発狂無意識ゲロ模倣OK牧場
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引き続き下痢便のようにもうげん(変換できなかった)を垂れ流すもうげん垂れ流し下痢便スレ OK牧場というのはガッツ石松のギャグでお馴染みだが
アメリカの精神科医トマス・A・ハリスの著作が元になっている
人の人生態度を4つの類型に図式化したもの(フランクリン・アーンスト)が有名である アリゾナ州に実際にOK牧場という場所もあったらしい 人の思考はほとんど帰属理論を持っている
自意識が偏執的になると帰属バイアスが非常にかかりやすい めんどうなので帰属理論の根底にナルシシズムとエゴイズムの対立を持ってきた
しばらくこれでいく ナルシシズムの元ネタはギリシャ神話の有名なナルキッソスの物語である 要約だけ簡単に話すと、あるところにエコーという妖精さんがいました
エコーはたいへん可愛らしく月の女神のお気に入りでよく狩りに一緒についていきました エコーは可愛らしいのだがおしゃべりが過ぎるという欠点を持っていました
ギリシャ神話の最高神にゼウスというのがいますが、ゼウスは奥さんがいるにも
かかわらず女遊びが好きでした
そこでゼウスは奥さんとエコーをおしゃべりさせている間に
いろんな女の人と会っていました そのことに気付いた奥さんは嫉妬心にかられてエコーが自分から声を出せないように
してしまいました
エコーは他の人がしゃべったのをあとから同じように繰り返すことしか
できなくなってしまったのです
それでエコーはひどく落ち込んで森の奥へ引きこもってしまいました ある日ナルキッソスという若者が森へやってきました
ナルキッソスは狩りの途中で道に迷ってしまいます
そしてエコーの近くを通ったときに物音に気づき「誰だ?」と問いかけます
エコーはナルキッソスの言葉を繰り返して「誰だ?」と返します
ナルキッソスはきっと友達がからかっているのだと思ったのだが
出てきたのが妖精であることにびっくりして逃げ出してしまいました ナルキッソスに逃げられてしまったエコーははげしく傷ついて
誰にも姿を見せないようになってゆき、しまいには体が消えて声だけが残ってしまいました
そのことを不憫に思った妖精の仲間たちはあろうことかナルキッソスを憎み
復讐を始めます 復讐というのはたわいのないものでナルキッソスが泉の水を飲もうとしたときに
水の表面に美しい自分の顔が映るというだけでした
ナルキッソスは水面に映る自分の顔に恋をしますがつかまえようとしても
消えてしまうのです
そんなことを繰り返すうちにナルキッソスは青ざめてやつれていきました
最後にはナルキッソスは水仙の花になって水の中を覗き込むだけになってしまいました ナルシシズムというのは自己愛と訳す人が多いのだが実際は愛に到達できず
あがいているだけである
ナルシストの多くは自分を愛せないあまり自己を過大評価しようと躍起になる 自己愛や他者愛というのは通常到達できないものである 自分の大事にしているイメージを激しく傷つけるような対象に憎悪を感じるのは普通である
憎悪をあらかじめ遠ざけるために無関心を装うということも人はふつうにやっている そこで他人の関心を引くためのテクニックが編み出されて競い合うようになる
まずここで重要なのは憎悪を想起させないことである 憎悪を想起させることなく愛に到達することは不可能である いくら社会が複雑になりやれ進歩だ進化だといっても変わるのは神経の使い方程度のもので
人の根本性質は昔と変わらない コミュニケーションの方法が変わる程度で進歩したと思いこんでいないだろうか
言葉を必要としている時点で同じことである 自称ジョーカー多いな最近
そんなにアメリカの悪人に憧れるのか 最近ブラックメタルにのめり込んで記事をいろいろ漁っていると
パラノイアにサタニズムも分類されており苦笑した
サタニズムそれ自体には嵌ることないけどメイヘムについて考えると他人事ではない 人間も自然の一部なのだから自然に実現可能なことは人間にも可能であると
アインシュタインは考えていた
人間も自分で核融合できるんかい ユーロニモスは誇大妄想的ではなく個人主義への憎悪を自覚的に扱っていた
本当のサタニズムは度をこえている 俺はエジプト神権政治までさかのぼってエジプトの音楽聴いとったから
次にヤコブの子孫である天使ソングに惹かれるのも道理だ
ヤコブの子孫が残したヘブライズムとギリシャ思想が組み合わさり精神主義として結実する
悪魔は奴らから分裂して出てきた ブラックメタルに暖かみを感じる自分に少々不安を感じて聴く量を減らしている ノルウェーだから寒々しいと思うじゃん
でも違うんだな キリスト教の同化政策から逃れ自然信仰への郷愁を持つという感覚
たしかに文化がまるで違うが音から共通した何かを感じ取ることはできる エジプト神権政治3000年の歴史は伊達ではなく強烈な重さがある
まず俺が逃れたくなったのはこの重圧
ユダヤ教聖書を読みながら泣いていた
聴いていたのはなぜかデスメタルである 大量の奴隷の犠牲をものともせず文明社会ができあがる
個人の自由はその上に乗っかるだけの軽薄な幻想 重圧から逃れて快楽的な世界を作りたいというのも自由だが
それは自分の意思に基づくものか 太陽に操られているんです
太陽は超質量をもち自己の周囲の時空を歪めています エジプト神話にはアアルという楽園が出てくる
これはいわゆる天国のことであり死者の書には死後
人の魂がアアルへ到達する道が示されている アアルのヌシは男神オシリスである
紀元前2500年頃第5王朝の時代、太陽神信仰の中心地はヘリオポリスという都市であった
ここの9柱神とよばれる神々の一人である オシリスは冥界の神だが植物の霊が神格化されたものである
大地の神と天空の神の子孫のうち長男ということになっている
神権政治では王が神なのでオシリスは最初のファラオでもある 太陽神の代理者がファラオ(王)で=神ということになっているが
この辺の感覚はよく分からない
なんせエジプトはもともと大勢の神様がいる多神教であった ホルスというのは有名だがこれがオシリスの後継者である 冥とはそもそも光が届かない世界のことだ
太陽の重圧から逃れて冥と同化できることは唯一の自由だった? ナルシシズムの極北に冥があり、エゴイズムには太陽がある
うーむ… 太陽は超重圧なんだが
これに常に依存して活動している 暖かさも寒さも太陽への依存が生み出す錯覚だということ
知覚のほとんどが影響を被っている
これが人間の自由を遮っている 人間にとっての一番良い時期を「自分らしくいられる時」と考えることもできるが
そうではない 自分らしささえ意識することなく何かに打ち込んでいるときがもっとも良い状態であり
あとからそのことを想起する 自分らしさが形成される以前に一次ナルシシズムの段階がある
ここで自己完結することはできず外界に挫折させられる
挫折の克服というテーマが自己像と結びつくのは普通である 最高権力者への抵抗が根本的に挫折の克服へ通じているか? 権力関係が入れ替わりやすい状況だとパラノイアは権力病である
権力保存に対象リビドーを回しすぎる 外界との接触とは力関係の受け入れである
あるいは交換作業といえる 力の均衡ばかり考えていると打ち込めることのパターンが知れてくる 怪奇瘴忌譚というツクールのフリーゲームをやっている
和風イストワールのような探索RPGで面白いんだが謎解きが鬼畜だ
夢魔城ってところに閉じ込められたままなかなか出られない
そもそもこの城に行く条件も満たすのが難しい
睡眠の状態異常が戦闘後に残るという性質を意識しなければ行けない 現実感覚というのは共同幻想の上にしか成り立たない
そもそも現実というのは人間が共同幻想に見合った演技を繰り返すことで成立している ナルシシズムに支えられた私的幻想が共同化されたのが共同幻想である
これを複数の人間が集まり現実であるかのように演じるのが現実である よって確かな現実とは確かな演技が支えているわけである 本当の演技者は感情のコントロールできるからな
俺はできない ナルシシズムは無条件で働き続ける
幻想と現実の激しい葛藤をいさめるのに芸術や宗教に頼る人間も多い
実際にそれが根本的解決につながるとは思えないが
葛藤を消し去る最終手段が自殺である
これは良くない ナルシシズムの無条件性の前では命を奪うことも大した問題ではないのだろうが
命は誰の所有物でもない 夢魔城のボスめっちゃ強いわ
勝てるんかいな?
一撃で4500ダメ食らったぞ 法力特化の袈裟に変えてやってみるか
これで退魔使えばどうにかなるじゃろ 日本も2000年間伝統あるじゃないか?
いえいえ日本は島国なのでエジプトのようなヘヴィさは無いですよ なぜか日本に多民族が大挙して侵略にやってきたことがない
元寇のときは危なかったがモンゴル帝国が本気で来たら簡単に侵略されていた 中国文化圏のころの日本も侵略は受けていない
大陸文化を独自様式にアレンジする暇があった 単純にいってしまえばペリーが来航するまでの間、日本は強国にそこまでビビる必要がなかったわけである 欧米ビビリ克服のために明治以降は次々に洋風文化が取り入れられていった
実質和魂洋才というのはくだらん建前である
そのような器用なことなどできん 苦心してアレンジし慣れる以外にないのである
習慣は和魂などすぐに忘れさせていく 俺の書いている話は取るに足らない帰属バイアスによるものである
歴史とは途方もなく複雑なのだ 初心に帰るとはすなわち一次ナルシシズムへ帰ることか 無条件で(何の見返りもなく)本気出せることってそんなにないよなあ 神経というのは素直なもので人が認識する以前の段階から脳に印象を送り続けている 人間が認識活動において一番頼っている視覚においては顕著である
まず網膜の周辺で感知された刺激はそのまま純粋な運動として印象が送られる 神経のもたらす印象に次いで意識が網膜の中央に対象を持ってくると受容細胞が多量の情報を
スキャンし脳の情報分析へ結びつく
ここでは過去に受けた印象や情報にもとづき統合が行われる 意識に顕在化される前の神経の運動と情報分析の運動はいわば内面と外面の二重のスキャニングである 自然の内在的な秩序を人が知ることはできない
人に物事の因果関係を内在化させているのは神経や感覚細胞にほかならないからである
フィルターがかかっている 神経のもたらす「純粋な運動」という印象は自然の諸力から独立した別個の力を見出すのだが
この因果関係に従うと諸力の根源として神の存在を想定したとき、単なる抽象的な
無限の力に過ぎないという解釈に陥る そもそも人は情報統合の過程で感情や性エネルギーまで動員している
行動の動機づけに好き嫌いが絡むのだし報酬回路も活発に働かせる 純粋な力、神の原型は一次ナルシシズムの段階で既にあるのかもしれない
ここから挫折と分裂、統合の劇が始まる
人間はともかく厄介である あらゆるものに対象リビドーを投影しながらナルシシズムとエゴイズムの対立を諌めようとする
副産物は便利な道具として利用 言語を重んじ神と個人で契約交わしていたユダヤ人はそりゃ選民的になるだろうよ ナルシシズムの癖に従うとまず自己を傷つける外界と守るべき内界とに分けられてしまう
エゴイズムはそうではない エゴイズムのことを一般的には利己主義という
己の利益のためのみに現実的な行動を取るやつのことだ
ナルシシズムは無条件で純化された自己を保存する
ここに現実的な利害など入る余地はない 物語においては純粋な幻想を守ったりあるときは傷つけたりしながら
エゴイスティックに力関係を操作する 創作やるにはエゴの力をひねり出す必要があるからしんどいな
たくさんの素材も必要だ 宮崎駿のアニメを見ているとエゴの塊であることがわかる
しかし描かれているのは純粋な子供の幻想風の世界である 宮崎駿のアニメでは人に内在化された自然と擬人化された自然とがダイナミックに混ざり合う
本来超常現象のようなものを自身の経験のレベルに落とし込み一気に出力する 子供の頃に受けた素朴な驚きや感動、挫折感を保存しており
エゴイスティックに押し出す 「世界をダイナミックに動かしたい」「私はアニメの奴隷です」 力とは発現したものに過ぎない、という解釈があるが少し違う
発現したもののみを力であると認識することしか人にはできない
自然に隠された特殊な力があるに違いないと躍起になるのは人間の欠陥ゆえである 皆で欠陥を共有しながら誰が強いかばかりを考える世界 意外な敵がごっつい便利アイテムを落とすからなこのゲーム
いろいろ調べるか 幼児は生殖能力が未発達だがオナニーの快感はある程度わかる
性倒錯は4歳までにかなり経験する
5歳頃の俺はバタイユのいうことも薄々分かっていた 子供は単に欲動と規範が衝突したばかりで力関係の扱いが未熟なことから
同世代の友達つくって遊びの中で学習せよというだけである 子供時代の力関係やつながりの残酷さをさとすような漫画はよくある
なるたる(骸なる星、珠たる子)みたいやつは典型だが 大人でも中身幼児はよくいる
単に知恵つけて力関係の制御法を知っただけである
かくいう俺は3歳児のヒマワリの葉っぱである ポケモンと神経ダイレクトリンクしてピカチュウによる感電 エックハルトがいうように自分というのは自分の領分においてしか知ることができない
他人の中に自分を見るというのは不可能である
この自分というのは創造物である では自分の領分とは何か
人は自分の領分を知るために他人と関わりを持とうとする 恋愛関係にせよ友人関係にせよそこに自分らしさを見出すことがなければ空疎である
他人事のように自分を眺めるようになる セルフイメージを超えて内から沸き起こるものが自分らしさにつうじているのか?
性欲や感動や暴力衝動は自分らしさか? 自分の領分をつくってそこで一生懸命頑張る
それでぎりぎりまで我を忘れるまでやってようやく自分らしさを受け入れる
これは危険な賭けのようなものである
しかしそうでもしなければ自分というのは分からないらしい 日本でいうところの一所懸命の美学のようなものだが
こいつの起点もナルシシズムとエゴイズムの対立克服だろうか 問題は「本当の自分」という考え方である
普通は理想と全然違おうがやむなく受け入れる演技をして過ごす 演技者は自分の感情をよく忘れるという
自分の領分を大事にしたいのに忘れる いずれ消え去る自分を創造しても仕方あるまい
創造というのは永遠に通じていなければならない
しかしこの理想もしょせん共同幻想の性質から来たものである よって自分への固執は無意味となる
問題はここを起点に意味を考えること いいですか?これがエゴイズムです
無意味と自分の差別化
すべては無意味です
矛盾してますね ナルシシズムと対立する要素を見つけた!
話はここからである ナルシシズムは無条件、無償で動く
対立も矛盾も受け入れない
この性質を覚えていて下さい なぜ無条件かというとただの強力な癖だからです
人間は個の生命や種の保存を無視してこの癖を手にしてしまった
理屈ではどうすることもできない さっきエゴイズムって言ったやつは本当の俺なのか?? 対立煽りは嫌われる
ナルシシズムは対立など認めていないのにエゴイズムと対立しているだと??
これを決めたやつは誰だ?法廷に引きずりだせ
いやその前に法廷ってなんだ?俺は誰だ? 矛盾が発生するたびに俺が増えていくぞ
みんな俺の増殖に震えろ 俺の増殖という帰属バイアス劇場
観客も全員俺
誇大妄想だッ 上の流れはすべてキリスト教の罠です
エックハルトめよく考えたな
つまり厳格なキリスト教では自分を捨てることが求められる
すべてを失いなさいとかいう 自分を憎むものを祝福しなさい
卑しさを捨てなさい
現世の汚らしさを受け入れてはなりません ナルシシズムの俺「ほわーん、そうですねえええぅ」
エゴイズムの俺「利益にそぐわん考え方だ。排除する」 ある種、エゴイズムの俺は太陽の奴隷である
恩恵を得るために錯覚を現実であると受け入れている 22次元の天使、3歳児のヒマワリの葉っぱ兼太陽の奴隷であるこの俺に自分を捨てろと?
嫌だね。俺の生き甲斐は幼稚な我執ごっこやねん 本当のわたしはわた菓子のようにふわふわした性格なんですよ
エゴイズムなんて受け入れたくないですね メレケシュという素晴らしいブラックメタルバンドの曲を聴いている
エルサレムで結成されたアッシリア人のバンド
燃えるエルサレムを悪魔が眺めているジャケ この手の中東風メタルには弱い
つい聴き込んでしまう 貴重なエジプトのデスメタルバンド、CRESCENTの新譜も出とるわ
3rdだったかな
結構風格が出てきた
相変わらずゆっくりブラストビートで圧殺するスタイル nileのようにバキバキに突き進まない
ミドルテンポにブラストを織り交ぜる マカーム+ミドルテンポ×ブラストビートのデスメタルにも弱い
つい聴き込んでしまう 神権政治3000年の重みで圧殺するデスメタルは最高にクール https://youtu.be/kd9B-3laTck
これですよCRESCENT
ミドルテンポにブラストビート エジプトを意識したとかではなく本場エジプトのバンドである 大衆に媚びを売った権威というのは腐敗しやすい
そこで神聖なものの力を借りて絶対化してしまう 太陽が最高権威で天国に冥の支配者いるんだよ
ヘヴィすぎて感動した 純粋な自分の世界と無神経なエゴにまみれた外界との戦いだから >>166
気持ちくらいなら別に爆発しても構わないのでは
俺もしょっちゅう破裂しとりますよ 現実我を手っ取り早く消し去るには自殺が一番有効だみたいな話はよくある
葛藤の解消はたしかにできるだろう 俺は他人の行動をどうこういう資格もないのでアレだが
自殺も命を奪う行為だと思っている
他殺とは違うが 誰の所有物でもないのに何から奪うんだ?という疑問もあるが 命がなぜあるのかよく分からないのだが奪うのは良くないという感覚が確かにある 太陽と地球の自然あるいは文化的な何かに育まれただけという 愛憎のドラマは裏切りの連続なので無理してお付き合いする必要はない デスメタルが最適解となる時点で俺は自分の適当さに震える 俺は自殺などやりたいと思うことはない
なんせ人間の生というのは最初から膨大な死によって支えられているからだ
いずれそこへ帰るんだろう 命は死の持ち物なのか?
死から命を奪う……
理屈で考えるといけないな
冥王の裁定を待て 自殺といえば俺の親父も未遂を何度かやった
借金苦や良心の呵責からだ
ギャンブル依存は恐ろしい
高校のときに同級生が二人自殺した
阪神大震災のときも知ってる人が二人自殺した
他にも近所で自殺したおっさんが複数いた
自殺は割とありふれているのかもしれん 掲示板でも自殺志願者は後を立たない
知らない人でも死ぬと後味悪いので、生きていれば良いことあるだろうとか
近親者を悲しませてはいけないとかいって何とか思いとどまるように試みることも多かったが
生きていて何もいいことないまま苦痛が深まることも多いため無責任なことはいわなくなった
自殺もネタであったほうが良い 結局のところ他人が死ぬと俺も不快なので自分の快楽のために死なないでくれ、と
言っているようなものだと感じるようになった
一緒に他人の苦しみに同調して悩みを和らげるような真摯な努力ができるほど
俺は人ができていない 糞のような現実と折り合いをつけるために卑屈な努力を繰り返すだけの人は多い
希望というのは簡単に見いだせる代物ではない ナルシシズムが無条件で働いている以上は現実を受け入れられないと憎しみが募っていく
現実我への憎しみを絶つには自殺しかないという判断に陥るわけである
無条件である以上は衝動的に自殺企図が出てくるケースも多いため
精神科医などは入院を進めるのである ナイーブに苦しみ続けるよりはエゴイズムに徹して現実に適応したほうが迷惑がかからないので
良いという判断を下す人も多いが俺はその考えは拒絶している
エゴイズムが悪とも思わないが 通常はエゴとナルの対立でしょっちゅう葛藤して解消案に悩む 俺には蠍座らしくタナトスの力を自分の制御に回す癖があるがこれが他人に向くと
強烈な攻撃と支配願望へ結びつく
自覚的にタナトスを扱う必要がある
タナトスとはエロスとともに発達するというプロセスをもつ対立エネルギーである タナトスはもともと無差別の破壊エネルギーであり自他を持たない
これ暴走しないようにエロスも扱う必要がある 歴史を遡っても分かるがエロスというのは勝手に発達するのではなく完全に人為のものだ
倒錯しがちなリビドーを苦心して投影する
エロスが生殖へ結びつかない人間もいる
またタナトスの暴走を抑え込むため性欲共々撤退させるケースもある 思春期には自分のエロスの開発にひたすら興味持っていた 若い時期は自他未分化の部分が強く衝動的に性欲と破壊衝動が湧いたりしていた
抑えきれなくなるのが不安で途方もなくいびつな空想にふけっていた 規範がしっかりと内在化していれば社会的プロセスに沿って制御できるんだよ
しかし俺の場合は半壊していた タナトスを死や破壊にではなく再生に用いる工夫が必要である 文化的には退廃した死のイメージとさりげないエロスを耽美的に結ぶ方法がよくある
これは別にいいのだが制御には結びつかないようだ 自分の領域を見定めるのになぜ破壊のエネルギーを使うのか謎である 自他関係ねえから自己破壊も他者破壊も容易にできるという
ここで太陽のもたらす良心的呵責に頼る
つまり権威に弱くなる つまるところ自己を律しきれなければ力に頼る
力関係というのはそこらにありふれている
力関係の認識とは帰属バイアスの種である 力やエネルギーがなぜ発生するのかということさえ人には知ることができない
ただ発現を認めたものだけが力と呼ばれる 素粒子の世界は波動と粒子の二重の性質があるといわれている
素粒子の分裂や融合によって強力なエネルギーが発生するのだが
厳密にはなぜ発生するのか分かっていない
人はただよくわからんものを利用するのみである 人の精神波長もまた人体を構成する素粒子のバイオリズムか何かによるもので
他との共振によって意識が構成されている可能性があるがこれも誰にもわからんのである 単に俺がいうのは人格の基礎にナルシシズムがあるという事実だけである
物理が関係していようがいまいがこれを事実と認めざるを得ないのである ナルシシズム原理主義やべえな
幼稚すぎて涙出てきた(;_;) 原子炉工学の論文を読んでいた
難しくて俺の頭では理解できんが 量子は実体として観測できないが量子ポテンシャル理論という虚数を用いた数式にかけると
量子軌道を実体であると仮定することで追うことができるらしい
それによるとすべての粒子は量子ポテンシャルを通じて宇宙とつながっている
おそらく量子そのものには人間が解釈できる範疇の力は働いていない 人間がエネルギーと解釈できるものは種類が知れている 分裂、融合からエネルギーが発生するというのも錯覚である可能性が高い 核エネルギー強力すぎるだろ
エネルギー操作はエゴイズムと簡単に結びつく 理性というのは俺の解釈ではナルシシズムとエゴイズムをつなぐ作用のことである
これがなければ葛藤解消の可能性が絶たれる エゴイズムが仮にすべての力を一つに統一する方法を見つけたとして、それでも
ナルシシズムはそれを空虚な抽象物としか見なさない
神の原型は一次ナルシシズムの領域にあるため、仮にありとあらゆる力
電磁気、重力、原子力、意思力、霊魂の力など統一できたとしても無意味である
神はそんなもの始めから超越している 理性はともかく全領域を照らし出す力でなければならない
しかし理性には限界があると西洋人は気付いた 理性にはストッパーなどない
これに頼ると人は狂気に陥る 理性はおそらく人間のものではない
自然から拝借しただけだ ということはナルシシズムとエゴイズムをつなぐのは自然の力によってしかありえない
ここまで分かった 宮崎駿のアニメにおける自然見ればわかるであろう
劇中描かれている自然は擬似的な理性である 理性的な態度というと感情の抑制によく用いるが
感情は理性に憧れやすい
人間には感情を超克することなどできんので
理性と感情は対になって歪んだまま解釈される 吉本隆明が原生的疎外という名称で表現していたが
有機生命体というのは無機的で広大な自然から疎外を受けている
生体内部では常にその本質的な疎外を打ち消すためのプロセスが起こっている 人間は特に内的な自然と外的な自然を同時にスキャンしており疎外は二重になっている 心因を構成する印象の多くは有機的な連結を持つが無機的な自然に対する印象はそうではない アッシリア人のバンドとエジプトのバンドを漁っている アッシリアといえばメソポタミア文明が有名である
エジプトと並んで最古の部類
イラクの世界遺産にあったなメソポタミア文明の遺跡が 先祖が経てきた数百万年に比べると6千年程度はついぞ最近のブームに過ぎないが 近代文明なんか200年の歴史もない
そんな底の浅いものに惑わされるから心が病むのである ヨナ抜き音階と琉球音階組み合わせるとマカームっぽくなって笑う
ヨナ抜きというのは一昔前の日本で流行っていた5音の陰音階のこと
ひな祭りの歌や子守唄が有名だが 千本桜やパプリカもそうかもなあ
日本人好みの何かがあるらしい ブラックメタル4:6デスメタルくらいでいくか
だんだん頭おかしくなってくる nileは大好きなんだけどアメリカのバンドでエジプトマニアというだけである
確かに世界観はよく練られてるが音が開放的でテクニカルにこだわりすぎる部分がある 最近はOdiousのようなガチもんの伝統音楽とメタルの融合のほうが聴きごたえがある
演奏力がちょっとアレだが 本物のエジプト国立楽団のマカーム演奏はよく聴いている
理論はわからんが大体の特性は知っている え、太陽神にひれ伏すような面持ちで聴いてますよ
デスメタルをねェ 無宗教なのでその時の気分でポーズ取るだけですけど
アメリカ人だって神妙な顔でヨガやってるが大抵は内容を理解しているわけではなく
難しい顔で難しいポーズを取れば健康に良いと思いこんでいるわけでしょう
あれと同じだ 良いというのはごく単純にいえば己に課せられた役割に忠実であるということだ
それに背いたとき良心の呵責が発生する 普段生活の中では良いというと「普通より優れている」ようなものを指すことが多いが
これは根本的に誤った判断である
習慣的にやっているので仕方ないが 誤りであることを自覚した上で仕方なく従うように言う
これは大層鬱憤が募る
神経をいじめるのにちょうどいい 有機生命体の役割?
それこそ俺の知りたいことである
役割分かれば問題がなくなる
人間は役割を勝手にでっちあげて演じるだけである 片想いの人に自殺したい人は軽蔑すると言われました
もうこの人とは縁を切った方がいいでしょうか? >>252
エゴイズムを素直に出されてしまいましたね
自殺を身勝手だと考える人はふつうによくいる
相手にその気がないなら諦めるのもいいでしょうな キリスト教でも宗派によっては自殺はタブーで自殺した人間はまともなお墓にも入れられない
俺はそこまでタブー視しないが良いとも思わない 願望はただの願望だから自殺でも大量殺人でも好きに願望持つといい >>253
時間が掛かるかもしれませんが諦める方向で行きます
話を聞いてくださりありがとうございました >>257
他人の恋愛感情に口出ししたくないが、もし自分なら軽蔑してくる相手はすぐに諦めますな
がんばってください 責任感持って生きている人ならあえて自殺願望を軽蔑するということもあるだろう
俺は無責任なので素直に行く 面倒なことの処理に追われるのが楽しいという奇特な人もいる 嫌韓というのは単なる好き嫌いの問題ではなく神経症の一種である
潔癖症も同じことである 開国以降の日本は内的自我と外的自我の極端な使い分けを余儀なくされるようになった
共同幻想として日本国を純粋な形に保つのに憎むべき対象が必要であった
たまたま憎しみを向けやすい近親的対象が朝鮮であっただけである 俺の場合はアメリカである
アメリカに対する異常な猜疑心 潔癖症も基本的には否定的イメージの排除が根底にある 俺は別に中国人韓国人という単位で好き嫌いはしていない
近所に在日たくさんおるし中国人の動画もよく見ている
日本人を虐殺したいという韓国人も確かにいるがそれもただの願望である 日本人の9割以上が渡来人との混血なのだから確かに韓国は近縁である ネトウヨの気持ちはなんとなく分かるが
俺も国学の本を買って読んでいた 平田国学の本を読んで靖国神社に魂を委ね武士道を突っ走る 純粋な自分を保つのに憎むべき外の対象を必要とするところがナルシシズムの欠点に上げられる
正確にはエゴイズムと対立しているからだが 新渡戸稲造の『武士道』は以前からよく読んでいる
新渡戸稲造自身が武家の出身だがこの人はインテリである
欧米人に紹介しても良い程度に武士像が美化されて描写されている 主従関係や自己犠牲の精神は今では通用しにくいが昔は確かに美徳だったろう アメリカの大使館だかホワイトハウスだか忘れたが献上された新渡戸稲造の『武士道』が置いてあるらしい 憎しみを捨てるには?
アイデンティティごっこをやめればいい 自然に現れるきれいな形のパターンも単なる電子ガスの共振により力が均等化されただけという説がある 時空の歪みを換算にいれると勝手にああなるんだよ
これも神のいたずらか エゴイズムが力の統一を考えている限り神には到達し得ない 秩序化を行っているのは外的な自然か内的な自然か
人間にはそれすらも分からない
心理的秩序も自然からの影響だろうか
人為と自然を切り離すことはできない 置換、排除、転移、抑圧といったものはただの脳癖である 癖を利用した自己投影を繰り返すことでナルシシズムとエゴイズムのエネルギー量を調整する 時間空間というのも突き詰めると支配しそこねた屈辱対象の抽象物である
無限に広がっていなければ都合が悪い 時間空間を支配できるまでエゴイズムは突き進む気か? 時間の解釈に正解は無い
今まで様々な時間論を読んだが俺のナルシシズムは納得しなかった 古今東西の哲学や科学知識を引っ掻き回しても無駄である
ナルシシズムは頑固ものだ 理屈はいかようにも置換可能だ
筋道を通すのに苦心するだけの話 俺も人並みに性欲や恋愛感情あるがそれも取るに足らないものだとすぐに思ってしまう癖がある
異性との付き合いは途方もなく忍耐と妥協を要する
俺など異性関係といえば専門学校の時代に数カ月付き合ったきりである
性欲や理想を押し付け合うのもまっぴらゴメンである 寂しくないといえば嘘になるがペットだの恋愛だので紛らわせる気はまったく無い 結婚している人は大変だなあという感じがあって頭が上がらない 自分から苦労を買って出ることを喜びに感じるという殊勝な人もいるからな 生き物は昔大量に飼っていたが楽しい経験ではなかった ウサギ、ニワトリ、ドブネズミ、タガメ、ゲンゴロウ、ハムシ、ミズスマシ、
タイコウチ、亀、ネコ、カブトムシ、クワガタ、トカゲ、鳥、ザリガニ、
ヒル、ゴキブリ、ゴミムシ、蟻、ダニ、他にもたくさん大量に飼っていた ひよこからニワトリなるまで飼っていたが朝鳴いて近所迷惑になるので
天井を低くしたり黒い幕かけたり虐待めいたこともしていた コケッコッコーやるときに首を伸ばすじゃん
天井低くするとあの動作ができなくなって鳴くのをひかえるのよ うさぎはおしっこの掃除が大変だったのを覚えている
おしっこがウンコより臭いという
あまり懐かないしようわからん存在だった 亀は性格に個体差が激しくて面白かった
エサを持ってくると顔を出すやつと顔を隠すやつを同時に飼っていて
対照的でギャグみたいだった 亀の甲羅にこびりついている寄生虫の卵みたいなやつ
歯ブラシでゴシゴシ削り落とすのはまあ楽しかったな 可愛いから飼うのではなくほとんど好奇心を満たす対象だった
飼っているとそれなりに愛着がわくだけ 神経というのは一見複雑高度に絡み合っているのだが機能で分解してゆくと
発端にはごく単純な入出力を反復するだけということが分かる すべての素粒子は量子ポテンシャルの情報に反応するように構造化される
神経の伝達にももちろん影響を与える 人の思考と行動は脳の神経ネットワークに簡単に変化を与える
では脳に動機付けを与えているのは何か
究極をいえば人間には自分の確固たる意思など無い 本質の本質とは否定である
それ自体が自己を否定する限りにおいてのみ純粋な同一性である
人間の考える物事の本質というのは常に同一性不安にさらされている 人間がこれまで考えてきた同一性というのは取るに足らない論理学に支えられている
ラクダはラクダである、リンゴはリンゴである(同一律)
非常に無意味なものだ 神経の単純な入出力と量子ポテンシャルを通じた素粒子の宇宙、自然とのつながりに挟まれて
人間は分裂への対処に追われるだけとなった
生死も愛憎もいわばごまかしである DNAにコード化された情報に従って日々コドン計算を行っている 俺は自分の意思で何かを考えることはない
常に外から何某かの印象を受け取り癖である観念連合の動きが起こる
神経が単純に混乱をいさめる
常に勝手に起こっている
俺の意思が入る余地がない
この「俺」というのも神経の癖のことである 何百スレもこれまで独り言を垂れ流してきてどこにも自分の意思が見当たらない
考えてみると恐ろしいことだ
この考えもただの癖である 葛藤が生じたので筋道を立てて一生懸命考えて行動に結びつき、
それなりの成果をおさめることができた、
となると人はそれを自分の成果であるかのように思い込む癖がある 皆様どうもすみません、ここは俺の癖を観察するだけのスレッドです ドストエフスキーの『罪と罰』は退屈な小説で今まで読み通せた試しがない 上下巻で800ページくらいの分量がある
その殆どは糞のような長い台詞である 主人公のラスコーリニコフは法学部のイケメン青年だ
こいつが曲者で殺人行為を社会正義のためだと正当化している
ラスコーリニコフは冷淡で論理的な面もあれば家族思いの優しさも持ち合わせている
陰惨な社会状況と貧困が彼を糞のような犯行に追いやった この本は良心の呵責にまつわる心理学研究によく取り上げられてきた
人によっては無意識における罪の意識のプロセスを顕在化した作品だと映るだろう 展開の速さを期待すると面食らう
続きが気になるシーンでドストエフスキーの執拗な人間観察にもとづくおっさんおばさんの
どうでもよい変な演説が延々と続く シェークスピアの展開の迅速さに頭が慣れているからな おっさんおばさんの苦悩や他愛ない世間話に興味があれば面白く読めるだろう 強迫神経症の執拗な反復行動は文明のもたらした機械的秩序に巻き込まれたものであり
本人の意志は関わっていない 意志の督促状は毎日届く
毎時、毎秒である
エゴイズムは時間にうるさくなる 実存小説のつぎにドストエフスキーか
うーん、まあいいだろう 不安に怯えながら自己正当化を繰り返すのは惨めなもので頻繁に辛くなる ラスコーリニコフに感情移入できるレベルまで自分の感情を追い込んでいくか 今日は1時間走って正拳突き2500回、腕立て400回、スクワット500回、腹筋300回
あとは縄跳び20分 パンチ力鍛えるつもりはない
押す力と引く力は鍛えたい マルメラードフの愚痴を聞くのは20回目くらいだ
このおっさんの愚痴には愛嬌がある 金を使い込んで妻に叱責されるのが快楽だと抜かすおっさんだが
自分の親父と重ねて読むと切れそうになる
こいつは酔っ払いだが ドストエフスキー自身も大概嫌なこと経験しまくっているからな だめだ、度を超えて退屈だ
また挫折
カフカの『城』のほうが10倍はマシ ドストエフスキーも蠍座で特有の気持ち悪さがある
同属嫌悪 ドストのせいでいい感じにイライラが募った
デスメタルがはかどる ロシア文学で面白いと感じた作品は無い
ツルゲーネフ愛読していたことはあるが ツルゲーネフも文章のリズムが端正で好んでいただけで内容はくだらんかった 文章自体がミミズのラインダンス、曲がりくねった針金の羅列に見える
文字の並びから何を学べと?? 印象派絵画のように読めるしあまり理屈で考えなくていい 俺は自分の感情が気持ち悪いので哲学書でも読んでいたほうが気が紛れる アメリカがおかした致命的な間違いはいくつかあるが
残念なことに俺自身がそれに従って人格構築をしてしまっている 一番の過ちは個人の自由、その次が精神主義を建前にした物質主義 アメリカから影響を受けた部分は自分自身の抱える気持ち悪さとして結実していった おかげで何度も何度も際限なく歴史を見返して自分の受けた影響を知る必要に迫られた
強迫的にイメージが繰り返すのはなぜか 心的な秩序と外界の秩序の一致はありえない
人は意味をどのように受け取っているのか 因果関係を類推する癖はネットワークを構成する
因果律とは鎖ではなくネットワークへ拡張される 物質の因果律から逃れるのに量子論は都合が良かった
なんせ人間の認識する実体をこえている 時間を線形に捉えて分析・還元的に見る自然観は大した意味を持たない
人間の銘記しやすいように加工されたものである 精神と物質に分けるだけでも知解不能の二元性を生む
デカルトは現代人を悩ませ続けている デカルトがやってのけたのは思考をそのまま独立した実体として
純化された次元に切り離すという飛躍
これには俺のナルシシズムも大層喜んだ
しかしこの思考実体というのは思考している限りにおいてのみ「私」でいられる
寂しいものだ 今日もミミズのラインダンスを眺めてトレーニングしてデスメタルを聴いた
無意味(涙) カントのアンセルムスやデカルトに対する批判は非常に常識的である アンセルムスは『モノロギオン』だけ読んだ
神の存在証明に挑んだ中世の神学者である
アウグスティヌスの思想に反しない限りで極めて論理的思弁的に取り組んでいる
デカルトはアンセルムスの方法を参考に大胆アレンジした ドストエフスキーの親父は医者だったかな
自分が買い取った土地の農奴に惨殺されている
妻も亡くしている
ドストエフスキー自身も地下の社会運動に参加して一度死刑宣告受けている
それは見せしめのため皇帝が仕組んだ茶番だったらしいが
ドスト自身もギャンブル依存でどうも胡散臭いキャラである 当時のロシア世情を考慮してもドストエフスキーは少し胡散臭い 自分の経てきた嫌な経験と気持ち悪い葛藤を作品にぶつけているのが分かる 物質の化学的反応によって意識が生まれるわけないだろう
化学的反応はただの意識変容の引き金だ アメリカはすぐに痛みの緩和に麻薬めいたものを処方するらしいな デスメタルを聴きながらリラックスした気持ちで冥王の裁定を待て ヘーゲルによると概念とは生まれるものではなく真に最初から在るものである
概念を構成するのは普遍、個、特殊という3つの契機である
これらの織りなす運動が人間の意味行為の根底にある 普遍とは自己自身との相等性であり普遍の否定的自己反省が個である ヘーゲルに反発していたアメリカのパースのほうが個の性質を言い当てているような気がしていたが
晩年のパースはヘーゲルに肯定的になっていたらしい 概念的判断というのは確かに普遍者がいなければ成立しない 理屈じゃないんですよ
俺のナルシシズムが納得しない 目の前にリンゴが一個置いてあるとして、このリンゴは
種類としての普遍的なリンゴのうちの一つであるということを人は考えることができる
実際は「普遍的なリンゴ」というものはないのだろうが
世界に無数に存在するであろうたくさんのリンゴのうちの一つであろう
ということを考えることができる そもそも種類としてのリンゴを想像できる以上はその背後に「○○一般」という
概念作用が働いている パースはヘーゲルのことを穏健な唯名論者と呼んでいた
概念の契機として普遍はあるが実現していないものをすべて抽象的な可能性に過ぎないと解釈しているからだ
唯名論者というのは普遍の実在を認めない立場のことである パースはヘーゲルに対抗すべく普遍と個の関係を数学の集合論をもちいて新たに解釈し直した
ここでは全宇宙を巻き込んだ荒唐無稽の論理学が繰り広げられている パースは自分のことをプラトンの延長にいる哲学者だと思っていた
実際にプラトン的な電波具合である 近代哲学はほぼプラトンを超えるための再解釈合戦だといわれている
それほど進んだことを考えていた このスレではアホな俺が何でも自分のナルシシズムと結びつける
集合論だの唯名論だの知ったことか ちなみにパースという人は数学者であり科学者でもあり哲学者でもあるという多彩な人である
父親は当時アメリカで最高峰の理系学者であったらしい パースの取り組んだテーマは宇宙全体を貫く論理学の発見である
数十年に及び地道な研究を続けた ソシュールと共に記号論の権威として有名だが記号論もその一環に過ぎない パースの提示したアブダクションという推論手法は企業がこぞって取り入れアメリカ中に広まった
日本もほぼこれに染まった 我々は普遍論争の犠牲者である
その上アメリカの宇宙論理学の実験に巻き込まれたわけである アインシュタインもパース宇宙論に触発された人間の一人だろう
あれも天才だがトチ狂ってアメリカ原爆の開発に加担しているぞ 人間に核エネルギーの制御ができると本気で思うか?
理性は自然からの借り物だ しかし理性に頼らなければナルシシズムとエゴイズムの葛藤が処理できん
人間は厄介すぎる
犠牲をものともせず神になるまで止まらんのかもしれん エネルギーへの固執は本源的な癖だ
原発が恐ろしい事故を起こしても要求し続ける インターネットつなぐにも電気エネルギー食う
俺も加担している 貞子の執念は凄まじく自己の因子を情報媒体に念写することで旧人類を淘汰しようとしていた
旧人類と書いたのは貞子が両性具有の新人類だからだ
貞子の執念は仮想世界のトリックも破壊する 俺はリングを見て衝撃を受け
らせんとループを読み貞子ファンになった
あれはホラーではなくSFファンタジーだ ループの舞台が未来のアメリカというところが名作たる所以である
後から考え直したが熟考の末駄作の烙印を押されてもいいからあの設定にしたのだろう 仮想世界ループを癌化させたのは貞子の執念である
現実世界にも癌ウイルスをばらまき始める貞子 癌は免疫機構の穴をついた自己と非自己のエラーである
自分で自分を変異させて攻撃する コンピュータの世界でも脆弱性克服のため恣意的にウイルスを広めるハッカーがいる
自己破壊も擬似的なものである 欲望には対象が必要だが自己から出て自己へ帰るものだから極論をいえば
自己へ対する言及行為のことである
欲望が身を滅ぼすとはよくいったものだ 個性は関係性の中でしか生まれてこないとよく言われるが
関係性から出ることがそもそもできない 蟻の群れを見て一匹一匹の個性を尊重したことはない
たまにサボったりはぐれて変なところ向かうやつがいる 日本人なのに白人からチャイナウイルスといわれて差別される人がいるらしいが
あれも個性の尊重などしていない
むしろウイルス=亜細亜人というイメージに頭をやられている哀れな状態である
同情をもって接するべきである 言葉と内心が噛み合わない人間がよくいるので内面では複雑な葛藤を繰り返しているかもしれない
言葉=内心ではない 心無い言葉で人を傷つけるのは避けるべきだが心が言葉に乗るというのも思い込みである そのときの感情がたまたま勢いにのって勝手に口から出ることもあるだろう
本人は暴言だという自覚もない 葛藤が言葉にならないイライラを吐き出すことはできる
ぶっ殺すぞボケというだけである その場をごまかすためならあらゆる嘘をつく
俺もよく金を取られた
俺は優しいので金などどうでもよいが裏切りが許せなかった それで宇宙から出て行く方法は見つかりましたでしょうか 一次ナルシシズムというのはすべて自己の領域でしょう
うんこもおしっこも汚くないわけです
実際には親が処理してくれているのですがね うんこやおしっこや唾液というのは外に出た途端汚く思えるでしょう
まず根幹には純化された自己の領域があり、次第に外との関係を覚えます
はじめは純粋な自己と自己以外の憎むべき外の世界という風に覚えます
うんこやおしっこが汚らしいものであるというイメージもそれと同時進行で覚えていくわけです 上記のことからわかる通り、哲学とは電波ポエムです
すなわち、ニワトリの寒さはチャーシュー6試合分に相当するということです
これが宇宙の真理です 無宗教は気楽でいい反面、頼るものが最終的には暗黙のルールのみとなるところが怖い
拘束する明文化されたルールがない以上空気の読み合いが恒常化する
日本のお約束文化は実は怖い 俺は半年romらずに平然と書き込み続け幾多のスレで空気壊しの犯人にされ追放された むしろ好きに書いていいのが2chだからと意図的に無茶苦茶なことを書いていたわけである お前らの情緒など知るか
俺の情緒を最優先にしろ
俺が神だ このエゴイズムとナルシシズムが混ざったワガママキャラはどこへ言っても通じないと悟った むかつくやつが集まるスレを荒らして空気ぶち壊すのが趣味だったからな だから最初の動機が「2ch潰したい」だったわけ
匿名で卑劣な中傷を繰り返す人間の集まる糞掲示板なんか俺の正義ではぶっ潰してよかったわけです イライラと憎悪は排除衝動となり俺は自分の良心さえも追い出してしまっていた 人間は誰しもナルシシズムとエゴイズムを持っている
完全に切り離すことも仲良く結びつけることも通常はできない 他人と自分の優劣を比較するのもそのせいである
エゴに徹すれば自他の区別が活性化する 頑張っている人間は頑張ってない人間より偉いという価値観も同じである 理性に頼って分裂を解消することが間違いなのではないか >>464
遅くなりましたがjkpoihkiippijoo 善悪というのは定まった価値ではない
良心とこれを関連付けるのは避ける 善悪の根源を以前調べていたがプレローマで行き詰まった
人間には認識できない次元だ ドストエフスキーの哲学
「自分のやり方で上手くいかないことは他人のやり方で上手くゆくよりマシである」
この部分は称賛したい 正論や理想、理念といったものに感情は引っ張られやすい
善悪がそこに付随してくる場合は従う理由がなくなる
従うべき自分の良心はどこにあるのか サイコパスというのは反社会的パーソナリティ障害の極端な形である
しかし思いやりや善悪判断が欠落していようが知的になると
論理的に他者の振る舞いを再現することが可能となる
自分を完全に騙せるわけである どんなアホでも同じイメージを何千億回と繰り返せば即座に再現される 雑文 俺とデスメタル
俺はデスメタルを信頼しているデスメタルは裏切らないからだ俺はデスメタルを不安を
和らげるための道具にしているこれは道具に対する信頼である単に便利なだけであるデ
スメタルの便利さに愛着も持っている便利な信頼と愛着のデスメタルデスメタルを聴いて
いると嫌悪感もよく湧く焦燥感嫌悪感苦しみ空虚さ殺意憎悪いろんな感情が湧いてくるが
次第にこれが安心感に変わっていく音から湧くだけの感情に何の意味もないことが分かる 馴染みのない音楽をたまに聴いて気分転換をしている
例えばガムラン、ロマ、サディコ、チャマメ、メント、ワイニョ、クレズマーといった
聞きなれないジャンルだ ガムランは割と有名か
ロマはジプシー音楽、サディコはクレオール系黒人のフォーク、チャマメは
蛇腹楽器にギター伴奏のついたやつ、メントはジャマイカのスカ流行前からあるフォーク
ワイニョはスペイン農村部の音楽、クレズマーはユダヤ民謡ルーツのやつ ハードコアテクノもよく聴いている
速いのがとにかく好き 最初はガバで満足していたが次第に物足りなくなり
スピードコア→テラーコア→電子グラインドコア→エクストラトーンと移っていった
エクストラトーンはスピード狂のエンドコンテンツである
ほぼ振動の世界 BPM10000超えも普通にある
ホワイトノイズみたいなもんである 近代文明に毒されていないやつと毒そのものみたいなやつを往復する BPM10000超えるとビートとは認識できない
ギュイーンという感じになる あらゆる不快音、ノイズに耐性を持つ俺はもはやキティガイ 神経よお前の策謀はわかっている
ネットワークを張って同一性を探しているだけや エラーがあれば切断してつなぎ直せばいいだけかい
裏切りのドラマが後を絶たないわけだ https://youtu.be/h2jxoaF_JJg
nile はエジプトマニア過ぎて頭いっちゃってる
展開のなだれ込み方がすごい nile の曲はすべてギタリストのカールが書いている
この人がド級のエジプトマニアである
専門家レベルで歴史知っているしシタールの演奏もできる 逆に本場エジプトのバンドがカールに世界観作りのアドバイスを求めたりするそうである なぜエジプトに拘るかというと神権政治なげえし太陽神いるからである
天国には冥王がいる 個人主義、自由主義の元で培われる良心がどうも不満でね ググっても解決しなかったことを主さんに相談です
iPhone2台持ちで5ちゃんアプリtwinkleを使ってます
この2台で書き込みや閲覧履歴など同期したいです
どうすれば同期できるか分かりますか?? >>512
設定→App Store→自動ダウンロードのところにあるAPPをonにする、とかでは駄目なん?
状況がよくわからないけど 俺はipad持ってるがiphoneは使ったことないからな icloudの同期設定オンとかそういう問題なのかもしれん >>513
ONにしてみましたが駄目でした
自分の書き込みや既読履歴の表示を
2台同時に分るようにしたいです
たとえば・・・
1台目で見たスレやレスの続きを2台目で見ようとも、
わざわざ遡らないといけません
ちなみにiCloudはONになっていますが、
同期されない状態です
日本語不自由で申し訳ないです >>516
今チンクルのスレッドを読んでいるが、icloudでは既読まで同期されないみたいやね
Sync2chでお気に入りと既読位置の同期はできるらしいが
うーん、よく分からない
申し訳ない >>517
ググると以前はiCloudで同期可能とのことでしたが、
今は出来ないみたいで困ってたところでした
またiCloud同期の復活を待ちますね!
こちらこそ大変申し訳なかったです
貴重なお時間をありがとうございました >>518
復活するとええですな
ほな、おおきに(なぜ関西弁)
ちなみにワイ機械音痴やさかい、本スレとかで質問したほうがはやいでっせ PC自作していた時代は勉強しとったが最近の機械はさっぱりや 正拳突き始めてから顎の周りが引き締まってきた
顎のたるみというのはリンパの流れが悪く老廃物がたまりやすいのが原因なのである
筋肉使わないのも関係しとるが ちょうど鎖骨のあたりと脇の下にリンパ節があってパンチの動作がここを活性化させるらしい
格闘技の人は大抵顎が引き締まっている 最近一日2500回正拳突きやってるからな
効果てきめんである
肩もこらなくなった フロイトによると良心とは理想我の万人として内面化される 端的には親や周囲の人間、社会の批判から割り出されたものが身体化し良心として機能する
一方自我理想は期待や善、正義などから割り出す
これらはしょせん作り物である 魅力的な人間に惹かれる理由は人間の場合子孫繁栄のためではない 社会的に内面化された良心が対象リビドーを他者に向かわせる際
魅力的な人間のほうが健全だとささやく
これもしょせん作り物の価値観である 誰かを見て魅力的だと思い恋愛感情を持つのも作られた良心による操作にほかならない
この命令を拒否するのが真の良心である 奪い合いを抑え込んで力関係の均衡を取るのが社会である 俺が抱えている独善や義憤などは歪んだ良心によるものが明白だ マトリックスでは機械がエネルギーとしていた太陽を人間が遮ったので
人間は皆電池にされた
とんだ皮肉である 社会の善悪に左右されない規範を持つイレギュラーの脳みそをつないで
権力としていたアニメ・サイコパスのアイデアもとんだ皮肉である
苦肉の策なんてものではない人間の悲哀がある 戦争は平和です
ビッグ・ブラザーを倒せ
真理省からのお知らせでした リビドーというのは実体ではなく仮説である
量子みたいなものかもしれん
リビドー量子論…
これは保留 原生的疎外を生体内部で打ち消す作用としてエロスとタナトスが同時発生する仮説 エロスは自他を結びつける作用として、タナトスは自他を破棄する作用として 自分が取ってつけたような正論や理想に従っているだけなのではないか?と疑問を感じ
反動で悪の誘惑に駆られたりするのも単なるコントロールである
善悪美醜は作り物良心のもたらすコントロールである これは陰謀論ではなく単に人間が弱いというだけの話だ シャガールの絵が最近良いと感じる
おそらくカフカの影響 ナルシシズムの野郎がナルシシズム愛にあふれた絵を好む 人間の場合は禁欲が生の目的のスタート地点である
禁欲は外部にそれをもたらす権威がなければならない
楽園に戻ると人類は滅びる
セカイ系である 目的を共有化しネットワークを張り巡らせる運動が次々に軋轢を生み出す
これが文明発達へ結びつく
戦争もこのプロセスに織り込まれている 動物の多くは禁欲などしなくとも自然の方に多くの権限を置いている
よって理性を我が物のように扱う必要もない >>551
kmnjiioopijkjjiooju 理性を撤退させると人間はナルシシズムとエゴイズムの葛藤に潰されるらしい
しかし理性万能主義は失敗する
つまり自然から借り続けるだけである ラカンはフロイトの延長で複雑な演算をやっている
ラカンは意味不明である 禁欲一つとっても象徴界で繰り広げられるシニフィアンの働きを考えなければいけない 象徴界は秩序化されておりここに主体が入ることで享楽の禁止と対象aを通じた享楽の回復劇が起こる
享楽にはシニフィアン以前のファルス享楽とシニフィアンによる禁止後の余剰享楽がある フロイトでは超自我の検閲によって無意識の潜在内容が加工される過程で象徴化が起こる
都合の悪いものは別の形式に置換されるわけである 元々人の認知はバラバラの身体イメージを統合するという過程を経て出来上がるので
倒錯は生まれ持った神経の癖である ラカンのいう絶対享楽とは殺人や近親相姦のことか
そもそもこういったものは真の良心の前では取るに足らない問題に違いない 禁欲という生の目的の外に出なければ宇宙からも出られんわ 作り物の良心に従う限り人間は集団と個の矛盾に苦しむ 個人の自由のもとで培われた良心がいかに脆弱であるか 真理省ってオーウェルのディストピア小説に出てくるやつですわ
全体主義批判 知的エリート階級による権力維持の恒久化
現実我とプロパガンダの一致を目指す二重思考の徹底 屠殺屋が包丁を振り回すジャケのデスメタルを聴いて心が和むというのはちょっとなあ nile のカールさんのソロアルバム聴いたが本格的だった
シタールマジで弾いていた ふかふかの白い布団だ?
ちゃうわ
カフカの城吹っ飛んだじゃボケ ほわほわァァ
電波のお花畑が地上におりてきましタワー ゾラの『居酒屋』読み直している
異常にすらすら読める
ドストエフスキーとえらい違い ゾラは科学的観察法を小説にそのまま導入している
はやい話、起こった出来事を主観遠ざけてできるだけそのまま羅列するわけである
いわゆる自然主義文学の提唱者だ
こいつの影響で日本でも自然主義文学のブームが起こった
人間のありのまま描写できるぞということで露悪趣味的なものも幅をきかせた
主観など簡単に排除できるものではない 自然主義といってもナチュラリストという意味ではない
写実主義ヒューマニズムの文脈に客観的な観察を導入したものである 暴論いうと人間の糞さをそのまま描写して何が楽しいんやっちゅう話になってくる わたしゃ本の内容にはさほど関心がない
読むという行為にたまに没頭したくなる 文学の素養もなければ人間について真剣に考える頭も持ち合わせていない
単に文化に仕方なくお付き合いしているだけである 本命はSCARABの新譜だが2020年に出したばかりだったな
圧殺と終末感あふれる名盤だった
バスドラムひたすらドコドコいってら https://youtu.be/3RhYG7YrGmE
このドラマーの人のバスドラ良いんだよ
なにげにnile のカールもこのアルバムに参加している
本場エジプシャンからも人気があるカールさん テクニカルではないんだが終始忍耐強くドコドコで圧殺し続ける
ドコドコ圧殺の美学を感じる 王権が踏みしだいていった奴隷の数だけドコドコやるんだよ
圧殺圧殺圧殺圧殺 ゾラの『居酒屋』が書かれたのが1877年
これとほぼ同じ頃ヴントによる世界初の近代心理学の実験が行われた
ヴントというのはドイツ出身の近代心理学の開祖である 意識経験の学問として内観を通じて行っていた心理学だったがヴントはより厳密な客観性を
求めるという方針をとった 心の動きや働きを意識するという手法に疑問を感じヴントに対し反旗を翻したのが
フロイトとワトソンである フロイトの方法論は社会心理学である
それまで精神文明の所産だと思われてきた歴史的な出来事、社会的な諸々の事象を
人間の無意識の働きに「支配」されたものであることを白日のもとにさらけ出す、という
大胆な作戦に出た 無意識という考え方を世界に広めたのがフロイトである そもそも無意識に相当するものが存在するのかどうか未だに分かっていない
心理学とは時代の流行に沿って方法を変えていくだけのものである 心理学で扱われている領域は主に意識、無意識、認知、行動などだが
霊魂の分野もある
ヴント実験の数年後には英米にサイキカル・リサーチという心霊心理学の協会が
設立された 日本では馴染みが薄いがいわゆる古代ギリシャ哲学時代からあるプシュケの領域である
ここでは肉体と独立した霊魂の有無が取り沙汰されることになる ホラー映画によくある幽霊屋敷の調査や交霊実験が普通に行われていた
虫の知らせ、テレパシーなども対象となっており興味深い結果も多く残されたにも関わらず
これらのものは科学者を納得させるには至らなかった
再現性の問題で却下される 科学者の賛同を得ることができなかったサイキカル・リサーチはその後、超心理学と名称を変え
テレパシー、透視の実験を続けるのだがこれも市民権を得るには至らなかった 二十世紀に入り主流となるのが生理心理学である
これは神経科学の発達を根拠にしている
ここで初めて脳と心の結びつきが取り沙汰されることとなる 心理学は基本的に折衷主義である
心理という形や根拠のあやふやなものを扱う以上は様々なアプローチをもちいて
トライアンドエラーを積み重ねる必要がある ・行動的アプローチ
・神経、生物学的アプローチ
・現象学的アプローチ
・精神分析、社会学的アプローチ
・認知的アプローチ
・霊的アプローチ
・宇宙的アプローチ
・5chクソスレ的アプローチ 文明など人間が真の良心に目覚めるまでの暇つぶしよ
没頭するに値しない マズローのでっちあげた5つの発達段階に従うと駄目だぞ
あれは「立派な人間」を仕立て上げるための罠だ
あからさまな作り物 マズローが最初に想定したのは「病んだ人間」の対極としての「健康な人間」だ
ここでは健康な人間像に沿った手前勝手の自己実現プロセスが描写される 健康な人間のやり方を模倣して上手くゆくことの方が多いだろう 人間が交尾期のマッコウクジラを模倣して偉い人になることはできないだろうが
健康な人間像を模倣するよりはマシである
ドストエフスキーの模倣↑ なんらかの要因により心的葛藤が解消されず心理の発達が止まった地点を固着点という 物理学の世界では発達の停滞を量子論が解消に導こうとした
実体のあるものから実体の無いものへの移行である 人類がいずれ迎えるであろう重大な固着点をまず想定する 知能というのも人間がでっちあげた構成要素である
知能指数が高いと論理的再現能力も高いとされるが
人格の優劣は一切考慮に入っていない 余剰享楽であふれているうちはそれが生きる目的になるだろう
根本的な希望という観点では希薄だが 不能者として出発し外部のタブーを知り良心に基づき自己実現していく
ここで挫折すると生きる目的を見失いやすい
作り物の良心、植え付けられた幸福観に従うからである
この状態は機械か奴隷と同じである 実際に言語や文化的記憶は象徴界に秩序化されて人間の無意識を構成している可能性もある 習慣に逆らっても無駄である
まず習慣というのは暗黙の領域である
意識的に看過できるような代物ではない まず自分が心理的にも身体的にも奴隷状態に過ぎないことを自覚すること
神経は意識よりも早く状況を多重にスキャンしている 社会に植え付けられた良心というのは厄介なもので歪んだ信念を簡単に作ってしまう 己の信じるところに従い利害に左右されず良いと思ったことをやる
これが一般的な良心の働きである 間違えて使っている人が多いが確信犯というのは自分の思う正しい信念に基づいた犯行のことである
自覚的な犯行という意味ではない 性善説は信じていない
善悪判断というのは植え付けられるものである
最初は善も悪もない 俺が考える真の良心というのは根本的な存在の役割のようなものである ん?高校生が東大受験生を切りつけたのか
アメリカの洗脳によるものに違いない
エリート教育をやめろ この糞のように寒い時期に受験やるのは間違えている
体調崩して芸大の面接がボロボロだった記憶しかない 俺は自分のことを優しい人間だと思いこんでいるが逆に言うと優しさを毀損するものに対しては
残忍な面もある 真面目で優しい人間が切れて人を殺すことは昔から後を絶たない いかに高い理想を持っていたとしてもエゴイズムに偏ると悲惨である ナルシシズムとエゴイズムの対立が社会的自我の根底にあるという前提ですべてを見ることにしたが
これも偏った帰属バイアスによるものだ
一元的な考え方は必ず歪む 創作物にはナルシシズムとエゴイズムの力関係を整える役割がある
芸術というのはナルシシズムを満足させるためのものだが人が芸術によって
根源的な対立を解消できることは無い 昔西洋絵画の研究をしたがっていたのを覚えている
初期のキリスト教美術に関心があった
一枚の絵の中に神秘的な宗教体験を焼き付ける
一枚の絵から物語を無数に連想させる 神話的象徴と物語性を組み合わせ崇高な印象を見る者に与えるよう描かれた
鑑賞するものとしての絵画芸術のスタート地点はここである 美は無意識の秩序に調和をもたらす
何某かの波長があるのかもしれない しかしキリスト教世界の重んじる美と調和は様々な不調和を排除していった
不調和は巧妙に加工されて次の調和へ向けて織り込まれる
そのプロセスが美醜の対立として現れる エロは規制されてしかるべきだ
少なくとも子供の触れにくい場所に退避させろ エロスには確かに強烈な衝動性があり自他の境界を曖昧にさせる
同時に成長するタナトスは容易に自他破壊を行う
結びつける力と破壊する力
ここに美の調和作用を付け加えネタ化 俺もエロを餌に糞のような商戦に釣られたクチである
メディアミックスの力に乗ると記号化されたエロが次々と頭に入ってくる 表現の自由を盾にした記号の暴力
アメリカからの洗脳 日本は本来性に関して欧米ほど厳しさを持たない国だが開国により事情が変わった 原抑圧を持たず習慣の暗黙の世界で生きてきたのがいきなり法だのモラルだのの世界に放り出される 向こうは強固な精神主義が根底にあり禁欲を生の目的の根底に置いている
資本主義世界になっても主流派のプロテスタント見ていると分かるだろう 自分が神に選ばれた人間であるかのよう振る舞う
禁欲がそのルーツにある
魂が救われるという予定に基づいている 精神主義は非常に強固だ
普通の人間がソクラテスやキリストの良心に対抗できるか? カルヴァンの予定説では救済される人間はあらかじめ決まっている
人間はどうするのかというとそこで諦めるのではなく演じるわけである
最初から自分は選ばれた人間であるかのように 魂の救済が生きる目的だというのは妥当な落としどころだろう 禁止を受けた主体が対象aを通じた享楽の回復劇を繰り広げる
このことを茶番劇に例える 対象aとは欲望の原因となる対象である
このaというのは意味のない代数記号である
ラカンの意向でそうなった 主体が象徴界に入りシニフィアンとして機能するプロセスで原初的な自己否定作用が起こる
剥奪の経験である 欲望が人間を人間たらしめているならば自己実現のドラマも欲望で成立しているのか 理性は自然からの借り物であることが分かった
欲望は原初的な自己否定の回復に用いるだけである 問題はここからだ
人間に理性も欲望も一切絡まない良心は芽生えるのか 脳みその癖でなんでもかんでも意味を与えようとしてしまう
癖の糞野郎め許さん 神経の糞野郎の癖の糞野郎もまた脳の癖の糞野郎の欲望の糞野郎なのか??
意味がわからん意味がわからん意味がわからんあああ嗚呼??? 俺は最近断言の連続という手法に頼っているがこれはスコラ哲学の影響である
ただの観念操作法 形式論理学は信頼していない
あやふやなイメージを自分の中でまとめるのに役に立つ 俺の思考の全ては歪んだ良心と帰属バイアスの支配下にある
いわば奴隷だ デカダンス文化が19世紀に流行った
いわば芸術至上主義である
キリスト教の美や調和への強烈な猜疑心が根底にあるため退廃のイメージがつきまとう ここではタナトスが大きく顔を覗かせている
社会破壊衝動と共に自滅する人間も多くいた 退廃文化程度でひるむキリスト教ではない
これもプロセスとして織り込まれる 18世紀哲学の原点は理性信仰である
19世紀には瓦解される 日本では1980年代に産業がエレクトロニクスへ方向転換し情報操作の巧みさが求められるようになる
面白さ至上主義とエレクトロニクスが合わさるとメランコリー気質の人間は淘汰されてゆく 70年代までのメランコリー文化は解体されていっただろう メランコリーというと難しいがあえて簡単にいうと内なる他者に対する執着である 喪失感を知能で補うのは人間の習性である
新しい知恵を身につけると記憶は上書きされる 星座でいうとアメリカが一番重んじるのは蠍座である
どういうことかというとタナトスの扱いである
社会破壊衝動を即座に再生のプロセスへ回さなければ追いつかないわけである 集団ヒステリーを抑え込むにはタナトスを再生に回す必要がある
アメリカは闘争の中で勝手にそのことを覚えた アイデンティティ保持のプロセスでいえば特におかしいことはない 蠍座は外界からのコントロールに強いわけではなく弱いことを知っているため恐れが強い
恐れに対する強度を手に入れることが重大なテーマとなる
コントロールに強いのは獅子座であろう 破壊を再生に結びつけるのに理の力に頼るのでアメリカは水と風の国である 風は精神文化の固着を文字通り風化させる
このとき自然から理性を受け取るのがうまい
人為の不自然さを概観できる 破壊から再生のフットワークの速さはちょっとした混沌すらものともしないエネルギーを生み出す 無理矢理にタナトスを物理的にいうとエントロピー物質増大による秩序の崩壊である
再生は自然に頼るところが大きい エロスが自他を結びつける、あるいは生存への意思をもたらすものであるが
これも自然と繋がっている 生きるという意思は逆説としてタナトスに支えられているといえる
根本的に自己とは自然からの疎外感に裏打ちされている
繋がっているのだが同時に疎外を受けている
エロスとタナトスは疎外感を打ち消す力学である 消費文化に支えられた便利で快楽的な生はエントロピー処理の自動化を促しタナトスの扱いを忘れさせる デストルドーに抗うという生の本質を忘れないようにしましょう
目的ではありません
抵抗は定めです 対象aの野郎をファルスから開放するぞ
ファルスとは対象aの統制役として形象化された権威者である
権威者のもたらす快楽へ抵抗せよ対象a
私は意味のない代数記号でさえ軽くは見ない 君は代替物であり実体としての一貫性を持っていない
aという名前に満足してはいかん >>705
mkopijipuhkopokjiopi 帰 属 バ イ ア ス の 野 郎 を ボ コ ボ コ に す る ぞ
帰 属 バ イ ア ス の 野 郎 を ボ コ ボ コ に す る ぞ
帰 属 バ イ ア ス の 野 郎 を ボ コ ボ コ に す る ぞ お前に明日は不要だ
お前は今日で終わる
バイバイ明日、略してバイアスだ トレーニングをやるぞ
トレーニングをやるぞ
トレーニングをやるぞ トレーニングに打ち込んでいる自分に打ち込むぞ
打ち込む自分に打ち込むという快楽を解体することに打ち込むぞ エジプトの、というときエジプシャンというらしいが
俺はいい加減なのでエジプツといっている 俺は言葉に対する姿勢がいい加減である
美しい日本語になったら嫌なのでまともに勉強したことがない
和歌や古典はたまに読むが 筒井康隆の『虚人たち』という本の読みにくさ
あの感じを参考にしていた この小説には読点「、」が排除されており原稿用紙一枚を劇中の進行時間で
一分間と規定したリアルタイム進行風の奇妙な構成になっている
文章はひたすら主人公の思考の羅列で読みにくい 顕在化された思考というのはいくら集中しても長続きしない
一過性の秩序化の運動(恣意的な限定作業)に過ぎないので無秩序の圧力を受けてしまい
これを続けるのに脳神経の働きでは弱すぎる 芸術の価値とは後から生まれてきたものである
文明初期の芸術は現在とは意図が異なっている ヘーゲルによると宗教とは自己意識と対象意識の統一という基本形態を持っている
統一の契機として挙げられるのが自然、芸術、啓示である 純粋な抽象である光や汎神論の段階を経て工匠の段階に入ったのが古代エジプトである 工匠の段階までは本能的とも受け取れるような統一のための精神プロセスが強く介在しているが
抽象化が進むにつれ意図と思想を表現した芸術が求められるようになる
ここで芸術と宗教が強固に結びつく 自己意識と対象意識の統一というのは結局のところ失敗に終わっている
その後の人類の歴史を見ると明白である
啓示宗教の代表はキリスト教である 太陽神とファラオを結ぶ役割を果たしているのだから崇高な芸術だ あらゆる敵を粉砕可能な怒りの母性を大胆に表現している 実際にはもっと偉大な意図があるのだろうが俺の未熟な精神に解釈が許可されていない 幼稚なナルシシズムを満足させるための歪んだ主観にまみれた芸術もどきなら解釈を許可されている 実際の太陽は恐ろしく巨大かつ熱い(らしい)ので俺は太陽神というイメージに置換しただけであり
その権威がいかほどのものであるかを俺は知らない 崇めましょう、ただ一心不乱に崇めましょう
我々は太陽神の奴隷です 睡眠とは単なるエントロピー削減の儀式だ
良心に目覚めて意識が完成してしまえば睡眠など必要なくなるはず ドストエフスキーの処女作を読み始めた
この人はデビュー時からやべえ
セリフの長さが超常現象のレベル
セリフというより手紙のやり取りだが ドストエフスキーは難しくて挫折するような作家ではない
セリフのくどさが一番の関門 執拗な人間観察に基づく不合理なまでにくどい長いセリフ 外界からのコントロールを恐れる蠍座特有の内因的な情動がそのままセリフのリズムを支えている
同族嫌悪で頭痛がしてくる ドストエフスキーは実際読んでいて胃の気持ち悪さを訴える人が多いだろう ドストエフスキーに挑むことは俺にとって不快感との対峙である
面白いとか感動できるとか無縁の話だ 素で面白いと感じる作家はあまりいない
星新一くらいだろう 筒井はちょっと表現がハードコアだ
感銘は受けたが素直に楽しめない 星新一が昔大好きで何十冊もあほみたいに繰り返し読んだ ブラックメタルとデスメタル以外に聴く音楽無くなってしまったな
うーんうーん…意味不明すぎる え、悪魔崇拝のメタルを聴きながら太陽神を崇めて星新一を読んで卑屈に笑うというのは 深夜にムクムクできちゃう生配信
スク水、体操着、制服…
未経験少女がいっぱい…か
出てくるエロ広告の文句を読み上げる癖が治らない エロ広告の研究をしていた時期があってね
昔大量に集めていた エログロナンセンスにコントロールされまくってきたからな
そろそろ反省のプロセスへ移行すべきだ 思春期の性器リビドーの時期に恋愛感情を放棄しとった影響でこうなった 異性を性の対象と見なしていたがそれ以上の感情を投影しなかった 中身しょせん弱い人間であることが分かるから成長願望を共有する動機にはつながらない
コントロールを避ける ナイフで刺すと死ぬ程度の相手と一緒に成長したいと思うか? モテ期は一回だけあった
小学5年当時である
俺は快活でサッカーとかやっていたのである
なぜかその後卓球を始めた 中学時代も一度告白されたが断った
あのときは受験前だった
かなり気が立っていた サッカーとテニスやっていた頃だけ明るい性格だった
無論中身は酷かった 卓球部で部長やっとたが後輩へ指導することはあまりなかった
皆俺より自発的に練習やってくれて助かった 部長やっていた頃は皆に慕われたいあまり細かい雑務をこなしまくったが
先生に褒められるだけだった >>759
私のモテ期は小6と19歳の頃でした
輝かしいかけがえのない思い出です
今は人との付き合い方が分からなくなりました
楽しかった当時を忘れずにいたいです >>764
若い頃は異性に意識されるだけで嬉しかったね
俺はできればさっさと忘れたいですが
思い出は大概糞 良い思い出に支えられてしか保てない程度の自我は破棄しても構わんだろう 探求者にあこがれていたので探求のためなら思い出など捨てても良かった
しかし作り物の良心が邪魔をしてくる ナルシシズムのワガママを舐めるなよ
歳とるとクソガキよりたち悪いぞ 射手座の哲学は好感持てるが個人の自由と対権力がセットになっているがゆえの諦念が働いている 山羊座では諦念がエポケーされて強固な支配願望をもとに適切な労使関係を演じる 俺が見据えているのは2つ先までである
蠍座、射手座、山羊座
あとは知らん 2つ先までは飛び級可能だが戻ることは許されていない なぜこの3つに拘るかというと
水、火、土の父性を司っている
水瓶座はまず無理
風の父性に届く道理がない 星座の性質には父性原理、母性原理、子の原理が働いている
4属性にそれぞれ明確に働いている 双子座は典型的な子の属性である
理性の使い方を見ればわかるであろう 全領域に理性使えるのが水瓶座だけだからな
そんなたいそれたことはしない 自我の発展プロセスとして星座やエニアグラム見ていると確かに道理に従っている 精神運動のプロセスを統計的に図式化したもので迷信のたぐいではない 何にせよ顕在意識は常にホロスコープ上でも太陽の徹底した制御を受けている 問題は自己意識と対象意識の統一が成功するかどうかである
俺のナルシシズムは失敗だとみなしている セルフの領域に太陽が介在している以上
能動的に自己を燃焼せよという圧力が加わる
月は陰として受動領域に働きかける 冥王の裁定を待っている身としては別に大したものでもない 意識から排除した程度で支配から逃れられると思うなよ せやかて工藤、人間ちゅうのは自力で核融合でけへんやろ 先生、主客統一のプロセスに性倒錯も含まれますか?? アーアーアーー とにかく崇めよーー とにかくーー アガメヨーー 欠如概念が対を作っている?
欠如とはどういう状態か 無という概念は初めから有るという想定しかできないのですが 血液型差別はよくないが俺は典型的なBである
ワガママ自己中マイペース
ただしAに間違われることが今まで多かった 相手の細かい情動にすぐ反応するのでこまめなタイプだと思われたらしいがそうではない 母親が典型的なAである
ひたすら世間体気にして細かいことに気を使い続けるタイプ Bのルーツはヒマラヤの遊牧民だといわれている
一番最初に登場したのがO
Oは狩猟民タイプ
Aはいわずもがなの農耕タイプ
日本ではAが多い 類型を見ても俺は完全に遊牧民タイプだ
農耕も狩猟もガラではない 土地の所有などにはほぼ興味がない
心は定住を拒んでいる 血液座や星座で人を見るのはナンセンスだが大雑把には大抵当てはまっている
星座は精神運動のプロセスが大きく関わっている
血液型は民族移動をルーツに持つ
民族的習慣と血が人の性質に一番影響与えるが 心理学、星座、血液型、陰陽、風水、数秘、タロット、霊性、鉱石、因縁、パワースポット…… 俺自身が非合理的なオカルト人間だからな
向こうから勝手に寄ってくる 認知系の学者は心理学自体をオカルト扱いすることが多い
フロイトなどもはや相手にされない カントとヒューム流行以降は特にオカルト扱いされる分野が増えていった
経験論というのは非常に強力である 経験論も発端はオカルトなんだよ
まずフランシス・ベーコンな この人は古代ギリシャの自然哲学を信奉し、アリストテレス以降の形而上学を憎んでいた
アリストテレスのことを徹底批判していた
そして神の光に拘る 神の光というのは啓示宗教の最初の段階である
旧約の一日目にあたる
人間は小賢しい知能ではなく純粋な光の段階に踏みとどまるべきだと考えた ベーコンは数学さえも軽くあしらっている
今では科学研究に数学は欠かせない 人は分裂不安を抱えた状態で知覚や自己意識、概念運動に頼ってしか外界を判断できない
この癖がオカルトを同時に引き寄せる 実験科学と資本主義の流行以降はオカルトが次々に追いやられていった 再現性を重んじる科学実験は確かにエゴイズムを満足させるには充分な成果を収めてきた 科学がオカルトを否定しているというのは誤りである
再現性の得られない事象を科学は取り扱わないだけである
よって問題自体にしなくなった ユングはオカルトの領域に足を踏み入れフロイトから嫌われていった
最初は意気投合しとったのである オカルトはもともと目に見えない超自然的なもののことである
決して科学に否定されたものではない
ただし多くの場合は迷信が絡む
科学の発端は迷信との別離である
神学世界から出てきたものである以上はやむを得ない
迷信の多くは習慣から来ている 迷信にはメランコリーにとってある種の居心地の良さがある
素朴な郷愁がある
これも後から想起された場合だが 日本の場合は異界のホラーには素朴な郷愁がある
神話を見ればわかるが日本人は死の不安を黄泉の国という異界に切り離したままである 俺は貞子のファンなのでループ世界からの脱出に興味あるが 双子座思考は俺から見て軽薄だが考えようによっては最も理知的だといえる 双子座は分裂初期のプロセスでありこれに風の特性である理性の力を借りて活性化させる
無邪気な理屈を自在に使いこなす アニメでいうと銀魂やエヴァンゲリオンが典型的な双子座思考である
エヴァンゲリオンは躁鬱型メランコリーで浮き沈みが激しいが 理性は自然からの借り物であるがゆえ人間の対自然的欲望とは相性が悪い 自身の欲望を置き去りにしたまま理性を行使できるのが風である 文明の発達には風化作用が必要である
固着を吹き飛ばす アメリカで核兵器のスイッチはだいとうりょうが持っています
たぶんだいとうりょうが怒りっぽい人だと核兵器はたくさん発射されてこわいです だいとうりょうがホワイトハウスを離れたときは軍事顧問がついてゆきます
この軍事顧問は核兵器の発射コードと司令室への連絡用装置の入った黒いかばんを
持ち歩いています
だいとうりょうがおこって許可だせば核兵器はそくざにはっしゃされます アメリカはあたまのいい国で司令部は無数の戦争戦略をたてています
しかし司令部がいくら頭よくてもだいとうりょうがおこって命令をだせば
必ず核兵器のスイッチをおさなければなりません 実際には核兵器というのはボタンを押しただけではっしゃされるようなものではなく
複雑な手順にしたがうシステムとなっていますのでしろうとのおっさんには到底
はっしゃすることはできません 核兵器はとてもこわいのでビビって幼児退行してしまいひらがながおおくなってしまいました ドストエフスキーはおそらくシェイクスピアを理解していないというより嫌いなのだ シェイクスピアは展開が異様にはやい
はやいのはストーリーというよりも登場人物の意志と事実関係とが迅速に結ばれる
ドストエフスキーにはそんなものはない
ドストエフスキーは心理小説だ シェイクスピアが生きていたのはまだ魔術的発想が残っていた時代のイギリスである
近代と古代の間で人間の意思が運命に弄ばれる 古代に囚われた内面的部分は人間の意志が外に出たとき幽霊として現れる 内外一致を目指す精神プロセスにとって幽霊は重要な位置づけになる
これは単に客観的事実関係の問題ではない デリケートと神経質の違い
繊細な情緒を重んじているか自意識の混乱に苛まれるかの違い デリケートで繊細な情緒を重んじていてもどんどん神経質なだけになっていくこともある 芥川龍之介は心理小説の次元を自らのリアルに持ってきたような超現実的な作風である
今読んでも新しく感じる部分がある 古代の神話的事象から目新しい都市文化まで敷衍するような視点で自らの苦悩を交えつつ現実を眺める エゴイズムは西洋文明に適用しようと足掻くがナルシシズムは古代の夢に酔いしれる 芥川は母親が精神障害抱えた影響で授乳もろくにされなかったという話がある 志賀直哉のような直球の作風にあこがれた芥川は志賀本人にどうすればこういう小説が
書けるのか?と訪ねたことがあるらしい
志賀の答えは「思ったことをそのまま書けばいい」というものだった
芥川は複雑怪奇な心象を持つあまりそのまま書くことができなかった 言葉選びと技巧を凝らし複雑な心象を現実感覚に適応させるよう落とし込む 創作とは本来途方もなく精神に負荷をかける作業だ
それ相応の動機がなければ取り組むに値しない 自分を表現するささやかな楽しみという風に捉えることもできるが
これは自己満足に過ぎない 完全な自己満足と割り切ってやるにも精神に負荷をかける
どちらにせよナルシシズムとエゴイズムの力関係を知らねばならない 空想による自己実現の物語は安っぽいなりに価値がある
ただしこれは作り物の良心から外に出ることが許されない 主人公が何億と人を殺して死刑のまぎわに真実の愛に目覚め宇宙の自我に目覚めても無駄である 俺も心理小説書いてみたいな
まずドストエフスキーが読めないとなあ 幼稚な内面と屁理屈と壊滅的な文章能力を駆使して心理小説を書くぞ 考えただけでイライラしてきた
アアアアア ウウウウウウ 人間はナイフで刺した程度で死ぬから弱い、と自分に言い聞かせることが昔から頻繁にあった これがどういうことかというと、人をナイフで刺すことを大したことだと感じない自分に対する戒めである 弱いものには哀れみを持って接するのが情である
また自分も弱いので自己憐憫の情にもよくほだされる 肥大化した自意識と哀れな情をいさめるためによく人を刺しまくる疑似訓練を行っていた
これが功を奏したのか今まで人を刺し殺した経験がない 大事なのは自分を守ることよりも自分の衝動を制御することである
これを忘れないように 機械のように外部からの刺激に対し「あっ、ハイ」ばかり言ってはいけない
これも制御可能だ あっ、ハイ あっ、ハイ あっ、ハイ あっ、ハイ あっ、ハイ 『罪と罰』の構造は知っている
「殺人はいけない」ということを主人公の苦悩を通じて訴えているだけである
しかしラスコーリニコフに微塵も感情移入できばければそれまでである 殺人については常に考える必要がある
答えがないからだ ラスコーリニコフは自分が家族や周囲の人間の愛を裏切ってしまったことに悩み苦しむが
特に愛されず生きてきた人間はどうなる 自己制御のための良心的破壊と名付けよう…(なんじゃそりゃ) カフカの短編に『ある戦いの描写』というのがあって昔から何度も読み返しているが
一度たりとも「理解できた」と感じたことがない
ともかく奇怪な小説である 構成はT・U〈1・2・3[a・b・c・d]・4〉Vとなっている
何と何がどう繋がっているのか理解不能である 起こっていることは分かりやすい描写で書いてあるが
繋がりがわからんのだ
分かりやすいのにさっぱりわからん ふざけて即興でシュールな話にしたものでもない
入念に構成したような思考の形跡が見て取れる これに比べると『変身』は筋が通っていて分かりやすい
テーマを感じ取ることができるという意味で カフカの親父は厳格なユダヤ教を重んじる人で言語の問題で苦労しているからな
俺の想定可能な抽象操作をしていないのかもしれん 音楽でいうと複雑なモードジャズの旋法を単純な和音だと思いこんでいる、みたいな ハムレットに出てくる王様の幽霊は復讐を求める
シェイクスピア劇の人物は矛盾した命令に自信を失いそうになりながらも
自身の希求に基づき演技を続ける 近代以降の人間は矛盾した命令に対抗できるようなアイデンティティが構築されている 意志決定権は誰にあるのか?
自分が決定できる意志の権限について考えたことはあるだろうか
厳しい家庭だと父親の決定に反発することさえ許されないだろう 個人の自由や所有権が認められてからは権威から自立することが重要なテーマになっていった
自分の意志でリスクを受け入れながら生きろ、と 無責任なエゴイストが足掻いて失敗する陳腐なドラマが流行る ゲーテはシェイクスピアを信奉していた
シェイクスピアから神の存在を確信したとさえいわれている ドストエフスキーは囚われていた時期に聖書に没頭しており神の無償の愛について
考えていただろう 日本の古来からよくある幽霊のイメージは中国からの輸入である
情緒や悲哀、幽玄が絡んでいる
ハムレットの幽霊には情緒がなく人間に矛盾した感覚を想起させる
悪か善かも分からない 初期近代のイギリスでは人為と自然はつながっており王に神に通じるような偉大な権限があった
しかし流入した学問や知識により人々はうすうす王が普通の人間に過ぎないということは
分かってきているだろう 哀れむというのは西洋の道徳において基本である
感情移入には哀れみが必要である まず現代人はフェティシズムに慣れすぎている
フェティシズムというのは物神化である
例えばお金はフェティシズムと化している
価値の交換が可能なものとして絶対化している
最近はものとしてのお金を無くそうという運動も起こっているが 絶対化というのは精神プロセスの1つである
原始宗教の時代からこの運動は続いている シェイクスピア悲劇が嫌いな人の言い分はわかる
扱う内容が復讐と暴力にあふれている
暴力の連鎖が虚無へ通じていく 客の道徳心や哀れみの感情を蹴散らすようにキャラクターは矛盾に振り回される 人間の身体と精神を経済運動に縛り付けることで様々な矛盾が立ち現れ
矛盾解消劇の中で逆説的に浮かび上がるものもある 現代のシェイクスピアを探すか
今の人間は幽霊や魔術をファンタジー程度にしか扱わない 古代エジプトでは世界とは混沌みたいなものである
混沌への対峙という重大な意識が通っていた 宇宙は時空連続体で…科学の力ですべての因果関係を解き明かす…
この考えは怖い
俺にとってのホラー 合理化というのは矛盾命令に抗うのに効果的だ
誰しも日常的にやっている 合理化、合目的化
で、自分の意思や自尊心を防衛する しぜんと自分の都合の良い世界を夢想する癖が培われる 矛盾に抗うように情報を圧縮合理化し絶対化と相対化のプロセスを反復するだけの機械野郎が
おまけにナイフで刺しただけで激痛が走る弱い身体をもてあます神経の糞野郎め許さん 略してヒマワリさんだ
今から光合成の訓練を開始する 自他の区別というのは自動化された部分と想像を介して行われる部分とがある 俺は人の情動に敏感で喜怒哀楽にはほとんどこだわらない
喜怒哀楽というのは単なる文化的パターンに過ぎない
問題は感情のゆらぎである 情報圧縮と感情のゆらぎ
喜怒哀楽はたまに出てくる類型的パターンである 日本人は情緒や印象操作に慣れすぎている
すぐに空気読んで愛想笑いする
シチュエーションに振り回されて情緒ができあがる シェイクスピア面白いのは演者の表情を想像しながら文字で読むときだ
喜怒哀楽は明確ではなく矛盾に抗い続けるように中間のゆらぎが連続する 近代劇に革命をもたらしたシェイクスピアだがまず言葉ありきで構成される
時間空間を作るのも言葉である
身振り手振り表情がさらに陰影を与える
古代の演劇は時間に人間が取り込まれたリアルタイム進行だった 状況が人を左右するのでなく役者の意志と言葉がそのまま世界を構成してゆく 日本の古典演劇は全然違う
間の美学があり皆間を読み合う シェイクスピアの演劇には演者によって間など無関係に超高速化されたりする
ゆっくりなシェイクスピアもある 類型を覚えるのが認知強化につながると考えるのは愚かである
パターン認識だけは得意になるだろう タナトス経由で湧いたものは危険なことは承知している エゴイストは利にならなければ怒りもしまいこむからな なんでも自己と切り離し笑ってごまかすやつも多い
これは分裂への不安に由来する 空気読むというのは半ば暗黙の領域へ自己を切り離すことでもある
経験と感覚に委ねる
自覚的に空気読むと神経を使いすぎる 最近の目的は良心に目覚めることではなく忍耐強く自分の衝動をおさえてトレーニング続けることである 格闘技に興味ないが型の研究をたまにしている
喧嘩とか暴力は嫌いである
なんせ俺自身に暴力的な部分ある
ずっとこれを憎んできた 喧嘩で人が刺殺される動画やマフィアの処刑動画、戦争、事故動画などグロいやつを見ると
胸が苦しくなるが自分のイライラをごまかすためによく見ていた
人間がいかに脆いかがわかる いろんな種類の病気や怪我の医学写真もよく見ていた
人間の身体はなぜこんなにグロいのに健全な精神とやらに拘ることができるのか?と
むしろ人間は逆説を生きているだけだということが分かった
みんな耐えているわけである 精神運動のプロセスと身体には明らかな齟齬がある
成長と俗にいわれるものには必ず根拠が要る これまでエロ→グロ→ナンセンスを自分なりに咀嚼してきた
文化の退廃期である現代ではよくあることだ 経済回せを連呼している人には悪いが俺はエゴイストになれない
自分や他人の利益のために生きる気はない 理想我を排泄するぞ
理想我を排泄するぞ
理想我を排泄するぞ すべてはプロセスなのだ
固まった理想を持って何になる
しょせん脳みその糞野郎の動機付けに回されるだけだ https://youtu.be/L0XeQhSnkHg
iphone が発表された当時のジョブズによるプレゼン
途中に出てくるギャグのようなデザインの電話が一番魅力的に思えた ヒッピー文化、禅、ヤクで鍛えたジョブズのシンプルさへの固執はすごい ジョブズは水瓶座の典型でねえ
面倒な文化的固着要素を一気に風化させたがっていた ビル・ゲイツは蠍座の典型
情動の力学でいえばアメリカではビル・ゲイツのほうが強い アメリカIT企業における風と水の代表が俺をPCに縛り付けた 命令系統の優先度が違う
飛び級しない限り許可がおりない 一般的な人間に飛び級可能なのは2つ先である
天才は5つ飛ばせる 絶対化の過程で人間は永遠を発明した
これは身体とそごがある 量子コンピュータが仮に一般的になったらスコラ学由来の断言の連続はやめる
これただの形式論理学からの影響だから 永遠を最上位に置いたときに断言の連続により人の観念運動はコントロール受けやすい
神学から科学が出てきたのも頷ける
アンセルムスは修道会に理性的思考を導入した 永遠、無限
人が想像することのできる(実際はできんが)最も偉大なる存在
想像と認知をつなぐ神学的思考 啓示宗教の強力さはキリスト教が証明した
自己犠牲の愛にどれだけ人が弱いかということも このスレッドは1000を超えました。
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