発狂弾劾ゲロイナゴ裁判
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聖書の記述でヨハネが食べていたのがイナゴなのかイナゴマメなのか気になる 当時の貧民が普通に生でイナゴを食べていたらしいからな
荒れ野で布教活動をしていたヨハネも普通にイナゴの脚をむしりとって生で食べていた可能性がある 旧約の時代には土地柄の影響もあってイスラエルの民は頻繁に飢饉に苦しんだという エジプトから出たせいで餓死した人間も多くいただろう 福音書にはイエスが少ないパンや魚を増やして民に分け与えたような描写がある
奇跡なのかなんなのかよくわからない 初期のキリスト教では食べ物というのは神からの賜り物だった
お祈りのときも今日一日に必要な糧が与えられるように祈る
明日の心配は今日する必要がないというのが通例である 神の国の義をまず求めよとイエスはいう
物質的な欲を満たしたところで何が得られるわけでもない、ということを言っている 人は神のために食べるし、神のために食べないこともある
食べ物のために神の働きを無きものにするのは本末転倒であるという 食欲を満たすのは自らの欠乏を癒やしているだけであり神のためにはなっていない ソクラテスの思想とキリスト教はプラトン以前にどこか通じているな 本が揃い次第ソクラテスを読んでいくことにしよう
たぶん6月以降 ニーチェが嘆いていたのはソクラテス以降、ギリシャ悲劇が予定調和的な結末を好むようになったこと
まず神が人間の未来を勝手に決めてしまう
そのことにより人間は理不尽さに対する苦悩をやめる ギリシャ悲劇に関わらずその後の多くの劇から不合理な苦悩は削ぎ落とされていった
ここに人間の真実が描かれることはないとニーチェは考えた 善を目的とした自然や神の働きを探求する人間にとっては悲劇の苦悩というのは邪魔なものだったのかもしれない 主人公や仲間たちが壁にぶつかり葛藤を繰り返し人間的に成長してゆくというタイプのは
すでに腐るほどあるがそもそも成長を前提としているものに理不尽な苦悩は無い 人間の自己実現の真実という意味でアンティゴネーには成長の意味合いが込められたのかもしれんが 劇中の神々の役割として、人間が認知する現象の世界を限界へ誘うというのがある ニーチェがいうのはこの点である
神々によって(演者としての)限界へ誘われた人間が生と死の衝動を越えた究極の矛盾に曝される
ここに真実があると考えた 神が善の働きでもって人間を予定された未来へ運ぶという物語とは本質が異なっている 荒地といえばディアブロ3の荒地の憤怒(セット装備)が集まらん
ワールウインドが強化されて高速周回が容易になるビルドらしい スカルグラスプと荒地5点セット(王家効果でマイナス1)あればワールウインドで回り続けるだけでいいんだと
一度これを試してみたい イスラエルというのはもともとヤコブのことである
聖書の冒頭に出てくる家系図にも出てくるがアブラハムとサラの子がイサクでありイサクトレベッカの子が
エサウ(兄)とヤコブ(弟)ということになっている アブラハムは最初の救済の預言者、信仰の父と呼ばれている
アダムとイヴから始まりカインとアベル、ノアなどの子孫を通じて生まれてきた
ノアの息子がセム、セムから数えて十代目がアブラハムにあたる ドラクエに出てくる勇者ロトの元ネタがアブラハムの甥のロトである
ロトはソドムという街に住んだがこの街は悪にまみれており神の怒りを買った
神が街を滅ぼそうとしたところ、アブラハムが「もし正しい人間が街に十人いれば滅ぼすのをやめてください」と
懇願するのだが正しい人間はロトの家族しかおらず結局滅ぼされてしまった
ソドムとゴモラの逸話である ヤコブの十二人の息子がイスラエル十二部族の祖先ということになっている
ここからエジプトでの奴隷生活、モーゼに率いられてエジプト脱出、という経緯を経て新約聖書の話へ移る 俺もよく勧誘受けたがエホバの証人という宗教がある
アメリカの新興宗教でイエスの立ち位置が大天使クラスに格下げられており三位一体論を否定している カトリックを否定している面があるため力関係としては弱いが強固な救済観をもっており
世界中に信者がいる 荒地装備がぜんぜん出てこない
リフト内部のドロップ率がトーメントから40%以上上乗せされているのに ディアブロ3では「俺の考えた最強ビルド」みたいなものがあまり意味を為さない
上級者の綿密な計算によって最適化された高速周回用の装備一式がテンプレとして有る こんなもので天使と悪魔のバトルが終われば苦労せんわ
ディアブロでは永久に戦い続ける 神学者アンセルムスにおける生産的行為とは神の被造物である人が自らに刻まれた神の像を
自らの意思によって表現する努力のことであった 神の像が人に刻印されているのかどうか俺にはよく分からない メソポタミアではシュメール文化の時代から異民族間で戦争が繰り返されており
史実上初めてメソポタミア全域に大規模な中央集権体制が整ったのはバビロニア王朝ハンムラビ王の頃である バビロニア王朝もヒッタイト人に滅ぼされその後も様々な民族が入り乱れて小王国の乱立を繰り返す
複雑な状況が続く
メソポタミアはもともと多神教なのだがその時々の権力関係によって最高神がころころ変わるという
状況も続いた 一方ナイル川流域エジプトではメソポタミアより早い時期にファラオ王により連合統一国家が
造られている
古代エジプトは神権政治である 土地は現神である王の所有物でありその下の神官や官僚がその恩恵に預かる
農民の多くは租税と無償労働が課せられていた ヤコブの末裔、イスラエル人(ヘブライ人)がエジプトに移ってきたのが紀元前1500年頃である
そこからモーゼに連れられてエジプトを脱出し王政の国家を造ったのが紀元前1000年頃
ダヴィデ王とソロモン王の元で栄えることとなる
ソロモン王の死後は北のイスラエル、南のユダに分裂した その後イスラエルはアッシリアに滅ぼされユダも新バビロニアに征服されることとなる
住人の多くがバビロンに連れ去られる(紀元前586年)
こういったイスラエルの民の激しい分裂の歴史の中から生まれたのがヤハウェを信仰する
ユダヤ教である
これがのちのキリスト教とイスラム教の母体となる ユダヤ教の祭司にはイエスを神と認めない人間が多数いた
そもそも宗教というのは国を守るものだという考えをもつ現実主義者が多くいた ダヴィデ王に仕えていたサドカイ人(民族ではなく○○派みたいなもの)は特にその傾向が強かった
それに反発したのがパリサイと呼ばれる人たちである
パリサイがエホバの証人のルーツだという見方がある サドカイもパリサイもイエスを神と認めていないが信仰心の落差から分派してゆくことになる イスラム文化の高度さはイラン芸術の中にも垣間見える
幾何学の扱いが繊細かつ広大で世界観が独特である ペルシャ芸術と呼ぶ人もいる
高度に様々なパターンが織り込まれる 西洋ゴシックは少し滑らかさに欠けていて襞(ひだ)のような印象を受ける
歴史性の違いか ソクラテスを読むための事前準備としてなぜかイスラエルの歴史をおさらいしている
なぜこうなった 絶対的な真理を認めた上で一国民としての倫理を守り言行一致に励んでいたソクラテス
イスラエルの民は国崩壊、アイデンティティの危機に幾度も曝されながら神に救いを求めていた
そもそも倫理とはどこからやってくるのか ファラオ王にヤコブが謁見するという記載があるな
聖書を読んでいるとどこまでが史実だかあやふやになってくる 聖書の記載をすべて実話であると受け止めている人ももちろんいる ソロモン王の時代からすでに天使と悪魔は対立している
ディアブロがやめられないわけだ ヨハネの黙示録の影響か知らんが天使が積極的に戦うイメージがある
本来神の伝令役なのに カトリック公会議では天使も被造物と規定されているが物質的な世界に先立っているため
人間よりは高次の霊的エネルギーをもっている キリスト教の成立に大きな役割を果たしたと言われるエッセネ派はパリサイ派から分派してできた
という説がある
イエスとヨハネは共にエッセネ派に属していたのではないか?という憶測もある 残存する世界最古の聖書写本に死海文書というのがあるがこれを書いたのがエッセネ派であるという説が濃厚 死海文書が発見される以前の最古とされていた写本が西暦900年代のものである
死海文書の推定年代はそれよりも1000年ほど古いというのだから発見当時は驚愕だったのだろう 実際の死海文書の内容とのちの旧約写本との間には微々たる差しかなかったらしい
つまりオリジナル聖書からほぼ正確に文章が写されてきたということになる 旧約聖書の成立年代が紀元前400から500年頃とされているのだから
死海文書の写本がオリジナルに忠実かどうかは分からんが そういえばエヴァンゲリオンにも死海文書って出てきたな 近代科学の基礎中の基礎はデカルトではなくベーコンの帰納法なんですよ 帰納法を最初に論理的に丁寧に説明したのはアリストテレスだが デカルトの演繹法を実践するには並外れた思考が要求される 個別の経験から一般法則を導くのが帰納法だがデカルトはまず自らの経験の根幹から真偽の秤にかけていく 古くはホメロスなどの詩人的な思想、自然哲学から来たもの、ギリシャ悲劇、ソフィストの啓蒙活動などと倫理観が結びついていた
詩人の語る英雄物語や神話を通じた正義、友情、知恵など
哲学者の語る自然の変容や普遍の原理など
悲劇では人の感情や行為の重要性、啓蒙では言論や知識の大切さなどが説かれた 次にソクラテスが新しい神の概念を持ち出して真理と人間個人の言行一致による徳を広める
ソクラテスとその弟子プラトンの思想はのちのキリスト教世界に決定的な影響を与えた
神学の論理面ではアリストテレスだが ソクラテスより前の倫理、ソクラテスの倫理、ヘレニズムやローマカトリックの倫理、と
大別できるように思える ソクラテスというと無知の知というのが有名だがこれはべつに「自分は知らないことを自覚している」ことが偉いという意味ではなく
真理に近づくためには汝自身をまず知れということである 共同体のルールという意味での倫理はどこにでもあるのだろうが西洋に影響力の強いものは
ソクラテスとプラトン以降に出てきたのだと思える 現代ではプロテスタントの倫理がよくいわれているがこれはあえてエポケー 神と国家、個人をいかにしてつなぐのかという着眼点から倫理を見ていると矛盾点が多い 西洋型の資本主義が世界に広まった理由としてカルヴァン派プロテスタントの倫理が機能しているからという学説がある カルヴァン派というのは神の絶対的主権性を軸にした思想である
ここでは人間の振る舞いによって神の態度が左右されることはなくあらかじめめ救済される人間は決まっている
善行を積めば救われるということもなく因果論とは真逆の世界となっている
人間のすべての行いは神の栄えのためにあるわけである ここで特筆すべきは「最初からすべて決まっているならば頑張る意味はない」とはならず
「救われることが決まっている人間ならば神の意思に適った行動を取るはずである」という
因果の逆転が起こった 世俗における天職の全うを旨とする教理とこの不合理な因果の逆転とが結びつき
プロテスタント資本主義特有の"行動的禁欲"という倫理が発生したというのである 早い話が自分が救われている存在であるかどうかが不安なので欲を控えて労働に徹することで
自分が救われているという安心感を得るわけである 実際に大資本家の多くは金のために欲望から働いてきたわけではない
欲を慎み天職の全うに励んだだけである 金儲けそのものは強欲であるとして否定されているのにこうも西洋型資本主義が流行ったのは皮肉である アメリカやイギリスではカルヴァン派倫理の影響がわりと強く資本主義倫理にうるさい 資本主義が強固なのは反資本主義的振る舞いにも利潤が発生するように組み込まれているからだ 俺はこのような現代の不可解な倫理観は信じていない
神の栄えのために天職を全うすることが悪いとも思っていない 人定法の全うによって神の国が開かれるのであれば法律をここまで複雑化させたのは理解しがたい
これはカルヴァン派とは無縁の思想か アメリカの作家が書いた小説版の新約聖書にはヨハネが昆虫やイナゴを食べていたことになっている
これも根拠が分からない
なぜわざわざ昆虫を付け加えたのか?? イナゴマメと野蜜だったら違和感なかった
イナゴは確かに高タンパク食料として見れば飢えを凌ぐのに最適なのかもしれない 資本主義では金儲けが悪かどうか以前に合理化されている
金が動けば飢える人間が減る
キリスト教倫理に照らしあわせて本来的に言えば金儲けは悪である 神の世界が栄えるようにして金を動かすことで安心感を得ているのか 俺の親父はギャンブル依存だが金儲けには微塵も興味がない
欲もほとんど無い 悪意なく平気で嘘を付き借りた金を返さないという癖があるが ソクラテスはまだ読まない
事前準備に時間がかかる
頭の中が整理できていない ディアブロのせいで天使と悪魔が恒久的に戦い続けるイメージが焼き付いた
恒久平和とは天使と悪魔の終わらないバトルのことだったのか 悪魔ディアブロは恐怖の帝王とも呼ばれ地獄を統一するほどの力を持っていたが
配下の悪魔の謀反により地獄から追放される 天使が組織させた魔術師軍団ホラドリムによって封印されたディアブロだったがその後
何度も蘇り人間界を混迷に陥れた ミッション5つクリアして報酬のホラドリムの宝箱を開けるという糞作業を延々と繰り返すうち
わたしは天使の使命を帯びているということさえも忘却してしまった ネファレム・リフト…敵を粉砕しまくりゲージが溜まるとボスが出る
ボスがグレーター・リフトの要石というアイテムを落とす
街に戻って緑色のおっさんに報告すると経験値がもらえる
グレーター・リフト…敵を粉砕しまくりゲージが溜まるとボスが出る
グレーター・リフトの要石が無いと入ることができない
制限時間以内にクリアすればレジェンダリー・ジェムの強化ができる
街に戻って緑色のおっさんに報告すると経験値がもらえる 要は敵を粉砕しまくり緑色のおっさんに話しかけるという作業を永久に繰り返すわけである 夢の遺産というレジェンダリー・ジェムを使っているがどう強くなったのか今ひとつ実感できない 装備しているレジェンダリー一つにつき与ダメージが少し増えて被ダメージが少し減るという性能らしいが 完全に装備ゲーだからな
マジックアイテム以上の装備をつけていないとゾンビの吐きかけてきたゲロ一撃で昇天だ
どんだけ弱いんだよ主人公 以前は全ジョブ育成していたが最近はバーバリアン以外使う気が起きない 1もやっていたがマウス操作が苦痛でやめた
2のリマスター版は気になっている 自分が救われるために善行を積むというのは神の利用に他ならないのだからカルヴァン派の言い分が分からないわけでもない 自分が救われているという確信が欲しいがために神の意思に適ったような振る舞いをする
これと本質的にどう違うのか? 1950年代のアメリカは完全にイカれており消費こそ正義だった 大量消費を通じて高度情報化社会へ至るわけだが日本も例に漏れず同じことをやった 西洋倫理が形式的にしか輸入されていない日本では研究目的か興味本位でしか聖書は読まれない
文学として楽しんだりはできるが エジプトの神権政治が2900年間続いていたと言われても日本にいるとピンとこない ソクラテスを読むのになぜ頭の整理が必要だと思ったんだろう いうてもプロテスタントの歴史は浅い
ただ資本主義としては強い
カトリック国のほうが債務危機を抱えることが多いことからも分かるように イスラムが血縁重視だと思い込んでいる人がいたが逆である
基本は血縁の絆よりも共同体回帰 プロテスタントの禁欲は仏教のような現世否定から来るものではなく世俗での実践における
欲望の制御という意味合いが強い
中世カトリックの清貧とも異なる 日本ではありがちだが現世利益と現世否定の清貧が入り混じっている
そこへヨーロッパの政治機構とアメリカン民主主義、自由主義、カルヴァン的資本主義が入ってくる 明確な倫理、ルールのない状況で様々な価値観が入り乱れる 敵を粉砕しまくりゲージが溜まるとボスが出る
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以後無限ループ 緑色のおっさんとはOrekというキャラのことだがどこの誰だったのか覚えていない
気がついたら出てきていた 拠点に突っ立っている連中の大半誰だったのか覚えていない
ストーリーモードやったのが3年前くらいだからな アメリカ大量消費の狂気
1920年代、1950年代、1980年代 20年代の好景気は主に敗戦国のドイツに金を貸しヨーロッパ諸国へ投資していたことによる
この頃のアメリカが実質黄金の時代といわれ「古き良き時代」の代名詞となっている
冷蔵庫や自動車、ラジオ、洗濯機などが一気に普及した
その後過剰生産による大不況が来てドイツ経済を巻き込んで崩壊に至るが 50年代にはテレビ、エアコンが一気に普及している
アメリカ経済は十年周期とかで不況と好況を繰り返している 自由の名のもとに大量消費、管理化、システム化、高度情報化、そのまんま実践してきた国だ ちなみに80年代好景気から90年代不況に日本が陥ったのもある種アメリカの経済操作によるものである 好景気になると国庫から大金が割戻され民衆が小売店に殺到する
消費こそ正義だったのである 開き直ったプロテスタントが"天職"を実践しただけである ロックのルーツを漁っていたときに20年代のアメリカ文化を見ていたが確かに活気があって輝いている
ジャズやスポーツ、映画への熱狂など娯楽が多様化していったのこの時期だろう ラヴクラフト(クトゥルフの元祖)の小説がパルプ誌に連載されていたのもこの時期だな
これも文学というよりは娯楽小説だった 新移民が集まって徒党を組むのを避けるために禁酒法が敷かれギャングが密造酒で大儲けしたのもこの時期
ギャング映画ではおなじみだが 日本の宗教法人は18万組織以上あるらしいが神道系が一番多い
次いで仏教、キリスト教 神社にお参りして願掛けするのは神道系の習慣である
ある種神頼みの現世利益だが習慣であり深い意味はない 伊勢神宮を本宗とする神道本庁は文部科学大臣の所轄なのである
全国の寺社の総元締のような存在
無理矢理な例えだが西洋でいうところのローマカトリックみたいなもん 俺は浄土宗系なので救済観もお気楽である
神道には縁が無い
神社でお参りしたことが一度もない 鎌倉時代には念仏が弾圧されていたこともある
基本的に気楽な現世否定である 仏教的に現世利益とは釈迦の教えを実践したことによって得られる利益のことである
来世の利益を当益という
どちらにせよこの世の話だ 仏教はそもそも信仰の対象がない
念仏で六道輪廻を超えられるというのはチートだろう
そんなものは阿弥陀任せであり考える必要もない 実際にそうだったらありがたいだけの話だ
阿弥陀様ありがとうございます 俺は西洋から入ってきた奇怪な思想を受け入れるだけで精一杯なのである
この怪奇現象に立ち向かわなければ 霊の位階秩序と六道輪廻はどのように関係しているんだ? 鎌倉仏教が俺のルーツなのかもしれん
神道には違和感しかない 相手は毎日公共広場をふらふらと歩いては誰彼かまわず論戦をふっかけていた倫理おっさんだ
恐れることはない 弁ばかり立つ無自覚なソフィストの憎しみから学ぶ対ソクラテス戦 ゴルギアスだ
第1世代のソフィスト
あれも気になる まずルターの宗教改革からおよそ百年後、ひどい宗教戦争がおこってしまう
三十年戦争である
これを契機にして中世が終わり主権国家、絶対主義国家でてきてしまう
つぎにアメリカが独立、フランス革命による近代市民国家が誕生してしまう
ナポレオン戦争のあとに国際法の規則が整備されてしまう
次いで中南米諸国も独立してしまう
ヨーロッパの植民地であるアジア諸国も国際参加してしまう
日本は開国を迫られまた中国も開国してしまう
万国電信連合が設立してしまう
第一次大戦がおこりソ連が社会主義になってしまう
国際連盟や国際連合ができてしまう
アフリカ諸国も独立してしまう
米ソが冷戦状態になったりしてしまう
緊張緩和を経て多極化の時代へ入ってしまう
しまうしまう尽くしの国際化でしたァ!!! 国家主義と国際主義の対立、経済格差、人種、思想、文化的対立など何一つよくなることはありませんでしたァ! 良くなるだの悪くなるだの、見方によって異なることはどうでもいいのだ 国際法の成立について調べている
マキアベリの君主論がまず重要
次はグロチウスの公海自由の原則と戦争法規 ヤコブの逸話が仮に史実だとしたら最古の天使は紀元前17世紀頃かなあ
天使に詳しくないので分からんが ヤコブに脱臼させられた天使が「あなたは私に勝ったのだからイスラエルと名乗るが良い」
みたいになったらしい
アズリエルとかミカエルとかそういうニュアンスなのかね 普通に考えたらセラフィック・トランスで消し飛ぶだろう
ヤコブ強すぎワロタ ディアブロにでてくる天使はごついおっさんが多い
天使も権力争いをしており天使が墜落したショックで地上に死者が蘇ったりする 大国(土地的に)では精神主義が先行する方策をやると餓死者がたくさん出る
ロシアや中国が証明済み 大量消費によって物流を加速させたアメリカはある意味で間違ってはいない 20年代の好景気時には自動車の値段を3分の1に引き下げて結果5人に1人が乗用車を持つに至った 俺は映画マトリックスにショックを受けた人間なのでAIがいずれセンチネルになるのではないかと
不安に思っていた 自己再生と自己複製のできる殺戮AIが出てくる可能性はある 高度に情報化された消費スタイルは市場を自己創出してゆくことが分かり
アメリカ型の資本主義は社会主義と比べて相対的優位に立つことになるのだが
これで貧困の問題が解決できるのかというと逆であった
新しい貧困のスタイルがもまた次々と生まれてゆく 「生活にとって必要」であることとは無関係の欲望を生み出すシステムなのだから当然だが 生存や幸福の追求をしているわけではなく新しく創出された欲望の捌き方それ自体を問題にしている 資源や環境の問題がよく取り沙汰されているがあんなものに危機感を抱いたことはない
消費システムが外苑化してきた問題を垣間見せることで新しい欲望を喚起しているに過ぎないからだ
システムの限界としてそういった意識を植え付けている 人間の欲望に限界が無いことを前提にしてしかこの消費システムは存続し得ない 映画アバターを見たときもショック受けたがよく考えるとすべて織り込み済みだった 人間が必要に感じているものに対してシステムは完全に無関心だ
愛だ理性だそんなものは通用しないということ
人間の際限無い欲望を甘く見てはならない それでも愛と勇気だけが友達だというのであればソクラテスの魂が応えてくれるだろう
アンパンマンを信じろ アンパンマンの新しい顔を用意してくれるジャムおじさんは天使かもしれん
白い服着てるし CODで人間殺しまくるのは飽きて嫌になった
ブラックオプスのbot撃ちたまにやってるが FPSも1000時間以上遊んだがだんだん疲れてくる 自然から切り離され共同体は解散
この不幸を糧として資本主義は取り込んでいく 前にも何度か書いたが加速主義は有効だと思う
貧富の差も含めた資本システムの拡大のことである
何に対して有効か?? 限界のないはずのシステムの外部へ到達できるという意味においてである
環境問題は目くらましに過ぎない システムが外苑化した問題は可視化され取り込まれる
これもシステムなのである
では外部とは何か?
これは「宇宙の外側はどうなっているか?」という問題にも似ている グレーターリフトのボスを狩りまくってようやくスカルグラスプを手に入れた
パワー抽出完了
これでワールウインドの火力4倍!!
フヒャアア!!!! フューリー枯渇対策が全然出来てないな
パズルのように装備とスキルを組み合わせないと上手くいかん 反射3倍とWW4倍をパッシヴ化したことで周回速度が上がった
あとは夢の遺産効果を引き出すため全身エンシェント化
これでもう少し深く潜れる 新興宗教というのは割と既存のものの組み合わせを教義にしているものが多いように感じる チーズ粥発狂大仏崩壊教
教義…「原子配列」と死ぬまで唱えれば百円もらえる 資本主義の成立にカルヴァン派の影響が強いという学説があると書いたが俺が気づいたのは
実験科学精神の基礎を打ち出したフランシス・ベーコンがカルヴァン思想に影響を受けていることだ ベーコン以前の科学は魔術とは切り離すことができない
魔術の根幹にある発想とはすなわち宇宙にあまねく万物の法則を解き明かし神に匹敵する力を
獲得しようとする営みであるのだが科学ではこれを神の創りし偉大なる自然への敬意と愛を通じて転倒させる
どちらにせよ万物の真理へ到達したいわけである 錬金術も同じである
神の性質を通じて質料より悪を切り離し善い物質を生み出そうとする
錬金術師の研究室は大宇宙のイデアの真理に通じていた 当時の科学観では過去の文献から理論の類推を繰り返すのが常であり物質を弄くり回す実験は
幼稚で悪しきものとすら見なされていた 魔術が、人間の意識することのできない自然の隠された秩序を探求するのに比して実験科学がおこなった
のは機械的な自然への拷問である
自然の方から秘密を自白するまでこれを執拗に繰り返した
ここで活躍したのが帰納法である 拷問官、帰納法君、やりなさい
帰納法「はい。これよりわたしは自然をいじめることによって真理に到達するための否定的事実を自白させます!!」 人倫の度重なる崩壊を経験した近代市民社会で人々は失った神の掟の代替物を探していたのでした 神の掟、人の掟、知と無知、などに峻別されるのはヘーゲルによると人の精神が行為する際に
実体と実体の精神に分裂することがきっかけになっている
ヘーゲルにおける実体とは主観を形成する場そのものである
そもそも人それ自体に主体性があるという見方ではない あの人は主体性がある、だのあの人は周囲に振り回されやすい、だのといった判断は
人の精神の性質を吟味していない判断なのである 人の主観はそもそもどのようにしてできているか
客観は有るのか ワンパンマンにも愛と勇気はある
ただパワーをもてあましてしまっただけである ベーコンの方法論は人間の認識を知覚周辺に限定し精神作用の大半を排除するところから始まる
デカルトとは切り口が相当異なっている 偏見の排除という意味においてはデカルトと通じている 拷問という表現は悪いならば詰問でもいい
知覚を使って自然に詰め寄る
実際に試されているのは人間の方なのかもしれないがここでは因果は逆転している 科学の持つ傲慢さ冷淡さというのは因果逆転により神聖化されている
カルヴァンの倫理がここでも機能しているからだ 科学者が研究に没頭するあまり一時的に自分の本名や住所を忘れてしまうということが実際にある
精神の大半を追い出す作業においては十分に考えられる事態である ベーコンの機能法はアリストテレスのような事実列挙とは違う 「健全な理性と正しい信仰」によって「神の贈与によって人類のものとなっている自然」対し
「権能をふるう」…… 開き直ったカルヴァニストが"天職"として実験科学を選ぶ
イギリスの実務家には大いに受けた 科学の力で神の世界を開こうという発想もあるがこれは普通のことである
人間が何をやろうがすべて神の知るところではない 科学が人類に救いをもたらすか?
そもそも因果論ではなく既に決まっている
神聖な振る舞いを科学が実践することによりすでに救済されているという安心感を得る
それだけのことである ベーコンについて調べていたが彼はデカルトよりも少し前の時代の人でおそらくガリレオも
読んでいなかったはずである ルネサンス期の魔術研究を通じた新しい科学観をもっぱら参照していたのだろうな 経験主義として語られるがどうもヒュームにつながるような思想ではないらしい
ヒュームはデカルト批判の系譜に連なるんだろう 医者兼化学者兼錬金術師のパラケルススは間違いなく読んでいただろう
パラケルススも反スコラの自然探求をやっていた
鉛やヒ素を初めて医薬品に用いた人である パラケルススはカトリックでありルターを下らない異端であると蔑んでいた
ネオプラトニズムの宇宙有機体説を信じていた カトリック魔術師とカルヴァン科学との関係はよく知らない ベーコンも読んでおくかなあ
デカルト以前の問題として ニュートン以前に活躍していたボイルなどもベーコンに影響を受けている 大嫌いな哲学や思想になぜ触れているのか自分でもよくわからない 大規模な架空の科学センターが登場するニューアトランティスという本があるな
未来の科学世界予見の書か 俺にとっては科学もオカルトみたいなものである
人間の認知機能もオカルトである 天動説が間違いで地動説が正しいとも思っていない
科学的推論により99%そうだろうと思われているだけに過ぎない 複雑怪奇な運動を伴い俺を中心に全宇宙が動いている可能性もある
立証ができないだけである 客観的に見て確からしいという事柄に人は従う
この客観とは一体何のことか ディアブロ3、ずっと装備集めに興味がなかったがリフト周回の時間が一気に短縮できると
調子に乗ってトレハンしてしまうな
これでは真の意味でハック・アンド・スラッシュにならないではないか 以前の俺は真のハクスラを求めてイギリス版のデビル・メイ・クライにまで手を出していた
しかし操作の難しいアクションゲームだった https://youtu.be/AO3l86IlYxc
ワールウインド・ビルドのプレイ動画
強いんだが回転をやめると途端にやられるのが怖い
常時フューリー維持できるかどうかが肝となる ワールウインドの火力upが順調だ
エリートモンスターが一瞬で消えていく 古代の自然学では物に先立って性質が存在しておりその逆は無かった
性質によってしか物は説明できなかったのである
それがデカルトやガリレオの機械論的自然観によって覆ることとなる
つまり物体の運動によって性質が引き起こされるという解釈が可能となった 機械論的世界観においてはアリストテレスの目的因は消失する 目的因とは運動や事物の目的や理由のことである
物体がただ受動的に動くだけの世界においてはこの説明がつかない ニュートンはこの説が無神論に繋がるのではと反感を持っている
物体に働く能動的な力ニュートンは想定していた 俺にはもともとアニメの絵でオナニーしながらミルミルとヤクルトの違いを考察する程度の知性しか与えられていないのだ 実感としてはデカルトやベーコンよりも俺の腸内で働くビフィズス菌のほうが偉い 冥王星の加護とマスターナンバーを3つもつ天使のわたしがなぜこのような低次元の葛藤を繰り返しているのだ ヘルファイアのボス、あれだけ苦戦したのにナイフでシュークリームを切る程度の感覚で消滅した
シュークリームはナイフで切っても消滅しないが サクッ、フニャアァ、みたいな柔らかさwwwwwww ビビッドアーミーの広告のしつこさに感銘を受けるレベルになってきたがアイドルとのコラボ広告で
また鬱陶しさが復活した 必須なのはパイドン
俺が一番気になるやり取りが収録してある
弁明が王道だけども ガリレオは実験科学者には属していない
類推を重んじる書斎科学派と見ていいだろう
望遠鏡とか作っているが
ベーコンから決定的に変わった ベーコンは科学者ではなく哲学者、神学者、政治家、法学者などを兼ねていた
生まれは貴族である
イングランド王の後ろ盾により大法官にまで出世し秘書にホッブズもいたそうである
贈収賄か何かで失脚したのち本を書いて過ごすようになる
シェークスピアと同一人物であることを疑われたこともあるらしい 科学技術と人の幸福とを結びついて考えるあたり確かに科学者の発想ではない 経験主義の基礎によくベーコンが挙げられるが実務的という意味であって
ヒュームの文脈には微妙に通じていない イギリスの実務的カルヴァニストを舐めてはいけない
産業革命の原動力になっている 新しい便利な道具の発明が人のライフスタイルを嫌がおうにも変えてしまうことを熟知している 経験主義と理性主義の対立は紀元前のギリシャからすでにあった
直接近代に繋がる経験主義の萌芽は13世紀、オックスフォード学派によるスコラ学批判である 俺のいうベーコンとはフランシス・ベーコンのことだがその前にロジャー・ベーコンという人物がいる
ロジャー・ベーコンは無知の四原因という主張によってトマス・アクィナスの考え方を批判していた 権威への依存、習慣依存、俗衆の意見、己の無知への無自覚
これらの要因を理性批判の材料とし、数学の有用性を訴えた
トマス・アクィナスはアリストテレスの解釈を利用するばかりで
数学を真面目に勉強してはいなかった グロステスト、ロジャー・ベーコン、オッカム当たりが経験主義の基盤作りに貢献している
ロジャー・ベーコンの四原因を独自解釈して生まれたのがフランシス・ベーコンの4つのイドラである >>315
ベーコン脂っこいからあまり食べてないな 科学にとって数学が有用なのは簡単にいえば科学の対象が無限の可能性だからである
無限というのは数の力を借りなければ人間の手に負えるシロモノではない エジプトやメソポタミアの占星術も経験といえばそのとおりだ
農業の出来不出来に関わるので膨大な観察の積み重ねをしている
ギリシャの天文学は基本的にエジプトの占星術を習慣から開放したものだ 経験主義が馬鹿にできんというだけであって経験主義を信じているわけでもないが あなたがたはなぜ科学のチカラを過信し神や重力にあらがうのディスか?
あなたがたには敬虔さが欠如してイマス
わたしの権能であなたがたをひとり残らずティヌらせてさしあげましょうか?
ティヌらせるとはアウグスティヌらせるという意味デス! ぶっちゃけ敵がアイテムやお金ドロップしないほうがいい
グレーター・リフトはその点すっきりしていて良い 演繹法と帰納法のルーツは知らんがスコラ学を通じた考え方の落差が気になる
やはり神の存在証明のルーツから読もう
ソクラテスはその後だ デカルトが単なるスコラ学嫌いではなくアンセルムスの証明法を模していることからも分かるように
伝統は重んじているのである 聖書や詩篇や教父文書ばかり教えていた保守的修道院では神に対する論理的考察というのは
気晴らしの一環であったのかもしれない カルヴァン式帰納法科学とスコラ学演繹法を秤にかけていきます どの本読もうかな
買っても流し読みだけして放置するケースが非常に多い
2百冊くらいそういうのが溜まっている ヘーゲルの精神現象学や小論理学は通して何度か読んだが内容が粉微塵も頭に入ってこない 難解な怪奇文書をいくら読んだところで知性オンチの俺には馬の耳に念仏、豚に真珠、アヒルに東京タワーだ もともと俺はアート志向の人間で文系も理系も極めつけオンチなのである 芸大の受験に失敗してから頭がオワコンになり専門学校でラリってアル中で更に悪化 人間個人のことなど俺はあまり興味がない
宇宙からさっさと出ていきたいだけだ
人間は基本的に好きである 無知の四原因を見ているとすべてに思い当たる節がある
習慣依存でしか成立しない日本に生きているとこれを嘆いても仕方ない 誰しもやっている根拠のない自己正当化を俺もやっている
根拠がない不安感も合理化してしまっている ソクラテスは相対主義者にはなるな、といっている
確かなものを求めなければならない 西洋から輸入した政治機構にアメリカの民主主義を混ぜて中身は半分社会主義の島国で
確かなものを見つけろというのか 宇宙に知性が秩序を司る力として偏在しているならば知性をつけようとしている人間は一体何なんだ?
宇宙の秩序と一体化するのが目的なのか
それでは宇宙から出ていけなくなるじゃん 作用者には同化作用がある??
神は人間に容易に作用できるが人間には神の像を表現することしかできない
そこで神より贈与された自然の加工を始めるのか 投影は自己の異化作用であるとユングがいった
自己同一性を保つのに人は精神の異化を続けている
影の大元は"根源的な悪"である
つまり悪から自己精神を救い出そうと足掻いている
光を利用することによって 霊的次元の高い天使も被造物(カトリック規定による)だが神と人を繋ぐ伝令役でもある
ヤコブは伝令役と取っ組み合いをして脱臼させた
そしてイスラエルとなったわけである……(唖然) イスラエルはユダヤ民族の祖である
分裂を繰り返して自己同一精神を強く望むようになった彼らはやがて神と契約を果たした
悪を滅して神の国を開くことを固く誓うわけである プレローマへの至り方を銀河連邦に聞いてみるか
グーグル先生は教えてくれなかった 中世キリスト教の修養本は2冊だけ読んだことがある
『キリストにならいて』、『霊操』
前者はオランダの神秘思想家によって書かれたもので
半ば現世否定に近い神への愛や栄光を讃えたもの
後者はイエズス会の始祖が書いた霊的瞑想法 『キリストにならいて』の方は修養本の決定版として大勢の人に読まれてきた
多分刑務所とかにも置いてある キリストの精神にならって神のために生きる以外のことはすべてむなしい、という内容の文章が
徹頭徹尾並んでいる 罪に喜びを感じているから裁きや死を恐れるのであってそんな下らないものは捨て去りなさいと言っている 魂を純化した状態で死ぬ(肉体と魂が分離させる)ために生きていたソクラテスと
キリスト教の教えはどこか似通っている
ソクラテスの死に様には悲壮感がまったく無い
自分から平然と毒ニンジンの入った盃を飲み干した 誘惑に抵抗しなさい
祈りを欠かさず悪魔に注意を払いなさい 俺はカトリック的にいえば罪人なんで、修養を常に迫られている ディアブロ3で悪魔を粉砕しまくることによって免罪を受けているのです 宗教では不滅の魂や霊魂といった概念がよく出てくる
神道にも似たような概念があるしキリスト教はもちろんのことヒンドゥーにも
宇宙と一体化することのできる不変の我がある
しかし仏教ではそのようなものは無い 仏教では因と縁によってすべてが生じている
不変の我はどこにも存在しないのだがカルマの力が収蔵される阿頼耶識なる心が存在している
阿頼耶識の流れが生命の本質であって人が自分のものだと思い込んでいる身体や意識は
実は自分のものではない
それに対する執着が発生するのも無知に由来している 苦行と智慧(知性)の力を借りて無知から脱却し人生の苦しみを克服するのが仏教の目的である
よって不死の魂といった信仰も持つ意味はない 阿頼耶識の流れもカルヴァン科学によって定量化されてしまったのか? 仏教の開祖である釈迦自身はキリストや孔子と同じく自分では書物を残さなかった
釈迦の実践や発言を弟子が教化して伝えたのである 初期から教派が上座部と大衆部とに分裂していた
最も原点の教えに近いといわれるのがパーリ仏典を経典とする上座部(テーラワーダ)である 上座部を信仰するアジア仏教国の多くが西洋の植民地となっていた時代がある
この頃は宗教保護政策としてオックスフォードで仏教研究が熱心に行われていた
欧米にも仏教やヒンドゥー教の施設が多くある 仏教も伝播の過程で生活習慣に由来する戒律の違いや解釈の違いにより多数の宗派に分裂してゆく ちなみに仏教では宗派による大量の仏典が存在しているため仏典そのものにランク付けがされている
キリスト教ではランク付けなど行わず異端は排斥される 日本に流通している中国経由の大乗仏教には元々あったサンガといわれる修行組織が存在しない
そもそも過酷な修行をしないのが日本仏教のスタイルである
この点でオウム真理教は正統派の仏教に近かったといわれている
実際に麻原は仏教界のお偉いさんに会ってまわりオウムの仏教的な位置付けを積極的に確認していた 特定の崇拝対象を持たず異端排除も過激でない仏教だがオウム真理教は救済観が特殊で
どこかユダヤ教や中世カトリックの雰囲気も漂っている
斬新な新興宗教として知的エリートの若者にも関心を持たれた ニューエイジ思想やノストラダムスの終末論も混ざっているし正統派仏教的でもあり西洋的でもある 最初は神秘体験を利用したヨガスクールだったのにテロ組織化してしまったな
まっとうに活動を続けるのが一番良いのに カタルシス(浄化)というのは元々ソクラテスのいう魂の純化のことである
アリストテレスの詩学の影響でいつしか感情の浄化という意味で広まっていった キリスト教世界では個人の自由と神への絶対服従とが連動している
中世社会では人間の個人の自由など無かった 神の世界から切り離され自由を得た個人は神の代替物として人間同士の承認に餓えることになる カルヴァン思想がその弱みへつけ込んでくる
カルヴァン思想における天職とはすなわち神への絶対服従のことである すでに教会権力から切り離されているのだし神に対して自分個人の振る舞いはなんら意味を持たない
それでも神のために自らを道具と化して天職に励む
一体これは欲深いことなのか欲が無いのかわからないではないか
従属への欲望といえばそうなのかもしれない ファシズムは基本的に恐怖政治ではなく根拠の曖昧な自由を憎む民衆の熱狂的な支持が背景にある 個人の自由を愛する民衆が多数派であればファシズムには陥らない 人間同士で承認合戦をしているうちは自由などありはしない 自分の意思や行動を自分で完全に制御できてこその自由である 科学の対象は常に無限である
無限とは神のことである
神に向かって開かれた領域を探求するには一定の基準を満たす説明モデルが必要となる
数字による定量化がその代表である 数字は人の欲望とは無関係に振る舞う
youtuberの数字取り合戦のような意味ではない 物理学者が探しているのはできうる限り神に近いシンプルな数式である 数字に振り回されるほうが承認合戦よりも気楽なのかもな 数字の世界に神や自然の謎が隠されているという思想、これも数字の性質に由来している
人間の欲望の外側にルーツを持っている 同一性が失われ融解をきたすような膨大な数多性から「連続体」は生まれる(パース)
そもそも数字に連続性を与えたのは人間である 仏教では連続的な因果性を重視しない
事物は因縁として同時に生起しているわけである
心は単に流れている 本が貴重であった中世ヨーロッパの図書館では盗難防止策として鎖が繋がれていたらしい 中世のハードカヴァーの神学本を見ていると胸がときめいてくる
変態か俺は 神学、医学、天文学、神話、英雄譚、政治学、歴史学、数学、文法学、哲学、文学、詩集、、、
ワクワクが止まらねえ(メルヘブン) 学問嫌いだし読書も好きではないんだが古書に浪漫を感じるというのは理解できる
ビブリオマニアになると難しいが 昔図書館に入り浸っていた頃があった
別に知識に飢えていたわけではなくハードカヴァーの本に囲まれていると心が落ち着くからだ ほとんど読んでいない本が何百冊と積んである
一時期処分したがまた増えた 知識欲ではなく過去の歴史とつながっているような感覚に浸れるからだろうな
これもただの欲望 ソクラテスの弁明少し読んだがイライラしてきてやめた ルターの宗教改革を機に宗教対立がヨーロッパで激化していくのだがこれは単にカトリックと
プロテスタントの争いというわけではなく様々な文化や政治、思想巻き込んだ大規模な運動として
理解したほうがよい
実際にカトリックとプロテスタントの連合形態も生まれたし改革派内部の闘争も激しかった 医療に化学を大々的に導入する思想が広まったのもこの時期である パラケルススの時代にはまだ化学の人体への有用性が曖昧だったが彼の死後に追随者がたくさん出てくる もともと化学は錬金術師の領分だったが質量保存の法則登場以降、定量化実験繰り返されて
科学の分野として認められるに至った ゲームの片手間でイライラしながら適当に字打ってるから接続詞が抜けてるな チャレンジリフトが時間ギリギリで何度も失敗して切れながら書き込んでいる グリモワール(魔術書)の翻訳とか読み漁っていた時期もあった
あまり翻訳は出回ってないがソロモンのやつは読んだ記憶がある 初期近代の魔術と科学の間に位置する時期には実に様々な思想の潮流が芽生えた
教会権力から離れた反動だ あの時代のイタリア、マジで呪われている感じがあるから今でも怖い 現に人間中心主義に酔いしれすぎて自由を憎む人間が増えのちのファシズムの台頭を招く 根元的な悪から自己精神を救うために人が自己同一性に固執している、という考え方は
否定する材料がないので保留 神秘体験として強烈な神の光に出会うと影が消滅したような錯覚にとらわれるだろう
それが新しい分裂の引き金になるわけだが
よくいわれるように強すぎる光はより暗い影を落とす 神から分裂して出てきたのがサタンである以上極めて重大な問題である 自己救済できたときに人は変わるという説
自己救済できない代償行為として他者を助ける
これは慈愛だろうか 釈迦は35歳で悟りに至り人生の苦悩に終止符を打ったといわれている とにかくチャレンジリフト失敗でイライラが収まらん
神学を読むしかないねえ 理性主義の萌芽は紀元前500年頃のイタリア
エレア派のパルメニデスまで遡る もともとイオニアの自然哲学は生成消滅する自然の中に永遠不滅の何か(ピュシス)が
隠されているのではないかと観察を繰り返すことから始まった
パルメニデスが考えたのは人の感覚によってでは生成消滅する事物の形式的な表層しか
知ることができないのではないか?ということ
そこで理性のみによる探求を提唱する 永遠不滅と生成消滅の矛盾点を解決すべく考案されたのがレウキッポスやデモクリトスの原子論である ソクラテスもまた自然には合目的な秩序が存在することに着目して人智を超えた神の存在を想定する
ソクラテスの弟子プラトンはこの超越的な秩序をピタゴラスの学説と融合しイデア論として展開する 原子論を信じたデモクリトスだが人間の感覚は不確かで信じるに値しないといっていた
不可知論、懐疑主義者のピュロンはデモクリトスの意見に賛同していた ピュロンの考えでは人間の感覚が捉えているのは現象に過ぎずそれは相対的なものであり
現象を確かなものであると断言するに値しない プラトンはアカデメイアという学校を開いているが晩年のプラトンは自説のイデア論を
論理的に説明できないことに悲観するようになっていた
それは生徒の間にも伝わりピュロン的懐疑主義の空気が生まれることとなる アカデメイア六代目の学長アルケシラオスになると感覚と理性の両面から懐疑主義の秤にかけるようになる
この代ではソクラテスさえも疑念の対象とされるようになった 八代目カルネアデスになると論理学の大前提である矛盾律や同一律にさえも懐疑の目を向けるようになる
この時代が懐疑主義の最盛期だろう 同一性の問題はとても根深い
根拠を求めるほどそれは逃げていく 初期中世ヨーロッパの哲学はもっぱら神学である
悪い言い方だが当時のヨーロッパには素朴な田舎者が多く自分の存在に安心感を与える思想が受けるため懐疑主義は
ほぼ取り入れなかった 基本的にはイスラム世界経由でのアリストテレス、プラトンの受容である
神にまつわる難解な問題への説明方法としてこれらが好まれた 5世紀の西ローマ帝国崩壊により暗黒時代へ突入するのだがそんな中修道院では正規の学問を
学ぶことができた
戒律として読書が課せられていたのである 初期の修道院で好まれたのは神秘主義の色彩が強いプラトンで、アリストテレス研究は盛んではなかった イスラムにとって古代ギリシャ哲学は異教の学問に他ならないのだが明確な論理を打ち立てようとする
第一哲学には敬意が払われた プリキュアって面白いのか?
初代の一話だけ見た記憶がある 国体の本義には日本の基礎は家だと書いてある
これは血縁や家族の意味ではない 国家に家という字が入っているでしょ
国も家なんだよ 戸主と家族から構成される単位が家である
戸籍登録がその際家かどうかの証明となる 現在の民法では制度としての家は廃止されているが精神は根深く残っている
戸主が権威をふるう時代は終わったが 個人の自由が家から離れたところに確立されているのか
日本は家だぞ 新世紀エヴァンゲリオンの主人公シンジは昭和の家族、恋愛ごっこの追体験をしている
戸主たる父親のゲンドウが亡くなった奥さんの再生を求めて科学の力でアダムとイヴの世界へ行ってしまった 戸主権限の喪失と共にロボットアニメは熱血の方向性を変えていく 俺の中で熱血アニメはキルラキルで終わった
母子で殺し合うキチガイアニメである
親父は例のごとくカルヴァン科学者である 俺もアダムとイヴの血縁者なのかなあ
だとしたらヤコブともつながっているのか… そういえば兄弟で殺し合いしようとしとったなヤコブはん
何か恐ろしい因縁があるのか
イスラエルの業の力が阿頼耶識を通じて俺の意識にも流れ込んできているのかもしれん
この怪異にどうやってたち向かえばいいのか ベーコン先生の本を注文した
新品が絶版で売っておらず中古が定価の3倍以上したが構うものか 俺のベーコン愛は誰にも止められない
俺はベーコンの狂戦士なり カルヴァン実験科学における聖書のような存在だから文明人として読む必要がある 理系科学者なら多分ヒュームを読めっていうだろうけどな ヒューム、ジョンロック、ホッブズ、カルヴァン辺りと迷ったが カルヴァンの「占星術への警告」も読んでみたいが今は気分が乗らない アウグスティヌスでは神の国と地上の国とは混じり合う存在となっている 神の国の構成員、天使と善き人
堕天使は善き人には及ばない 善人は服従していても自由だが悪人は支配していても不自由である 罪を犯す喜びから抜け出すと次に罪を犯さないことができる自由が与えられて最後に
罪を犯すことのできない自由にたどり着きます
こうなるとほら、神の国があなたを迎え入れてくれますよ 今日もメキシコのグロ動画を見た
マチェーテで生きたまま手足を切り落として銃でとどめをさす動画
悲痛泣き叫ぶ声が焼き付いた
胸が苦しくなった 苦しくなるのに何度も見返してしまう
人間の身体の脆さが気になる 昔の剣で戦う戦争だと身体切断なんか日常茶飯事だったろうな 死や苦痛の否定的イメージが克服できない
これに縛られると自由は消え去る 否定的なものを取り除けば自由になるという発想がまず不自由である カルヴァン派について間違えてはならないのが「天職」が自分に与えられたものではないということだ 神への服従として天職が与えられたもの"として"振る舞っているのである 善行を行えば救われるという教えが消失しているカルヴァニズムにおいてはこれを守る他ない かつてカリスマ性を持っていた精神が世襲によって消えてゆくのとは違い
システムの軌道に乗っても作用し続けるだけの強固さがカルヴァニズムには有る
皆自分が救われた存在だと思いたい プロテスタントにはよく分からん分派が無数にある
聖書のみを信仰しているからだ
プロテスタントは「アーメン」を用いないし十字架から張り付けのイエスを削除した 昔プロテスタントの牧師と話したことがあるが彼の家には大量の聖書資料で埋め尽くされていた キリスト教の歴史は異常に複雑で特定の時代の特定の教えを理解しようとするだけでも何年もかかる
信心深い人たちの苦難の歴史とセットになっているからだ 俺は形式的に浄土宗だが無宗教人間なので適当に概観だけを眺めるだけで満足なのである 異教排斥によりもともとあった神々を悪魔のように堕してきた面も忘れてはならない
人間の抑圧観として見ると悪魔の暴走のように見えるものもかつての神々の怒りだと捉えることもできる 欲望を徹底抑圧するというキリスト教の性質上十分に考えられる
ナチスの暴挙もキリスト教により排斥されたゲルマン神の怒りだという見立て方もある ケルトやゲルマン神の多くが異端扱いを受けて悪魔のようなイメージに変えられていった 初期からキリスト教では無神論や異教への対抗策が念頭に置かれていた 祈りの力で極度の思弁性を手に入れた神学者は強力である
悪意のある屁理屈は微塵も通じない アンセルムスが例えているように「それ以上大きいとは考えられないもの」を大前提にして
己の魂が上昇してゆくような論法を取る 人間に対していう完璧と神の完全とはまったく違う
エドガー・アラン・ポーの小説はよく完璧だと言われているが
それは「余計な要素がない」という意味においてである
無駄が排除されて秩序だったものに対して完璧という例えを使う
しかし神の完全というのはすべてのものをそのうちに含んだいわゆる無限のことである 数学では無限よりも大きな集合というものを仮想できるがその考えも神に含まれている 宇宙の果について考えるときの茫洋とした感じ
人間の空想力の乏しさ 心が貧しくなる、の特殊な言い方
心が非・豊かになる 反対の意味に非をつけることで否定的なイメージを軽減 科学と宗教は扱う領域が異なるということを弁えた上で丁寧に説得してゆけば論理好きの司祭を説き伏せることはできた 相対性理論やビッグバン理論を好む司祭も多くいたそうである
問題はそこに救いがあるかどうかなのだ 明日もし終末が来ると分かっていてもリンゴの木を植えるという精神 ガリレオは間接的にではあるが神学者が数学を習得していないことを責めている カトリック神学では伝統的に黙想と思弁の両立が重んじられている
黙想とは疑問に対して答えを求める行為ではなく神の世界へ思いをめぐらせて
自分を開放するような思考形態である
思弁とは理性による思考である 沈黙が重視されるのは神の話す領域を空けることに等しいからである 論理的思考とよく言われるのは一般的に悟性による類推を駆使した思考である 一般法則を前提にして組み立てる演繹法をフランシス・ベーコンは否定している
一般化のプロセスで多分に歪んだ偏見が入っているからである おそらくベーコンが生前にデカルトの方法的懐疑に触れていればその考えに賛同しただろう
デカルトの演繹法はかなり特殊なのである 一般化作用を持つ知覚自体が我として表象されるような構造を持っている
ここがデカルト哲学の第一前提となる ベーコンは自説を「新しい論理学」として国王に献上した
第二部のタイトルにも「新オルガノン」という副題が入っている
オルガノンとはアリストテレスの著作名である アリストテレスの論理学が絶対的な規範となるのは推論の技術として見た場合である 推論に用いるのは主に蓋然性(確からしいと思われるもの)を建前にした通念である
ここにおいてはすでに知覚により一般化された観念から逃れることができない 一般化されたもの、"これそのもの"ではなく共通した何かを言い当てる癖 数学では1は1にほかならず実数の集合は連続性を持っている 俺は数学オンチで高校では一切勉強しなかった
授業中も、雪見だいふくに大根葉を詰め込んでロケットで火星に飛ばすといった
意味不明な空想ばかりしていた これはアメリカのゲームです
みなさんもぜひやってみてください 今でもコーランは羊皮紙(羊の革から作った紙)に書かれているらしい
モーセの部分は特に子羊一匹につき紙一枚の割合で使用するよう規定されている 15世紀に印刷技術が発達するまでの間はパピルスや羊皮紙で写本制作を行うのが一般的であった
一冊本を作るのに材料費だけで100万円以上相当のお金がかかったそうである 死海文書も羊皮紙に書かれている
耐久性だけは折り紙付きだ
保存状態により1000年は軽く持つ インクには没食子(ブナ科の植物のこぶ)から抽出したタンニンに鉄を加えたものが使用された
顔料と違い化学反応で色を定着させる ブナの虫こぶとかぶっちゃけハエが卵を産み付けた跡なんだろうがタンニンができるらしいな ソクラテスは何か、異界?からの声が聞こえていたらしい 中世の西ヨーロッパではともかく神学こそが最高権威であり哲学や数学、自然科学はその下位であった
理由としては民衆の多くが読み書きのできない素朴な信仰を持つ田舎者だったからである
教会はともかく信仰と理性とを結びつけて民衆を教育する必要に迫られた
教会から離れては文化も成立しない時代だったわけである 教会権力から離れて自由に表現できたのは文学である
騎士道物語を中心に人間の自由な生き方が描かれた フランシス・ベーコンを機に理性は実験科学の方向へ切り離された 簡単にいえば「優れた道具がたくさん発明されたのだから理性の力で有効活用せんか」というわけである 神の存在証明というのは盲信状態のキリスト教に思弁性を取り入れる際の全力の飛躍である
これがスコラ学に繋がる
カントが屁理屈で否定しているのは非常に馬鹿馬鹿しく思える デカルトはこのアンセルムスの全力の飛躍に敬意を払いながらさらにぶっ飛んだ飛躍をやった 屁理屈というと言葉が悪いな
言葉尻を捕まえて「人間にはそんなたいそれたことはできん」というだけのこと 昔のオックスフォード大学、神学、法学、医学が三本柱かあ 物事に差を与えることによってしか人間の精神が安定しないのは事実 男と女に差が無くなり、ラクダと人間に差が無くなり、火とわんこそばに差がなくなり
コロナのクラスターがヨードチンキのお花畑になるとカナブンもアブサンを信仰するだろう 魔術的発想は科学の力で消すことはできない
神話、宗教より前の時代から人間はそれに頼ってきた 世界と自分の関わりを意識するのに神話や宗教が今でも生きていることを考える科学万能という
考え方は脆弱である ちなみに生死というのも繋がっている
日常営む上で不都合なので便宜的に切り離しただけである
生死の問題で悩むのも人間の大切な営みなのである 極は反発しているともいえるし結びついているともいえる 物理学的には電子の運動を阻む因子が消え去ると何もかも光速でバラバラになるらしいが アインシュタインの思惑と異なり時空が実際に不連続なものだとしたら
神経はそれにあらがっている風にも見える ニーチェが挑んでいた不連続な時間への徹底抗戦、この考えにも妥当性がある 過去や未来といった実際には存在しないものを神経が仮想し繋ぐことによって
束の間の自己同一性を得ているに過ぎないのかもしれない アンセルムスの本も注文したがこれも定価より高かった
昔の神学は品薄なのか ヴォルテールのパンセ(パスカル)批判も読みたいが今は気分じゃない ヴォルテールといえば世界で最初に大規模な百科事典を編纂したメンバーの一人だ
ダランベール、ディドロ、ヴォルテール、ルソー フランス革命で投獄されとったな
パンセ批判も禁書処分受けるし ガリレオの論文もカトリックの禁書目録に登録されていた アンセルムスを知ったのはデカルトの方法序説がきっかけだった
神の存在証明の注釈にアンセルムスの名前があった
実際にはアウグスティヌスからの伝統だが 今回は真面目に読書するか
いつも半端に挫折して放置しまう 気が散ってくると気になった単語の周辺だけを拾い読みするといった読み方になる
精神状態が悪いときには本を開いてもミミズがラインダンスを踊っているようにしか見えず
紙をめくるだけの作業ゲーと化す イライラと殺意にまみれながらミミズのラインダンスを鑑賞しているうちに意識が混濁してゆく https://tmp2.5ch.net/test/read.cgi/mog2/1084466230/
懐かしいスレを見つけた
この二律背反のバトルが発生したレスのやり取りが見つからん
今カントを読んでいて思い出した Cが容姿と性格の二律背反がどうこう言ったのに対してそこもでが容姿と性格は二律背反じゃねえ、
みたいなツッコミを入れたのがきっかけだった覚えがある
一連のやり取りを当時追っていたが結論が出ないまま終わってモヤモヤしていた みなみ子が他人のやり取りに横槍入れるのが好きな人でよく叩かれていた
みなみ子も俺のスレによく書き込みに来ていたのを覚えている なんでもあり板は現実から隔絶されており時間が止まっている 中世の範疇論とカントの比較をしている
実在論としてアンチノミーを考えているとわけが分からなくなる カント哲学では仮象が純粋な観念であり経験を裏付けるものにはなり得ない
これがある命題に対して相互背反する理由に挙げられる
つまり肯定と否定が同時に発生しているということ 形而上学的な問題の多くは観念の催す現象なのであって肯定も否定もできてしまうのだから
実在論として語るのはナンセンスだ、というようなことを言っている 古代中華思想では人の容姿も天の理と関連付けられていた
人相からその人の運命を知る占いの手法などあるが根拠として天の理が挙げられる
形而下的な問題(経験的なもの)として語られる容姿や性格だが
関連付けの根拠次第では形而上の問題として語ることもできるような気がしている 安易に真善美と関連付けるのはやめたまえ
西洋の真善美は重たすぎる
ソクラテスにも挑めないのに 人間は本来的に何とも関連付けされていないのかもしれない
苦心して世界との繋がりを保っているが根拠が薄い 物語を語ることによって語られる存在となる
これもつながりである
根拠はない 仮に神が「あほ」とだけ言葉を発したとすれば「あほ」が壮大な物語として語り継がれる
「あ」と「ほ」の間に深淵長大なる意図が隠されているのではないかと推論合戦が始まる 関係性ですべてが決まっている??
それは一体何と何の関係性なんだ 人とスマホの関係で宇宙の構造が決まっているかもしれない ニュートンのプリンキピアを流し読みしたことがあるが難解すぎてめまいが起こった
なんせ幾何学で運動法則を証明している ニュートン以前のヨーロッパでは天体の運動といえば神の領域だったのだが
月に働く力を地上の物理法則を適用して説明可能にしたのがニュートンである 惑星間に働く力学などかつては想定されていなかった
何某かの媒介物質が存在すると考えられていた ちなみにニュートンは神学者でもあり錬金術研究も行っていた
プリンキピアを短期間で完成させたのも神学的情熱に裏打ちされていたからである 物理学の数式ができうる限りシンプルで美しい方が良いというのはニュートンの神への情熱に
由来しているものでありその伝統は現在の物理学でも続いている しかしニュートンの姿勢はあくまで客観的な聖書解釈でありカトリックの盲信部分については攻撃対象であった
自分は神に選ばれてオカルト研究をしていると考えたそうである 唯一絶対の神による秩序だった世界の探求という意味で情熱的だったわけである 中世の、本が貴重な時代にどうやって修道士が勉強したのかというと
蝋板なるメモ帳(木の板に蝋のコーティングがしてある)に写本から自分が覚えたい箇所だけを書き取り
部屋に持ち帰って繰り返し読むことで暗唱していたそうである アンセルムスは修道院神学者でもあったので修道士たちがメモを取りやすいように
短い段落に分けて書物を書いたそうである カトリックが行っていたのは人を傲慢にする知識の排除である
よって最高の知識は神への信仰を大前提にしたものでなければいけなかった ぴよぴーよ速報の動画をずっと見ていると笑いがこみあげてくる
これだけ見て小学生が勉強したらどうなるだろ 偉人が現代人を論破するシリーズと歴史解説のやつをかなり見たが 歴史解説のはガバガバの美学みたいなのを貫徹していて清々しさを覚える 真面目に歴史を捉えている人にとっては憤慨モノの適当さだが 大雑把な動きだけを概観するのにいいんだよなこういう動画は 戦争の歴史はほんまに糞の極みだからな
何千年も同じことやる カルヴァンの天職観が不思議でならなかったがおそらく修道会の労働倫理が基になっている 奴隷に支えられてきたギリシャやローマ世界では労働というのは下賤で卑しいものであった
自由人の貴族を最上位に置いていたわけである
それが修道士たちの活動の普及により変わっていくこととなる 修道士にとっての労働とは勤勉さと節制を身に付け世俗のいかがわしいものから遠ざける役割を持っていた
禁欲的な鍛錬として労働が最も良いとされたわけである 修道士たちは聖務日課(祈禱)や読書、瞑想をこなしながら様々な手仕事や肉体労働をして
心身の鍛錬に励んでいた 祈祷って書いたら文字化けした
難しい方の字を使ったからか ギリシャやローマ世界の労働の扱いはマジでひどいからな
賃金のために肉体労働すること自体が低級下劣なのである 人間が楽園を追われて以降、労働が天罰としてのしかかってくる、旧約の世界観も関わっている
土に還るまで額に汗してパンを得るために働く神の呪い お前らに楽園などない、土を耕せこの呪われた大地で
不死でなくなったお前たちに課せられた重罰とは「労働」そして「出産」だ
働いて子を生むがいい 土に還るまで労働と出産に苦しむがいい
ここが地獄だ、HAHAHAHA 異教徒の浪費と自分たちの節制を対立させてさらなる禁欲に磨きをかける 労働の苦痛を軽減するのが幸福に繋がるという欧米の発想自体が旧約や奴隷の歴史に由来している 簡略化して、労働が発生したのは人間が自然と分離したからであり人と自然の分離の解消こそが
人間の目標である、とする考え方もある 生活物資が多いと生物は増えて、逆に少ないと減少するといういたってシンプルな法則があるが
人間もここに含まれている
精神論ではなく物資の問題 物質が豊かになって人の心は豊かになったか?
そんなこととは関係なく数だけは増えた そうです
数が増えたから自己同一性のもんだいも複雑になったのです
数が悪い(結論) ウェルギリウス先生も労働が卑しいみたいな書き方しているな
アンセルムスが文法学習に推奨していたあのウェルギリウス先生が!! ニュートンの友達ボイルはベーコン派、ニュートンはデカルト派 プリンキピア作成時にライプニッツと代数の問題で対立していたらしくデカルトが捨てた幾何学を
用いてあえて証明を試みたのだとか https://youtu.be/39hXkSditN4
ぴよぴーよ速報 太平天国の乱
14年間で死者2000万人越え
自称イエスの兄弟による儒教社会への反乱 この反乱では中国史上初めて近代的アメリカ軍が投入された ベーコン先生の本を読み始めた
なんというか非常に物々しい格式ばった文体で読み辛い
ジェームス陛下への献辞冒頭で自分の贈収賄についての謝罪も行っている
元大法官としての立場から国王に献上すべく書いたものだから堅苦しいのか 本編のアフォリズムに達するまでの前書きで一時間も要した 人類の福祉と有用のために愛をもって自然を調べつくせ、というようなことが書いてある
知識は人を堕落させるし力への渇望は天使をも堕落させるが愛には限界が無いんだと
ベーコン先生は愛の戦士か これ何度も読まないと咀嚼できないな
文章が入り組んでいて難しい
時代によるものか 知識への渇望は捨てて未来のために地道に研究やれってことだな 単純枚挙ではなく経験そのものの分解による帰納法
骨の折れる作業だ アフォリズムの48番目、人間の知性は常にイライラして先に進もうとするが無駄働きである、と書いてある
思うにここでいう知性とはヘーゲルでいうところの悟性推論のことか
ゼノンのパラドックスにおける判断の無限後退 すぐに一般化しようとする人間の癖を否定しなければならない
ベーコンの方法論では共通要素よりも否定要素を重視す共通項から一般法則を見つけ出すのはご法度である しかしその時々における一時的な予測は有効だといっている
予測はそもそも科学には付き物だ 人間には自然を切り離すか合わせるかのいずれかしか出来ない
そうすることにより自然から見いだされたものだけが全てである アリストテレスの三段論法は役に立たんと明確に否定している
あれはただの言葉と命題を駆使した説明形式にすぎない 劇場のイドラについては文字通り詩人の生み出す劇を例えに出している 人々の多くは歴史の真実よりも小綺麗にまとまった演劇的なものを好むのだが
そのような欲求は科学にとって糞の役にも立たねえから排除しろってことだろうな 自然探求に集中するためあらゆる偏見や人間の癖を否定してかかれよ、といっている 愛があれば人は実験マシーンにもなれるってことか
さすがベーコン先生 多くの人が「変化」であると認識するのをベーコンは微粒子の構造転移という風に捉えているが
これは原子論みたいなものか
あと生気論を無機物にも拡張していたらしい
この時代では最先端の考え方なのでは この本の訳者さんを調べたが30年以上前に亡くなっている
第一刷の年号を見る限り晩年の訳っぽいな
書いた当時70歳越えていたのかも デカルトの解説書を書いたり『哲学原理』の翻訳もしている人だ
戦後間もない頃の東大教授だな 文章堅苦しいのは訳者さんの歳のせいもあるのだろうか
みずみずしさというのが完全に排除されている 訳者前書きに自分は隠退した身だから文献集めに苦労したというようなことが書いてあった 何はともあれ科学においては世界遺産級の本だ
何度も繰り返し読むか 西洋の神学と科学の歴史に触れることで不可解な理性というものについて考える機会を得る 単純に迷信を打ち破る力として理性を見ている人が多いようだがそんな生易しいものではない いわゆる客観的な世界を宗教感情に委ねてきた歴史性から逆算して見る必要がある 理性への憧れが感情と不可分である以上は不可解なものとして距離を置く必要がある ヘーゲルの理性とは全実在の肯定という段階らしいがここに至るプロセスが皆目理解不能である アフォリズム63のアリストテレス批判ワクワクしてきた
アフォリズムというのは言い切り文や格言の形式である
この本自体がアフォリズムの集まりという体をなしている ベーコンはどちらかというとイオニア自然学派を認めておりそれら古代の知識を儀式ばった名称で
実在論としてまとめたアリストテレスに対し憤っている スコラ学が経験を捨てた理由としてアリストテレスのまとめ方に問題があったといっている
アリストテレスは編集のプロだが一般法則を念頭に置きすぎていたきらいがある アリストテレスといえば大権威だからな
真っ向から批判するには飛躍的な勇気が必要だ 事物の細かな差異に立ち止まるのが本当の鋭い知能だとベーコンはいっている
本来ならば火、水、土、風といった分類も乱暴極まりないものである 知性には抽象に突進してゆく性質がある
知覚はそもそも何でも一般化している 哲学者や神学者を無知として批判するのは当時大飛躍であっただろう 哲学というよりも、何か意見の大きな一致があるとそこに安心して先へ進むことをやめてしまう人々がいるということを批判しているのか 真理の探求には意見の一致や人々の興味など関係ないわけである
同意を得るためにやるべきではない 人々の期待に応えようとしたり、自分の信念の正しさを証明しようとしたりせず
ただ神の奴隷になるのです
それが善きカルヴァニストの生き方 西洋哲学で精神に実在を与えたのはデカルトだが精神主義そのものの芽生えはソクラテスである 異界からの声(ダイモーンの合図)が子供の頃から聞こえていたというソクラテスは
神や霊の存在を確信していた 死後魂を肉体から純粋な形で引き離すため生前は「魂への気遣い」を第一の信条にしていた
善く生きるとはそういう意味である ソクラテス、プラトンの思想はキリスト教世界で完全な精神主義として定着する
ここでは完全に肉体よりも霊が優位となる世界観が展開されている 禁欲ももちろん精神主義のたまものである
禁欲を精神による欲望の支配統制と言い換えることもできる カルヴァニズム及びアメリカの大量消費はキリスト教の禁欲を改ざんした 節制ではなく神の国が栄えるように振る舞う
このストイックさの度合いこそが禁欲となる
大量消費もそれに該当する
にわかには信じがたいがアメリカが実践した マクドナルドでハンバーガーを大量に食いまくる人を見ても普通は禁欲しているとは思わないが 欲しくもない物を買うためにやりたいことを我慢するとか、一見時代の病理のようにも思えるが実はそうではない 生活に必要かどうか、などはすでに関係ない
神に従っているだけである 古代の身分制度は厄介で本来は権力者の都合で人為的にそうなっているのだが誰もが生まれつき
そういう風に定められていると思い込む他なかった 男女の性差もそれと同じように捉えられることもある
男女とは社会が規定した役割分担に過ぎないのではないか?と
ここで問題となるのは身体と性意識の不一致の問題である 端的に言えばどこまでが人為でどこまでが生まれつき(自然)なのかということである 身体は自然のものなのか?
習慣や社会によってどこまで規定されているか 関係性によってすべてが決まっている??
人間の観念による排斥関係は自然か? 性質から物を説明する癖はある
これは古い悪習なのかもしれない 哲学のメインストリームにシミュレーション仮説と神学が同時に登ってこないかなあ アメリカのエンタメにはおそらくすべて織り込まれているだろうが 中国ではおそらく太平天国の乱を教訓にしてキリスト教の驚異に対する一定の準備が整っている 中国は経済的にほぼ一位と見て良いだろう
アメリカとの対峙の仕方次第だな 俺はミーハーの極致なんで最新のものが面白ければ古臭いものなど簡単に捨て去る
問題は面白い考え方がメインストリームに出てこないことだ 俺は権威主義かつミーハーなんで神を恐れているしみんなが人間やめれば俺もあっさりやめる
自分の思想など持ち合わせていない みんなと神どっちが偉いんだよ
神にみんなが含まれているから神が偉いに決まっているだろう
しかし俺はミーハーなんでみんなに簡単に流される みんなとは無限のことではない
俺が認知することのできる生きている人間の総体のことである 身体は律法の奴隷、精神は神の奴隷
こう考えると人間には確かに神に祈る以外の安らぎなどない
自由になりたければ神に祈れ みんなで神に祈りましょう!!!!
みんなで自由になりましょう!!!!!!
戦争は糞です!!!!!! モンハンは残忍だと思います
何もしていない恐竜に大きな刃物を叩きつけて切り刻むからです
どうせ殺るなら悪魔でしょう 逃げ惑うドスジャグラス相手に何度も竜熱機関式を叩きつけたのはわたしですが 免罪?
いえいえ、
いえいえいえいえいえ、
そうではありません
憐れな恐竜が天国で安らかに暮らせるよう
みんなで祈りましょうといっているのです 面倒くせえからテトリスの要領でみんな消すぞ(本性) 穴さえ無くせばみんな消えるんだよ
テトリスは最高のゲームだ 刻みまくったら死体の後始末とか大変だろうがよ
消えれば楽なんだよォ
アアアアアッ????? 法は確かに殺人を禁止してはおりません
が、罪に対してはそれ相応の罰があるのですよ 罰を弁えた上で罪を犯すことは知的かどうか…
それは愚かな考えです
あなたは裁きを恐れています あなたにとって真に祝福となるのはただ
永遠の平和を望み神のご意思に報いることだけです ここで聖書からありがたいお言葉を引用いたします
「このヨハネはラクダの毛衣を着物とし、皮の帯を締めて、イナゴと野蜜を食していた…」
イナゴ…… イナゴマメという説もある
虫嫌いの信者が聖人について思いを巡らせるときにイナゴのイメージにやられて
祈りが阻害されるのか? イナゴの大発生が飢饉を引き起こす原因にもなっている
日本でも享保の大飢饉がそれにあたる
イナゴ、ウンカの大発生 悪天候と虫害のダブルパンチで食生活がオワコンになりヒューマンがたくさん氏んだ 中国の大躍進政策でも木を伐採しすぎたりして自然バランスがオワコンになり虫発生でたくさん氏んだ 一人一人が未来のために木を植えようという想いがなければ世界は良くならないだろう 三大奇書のうち黒死館だけ読めない
ドグラ・マグラは一時期嵌って7回は読んだ
虚無への供物が一番嵌った ドグラ・マグラも序盤のキチガイ地獄外道祭文で多くの人が挫折するはず
チャカポコ節wwww 昔は精神病になると隔離されて人権とか完全無視の扱いを受けていたらしい
キチガイ地獄外道祭文は精神病者差別に対する巡礼記録みたいなものだ 赤子が母親の胎内で魚類に始まる生命進化の記憶を追体験する「胎児の夢」
体細胞のすべてに意識があり脳はそれらの交感所に過ぎないとする「脳髄論」などを軸に
読者を現実と虚構の曖昧な螺旋的ループ世界へ押しやってゆく 西洋の精神文明の流入により精神病も多様になった
生まれると同時に治療法の研究も進む 症例に自分が当てはまることへの安心感を求めてわざわざ病気になりにいく人が多い 俺は病気になれない体質でなあ、しかし健康ではない
著しく調子が悪くなり死の危険を感じることもある
だがすぐに治る
こんなものは病気ではない 西洋精神文明に生命力で対抗するのは無謀かもしれん
向こうは死を一切恐れなかったソクラテスを最高倫理としている 神の愛を生の幸福と結びつけていないだろうか?
相手はすべての人間の死まで折り込み済みだ 糞のような身体と物欲にまみれた世界から抜け出して神の世界へ来るよう勧誘してくる
労働出産労働出産労働出産労働出産労働出産労働出産労働出産労働出産の無限ループは地獄だろう 娯楽やお薬に頼って束の間誤魔化しても無駄だ
人の能動知性は地獄から抜け出すため常にイライラしており抽象へ突進し自己を偽ってでも
具体策を捻りだそうとするまさにキチガイ地獄 レビ記で延々と列挙されている供え物規定はユダヤ秘術か何か?? ユダヤの歴史をあまり知らない写字生がレビ記を書き写すときに「何やってんだろ俺」ってならなかったのかな もしかしてアカデメイア8代目の懐疑主義全盛期の頃が一番健全だったのかもしれん
確かに論理学の同一律は多くの人が深く考えることなく使っている 理性万能の名のもとで根拠のない論理学を用いて他者を毀損し過ぎている
これはもう歴史のやり直しだ あー、でも人類って楽園追放されてるからなあ、論理を駆使して無駄仕事を増やしたのも
罰の一つなのかもしれない
AIに計算仕事をやらせる程度で逃れられるとでも?? 感情がお前ら間違っていると訴えても能動知性の突進が止まらない
それで屁理屈を用いることでうまくごまかしている 客観世界へ絶対を置くことで感情を宗教的領域にまで高める
ここで理性は科学の方向に切り離される それで科学技術が普及し技術それ自体の価値の分からない人間で埋め尽くされるようになるのだが
価値は生み出すものだとアメリカがほざきやがった 哲学が科学の技術論にくち出すとしたらプラトン色の強い神学がメインストリームに上がることも考えられるな 楽園追放の罰として課せられた労働だが聖アウグスティヌスが価値の転換をはかった
すなわち労働とは神の創造行為の継続である、とした
生産的といわれる行為のルーツの一つがここにある 旧約の神は世界の第一日目に光のみを創った
天と地の創造は一日目に含まない 知識と能力を組み合わせた技術が一般的だがこれは能力の差による不平等を引き起こしやすい 有るのは創造と衰退のみで破壊も創造に含まれている
ただし人間の掟では秩序の破壊が遠ざけられる 戦争需要で生産性が高まるからといって「創造のための破壊」と受け取るのは違う ベーコン先生の提唱した科学的手法が創造的であると仮定しよう 一日目に神が創った光が世界に膨大な差異をもたらす
ベーコンはまず同一的なものへ目を反らせる前に差異にとどまれといっている 能動知性は具体性を求めるあまり抽象へ突進を続ける
類推を止めることができない 「儀式ばった用語」が乱れ飛ぶアリストテレスもそうである >>803
デカルト『方法序説』
薄いし読みやすいです
近代思想の元祖みたいな本 デカルトは驚異的な天才で俺もまったく理解できないが読みやすい(なんじゃそりゃ) >>805
何年も本をまともに読んでいないのですが、
それでもついていけますか?? >>807
文章が平易で難しい論理について説明しているわけではないのでたぶんいける デカルトはフランス的な、なめらかで優しい文章を書く >>808
さっそく本屋へ明日行ってみます
貴重な情報をありがとうございました! ハイデガーやフッサールは簡単に挫折した
ヘーゲルも2年くらい食い下がったが無理だった 近代哲学は論駁合戦なので基本的に文章が非常にくどい
その中でもデカルトは読みやすい部類 デカルトは自分で編み出した技法により長年多くの学者を悩ませていた数学の難問をいともたやすく説いた すべての人間が真理に到達して神の世界に入れるように普遍学問を作ろうとしていた デカルトは過去の知識(詩や物語なども)を愛する数学のエリートだが真理探求のために様々なものを捨て去った 三段論法いらねえ!スコラ学いらねえ!でも神学の伝統だけは守らねば! ダーウィンが『種の起源』冒頭でベーコンの引用をしていた
このあたりにも影響力あったか ダーウィンの方法論はベーコン流だ
一般化された理屈から入らず個体における種の連続性を見る
差異にずっと着目している 神の一日目の光を経験の光に置き換える
投影ではなく投光的実験という アンセルムスの『モノロギオン』を読み始めた
2000年の復刊版を買ったのだが漢字が当時の旧字体のままで非常に読みにくい 修道士からの要請で理性的な瞑想の本を書いたという趣旨だが形而上学を用いて初めて
神の存在証明に挑んでいる
内容はアウグスティヌスの言説と一切矛盾することのないよう綿密に思弁されている
これが直接デカルトに通じる デカルトもまたソクラテスから続く精神主義の継承者である
ただし精神と物質とを明白に実在として切り分けた
これが現在の心身二元論につうじている 身体の影響から精神を切り離すという意味における継承者 モノロギオンの序盤読んでいるが直球勝負で挑んでるな
如実に後のデカルトやスピノザに引き継がれる思考法 ヘーゲルでは一と多は感覚的確信と知覚の催す弁証法として説明されているが
中世哲学ではそこまで突っ込んでいない
「このもの」として成り立つか「他のもの」との関係から成り立つか
それ以上は追求しない そのものとして成り立つならばそれより大なるものは存在しない、と解する 善それ自体が善たらしめているそれより大きなものは存在しない何か アンセルムスにとって神の存在は自明であるがそれがどのようにして存在しているのかが問題だった 人間の排斥観念を中和してくれる光が善なのかもしれん 「方法序説」買ってきました
10年以上も読書をしてない私が読み切れるか?、
不安ですが頑張って読んでみようと思います >>840
ゆっくり読めば大丈夫だと思います
もし分からない用語などがあればわかる範囲で答えます
俺も哲学オンチなので正確な知識はもってないけども 方法序説は基本的に旧来の思想に取って代わる新しい学問への意思表明なので
根本原理をわかりやすく解説しているにすぎない 岩波版の注釈にはアンセルムスやベーコンの名前も出てくる
デカルトもベーコンを参照している ベーコンの帰納法を踏襲した新しい演繹法なのかもしれない
これが科学的手法の古典として採用された モノロギオン第6章タイトル「その本性は何か或る原因を介して存在せしめられたものでもないが、
しかしまた無によって存在するのでもないこと。自己によって存在することと自己から存在
することとは、如何に知解せられることができるか」
長ええええ 中世哲学は文章構成の点で面食らう
900年前の本だしな 和訳の第一刷が1940年代で、旧字体のをそのまま復刊させたから読み辛い
「假令(けりょう=例えば)」なんか今どき使っている人めったにおらん 方法序説がわかりやすいと判断したのは、体裁がデカルトの苦労話だからである
デカルトの苦労話を通じて新しい思考法の原理が示される 過去の人のしてきたよく分からん苦労の上に自分がいる 他人の苦労というのはよく分からんものである
分かりにくいから苦労なのだ ソクラテスから続く精神主義はどこへ向かっているのか いずれにせよベーコン、デカルトの思想を通じて人間は自然支配へ向かうこととなる
ベーコンはそもそも宇宙の統治までを念頭に置いている いいかえれば「人間が人間を支配する状態」からの脱却としてである
哲学者の考える人間の目的と政治や民衆の目的が合致することはまず無いので
間を縫ったような言説が表へ出てくる ベーコン「人間の支配関係面倒くせえな、学問の大革新をやるぞ」
デカルト「だったら私の考案した新しい数学を使うのがいいと思いますよ」 実際、科学や新技術は戦争に使われたし多数の犠牲を生み出している
それでも尚歩みを止めない理由は? 答えはかんたんで、人間同士の支配関係からさっさと抜け出したい人が多いからである 愛や友情が自由に通じているかというと、そうではない面が大きい 身体は嫌がおうにも習慣へ縛り付けられている
精神は精神のみのちからによって己を支配できるか否か 木材より馬の方が善いとか平然と書いてあるのが中世ヨーロッパっぽい
常識の違いも考慮して読まないとギャグに見えてくる ファンタジーに出てくる竜(ドラゴン)が美術として描かれ始めたような時代だからな 聖書の権威に従うことなく理性的に書いてくれと頼まれたらしい
確かに聖書依存はしていない 聖書からの引用とその精神の説明という形式が王道だったのだろうか 自分の思う疑念を真理に向けていくためさも自分以外の問題であるかのように論理立てて説明する
近代哲学ではここに過去の思想への論駁(対抗して論じ返す)が多分に入ってくる 思想として成立させようという以上は説明形式にならざるを得ない
哲学は面倒で堅苦しい学問だということを忘れてはいけない 哲学自体俺は嫌いなのだ
気になることがあるから嫌々読んでいる 俺はオカルト人間なので霊性や神秘思想は好きだった
次に社会心理学が気になって次に社会学や現代思想が気になった トインビーの文明論も昨今では成立しないのではないかと言われている 工学というチート学問が科学の恩恵により幅を利かせるようになった
本来性老病死は医学や宗教の領域だがここに科学が割り込んでくる 科学が冷淡に見えるのは当然である
乱暴にいえば宗教感情から理性を切り離したところから始まったからである 目に見えない因果による人間同士の支配関係も解体してゆく
次は宇宙支配である 人間にそのようなたいそれたことはできないと思う人もいるだろうが科学自体にそういう性質がある
人間の限界など考慮しない 自然と切り離された状態にいる人間は自然に働きかけることによってしか生きることはできない
自然との乖離状態の解消を目指すのに知性を用いる
人間は既に自然と共存する資格を失った ちなみにこれ、魔女狩りの時代に魔術師のかけた呪いなんですヨ
魔術師の呪いから抜け出すためには科学を完遂せねばならんのです
恐ろしいことです デカルト経由の精神主義の延長に現在の科学観は立っている
ここでは魂への配慮が最低限の倫理として機能する
命の大切さという道徳上のものはあまり通じない
現に動物を殺しまくっている ただしカントとヒュームの影響で道徳上大切な価値基準も要請に応じて適用される しかし強固な宗教感情から離脱した理性が元になっているため「人としての感情」に訴えても
だめである
ヒューマニズムもいずれ解体されてゆくのだから宗教感情を越えた高次の感情にでも目覚めない限り
無駄である 高次の感情に目覚めてみんなで宇宙と一つになりましょう
その隙に俺は宇宙から出ていくぞ ベーコンは経験の光を使って差異を確認しろといった
神は第一日目に光を生み出しそののち膨大な差異を世界に生み出した
差異の確認作業に人間の排斥観念が入り込まないよう気をつけろといった
排斥観念の排斥である
排斥の排斥…投光実験…知識=力… デカルトはおそらくベーコンの思想に触れて科学のやばさを悟り
自分が好きで親しんできた数学をここに持ち込んで、できうる限りスマートに真理の探求ができないものかと思案した 機械論の方が余計な目的因に煩わされなくて済むのだし精神は精神として純粋に保っていた方が
排斥合戦に煩わされなくて済む しかしデカルトが意思を固めたのが23歳の頃だったか
そこから20年間冷静に思索を重ねた 聖書や神話の記述と科学者の見解がまるで一致せず信仰から離れた人間も大勢いる
矛盾に留まるというのは難しい そりゃ自分は観察した事実を述べただけなのに教えに反するという理由のみで火炙りにされたらたまらんわな もしも仮に7秒後に宇宙が消滅することが分かったとして、それでも未来のためにりんごの木を
植えようとするのが宗教的感情です
目の前にあるいかリングを食べようと思ったり
グロ動画の総集編を最後に見ておこうと思ったりするのが普通の感情です 可能性を考慮せずただひたむきに永遠のために祈るのです 聖なる歌をうたいましょう
ホーリー ホーリー ホホホ、ホーリー アイムホーリー 自然法則は人間から独立して在るのになぜ人間が知り得ることができるのかという問題がある
そもそも法則は本当にあるのか? すべての法則の起源が人間にとっての最高善なのではないかという思想と関連してくる 科学ではこれを神とは判断しない
しかし神を前提としている科学者もいる デカルトはそもそも宇宙の発生や進化などを含めた世界の概観をまとめようとしていたが
ガリレオの宗教裁判を知って踏みとどまり方法序説を出版した デカルトの研究は多岐に渡っており壮大な構想を持っていたが自分に使える時間を鑑みてやることを限定していった デカルトにとって快と結び付くものは真理ではない
よって美も偽となる 存在論はすべての学問の基礎だがアリストテレスが道具としてカテゴリーに大別してしまった
アンセルムスの証明にも道具としての存在論が目立つ 時空は連続体であり個物はこの世に存在しないという考え方のほうが個人的に受け入れやすいが
観念レベルでは一と多が確実に連動している 等しいとはどういうことか、ということさえ人間には正確に把握することはできない 存在の意味を問うても無駄である
存在するとはどういうことか?という疑問から入る 西洋の理性は無から生まれる有を認めない
何者でもありえない無から何者かが生まれることは不可能である 無言の人は何について語っているのか?
・何も語っていない
・無について語っている ヘーゲルの感覚的確信でいえば「ただ有る」というのは「区別も何も無い」に等しい 仏教では差別相の世界である現象界の背後に真の実相があるという感じになっている 実相に対する虚妄といえばいいかも
西洋では理性が全実在肯定の力として働く アンセルムスは中世神学における存在論の筆頭だな
これがトマス・アクィナスに引き継がれる 執拗なまでに思弁的、形而上学を駆使して延々と最高善の説明が続く
頭がついていかない 聖書に飽き飽きしていた修道士たちの鬱憤解消も兼ねていた本なのかもしれん
理屈好きの人には大層面白い本なのだろうな ガリレオ・ガリレイ以前にブルーノという修道士が地動説を訴えていたが異端として火あぶりになっている ガリレオはカトリックでもあったしぎりぎりのところで引き下がったので処刑だけは免れた 実験科学者という印象の強いガリレオだが彼は社交的な性格で自分の発明によって人が喜ぶのを生き甲斐にしていたそうである
反面議論においては好戦的で論破するまで引き下がらないという面もあった カトリックでも聖書を真理と捉える人と道徳的なたとえ話と捉える人にわかれている
ニュートンは強固な有神論者であり聖書研究をひたすら続けていた 理性による聖書解釈の落差が科学世界の発展を促してきた面が強い
古代ギリシャ思想もカトリックにとっては異端なのだが中世神学の発展と共に
大きく取り入れられた スコラ学の父アンセルムス辺りから如実に神の理性的解釈が幅をきかせている ヘルメス主義の魔術は異端グノーシスだが初期キリスト教よりも理性的な方法を用いている 擬人化されているグノーシス神話を理知的に解釈しようとする試みが行われている 宇宙に遍く理性からロゴスが分離し自然に作用することで物質の運動が起こる
ロゴスは造物主という形で別の理性を生み出す 火と霊気の神であるこの造物主にロゴスが入り込みその他の元素からロゴスは消失し単なる質料となった ヘルメス魔術では主に自然に隠されたエネルギーを取り出す技術が研究された
大半の質料からロゴスが失われているため星辰や様々な秘術の力を借りる 質料というのは与えられた形式、材料のような意味である 人間は確かに自然を合わせることと分離させること以外に何も出来ない
こんなことで宇宙を支配できるのか 宇宙支配のための自然大分離という理論どこかに落ちてねえかな まず宇宙を支配しないと出ていくことができん
支配者が自らの支配を手放すという手続きを踏むことで世界は更新されるのである 宇宙支配の願望も胎内回帰願望の反動にすぎないのかもしれない
「胎児の夢」に嫌気のさした俺は宇宙から出ていくのだ 長引く火山活動による大気汚染の影響から逃れるべく哺乳類が編み出した子宮というシステムだが
これが人類の悪夢の元になっているのか 差異に留まる→性質の違いを知る→組み合わせたり分離させたりする→扱いやすい形に加工する 子宮の中で保護される期間が長く生まれたあとも数年間は保護無しに生きることはできない
その後も真実とは程遠い加工された夢物語や盲言を浴びせかけられる
やはり精神は大事だ わたしは変なアヒルのゾンビです
わたしは変なアヒルのゾンビです
アーアーアー アーアーアー 善を失うと悪になるのか?
すべてのものが最高善のその本質より出てきたのだとしたら
悪も善から生まれることになる
悪の生みの親としての善…… 社会通念としての善悪とは別の領域に根源的な善悪は存在しているか? 人間社会においてよくあるのは新旧対立である
新しい秩序が芽生えようとするときに古いものが衰退あるいは破壊という形で扱われていく
そんな中、古き良きものを形を変えることなく残していこうとする保守派が出てきて
革新派と対立関係になる アウグスティヌス以降のキリスト教社会では生産行為というのは神の創造の継続を意味する
もともと人類に課せられた罰としての労働がここでは生産的行為に結び付けられる
しかし近代化を通じてやがて生産と消費の均衡関係は人為的に統制されていくこととなる
国家間のパワーバランスを取るようにして経済が動く
ここにおける生産とは一体何なのか 創造の継続とは何を意味しているのか?
創造を善、衰退を悪として考えることにする 最高善に近づくための努力が創造的行為なのだとしたら愛がもてはやされているのは分かる 上昇と下降のイメージ
創造の光を念頭においた魂の成長図式 地球は地球で太陽の恩恵から独自のエネルギーワークを持っている
海に吸収された太陽熱が大気中に分散し雲を作ったり気流を生み出したりしている 物理法則それ自体もいずれ衰退し消滅するであろうという予見もある
物理法則は絶対ではない
観測されうる限り活かされるだけである 太古より地球では動的なエネルギー交換が行われている
これを人間が扱いやすいように変換する
無駄の少ないエネルギー変換は生産的といわれる 錬金術の発想は今でも生きている
物質から悪を切り離し高貴な物質に変換する
たとえば人の技量や才能を測るときにも試金石という言葉を用いる
オリンピックでは金メダルをみんな目指す
これは生産的か? 最高善を目指さないものが憧れで群がる
群がった分だけ金が動きエネルギー変換が行われるから生産的かもなあ インターネットで天使になりたいという人をたまに見かける
天使も被造物なので可能性が無くはない
ただし霊的に見ると人間より格上である
まず天使と肉弾戦をおこなったヤコブに学ぶと良いだろう 魂を磨いた善き人と堕天使では善き人の方が格上である
これは聖アウグスティヌスの見解である 宇宙から出ていくために俺も創造の意味を学ばねばならん
もし天使になれた人がいたら創造の意味をメールで教えて下さい 陰謀論者の俺はmouse(マウス)がローマ字読みで「モウセ」とも読めることから
ミッキーマウスがモーセのメタファーなのではないか?と考え、その根拠として
ディズニーが著作権侵害に対し異常に厳しいことを挙げて、アメリカの恐ろしさに震えるぞおおおお!!! >>356の『霊操』
日本に初めてキリスト教を伝えたかのフランシスコ・ザビエルも学んでいた デカルトが生きていた時代のフランスはプロテスタントとカトリック、新しく芽生えた市民階級と
旧貴族の対立が激しい時代で国王アンリ4世は秩序の再建に奔走していた
その一環として建てられたのがイエズス会によるラ・フレーシュ学院である
デカルトはここに入学することとなった ラ・フレーシュを卒業したあと大学に入り法学と医学を学ぶ
法学士の資格も習得したデカルトであったがこの頃に旧態依然とした学問全般に嫌気が差し
真理の探求を始める決心をする そして23歳の頃、30年戦争に参加していたある日のこと
休日を炉部屋での思索に当てていたデカルトは"霊感"に包まれて
ある驚くべき学問の基礎を発見する
この出来事が決定打となる その後十数年間を新学問の研究に当てたのち『世界論』という本を発表しようとしたが
ガリレオ宗教裁判の件を知り断念
代わりに出版したのが自身の苦労話を通じて新学問の方法論の基礎を記した『方法序説』である デカルトはベーコンの思想にも触れており高く称賛したという
自然支配の発想はおそらくベーコンに感化されたもの ヨーロッパ最大の発明品は活版印刷だろう
知識の伝播速度が飛躍的に増した 本が安価になり貴重な写本から拾い読みして蝋板にメモをするという面倒な作業が短縮できるようになった 活版印刷の祖といわれるグーテンベルクの聖書が今でも残っているが非常にきれいに印刷されている
今でも通用するのではないか 銀河鉄道の夜に出てくる活字を板にはめ込むやつのことだ ジョバンニが活字拾いのバイトをしていた
活字拾いとは原稿を見ながら壁にたくさん並んでいる文字を集めてくる作業のことだ デカルトの世界観を簡単にいえば神・精神・物質の3つに集約される
精神は思考を本質とし、物体は延長を本質とする
どちらも独立した実体である
神は無限の実体である デカルトはベーコンの考えを支持したが結果的にデカルト思想は近代観念論に火をつけてしまい
ベーコン思想の後継者とは対立してゆく 関数や比例関係をグラフとして表す定番の方法を発案したのもデカルトである 学問の領域の発見が人々の暮らしに多大なる影響を与えるのだから学問に携わる人間は突飛な思いつきを持てはやしてはならない そんなことよりはやく宇宙からの脱出理論を打ち立てろ 己のプライドを満たすだけの陳腐な議論などよりもわたしが真に求めているのは確かな知見に基づく
セオリーなのだよ、お分かりかねレクター博士ェ!セオリー!!! デカルト以降、普遍数学論争がおこり知識の形式化運動が盛んになってゆく
ともかくデカルト巻き起こした旋風が現在の理系学問の根幹にある このスレッドは1000を超えました。
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