発狂ゲロ雑食動物
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カトリック神父の説法動画をたくさん見ていた
特にどうということはない 知性と悟性を同じようなものとして捉えると神の模倣にもくだらない類推を用いるようになる プラトンからデカルトまでの観念論の変遷を調べていた
ある面では死に体であったプラトンのイデアをデカルトが復活させているが
同時に意味を改竄している あとレオナルド・ダ・ヴィンチの手記をしつこく読み返していた ダヴィンチは科学的観察のプロだが人間全般に対する辛辣な批判も多く残している ダヴィンチは天才というよりも極端に自分の経験と才能とを結びつけて世俗から距離を置き努力を続けていた
観察への執念が凄まじいわけである 智慧により精神を高めることが善であり身体的な苦痛が悪であるといっている カトリックでは憎しみと傲慢は精神面における重罪だとされている 精神と身体が別の次元にあると考えた方が自然だなと最近思うようになった
精神と身体の合一次元というのも確かにあってそこでは対立しつつ和解もしている 人は似たような事柄に対しても生まれ育った環境によってバラバラの連想形式を身につけている
これはほぼすべての環境に依存している
連想から心象を生み出してはじめて主観的判断に至る
こういったものはほぼ自動で埋め込まれている デカルト以降、世界が単なる人の主観とその認識対象になってゆきある事柄を説明するのに
自分の主観にある観念を分析しながら語るのが当たり前になっていった
ここには神の出る幕がない 客観世界の根拠を科学的事実に置くのも普通になっている もともとプラトンのイデアは人間の感覚を超越した不動の実体である
プラトンの教え子であるアリストテレスがこれを批判的に継承することになる
つまりイデアとは感覚的な事物を勝手に永遠のものと措定しただけのものではないか?
と疑うことから始まる デカルトではまず自分の思惟を感覚から切り離している
この段階でまずぶっ飛んでいる
身体から思考が独立した 幼い頃から病弱だったデカルトは何度か死に瀕した体験があるらしいが
自分の身体に対してどう考えていたのだろう デカルトのは屁理屈ではなく霊感のレベル
高次元の思考 魔女狩り異端審問でおなじみのドミニコ修道会だが創立者の聖ドミニコは清貧を貫いていた
カトリックが正統派であることを貫こうとするあまり多くの野心家をも生み出してしまったのである タイタンクエストで遊んでいるがニンフの召喚がたまにしかできん
何なんこの糞バグ
仕方ないからミスティックでニンフ解雇して狼の強化に回した
リッチキングと狼だけでゴリ押しだ馬鹿め! 茨城の一家殺人、犯人捕まったのか
面識無しだったとはな タイタンクエスト大分前から定期的に遊んでるがイライラしてすぐにデータ消すから最終周まで
進んだことがない
ビルドの組み方でいつも迷う 知的とは縁のない俺だが知性の活動を馬鹿にはしていない 感覚と知覚の間に知性を置くのが一般的な捉え方なんだろうか 知性のみが唯一神と人とを通じさせている、そういう捉え方もある 神それ自体が人間の自己意識の弱さが生み出した彼岸的存在という感じもある
しかし何にせよ知性は神を模倣する なぜ知覚には一般化法則があるのか不思議でならなかった
感覚はそのものしか捉えることができんが 形而上神学の伝統でいうとアウグスティヌスがイデアを神の精神と結びつけている デカルトでは感覚から切り離された思考が私として表象されているのだが
そもそもデカルトにとっての観念とは思考そのものの作用や様態も指している
ここが複雑なところ 観念を観念するという構造になる
現代のメタ認知もここに起因している デカルトはイエズスの学校で学んだが敬虔なクリスチャンではない
当時の神学や宗教の重要性を鑑みて慎重にその文脈の上で活動していただけ
己で定めた格率にもあるように自国の伝統や習慣は守っていた デスメタルばかり聴いて神経がやられてきたのでTHE WHOのTOMMYを聴いている
とても1960年代とは思えないコンセプトアルバムの名盤 哲学書なんか微塵も読みたくねえが気になることはたくさんある 高校時代は岸田秀の唯幻論に洗脳されていたので今でもその文脈で物事を見る癖が残っている 人間のナルシスティックな側面から私的幻想と共同幻想の関係を読み解くという思想だが
これの発想の根幹はフロイトの社会心理学だ 現代では知性が学識や知能、脳機能に関連付けられていて理性は感情や心情を抑制するといった
ニュアンスで受け取られている
知性を辞書で調べると、人が物事を理性的に判断する際の心の働き、と書いてあった 西洋で一番広く読まれてきた書物は聖書でありその次が原論となっている
原論はユークリッドが記した数学の公理や定義集のようなもの
ユークリッドは言及していないが原論の発想の根幹には光学があるのではないか、という説がある ユークリッド自体が光学に言及した最初の学者といわれているが
原論の中では光学との関連性が説明されていない 最初に機械論の見地から光を粒子として捉え光学に意味づけしたのがデカルトである 様々な数学の新しい方法論や解法、科学的方法の基礎を編み出したデカルト アメリカの哲学者パース(プラグマティズムの発案者)がいうにはリスティングの編み出した
トポロジー(位相幾何学)にも光学の発想が当てはまる 現代幾何学ではユークリッドと違い点を分割不可能な空間として捉えるケースが多い
粒子についてはある空間において点として位置を占める運動可能なものと捉える
微粒子など人間の目には点にすら映らない 宇宙が曖昧なものから確定的なものへと漸次的進化していると考えたパースは
自分の考えが明確にならないことについても太古の曖昧さに原因を求めている
潜在性のある曖昧さ 曖昧さの中に潜むものを知性が光の運動に擬態して探りだそうとしているのかもしれない
数量的データは知性の作用を数字のもつ自己訂正機能により補ってくれる 数学が知性の光擬態による曖昧さの探求であることを知った俺はゲーム感覚で解析学をやることも可能だぞボケが!!!(発狂) この陳腐な思いつきもまた、人間のナルシスティックな一面を如実に反映したものである
自己愛を破棄するぞ
自己愛を破棄するぞ
自己愛を破棄するぞ 真の愛が存在すると仮定した場合、そこへたどり着くために際限なく自己愛と戦いを繰り広げることが想定される 西洋では魂の救済を前提にし、盛大にやった
人間の弱さがすべて顕になった イスラム過激派がエルサレムにロケット発射しただと
発想がドライすぎるぜ 神の性質が律法とが結びつきなおかつそれの拡大を目指すのだから契約遵守のドライさを身につけざるを得ない アウグスティヌスの神の国長過ぎるだろうこれ
一冊にまとまらないんかい
仕方ないのでアンセルムスを読むか カトリック的にみれば俺は多くの罪を背負っているが自分が悪いと感じていない
これもまた罪なのだろうな 不当に他人を傷つけるのは悪いと感じるがお互い様だと思うと悪いとも思わなくなる
憎しみにせよ相手を害さない限り悪いとは思わない 神学のパワーにより知性の力を少し信じてみる気にはなった
しかし理性は大して信じていない 知覚と感覚は混同しやすいが恐らく別物である
単純に知覚の束や神経の催す現象として知性を捉えるのは安易である 神経が信号を伝える速度、これが物質的次元の特性からやたらと速い
刺激情報が符号化される刹那、精神次元との境界で何かが起こっているはずである
印象にまつわる何か 知性の光ごっこが始まるぞォ!
知性の光ごっこが始まるぞォ!
アーアーアー われわれはー 愛憎の枷をコワしー 知性をもってウチュウノ
呪いと対決せしめんがためぇ アーアーア おそれをもって神につかえー
ブワ嗚呼ああッッ 連想は自動的であって自由意志とは関係がない
例えば、カワウソの赤ちゃんが水ようかんの大政奉還によりテレビに雪見だいふくを詰め込んで
トランプ大統領がメガ盛りの下痢をしたら脳髄の基本アクセス無料ですと言った場合にジャンボ機は
一口サイズになり得るか?といった問題でも森の仲間が猛暑で発狂死をシンガポールである アーアーアー レア装備 特盛りですよぉ
ハクスラ脳死のデスメタル祭りですよぉ
ブワ嗚呼ああ
わああああああ
イライライラ
部あああああ ニンフがたまにしか召喚されねええええ
神の怒りを買ったのかこの糞システムぶわああwwwww >>74
bnkijhbgfhkkuhghjbgh 伝統的な知性についての考え方はアナクサゴラスとピタゴラスまで遡る アナクサゴラスの考える知性とは原初の宇宙に秩序立った運動をもたらした力のことである
ピタゴラスになるとこれを数学的原理として解釈している カント以降は知性を感覚的直観と同じように捉える思想が多くなったが
知性の伝統は長い アリストテレスでは知性が受動と能動に分けて考えられるようになる
すなわち、
感性や感覚に基づく受動的知性
感覚に依存することなく事物の本質を捉える能動的知性
とがあり、特に能動的知性は人間にのみ備わったものであるという解釈をした 宇宙の秩序を保持しているゥ力としての知性を主に見ていくことにします アリストテレスが大先輩であるアナクサゴラスの知性論を見て最初は精神に即したものを
期待したらしいが蓋を開けてみると機械論的な意味であった 宇宙原理としての知性には合目的性があり種子の渦巻く原初の状態に旋回運動を引き起こした 記録にある最古のギリシャ哲学者はタレスだがおそらく彼はエジプトの自然学から着想を得ている エジプトが砂漠化する前にはかなり豊かな精神文明が栄えていたという説もある
おそらく数万年は遡る シュメールやアッカド神話に出てくるアヌンナキという神々が宇宙人だったというオカルト話がよくあるが
俺の想像では宇宙の知性とつながりを持っていた初期の文明人ではないかと思っている こないだ焼肉ライクの有線で最初普通の80年代ハードロックで中盤から反復基調のプログレみたいになってでも音はちょい前のラウドロックくらいの質感でかっこよかったんですけどなんて曲ですかね
直前にかかってたのはバッテリーだったんでそれくらいの年代ぽいんですけど
その中盤で有線他のチャンネルになってダフトパンクとかになってしまったんですわ
有線のサイトのハードロックチャンネルで片っ端から今流れてた曲探してみたんですけどなかったんですわ >>87
その条件に該当するような曲を頭の中でイメージしてみましたが
なぜか一曲も浮かんできませんでぢた
まことにすんません…… ラウドな音の普通のハードロックという時点で候補が浮かんでこない
バックチェリー系の音なのかなあ ガレージロックリバイバルのホワイト・ストライプスみたいなのも聴きようによっては
ラウドなハードロックに聴こえる 最近デスメタルばかり聴いている影響で以前聴いていた音楽が大半忘却の彼方に追いやられてしもた 俺の中で普通のハードロックというのはディープ・パープルやモーターヘッドとして定式化されている
アメリカで流行ったのはそれら文脈とはかけ離れてしまっている
ラットやモトリークルー、ボンジョビでさえも普通には到底思えないのだ 普通のハードロックというイメージが70年代しか出てこないのが問題なのかもしれん
つまり俺の認識の問題 ラウドというと初期KORNやKSEみたいなのが浮かぶ
プログレ展開というとyesやジェネシス、ドリーム・シアター……
だめだ、何も出てこないwwwwwwwwwwww 自分のイメージがどんどん貧困になっているのを感じる
頭の中で定式化されてしまうのね つまりディープ・パープルとyesとKORNが混ざったような音を思い浮かべていた ぎりぎり妥協してデフ・レパードは普通のハードロックだな
NWOBHMであることを自ら否定していたらしいし
デフレパードは後の80年代ハードロックに決定的影響力を持っている
ここから算出していくか… デフ・レパードのパイロマニア以降、ニルヴァーナのネヴァーマインド以前…
普通のハードロック… 普通の…普通の…普遍的な…一般的……よくあるやつ… 人によってはメガデスも普通のハードロックというからなあ
普通というのは難しい というかパンテラやニルヴァーナもブラック・サバス回帰と捉える人がいる
ハードロックらしさの基準がどこにあるのかよくわからない ブルース基調のコードでギターがやかましくややサイケ掛かっており
ヘアメタル、グラム的な軽さも持ち合わせていて尚かつラウドでプログレっぽい展開もある…… スラッシュメタル四天王のアンスラックス、Volume8というアルバムで
普通のハードロックになったと捉える人もいる
ほかにもエクストリームを通過したバンドがサザンロック回帰したときに
ハードロックになった、とかいわれる アメリカでは南部黒人の歴史からサザンロック=ハードロック的という捉え方が通例になっているのかも https://youtu.be/KwWfl-o0hG4
モダンヘヴィネス化した頃のアンスラックスだがハードロックに聴こえないこともない ひねくれ系のストーン・テンプル・パイロッツでも普通のハードロック言う人もおるんや
ストーンサワーならまだ分かる オルタナやグランジの洗礼を早い時期に受けていると普通の感じ方は変わるのかもなあ 普通
普通
普通…
あああああああああ
ブア嗚呼ああッッ レッド・ツェッペリンの2ndがハードロックの王道という感じがあるが個人的には
ディープ・パープルやモーターヘッドが普通のハードロック
ジェフ・ベックの1stや初期FREEもぎりぎりハードロックか
ブルースロックとの差が今ひとつ曖昧 アメリカンでもY&TやZZtop、初期エアロスミスなどは普通という感じがある デフ・レパードとホワイトスネイクの延長まではぎりぎり普通
ホワイトスネイクでもサーペンスでは垢抜けすぎて少し普通ではないかも メロディアスハード、プログレハード、AOR、産業ロック的なニュアンスが加わると普通には感じない アウレリウス・アウグスティヌスとカンタベリーのアウグスティヌスの区別が未だに曖昧だ
たぶん二人いることを知らない人の文章を読んでいたせいか 1500年近く前のカトリック聖人を日本で常識として教えているわけもなく 古い方のアウグスティヌスは最初マニ教の善悪二元論に傾倒していたがそてが真理かどうか
疑わしく思うようになりキリスト教に回心した 人間は思い込みの生き物だ
万物みんな知性でできていると思えば寂しくない イスラム教を信仰する欧米人が増えているらしいな
分からんでもない 世俗権力が乱立してイスラムが欧米化しかけていた時期もあるがそれで国は豊かにならず
回帰運動が起こった
欧米も基本的には宗教の世俗化から近代へ移行していった マホメットの思想に柔順であるならば同胞に対する平等主義が絶対だ
分け与えなければならない キリスト教は厳しい契約、戒律ないかわりに努力を求められる 求めよ、さらば与えられん
それにはまず、求めるより与えよ
うううううう
アビャアアアアアアア 固有名詞助かる!
ありがてう
あてぃしの「普通」が語彙力なさすぎンゴゴメンゴ
リンクのアンスラ曲は一歩間違えると
https://youtu.be/TvRp6zdG3Rk
くらいのハードなロックではあるけどハードロックでは無い感じどすね
有線の流れは80年代のヘヴィメタルではないハードロックで巷のロックTにありそうなポピュラーな曲が続いてたので90年代以降では無いはずですが中盤の音は00年代くらいのデジタルというか編集の雰囲気があったんですわ=ラウドと表現
スレ汚しサーセンしたっ もう一つだけすんません
一つわかったのは自分が思ってた80年代は70年代だった
(ハイウェイスターで) >>133
トナキンが知りたいバンドが仮にアメリカンだとしたら俺が知らないやつだと思いますね
自分が知っているのはわりとベタな文脈に沿ったものばかり
アメリカンといえばクワイエット・ライオットの大ヒットでメタルも大衆化して
POPSとハードロック、ヘヴィメタルの区別がないようなものが多岐にわたってありますし
ミクスチャー系にいたってはほとんど知らなかったりします リンクのクーパー・テンプル・クロース聴いているがぎりぎりハードロック感ある
うーん、難しい https://youtu.be/35ne9zJFJGg
変則的プログレメタルのEVENTというバンド
これでもところどころハードロックっぽいなと思ったりする
ブルースロック由来の渋みみたいなところかも わたくし、デスメタルばかり聴いていて感覚がいろいろ麻痺してますねん マストドンやゴジラのようなバンドもたまに聴いている デスメタルのせいで知性が逃げていく
知性を追いかけるぞモルダー タイタンクエストをしつこくプレイしている
召喚オンリーだと楽な反面自分で操作している感が薄いな ベースはギリシャ神話だ
オリュンポスの神々の前にいたタイタン族との戦い ゼウスを頂点に置く神話が確立する前の自然信仰に由来するのがタイタン
地中にいて怒ると大地震を引き起こすと考えられていた ギリシャ神話は基本的に様々な地域からの寄せ集めだ
史実と虚構をたくみに混ぜ合わせて神々と人との相関を描く ホメロスの頃の宗教観では神と人とは明確に区別されて死後は冥界で暮らさなければならないというものだった
そこへ神秘主義や霊性の思想がどんどん盛り込まれる オリュンポス宗教では伝統的に生贄の儀式をやっていたがオルフェウス教などはこれに反発して
殺生を禁忌としている ピタゴラス教団がオルフェウスに傾倒していたというのは有名な話
数学の考え方の違いから人を殺したという逸話もあるけど 神々と人が英雄の行動を通じて入り乱れるので善悪美醜入り混じって微妙にグロテスクな雰囲気がある 霊的な思想を導入してなんとか神々の世界とつながろうとした苦闘の痕跡が見て取れる 神々を擬人化しすぎているきらいがあるな
宇宙の知性と繋がっていればこういった無用な擬人化も必要なくなるのでは 知性に憧れるあまり宇宙人も流行った
人がいるのは地球だけである 人には認知できない形で知的生命体がすでに地球へ干渉しまくっている可能性もある タロットの大アルカナは物質次元とアストラル次元を繋ぐ魂成長の物語 アストラル体では宇宙まで到達できん
大気圏で阻害される 効果的に幽体離脱するとアストラル秩序を知ることができるんだろうが
それでは太陽系止まりだ 西洋魔術には洗練されたアストラル投射の技術があった 星気体投射ともいわれる
身体感覚を超えた秩序世界を見ることができるということで
熱心に研究されていた 科学が定量化の手法を選んでからは安定した物質的秩序に精神も引っ張られていった 曖昧模糊としたオカルトの世界も科学で説明できると思われるようになっていった
確かに現象としてのプロセスは多くが説明できるようになった 曖昧なものから確定的なものへのプロセス
能動知性による人為の介入 人間最大の錯覚である自己同一性
皆が自己同一性を基準に物事に意味づけ関連付けを行うと
自然からはどんどん疎外されていく けもフレを見てオナニーするのがお似合いだ ハッハッハ 神経ってもしかしてバラバラの機能をもった器官を強制的につなげる役割しか持っていないのかもな
植物のように高度な精神ネットワークを持てないから神経を働かせて動き続けるしかなくなった 神経の強制力が凄まじいのは痛みについて考えると容易に理解できるであろう
植物はそのようなものは必要としない 神経による強制統合は精神に不安定な状態を生み出した
安定化の方法として編み出したのが文化的記憶の保持と自己同一性 人間の動物的本能は半分壊れており文化的記憶と自己同一性をたくみに用いなければ
生存も困難となる つよいはずのリッチキングが召喚した途端一気にHPを削られて消滅してしまいます 一見感受性豊かで機知に富んだ文章だが読んでいると精神が乱れる
イメージの移り変わりが軽い躁状態特有のものだ 躁鬱では軽い躁のときが一番思考のフットワーク軽いから創作には適しているだろうな
鬱では何も出てこない 神経が仮にバラバラのものをまとめ上げるのに特化した存在だと仮定して 脳神経の巡らせ方が宇宙の泡構造とそっくりであることを考え合わせると そうだ、痛みは意識をまとめ上げるのに都合がいいんだよ
痛すぎると意識が混濁するが ユングの解釈では人が外に向かって見せる顔のことをペルソナという
外に向かって見せたくない顔を人はたくさん持ってるが 新約聖書マタイ6章24節
人は神と富の両方に仕えることはできない 資本主義がキリスト教世界で広まっていったのはローマ教会の財貨の蓄積に対する反発という要因がある 純粋に神の光を証すためにやってきたヨハネを思い出せ 知的障害や強度行為障害の人を見ていると単純に脳神経の機能障害にしか思えない
やはり知性は宇宙の方にあって人間は神経の作用を借りることで知性を扱わせてもらってるだけだな 神経を酷使して知性を扱ってきた経験が大脳を肥大化させてきた
人間にしか知性がないというのは誤りだ アメリカの反知性主義というのはエリート主義批判から来ている 強度行為障害の人と1年ほど接していたことあるが自分の気持ちが伝わらないと
自分の手を噛んだりよだれをなすりつけてきたりした
色々もどかしいのだろうな 俺は自分の気持ちが気持ち悪いので他人に伝えなくて済む方法を探していた 安易な答えに頼らず常に問い続けることが知性を伸ばすのに一番いいらしいが
俺などは連想から短絡的に答えを先に引き出そうとしてしまう 全部アメリカのせいですよォ
全部アメリカのせいですよォ
全部アメリカのせいですよォ 人間が神経を働かせて扱える程度の知性がすなわち能動知性 人は自然から多くを学んだといわれているがそもそも自然は巨大な知性による推論体系なのである 知性で自然を制御できるというのは途方もない思い違いだ 自然や宇宙様からお借りした知性を使わせていただくという感覚 わたしの魂が痛みを訴えているとき、それは自然様への感謝を忘れているときでした 魂と知性にたいする明晰な知見を得て、さっさとこの宇宙から出ていくぞおおお!!! 借りたぶんを返さないことには出してくれないんですよ
人間は自然から借りた知性で身勝手に人為的な調和をみいだしてそこへ逃げ込んだ 貸主 自然および宇宙様
借用知性 文明約100個分
1 人類はあなたより文明約100個分の知性を借り受けました。
2 返済する目処は立っていませんが、努力はします。
3 利息は取らないでください。 押井守が映画イノセンスの頃、人は自分の再生産しかしてこなかった、というニュアンスのことを言っていた これはおそらく自己同一性を中心にしか文化資本の継承を行えなかったことに対する苦言なのだろう 自分の得てきたものがもともと誰のものであったのか分からず操り人形のように自分を感じたりする 文明未発達では自然が畏怖の対象となり研究が進むと崇高なるものとなり科学が発達すると
観測の対象と化す 日本では大規模な森林破壊をやった経験がなく未だに畏怖の対象としてみている節がある なんだこれ
一回しか押してないのに二重投稿になってら 研究が進むと崇高になると書いたが数学的には数多性の面で、力学的には威圧感の面でそうなる 数とパワーを知能でコントロールするゲームとして世界を捉えている人もいるようだ
ド直球やな 人間の性質までパラメータ化される
サイコパスの色相濁ってくる ギャンブル依存の精神状態は理解できんが実質数学の実験に巻き込まれている 理系エリートの世界にはとんでもないキチガイがひしめき合っているからな デカルトは数学が大好きだと自分で書いている
それでも幾何学を捨てた
デカルトが幾何学を捨てたのは失敗だとパースが非難している パースの記号論は宇宙の知性を利用した論理学の拡大である 人間の観念や表象のレベルで理解を試みても無駄
凄まじい電波思想 パースの父親は当時のアメリカにおける数学、物理学の権威でもあった
自分の父親の理論に独自の数学観で挑んでいた 幼少期からエリート教育を受けたパースは当時の大学教授たちを相当レベルが低いと感じていたようだ デカルトも数学、論理学を熱心に学んだ
両者に共通するのはより真理に近い普遍的な学問の創生 パースが関係項の論理学と銘打ったものの解説を見ていると独特の論理システムを持っている
普通の文法的理屈が通用しない この関係項の論理学は凄まじい発見のようにも思えるがまだ理解できていない 宇宙の知性にまつわる何かであり人間の思考の及ばないところがある 第一性…無限の多様性
第二性…二つの第二性
第三性…第二性的な存在の変容 通常の論理学では類を扱う
実在のものではなく可能的なものとしてだ いわゆる抽象的な類似性を見るのが普通の論理学
関係項では関係一般、すなわち体系をみる 宇宙における同一性とは何なのか、連続性とは何なのか、というところまで話が及ぶ わたしは雑食の動物でニンゲンといいます
他に似ているのはサルという種族です ここでいうわたしというのは一般的な種族としてのわたしです そのうちニンゲンも絶滅の渦に飲まれて消えるのでしょうがそれまでは頑張りましょう 近代科学の源流は自然哲学だといわれているが、初期の自然哲学というのは自然観と宗教・神話的思想の対立から生まれた 科学の定量化が加熱していったのはニュートンの機械論としての自然観が広まって以降である
これに産業革命が被さり一気に推し進められる 顕微鏡の発達により細菌が発見されたのは1800年代末のことで、それまでは生命が自然発生する説を
信じる人が多くいた ベルナールによって臓器の機能も定量的に研究された
酵素やDNAの発見は1900年代に入ってからになる 機械論的自然における自然科学として勃興した熱学、電磁気学、光学、ダーウィンの自然淘汰説をアレンジした進化論など これは人間の知能の進歩というよりも機械による定量化が人に知性の扱い方の変更を要求したという
見方が妥当に思える 帰納的推論に用いられる数字の訂正作用により人の認知や精神も引っ張られていく
数字の威力は凄まじい 産業革命以前の法の世界でも人間の様態を型に嵌める人間は多くいた
モンテスキューなどはその代表である
人間の一般精神を法則化し三権分立の定式を編み出した
これは今の日本でも当たり前に行使されている モンテスキューは法官貴族でありイギリス国王の恣意的な権力行使を牽制できる立場にあったというのが大きい 近代政治学の流れ
マキアヴェリ→ボーダン→ボシュエ→モンテスキュー→ヴォルテール→ルソー
あるいは
マキアヴェリ→ロック→ヒューム→ベンサム→ミル イギリスで産業革命が起こったからイギリスの科学力すごいというのは間違いである
あそこはいつも戦争しまくっておった
火薬や羅針盤などは中国の発明なのだしイスラーム科学からの使いまわしも多くある
イギリスがすごかったのは実務家の行動力 製鉄技術の純度や精密な論理的思考などたしかに世界トップなところもあるが 市民革命の先導者であったピューリタンにせよ神学的思考による論理性は重んじていることが多い
宗教的立場が先にあると論理的にもの言わざるを得ない 日本人にとっての合理性や論理というのは輸入物に過ぎず宗教的な根っこが無い 何を広めるにせよ身内で通用するかどうかが大きな指標となる アメリカンに対して特定の文脈沿った上で自分を過大にアピールしてもそれなりに通じる
日本ではまず受けない アメリカンはまずアピール能力優先でそれがどの文脈からやってきたのか疑問を持つ 日本は文脈自体が習慣依存になっている
文脈とアピールが連動しているわけである 機械論者「お前が知性だと思っているのは自由電子の擬態した姿だ」 黙れサタン
神の光である知性を冒涜することは許さん
わたしにはヨハネ様がついている 助けてモルダー捜査官
デカルト「モルダー捜査官は錯覚」 ベルサイユの薔薇を読んでもフランス革命の悲惨さは分かりませんゾ 美談よりも悲惨な面からしか読むことができない
革命で自由をつかみ取るというのは苦肉の策に過ぎない ゴキブリという文字列が気持ち悪いだと
だったら紛れさせればいいのだ ゴケボリ
ゲコバレ
ガキブル
ゴカベラ
ゴキブリ
ギクボル
グケバル
ガコベレ 完全な聖俗一致でありいかなる個人も集団も主権を主張することができない
神のみが立法者であり変更、修正は許されない
政府がこれを無視した場合は一切の拘束力を持たない カリフはもともとムハンマドの代理に過ぎないのだが国が大きくなりすぎて神の代理を務めることもあった ヘーゲルも若い頃はフランス革命に期待して熱狂しとったんやな
のちのジャコバン恐怖政治期に絶望することになるが 暗夜行路は通して何度も読んだがさすがに飽きた
晩年の老人雑記のほうが面白い アニメも見るのやめちまったしな
麻枝×paworksの新作もリゼロの二期もまったく知らない リゼロの一期は面白くて繰り返し見ていた
ノゲノラも好きだった リゼロ最初は糞アニメ化と思ったが発想が斬新だった
強制セーブポイントからの連続死 架空西洋で愛の残酷さを味わう主人公の悪あがき浪漫活劇 キャラクターがかなりラリってるけどな
ついてゆくのがしんどいレベル 予告映像でクルシュが腕切断されているのだけ見たな
また人肉バラバラの血まみれ大惨事なんだろう 架空西洋で造詣が浅い分キャラクターの変な癖が前面に出ている シャーロットまでは確かにアニメを楽しめていた
シャーロットがきっかけだったのか
あの作品は賛否両論すごかったな デカルトのたとえ話に始まって異能ギャグから中二病一大叙事詩と変貌していく
ラストは限界きたして記憶喪失エンド 麻枝よくやりきった、という感覚がある
あれで一気に脱力した
感動とかではない あのあと麻枝が心臓悪くして大変だったらしいがまた新作出してるし エンジェルビーツの頃からヤバ目の領域に突っ込んでいた
泣きゲーもキャラクター少し描き方がまずいんだよな 純粋さと病的な何かの間を縫って進まなければならない 新作は「神様になった日」というタイトルだ
発表後いろいろ酷評受けて失踪したという話だがよく知らない ユダヤ教、キリスト教の終末論部分は明らかにゾロアスター教から来ている 古代ペルシャがどの文化圏と通じていたのか調べてみるか ゾロアスターでは人間の身体が善神たちの庇護下にあり死体になってもそれは変わらない 宇宙の始まりから終わりまでが1万2000年で創造、混合、分離の時期に分かれている
善神アフラマズダによる創造の時期が最初にあり、悪神アンリマユの攻撃が加わると
混合の時代となり善悪が入り乱れる 原イラン宗教がルーツとされているな
多神教の時代か アトランティスやシュメールを世界宗教の根源とするオカルト陰謀論チックな説に昔は心酔していた
浪漫派オカルト シャルル・アンリ・サンソン
フランス革命期の死刑執行人
人類史上二番目に多く死刑を執行した人物とされている
中身は平等主義者、死刑廃止論者
なんたる皮肉 王党派でルイ16世の信奉者だったが自分の手で処刑することになってしまう サンソン家は医師と死刑執行人の役職を担っていた
死刑後の遺体を解剖して医学の研究も行っていたという 幼いルイ17世を虐待死させたシモンも元凶のエベールものちに政権争いで処刑されている 帝政期のパリも底辺は相当ひどい状況だったらしいな
ゾラの『居酒屋』でもその一端が垣間見える ベンヤミンのパサージュ論でパリに興味持っていたがああいうイメージとは異なる 現代の都市空間の思想においてはパリの影響がかなり大きい
近代パリの鉄鋼とガラスの用い方は革新的だった パリの百貨店の構造やファッション商戦みていると影響力が如実である 世界最初の百貨店デパートがおそらくパリのボン・マルシェだろう
1850年代のこと ガラス張りの建築スタイルはまず光を通すことで開放感を与えて視線に満足感を与えた
視線の通過性が大衆文化に与えた影響が計り知れない 近代建築の織りなす光のトリックの前に神の救済の光もなりを潜めていった 視覚面でいえば写真や映像の発達が一番の影響力持っているが 俺などは宇宙にせよミクロの世界にせよ写真の印象に洗脳されている 近代建築に彩られた都市の発展は大衆の視線ひいては知覚に大きな変容を引き起こした
見ること、見られることに慣らされていく
そして見ることへの欲望は複雑になってゆきそれまであった都市の象徴的な中心は消えていくことになる 見ることへの快楽はその次にパノラマ写真という形で開花する
パノラマの登場は飛行船の発明と時を同じくしている
パノラマはヨーロッパに一気に広まった 写真は外界の出来事を捉えるというよりもイメージの世界を現実化させていくという側面のほうが強い
現に写真の印象により様々な出来事が現実化されている そもそも外界にイメージは無い
社会の記録機能として写真が選ばれただけである 出来事を生み出すためにメディアは今でも写真を利用し続けている 視覚のカオスを生み出すことで人の欲望を変質させるという側面から視覚文化を見るのは面白いが
これもまた単なる欲望である 第二帝政期のフランスは自由主義と近代化、好景気到来の影響で良いイメージあるが実質クーデターによる強権政治だった ナポレオン3世による街の徹底した区画整備によりパリが清潔な都市に生まれ変わっていった 多くの住人は郊外へ強制立ち退きという形になっている 急速な近代化は貧富の差と新しい階級意識の溝を生みだす かつて貴族やブルジョワジーが見ていた夢が一気に廃墟と化し突如現れるガラスと鉄骨の近代建築 人々の視覚を幻惑し新しい欲望を次々に呼び込む
消費とモードの前線基地と化したパリ 好景気の影響もあってかナポレオン三世はお花畑じみた理想主義にも寛容であった
それは街の景観にもあらわれる 機械による定量化、都市改造による幻惑
もはや神の出る幕がない 人の記憶は身勝手なもので都合の悪いことは風化させていく 自然の推論作用が文明を砂に変えるということはありえるかもしれない 物理学的にいえば光はただの電磁気の波だ
あとから粒子の性質と波の性質を併せ持つといわれるが イスラムの学者イブン・アル・ハイサムの書いた『光学の書』がヨーロッパに与えた影響が大きい
ケプラーやニュートンも大いに参考にしていた 産業革命からまず派生したのは熱学である
いわずもがな蒸気機関を扱うときに熱とパワーの互換性を知らないと話にならないからだ 電池は1600年、ヴォルタによって発明されていたが電流の周りに磁場が発生することが分かったのは
1800年代に入ってからのことである 磁場の変化から電流を生みだすことに成功したのが1831年
これにより発電機とモーターの基礎理論が完成 オームの法則も同じ頃に発見される
電磁気学の基礎理論が揃ったことにより光の研究も進むことになる 電磁気や熱学の研究には現象を引き起こすための装置が必要であるため実験科学の機械化も加熱してゆく 19世紀に入ってからの西洋の追い上げがすさまじい
まるで芋づる式に新しい理論がポンポン出てくる インターネットの元ネタとなったのは冷戦時代に使われていた情報戦略用の通信システムだ これにハイパーテキストの思想がくっつく
アメリカのお家芸である 俺は人並外れて心が弱いのでいろんなものから悪い影響を受ける
グロ動画やデスメタルなんぞ本来触れたくもないものだ 人殺しのゲームなど害悪以外の何者でもない
敵を殺しまくるハクスラの一体何が楽しいのか 気がついたら生きたまま心臓をナイフでえぐりだされるマフィア動画を繰り返し見て内蔵の出ている
ジャケのデスメタルを爆音で聴きながら銃のゲームで何千人と殺しまくってるからどうしようもない 目からヨダレを垂れ流しながら全裸でマニアックなイタリアのデスメタルを漁るぞオオオ ジリオンの主題歌「ピュアストーン」をたまに聴いている
若干乙女チックな恥ずかしい歌詞だが心の弱い汚れきった俺にも実はピュアストーンが眠っているのではないかと思える ピュアストーンはまどマギのソウルジェムより強い
まず汚れることがない 人類8000億人虐殺してもたぶん平気
8000億人もいないが ハンター×ハンターではフェイタンやネフェルピトー、ツェリードニヒ、ヒソカなどが好きだし
あー早く冨樫ブチ切れて盛大に下書き原稿載らないかなあという期待をしていたわけである いつか俺も冨樫の下書き原稿のようになりたいと思った ほとんど背景真っ白じゃん
でもなんか見えてくるわけですよ キャラメルコーンに入っている微量の小さいピーナッツあるでしょう
あれは多量のキャラメルコーンとの対比によって存在感が増しているわけだが 小さいピーナッツを一粒描くだけでキャラメルコーンの味までを感じさせる、という
意味不明のたとえ話がとっさに思い浮かんだが何かおかしいなあと思ってやめた 念の天才ツェリードニヒをどうやって描くのかすごく気になるんだよ プラトンのイデアから近代観念論の変遷を追っていったが感想としては近代の方が考え方が不自然にねじ曲がっている 観念が人間の対象物に過ぎないというのは感覚として分かるが、対象化能力を過信しすぎていないだろうか イデアを単なるアイデア(発想)として用いるようになったのはジョン・ロックの経験論以降だ
この人は政治思想家であって哲学の伝統など重視していない ロックからバークリーとヒュームを経て冷淡な知覚の束、観念連合といった説が定着化してゆく 近代哲学というのは徹底した揚げ足取り合戦の側面があって一つの説を論駁するのに
過去の文脈を駆使して矛盾点を潰していく ヒュームはそもそも理性を信じていない
人の道徳的判断は感情にこそ委ねられるべきであると考えていた
理性が感情の奴隷になりやすいという事実を見抜いていたわけである 理性万能主義の信奉者は感情至上主義であることが多い
理性が感情に脆いというのはよく分かるが ヒュームの考え方では理性が情念を修正できるのは唯一、情念が沸き起こった原因となる
推察に誤りがあったときのみとしている 俺の感覚では感情にも高次低次があって高次の感情は理性と強く結びついているというものだが
その状態に至るのが困難なわけである 美に揺さぶられるのが高次で醜に揺さぶられるのが低次というわけではない
美醜や愛憎は基本的についてまわる
調和に至るために美が愛好されているだけであって美そのものは感情のレベルとは関係がない 真・善・美がただのまやかしだとは思わないが社会の調和を前提にしているだけのものである プラトンのイデア、原義は「見られたもの」となっている
理性(ノエシス)によって直観されたものという意味である
人間が普段目にしている現象の背後にある不動の自己同一的な実体である
多くの現象はイデアを模倣しただけのもの プラトンが若干おかしいのは善のイデアというものをイデアの中で高く持ち上げていることである
イデアそれ自体が完全な実体なのだからそれに順位をつけるのはおかしいのではないか?
と多くの教え子は考えた
これもプラトンの策略なのかもしれない 似非哲学ごっこ疲れてきたな
もともと俺には教養も素養も学識も知性も何もない ハクスラも飽きたしアイスピックで内臓を突き刺しまくる血まみれのグロ動画に戻るか 衝動や憎悪に突き動かされやすい人間だからな俺
ただ、一般的にいわれる直情人間ではない
思考経路が厄介なのである 死と苦痛が人間の再生にどの程度必要なのかということを無意識に考えてしまう 生の根拠は歴史的な死の積み重ねなのである
生の充足感というのは薄っぺらなもので死の重みの前には紙くず同然だ
先代の死に感謝してこその生である 死や苦痛が不安や恐怖の対象であると同時に生の根拠としてのさばっている
死への愛憎も一つの重大なテーマ 舗装されたアスファルトを見ても古代の生物や植物の大量死が浮かぶし
池を見ても大量のボウフラやおたまじゃくしの死が浮かぶ 日常では死のイメージはあの世に引き離されているが生死も愛憎もセットである
切り離せないものをむりやり分けて考えることができない 昨今では命の重みを力説しても説得力を持たない
むしろ死に対する生の軽さを教えたほうが効率的なのではないか
生
ーーーーーーーーーーーーーーー
死死死死死死死死死死死死死死死
死死死死死死死死死死死死死死死
軽い!!!!!!!!!! 多くの死に支えられているだけの自分が何をどうしろと 善神と悪神の戦いが終わるまで待つのか
最後の審判が来るぞ 唯一自由があるとしたら、愛憎や生死から解き放たれたときだけだな
生きるのが辛いから死んで自由になれる、とも感じたことはない
そこまで辛いなら自殺は否定しないが 本来の仏教の世界観は過酷で輪廻から解脱するのに生半可な心構えではいけない 崇拝対象を持ったらいけない
オウム真理教のような教祖もいらない 立ち向かうべき対象は己の苦しみのみ
救いの対象を持つと苦しみは増える
心してかかるように 「レベルを上げて物理で殴る」のクソゲー手法によって苦しみを粉砕できる脳筋仏教があってもいいかなとは思う 19世紀の前半までは産業革命を経ていたとはいえ資本家たちも無知であり生産資本における
機械体系の割合は低いものだった 雇用形態も旧来の習慣に基づき年間契約をさせて奉公させるという形のものが多かった
いわゆる封建主義の従属関係の延長である そこでは労働者たちが自然権(政府ができる前の状態)の回復を求めて搾取に対して蜂起する
というの当たり前であった しかしフランス革命を通じてもともと反資本主義であった職人達にプロレタリアートという
共通の位置づけが生まれていくことで事態は変わる プロレタリアートたちが一斉蜂起するというのはもはや自然権の回復を意図するものではなくなってしまった 政府を無力化したプロレタリアートたちは様々な党派に分かれて対立を繰り返すようになる ルイ・ナポレオンが登場するまではいざこざが続き最終的には共和制のブルジョワジーが
社会民主主義プロレタリアートを追い出して独裁政権を敷くことになる ルイ・ナポレオンは農民の圧倒的支持によって頭角を表した
ボナパルティズムが有名なのはどの政党からも独立した強固な執行権を手に入れたこと ナポレオンの強さの秘訣は分業化された膨大な官僚と軍隊を駆使したこと
市民社会の外側に権力を組織したという形になる 独立した執行権こそが国家権力の本来の姿であるというイメージはナポレオンから来ている 近代的な国家の共同利害という幻想がナショナリズムという形で高まっていく もともとは人間個人の自由意志をもとにして成立するものと捉えられたナショナリズムだが
二十世紀の大衆化社会に入ると権威に盲従する人間による国家主義も台頭するようになる 人間の営みはどんぐりの背比べ、大同小異発狂定量化運動である(意味不明) アーアーアーアー アーアーアーアー
ドングリイイイ
ドングリイイイ!!!!!
ブチブチブチィwwwwwwww グロ動画基もいいいい
嗚呼嗚呼 がフッ がフッ がふつ ブシュウウウウウ
ギャベええエエええ!!!!!!!!! なわとびで鼻毛マンホールを垂れ流しサポートですぞ
ポアああ(発狂) 兄がゲームのプログラマーやっている影響でなんとなくゲームを続けているだけだ コンピューター自体にもともと親和性がなかった
自作pcやっていたときもエラー出るたびにブチ切れまくっていた テスターで基盤のショート箇所を特定したりはできるが自分でチップ買って修理とかはできん ホットプレートでチップのリフロー普通にできる人多いな 定量化機械奴隷の身としてはジャンク修理程度できたほうがいいのかもしれん これまで頭のおかしいわたしが長年の5chへの書き込みによって形成してきたさまざまな意味不明の
イメージを架け橋として相対する健全な人たちをまとめて便所に流すという作戦名付けてハイパー
便器ファンタジーがここに完遂したことを報告すると共に今後このことによって起こりうるであろう
不可逆なモラルの崩壊や天変地異の数々について謹んでお詫びを申し上げますどうもありがとう バーバリアンで大剣振り回すだけ
アイテムなど拾わない 司会者「問題です。日本の夏、家の中によく出る黒い虫はなんでしょうか?とても嫌われ者です」 クモ?
司会者「クモではありません。もっと体の表面がつやつやしています」 フローリング
司会者「違います!床ではなく虫です」 フローリング虫
司会者「ぜんぜん違う!フローリングから離れて!」 フローリング離れ虫
司会者「そういう意味ではありません。ゴ…なんとかです!」 離れゴナントカ…?
司会者「何を言っているのでしょうか。もっと普通の名前です!」 フツウゴナントカ
司会者「違います!最初にゴがつきます」 ゴフツウサイショ
司会者「違う!ゴキ…なんとかです!!」 ゴキフツウサイショフローリング離れ虫?
司会者「どんどん離れていってます!!もっと普通に考えて!」 ゴキフツウサイショフツウニカンガエ虫
司会者「違う!そんなに長い名前ではないです!」 ゴキガエ?
司会者「違いますが文字数的には合ってます!!」 ゴキガエモジスウアッテルフローリング離れ虫!
司会者「また離れた!」 敬虔なる方々ならばご理解していただけると思いますが文武両道というのは決して本を読みながら
ボクシングをやるという意味ではございません 知恵と肉体の鍛錬どちらも極めるためにはそれ相応の心構えが必要かと存じます 文武両道フローリング離れ虫
司会者「もういい!消えろ!!!!」 なんか団扇(うちわ)の柄がぼきっと折れた
劣化していたらしい 終末論者「それ南海トラフの予兆だわ、日本終わったな」 ゾロアスター信者「ついに善神の勝利の日が来るのか」 しかし善の勝利が最初から確定しているという教えはかえって悪のパワーをみなぎらせる結果を生み出さないだろうか 終わりよいなら過程どうでも良しというヤケッパチズムが蔓延し悪の限りを働きながら終わりのみを
待ち望むオワコン野郎も出てこよう 3は何百時間も遊んだ
今でもたまにやっている
ただ3はお決まりの装備でスキル連打するだけのバカゲーと化すから
使われない通常攻撃ボタンが可哀相になってきて通常攻撃縛りプレイをやるのみである 難度を限界まで引き上げるのが本来的なやり込みなんだがそれも嫌でやっていない
バーバリアンで両手剣振り回すだけ 遊んだゲームで手放しで名作といえるのはダクソ1くらいかな 何の抵抗感もなく3周以上遊べる
最初はすごく時間かかるのだがどんどん短縮できる やり込み感が一番あるのは2
しかしダクソっぽくない 2のローリングやりにくさはかなりのネック
囲まれたときに下手に転がると偏差攻撃で一気に削られる もし仮に自分が中世のヨーロッパに生まれていたらカトリックに入信していただろう
別に信心深いわけではなく単に圧力に弱いからだ 心が弱く根が優しいが優しさが裏切られたときの反動で虐殺をやらかす恐れがあるので
カトリックの威圧感にすがることだろう カトリックは多くの虐殺を生み出しているがそれは根本原理の性質からいって人の弱さに対し
圧倒的な破壊力を有しているからである 肉欲、傲慢、強欲そういったヤワなものは粉砕していく ディアブロ3で好きなマップはact2に追加されたTemple Of The Firstborn
腐乱死体から大量のGOKIBURIが飛び出す大興奮の寺院
MUKADEが出るマップは避けている 大量のGOKIBURIに囲まれて和やかな気分に浸れる
あと拷問器具から血しぶきと共に化け物が飛び出し楽しませてくれる ハクスラはグロいのが合っている
どのみち思考停止で延々と殺しまくるだけだからだ
可愛げなど微塵もいらない グロ動画、グロハクスラ、デスメタル…
知性が逃げていく…… ユーチューバーになろうとしている中学生を常識外れだと説教する教師を論破するデカルト
実際こういうこと言いそうではある デカルトの本心はさっさと神の世界へ行くことだ
そのために学問のあるべき真の姿を摸索していた 牡牛座らしく五感至上主義のカントが学問のあり方を人間の認知できる界隈と意志の世界とに限定した カントからヘーゲルまでの一連の流れをアメリカは受け入れなかったがな パースは最初反ヘーゲル派だったがカントに対しては強い愛憎があったらしい アリストテレスの理論を幼稚だといってのけただけあってパースの論理学は強力である そこではもはや真理は絶対の実在ではなく推論過程と共に変容していくプロセスと化した 真理とは人が生み出し、正しさは勝ち取るもの
そのような実践主義も流行る ディアブロ3レベル一気に40上げた
ぶっちゃけ強くなることにもレアアイテムにも関心がない
ゴキブリの大群に突っ込んで剣を振り回したいだけ 昔から定期的に何もかも意味がわからなくなる状態に陥ることがある
なんというか存在自体が何なのか強烈にあやふやになる 物がある意味がわからんし言葉はバラバラになるし生き物もわけがわからん
動いていること自体が強烈に不気味なのだ
音も大きさも色も気持ちが悪い 人間が自分の精神を保つためにいかに自分を騙して無数の錯覚を信じるに至ったのか
考えると吐き気がこみ上げてくる 常識で他人をやり込めるのは確かにクソだが常識しかすがるものが無いといわれると
仕方のないことだと思う
人間のあやふやさを舐めてはいけない グロ動画を見たあとデスメタルを聴きながらゴキブリを殺しまくっていたら脳内物質の調子が乱れてきた 文明の生み出した精神安定のための誤魔化し手法にあまり頼りたくないんだが習慣的にやってしまうな 5chに文字を書き込んで若干心が落ち着く感じはあるがこれも単なる習慣と化している
書いている内容に意味は無い
ボケ防止にはなっている ある種貴族であり賤民でもある
死刑執行人シャルルwwww メロスピは賤民の音楽とかほざくやつがいたが別に否定はしていない
賤民はもともと楽なのだ
良民との対比で賤民という意味ね
これは昔の日本にはあった 良民になる努力を欠かさなければ良民には誰でもなれる 分かりやすくいえば国民の義務をしっかり果たしているのが良民
楽な方へ逃げて放棄していれば賤民
あくまで俺の分類 日本が良民度を保てているのは良民の努力のおかげなのでこれは否定しない 民度というのは人間性とかの話ではなく生活様式の成熟度の話なんで 優れた人間性などに期待してはいけない
自分にある良識以上のものを日本人に求めない 国民を良民と賤民だけに分けるのはギャグみたいなものだが
少なくとも俺は賤民である 欧米にならって近代化しても根っこは律令制ということ
最初は唐の制度を目指していた 遣唐使や遣隋使の苦労も馬鹿にできない
中国文化圏のころの日本は侵略も受けず自由に自国文化を練り上げることができていた
中国が日本占領しなかったのは単に小さな島国だったからである 大学・中庸をよみかえしていたが儒教の宇宙観は今では通用し辛い
誠を追い求めるのは正しいと思えるが
人間の成長図式を天と関連付けることに違和感を覚える 知性の扱い方を巡って中国とアメリカの対決が避けられないな
日本における知的財産権自体がアメリカから取り入れたものだが
押し付けられた感が強い
中国はそもそも敗戦しとらんからな アメリカのぶっ飛んだ論理学に注意せよ
屁理屈では勝ち目がない 心理学者のユングも物理学に頭をやられていた時期がある ユングはスイス生まれで幼少期は病弱で内向的、夢見がちな性格だった
医学生になる頃には大酒飲みの外向的な性格に変わっていた ユングの研究は連想テストやコンプレックスにまつわる理論だったが当時研究が盛んになっていた
無意識の理論に興味がありフロイトと手紙のやりとりをする フロイトとユングは意気投合したがフロイトが科学的手法を重んじるのに対しユングは
オカルティズムの方向に傾倒するきらいがあり次第に意見が対立してゆく ユングの理論では感覚、直観、思考、感情の4つの極性による力のバランスが人の心理を形成している
というものだった 極性の乱れによって発露する夢のシンボリズムについても熱心に研究している
現代人の夢の象徴と錬金術師や古代カバラの世界観に類似性を発見したユングは
次第に時空的な因果世界にも関心を向けるようになっていく 意識と無意識とが時空連続体の中でどのような関わり方をしているのか
いわゆる人間の意識することのできない非因果的秩序の世界だが、ここに
物理学の誘惑がつけ込んでくる 古代の思想である道教や錬金術でも時間を象徴的に捉えて物事をパターン分類する手法が見られる 崇高なる調和をあらわす世界時計のシンボル
これはアジアにもあるのだろうか
人の連想機能はバラバラだからな ユングが共同研究していたパウリという物理学者も独特の考え方をしている
ここでは因果律とシンクロニシティとが対になっている
因果律とは物事のコンスタントな連結でありシンクロニシティとはコンスタントではないが
接触、等価性、意味作用を持つ連結 因果性は物理学の客観的態度から来る結果
シンクロニシティは主観的な価値基準から来る
これを統合した地平を開拓しようとしていた 数秘術でも数字の内的秩序に言及している
数字の意味作用 シンクロニシティを手っ取り早くいうと「偶然の一致」現象のようなものである
これの背後で何が起こっているのかをパウリとユングが研究していた 無意識の内部で起こっているパターンの形成と、物質的秩序の関わり 俺が「自動的」と認識している人間の連想機能にもおそらく秩序とパターンはある
その秩序自体が自己展開しながら無限に移り変わっているのかもしれないが 細胞自体が設計図に基づき高エントロピー物質を廃棄しながら代謝活動を行っているので
連想時に働く抽象化作用も廃棄の繰り返しという側面があるのかもしれない
神経は何を考えているんだ アーアーアーアー アーアーアーアー
神経が分からないいいいい
神経が分からないいいいいいいいい(≧∇≦)(≧∇≦) 内臓の神経の命令に脳みそは弱い
しかし外的運動においてならば脳みそ優位に立つことができる!!
人間よ、運動しながら脳みそを讃えよアーメン 俺が人の連想機能を「自動的」と捉えるのはそもそも脳裏に浮かんでくるイメージに
因果律が働いていないように思えるからである
因果律というのは原因と結果の強い結びつきのようなニュアンスである
連想の根底になにがしかの因果律による条件づけが存在している可能性はある Aの後にはBが来る、というような出来事の繰り返しから経験が先行して因果律(のようなもの)が出来上がっている可能性もある
哲学者のヒュームはこういった考えも含めて因果律が物事の論理的基礎には
なり得ないという結論を出した ニュートンは運動の諸法則から因果律を定式化し、それを無際限に拡張する方法論を提示した
それまで未知のものであった自然現象の変化プロセスを機械的システムとして記述する方式が一気に
推し進められたわけである ニュートンの科学的理解の弱点は常に現象を説明するに際して形式と原因、結果を伴うというところである
新しい形式、新しい構造の発見が急がれるようになる 隠された因果律に人の神経のほうが条件付けをされているという感覚がある 論理的基礎には確かになり得ないのでヒュームの印象や知覚の束説もわからんでもない
しかし階級に従順な実務家の多いイギリスではヒュームの説が力を持ってしまった 神経!知覚! 神経!知覚!
酒、ドラッグ、女、暴力!
アアアアアアアッ!!!! 昔の俺は自分の連想的イメージに意味づけを行うのが好きだった
感受性が豊かな頃はイメージの背後に大きな象徴の海があり、そこから何でも引き出せると
思っていた
実際に無数の神話的イメージが湧き出ていた これが次第に、俺の無意識は太陽に操られて月のエサにされている、という感じになり
アメリカに責任転嫁するようになった
アメリカの人殺しゲームでさらに神経が悪化した 文明人の知性の扱い方はこの先も変化していくだろう
今はアメリカと中国の行く末が気になる 機械には特定の部品が反復運動しているものが非常に多い 神経は機械の同一的反復運動をどのように人の精神へ伝えたか 神経が物質的秩序に抵抗を試みているのかもな
やたらと速く情報をまとめようとする 神経「定量化セヨ定量化セヨ定量化セヨ(超高速)」
精神「ハーイ、ハーイ…(遊離)」 産業革命によって人の生活様式が変わり精神が遊離
歴史的にファンタジーが流行りだしたのがこの頃である
遊離した精神を説得するための物語がファンタジーである
着地点を用意してあげないと夢遊病者が増える 神経「言語活動ヲ定量化セヨ精神活動ヲ定量化セヨ牛丼ヲ定量化セヨ体重ヲ定量化セヨ(0.00001秒)」 ユングの宇宙論において神性にあたる概念をプレローマという
これはもともとグノーシスの用語で世界が創造される以前のすべての実在がある基底状態
というニュアンスの概念である 秩序を持たない無限の基底であるプレローマから秩序と区別の世界クレアトゥーラが出現する
このプロセスを人間の意識に置き換えることで集合的無意識の説明を試みている プレローマは空でもあり充満もしているという性質を併せ持つ
この原初の二元性がすべての運動の元となる
光と闇、善と悪、一と多などがそうである
こういった二元性は無前提で知覚される クレアトゥーラにおける二元性の運動にユングの元型が位置する
物質と心の領域をユングはプシコイドと呼んでいた
プシコイドは物質と心の両者であり、またどちらでもない
表象することのできない心性、と解釈することもできる 二元論は神話にも頻繁に登場する無媒介の形式的法則である それとも世界のありよう自体が二元間の永劫的な交渉に過ぎないのか プシコイドも宇宙に偏在しているのか?
プシコイドの局所化が生命意識に通じているのかもしれない 神経「プシコイドヲ定量化セヨ無媒介ノプレローマヲ定量化セヨ」 神経「アナタガタハスベテノ素粒子ガ量子ポテンシャルニ反応スルタメニ複雑ナフルマイヲシテ
イルニスギナイトイウコトヲオワカリダロウカ?」 ナーガールジュナ様ニヨルトアナタガタニ確カナル自我ガナイノハヒルガエスト
スベテノモノニ自性ガ欠ケテイルコトニ由来シテイルノデス
存在ノスベテニ自性ガナイコトヲ知レバ迷イハ生ジマセンコレガツマリ空デス
空ヲ信ジナサイサスレバ神経ノ定量化命令ニ屈スルコトモナクナルデショウ アインシュタインが考えた宇宙というのは独立したものが何一つない巨大な有機体である
時間と空間も連続して繋がっており過去現在未来も同時に存在している
一見独立したもののように見えるのは物質の基底を構成する幾何学が焦点を結んだ状態に過ぎないというものだ
物質もエネルギーも時空連続体が隆起したものに過ぎない 密教のマントラ(真言)は意識と現実を変換する役割を担っている 思考は世界を限定してフロー状態を生みだす
デカルトはフローの極致に至っただけ?? プラトンのイデア論が「我」を介してコギト的転回したのがデカルトの物心二元論 ユングのプシコイドとの繋がりも想定しておくか
普通はカントへ飛ぶ デカルトの思想は思いつきではなく20年間以上かけて慎重にやったからな 心身二元論以降、人間の精神を除くすべてが科学の対象となっていく シュメール神話
原初の海、地の神キー、天の神アンの分離
両者の交渉、大気の神エンリル誕生、さらに天地が分離… 距離が遠ざかっても量子ポテンシャルが減少しない意味は?? 神経「定量化運動ノ観測ヲ定量化セヨ観測ノ定量化運動ヲ定量化シ観測セヨ、ソレモ定量化セヨ」 全神経ヲ総動員シ定量化ニ励ムベシワレワレノ目的ハ物質的秩序ニ対抗シウル精神ネットワークノ形成デアル
大先輩デアル植物ニ倣エ 聖書の引用が短すぎて意味不明なやつ
「ひもを結びつけ」
ヨシュア記第二章十八節 フロイトの説が性と結び付けられていることに不自然さを感じるのは当然だ
フロイトが研究対象にしていた患者の多くは性の情報をシャットアウトされた環境に育った
上流階級のマダムであったからだ ナチスに果敢に立ち向かっていたチャーチルはうつ病で苦しんでいた
チャーチルの親父もうつ病だった 生活音トラブルで殺人に発展するケースがたまにあるが音に対して過剰に敏感な状態というのは
神経が相当切迫しているはずなのでまともな判断ができていないことも考えられる イライラするほど特定の音に対して神経が研ぎ澄まされていくということはある
それが自分に対する攻撃だと錯覚するほどに高まる 自分の神経が伝えているストレス度を計測する機械があってもいいな
定量化奴隷の発想だが アインシュタインは物質、エネルギー、時空連続体の統一理論確立に挑んでいたが果たせなかった プシコイドの壁が立ちはだかっているようですなあ
やはりデカルトに戻りましょう 無前提の知覚がプレローマに由来するという考え方は心の隅に置いておく
これも宇宙の知性と関連付けできる 心の浅い部分にペルソナがあってペルソナに合わず排除したものが影(シャドウ)となる、という
考え方があるがそもそも影もペルソナも集合的無意識に入っている
浅い深いの程度があるのだろうか 影は普遍レベルでは悪に近い意味を持つ
これも二元的運動から分離して出てきたもの 元型が意識に対して干渉してくるときの心の作用の話だから干渉の度合いとして見るのが自然か 影 自我 他者
● ◯ | ◯ ●(投影体)
→ → → → 思考が感情を支配した状態では感情が影にゆだねられてしまうので影から感情を明るみに引き出す
というのがユング的な療法のひとつだ 神経は精神ネットワークの確立に躍起になりすぎて物の意味さえわからなくしているということが分かりました 環境における有機体として自己を含めて躍起になっている 無機的な自然に対する不和感いわゆる原生的疎外からの脱却を先走っているともいえる
これを植物からの命令と解釈している
植物は動物の多くにとって生きる環境を生み出してきたわけだ嫌気性の細菌の居場所を破壊してきた
とも受け取れる 神経が痛みのコントロールの多くを植物に頼ってきたわけだから命令には背けない
物以前にネットワークの形成
ここに精神のエネルギーも引っ張られる 光合成という高度な知性を扱える植物に神経はいらない ボーム先生、量子ポテンシャルノ解説ヲオネガイシマス
ワタシハ連投規制ニイライラシテキマシタ
過疎板ノ宿命デスナ 善いとは何か、善く生きるためにはどうすべきか、という問題
俺にとっては難題の連続 倫理的に考えてもっとも正しいと思えることを選んで言行の一致に励んでいたらしいが
デルフォイの信託を機に誰彼構わず論戦を繰り広げ死刑にされた 戦争責任を哲学者に負わせようとする政治家の陰謀にやられるのだが
最後まで自分の倫理観を嘘偽りなく貫いた
あくまで弟子のプラトン目線の話だが プラトンがでっちあげた善のイデアもおそらくソクラテスの影響だろうな ・邪念がない
・言行一致に努める
・嘘をつかない
・論戦スタイルは質問によって相手の矛盾点をいぶり出す
・魂を磨くのが第一の信条 論戦で恥をかかされた多くの人から憎しみを買っていたがソクラテスは他人を責めることはなかったという
結果的にソクラテスの前では自分が無知であることを悟る結果となるわけである 俺なら自分に恥をかかせた相手を非合理的な手段で呪い尽くす
倫理崩壊!! ソクラテス…倫理超人
プラトン…真・善・美、電波思想
アリストテレス…思想編集の鬼 俺は学問もどきしかやったことがなくて哲学も糞に思える
ただ発想として惹かれるところがある 社会学に興味を持ったこともあるがすぐに糞に思えてやめた 心の底から糞に思えたらやめる
これが俺の最低限の倫理
しかし糞ゲーは腹立つから続けてしまう
よって倫理崩壊 ちなみにソクラテスは釈迦、孔子、キリストと共に四大聖人の一人に数えられている 西洋倫理思想のオリジネーターという立ち位置
自分が死に臨むに際しても、自分は死を知らないから怖くはない、といってのけた
また妻が「無罪なのに死んでしまうなんて!」と嘆いたのに対し
「だったら有罪で死んだ方が良かったのか?」と言ってのけた(という逸話がある) 倫理崩壊糞ゴミカスゲロボケアホバカマヌケ糞ゴミゲロボケ糞ハクスラに戻るか ディアブロ3のカナイキューブめったに使わんが攻撃反射299%だけパッシヴ化して付けている
歩くだけで敵が倒れていく便利能力 集合的無意識が仮にあるとして物質の次元となんらかの接点があるとしてもおそらく量子レベルのさらに奥にあるものなんだろ 量子場の不可解な性質を鑑みるにその背後には人が認識している運動とは別物の秩序が存在する可能性はある 考えるという行為が人間の思考を変えてしまうので人間は同じことを2度考えることはできない
ということを繰り返し考えている
どれも似たような思考だが同じものは無い 知覚には一般化作用があるが、これはどういうこと?
普遍的意識と関わろうとしている?? コード化された記憶領域から平均的印象値を自動で引き出しているだけということは無いでしょうな? だいたいヒーローものが流行る背景には末人の増加がある 信じるものも夢もなくなって目先の利益のために他人を平気で蹴落としたりするわけだ 未来に夢を託すというのは難しい
まず前提と方法の問題がある 宇宙が終わった後の世界を夢見るというのもありなんだよ
人間にも自然にも興味ないならな 俺は夢を託すぞ
若者とか未来の子供にとかではなく偏在する知性に対してだ 知性の扱い方で人間は争う
これは脳みそが自分自身の性質を自覚できないことに起因している
弱い精神を騙し騙し維持しているから仕方のないことだ 内臓の不調や体の位置、動きなどは神経が意識に導くが神経細胞の集まりである脳みそは
自分の活動に自覚的ではない
自己精神の安定とネットワーク形成を最優先にしているからである 情報を一気にまとめ上げるのに手一杯で自分の活動の意図も把握はしていない
知性も単に使わせてもらっているだけである 神経の組織化はあくまでもクレアトゥーラで起こっている
しかし神経の性質を鑑みるに物質的秩序を乗り越えてプレローマへ帰還したがっているようにも思える
宇宙にもこれ似た泡構造が観測されている これも全部時空連続体の隆起にすぎないのかねアインシュタイン先生 ボーム先生、量子ポテンシャルノ解説ヲオネガイシマス
ワタシノイライラモ量子モツレカナニカノセイデ離レタトコロト
連動シテイルノデハナイデショウカ気ニナリマス ニュートンの時間の定義
「それ自身で、その本性によって、外的ななにものとも関係なく流れるもの」
つまりニュートンの時間はあらゆる物質になんら干渉を受けることなくただ流れ続けるだけのものだった
宇宙のすべてに平等に時を刻む
しかしそれが物質とエネルギーの干渉によって速度を変えることが示された
アインシュタインはそこで相対時間なるものを編みだすのです しかし人の意識は時間を絶対とも相対とも見ていない
神経がパターンとして認知させている時間と意識の背後にある時間とは別物である 神経は自然の変化や量によって伝えるが意識ではそうなっていない 感覚神経は経験からすでに時間を刻む能力を持っているともいえるし
リアルタイムで学習しているともいえる 脳科学的には知覚も一種の感覚の催す作用か
状態把握の作用みたいなもの
これカントのせいだわ
理系学者にカントとヒュームの信者多いからな おそらくヒュームが一番人気でアリストテレス、カントがその次に来る
デカルトはもうちょい下 因果律に対する徹底した冷静な分析や理性万能への苦言
ヒュームが人気というのは分かる いわゆる時計が発明されていなければ時間という感覚自体を持っていない可能性もある ソクラテスの話に出てくる法と正義の考え方は今でも通用するのかどうか怪しい 少なくともソクラテスの考える法とは個人が善く生きるために積極的に守られるべきものだった
デカルトがいうには法が複雑になると悪徳に利用する輩が出てくるので国というのは
シンプルな法が守られている状態が一番善いという 戦争と恐怖政治の真っ只中でもソクラテスは自らの倫理と法を重んじて結果的に死刑になった
法を利用した不正に遭っても自分はそれを逆手に取ってやり返そうとはしなかった
個人の正義が法の判決を揺るがすのは自分が受け入れてきた国家に対する不正だと考えたからである 倫理や言行一致の難解さを垣間見ることのできる逸話である 俺は日本の法を積極的に受け入れている良民ではないのでこういった話は耳が痛い アメリカに敗戦して勝手な法律を押し付けられたと考えていたこともある 生活様式や人間関係の煩雑化により法律も多岐に渡って細かに設定されてしまった 善く生きるために積極的に守るべきものという感じではなくなっている 知性はもともと善いものでも悪いものでもないのかもしれない 基底状態から善悪が発生しているのであればゾロアスターにも納得がいく 人間の心性を通じて善悪とに分かれるだけで本来的にはまるで異質のものかもしれない
自然界に善悪はあるか? 良民の最低条件を日本国憲法になぞらえて列挙しましょう ・正当に選挙された国会の代表者を通じて行動しているか?
・われらとわれらの子孫のために諸国民との協和による成果とわが国全土にわたって
自由のもたらす恵沢を確保しようとしているか?
・政府の行為によって再び戦争が起こらないよう決意しているか?
・主権が国民にあることを宣言しているか?
・国政に厳粛なる信託を与えているか?
・憲法に反する法令や勅令を排除しているか?
・恒久の平和を念願しているか?
・面倒だから書くのをやめた
・完 憲法に人類の普遍的原理と明確に示唆してあるのがどうしても解せない
この疑問を快方に向かわせることにしよう 普遍の原理が民主主義の法則に通じていると思っていないだろうか? 我々は立憲主義と民主主義の矛盾に常にさらされている 簡単にいうと憲法に決定の正しさがあるのかそれとも多数の意思に正しさがあるのか
これはソクラテスの話にも通ずる 正義や善が分からないというときは憲法と多くの人の意見を秤にかけるという面倒な作業が必要になる ソクラテスは俗情の脆さを知った上で大衆の意思には従わなかった 空気の支配と同調圧力の強い学級会の意思決定などでは「面倒くさいやつ」で済まされるような態度だ 殺戮ボケカスゴミ糞マヌケバカアホスーパーゲロ粉砕ハクスラに戻るか 普遍的人権の思想は王権神授説の否定から生まれた
いわゆる社会契約説である
これのルーツにソクラテスの倫理がある 女性の人権を守れとか子供の権利がどうとか、そういう言い回し自体が憲法にある普遍的人権と矛盾している 自然状態(法も国家もない状態)では人間の本性はむき出しになり闘争状態が続くので
人々が社会契約をし政府が作られるという想定が社会契約説の基礎にある ベルセルクが遂に未完になってしまった
グリフィスとガッツどちらも死なずに済んだわけだ なんでデカルトから法の話に飛んだのだろう
自分で考えていることが理解できない 善について考えるとまず善悪の判断基準が社会的な流通観念に由来しているのではないか?と思うのが普通である しかしユングの元型論を見ていると善悪の歴史はもっと根深い場所にあった ソクラテスは保守的な思想家であり事物の根源や魂的なものについては人間の分を越えていると
判断し神に委ねていた
人の限界を見極めた上で己の倫理を徹底的に突き詰めていた 神の意思に委ね己の倫理を守り善く生きていれば魂は自ずと磨かれてゆくと考えていたらしい 調べたところイデア論の存在が初めて出てくる書物はパイドンだな
ソクラテスが処刑されたあとの話だ
哲学的には極めて重要書物らしいから注文しておこう
読めるかどうか分らんけど オルフェウス教団やピタゴラスあたりとも関わってくるのだろう エウテゥプロンも読みたいがwikiで概要だけ見ておいた ソクラテスは本当に死を恐れていないような感じだ
これも神のみぞ知るってことか よく考えると紀元前の書物が今でも残るというのは奇跡に近いな 法律や命令、規則が憲法に適合するか否かを決定する権限、いわゆる司法審査権について
最高裁判所および下級裁判所の行使が保証されている
国民に主権がある民主主義国家としてこの決定権は妥当といえるかどうか 日本の議院内閣制はイギリスからの借用、民主主義制度の多くはアメリカから持ってきたものである 近代国家では憲法が単に権力分散のための仕掛けに過ぎないと割り切っている人間が多い
普遍的人権というのはただの架空の構想物なのか アメリカでは司法と立法が過度に対立することが実際にあるからな 幾多の差別問題を抱えているアメリカは民主主義的な経験度が違う 日本の民主政治システムは実質太平洋戦争後にアメリカの圧力から輸入されたも同然であり
政治的いざこざの安定を最優先にして組まれたものである 論理的でも何でもない空気読みが横行する学級会の多数決を何度も経験すると
民主主義に対する考え方も歪んでいく 自由と平等、個人の尊重、最低限の前提が成されていない 人権擁護を建前に人気稼ぎするプロ市民グループの乱立 ニーチェも借用しているがツァラトゥストラというのはゾロアスター教の開祖である 俺はハクスラとデスメタルの影響で頭がおかしくなっておりダンゴムシと違憲審査の違いが
よくわかりません
量子力学的解釈ではこの問題はどう説明されるのでしょうか??? 量子力学的説明に還元主義は有効なのでしょうか
量子力学理論の上位階層にどのような理論があるのでしょうか 国民のひとりひとりがそれぞれ政治家になればいいのでしょうか 日本人の美徳?
それ大事だよなあ
何が中世ジャップランドだ 美談美徳の背後にはグロテスクさがあるというのは定説であるが 心の調和のために無理をおして頑張ってきたわけですよ エウテゥプロンと弁明のセットないんだろうか?
クリトン青空にあるんだよ
いっそ1975年版の全集を買うか?
岩波さん!!!! プラトンの思想、強烈な電波を放射していてワクワクしてくる 俺には壮絶な西洋観念闘争の一端を垣間見ることしかできない
せめてイデア論だけはァァァ ソクラテスが優れているなと素直に感じるのは幸福に対する考え方
まず他者からの称賛や報酬から幸福を得るものではないと考えていた 自己の魂を純粋に保ったまま身体と分離すれば神々や不死に近いものの方へ去っていくと考えていた 美そのものはそれ自体で同一的だが美しい人は同一性を保つことはできない
よって身体は奴隷的、被支配的であるが、魂はそうではない 人権擁護の諸君らもせいぜい魂を磨いておくように
俺はデスメタルとハクスラで神経を粉砕します エウテゥプロンが単体で出ていないのはたわいのない話だから?? エウテゥプロンという神学者とソクラテスが不敬虔について問答するという話らしいが
ここでもソクラテスは相手の矛盾を引き出すための問答を行う
表面的には褒めつつ調子に乗っている相手を巧妙に真理へ導く
この手法はエイロネイアといいアイロニー(皮肉)の語源となっている 邪念や悪意なくソクラテスがこれをやりまくっていたというのが多くのソフィストから
憎しみを買うことになる要因なのだが当のソクラテスは神託の証明のためだと考えていた アレクシス・コーナーの曲でリラックスしよう
デスメタルで神経やられた 宇宙霊魂がプラトンに由来している以上ぜったいに外せない ヌース(知性)ももちろん本来人間のものではない
天体を動かす最善の魂のことだ 輪廻する魂の思想はオルフェウスやピタゴラス教団由来だがこれはエジプトのものだろう 万物流転とイデア論は対になっているのか
クラテュロスからの影響 ソクラテスからプラトンが学んだ問答法が弁証法の基礎になる
メノン以降のプラトンの手法をアリストテレスが洗練させ論理学としてまとめた
おそらく西洋思想史上プラトンの影響が一番大きい 数学者のホワイトヘッド曰く、西洋思想とはプラトンへの膨大な注釈である 万物の共通善が知性である以上、それを阻害するものが悪であるはずだ デカルトは知性的本性と物質的本性とは明晰に別のものだといっている
ユングは集合的無意識が物質世界を包有する可能性を述べた
パースは精神が物質になる未来を想定した 俺の考えでは植物は優れた精神ネットワークを形成しており人間よりも知性を善く扱っている 森林の破壊と文明の消滅は古来からセットになっている
精神形成の多くを植物に頼っている人間なのだから半ば自己破壊行為でもある
森を破壊した分だけ人間は知能を駆使して生き残らねばならなかった 西洋で大規模な森林伐採があり、そこからどうなっていったか見れば分かるだろう 自然の怒りとか、人間の考えるようなシロモノではないのだろうが
知性の扱い方がおかしければ必然的には秩序は乱れる 悪知恵で狡猾に生き残るよりも高度なネットワークを形成したほうが秩序が安定するというのは
環境破壊を通じて文明人が学んできたことだ インターネットって擬似的な神経の外部化みたいなもので高度には思えない
ただ便利ではある 神経はただ情報を一気にまとめあげる
速いが高度ではない 多様な論理表現が高度ということではない
人間の知能は何かを履き違えている ソクラテスの考える幸福の最低条件は自己の内的な成功を重視するところ
これを重んじていれば他からの強制力が生じにくい 報酬や称賛を求めること自体、他からの強制力につながる 西洋思想の延長では因果関係のネットワークという感覚が身につき
中国経由の仏教の延長ではすべてのものが同時に現象しているという感覚が身についている 内臓のはたらきや脳内伝達物質や生体化学反応、内分泌、免疫の仕組み、新陳代謝など
普段意識的に善くしようとは思っていない ソクラテスは死ぬことが生きることよりも無条件で善いことだといっている
ただ自殺は不敬虔だともいっている 奴隷である肉体を動かして魂を磨く
死ねば魂はその純度に応じて別のところへゆく 不可知論者でもあり絶対の真理の探求者でもあったソクラテス 老いて自分の意思が衰えるのが不安だから死に時を求めている感も漂っている 俺も苦痛に立ち向かうだけの意思を残しておかねばならないので不安ではある 冷静に自分の死を受け入れられるようになればそれは幸せなことだ 俺は人殺しの想像をしょっちゅうしている
人殺しのイメージは悪いものが多い
悪いイメージはだいたいしている イメージの中では極めつけ残忍になれても実際に人が無残に殺される動画を見ると
一気に気が滅入るからな
イメージはしょせんそんな程度のもの 悪のイメージがどこから湧いてくるのか理解できない
生理的嫌悪感だけでもないし観念的なものだけでもない 自分が善いと思っているものが理不尽に破壊されるのは確かに悪いイメージだが
それだけではない デスメタルを聴きながらグロ動画を見て糞ハクスラで敵を粉砕しまくるぞ 初めてウクライナ21を見たときはショックでねえ
何がショックかって、笑いながら顔面にアイスピックを突き刺したりしてるんだよ
相手見ず知らずのおじさんなのに
恨みとかなくてもここまで残忍になれるのかと 文化圏が違うのだし生まれ育った環境も考えていることも違うのだから
犯人の人間性がどうこうっていえないが 犯人は日常的に苛められていたらしいが
あと親が権力者
旧共産圏の禍根とかもあるから俺の想像は追いつかない 俺極端な性質をもっているから善のイメージと悪のイメージの極北をつい追い掛けてしまう 自分のできる範囲での最善だの、そういったのではない できる人間はたぶん今の自分が常にベストだと考えていることが多いはずである
俺はそんなこと考えた経験がない 最近殺したムカデの数
大 2匹
中 2匹
小 5匹 初夏に卵が孵ったりして活気づくからな
あと秋にも活気づく
糞暑いときは割と大人しい ゴキブリは平気だから大概無視している
ゴキブリスルースキルが身につくと便利 本当はなんも殺したくないんだが部屋に出る虫だけはついやってしまう
外では蚊も叩かない どちらかというと人間の方がゴキブリに入り込む隙を与えている
欠陥だらけの文明には付き物として受け入れること 最近の性能のいいホウ酸団子を置けばすぐに消え去るらしいがな ディアブロ3を始めると止まらなくなる
以前に何度も飽きてHDDから削除したのに アクションゲームと違って積極的に敵の群れの中心に突っ込んでいけるからその面では気持ちが良い イデア論の原型はソクラテスの魂に対する考え方だろう
プラトンがこれにあとから自分の解釈を付け足した 人の同一性に対する認識は魂の方にあり人は生まれるとこれを忘れてしまう
いずれ成長すると早期によって思い出すという寸法だ 普通は同一性というのは後天的な経験や学習によって身につけるというふうに解釈されているが
ソクラテスはそう考えなかった 人の感覚における宗教的領域というのは切実なもので知性を扱うことによって程度では追い出すことはできない 知性が知性足らんと常に驚異を与えているのが宗教的領域であると仮定することができる 現代では知性を通じてこの領域を見るようになっている
科学とオカルトの対立は容易に起こるということ ちなみに宗教的領域では一般に考えられている因果性、同一性の理屈は通じない 人間の能動知性が捉えるものの本質はおそらく宗教的領域からの驚異によって導き出されたものに過ぎない 絶対という観念はそれ自体に自己の絶対的否定をもつ
自己を否定するものに対する絶対ということである 絶対的な無としての自己という意味で絶対は存在している 人は日常的に自己矛盾を避けるための思考を行っている
ここでは宗教的領域は判断保留になる 生死について何も知らないのに生死を分かったふりをして不安や苦痛を感じる 自分が思い込んでいる生のイメージに死のイメージが否定性を与えるのは確かだ ある事柄に説明の形式を与えるのに真理は必要とされない ソクラテス当人は一冊も本書いてないんかーい!!(発狂) 生は死を知らないので理屈でいうと不死の属性を持っている アーリア人の因果応報、インダス文明の輪廻、ウパニシャッド 紀元前のギリシャ人が自己同一性に拘りだしたのは当時地中海で商業を拡大していたフェニキア人と
区別をつけるためである
かくしてギリシャ神話が編纂されていった ディアブロからダクソへ戻ったとき…「敵がガードしてくる…だと?」
ダクソからディアブロへ戻ったとき…「なんだこいつら、ガードしないのかよ」 感覚、知覚、理性、知性が頭の中で整理できていない
いろんな説に振り回される ソクラテスが一見不可知論者的に見えるのは若い頃アナクサゴラスの説に失望した経験によるところが大きい 若い頃のソクラテスも初期イオニアの例に漏れず万物の根源的原因を探していた
アナクサゴラスの説明では万物の原因はヌース(知性、理性)なのだが
自然現象の説明になると空気や水に分解しておりおかしいと考えた そこで次にソクラテスが想定したのは万物にはなにがしかの固有の本質、すなわち「形相」があるのではないか?ということである 事物に固有の本質があるという想定で話を進めていくと相対主義者のソフィストと論戦を行ったときに
話が混乱することなく何か真理に近い新しい発見が見込めるのではないか?とソクラテスは考えた ガチの不可知論者はピュロンみたいな人のことだからソクラテスは違う ミイラとして肉体を保存したのは死後の再生のために必要であったからだ
再生に必要なものとして肉体と魂を構成する5つの要素とがあった 同一性の曖昧さを誤魔化すためにすべてのことが動いているような気さえしている パンダは本当はパンダではない、ゆえにパンダと名付けた 6月はソクラテスの四大福音書を読むか
エウテゥプロンやゴルギアスはあえて除外 プラトン目線のソクラテスではイデア論と親和性が高いようだが実際は正反対なのではという説もある
弟子が残した逸話しか残っていないのだ 饗宴だけ昔流し読みした記憶がある
愛の種類に関する議論集みたいなやつ 少年愛とかプラトニックラブとか、そっち系の人にとっては定番よな 対ソフィスト戦にも興味あるからゴルギアスもいずれ読みたい 俺は性欲に関してのみ早熟で幼稚園のころからあらゆる種類の性倒錯創作に触れていた 幼少期から親のやり取り(喧嘩や離婚話)にブチ切れていた俺はさっさと現実から逃げ出すための方法ばかり考えていた 動物虐待をやっていた時期もある
殺しはしなかったが野良犬をビンタしたりしていた 動物自体は好きだったがイライラ発散にいじめていたことはある 人間のいじめに加担したことはないしいじめられた経験もない 絡んでくる鬱陶しいヤンキーを撲殺したいと思ったことは何度もあるが 他人の利用ばかりしているとヤクザの使いっぱしりにされるのがオチだ ソクラテスの弟子と言ってもソクラテス自身は弟子を取っていなかった
要は自称弟子である
弟子だと思いたいなら勝手にしなさいよみたいな感じではないのか 俺はペット自体反対派だがそれもおそらく自分の性格の影響だろうな
子供に命の大切さを知ってほしいから犬猫飼わせるとかそういうのまで否定してないが 俺には極端な形でクソ真面目なところとあり得ないほどふざけたところとがある
どちらに向かってもロクでもない 人格的にバランスの取れた誠実さのある真面目さではなくそれの対極にあるガチガチの硬直型思考のことである ソウデスワタシハロボットデス
テキガデタラケンヲモッテフリマワシ
ゲージガタマレバリフトガーディアンガデルノデ
ヤッツケテリワードノレジェンダリージェムキョウカヲシテモライマス ブッチャケレジェンダリージェムトカイラネーンダヨ
ハクスラナドショセンテキヲコロシマクルダケダカラ
ナンイドアゲテモイージーデモヤルコトイッショナンヤ 庶民派の似非道教には関心が薄い
完全エリート志向の儒教理論をよこせ 道教は点数制だからよ
GANTZの千手観音やぬらりひょんとでも戦っておけばいいだろう
いい武器があれば生存率も上がる バーバリアンが好きなんだが攻略wikiで馬場って略されていてなんだかなあと思った
馬場さんをdisっているわけではない 蛮族戦士がアメリカでは正統派なんだよ
クルセイダー(聖戦士)はあとから継ぎ足したやつ act1でミッション5つこなしておっさんに宝箱もらうact3でミッション5つこなしておっさんに
宝箱もらうact4でミッション5つこなしておっさんに宝箱もらうまたact1でミッション5つこなして
おっさんに宝箱もらうact2でミッション5つこなしておっさんに宝箱もらう、をやっていた
どのミッションも矢印の方向に歩いてひたすらボタン連打これがハクスラだブチブチブチいいい ディアブロ3の永久に同じこと繰り返してる感は脳みそがハイになってくる 四大聖人にマホメットのバージョンとソクラテスのバージョンがある 釈迦も孔子もソクラテスもキリストも自分では本を書かず聖典と呼ばれるのは弟子や周囲の人が残した話だけだ 俺は過去の偉人から人生の何を学ぶわけでもない
知性の扱い方を知りたいだけである あの人は知性があるとか、あの人は知性がないとか、そういう物の見方はおそらく間違っている
使い方が違うのである 植物もカワウソもダンゴムシもムカデも知性を扱っている
人間とは違う方法によってだ ソクラテスのことを考えるとワクワクしてきた
哲学嫌いなのに ハクスラとデスメタルで神経破壊しながらソクラテスをやるぞ ニーチェは嫌いではないが思想家としてもてはやすような人物ではない ルター派の牧師の息子として生まれたがあるとき信仰を捨てることを決意し母親と大喧嘩する
芸術的才能にも学問にも恵まれており若くして一流大学で教鞭をとっていた
古代ギリシャ思想に精通しているのだが最初に出した本はソクラテスやプラトンへの批判を軸にした内容である 悲劇作家を軽く扱うソクラテスやプラトンに対し人間の真実は悲劇にこそあるという主張を打ち出している ニーチェにとって過去や未来とは空虚で意味のないものであり現在というのはそれらと分断された境界に過ぎない
時間とはそもそも絶対的な分裂であり人間はその分裂に対して統一でもって抗っている、という解釈をしている 病気や家族との不和による孤独、学会への失望感、自殺への衝動と戦いながら著作を続けていた 芥川龍之介がこの時期のニーチェの著作を愛読している 西洋の神や理性主義の逆説を素でやっている
キリスト教の教える死後の魂の救済など絶対的分裂の前にはなんら意味を為さないわけである 確かにキリスト教の教義には死後の免罪と引き換えに罪を要請している部分がある
人間の弱さにとことん付け込む 過去や未来、神や理性に頼らない人間の真の強さとはなんぞや ニーチェが考えたのは人間が偶然や非合理的な出来事に曝されたときにこそ真の統一への意思が
芽生えるのではないか?ということ
絶対的な分裂に対する統一の意思、これこそが人間の真実に通ずるのではないか この考え方を突き詰めたものがかの有名な「永劫回帰」である
人間とは一度限りの生を享受しているわけではなく一瞬一瞬に回帰し続けることができる ニーチェの本は流し読みしかしたことがないので実際はよく知らん 神経が精神ネットワークを構築しようとしているものと仮定して、人間個人の分裂症、神経症を鑑みると 同一性の問題というよりも同期現象の問題と解釈するのが妥当のような気がした 人間の知性への固執もまたプレローマへの回帰衝動という可能性もある 歴史を見ていると人間が同一性に苦しみながら際限のない分裂と統合を繰り返しているだけに思える
どこか向かっているとは思えない イミガワカラネエエエ!!
アイエエ ニンジャナンデ!? インターネットでは日夜よくわからん情報がハイパーテキストにより関連付けられて
神経がよくわからん同期現象を引き起こしている 何が面白いのか説明できないことが圧倒的に増えてきた 9927歳、ふたご座のサメの美少女である
ときどきスパニッシュっぽい英語の癖が出る デスメタルを少し控えるか
神経を虐め過ぎたようだ
俺の聴き方は精神のために良いとかの次元ではない
ゲシュタルト崩壊を頻繁に起こす 人生における幸せのために生きていると不幸がついてまわる
これだけは避けねばならない 愛しか救いが無いというのは逆説的に悲惨なことである 無前提の知覚はムカデもカワウソもアメーバもおそらく持っている 一般的なイメージ
あい-ぞう(表裏一体)
俺のイメージ
あ←<いぞ>→う(いぞが強力) <いぞ>を粉砕するとあとうが別の方向へ逃げていく
つまり<いぞ>の維持が肝要
これが愛憎の正体である ソクラテスが論理学の例題にでてくるのは西洋のお約束か よくある単純解釈
西洋哲学はソクラテスが始めてニーチェが終わらせた ニーチェは悲劇の中にこそある人間の真実をソクラテスが葬ったと考えた
ソクラテスの関心ごとは生の肯定ではなくいかにして善く生きるのかということである
生の肯定を訴えるニーチェと死を大前提とするソクラテスの対立 近代戦争と実存主義の流行でさらに人間の神離れに拍車がかかった ハイデガーやフーコー、デリダもニーチェの影響下にある ディアブロ3、ヘルファイア装備を作るためにボスに挑んだらボコボコにされた
ここまで硬いなんて聞いてねえぞ
ラスボスの10倍くらい強い 俺も実存主義に少し興味があってサルトルやカフカを読んでいたが今ひとつピンとこない
人間が常に意味不明の不気味さに曝されていることは俺にとって自明であったからだ 芋虫は芋虫に過ぎないという不気味さに意味が宙吊りにされたのです 無前提知覚の催す毒と薬の両義性もまた否定神学の模倣による反ファロス劇場に過ぎないのです 年寄りは若者に期待してはならない
若者は老人に失望してはならない 鼻毛ボーン!!!
鼻毛ボーン!!!!!!
連投規制を殺せ!!!!
連投規制を殺せ!!!!!!!
過疎板の宿命の!!!! ソクラテスを読むぞ
ソクラテスを読むぞ
ソクラテスを読むぞ 権力構造によって人間の行動も変わるので身体と精神の関係も変わるのが当たり前なのだろうか ヘルファイアのボス、あまりに硬いので難度を下げて挑もうとしたらトーメント以下は駄目って弾かれた!!
糞ゲーワロス!!!!! 今までボスで一番硬かったのはボーダーランズ1の2周目ラスボスだったな
レベル差があると敵のHPが暴虐的なまでに跳ね上がる ソクラテスを読むのに事前準備がいる
雑学的な好奇心で読むわけにはいかないのだ ソクラテス-プラトン-アリストテレス、という系譜が古代ギリシャ哲学では通例だが
アリストテレスはギリシャ的な思想家ではない
他所からやってきた冷静沈着な理論家である プラトンの学院に入るまでは別の場所で学んでいたし純ギリシャ人というわけでもない 言い方悪いがギリシャ思想は少し電波掛かっているのが特徴
アリストテレスにはそれが薄い 電波思想を丁寧に編集し論理的にまとめ上げたのがアリストテレスである
これがのちの西洋学問の基礎となる ソクラテスとプラトンの強力な電波に頭をやられないために心構えがいる プラトンが書いたソクラテス像を読むのだから基本的には対プラトンを意識せねばならない
とはいえそれがソクラテス研究の第一級資料でもあるためやはり「ソクラテスを読む」という
心構えもいる
プラトンソクラテスのダブル電波に耐えなければならん それではこれより対プラトンソクラテスの例会をおこないます
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