだろうか?
精神的に忙しくないときにしか読めないだろ自己啓発書なんか 現実的な性格の人ならば小説よりもビジネス書だろうな
なんせ日本という国は今や経済大国だ
国家の運営を金で賄ってんだよ
金と人の命とどっちが大事なのか
よく分からなくなる ハワイとグワムの区別もつかない俺だがな
「旅行」となると話は別かもな グワムではなくてグアムだったか
グアムのココス島のイメージが脳裏に焼きついている
別に俺はここに旅行で行ったわけではないが 旅行が俺は大嫌いだ
それはなぜかというと大抵は「乗り物」が必要だからだ
乗り物でゲロを吐くとかなり不快になる 俺一人だったら別にいいんだが
ゲロゲロ平気で吐き散らすし
問題は俺がゲロを吐く行為により、周囲の人間に撒き散らすであろう
公害についてだ 公害問題と俺自身のゲロとを結びつけるのはかなり暴虐的なんだが 公害問題でゲロを吐きながら無残に死んでいった人の手記を読んだことがある
どの公害だったのかもう覚えてないが
問題は公害ではなくゲロなのかもしれない・・・と俺は思った
これは不合理な判断かもしれない 不合理な判断をよくやらかす
そういう人間が幅を利かせるとだめだろうなとも思う
計画経済が狂うからな ドストエフスキーもゲロの不合理さを意識していたのかもしれん
あれも蠍座だから
恐らく計画経済を憎んでいただろうし・・・
それで、ラスコーリニコフは最初から意味不明の計画を企てていたのである
俺には理解できん発想だが カミュも蠍座でドスト信者だったな
カミュのいう不合理は俺にとっては御馴染みだが サルトルとカミュは微妙に相性悪かったな
サルトルはサルトルでゲロそのものの意味ではなく吐き気の恐怖に耐えていたのだが ヒトデが自分の内臓を日干しして休憩するのだが
グロテスクなようでいて不合理さはなく温かみがある比喩になっている
ヒトデが内臓干すのとヒトが内臓干すのは本質が違うからな
人間はいくら不快で気持ち悪くてゲロを吐いても内臓が裏返らない 人間は憎みあうし愛し合いもするだろうが
ゲロは不快だ
ヒトデはゲロを吐かないだろうし内臓を裏返して休憩するだろうが
ヒトよりも愛が強いように思える ナマコにも内臓を裏返すやつがいたっけな
あれは何なのだ・・・洗っているのかもしれないな
腸まで裏返せるならば綺麗に洗えていいだろうな
なんせ周りが全部塩水だからな、洗える
乾かない塩水だ ゲロを吐くときは相変わらず不快で
苦痛をごまかすためにいろんなおかしなイメージが沸いてくる 汚物のイメージ、病苦のイメージ、が定番だが
ほかにもピンクの角砂糖がセックスしたり粘液と化したエアコンにミミズが
たくさん張り付いているような意味不明のイメージも沸いてくる
痛いイメージはあまりないのが救いかもな
ともかく気持ちが悪い 粘液と化したエアコンにミミズが張り付くのは
俺の脳みその髄液をウイルスから守ってくれているのだから
毎日イヤホンで雑音を塞いでいることを
おいなりさんに御免なさいしないといけないよね、などと
いうような意味不明のイメージが沸いてくるのである 生理的な気持ち悪さと概念としての恐怖と
あまり明確な差が分からない
小さなレベルでの同化だの異化だのよくわからんが
そういった活動は常に進行しているのかもしれないからな 惑星の運動から生理の活動も逃れられないことを知ると
生産や消費の意味も分からなくなってくる
バタイユは太陽に何かを見ていたらしいが
俺は太陽をあまり見ていない 太陽は直視できんから
光や温かみをわずかに感じるのみか
ゴッホは太陽を見ているなと思うが
ゴッホは何か自己を燃やし尽くそうとしているな そうだ、対称性を保っているのも神経の作用だろうな
人間の内臓は左右対称とはまるで違うのに シャフトという会社のアニメに「シャフ度」という表現がよくあったな
出てくるキャラクターが顔を斜めに傾けた変な絵が頻繁に出てくる
あれはもしかすると地軸の傾きや内臓の非対称性といった
人間が本質的に抱えている違和感を皮肉った表現なのかもしれん シャフ度が出たときのキャラクターの心理にばかり目が行っており
「この会社、視聴者(オタク)のことを見下しているのではないか?」などと
よく思っていた
作り手に見下されている、と思った時点で負けのような気がして
他の解釈をいろいろ想像したりもしていたが 科学の進歩観が強い頃の未来像ではもっと進んでいただろうがな 1/1〜1/5まであほみたいに酒を飲んで
そこでやめようと思っていたが寒くなってきて
まだ酒を飲んでいる始末 志賀直哉を読もうと思ったのは確か9月か10月あたりだった
それまではフリーゲームをプレイしていたのを覚えている
円城塔を読み返したのがきっかけで何か異常な不快感に襲われて
数学をやり始めたんだったな
自分の発想が最近理解できない 二項定理をしつこく復習していたのだが
数学になると相変わらず何が何だか分からない 人間というのは自分が感動できることにしか興味を持たない生き物で
それは寂しいことだなと思う
志賀直哉は生き物の寂しさをよく書いていた
人間がそれに含まれているのかどうかは分からない 昨年の夏
雨戸にカマキリを挟んで殺したときに「ああ、やっちまったな」と思ったんだが
内臓が出ていてまだ生きていたので観察していた
ハリガネムシは出てこなかった
雨戸を閉めるときにも虫の有無を確認できるのか?というと
難しい
俺はいちいち確認しとるが 蛾がよく集ってくるから
最近はフユシャクを見たな
フユシャクは冬にしか活動しないはずなんだけどな
なぜか光に集ってきた
意味が分からなかった 虫の知識は昔はかなりあった
でも最近は区別がつかなくなってきてる
平安時代にはトンボとカゲロウの差も曖昧だったらしいが
分かる人には分かったのだろうね ゲームをやるにはプログラムについて意識しなければ面白くならない 体育会や演劇のように或る程度の演目が決まっているわけです
決まった中で競い合う
ゲームを作る人はできるだけ相手を楽しく騙す方法を競い合う
プレイヤーはそんなことはいちいち気にしてはならない
暗黙のルールか 太宰治が志賀直哉を攻撃していた理由はなんとなくの水準で分かる 落し物を拾ったら元の持ち主に返さなければならない
それが元はどこにあったのか不安だからな すべてを元の場所に返すことでようやく心が落ち着くだろ
西洋ではそれを元素といった!
まさに狂気 >還元(かんげん、英:reduction)とは、対象とする物質が
電子を受け取る化学反応のこと。または、
原子の形式酸化数が小さくなる化学反応のこと。
具体的には、物質から酸素が奪われる反応、あるいは、
物質が水素と化合する反応等が相当する 意識が朦朧としていると何もかも意味不明で地獄だなと思う
でも地獄は俺は知らんからな 最近は雑草をよく口に入れてるが
それほどの苦味はない
ただ草臭いからニ三度噛めばすぐに吐き出す
いかにも雑草だな、という感じの味がある
ネギやほうれんそうみたいに美味しくない 雑草には虫のクソや犬のおしっこがついているかもしれんが
農薬は使っていないであろうからな 雑草も人間の手で育て始めると種の選別で数が減っていくのかもしれんが
邪魔で抜いても燃やしても生えてくるから雑草なのかもな 鳥のヒナのえさみたいにすり潰して水で流し込めば大したことはないな >>461
精神的には1:1が理想かな
しかし物質量では還元反応式の比率と等価になったりするからな 化学の発達していない錬金術実験の時代では等式もわからず
精神の比率と物質とのバランスで苦心してよくおかしな幻視を見ていたらしいが シャーロック・ホームズは植物・・・というよりも毒物や化学物質の知識が多かったな
自分で自分に合った麻薬を調合できたのかもしれん 嫌でも集団で精神的苦痛を共有しなければならなかった原始宗教の時代では
儀式によく麻薬が使われたらしいな なんせ自然と人間の区別が付かないのだから
意識が混乱する
意識が混乱していると生活が安定せずに精神に激痛が走る
痛みの緩和手段が必要であった 当時にモルヒネやらヘロインなどという洗練されたものはなかっただろうな シャーマンでも植物的知識がないと毒虫に刺されたときにそこら辺の雑草を
無作為に飲んだり
傷口に塗り込んだりしていたのかもしれない 何にせよ精神の安定を植物に頼る
動物よりも植物のほうが物質的身体を自然に委ねているのだから
動物よりも植物のほうが「痛み」が少ない、と考えるのが自然である ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています